あの苦しかった戦いから四年。碇シンジは新東京大学付属高校に進学し、昨日優秀な成績で卒業した。学内推薦で新東京大学入学が決まっていたシンジは久しぶりに休日をゆったりと満喫していた。リビングでクッションを枕に横になって音楽雑誌をめくる。 「たっだいま〜♪」 アスカがシンジの家を訪れた。アスカの家は隣だが、彼女はいつも「ただいま」といってやってくる。アスカはシンジの家の合鍵を強奪しており、自分の家にいる時間よりもシンジの家にいる時間の方が長かった。 「おかえり」 シンジは体を起こすと返事をした。いつも気分次第で無理難題を吹っかけてくるアスカだが、今日は機嫌がよさそうだ。 「シンジぃ、お昼なあに?」 アスカはぺたんと隣に座るとテレビをつけながらシンジに聞いた。アスカは今日はゆったりとした水色のワンピースを着ていた。 「冷蔵庫の残り物でチャーハンにでもしようかと思ってるんだけど」 「それでいいからすぐ作って」 「わかったよ」 シンジは立ち上がると料理をはじめた。その間アスカはクッションを抱いて鼻歌交じりにテレビを見ている。今日はかなり機嫌がいいようだ。 「ご機嫌だね。何かいいことでもあったの?」 「まあね。あんたにも関係あるんだけど知りたい?」 「なに?」 「お昼食べたら教えてあげる」 チャーハンが出来上がると二人向かい合って食べる。三年前一人暮らしをはじめたときからそうだった。思えばアスカに振り回されてばかりの三年間だった。 四年前すべてが終わった後、ミサトはひょっこり戻ってきた加持とあっさり婚約した。シンジたちの中学卒業にあわせて結婚するというので、それからは二人とも一人暮らしをする事にした。 「シンちゃん、アスカ、ほんとにでてっちゃうの? あたし達は家族じゃない。気を遣わなくってもいいのよ?」 「何いってんのよ、ミサト。あんた結婚してまでシンジに家事をやらせるつもり?」 「ミサトさん、僕たち新婚家庭に居候するほど野暮じゃないですよ。それより幸せになってくださいね」 「……二人ともありがとね」 ミサトは涙ぐみながら二人を抱きしめたものだった。 二人の住む所はミサトが手配した。ミサトが二人のために用意したのはネルフが寮として持っているマンションで、元々は女子寮だったのだがシンジも元チルドレンという事でセキュリティのしっかりしているそこに無理矢理押し込んだ。同じ寮に伊吹マヤや団地が取り壊されて追い出された綾波レイも住んでいる。 春休み、ミサト達がハネムーンに行ってる間に引越しを行った。シンジはその時初めてアスカが隣に住む事を知った。 「シンジ、ご飯」 引越し初日、シンジが引越しの荷物を片づけているとアスカがやってきて昼食を要求した。 「何で僕にいうの? 自分で何とかしてよ」 「あたし作れないもの。なんか作ってよ」 シンジはため息をつく。 「引っ越したばかりなんだから何も出来ないよ。出前でも取ってよ」 「いやよ! あたしはあんたの作ったご飯が食べたいの!」 アスカはシンジの前に座るとぷぅと膨れて睨み付けた。 「しょうがないなぁ。じゃあ買い物付き合ってよ。道具も材料も買ってこなくっちゃ」 買い物に出ると調理器具と食器、食料品を買ってきた。食器はアスカが選んだのだがみんなペアの食器だった。 それからというものアスカは毎食シンジのうちに食べに来た。というかアスカが自分の家に帰るのは寝るときだけで、お風呂までシンジの家で済ましていた。 春になるとシンジは新東京大学付属高校に、アスカは新東京大学の大学院に入学したのだが、学食があるにもかかわらずアスカはシンジにお弁当を要求した。その上アスカは隣に住んでいるにもかかわらず重たいからとお弁当を学校で渡す事を強要した。学食は大学高校共通なのだが、そこで待ち合わせて一緒にお弁当を食べたのだった。 アスカはその容姿のおかげで大学内では大変もてたが、「不沈空母惣流」と異名を取るくらいになぜかシンジ以外の男を寄せ付けなかった。そのため学内では二人は付き合っているというのが定説となっていた。その上シンジに彼女が出来そうになると決まってアスカが邪魔をするので、シンジは結構女の子に人気があったにもかかわらず三年間彼女無しですごす事となった。 話を戻そう。お昼を食べ終わって後片付けを済ませるとシンジは再びアスカの正面に座った。アスカは頬杖を突いてにこにことシンジを見ている。 「それで?」 「なにが?」 「なにがっていいことあったんだろ?」 「ああ、それね」 アスカは居住まいを正してシンジを真っ直ぐ見つめた。 「シンジ、出来たから責任とって」 「出来たってなにが?」 シンジはきょとんとして聞き返す。 「赤ちゃん」 「誰の?」 「シンジの」 「………」 シンジはしばらくいわれた事が理解できなかった。ぽかんとアスカを見つめる。そんなことした覚えは全然無い。はじめは冗談かと思ったがそんな様子も無かった。 「まだ病院でちゃんと調べてもらったわけじゃないから確定ってわけじゃないんだけど、検査薬で調べた限りじゃ妊娠してるみたい」 「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕にはぜんぜん身に覚えがないんだけど?」 「でしょうね。あんたいつも寝てたから」 「どういうこと? ちゃんと説明してよ!」 「何ヶ月か前にさ、パンツに血がついてた事無かった?」 いわれてシンジは思い出した。怪我もしてないのに不思議に思った覚えがある。その前の日はアスカと一緒にワインを飲んで酔いつぶされ記憶が無くなっていた。 「……ある。確かパジャマのズボンにもついてた」 「それ、あたしの血。ここまで言えばもう分かるわね?」 「僕、もしかして無理矢理アスカを?」 シンジが青くなって聞いた。 「違うわよ。あたしが勝手にやったの」 「どうしてそんなことを?」 「あん時酔っ払ったあんたをベッドまで連れてったら『アスカぁ、好きだ〜』とか言いながら股間を膨らませてるんだもの。それならば、ってしたんだけど最初は結構痛かったわね」 「……本当に僕の子なの?」 「失礼ね。あたしは男はあんた以外知らないわよ」 さも心外そうに膨れるアスカ。 「おろす気は?」 「無いわね」 「アスカ、子供なんかいらないっていってたじゃないか」 「気が変わったの。今はあんたの子供なら二人か三人ぐらいほしいわね」 「責任って、僕にどうしろって言うのさ?」 「妊娠させたときの責任の取り方っていったら一つでしょ」 「アスカ、僕の事嫌いじゃなかったの?」 シンジがこう聞くとアスカは少し悲しそうな、寂しそうな顔をした。 「嫌いよ。特にその鈍感なところなんか大っ嫌い」 「だったらどうして?」 「どうだっていいでしょ。結婚してくれるの、くれないの?」 アスカが少し緊張したような面持ちでじっとシンジの目を見詰める。シンジはしばらく考えてから答えた。 「……してもいいけど」 シンジの答えを聞いてアスカはほっとしたようだった。 「だったらそれなりのセリフがあるでしょ」 「それなりのセリフって?」 「プロポーズに決まってるでしょ!」 「そんなこと急に言われたって」 「待っててあげるからちゃんと考えてプロポーズして。別にかっこいいセリフじゃなくてもいいから」 シンジは考え込んだ。アスカは期待に満ちた目でシンジの事を見つめている。シンジは少し赤くなって思い付いたプロポーズの言葉を言った。 「……えっと、その、幸せに出来るかどうか分からないけど、それでもよかったら僕と一緒になってくれませんか?」 「ん〜、80点。ぎりぎり合格ね」 アスカはにっこり微笑んで点数を告げた。 「返事は?」 「もちろんイエスに決まってるじゃない。じゃあこれにサインしてね」 アスカはポケットから何か書類を取り出しシンジに差し出す。その書類は婚姻届だった。シンジは覚悟を決めて署名捺印し、アスカに渡した。アスカは満足そうに書類を眺めると大事そうにポケットに納めた。 「それじゃ早速司令に結婚の事を報告して同意を貰って」 「父さんに?」 嫌そうに言うシンジ。 「苦手なのは知ってるけど、未成年なんだから保護者の同意がいるでしょ。とりあえず電話で話してみたら?」 「う、うん」 シンジは受話器を持つとゲンドウの所に電話した。 『碇だが』 「父さん、シンジだけど」 『何だ?』 「あの……、その……」 『私は忙しい。用があるなら早く言え』 「僕、結婚する事にしたから」 『そうか。式場の手配はしたのか?』 「え? まだだけど。それより彼女を紹介したいんだけど」 『惣流君ではないのか?』 「いや、そうなんだけど」 『ならばその必要はない。向こうのご両親には私から挨拶しておく。式場の手配もやっておくからおまえ達は招待したい友人のリストを作っておけ。式は一ヶ月後でいいな?』 「ちょ、ちょっと待ってよ」 『なんだ? もっと早い方がいいのか? だが私のスケジュールも調整せねばならんからあまり早いと無理だぞ』 「そうじゃなくて。僕たちまだそんなこと話し合ってもないよ」 『ならば決まってからまた電話しろ。私は忙しい』 電話は一方的に切られてしまった。 「どうだった?」 「反対するつもりはないみたい。式の事とか話し合ったらまた電話しろって。それよりアスカの方はいいの?」 「あたしの方はミサトにサインしてもらうつもりだから大丈夫。あれでも一応保護者だからね」 「お父さんは?」 「あたしとママを捨てたのよ。あんな男、父親でも何でもないわ。それよりシンジ、婚約したんだからエンゲージリング買ってよ」 「う、うん。ところでさ、僕の子供を妊娠したのがいい事なの?」 「そうよ?」 「怒らないでね。アスカ、もしかして僕の事が好きなの?」 アスカは赤くなって目をそらした。 「ねえ?」 「……そうよ。やっと分かったの? このにぶちん!」 「ごめん。いつからなの?」 「……あんたの事を意識し始めたのはユニゾンの訓練の後ぐらいからだけど、決定的になったのはあたしが入院してたときに毎日お見舞いに来てくれた事ね。あの時あたしは自分が誰にも見向きもされない、価値の無い人間だと思いこんでいたからあんたが毎日来てくれたのがとってもうれしかったの」 「それはアスカが入院したのは僕の所為だと思ったから」 「それでもうれしかった。さあ、出かけるから早く着替えてきて。あたしの婚約者として恥ずかしくない格好をするのよ!」 「僕の気持ちは聞かないの?」 「あんたが好きでもない相手と結婚できるような男じゃないって事ぐらい知ってるわよ。ほらうだうだいってないでさっさと着替えてきなさい!」 シンジはアスカに急かされて立ち上がると寝室で着替えはじめた。Tシャツに短パンというラフな格好からベージュのポロシャツに茶色のスラックスというデート用の格好に着替える。 二人は腕を組んで出かけると宝飾店に向かった。宝飾店でカタログを見ながら指輪を選ぶ。婚約指輪だけでなく結婚指輪も一緒に注文した。 その足でネルフの付属病院にいって診察を受けた。確かに妊娠しているという事だった。そのことを知ったアスカは本当に幸せそうで、見慣れているはずのシンジもその輝くような笑顔につい見とれてしまった。 帰りにネルフ本部のミサトの所により、婚約を報告した。ついでに婚姻届に必要事項を書いてもらう。ミサトのデスクは書類が山積みだったので場所を休憩室に移した。 「おめでとう、シンジ君、アスカ」 「ありがとうございます」 「ありがと、ミサト」 「ついこの間まで子供だったのに早いものね。それで? 式はいつやるの?」 「まだ決めてないです」 「おなかが目立つようになる前にしたいわね」 「おなかがって、アスカ妊娠してるの?」 「まあね」 「まあ、シンちゃんたら見かけによらず意外と手が早いのね」 ミサトがシンジをひじで小突く。 「それがその、僕アスカとそういうことした記憶、全然ないんです」 シンジは頭を掻きながらいった。 「どういうこと?」 「あたしがシンジが寝ている間に勝手にやって勝手に妊娠したの」 「強姦したってこと?」 「シンジの同意無しにって意味じゃそうなるわね」 アスカはしれっとして答えた。 「それで妊娠をたてに結婚を迫ったの? アスカったら相変わらず素直じゃないわね。『好き』ってひとこと言えばすむのに」 「ほっといてよ」 膨れるアスカ。 