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その場所は広さも形も認識する事ができない暗黒の空間だった。
闇の中から漆黒のモノリス状の物体が一つ、また一つと浮き出る様に現れていく。
それらのモノリスには、それぞれ異なった数字が赤くにぶい輝きで表示されていた。
その輝きがなければ漆黒のモノリスは闇との境界線を作れずにいただろう。
出そろったモノリス達は見かけの重厚さに相反するかのごとく、宙に浮かんだまま無気味に移動を始め、やがて円陣を組む形で向き合う事となった。
01と表示されたモノリスからくぐもった声が響き渡った。

「第17使徒はもはや存在しない!」

04と表示されたモノリスが恐る恐る問い掛ける。

「・・・・しかし3日前、例の会議中に出現し、碇を・・・・その・・・」

言葉を濁す04に代わり05のモノリスが叫ぶ。

「碇の頭をあの折りたたんだ紙で張り倒したアレは何者だというのだ!?」

一瞬、微妙な間が暗闇を支配した後に01のモノリスが答えた。

「あれは虚像だ。碇が我らのシナリオを遅らせる為に仕組んだ立体映像に過ぎん。あの時点ですでに第17使徒の生命活動停止を我らは確認していたではないか!碇は我々を欺こうとして一芝居うったのだ」

断定的なその口調に他の者達はぎこちなく沈黙する。
言っている事は解るが彼らには何か釈然としないものがあるのだ。
ゲンドウが一芝居うったという所が・・・・
一芝居うつ事自体はともかく、芝居の内容がどうも・・・・ゲンドウがあんな間抜けな役割を自ら演じようとするものなのか?
彼のキャラクターからはとても想像できない。
それが今まで彼らが結論を導き出すのに、二の足を踏んだ原因の一つでもあったのだ。

「もはや残された時間はない!」

強圧的な声が轟く。

「これ以上奴に振り回される訳にはいかん。我らの望みを叶えん為には一刻も早くシナリオ最終段階に移らねばならぬ。そして今がその時なのだ!異論はないな?!」
 

 

抗する声はどのモノリスからも出ることはなかった・・・・
 
 

エヴァ>



<平和
 
 

「やっと動き出したか・・・・確かに総司令は直接張り倒されたから実感できたけど、彼らは通信映像を見てただけだからな。虚像と判断しても不思議ない訳だね。しかし動き出すのが早かったのか遅かったのか・・・・」

口元に怠惰さを伴った笑みを浮かべて呟く。
カヲルは八角形の窓から老人達の会話の一部始終を覗き見ていたのだ。

「ふあ・・・・」

喉の奥から心底眠そうなあくびが絞り出された。
現在朝の6時半、カヲルは青いノースリーブのパジャマ姿でタオルケットにくるまっていた。
自分の部屋の布団の上で、上半身を起こして窓を作っていたのだ。
いつ窓の向こうの彼らが動くか監視せねばいけない為、殆ど徹夜に近い状態で。

「一晩中窓の映像とにらめっこして、あちこちチェックする・・・HPの管理者のつらさが解るね」

しゅんっ

窓が消えた。
よっぽど窓に顔を突っ込み驚かしてやろうかと思ったが、そんな事をしていつまでも徒にゼーレの動きを止め続けるのが良い選択とも思えない。

「いよいよだな。これで寝不足ともおさらばかな?早く着替えなきゃ・・・・」
 



 
 
「バカシンジ!!」
 
「はぁっ!」

聞き慣れた怒号を耳に叩き込まれ、シンジは目を覚ました。

「よーやくお目覚めね、バカシンジ」

「なんだ・・」

シンジは声のしたほうをぼんやりと見上げると、腕で目を擦りながら起き上がった。
意識はまだ半分眠ってる状態だ。

「アスカか・・・」

シンジの態度にむっとしたアスカが腰に手をあてる。

「なんだとはなによ!こうして毎朝遅刻しないように起こしに来てやっているのにぃ、それが幼なじみに捧げる感謝の言葉?」

アスカがここまで言ってもシンジの耳には殆ど入らなかったらしく、再びシーツをかぶり始めた。

「ああ、ありがと・・・・だから・・・もう少し寝かせて・・・・・」

シンジのあまりの緊張感のなさに呆れはて、ついにアスカはキレた!
眉間にしわ寄せ、二度寝をやらかさんとするシンジにがなり立てる。

「なに甘えてんの!もおっ、さっさと起きなさい、よ!」

ばさっ

怒りに我を忘れたアスカはまたしても同じ過ちを犯してしまった。
シンジのくるまるシーツを思いきりひっぺがしてしまったのだ。

「はっ」

一気に赤面!

「・・・いやああ!」

ぱちいんっ!

「エッチバカヘンタイ信じらんない!!」
 
 

シンジは完全に目を覚ました。
ほっぺたに赤い手形を刻印されて、やっと・・・・
じ〜んと痛む頬に手を当て起きあがる。
顔面ゆでダコ状態のアスカに対して、昨日は心の中で呟いた言葉がシンジの口から飛び出した。

「しかたないだろ、朝なんだからぁ!」
 



 

「シンジったらせっかくアスカちゃんが迎えにきてくれてるのに、しょうのない子ねえ」

「ああ」

ダイニングキッチンでのんびりした会話がまじわされていた。
ユイは流し台で洗い物を、ゲンドウは食卓で新聞を読んでいる。
いつもの碇家の風景だった。

「あなたも新聞ばかり読んでないでさっさと支度してください」

「ああ」

「もう〜いい歳してシンジと変わらないんだから」

「君の支度はいいのか」

「はい、いつでも。もう会議に遅れて冬月先生にお小言言われるの、私なんですよ」

「君はもてるからな」

「ばか言ってないでさっさと着替えてください」

「ああ・・・わかってるよ、ユイ」
 
 

着替えを終えたシンジは勉強机に置かれた鞄に手を伸ばしながら、両親の会話に耳をかたむけていた。
ドアが開いていると、ここからでもそれなりに声が聞き取れたのだ。
その内容から、穏やかな中にも母と父の力関係が読み取れる。
声からだけでも、微笑ましくも滑稽な光景が目にうかんでくる。
とうに分かっている事ではあっても、シンジの口元はつい緩んでしまう。
そんなシンジのほのぼのした気分などはお構いなしに、精神的ダメージから立ち直ったアスカがせっついた。

「ほ〜ら、さっさとしなさいよ」

「う〜んわかってるよ、本っとうるさいんだから、アスカは」

バカシンジにしては大胆な発言。
当然の代償として、

「なんですってえ!」

ぱんっ

シンジの左頬に二度目の手形が刻印された。
 



 

「じゃあおばさま、いってきまぁす」

玄関で靴を履きながら、シンジの時と打って変わって愛想好く笑顔をユイに向けるアスカ。

「いってきま〜す・・・・」

対照的にビンタの跡も痛々しいシンジは、棒立ち状態で暗〜くつぶやいた。

「はい、いってらっしゃい」

自分に笑顔を向けたままアスカがシンジの背を押して出てゆくのを見届け、ユイは夫に振り向いた。
相変わらず新聞を読みふけるゲンドウに、少しきつめに声をかける。

「ほらもう、あなた、いつまで読んでるんですか」

「ああ、わかっているよ、ユイ」
 
 



 

坂道を走る二人に涼しい風が吹き抜けた。
今朝は幾分気温が低いようだ。
シンジの脳裏に[秋]の一文字がかすめる。
はたして9月10日は秋といえるのだろうか?

一方アスカは渋い表情でまっすぐ前を向いて走っていた。
今朝言った言葉を思い出して、少し恥ずかしい気分に陥っている。
シンジの部屋からの声が以外と遠くに、場合によってはユイとゲンドウのいるダイニングキッチンまで届く事に気付き、そのため二人っきりにもかかわらず幼なじみとして振る舞ってしまったことを。
しかも突っかかりもなく、さらっと口から幼なじみという単語が出たのもなんだか・・・・
なによりシンジがその事に無反応だったのが引っ掛かる。

(こいつはどういうつもりでアタシの言葉を聞いていたのかしら・・・?)

