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NERV本部へと向かう通路。そこでシンジが見たものは見慣れた後ろ姿。
「あ、綾波。」
「……碇くん。」
だがいつもと違うのはレイの手にそっと抱かれたカーネーションの花束。
「あれ、その花束は?」
「さっき買ってきたの。」
「でも綾波には……」
その後は言葉には出せない。
「碇くんが教えてくれたわ。『自分を産んでくれたこと、育ててくれたこと、色々なことを教えてくれたこと……愛を注いでくれたこと、そんな様々なことに感謝を込めてプレゼントを贈る』、それが母の日だって。」
そう、それはシンジがレイに言った言葉。
「ずっと考えていたの。私は無から作られた存在。人の手によって作り出された存在。だから私には母親はいないって。でも……」
僅かな沈黙。
「でも……私を産んでくれた人はいない、でも……私を育ててくれた人、色々なことを教えてくれた人、そんな人がいるのならそれが私のお母さんと言うことになるんじゃないかって……」
その言葉にシンジは微笑みを浮かべる。判ったのだ、それが誰かを。
「うん、確かにそうだね。」
だが、その女性は……
「でも……まだ私は憎まれているかもしれない……受け取ってもらえないかもしれない……」
いつもと同じ、変わらない表情。だがシンジにはレイの眼差しがほんの僅か不安げに揺れているのに気づいていた。
だから、彼女が少しでも安心するように。
「大丈夫、きっと喜んでくれるよ。」
そう言って微笑むシンジにレイもほんの僅かだが微笑みを浮かべる。
「……ええ……そうね……」
第六ゲージへと向かったシンジと別れ、レイは目的地へと向かう。
目的地である部屋の扉の前。しばしの間躊躇い立ちすくむレイ。
それはとても珍しい光景だったかもしれない。あのレイが逡巡しているのだから。
「あら、今日はテストはないのにどうしたの、レイちゃん。」
「……伊吹二尉……」
後ろからかけられた声に振り向いたレイが見たのは伊吹マヤの姿。
「どうしたの?」
「………」
優しく問いかけるマヤにも、やはり躊躇いを見せるレイ。
だが彼女がそっと抱いているカーネーションの花束。それが答えの代わりにレイが此処に来た理由を教えた。そして彼女が躊躇っている理由も。
「ああ、そう言う訳ね。」
マヤはレイに優しく微笑む。
戦いの際には決して恐れを見せない少女。いや、それどころか恐怖というものを感じたことが無いかのような印象さえ受ける少女。
そんな彼女にとっても勇気のいることなのだろう、これからのことは。だからこそ、マヤは一生懸命応援してあげたかった。少しでも彼女達に幸せになってもらいたかったから。
「大丈夫よ、私も応援してあげるから。ほら、勇気を出して。」
「……はい……」
その時、いつものようにリツコはMAGIを使ってのデータ解析中であった。
後ろで扉が開き誰かが入ってきたのは気づいていたけれど、どうせマヤが帰ってきたのだと思って振り向きすらしなかった。その判断は間違ってはいなかったけれど。
「……赤木博士……」
その声に思わず振り向くと、そこにはマヤだけでなく、此処にいるはずのないレイの姿があった。
「どうしたの、こんな休みの日に?」
「……赤木博士は……たぶん此処にいると思いましたから……」
NERVでもっとも忙しい人間、赤木リツコ。確かに彼女に会おうと思えばNERV本部に来るのが一番である。
そもそも休日返上で仕事をしている人間が『こんな休みの日に』と言っても説得力はないだろう。
それに気づいてちょっと顔をしかめるリツコ。
「それで? 私に何の様なの?」
そんな気分が影響してか無意識に声に棘が混じる。
その声を聞いて再び躊躇いを見せるレイ。その背中をマヤがそっと押す。
それに押されるようにリツコに近づくとレイは胸に抱いていた花束をそっとリツコの方に差し出す。
それは赤いカーネーション。
「これを……私に?」
コクッとうなずくレイ。
しばらくの間、動かないリツコ。
そして……
「……駄目……受け取れないわ……」
「先輩!」
絞り出すようなリツコの声にマヤが非難の叫びをあげる。
そしてリツコの言葉を聞いて僅かに俯くレイ。
「……私には……それを受け取る資格は無いわ……」
レイが花束を持っているのはリツコも気づいていた。だが、それを目にしていてもレイがそれを自分に渡しに来たと気づいていなかった。
いや、無意識の内にその考えを除いていたのだろう。自分にはそれを受け取る資格が無いと判っていたから。
自分に相応しいのは花束ではなく毒蛇であろうから。感謝の言葉ではなく呪いの言葉であろうから。
レイの命を弄んでいた自分に、レイをモノとして扱っていた自分に、そして嫉妬と憎しみの果てにレイ達を破壊した自分に、その花を受け取る資格など有るはずがなかったから。
