「んくっ、んくっ、んくっ……」 アスカは風呂上がりにバスタオルを巻いただけの姿で、腰に手を当てながらパックから直接牛乳を飲んだ。 「アスカぁ、ちゃんとコップつかって飲んでよ」 台所で洗い物をしていたシンジが文句を言った。最初の頃はバスタオルだけのアスカにどぎまぎしたものだが、幸か不幸か最近では慣れてしまって何にも感じなくなってしまった。 「っさいわねぇ、男のくせに細かいことうだうだいってんじゃないわよ!」 「ごめん……」 「また謝るぅ。大体あんたの謝罪って誠意が感じられないのよね」 「じゃあ、どうすればいいのさ?」 幾分むっとした様子でシンジが聞いた。 「そうねぇ、ここは態度で示してもらいたいわね」 「どんなふうに?」 シンジの問い掛けにアスカはちょっと考えてから答えた。 「明日は一日よね。映画おごってよ」 神奈川県下の映画館は毎月一日は1000円で映画を見ることが出来る。それは特別行政区の第三新東京市も例外ではなかった。 「わかったよ。おごればいいんだろう」 投げやりな調子でシンジ。 「なによ、その言い方は!」 アスカの剣幕に慌てて言い直す。 「分かりました。おごらせて下さい」 「よろしい」 シンジの返事に鷹揚にうなずいてみせるとアスカは部屋へと向かおうとした。と、そこでまたバスタオルが落ちた。 「……見た?」 しゃがみこんでバスタオルで体を隠しながらシンジに問う。 「み、見てないよ」 「本当に?」 「うん。それに今更アスカの裸見たって何も感じないよ」 アスカはバスタオルを体に巻きつけるとつかつかとシンジのもとにやってきた。 「なによっ、こんのバカシンジ!」 ばっちーん!! 「ふんっ!」 アスカはシンジの頬に紅葉をつけるとさっさと自分の部屋へと引き上げた。寝間着代わりのジョギパンとタンクトップを着る。 やったわ、明日はシンジとデートよ! アスカはうきうきと上機嫌で明日着る服を選び始めた。部屋中に服を広げ、鏡の前でとっかえひっかえあてがってみる。長くかかりそうだった。 その頃シンジは。 やられた。元々アスカが悪いんじゃないか。 アスカにはめられたことにようやく気付いていた。 次の日。シンジは朝食の用意をしながらアスカに話し掛けた。 「ねぇ、綾波も誘ってみようよ」 「だ、駄目よ!」 アスカが慌てる。せっかくデートだと思っていたのにここでお邪魔虫に出てきて欲しくない。 「どうして?」 朝食をアスカの前に置きながらシンジが怪訝な顔で聞いた。アスカがレイをあまり好ましく思ってないのは知っているが、それにしても反応しすぎている。 「え〜と、ほらあの娘、テレビとかも全然見ないじゃない。だからきっと興味無いわよ」 なんとか適当に理由を付けるアスカ。 「それはそうかもしれないけど……。でも一応誘うだけ誘ってみようよ」 なお食い下がるシンジについにアスカは怒り出した。 「駄目だっていってるでしょ!あたしの言うことが聞けないっての!」 「わかったよ」 シンジはため息交じりにこたえた。 アスカ、なんでこんなに綾波のこと嫌うんだろう? シンジはそんなことを考えながら朝食を食べた。 「ごちそうさま」 アスカは朝食を食べ終えると着替えに部屋に戻った。さっそく昨日選んでおいた服に着替え始める。さりげなく化粧なんかもしてみる。 アスカが準備万端整えて部屋を出るとシンジはまだ台所で洗い物をしていた。 「ちょっと!なんでまだ準備してないのよ!」 ぷりぷりと怒りながらシンジに詰め寄る。 「もうすぐ終わるからちょっと待っててよ。映画は逃げないんだからさ」 「早くしなさいよ!」 そういうとアスカはしかたなしに新聞で今日やっている映画をチェックする。 しばらくするとシンジが手を拭きながらやってきた。 「お待たせ。行こうか」 「あんた、その格好であたしと歩くつもり!?着替えてきなさい!」 シンジはTシャツに膝丈のズボンといったラフな格好だった。白いワンピースで気合の入りまくったアスカとは対照的だ。 「え、でも映画見に行くだけじゃ……」 「いいから!」 もう、せっかくのデートなのに分かってないんだから! 「わかったよ」 シンジは部屋へと向かう。