まさか二人きりの時も幼なじみでやってくとでも解釈したわけではないだろうけど。
アスカの胸に不安がじんわりと広がる。
この平和な世界に似つかわしい、今ひとつ危機感に欠けた不安が。
自分は知らぬ間に平和なこの世界の生活に馴れきってしまっているのではないか?
シンジは今の暮しを完全に受け入れてしまったのだろうか?
そういえば今日はエヴァの世界の者同士としての会話をまだしていない。
そして今のように、二人だけの時しかそういう会話はできないのだ。

(ちゃんと言っておかないと・・・・シンジが妙な勘違いをしないように!)

アスカが横を向いてシンジに話し掛けようとした時、

「涼しいね・・・アスカ」

「えっ?」

シンジのほうから話を切り出してきた。
面喰らうアスカにシンジはさらに言葉を続ける。

「もう・・・・・秋なのかな・・・?」

「秋?・・・・」

「うん・・・」

「・・・・・さあ・・・?」
 
全速力で走っている事実も忘れ、間の抜けた返事をしてしまうアスカ。
日本の秋などアスカは知らない。
何よりシンジはなんでそんなことを問い掛けるのだろうか・・・・?

(・・・・そうか、こっちじゃなきゃ秋は来ない・・・シンジは夏しか知らないんだ・・・)

アスカはシンジの目が上方を見ているのに気付き、つられる様に自分もそれにならった。
昨日と同じ抜ける様な青・・・しかし雲の分量が昨日よりかなり多い。
あまり見慣れないざらっとした質感の雲が、青空のカンバスを縦横無尽に走っていた。
鱗雲と呼ばれるものだ。
しばらく二人は無言で空を眺める事となった。

(・・・・・・これが秋の空なのかな?)

(ふーん、日本の秋ねえ・・・・・って何やってんのよアタシは!)

そうだ、言おうとしてた事があったのだ。
アスカは視線を空からシンジに下ろした。
まだ空を見ているシンジに喋ろうとした瞬間!

「あ〜〜〜!」
 

ごちいいいんっ
 

シンジは十字路の横から飛び込んできた何者かに思いっきりぶつかった!
頭と頭をぶつけ合い、反発する磁石のごとく吹っ飛ぶ両者。

「痛〜痛つつ、ったぁ・・・」

四つん這いで頭を押さえて顔をしかめるシンジ。
誰にぶつかったかと、前を見ると・・・・

「あたたたた・・・・」

真ん前に両足左右にひろげて尻餅ついたレイ!のスカートの中が・・・・・
レイはシンジの姿を認識すると同時に自分の今の格好を見下ろした。

「あ?うぁ〜」

上目遣いにシンジを見ながら、真っ赤に染まるレイの顔。
慌ててささっとスカートを整えた。

「で、でじゃぶー・・・・・二度目、じゃない三度目だよ〜・・・・てへへ」

しゃきんと立ち上がるや大きく息を吸い込んで、思いっきりの笑顔と共に声をはき出した。

「おはよー碇く〜ん!!」
 
「あ・・・・おはよ・・・綾波」

あっけにとらているシンジは四つん這いのままレイに返事した。
その背後ではアスカが顔を引きつらせてシンジを見下ろしている。
レイがアスカに笑顔を向けた。

「アスカもおはよー!」

むっとする気持ちを押さえて答えるアスカ。

「・・・おはよう、レイ」

これでもうしばらく幼なじみしていなければならない。
アスカはけだるく息をつくと、胸に淀んでいるもやもやを振り切るようにして言い放った。

「バカシンジ、起きなさい!いつまで4足動物しているのよ、みっともない!」
 
 
 
 
 
 
 

シンジアスカの大冒険?その9
 
 

二人目−前編
 

動き出す世界達
 
 
 
 
 
 
 
 

30m程の8角の窓から見えるのはタバコをふかしながら、ノートパソコンに見入るミサトの顔。
室内の光源のせいで全体的に緑っぽい色になっていた。

「趣味の悪い照明だなあ・・・」

つぶやきながらカヲルは窓にくっ付く位に耳を近づけた。
向こう側の声が聞こえる。

「そう、これがセカンドインパクトの真意だったのね」

カヲルは耳を離すと窓の向こうのミサトに微笑みかけた。

「加持さんの形見が役にたって良かったですね、ミサトさん」

窓の向こうのミサトは今、加持の残したマイクロチップを使いマギの端末へアクセスし、ネルフの最重要機密の入手に成功してしていた。
カヲルは窓のサイズを拡大する。

しゅん!

一瞬で窓は扉の大きさになった。
ミサトの全体の姿を見て、カヲルは首を傾げた。
カヲルにはよく分からないコードか何かの塊や、赤く輝くパネルなどに挟まれかなりせまそうだ。

「う〜ん、あまり感じの良くない所だな。狭いのも嫌だし。扉をくぐるのはもうちょっと後にしたいね。本当は早くここから立ち去りたいんだけど・・・」

困った口調で呟くカヲルは和式便所に股がる形で立っていた。
実はここは公園の公衆便所の中なのだ。
人に見られない場所として選んだのだが、手入れが悪いのか結構臭う。
笑みをたたえた口元がやや引きつった。

「まだかなミサトさん・・・」
 
 
 

平和>



<エヴァ
 
 

情報を入手した際に気付かれなかったのは奇蹟とも言えた。
いや、実はもう気付かれたかもしれない。
どうにしろ知ってしまえばこちらのものだ。
ミサトは開けっ放しにしておいたドアをくぐり通路に出た。
IDカードで手早くドアを閉じると、 一息ついてドアにもたれる。
さてこれからどうするか?

(シンジ君とアスカは一体どこまで知っているのかしらね)

当人に聞いてみるのも面白いかもしれない。
もたれたドアから離れ歩き出した時、ミサトは背後に鈍い光を感じた。

「!」

振り向きざま懷から銃を抜くと気配に向けて構える!
そこには・・・・・
 

「驚かせてすみません、ミサトさん」

すでに両手を挙げて降参の意志を表し、それでいて人なつこい笑顔でミサトを見ている少年。
目をむくミサトの銃を握る手が一瞬びくりと震える。

「あなたは・・・・渚カヲル!」

「はい」

まるで出席をとる教師に生徒がするようなノリでカヲルは返事した。
もちろんミサト先生ではないミサト三佐の表情は、より険しくなっていく。
警戒心もあらわにカヲルにに向かってまくしたてた。

「どういうつもり?何故私の前に現れたの?今までシンジ君とアスカだけだったじゃないの!」

「・・・・あの、手を下ろしていいですか?」

「あんたはこんな銃に降参する必要ないでしょ!」

ミサトは銃を下げた。
こんなもの使徒には無意味だ。
カヲルも両手をおろした。

「ミサトさん、あなたに教えておきたい事がありまして・・・」

「何故私にそんなことをするの?」

「あなたはシンジ君とアスカ君の味方だからです」

味方という言葉にミサトの眉がひくついた。

「・・・で、あなたも味方だと言いたいの?」

「ええ。ええっと、時間がないので本題に入ります。サードインパクトに向けてゼーレが動き出しました」

「えっ!?・・・・」

あまりに急な発言にミサトは絶句してしまった。
カヲルが会話のペースを握るためのいわゆる、つかみ、である。
しばらくミサトには黙って聞いてもらわねばいけないからだ。

「ゼーレは僕が生きてるのは実はネルフの偽情報と結論付けました。あさはかにも・・・リリスの分身たる初号機を奪い、サードインパクトの要とするつもりです。人類補完計画の何たるかはもう知ってますよね?重要なのはネルフがここに至ってゼーレを裏切った事です。ネルフがサードインパクトを阻止しようと考えているからゼーレが攻撃しようとしている」

