遙か彼方まで、格子の点状に石柱が並んでいた。
ゲンドウは手にしていた花束を、『IKARI YUI 1977-2004』と記された目の前の墓に供えた。
なにを思うのか、その石柱をじっと見つめ、ただ黙っていた。
やがて口を開き、背後に立つものに語りかけるように、ゲンドウは言葉を紡いだ。
「人は思い出を忘れることで生きていける。わたしは、そうして生きてきた……」
普段の威圧感のない、穏やかな言葉であった。これが本来のゲンドウなのか、それとも、これさえも演技なのか。
淡々としていた口調が、ややいい聞かせるような雰囲気を帯びた。
「だが、決して忘れてはならないこともある。……ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。わたしはその確認をするためにここに来ている。わたしにとって、決して忘れられない、大切なこと……」
ゲンドウは背後に振り向いた。
陽光が色眼鏡に反射した。
「それはユイのこと……」
ゲンドウはそこで言葉を切った。そして、彼を知るものすべてが驚愕するであろうことに、錆び付いた時計の残骸のような、微笑みらしきものを浮かべた。
「そして、我々の娘であるレイ、お前のことだ」
銀色の髪の少女は、紅い瞳でゲンドウを黙って見返した。
遠くから、ヘリコプターの爆音が聞こえた。
「そろそろ時間のようだな」
ネルフ、すなわちゲンドウの双肩には人類の未来がかかっていると信じられており、彼が自由にできる時間はそう多くはなかった。
この墓参りの時間も、執務時間を無理矢理割いて作りだしたのである。
レイはユイの眠る墓石に視線を向けた。
その少女に、ゲンドウは問いかけた。
「……いまの生活は、楽しいか?」
ヘリコプターの着陸した方に視線を向けたゲンドウは、思い出したように問いかけた。注意深く観察すれば、その表情に隠された憎悪を感じ取ることもできるだろう。
しかし、墓石を注視していたレイは、それに気づかなかった。あるいは、憎悪の意味を理解できないだけになるかもしれないが。
「問題ありません」
その言葉にゲンドウはわずかに表情をゆがめると、
「戻るぞ」
レイは即答した。
「もう少しここにいます」
明確な意志がそこにはこめられていた。
「……そうか」
ゲンドウは不承不承頷くと、着陸したネルフの高速ヘリコプターに乗り込んだ。
通りざまに少年とすれ違うが、所詮、憎むべき風景でしかない。
ゲンドウを載せたヘリコプターは飛び去った。そして、少年は彼女から離れた場所を歩いていた。だから、レイのつぶやきを聞いたものはいなかった。
「……お母さん……」
NEON GENESIS EVANGELION ANOTHER STORY |
砂の果実 |
EPISODE:6(B) |
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遠くからヘリコプターのいらだたしい音が聞こえて、天を仰いだ。見慣れた、ネルフの高速ヘリコプターだった。
そして、それはどうやらこちらの方に近づいているようだった。
おそらく、六分儀ゲンドウと関係があるのだろう。
死者くらい静かに眠らせてやればいいのにと思う。
ネルフの司令は、あらゆることに傲岸不遜だ。
目的地には、予想通り人影があった。
母さんの墓のところに、人が立っていた。司令と綾波だった。
赤木博士の言葉で覚悟はしていた光景のはずなのに、胸が痛んだ。
ヘリコプターの影が爆音とともに通り過ぎていって、いまさっき歩いてきた広場のようなところに着陸したようだった。
前に向き直ると、綾波があの男となにか話しているのが見えた。ヘリコプターはその迎えなんだろう。
司令は綾波となにか言葉を交わすと、わずかに顔をゆがめた。これはめずらしかった。普段は無表情か、人を嘲るような笑みしか浮かべないのに。
一陣の風が吹き、手にした花束から数枚の花びらが飛び散った。
