空の誰かが号泣しているような雨。
その二つが掛け合わされ、影響は多大なものになっていく。
海では波が、天まで届けとばかりに飛沫をあげる。
世界有数の美しさを誇る海も、地獄もかくやという様を見せていた。
木々は折れんばかりに身をしならせる。
僅かに外を歩く人々は、レインコートに身をくるみ、体を折り曲げて一刻も早く目的地へと急ぐ。
空港では全便発着不可となり、港では漁船が岸辺で猛攻に耐え、道行く車の数も少ない。
十数年ぶりの規模の超大型台風が、沖縄一帯を包囲しつつあった。
自然の驚異には、人類の英知も太刀打ちできないことを証明するかのようであった。
海を臨むリゾートホテル群にも、容赦なく猛威が叩き付けられている。
そのリゾートホテルの一つで、比するには小さすぎる嵐が巻き起ころうとしていた。
アスカが手にしていたカードを、座り込んでいた絨毯の上に置いた。
沖縄に着いてからずっと、アスカの機嫌は底辺まで落ち込んでいる。
僕や洞木さんやレイがなだめようとするのだが、一向にベクトルの向きは変わらなかった。
台風のため観光どころではなかったので、空港からバスでホテルに入りそのまま夕飯まで待機。
食事後のレクリエーションも白けた空気で盛り上がりに欠けるし、入浴も海の見える露天風呂に入れず、各自が部屋のユニットバスにつかるぐらいだった。
アスカでなくても機嫌は悪くなる。
飛び込んでくるのは悪いニュースばかりだし。
超大型低速台風であることや、たとえ台風がいなくなっても波が収まるまで二、三日はかかることなど。
史上最悪の修学旅行となりそうだった。
先生達も頭を悩ませていて何とか盛り上げようとはするけど、士気は屠殺場に引かれていく豚よりも低いように感じられた。
僕らはいつものメンバーで、僕とトウジとケンスケの三人部屋にアスカ達を呼んでトランプなどをやっていたわけだった。
「つまんない」
目線を床に落としたままアスカが繰り返す。
姫様のご機嫌が大変麗しくないことに、みんなビクビクしていた。
僕もだけど。
素早く目線を交わしあい、アイコンタクトがとられる。
数秒後アスカを除く全員の視線が僕を見定めていた。
そりゃ兄妹だしな。
一呼吸おいて僕ははれ物に触るかのようにアスカに話しかけた。
「他のゲームにする?」
アスカは僕に一瞥を投げてまた目線を落とした。
穏やかに言っても、餓えに苦しむ狼の目だった。
アホか、という視線にさらされた僕は、自分が地雷原のまっただ中にいることを悟った。
「そうじゃなくて、あのそのつまり」
何を言いたいのか自分でも理解できなくなる。
その時、突然アスカが立ち上がった。
瞬間、全員が身を強張らせた。
頭上からアスカの目線がさまよっている気配が伝わってくる。
誰一人として顔を上げられなかった。
心臓の鼓動だけが音として伝わってくる。
いつの間にか膝の上で握り締められている拳からは、冷たい汗がにじんでいた。
皆の息遣いも荒い。
日本刀のような冷たい鋭さの沈黙が続く。
実際には30秒程度の時間だったろうが、精神世界では何時間にも感じた。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが良く理解できた。
僕は蛙
僕は蛙
僕は蛙
「アタシ」
緊張度がレッドゾーンを一気に越えた。
「寝る」
そう言うと、アスカは僕らの部屋から出ていった。
取り残された面々は真っ白に燃え尽きていた。
「いやいやいやたまらんな」
トウジがベッドに大の字で寝転がった姿勢のまま言った。
あの後しばらくしてから、レイも洞木さんも部屋に戻っていった。
僕らも寝ようということになって、寝支度を始めたわけだ。
「へへへ、俺やったよ。おいちゃん」
ケンスケはまだ現実世界に帰ってきていなかったが。
「あんなアスカ初めてだったよ」
僕は寝巻きに着替えながら言った。
「ああ、食われるかと思うたわ」
そしてしばらく沈黙が続く。
「寝よっか」
ケンスケをベッドの上に転がして僕は明かりを消した。
暗闇を見据えながらアスカのことを考える。
一人で大丈夫かな。
久しぶりに僕は独りで眠りについた。
目覚ましが鳴っている
もうそんな時間か
起きなきゃ
起きて、アスカ起こして、ご飯作って
ん
あれ
まだ暗いや
と、鳴ってるのは内線電話だった。
「・・・はい」
枕元のそれを取った。
「碇君!!」
洞木さんの声が耳元で爆発した。
「アスカが、アスカが」
それだけ聞くと、僕は部屋を飛び出した。
アスカ達の部屋のドアをノックせずに開ける。
開かない。
ドアを何回か叩くと、解錠の音と共にドアが内側に開いた。
中に飛び込むと、ドアの脇でレイと洞木さんが抱きあっていた。
そして部屋の奥では、廊下の僅かな明かりに照らされたアスカが、ベッドの上で声にならない叫び声をあげていた。
「ごめん。理由は朝話すから、今日は僕の部屋で寝てくれる」
そう言うと二人を強引に外に追いだし、ドアに施錠をした。
部屋の明かりを手でまさぐって、僕は叫んだ。
「アスカ!」
照明がついた瞬間、内線電話が頭を目掛けて飛んできた。
鈍い音がして足下に電話が転がる。
今は痛がっている場合じゃない。
疼く激痛に堪えながらアスカの元へ寄っていった。
「アスカ」
声を和らげながらゆっくりと近づく。
その間、手当たり次第の物が僕目掛けて飛んでくる。
僕はアスカを見続けた。
自慢の髪の毛は掻き乱れ、目は血走り、口元からは涎が飛び、お世辞にも綺麗とは言い難いはずだった。
しかし僕には、彼女に対する嫌悪感が浮かんでこなかった。
ベッドの周りは凄惨な状況になっており、アスカの暴れっぷりが伺い知れる。
最後の一歩を縮めた瞬間、暴れるアスカを腕の中に抱きしめた。
「大丈夫だよ。僕だよ」
優しく落ち着かせるように囁きかける。
アスカは僕の肩口に噛みつき、背中を爪で掻きむしり何か喚いていたが、しばらくすると徐々に落ち着きを取り戻していった。
腕の中からアスカのすすり泣きの音が部屋をこだましていく。
「だめ、だめ、だめ」
僕から離れようとするが放しはしなかった。
「何が」
そっと尋ねた。
「アタシだめなのよ。迷惑かけるから、もう、ほっといて、一人でいいから」
逆に僕は抱きしめる腕に力を込める。
「どうしようもないんだもん。死んじゃいたい。だめなの#。アタシの&*%」
そしてまた不明瞭な言葉が口からこぼれ始める。
抵抗がだんだんと力を増してきて、アスカのボルテージが次第に上がっていった。
臨界点に達しようとした瞬間。
そう、その瞬間。
アスカの瞳が思い切り見開かれた。
どうしてだかは分からない。
ただ、コウシナケレバイケナインダ、という使命感が突然宿り、僕は。
・・・僕は。
アスカの唇を、僕の唇で塞いだ。
つまり、キスを、・・・した。
一線越えちゃいました、この二人。
この後の展開は第七話までお待ち下さい。
タイムリーなのかどうか、一昨日の台風は凄かった。
嵐を呼んでしまった、と思いました。
いやマジで。
それでは、また次回で。
感想くださった方感謝です。
返信率は百割なつもりです。
大感謝です。
いやいやマジで。
またよろしくお願いします。