「ま、待ちなさい!なんであなたがそこまで知ってるのよ?ゼーレが動くタイミングまで・・・」

内容が内容だけに簡単には黙ってくれない。
だからと言って窓の力で覗いていたなどと本当の事は言えはしない。
カヲルは用意しておいた嘘を口に出すことにした。

「僕はそのゼーレから送り込まれたんですよ。それにあそこにいる間に色々下準備もしておきました。使徒の力をフル活用してね。リリンのシナリオ通りになる気はなかったから。詳しいことは割愛しますが・・・」

カヲルは今度はミサトが口を挟まないのを確かめると、話を続ける。

「さて、具体的にゼーレが何をするつもりか教えましょう。まず、世界中のマギタイプのコンピューターによるマギのクラッキングです。それでだめなら戦略自衛隊を抱き込んでの武力による制圧および初号機奪取。最終手段として量産型エヴァ投入による攻撃およびサードインパクトの実行です。これは最新情報なのでシンジ君達も知りません。伝えといてください。う〜んと・・・こんなとこですか」
 
これで取り敢えず先に言っておく事は言えた。
後は質問タイムだ。
カヲルが話し終えるのを待ちかねたようにミサトが疑問をぶつけた。

「どうしてそんな最新情報を仕入れられるの?さっき下準備って言ったけど、ゼーレに内通者でもいるっていうの?」

「まあそんな所です。とにかく嘘ではないので信じてくださいよ」

「あなたを?なら何故使徒なのにシンジ君達の味方をするの?あなたの目的はなんなのよ!」

「僕は一度は死んだんですよ。あの時に僕の使徒としての役目も終わってるんです。それにアダムはシンジ君のお父さんがいじくり回してとても戻れたものではない状態です。後に僕に残された物はシンジ君に抱いた好意だけ・・・だからそれを大切したい。そのために僕は全力を尽くす。それだけです」

「シンジ君は・・・・どこまで知ってるの?」

「さっきミサトさんが引き出した情報位の事は教えてあります」

「あなた私が情報を引き出すのを見計らって!」

「いや、たまたまゼーレが動くのと重なったもので・・・他意はないですよ」

「私はあなたに監視されてたってわけね・・・・・で、私にどうしろと?」

むっとした顔で尋ねるミサトに苦笑しながらカヲルは答えた。

「あなたの意志にまかせます。僕はあなたを信用しますから。それでは僕はこれで失礼します」

ぺこりと頭を下げるカヲルにミサトが突っ込んだ。

「失礼しますって、あなたどこへ行く気よ!」

「ミサトさん、今度の戦いは人と使徒の戦いじゃない。人同士の戦いになります。だから最終的には僕の出しゃばる事ではなくなる。今までシンジ君の手助けをしてきましたが、後は本人でなんとかしなければいけないんです。だから僕はここで退席します。シンジ君に、それとアスカ君、レイ君によろしく伝えておいてください」

言い終わるとカヲルは右手を上げた。
ミサトの眼前で青白く輝く八角の光が、手のひらの前に形成されていく。

「ATフィールド!何をするつもり?」

再び銃を構えるミサトにカヲルはにっこりと笑いかける。

「ATフィールドじゃないです。無関係ではないですが・・・・ディラックの海への入り口とでも考えてください。この中でしばらく僕は活動休止します。後はあなた方次第です。がんばって下さい、僕はシンジ君達を信じています」

八角が人のくぐれるサイズになった。
扉を挟んでミサトとカヲルが対峙している。
ミサトの側からそれまで透明でカヲルの姿が見える扉が、突如灰色に曇りだした。

「それじゃ」

扉越しにカヲルの声が聞こえた。

しゅん!

突然扉が縮小し、消えてしまった。
向こう側にいたカヲルごと。

「な・・・・・」
 

ミサトはさっきまでカヲルのいた所をしばらく無言で凝視していた。
やがて時間の経過とともに張り詰めたミサトの表情が冷めたものに変わってゆく。
 

「・・・・・・・自分の信じる事をやるしかないのね」

ミサトはゆっくり銃をおろすと踵を返して歩き出した。
 
 



 

「もう少しゆっくりしてきなさいよ」

レイに語りかけるアスカの口調はやさしいものだった。
アスカの部屋で起床した3人だったが、着替えを終えるとレイが帰ると言い出したのだ。

「でも、いかないと・・・」

レイはいたわるような眼で自分を見つめるアスカを真直ぐ見つめ返していた。
視線はシンジに泳がない。
基本的にシンジだけが興味の対象だった昨日までのレイの、アスカに対する態度が少し違ってきている。
アスカが嫉妬心を無理矢理押さえこんで、真心で接してきたのがレイの心を動かしたのか・・・

「今いかなきゃだめなの?」

「わからない・・・だけどいずれ必ず行かなければいけない。そう思うの」

「レイ・・・・」

「ありがとう、アスカ。心配しないで、私は自分でそうする事にしたの」

「自分で・・・?」

「ええ」

ここでレイはアスカの傍らに立つシンジに眼を向けた。

「碇君、私は碇君のことをよくおぼえてない。だけど・・・昨日から碇君といっしょにいられて・・・・良かったと思う・・・・だから・・・何ができるか分からないけど・・・・」
 
シンジをまばたきもせず見つめる真紅の瞳・・・そこには明解な意志が感じられる。
その意志の源は自分達がレイに取り戻させようとした人間らしい心なのだろうか。
もしそうならレイの意志を信じてここで別れるべきなのだろうか?それとも・・・

「綾波・・・・できればもう少し僕らと一緒にいて欲しい。だけど綾波にも綾波の考えがあるんだろうし・・・・」

シンジの迷いがそのまま言葉となってしまった。

「碇君・・・・ありがとう・・・・・・もう行かなきゃ」

レイはそれをシンジが解ってくれたと解釈したようだ。
部屋を出て行こうとドアに向かう。
その時シンジがレイを呼び止めた。

「待ってよ、綾波!」

足を止めるとレイはゆっくりと振り返った。

「綾波・・・行く前に、約束してよ!また必ず会うって・・・・」
 
 

かなり間があいてからレイの口が開いた。

「ええ・・・・また必ず」

「レイ!」

アスカがレイに近づき、腕をとった。

「どうしても行くって言うなら・・・・行く前にもう一度笑って見せて!・・シンジ!!」

アスカはシンジの手をぐいと引っ張るとレイと向かい合わせた。

「ほら、レイ・・・・とびっきりの笑顔を見せてあげて、さあ」

アスカに促されたレイはシンジに微笑もうとした。
昨日笑った時にはシンジはとても喜んでくれたし、自分も心地よい気分になる事ができた。
しかし、とびっきりとはどういう笑顔なのだろう?
一瞬レイの心に惑いが広がる・・・・・
そのとき、彼女の心の中に昨夜の記憶が浮かび上がった。
あのときの・・・・・

レイは目を閉じた。
何かをイメージするように・・・・・・・

 

 

にこっ!
 

「うわ!!」「ひっ!!」
 

二人は腰を抜かさんばかりに仰天し、2、3歩後ずさってしまった!!
互いに身を寄せ合って驚きに身震いするシンジとアスカ。

「うわわわわわ・・・」

「ななななななによ!」

レイが見せた笑顔は二人の見慣れたものだった・・・・・向こうの世界で!

(びっくりした〜、なんであたしの世界のレイになっちゃうのよ!?)