司令はヘリコプターに向けて歩き出した。陽を反射した色眼鏡からはその内心をうかがうことはできなかった。
声などかけるつもりはなかったし、司令も同様のようだった。
きっと、目の前で相手が苦しんでいたとしても、手をさしのべはしないだろう。そういう関係だった。そして、歩み寄る意志は、互いに存在しない。
綾波は、司令を見送ることなく、うつむき加減に墓石に視線をそそいでいた。ときおり吹く強い風が、制服のスカートを揺らして、綺麗なふくらはぎから膝にかけてを人目にさらさせていた。
綾波の見ている墓は母さんのものだった。司令がいたからには当然だろう。
けれど、なんで綾波までもがこんなところにいるんだろう。連れてこられて、そして、残っているんだろう。
ヘリコプターの騒がしい音が浮かび上がると、次第に遠ざかっていった。それにつられるように、綾波はふと目を上げた。
「碇君……」
綾波の隣りに立つと、百合の花束をそっとおいた。
目を閉じる。
母さんの、数少ない記憶を思い起こすように。少しでも、零れていく記憶を減らすように。
いくばくか時間が流れて、ふと目を開くと、綾波の視線がこちらに向けられていた。
「……どうしたの?」
ずっとそうやって見つめていたんだろうか。そう想像して、頬に血が上ったことを自覚した。
「なんでもないわ」
一緒に住むようになってから、数え切れないほど繰り返されたやりとりだった。
「そう……」
もう一度石柱を見つめた。
「ここに母さんが眠っているわけじゃないんだ……」
しゃべりはじめてから思う。なにをいいたいのだろう、と。
「遺体もなにもあるわけじゃない。顔も声もほとんど覚えているわけでもないんだ。なのに、ここへ来ると寂しい気持ちになるんだ……」
ペンダントを握りしめる。
「あんまり覚えていないっていったけど……ひとつだけ母さんがぼくにいってくれた言葉で、はっきりと覚えているものがあるんだ」
この言葉がなかったら、伯父の家での生活に、自殺を選んでいたかもしれない。
あのとき、エヴァに乗ることを選ばなかったかもしれない。
「《おまえはわたしの誇り》って……」
母さんさえいれば、どんなところだって天国になる。生きていける。そう思っていた。
銀の十字架の首飾りをてのひらの上に載せてしめす。
「これは、母さんの形見なんだ」
ふと綾波は口を開いた。
「碇君は、碇君のお母さんに会いたいの?」
「会いたい」
微笑む。
「会って、ぼくを産んでくれてありがとう……って、そういいたい」
綾波も目元を微笑ませた。感情の表現の少ない綾波だけれど、いつも見ていればよくわかる。
「そう……」
そして、母さんの墓に目を向けて唇をわずかに動かした。
「わたしも……ありがとうっていいたい……」
「え?」
なにかをつぶやいたみたいだったけど、聞き取れなかった。
「なに?」
「なんでもない……」
第2新東京市で開かれる国防省との会議のために、ゲンドウと冬月は、高速ヘリコプターで移動するところだった。
「ずいぶんと殺風景になったものだな」
冬月は第3新東京市付近が、地面が露出し、あるいはえぐれ、ときには人造湖ができている様子を見て、憂いに聞こえなくもない声を上げた。
「ここに遷都するなど、誰が信じるものかね」
「第二次遷都計画か。くだらん」
ゲンドウは素っ気ない。
「そう捨てたものでもあるまい」
冬月はゲンドウの言葉に苦笑した。
ネルフにとって第二次遷都計画は有効な財源であった。
結局のところ、セカンドインパクト直後の混乱のなか無計画に拡張された第2新東京市は、すでに首都機能の低下が著しい。
そこで新たな首都が作られるとあれば、利権の絡む土建屋どもがこぞって税金の投入に賛成するのである。そして、そのほとんどは、要塞都市建設の費用に消えていた。
第三使徒に対してUNが使用したN2爆雷による人造湖を見下ろしながら、冬月は昨日いわれた小言を思い出した。
「碇。キール・ローレンツから計画遅延の文句が来ていたