病室から、叫び声が聞こえる。
「もう嫌だ。だれかたすけて!!!!!」
隣の部屋にいるマヤは、その声を聞き身が切られるような思いをする。
それは、シンジの心の声。それは、大人達への断罪の声。
マヤは耳をふさがず、じっとその声を聞く。それが、一つの贖罪であるかのように。
第五話
自分の心、他人の心
「うっ・・・・・。」
シンジは、またも知らない天井を見る事になる。 ぼやけた視界から、人影がはっきりとしていく。
「あっ、マヤさん?」
マヤは、シンジの瞳を覗く。そこには、前の人に脅えるような眼ではなかった。
「よっかた!! 戻ってきたのね! シンジ君!!」
マヤは喜び踊るように、シンジの胸に抱き着く。
「あっ・・・。ちょっとマヤさん・・・。」
シンジは、少し抵抗を試みたが、拘束具と弱った体で抵抗ができない。
「シンジ君。 シンジ君。 シンジ君。」
マヤは、ただただシンジの胸にすがり泣くだけだった。
「サードチルドレンが意識を取り戻したようです。伊吹二尉の方から連絡が入りました。」
シゲルは、司令席に座っている冬月に伝えた。心なしか、冬月がホッとした様子を見せる。
「そうか、セカンドチルドレンのほうは?」
「状態は、以前変わらずです。意識があっても、外界には無反応だそうで。」
「うむ。まだこれからか・・・・・。」
冬月はとりあえずこの事を置き、目下の最大の懸案を考える事にした。
「青葉君。日向君はどうしてるのかね?」
「今、日向二尉は仮眠中です。なにせ、もう丸2日寝てませんでしたから。」
「そうだな。」
「それで、日向二尉からこの報告書を預かっています。」
冬月は、報告書を受け取ると目を通す。 そこには、この後行われる。戦自との調停会議の内容が書かれていた。 それを読み終えると、冬月はほくそ笑む。 戦自は、重要な事を勘違いをしてた。
同じころ、戦自本部でこの事に気づいた人物がいる。
「どいつもこいつも、雁首そろえて使えん奴等だ。士官学校で何を学んできた!!」
戦自の先頭に立っている小手川陸将であった。
「アホか、おまえらは。NERVはあくまでも国連の特殊機関だぞ。どうして、国家と対等に 交渉しなけれ ばならん!!」
チームの全員が首を竦める。
「別にNERVから技術の提供、情報開示、それに関わる交換条件の人事交換はいい。2週間の停戦合意。な
んだこれは?! NERVは国家か? 一国の政府か?」
「しかし・・・。」
チームの一人が、反論をしようとする。
「しかし、何だ?」
「とりあえず、第一回の会合が午後からです。これ以上いっても・・・・・。」
それを聞き、フンと鼻息を鳴らす。 小手川は後悔した。あまりにも回ってくる雑務が多すぎて、チームを信頼しすぎた。 自分が現場に立つべきだったと。できる奴には、仕事は集中する。世の中の真理の一つかもしれない。
「とりあえず今度の会合以降、国連と各国政府支持を取り付けろ。 NERVを取り囲め。これが最重要事項だ。 では、各自戻れ。」
実際には、サードインパクト直後の一日は小手川も錯覚を起こしていた。 なにせ、自衛隊の動員したのは一個師団である。これだけで、並みの小国を占領できる。それに、対テロに関しては内務省の管轄だ。 そのことが、エリート達に錯覚を起こさしていた。
「シンジ君、何があったの? 何を見ていたの?」
マヤは、シンジのベットの側に座り、シンジを見守る。
知らない人が見たら、姉弟のように見えるだろう。
「いえ。別に・・・・・・・。」
シンジの眼はマヤのほうに向かず、天井を見たままだった。
「シンジ君。何を苦しんでいたの? 私はシンジ君の事を思って・・・・。」
シンジは、ゆっくりと首を横に振った。
「本当に、何も無いんです。あったとしても、自分の問題ですから・・・・。」
「シンジ君! すべて自分で抱え込まないで!! 少なくても私はあなたの味方よ!」
マヤはシンジの顔をじっと見つめた。 それに、シンジは眼を逸らす。
「それより、アスカはどうなりました。 僕はアスカに酷い事をしたんです。 謝りたいんです。」
マヤは、追求を諦めた。ここでシンジを追いつめるような真似をしても得策ではないと判断したからだ。
「アスカなら。」
マヤがそう言いかけたとき、一人の看護婦が部屋に入ってきた。
「伊吹さん、御電話です。」 「判りました。」
マヤは、看護婦に振り向かずに答える。
「シンジ君、とりあえずそのことは後で。」
「・・・・・。」
「それと、ゆっくり休みなさい。心を落ち着けて・・・・・。私は、あなたの味方よ。」