はち切れんばかりの笑顔を元に戻すとレイが不思議そうに尋ねた。

「どうしたの・・・・?」

「どうしたってあんたこそその顔は・・・」

「とびっきりの笑顔をしようと思ったの」

「あれがとびっきりですって?・・・」

「・・・・違ったの?」

微かに表情の曇るレイ。

「えっそれは・・・・・」

慌ててシンジに目配せするアスカ。
まだ立ち直り切らないシンジがぎこちなくフォローをする。

「あ、綾波、急だったからびっくりしたけど、とても元気ないい笑い顔だったよ・・・はははは」

「そう・・・・」

「まさかレイにこんな顔できるなんてね。これからはどんどん使いなさいよ、それ」

「二人目の私は使ってなかったの?」

「えっ?」「なっ?」

シンジとアスカはレイの意外な問いかけにまたもや仰天してしまった。
二人目のレイ・・・・・それと自分の世界のレイの、あの強烈な笑顔とどう関連するのだろう?
レイは答える気配のない二人の表情をじ〜っと観察した後、ぽつりと呟いた。

「そう、違ったのね・・・」

レイの様子に困惑しながらも、アスカが問うた。

「何が違ったの?」

「夢を見てたの・・・」

「夢?」

「ええ。だけどあれは・・・・」

レイは言葉を途切れさせ、アスカから視線をはずすと考え込む様にうつむいた。

(あれは・・・・二人目の私の記憶じゃなかったのね)
 
 



 
 
 
八角形の扉をくぐり抜け、カヲルは公衆便所の一室に戻ってきた。
扉を消すとドアを開け、一応洗面所で手を洗うと外にでた。
置きっぱなしにしてあった鞄を拾うと走り出す。
公園を出れば普段使う通学路に入れる。
カヲルは腕時計を見た。

「10時前か・・・・」

学校まで5分とかからないはずだ。
早くしなければ・・・ゼーレが動く前に!
公園を出て道路に飛び出るカヲルの後ろから二輪車の爆音が迫ってきた。

「おっと」

道の端に寄ってバイクをやりすごすカヲル。
こういう切羽詰まった状況の時こそ慎重に行動しなければいけない。
ここしばらく向こうの世界を監視していたので、睡眠時間が極端に減ってしまっているのだ。
重大な使命を抱える者が寝不足の上、慌てて走る・・・とんでもないアクシデントが起きる典型的なパターンではないか。
そんなお約束に自分がハマる訳にはいかない。
カヲルは十字路にさしかかると、左右をしっかり確認して左に曲がった。
自分の走っている歩道と、二車線の車道を挟んだ反対側に街路樹が見えた。
後は学校まで直線距離だ。
・・・・・校門が見えてきた。
後は道路を渡れば到着だ。
足をとめると車が来ないのを丁寧に確かめる。
これでもはや障害になるようなものは何もないはずだった。
カヲルが車道に足を踏み出そうとした時!
 

「カヲル!!」
 

びくっ

背後から覆いかぶさってきた凄みの効いた声に、カヲルの全身に電気が走った!
金縛り状態となったカヲルにどすどすと足音が近づいてくる。

「今頃登校とはどういうことだい?」

カヲルの顔中から滝のように冷や汗が流れだした。
よりによってこんな時にこんな所で出会うとは・・・・
怯えながらもカヲルは凍り付いた身体を無理矢理ひねって後ろを振り向いた。

クイーンサイズの巨体がカヲルを見下ろしていた。
半ばパンチパーマに近い、茶色の縮れ毛。
金縁の眼鏡をかけた真ん丸の浅黒い顔。
二重顎で殆ど無い首に金の鎖のネックレスをつけ、そして見事なまでのドラえもん体型のボディにはゆったりとした、けばけばしいエンジ色のワンピースを身にまとっている。
歳の頃は40半ばくらいだろうか。
彼女は脂ぎった顔をしかめ、眼鏡越しに殺気だった瞳でカヲルを睨みつけていた。
 

カヲルは頬を引きつらせながら、やっとの思いで声を絞り出した。
 
 

「や、やあ、母さん・・・・」
 
 

平和>



<エヴァ
 
 
 
「自らマギへのクラッキングの事実を白状しに来るとはどういうことだ?」

ゲンドウは卓上に手を組んだいつものポーズで問い掛けた。
彼の視線の向こうには執務室のドアを背に、両腕に物々しく3重に手錠がかけられたミサトの姿があった。
しかし彼女には今の状態に似つかわしくない、血気盛んな燃えるような瞳の輝きが宿っている。
背筋をぴんと伸ばし胸を張るそのたたずまいに、ゲンドウの傍らに立つ冬月はいぶかし気な表情でミサトを見ていた。

「本当にお伝えしたかった事は別にあります。マギへクラッキングを行った後、渚カヲルが接触してきたのです」

「何?」

ゲンドウの眉が微かに動く。
冬月のほうは息をのみ、驚きの色を見せていた。

「彼はゼーレが動きだしたと言っていました。ゼーレは渚カヲルが生きているというのはネルフのでっち上げだと結論づけたそうです。そして・・・」

「待て!」

ゲンドウの叫びがミサトの言葉を遮った。

「にわかには信じられぬ話だな。本当か?」

「総司令自身にも渚カヲルが接触してきた事があったのでは?」

ゲンドウの問いにミサトは口元に余裕の笑みを浮かべて答えた。
またもやゲンドウの眉が動いたのをミサトは見逃さない。

(カヲルにハリセンで頭張られたのが脳裏をよぎったのかしら?・・・ぷっ)

心の中でミサトが吹き出した事など知らずにゲンドウはさらに問う。

「・・・証拠でもあるのか?」

「証拠?私がこれから言う事が現実のものになった時、それが証拠となります。ですからまず、お聞きください!時間がないのです!!」
 
 



 
 

次第に小さくなっていくレイの背中が通路の角を曲がって見えなくなった。
それを見送っていたシンジとアスカの表情は複雑なものだった。
二人はお互いの顔を見合わせ・・・・ やがてアスカが口を開いた。

「サードインパクトをふせげば、あの子助かるわよね・・・」

語尾が疑問形になっていた。

「うん・・・」

シンジの答にも根拠はない。

「こんどカヲルに聞いとかなきゃ」

「・・・・・」

シンジはアスカに相槌はうてなかった。
もしカヲルがレイがどうなるのかを知っているなら、知っていて自分達に教えなかったのなら・・・
マイナス指向の想像がシンジの心を支配してゆく。
シンジの顔つきがどんどん沈んでゆくのを見せられて、アスカが眉をひそめる。

「なによ、その湿っぽい顔は〜!あんたね・・」

「あら〜、そんな所で痴話喧嘩?」

「えっ?」

背後から不意打ちで茶々を入れられ、面喰らうアスカ。
振り向きながら声をあげる。

「ミサト!?なによ、痴話喧嘩って!」

「ミサトさん・・・」

にんまりと笑いながらミサトは二人のほうに歩いてくる。

「おはよう〜。へへへ〜、君達に最新情報を教えよう!ってね」

二人の前まで来たミサトにアスカがいぶかしげに聞いた。

「最新情報?何よそれ」

「さっきカヲルに会ったわ」

「ええ!?」

「そう、あなた達を差し置いてこの私に会いに来たのよん。結構信頼されてるみたい♪・・・で、あなた達に伝言を頼まれてるわ。まあ聞いてよ」
 
 シンジとアスカは怪訝そうに顔を見合わせた。
自分達よりミサトを優先させるとはただ事ではない。
どういうことなのだろう?
とにかく聞く以外に手はないようだ。
二人は同時にミサトに向き直る、と、彼女の表情はすでに真剣なものに変わっていた。

「ゼーレが・・・知ってるわよね、ゼーレ。彼らがサードインパクトに向けて再び動き出したのよ」
 
ここでミサトは一旦、言葉を切った。
話に聞き入る二人の反応を伺い見る。
半ば声をうわずらせ、アスカが呟いた。

「とうとう・・・来たのね!」

シンジのほうは張りつめた面持ちで押し黙っている。
二人の様子からミサトはカヲルの言う通り、彼らが何もかも知っていると確信した。
そのほうが話は早い。
結局自分だけ何も知らずにいたというのがちょっと癪にさわるが。
もっとも今はこちらが教える立場だ。

 「もうすぐ世界中のマギタイプのコンピューターがここのオリジナルマギにクラッキングを仕掛ける。それが失敗したら戦略自衛隊が武力占拠にでる。エヴァ初号機を奪いサードインパクトの要とするため。それでだめならエヴァ量産機を投入して攻めてくる。ここでサードインパクトを起こすために」
 
「そんな!」「何ですって!」

 驚く二人に対し、ミサトは口調を柔和なものに変化させた。

「二人とも・・・カヲル君が言ってたわ。これからは人同士の戦いになるから自分は身を退くと・・・だからこの先は私達でやらねばいけない。カヲル君は貴方達を信じていると言っていたわ。彼の気持ちに答えなきゃ!解るわね?」
 
「・・・・」

しばらくの沈黙の後、アスカが硬い表情で答えた。

「・・・・・わかったわ、ミサト。それであたし達はどうしたらいいの?」

聞かなくてもアスカには大体見当がついたが聞かずにはいられなかった。
ミサトは冷静な声でアスカの問いに答えた。

「これからアスカとシンジ君にはエヴァに搭乗、そのまま待機してもらうわ。いつでも出撃できるように」

アスカはシンジを見た。
彼も自分以上に表情を強張らせている。
アスカはシンジの肩にそっと手を置いた。

「シンジ・・・」

「うん、分かってる・・・」

「そう・・・・・・ミサト!」

アスカはミサトに振り向いた。

「了解よ!!」
 
 



 
 
 
 
 
まるで通路のように細長い、薄暗い部屋。
その奥にある簡易ベッドに腰を下している人影。
彼女はけだるそうに背中を丸めたまま、微動だにしなかった。
しかしうつむいて自分の足元をじっと見る瞳は、今彼女のおかれた状況に相反して力強くぎらついていた。
まるで何かを待っているかのように・・・・

しゅっ・・・・

ドアの開く音がして、この部屋に慣れた目にはかなり眩い光がさしこんだ。
彼女はそれでも動く気配はなかった。
足音が独房の中に入ってきた。

「リツコ・・・」

自分をよぶ声にリツコはぼそりと返事した。

「またあなた・・・今度は何の用?ミサト・・・」

「力を貸してちょうだい。マギの自律防御をしなければならないの」

自律防御という単語にぴくりと反応したリツコはミサトに振り向いた。
表情に疑問を浮かべて。

「ハッキングはまだのようだけど?」

今の所は警戒体勢を感じさせる騒々しさはなく、静かなものだ。
これはリツコの予想とは違っていた。

「事が起きてからじゃ遅すぎる場合もあるわ。だから今のうちに手を打たねば・・・」

「そういうこと・・・分かったわ」

リツコはゆらりと立ち上がった。
覇気の感じられないリツコを気遣う様にミサトが言った。

「リツコ・・・色々あったけど、ここにいてもなんの解決にもならないわ。だから行動しなきゃ!・・・・時間がないわ、じゃあついて来て」

言い終わるとミサトはリツコの手を取り、開かれたドアに向かって歩き出した。
手を引かれたリツコは一歩足を踏み出すと、再び動きを止めて呟いた。

「必要となったら捨てた女でも利用する。エゴイストな人ね・・・」

ミサトが振り返った。

「それは違うわ。これは私が総司令に進言したの。それに今は自分にできる事を精一杯やるしかないのよ!」

「・・・・・・」

数秒の沈黙の後、リツコはミサトについて歩き出した。
独房から通路に出る瞬間、今度はミサトに聞こえぬ様にリツコは呟いた。
 

「自分にできる事を精一杯・・・・か」
 
 
 

エヴァ>



<平和
 
 
 

二時間目の授業中・・・・マヤが黒板にチョークで数式を書いていた。
教室内はいたって静かなものだった。
もちろん私語がないわけでもなかったが、マヤの耳に届く程の大きさで喋ろうとする者はいなかった。
授業の妨げになる事やマヤを馬鹿にした態度をとれば、クラス委員が黙ってはいないだろう。
もっともこれは基本的に誰の授業の場合でも同じ事だが。
ただマヤの時にはヒカリが特に気を使う傾向にある。
教師の威厳がないマヤの授業がスムーズに進んでいるのは、クラスをヒカリが仕切っているおかげかもしれない。

「ねーマヤ、その3ぶんの4パイアール3じょうってなーに?」

「だから今言ったでしょ〜・・・」

レイの質問にマヤが困り果てた顔で答えた。

「だってわかんないんだもーん」

「はぁ〜・・・」

質問の内容より先生と呼んでくれない事にため息をつくマヤ。
いつもの事だがとても気安い。
このクラスの生徒は先生をなめた態度はとらないが、マヤをほとんど友達扱いしている。
ヒカリもマヤが先生と呼ばれない事には、何も言わなかった。

(授業がうまくいってるだけでも良しとしなけりゃいけないのかしら?ヒカリのおかげだけど・・・はっ洞木さんの事をヒカリだなんて?)

自分もいつの間にか生徒を友達扱いしている事に気付いて、マヤの頬がほんのりと染まった。

「あれーマヤ、何赤くなってんのー?」

「え?そそそ、そんなことないわよ、ほほほ」

慌てて取り繕うとするが頬に染まった朱は、おさまるどころか顔全体に広がって行く。

(やだ、ヒカリ・・洞木さんが心配そうに見てる!気を使われるとよけい恥ずかしいわ・・・・・)

今、自分の置かれた状況に流されまくっているマヤだった。
 
 

開け放たれた窓からはいつもの様に遠慮なく直射日光が教室に注ぎ込まれている。
しかし同時に昨日とは違う涼しさを感じさせる穏やかな風も入り込んでくるため、教室内はかなり快適な状態だった。
三寒四温を繰り返しながら少しずつ季節は秋に近づいていく。
季節の変わり目を初めて体験しながらシンジは思う・・・・これももう一人の自分が分けようとした幸せなのかと。

アスカは授業に集中する気などなかった。
いずれ帰るのに真面目に授業を聞いてどうなるというのだ。
それより・・・・・
窓際のぽつんと空席となった机に振り向く。

(バカヲルめ、またずる休み・・・何やってるんだろ、向こうに行ってんのかな?)

ゆるやかな風がアスカの髪をゆらした。
視線を風の入り口である窓に移し、ぼんやり眺める。
たまたま焦点が校門の向こうに合った。
そこに見えた光景に、まどろみ気味のアスカの思考が叩き起こされた。

(・・・・・カヲル!?)

校門の出口に面した道路の向こう側にカヲルらしき人の姿が見える。
みっともなく頭をへこへこさせて、もう一人の塊みたいに太った女性にあやまっているみたいだ。

「なによ、あれ?」

突然のアスカのすっとんきょうな叫びに他の生徒は何事かとアスカを見た。
シンジがアスカに声をかけた。

「アスカどうしたの?」

「カヲルが外にいるのよ・・・・」

「え?」

アスカは立ち上がると、窓際へとかけて行った。
シンジやレイ達も後に続いた。
たちまち窓際は生徒達で鈴なりになる。
マヤが外の様子をながめる生徒達の後ろから、控え目に声をかけた。

「・・・・あの、授業は・・・」

マヤの言葉が全然聞こえてない生徒達の中で、ヒカリだけが振り返った。
優しく笑ってマヤに諭すようにささやく。

「うちのクラスの渚君の事だから、ちょっとだけ様子を見ましょ、ね・・・・・マヤ?」

「(どきっ)え、ええ、ヒカリ・・・」
 
 



 
 
 
不必要に大きな、おばちゃん特有のダミ声が響き渡った。

「学校から連絡が入ってたよ、ここんとこ学校さぼってるそうじゃないか。おとといは丸一日休んだそうだね!どういうことだい?」

「いや、あの、それは・・・」

どっしりした身体を微動だにさせず、ド迫力の怒りの表情で息子を射すくめるカヲルの母。
完全に蛇に睨まれた蛙となり、カヲルは畏縮していた。
顔からは血の気が引いて、ぎこちない笑みをたたえたまま硬直している。

「カヲル、学校さぼらす為に転校させたわけじゃないんだよ・・・・」

ぎくっ

カヲルの身体が一瞬震えた。
直後、言葉の豪雨がカヲルに浴びせ掛けられた。

「お前がどうしてもって頼むから!だいたい第2新東京市から越境登校させるのにどれだけ金がかかると思ってるんだい!時間もかかるし、おかげでお前の弁当作るのに30分も早起きしなきゃなんないんだよ!それがたった1週間でこの有り様とはなさけない!だからあたしは反対だったんだよ!父さんも甘過ぎるんだよ、まともな理由もはっきり言えないのに転校を認めるなんて!!」
 
ぼかっ!