「シンジ君、本当にいいの? アスカが妊娠したのはシンジ君の責任じゃないからその責任を取って結婚する必要はないのよ? もし責任感だけで結婚するのならいずれお互い不幸になるから止めた方が良いわ」 「ミサトさん、僕はそんなに責任感の強い男じゃないですよ。そりゃアスカのことを愛してるのかって聞かれると困りますけど。そもそも僕は愛がどんなものか分かりませんしね。でもアスカのことは好きだって断言できます。アスカは僕にとって一番近くにいる女性で、ずっとそうであって欲しいと思ってましたから結婚を承諾したんです」 シンジは机の下でそっとアスカの手を握った。アスカもぎゅっと握り返してくる。 「それならいいわ。シンジ君も大人になったのね。ところで……もったいないことしたわね」 ミサトがいやらしい笑いを浮かべた。 「は? なにがですか?」 シンジはきょとんと聞き返す。 「アスカ、シンちゃんがはじめてだったんでしょ? 処女って男にとって特別らしいから、それを覚えてないってのは惜しいんじゃない?」 シンジは少し赤くなった。 「そういえばそうですね。ちょっと惜しいかな。でもアスカはアスカですし僕女の人とそういうことした事ないからよく分からないです」 「あたしの気持ちに気付かなかったにぶちんなあんたが悪いんだからね。大体嫌いな男の家に毎日通うわけないでしょ」 「だってアスカ、いつも僕のこと嫌いだって言ってたじゃないか。『家族』だから体よく使われてるんだと思ってたんだよ」 シンジが口を尖らせた。 「でもアスカ、いくら気付いてくれないからってシンジ君の同意も無しにやっちゃうのはちょっちやり過ぎね。そういうことはやっぱりお互い同意の上でないと。シンジ君が他の人を好きだったときはどうするつもりだったの?」 「それは大丈夫。だってシンジがあたしのこと好きだって言うからしたんだもの」 「ほんと?」 ミサトがシンジに確かめる。 「はあ、どうもそうらしいです。僕、酔っ払ってたんで覚えてないんですけど」 「駄目ねぇ。酒は飲んでも飲まれるなって言うでしょ」 「ミサトにいわれちゃお終いよね」 「だね」 シンジとアスカは顔を見合わせてうなずいた。 「ふふ〜ん、ところがね、子供が出来てからは一滴も飲んでないのよん」 「嘘ばっかり」 あきれたように言うアスカ。 「本当よぉ。何ならうちの宿六に確かめてもらってもいいわよ」 「はいはい、信じればいいんでしょ。それじゃシンジ、今度は司令にサインを貰いにいきましょ」 「うん。それじゃミサトさん、ありがとうございました」 二人は席を立つ。 「どういたしまして。たまには家にも遊びに来てね」 ミサトは手を振って二人を見送った。 ゲンドウの執務室にやってきた二人。シンジは緊張してアスカの手をぎゅっと握っていた。 「話し合ったのか?」 ゲンドウは書類から目を上げずに聞いた。 「まだだけど……」 シンジは斜め下を見ながら答えた。 「司令、これにサインをお願いします」 アスカが婚姻届を差し出した。ゲンドウはそれを受け取ると一通り目を通す。 「……これにサインするには条件がある」 「なんでしょうか?」 「孫を君たちの次に抱かせろ。それが条件だ」 「わかりました。お約束します」 アスカの返事を聞くとゲンドウは婚姻届に必要事項を記入し、アスカに渡した。 「シンジ」 二人が出て行こうとしたとき、ゲンドウが声をかけた。 「なに?」 「ユイに報告してこい」 「わかってるよ」 二人はゲンドウの執務室をあとにした。 ネルフ本部を出るとアスカは婚姻届を取り出して振ってみせた。 「これ、どうする?」 「どうするって?」 「今日出しちゃうかって聞いてんの。まだ市役所あいてるでしょ」 いわれてシンジは考えた。普通は結婚式の後に出すような気がする。とはいえ今更じたばたしてもしょうがないし、入籍したからといってアスカとの関係が変わるとは思えない。 「アスカのしたいようにしていいよ」 「そ。じゃあ市役所よっていきましょ」 「うん」 市役所によって婚姻届を提出する二人。いろいろあったがこうしてこの日めでたくシンジとアスカは夫婦となったのだった。 おわり |