シンジは、顔を横に向けたままだ。 マヤは、そのシンジの態度を不満に思いながら部屋を出た。
マヤは、司令執務室に来ていた。 電話は、冬月からの呼び出しであった。
「伊吹君、防諜設備が整った部屋を用意してくれないか?」
「また、どのような理由で?」
冬月は、さらっと当然のような顔をしていたが、マヤは少し不満そうな顔をしている。
「インタビューを行う。」
「どのようなですか?」
マヤは、冬月に少し突っかかる。それを無視するかのように、冬月は話しを続ける。 冬月にして見れば、いい加減にしてくれというところだろう。
「シンジ君の記憶についてだか?」
「もう少し待ってもらえませんか? シンジ君の体力が完全に回復してからに。」
「人の記憶に関する事だ。少しでも、早く行いたいのだが?」
「でも・・・・。」
マヤは、自分の意見が通らないと薄々分かっていながらも、反論した。
「でも、シンジ君の意志を尊重したいと・・・・。」
真剣な面持ちで、マヤは冬月に向かう。
「分かった。シンジ君の意志を尊重しよう。」
冬月は、マヤには折れるつもりはなかったが、シンジの気持ちは尊重する事にした。
カチャ。
部屋のドアが開く。部屋といっても、窓一つ無い異様な部屋だ。 そこにある椅子の一つに、シンジは腰掛けていた。 ドアから、入って来たのは白髪の老人。
「シンジ君、すまないね。病み上がりに。」
冬月は、シンジを見ながらいった。結局、シンジはインタビューに応じた。 その旨を受け取ったマヤには予想外の事だった。 シンジは少し俯き加減で座っていたが、それを聞くと冬月の方を見上げて、
「いいえ。そんな事はないです。だいじょうぶです・・・・。」
シンジは、少しこわばった愛想笑いをしながら答えた。 それを見て、冬月は苦笑した。
「ハハハ。そんなに警戒しなくても良いよ。私自身、碇と一身同体だと思われがちだが、そうではないんだよ。」
「はぁ・・・・。」
シンジは少し首を傾げながら答える。実際、どのように答えたら良いか分からなかった。冬月は、シンジ の向かいに用意された椅子に座った。 そして、ポケットからS-DATの録音機を取り出した。 それを見て、シンジは少し驚く。
「そんなに、驚かなくても良いよ。シンジ君、これから私の質問に答えて欲しい。
答えたくなければ答えなくても良い。けど、うそはつかないで欲しい。それに、この記録でシンジ君やアスカ君が不利になるような事は絶対にしない。それだけは、約束させて頂くよ。私自身、君たちには償わなくてはいけないと思っているのでね。」
「・・・・・・。」
シンジは、またも俯き加減で黙っていた。
「フフフ。そんなに真剣悩まなくてもかまわんよ。それより、返事を聞かしてもらいたいね。」
冬月は、孫をあやすようにいった。
「わかりました。」
シンジの返事に、冬月はうなずき、録音のボタンを押した。
「シンジ君。まず、ユイ君。 いや、お母さんには会えたかね?」
それを聞き、シンジが驚く。その眼を丸くしたシンジの様子を見ながら 冬月が言葉を続けた。
「シンジ君。必ず、会っているはずだ。何せ、EVAの初号機には・・・・。」
そこまで聞き、シンジは首を縦に振った。
「けど、どうして副司令はそのことを知っているんですか!! もしかして、父さんと・・・。」
珍しく感情的になったシンジを観て、冬月は少し内心で驚くが、顔は無表情のままだ。
「いや、あれはユイ君の意志だよ。自分から望んだ事だ。」
「母さんも、僕を捨てたんですね・・・・・。」
それを観て聞いて、冬月は首を横に振り否定した。
「そうではないよ。ユイ君は君のためにEVAに・・・・・。」
「良いんです。 母さんに『さよなら』は言えましたから。」
「そうかね。」
冬月は、しばらく間を置く。シンジはまた俯いた。冬月には、シンジの輪郭が ぼやけているような錯覚に陥った。まるで、今にも消えて行きそうな・・・・。 だが、冬月にはシンジにかける言葉を思い付けなかった。
「良いです。続けてください。」
「あっ、ああ。判った、続きの質問をさせてもらうよ。」
シンジの輪郭が戻る。少し意志を秘めた様子に、今度は驚きの表情を出してしまう。 シンジは、冬月の方に向いていた。
「なぜ人が戻ってきたかは?」
「はい。多分、僕が望んだから・・・。母さんが言っていました。
『イメージできれば人に戻れる。』と。僕は望んだだけです。母さんが、多分・・・・。」
「そうか。」
「けど・・・・。」