カヲルの脳天に鈍器のようなゲンコが落とされた!
硬直したカヲルの表情が一気に弾ける!
柔軟性を取り戻した顔を悲哀に満ちた情けないものに変えると、カヲルは頭をへこっと下げた。

「母さん、ごめんなさい」

「ごめんですんだらお巡りさんはいらないよ!」
 
べしっ
 
今度はヤツデのような手の平がカヲルのおでこを引っぱたく。
その衝撃の重さにカヲルは腰から砕けそうになった。
足を踏ん張ってこらえたカヲルの眼前に、母のトドの様な顔面が鼻息も荒く覗き込んできた。

「カヲルゥ〜、学校を休んで何やってたんだい〜?」

「・・・・・・・か、か、母さん・・・ははは・・・」

恐怖に怯えながら何故か笑ってしまうカヲル。
答えようにもどう答えればいいのかまるで頭に浮かばない。
だからといって本当の事は絶対言えない。
それに事態は一刻を争うのだ。

(早くシンジ君とアスカ君を元の世界に連れ戻さないといけないのに・・・・こうなったら!)

カヲルはコメツキバッタのように頭を下げると、懇願するように喋り出した。

「母さん!お願いだから学校に行かせてよ!僕のかけがえの無い友達が今、助けを必要としている。僕は彼らの力になってあげたいんだ!だからお願いだよ、後でいくらでもぶん殴っていいよ・・・だから今は見逃してよ・・・母さん!」

しかめっ面でカヲルの話を聞く母の眼鏡がきらりと光った。

「カヲル・・・お前、転校をしたいと言い出した時も同じ様な事言ってたね」

「・・・・」

「・・・・・同じ手が通用するわけないだろ!

「!!・・・・・・」

母はうつむくカヲルに容赦無く追求する。

「その友達ってのは誰なんだい?会わせておくれ」

「それは・・・・」

カヲルは口ごもった。
本当の事を言えない以上、会わせたところでどうにもならない。
言葉の出ない息子を観ながら母はため息をつくとぼやきだした。

「父さんは心配してたんだよ!友達を助けたいなんて理由で転校を頼み込むなんて普通じゃないからね。本当はいじめにあってるんじゃないかってね。あたしはそうは思わなかったけどね。第一いじめから逃げるような情けない子にお前を育てた覚えはない。とにかく父さんは転校を認めちまった。それなのにカヲル、お前ときたら!」

ぼこっ

こめかみに上腕がぶつかる。

(だめだ、このままじゃらちが開かない。仕方ない!)

カヲルは決意した。
強い口調で母に叫ぶ。

「母さん!僕は行かなきゃならないんだ!僕の大事な友達のために僕にできることをやるんだ!時間が無いんだよ・・・・ごめんよ、母さん!!」

カヲルは母に背を向けると、車道の向こう側に見える校門に向かって走ろうとした。

「待ちな、カヲル!」

母がカヲルの肩をつかもうとした。
カヲルは必死にふりはらうと逃げるようにして車道に飛び出した。
校門に向かって走るカヲルの耳に突如、けたたましいクラクションの音が鳴り響いた。

「え?」

音のほうに振り向くと視界いっぱいにひろがる灰色のトラックのフロント部分。
フロントガラス越しに運転する若い女性の驚く顔が見えた。
カヲルの身体にトラックの車体が触れた。
 

どんっ
 
 
 
 

カヲルの体が宙を飛んだ。
 
 
 
 
 

(しまった・・・・・・あれほどこのパターンに注意していたのに〜・・・・・)
 
 
 
 



 
 

追突事故は車にぶつかった時の衝撃より地面に激突した時の衝撃のほうがずっと大きい。
着地さえうまくやればダメージは少なくてすむのだ。
今カヲルの視界には雲が所々に浮かんだ青空が広がっている。

(これじゃだめだ。下が見えなきゃ)

空の景色が縦回転し、逆さになった街路樹が見えてきた。

(よし、いいぞ)

そして待ち望んだ道路の白い車線が目に入る。
うれしいことに車線はどんどん接近してきた。
カヲルは両足で着地する自分をイメージした。

(いける!)

車線が眼前までせまる。
カヲルの右足にびしっと衝撃が伝わった。
次は左足、の予定だった。
しかし彼が右足の次に衝撃を感じたのは、右手だった。

(あれ?!)

続いて左手、右肩、右胸。
 

ぐしゃっ
 

・・・・やっと最後に左足が地についた。
 
 

(・・・・失敗したあ〜)
 
 



 
 
 
 
複数の少年少女の悲鳴と叫びが教室の窓から外に向かって響き渡った。
彼らの目撃したものは校門に向かって来るクラスメートが、突如横から視界に入って来たトラックにぶつかり、半円を描いて数m吹っ飛んだ光景だったのだ。

「カヲル君!!」

カヲルの名を叫び、ショックのあまり呆然として窓から外を眺め続けるシンジ。
驚きのあまり見開かれた両目はうつ伏せに倒れているカヲルに釘付けになっている。
他の生徒達も声もなく硬直した状態で事故の起きた場所を見入っている。

「ああ・・・」

マヤがまるで空気が抜けたビニール人形の様にくず折れ、片膝をついてうずくまってしまった。
その様子に気付いて正気を取り戻したヒカリが、慌ててマヤにかけ寄った。

「マヤ!だ、大丈夫?」

ヒカリに続いて他の生徒もざわざわと動き出した。

「た、大変や〜!」

「救急車だ、119番」

「あああ・・・どうしよう」

「マヤ、しっかり!そうだ、先生に知らせないと!」
 

教室が大騒ぎしている中、シンジは相変わらず突っ立ったままカヲルを見続けていた。
頭の中が完全に真っ白になり身動きする事も出来ず、口先だけが呪文を唱えるようにカヲルの名を呟く。

「カヲル君・・・カヲル君・・・」

「シンジ!!」

「はっ」

シンジの背後からアスカの声が刺すように響く!
我に返ったシンジが後ろに振り向くと、険しい顔のアスカが腕をつかんできた。

「なにやってるのよ!早くカヲルのとこまで行くのよ!!」

「え?」

「え?じゃない!心配じゃないの!?」

「あ、わ、わかったよ」

やっと事態を把握したシンジはアスカに引っ張られるようにして、かけ出した。
開かれた戸をくぐってあたふたと教室の外へ出て行く。
そんな二人の様子を真紅の両の瞳が追っていた。
物憂気な表情で廊下を二人が走って行くのを見つめる。
二人の姿が見えなくなると、再び窓の外に視線を移した。
倒れているカヲルの姿をじっと見守りながら、レイの右手が堅く握りしめられていく。

(渚君・・・・このくらい大丈夫だよね・・・お願い、立って!)

