誰だって知っている。
渚カヲル。
若干17歳でサッカー日本代表入りした男。
W杯予選を勝ち抜くことができたのは、彼がいたおかげだという。
最終予選、ロスタイムぎりぎりの逆転シュートは、彼を一躍ヒーローとした。
司令塔として、守りの要として、彼は日本をW杯本戦へ導いた。
僕もアスカもTVで見ていた。
同じ高校だと知ったときは驚いたが、誇らしくなった。
”あの”渚カヲルと同じ学校なんだ。
それだけで世に高言できた。
その人が今目の前に立っている。
その人がアスカに告白をした。
窓から入ってくる日溜まりは小さい。
家に帰ってきた僕達は、リビングでゴロゴロしていた。
「アスカ」
座り直して呼びかけたが返事がない。
聞こえていないらしい。
「アスカ」
「え、何、何か言った?」
やっとこちらを振り向いた。
学校から帰る道では一言も口を開かなかったアスカ。
家に着いた後も、こうしてずっと考え事をしている。
「渚さんのこと、気になる?」
胸に疼きを感じながら言った。
「気にならないって言ったら嘘になるけど、実感できないっていうのが本音ね」
ちょっと頬が上気していた。
「確かに憧れてはいるけど、つきあうってのは違うんじゃないかなって、思うの」
アタシにはシンジがいるしね、と笑いながら言った。
「でも、びっくりした。突然あれだもんね、心臓止まるかと思ったわよ」
胸が締め付けられる。
嫉妬、だな、やっぱり
胸が痛い
心が痛い
再び沈黙が訪れた。
言ったら引き返せないんだぞ
戻れないんだぞ
わかってる
わかってるのに
「つきあえよ」
言ってしまった
えっ、という表情でアスカが僕を見つめる。
「いつまでも僕たちこういう関係続けられないし」
アスカの目が見れない。
「丁度いい機会じゃないかって、思うんだ」
視界の隅でアスカの体が小刻みに震えているのが見えた。
「渚さんならお似合いだと思うし」
「良いわけ?」
「え?」
「シンジはそれで良いわけ?」
答えたら決定的になる。
僕は本心を隠している。
心を殺している。
アスカは僕を好いてくれてるのに。
こんな独りよがりの考えで。
良いのか?
本当にそれで良いのか?
自問自答してみる。
それで良いわけない。
アスカは僕の全てだった。
二人の歴史は何人にも犯されない聖なるものだった。
それを壊すことが僕にできるのか?
否
自分の半身を切り捨てることができるのか
否
翼をもいだ鳥が飛べるか?
否
否
否
否
否
「・・・ん」
僕の口から出た言葉は、肯定の響きだった。
「アタシは絶対イヤよ」
本当に怒ったときアスカはこの眼をする。
髪の色よりも紅く、眼を怒気に包ませる。
こんな時でも彼女の美しさは損なわれない。
前アスカがこの眼をしたのはいつだったっけ
思い出せないや
「シンジから絶対離れないからね」
その声で思考が中断される。
「・・・」
突然アスカが僕に抱きついてきた。
そして強引に唇を合わせようとするが、僕は顔を背ける。
「・・・シンジ。なんでよ、いつもみたいに抱きしめてよ、愛してるって言ってよ」
涙を氾濫させながら、震え声でアスカが問いかけてきた。
子供みたいに顔をグチャグチャにしながら泣き叫んでいる。
ダメだよアスカ
こんな僕のことで泣いたら
無性に可笑しくなってきた
可笑しすぎて、涙が出そうだ
笑い死にできればいいのに
「・・・ゴメン」
そう言うとアスカを突き放した。
アスカは後ろ手をついた格好で、そのまま動きを止めた。
僕はこみ上げてくる吐き気を押さえながら、アスカを見つめた。
五分か、三十分か、一時間か僕達はその体勢を崩さなかった。
彫像が命を吹き込まれたように、アスカは突然顔を上げた。
「・・・・・・わかりました。お兄さん」
表の冬の外気よりも冷たく、震えを押し殺した声だった。
アスカは身を翻して僕達の部屋に駆け込んでいった。
後ろ姿を見送った僕はトイレへ飛び込んだ。
むせかえるような吐き気を解放するために。
嫌悪感が僕の中から溢れてくるみたいだった。
その夜僕たちは二人とも口を利かなかった。
夕飯も食べなかった。
同じベッドで眠りはしたが、体が触れ合うことはなかった。
無性に寒かった。
手を伸ばせば温もりがそこにあるのに。
アスカが遠かった。
抱き寄せれば心の寒さも解消されるのに。
手が伸ばせなかった。
とても眠れる状態ではなかった。
もしかしたら、アスカも。
ベッドから降りる。
アスカが一瞬震えたのがわかった。
窓を開けてベランダへ出た。
体温が奪われていく。
寒さが少し紛れる。
空を見上げると逆さ三日月が浮かんでいた。
やけに黄色い月は、大口を開けて僕を嘲笑しているかのようだった。
二人の道が分岐した。
決定的な夜だった。
一番長い夜だった。
アスカが渚さんと付き合うようになって二週間になる。
周りの人たちは驚いていた。
アスカとは必要最低限のことしか口を利いていない。
登下校を一人でするようになった。
ご飯食べるのもバラバラになった。
みんなから喧嘩したのか、と言われるけど、真実を告げられるはずもない。
アスカが渚さんと一緒に歩いているのを見ると、胸が締め付けられる。
僕は大馬鹿だ。
こんなことはわかっていたはずじゃないか。
失ったモノのなんて巨大なことか。
それでもこれで良いんだ、と何度も繰り返し自らに言い聞かせた。
ある日の昼休み。
洞木さんとお昼を食べ始めるアスカを後目に、僕はパンを握りしめて屋上へ行った。
無性に一人になりたかった。
だから最近よくここへ来る。
多くもないお昼を食べ終わると、照ってくる陽を浴びながら眠ってしまった。
だからその声が聞こえてきたとき、最初頭の中でうまく認識できなかった。
「まだヤってないのか?」
甲高い声が響いてくる。
「なんか暗い女でさ、良いのは外見だけなんだよな」
特に体つきがね、と下卑た別の声がそれに続く。
どこかで聞いた声。
屋上の隅の方で何人か、男子生徒がたむろしているらしい。
死角にはいっていて、うまく見えなかった。
「ま、見てろって。今日中にオトスから」
歓声が沸き起こり、それを区切りにこちらへ歩いてきた。
あわてて昇降口の陰に隠れた。
上映会楽しみにしてるよ、とか何とか言ってる声が近づいてくる。
不吉な予感が頭をもたげてくる。
そっと眼だけ突き出す。
開かれたドアをくぐろうとしている男子生徒の中に、知っている顔があった。
渚カヲル。
見間違えるはずもない。
僕はパニック状態になっていた。
あの会話。
・・・アスカ?
昨年一年間多くの皆様に支えられ本当に有り難うございました。
今年も引き続き宜しくお願いいたします。
第拾話”The worst choice.”をお送りいたしました。
中途半端。
なんか慣れない内容のせいか、書いてる自分がブルーになってきて。
こんなのありか?って思ってしまふ。
あ、ダメだ。
次回”Stand by me.”で復活したいと思います。
ZERO