「けど?」
「アスカは、違うような気がします。多分、僕が望んだから・・・・。」
「そうかね・・・・。」
シンジの表情は暗かった。まるで、何か罪を犯してしまった時の表情である。
さらに、冬月はインタビューを続けた。サードインパクト時のシンジの状態を事細かに聞いていく。以後
の、この記録はサードインパクトの第一級資料となる。
「その時、リリスとダブリスは・・・・。」
「綾波とカヲル君は、自分たちは『希望』と言っていました。人が分かり合える事の・・・・。」
「そうだったのかね。」
「そうです。二人が僕を導いてくれました・・・・。」
カチャリ。
冬月は、ボタンを戻し記録を終える。
「結局、使徒が人類を救ってくれたのか・・・。」
少し、冬月は小声で呟き苦笑した。
「すまなかったね。シンジ君。」
「いいえ。良いんです。僕の気持ちも整理できましたし・・・・。」
「そうかね。それは役に立てて、私もうれしいよ。」
そういって、冬月は席を立った。インタービューを終えて、シンジの輪郭が前よりはっきりしたように見 えた。
「シンジ君。碇、いやお父さんの遺言だ。」
突然の事に、シンジが驚く。
「『すまなかった』と。」
「そうですか。」
シンジは、またも俯く。だから、冬月にはシンジの表情が見えなかった。
インタビューを終え、シンジは自分の病室に戻っていた。 天井を見ながら、シンジは悔恨の海溝に沈む。
僕は、『人に戻りたい。みんなと生きたいと。』と思った。
けど、それをアスカに押し付けてしまった。
多分、アスカは僕の事を嫌っている、憎んでいる。
僕なんかの側に居てくれない。
でも、アスカに生きて欲しいのは、僕の本当の気持ち『真心』だから・・・・。
それに、アスカにはひどい事してしまったんだ。
謝ろう。いや、謝らなくてはいけない。
それで、アスカの目の前から消えよう・・・・。
そこで、海溝から引き上げられる。
カチャリ。
「シンジ君、気分はどう?」
マヤが、病室に入ってきた。
「悪くありません。」
シンジは、少しはにかんだ笑顔で答える。
「そう。それは良かったわ。」
マヤは、はずむ声で答えた。そして、ベットの横にあるイスに座る。
「何か、食べたい物はあるかしら?」
「いいえ、特には・・・・。」
「遠慮しなくてもいいのよ。だって、体の病気じゃないんだもの。それに、病院の食事っておいしくない
でしょ。」
「本当に良いんです。それより・・・・。」
「それより?」
「それより、アスカに会いたいんです! あって、謝らないと・・・・。」
「シンジ君、前もそんなこと言っていたけど、何を謝るの?」
「いろんな事・・・・。たくさんあるんです・・・。僕は、酷い事をアスカにたくさんしたんで
す・・・。」
「たとえば?」
そこで、シンジは押し黙った。 マヤは、その様子を不審に思い追求する事にした。 マヤには、シンジの様子が何か悪い事をして黙る子供のように見えた。
「どんなこと、人に言えない事?」
しかし、その追求に反発を食らった。 シンジが、マヤの方を強い意志を秘めた眼で向かう。
「とにかく、アスカに会わせてください! 生きてるんでしょ。 だったら、早く・・・。」
「判ったわ。」
マヤは、シンジのその意志に押された。今までの、シンジの印象からは予想も付かない物だった。結局、 マヤはシンジをアスカに引き合わせる事にした。その時は、
「アスカのためにもなるだろう。」
そう、マヤは考えた。
「アスカ・・・・。」
シンジは、ベットの上のアスカの手を優しく包み込んだ。
「アスカ。 ごめん・・・・・。」
シンジは、悲痛な顔をしながらアスカに語り掛けていく。
「アスカ・・・・。僕は君に酷い事をした。許して欲しいと言わない。」
すると、ベットの上のアスカの唇がかすかに動き出す。
「・・・・よ。シ・・・・。」
「えっ?」
それに気づいたシンジが、耳を口元に運んでいく。
「な・・に・よ。シンジ。今更、私に・・・何を求めるのよ。」
シンジは、ゆっくり首を横に振った。
「ううん。何も求めない。いや、ただ一つ。 生きて欲しいだけ。 それが、僕のたった一つの真心だから。」
アスカの眼は天井に向けられたまま、焦点が合っていない。 しばしの間、ピッ、ピッという電子音だけが病室に響く。
「ふん。何よ、今頃。アタシは、戻りたくなかった。 だって、あそこにはママがいたもの・・・・・。ママ・・・・・。」
そこには、この世界の強い拒絶が感じられた。
そして、シンジの真心は受け取られなかった。