その背中にアスカが声をかけた。 「ちょっと待って。あんたセンスないからあたしが選んであげるわ」 そういうとアスカはつかつかとシンジの部屋に入りシンジの衣装ケースを物色し始めた。クリーム色の半袖Yシャツとダークグリーンのネクタイ、茶色のズボンを出してシンジに渡す。 「ほらこれに着替えて。急いでよ!」 シンジは釈然としない表情のまま着替え始めた。 「ちょっと、いきなりレディの前で脱がないでよ!」 アスカは逃げ出すようにシンジの部屋を出た。顔が上気して朱に染まっている。 「アスカが急げって言ったんじゃないか!」 シンジがそんな文句を言うのが聞こえた。 しばらく待っているとシンジが着替えて出てきた。 「お待たせ、アスカ。じゃあ行こうか」 アスカはしばらくシンジを値踏みするように見つめるとネクタイをちょっと直してやってからいった。 「よし、合格」 二人は並んでマンションを出た。いつものようにアスカが前でシンジがその後をついていく。アスカは本当はシンジと腕を組んで歩きたかったのだが。 駅に向かう途中、二人は綾波レイと鉢合わせた。レイは相変わらず制服を着ている。スーパーの袋を提げていた。買い物の帰りだろう。 「ファースト……」 なんでこう間が悪いのかしら、この女は! 「おはよう、綾波」 シンジはアスカと並ぶとレイに挨拶した。アスカはレイに見せ付けるようにシンジと腕を組む。 「……おはよう、碇君。それじゃ」 無表情に立ち去ろうとする。 「あ、綾波、僕たちこれから映画見に行くんだけどよかったら一緒に、いたっ!なにすんだよ、アスカ!」 アスカがシンジの腕をつねっていた。シンジを睨み付けている。 「……私はいい。邪魔しちゃ悪いもの」 「別に邪魔じゃ……」 「邪魔よ!じゃあね、ファースト」 アスカはシンジを無理矢理引っ張っていく。 「さよなら」 レイはそういうときびすを返してすたすたと行ってしまった。 ふん!あんたなんかにシンジは渡さないんだから! アスカはレイの後ろ姿に心の中であかんべーをした。 「アスカ、なんでそんなに綾波を嫌うのさ?」 「別に嫌ってなんか無いわよ。好きになれないだけ」 「だったら映画くらい一緒に見たっていいじゃないか。同じ仲間なんだからさ」 「今日は駄目なの!いいから行くわよ!」 二人は腕を組んだまま駅へと向かっていった。 映画館の前。春休みだけあって結構混んでいた。 「なに見ようか?」 シンジがアスカと腕を組んだまま聞く。 「あたし、あれがいい」 アスカが指差したのは沈没する船を題材にしたラブロマンス物。この春の話題作だ。 「え〜、僕はこっちが見たいな」 シンジが指差したのは007シリーズの最新作。 「こういう時男は女にあわせるものよね」 「やだよ。僕がお金出すんだから僕の見たいのにしてよ」 「あたしはあれがいいの!」 しばらく睨み合ったがシンジが折衷案を出した。 「じゃ、こうしよう。お金は僕が出すからそれぞれ自分の好きなのを見る」 「だ、駄目よ!それじゃデートにならないじゃない!」 「え……」 「あ……」 アスカは口に手をやり赤くなった。 「こ、これってデートだったの?」 「………」 アスカは赤くなったままそっぽを向いてこたえない。 「ねえ?」 「そうよっ!だからあたしにあわせなさいよねっ!」 アスカは赤い顔のまままくしたてた。 「う、うん」 つられてシンジの顔にもだんだんと朱がさしてくる。 「じゃ、いきましょ」 初々しく赤くなった二人は腕を組んだまま券を買うと入場待ちの列に並んだ。しばらく待っていると入れ替えが始まった。二人は中に入ると取りあえず席を確保した。 「ジュース買ってくるよ。アスカ、いつものでいい?」 「うん」 シンジはアスカを残して売店へジュースを買いに行った。 「はい、アスカ」 シンジが買ってきたジュースを差し出す。 「もう、遅かったじゃないの!」 アスカはぷりぷりと怒りながら受け取った。 「あんたがいない間に三回も声かけられちゃったじゃない!まったくうっとおしい!」 「ごめん、売店が混んでたんだ」 シンジが席につきながら謝った。 「本当に悪いと思ってるの!?」 