その時だった。
まるでレイの願いが通じたかのように、カヲルの 体が動き出したのだ。
 
 
 



 
 
 

ひび一つないトラックのフロントガラス越しにうつ伏せになった少年の姿が見える。
今自分の車がはねたばかりの。
しばらく放心状態だった彼女はやっとの思いでサイドブレーキを引くと、フットブレーキから足を離した。
離した足が震えだし、それが全身にまで拡がっていく。
混乱する心をやっと制御してドアを開けようと手を伸ばした時、彼女は信じられない光景を見た。

倒れていた少年がまるで何事もなかったかの様に、すっくと立ち上がったのだ。
彼はこちらのほうに振り向くと、にっこりと微笑んだ。

「ひいいっ」

彼女は少年をはねた時、呑み込んだ悲鳴を今になって吐き出す事になった。
 
 



 
 

トラックに向かって笑ってみせたカヲルは、次に自分の体の被害状況の確認を始めた。
右胸と右肩に鈍痛が走っていた。
それに呼吸がしづらい。
胸に手を当ててみると刺すような痛みがした。

(折れたようだな・・・)

肩を見た。
たしか鎖骨という箇所が僅かだが明らかに凹んでいる。
こちらも折れていた。
それよりカヲルをがっかりさせたのはシャツの袖が真っ赤ににじみ、そのにじみが更にどんどん拡がっていく事だった。
かなり大きな傷らしい。
痛みならいくらでも耐えられる。
しかし出血が続けば命にもかかわるだろう。

(病院行きも仕方ないのか・・・)

ため息をついた時、重低音の叫び声が轟いた。

「カヲルゥ〜!」

「母さん!」

声の方を見ると歩道と車道の境い目あたりで、母がドラム缶のようにごろんと転がっていた。
その傍らには裏返しになったハイヒールのサンダルが片方、母同様に転がっていた。
どうやら自分のほうに駆け寄ろうとして転んだらしい。
両手をついて無理矢理重力に逆らうように、母はがばっと起き上がった。
脱げてないほうのサンダルを引っこ抜くと、猛烈な勢いでカヲルに突進する。

どてどてどてどてっ

「カヲル〜!!」

母はカヲルに飛びつくと興奮した声で喋りだした。

「カヲル〜無事かい大丈夫かいカヲル痛く無いかいカヲルカヲルあ〜!!血、血がぁ〜カヲル〜〜〜!!

「か、母さん落ち着いて!僕は大丈夫だから」

勝手にどんどんパニクっていく母をなだめながら、カヲルはトラックから降りてきたドライバーを見た。
おびえる彼女に再びにこりと笑うと、努めて柔らかい物腰で話し出した。

「あの、たいした事ないですから。すいません、いきなり飛び出したりして。申し訳ありませんけど病院まで送っていただけないでしょうか?」

カヲルの肩から腕をつたってぽたりと血がしたたり落ちた。
 
 



 

アスカとシンジは校庭に出ると、校門に目を向けた。
そこにはさっきカヲルをはねたトラックが走り出すのが見える。

「?、どういうこと」

疑問に思いながらもシンジの手を引っぱり駆けていく。
カヲルにもしもの事があれば元の世界に戻れなくなるのだ。
不安と焦りがアスカの心にのしかかっていた。
シンジはカヲル自身の心配をしていた。
今のシンジにとって彼は自分の世界のカヲルと同等の存在となりつつあったのだ。
またカヲルを失う事などシンジには耐えられない。
二人は校門を駆け抜けると事故のあった場所を見回した。
カヲルはいない。
カヲルといた太ったおばさんもいなかった。
一体どうなったのか?

「・・・血だ!」

シンジが道路に落とされた赤い液体を見つけた。
二人は血の落ちた場所まで近寄ると、腰をかがめて観察する。
まだ全然かたまっていない血が、トラックの止まってた所まで点々と続いていた。
間違い無くカヲルの血だろう。
シンジの顔が苦渋に歪む。

「カヲル君・・」

アスカが頭をかかえて叫んだ。

「どこいっちゃったのよ!カヲルは」

「トラックに乗っていっちゃったわ」

「え!?」

背後からの突然の声に驚いて二人が振り向く。

「たぶん病院へいったんじゃないの・・・」

そこには感情の感じられない紅い瞳が二人を見下ろしていた。

「綾波!」「レイ!」

抑揚のない口調でレイは言葉を続ける。

「大丈夫だよ、渚君は・・・・心配ないよ」

「アンタ、どうしたのよ?全然元気ないじゃない!」

目を丸くして尋ねるアスカにレイは静かに答えた。

「いくらなんでもこんな時に・・・笑ってなんかいられないよ・・・・渚君があんななって・・・私は・・・私は!」

そこまで言うと、突然レイは背を向けて校門へ歩きだした。

「・・・・・」「・・・・・」

二人はあっけにとられ、無言でレイの姿を見送るしかなかった。
 
 
 



 
 
 
通路の白くくすんだ天井が、慌ただしい足音と共に移動していく。
寒々とした蛍光灯の輝きが視界を次々と出入りしていく。
見た事のない景色だった。
視線を横にずらすと、輸血用のパックが小刻みに揺れているのが見えた。
かなり量が減っている様に思えた。

「ふう」

カヲルはため息をついた。
彼は移動ベッドに横たわり、手術室に運ばれる途中だった。
一刻も早くシンジとアスカをエヴァの世界に返さねばならない。
向こうの世界はいよいよ最後の戦いが始まろうとしているのだ。
カヲルは横に首をひねった。
恐らく自分の手術を行う医者らしき男がベッドに平行して歩いていた。
カヲルは笑顔を作るとその男に喋りかけた。

「あの〜、局部痲酔でお願いできますか?」

「な、何!?」

当然ながら医者は仰天した。
突然重傷の患者が笑顔でのんびりと声をかけてきたら驚くだろう。

「よ、よけいな心配しないでいいからじっとしていなさい!」

「痛いのは全然平気ですから、自分が寝ている間に色々されるのだけはご勘弁を願います」

「だから静かにしてなさい!」

(寝る間も惜しいんだけどな・・・・)

カヲルは笑顔を曇らせた。
先の事を考えると頭が痛い。

「う・ん・・・・・」

一瞬カヲルはめまいを覚えた。
止血方法をよく知らなかったため、病院に着くまでにかなり血を流してしまった。
恐らくそれが原因なのだろう。
カヲルにとっては骨折よりそちらが心配だった。

「カヲル〜

後ろのほうからどたどたとした足音と共に母の声が追いかけてきた。

(母さん、いないと思ったら・・・また転んだな)

追いついた母はベッドを押していた看護婦を押し退けるようにしてカヲルの顔を覗き込んだ。

「カヲル〜!」

「母さん」

カヲルは笑いかけようと母を見た。

「うっ」

カヲルの胸が大きく鼓動を打った。
あろうことか自分を見下ろす母は、みっともないくらい顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。
溢れた涙が眼鏡の内側を濡らしていた。

(そんな・・・)

取り乱した母の有り様に、カヲルの表情に怯えが浮かぶ。

(この人に怒鳴られようが殴られようが構わない・・・・だけど泣かれる事だけは・・・)

母の眼鏡に溜まった涙がカヲルの頬にそそがれた。
自分の顔を悲しみの表情でしめつけ、カヲルは呻く。

「いやだ・・・・・」

再びめまいが襲い、母の姿が次第にぼやけだした。
血を流しすぎたせいか、それとも・・・・・

(僕も泣いているのか・・・・)
 

カヲルの心の中からはシンジやアスカの事も、最後の戦いを待つエヴァの世界の事も消えていた。
 
 



 
 

昼休みというのに生徒達は教室に全員とどまり、席についていた。
彼らの視線が集中する教壇にはミサトが立っていた。
普段とは全然違う、きついくらい締まった表情で。
張りつめた空気が漂う中、努めて冷静な口調でミサトは生徒に話しだした。

「渚君は市立病院に運び込まれたそうよ。今、手術を受けているはずよ」

教室内が一気にざわつく。
ミサトは教卓をばんと叩くと声を張り上げた。

「静かに!命には別状ないそうだから、安心して!とにかくみんな落ち着くように」

「落ち着いてなんかいられないわよ!」

アスカが素早く突っ込んだ。

「もっと詳しい情報聞かせてよ!」

血相を変えて問い掛けるアスカに、ミサトは一呼吸おいてから諭すように答えた。

「アスカ、今は私にもこれくらいしか分らないの。手術が終わってからまた連絡をとるしかないのよ」

「いつ終るのよ、いつ?!」

「それはまだ分らない・・」

「だったら病院に行くわ、シンジ!」

アスカは立ち上がり、シンジに振り向くと歩きだした。
ミサトが叫ぶ。

「アスカ、病院に行ってどうするの!会えるわけないでしょ」

かまわずシンジに向かって手を伸ばそうとするアスカ。
その鬼気迫る形相に狼狽しまくるシンジ。

「ア、アスカ!おちついて・・・」

「うるさい、来るの!」

がたっ

シンジの隣で席を立つ音がした。
シンジの肩をつかもうとするアスカの腕がぱしんとはらわれる。

「!?」

アスカが自分の腕をはらった手の持ち主のほうを睨んだ。
無表情にアスカを見つめるレイの顔がそこにあった。

「・・・・レイ?!」

そのたたずまいに一瞬、ひいたアスカにレイが冷静なトーンで話し出した。

「渚君は大丈夫。碇君とアスカは見てなかっただろうけど渚君ははねられた後、自分で歩いてトラックに乗ったの。それくらいだから大した怪我じゃないよ。だから心配いらないよ」