そう、母への感謝を表すその花を。
だから……
「私があなたをどんな風に扱っていたか……身を持って味わってきたはずでしょう。あなたにどれほど恨まれても、どれほど憎まれても仕方のない様な、そんな酷い事をしてきたのよ、私は。そんな私には……」
そう、だから……
「ごめんなさい、レイ、あなたの気持ちはとても嬉しいけれど……でも……私にはそれを受け取る資格は無いの……」
どれだけの時間が過ぎたのだろうか。そのまま動かない二人。
そして見守るマヤもその二人にどんな言葉をかければよいか判らなかった。
「……私が……」
その静寂を破ったのは小さな声。
「……二人目の私が目覚めたとき……知識はあっても経験という物を持たない赤子のような私……その私の世話をし、知識の使い方を教えて下さったのは赤木博士、あなたです。」
「……でも、それは……」
言いかけたリツコの言葉を遮るように語り続けるレイ。
「碇司令の命令だからかもしれません。それでも……私を育ててくれたのは間違いなく赤木博士です。」
「……でも……」
「碇くんが教えてくれました。『自分を産んでくれたこと、育ててくれたこと、色々なことを教えてくれたこと……愛を注いでくれたこと、そんな様々なことに感謝を込めてプレゼントを贈る』、それが母の日だと。」
彼女は語る。小さく、静かに、だが心を込めて。
「無から作られた私には産んでくれた人はいません。でも育ててくれた人はいます。色々なことを教えてくれた人はいます。だから……」
だから……
「この花を受け取って下さい、“お母さん”」
小さな、とても小さな言葉、だけど、はっきりとした言葉。
リツコの耳のも、マヤの耳にもしっかりと届いた言葉。
“お母さん”
リツコは動くことを忘れたかのようにただレイを見つめている。
「先輩。」
優しいマヤの言葉。その言葉に押されるようにリツコは花束に手を伸ばし……一瞬躊躇った後、そっと壊れ物を扱うかのように受け取る。
その時リツコはレイが自分の顔をじっと見つめているのに気がついた。
「……涙……」
「え?」
「赤木博士、泣いてる……」
頬を伝う感触。自分でも気がつかないうちに流していた涙。
「……何年ぶりかしら、人前で泣いたのって。」
他人に涙は見せない……いつの頃からかそう決めていたけれど。
感情を殺し、冷たい人間であろうとしてきたけれど。
やはり無理をしていたのかもしれない、とリツコは思う。
とりあえず今は……泣きながらでは様にならないけれど。
「……ありがとう……レイ……」
「いえ、お礼を言うのは私の方。今まで育ててくれてありがとう、“お母さん”」
その言葉に、リツコは急にレイを抱きしめる。
「……ありがとう…・そして……本当にごめんなさい、レイ…・・」
ちょっと驚いた表情を見せたレイも、微かに微笑んで抱きしめ返す。
「……ごめんなさい…・・ごめんなさい……」
謝りながら泣き続けるリツコ。今まで心に貯め込んできた想いが溢れてしまったかのように止まらない涙。
そんなリツコの背中を、レイは穏やかな笑みを浮かべてゆっくりと、そして優しく撫でる。
まるで母親が泣いている子供を安心させるかのように優しく、そっと。
そんな優しさに包まれて、リツコはいつまでも泣き続けた。そう、いつまでも……
育ててくれた母に感謝の言葉と共に……赤いカーネーション。
(fin)
『カーネーション』 レイの章 お届けしました。
EVA小説では一般的に、レイのお母さん=碇ユイ ですね。これは「綾波レイは碇ユイのクローンである」と云うことから「綾波レイは碇ユイから生まれた(サルベージ?)」という風になるからでしょう。でも、実はこの二人は顔を合わせたことすら有りません。
逆にリツコさんとレイの関係は憎しみで結ばれている、という解釈が多いですね。これはやはり弐拾参話の影響でしょうか。でも、それ以外の回を見てるとそんな単純じゃないだろうなと(たとえばシンジにレイのことを聞かれて答えているセリフとかね)。
それに、本編でレイの面倒を見てたのはリツコさんだったし、目覚めたばかりの二人目を世話してたのもやっぱりリツコさんだろうと思いますからね。レイの様子からだと一人目の記憶は無いみたいだし、となると目覚めたばかりのレイってそれこそ赤子に近いだろうし(まあ記憶のバックアップが出来るぐらいなら必要な知識を刷り込むぐらいは出来ると思いますけど)。
というわけで、こんなお話です。
赤いカーネーションの花言葉は「愛を信じる」。表面はひたすらクールで感情なんか無い様に思わせるけれど、内面はとっても一途で純粋なこの二人に相応しいでしょう。
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