「思ってるよ」 「じゃあお昼もおごってよね」 ちょっと赤くなりながらアスカ。 「わかったよ」 シンジは苦笑しながらこたえた。アスカがデートと言い出した時点でそうなるんじゃないかと思っていたのだ。 「なによ」 アスカが口を尖らす。 「別に」 「なあにが『別に』よ!バカシンジのくせに!生意気よ!」 そういうとアスカはシンジの頭にヘッドロックをかけた。 「痛いよ、アスカ!やめてよ!」 シンジは頭を締め付ける痛みと頬に当たる中学生にしては豊満な胸の感触に悲鳴を上げる。二人がじゃれあっているうちにあたりが暗くなりCMが始まった。アスカはやっとシンジを解放した。 映画が始まる。肘掛けにはシンジが手を置いていた。映画はだんだんと盛り上がってくる。アスカはさりげなく手をシンジの手に重ねた。アスカの気分も盛り上がってくる。シンジは手のひらを返し、アスカの手を握ってきた。 シンジったら……。 アスカはシンジの行動に狂喜しながら映画のヒロインに自分を重ねていった。軽いラブシーン。アスカはこてん、と甘えるように頭をシンジにもたせかけた。船が沈没するシーン。シンジはアスカの手を強く握ってきた。アスカもそれに応える。そして感動的なラブシーン。今度はシンジがアスカの方に頭をもたせかけてきた。アスカは映画よりもシンジのその行動に感動していた。そして映画が終わる。スタッフロールが流れている間他の客が立ちあがっても二人は動かなかった。 明かりがつくとシンジは座り直した。アスカもシンジのぬくもりが名残惜しかったが座り直した。そしてシンジの方を見た。シンジはそっぽを向いていた。 「あんた、泣いてるの?」 「僕、こういうの弱いんだ。だから見たくなかったんだよ」 きまり悪そうにシンジ。 「ふ〜ん」 可愛いところあるじゃない。 アスカはポーチからハンカチを出すとシンジの涙を拭いてやる。 「ほらじっとして」 「い、いいよ、アスカ」 シンジが恥ずかしそうに赤い顔を背ける。アスカはぐいっとシンジの顔を自分の方に向けると涙を拭いてやった。 「さ、いきましょ」 涙を拭き終えると二人は立ち上がり、映画館を後にした。 「まだお昼には早いね」 「そうね。公園でも散歩していきましょ」 映画館のそばの公園はちょっとした池があり、樹もたくさん植わっていて恰好のデートスポットだった。二人は腕を組んで小道を歩いていく。 「映画、よかったわね」 「うん」 「でもシンジがこんなに涙もろいとは思わなかったわ」 「やめてよ、アスカ」 シンジが赤くなる。 「いやよ。しばらくこれでからかってあげるから覚悟しときなさい」 意地悪くそういうアスカ。困っているシンジのことを可愛いなんて思っている。 「ほんと、アスカって性格悪いよな」 シンジが膨れて口を滑らせた。 「なんか言った!?」 アスカがシンジを睨み付ける。シンジはその視線の強さにすくみあがった。 「何でもないです……」 「よろしい」 鷹揚にうなずくアスカ。シンジは胸をなで下ろした。 常夏の青い空の下、木々の間を歩いていく二人。周りには誰もいない。そこでアスカが木の根っこにつまずいた。 「キャッ」 「あぶない!」 シンジはとっさに手を出してアスカを抱きすくめた。じっと見詰め合う二人。シンジがそっと顔を近づける。 「今度はうがいしないでよね……」 「バカ……」 アスカが恥ずかしそうに視線をそらし、目を細める。シンジはそんなアスカにいとおしそうに優しく口付けた。 永遠とも思える時間の後、名残惜しそうに二人は離れた。抱き合ったまま見詰め合う。先に沈黙を破ったのはシンジだった。 「お昼、食べに行こうか……」 「うん……」 アスカは頬を上気させボーッとしていた。しばらくしてうつむく。 「シンジ……」 「なに?」 「あたし、イタリア料理が食べたいな」 顔を上げたアスカはいつものアスカだった。瞳にいたずらっぽい光をたたえて微笑んでいる。シンジから体を離すとその手を引っ張った。 「いこっ!」 シンジはため息一つつくといった。 「わかったよ、アスカ」 仲良く腕を組んで店へと向かう。さっきのキスは高くつきそうだった。 おわり |