「ア、ア、アンタね・・・・・・」

言い返そうとしてアスカは絶句してしまった。
話の内容よりレイの雰囲気が原因だった。
いくら笑ってる場合じゃないからといえ、ここまで普段とかけ離れてしまうと・・・・
それはシンジも同様だった。
目を丸くしてレイを見上げる。

(こんな・・・こんな綾波見た事ない・・・・)

「大丈夫・・・絶対大丈夫!・・・だから安心して・・・・・」

レイの口調が言い聞かせるようなものに変化した。
しかしシンジとアスカはそんなレイの変化に気もつかず、ただただ呆然とながめるだけ。

ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン・・・・

昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
レイがすうっと着席する。
それをきっかけに、シンジやアスカ同様レイに見入っていたミサトが声をあげた。

「みんな、こんな時だからこそ気をしっかり持って!渚君の手術が終ったらまた連絡するから。授業をちゃんと受けるように。アスカ、抜け出したりしたらダメよ!!それじゃあまた来るわ」

言い終わるとミサトは足早に教室から出て行った。
残された生徒達が再びざわめきだした。
勿論口をつくのはカヲルの事ばかりだ。
シンジがアスカのほうを見ると、ヒカリが話しかけてきてそれに答えているところだった。
今度はとなりのレイの様子を、気付かれないよう注意してちらりと覗き見た。
相変わらず顔に感情を浮かべずに、紅い瞳でまっすぐ前を見ている。

(?・・・)

シンジは机に置かれたレイの両手のうち、右手だけが握られているのに気付いた。
しかもその右手は次第に堅く握り締められ、遂には僅かに震え出した。
怪訝な顔で震える右手を見つめるシンジだが、声をかけるには今のレイは異様すぎた。

(綾波・・・・いったい何を考えているんだろう・・・)
 

 
 

平和>



<エヴァ
 
 
 
 

眼前でこちら側を睨む巨大な顔。
童話に出て来る鬼を思わせるような一本角。
しかしこの鬼の体色は赤でも青でもなく紫だった。
プラグスーツに身をつつんだシンジとアスカは、ケージ内にて初号機の頭部と対峙していた。
間近に見るエヴァ初号機の迫力に気押されながら、シンジは呟く様にアスカに話しかける。

「これに・・・乗るんだね・・・・」

「ええ・・・・・」

互いに初号機を凝視したまま会話が続く。

「・・・カヲル君どうしたんだろう?」

「・・・・さあね・・・こっちからは連絡できないし」

「これに乗る前に戻るシナリオだったのに・・・・」

「シナリオ、か・・・」

シナリオという言葉が引っ掛かった。
エヴァの世界に来るまでは、これはとんでもない大冒険になると思っていた。
不安や恐れもあったし、ある種の高揚感も感じていた。
実際エヴァの世界にやって来て、確かに自分の世界で経験不能な色々な出来事があった。
しかし基本的にあらかじめ決められたシナリオに準じて行動する事が、アスカの最初に抱いていた『冒険』という危なくも、わくわくする様な感覚とズレを生じさせていたのだ。
ところが今は違う。
シナリオにない、しかもとてつもない行動を迫られているのだから。
眉間にシワを寄せつつも、アスカは口元を歪めて微笑んでみた。

「・・・・・冒険らしくなってきたじゃないの」

「何言うんだよ、アスカ!」

シンジの顔がアスカにせまった。
彼らしくない厳しい表情で。

「これは大変なことなんだよ、危険だし!」

言い返すためにアスカもシンジを見た。

「分ってるわよ、冒険には危険が付き物よ・・・」

「分ってないよ!こんな事までさせるつもりはなかったんだ」

「・・・・・・そう」

アスカはシンジから透き通る様な青い瞳をそらすと、うつむいて足元を見た。

「アスカ、カヲル君はきっと間に合わせてくれると思う!だから・・・」

「うん・・・」

生返事で答え、自分の膝を観察するアスカ。
見た目では何も変わった様子がないのに安心する。

(気付かれないほうがいいわよね、あたしが震えてるの・・・)

アスカは体の芯から伝わってくる振動を外に出さないよう、懸命にに堪えていた。
プライド云々以前に自分の弱気がシンジに伝染しないようにしなければならない。
エヴァに乗る前に不安と恐怖で押しつぶされてしまう訳にはいかないから。
アスカは視線を自分の膝からゆっくりシンジに移すと漫然と見つめた。
14才の少年の平均と比べてもかなりきゃしゃな体つき。
顔も女の子みたいで首筋もやっぱり女の子みたいにか細い。
背は自分より低いし性格も頼りない。
それは初めて会った時から基本的に変わってない。
腰に手を当て見下ろす癖がついたのはシンジがそんなだったからだ。
だけどこんななよっとしたのと昔からずっと一緒だったし、それが嫌なわけでもなかった。
いつもこんな情けないのを引っ張り回して十年間やってきた・・・・

「ア、アスカ、どうしたの?」

アスカにじっと見つめられていたシンジが怪訝な顔で聞いた。

「あっと、なんでもない」

アスカは我に帰ると真顔をつくってしっかりとシンジを見た。

「シンジ・・・・たとえカヲルが間に合わなくても、エヴァで戦う事になっても・・・・絶対無事に帰りましょうね、あたし達の世界へ!」

「アスカ・・・・うん!!」

シンジは力強くうなずくとすっと両手を伸ばし、アスカの手を取った。
はっとするアスカの手を顔と顔の間まで持って行き、しっかり握り絞めた。

「約束だよ、アスカ!」

うろたえながらアスカはシンジの顔を見た。
自分の知るバカシンジとははるかにかけ離れた、男っぽささえ感じさせる引き締まった表情!
アスカを面食らわすに十分なものだった。

「シ、シンジ!・・・・・・シンジらしくないわよ、その顔!な、なに格好つけてんのよ・・・・」

「な、何言ってるんだよ!人が真剣に話してるのに」

次第にアスカは驚くのをわすれ、シンジのたたずまいに見とれ始めた。

(それなりにサマになってるわね。頼りないバカシンジだと思ってたら・・・・・考えてみたらエヴァの世界に来る覚悟があったんだものね!)

こんな状況なのになんだかうれしい気分になってきた。
アスカは微笑むとシンジの手を握り返した。

「絶ぇっ体五体満足無傷で戻るわよ!」

「うん!」

突如けたたましい警報音がケイジ内を駆け巡った。
見つめ合ったままシンジとアスカは身を硬くした。
二人とも初めて聞く音だったがそれの意味するものはよくわかっている。

「きたわね・・・・・」

「うん・・・」

「エントリープラグに入る準備しなきゃ。シンジ、弐号機へ行くわ」

アスカは握られた手を名残惜し気に離す。
もう一度シンジに微笑みかけた。

「シンジ、また後でね」

シンジも口元に笑みをつくって答えた。

「アスカ、頑張ってね」

シンジに背を向けるとアスカは走り出した。
シンジはアスカの姿が見えなくなるまで瞬きもせず目で追い続けた。
アスカが見えなくなった後もしばらく突っ立ったままで、シンジは彼女の手を握った手を見つめていた。

(僕は・・・・アスカを守れるだろうか・・・・・守らなきゃ!)

見つめる両手がゆっくり握り締められ二つの拳をつくった。
 
 
 
その9−前編終わり



その9−後編へ早速行く
 
 




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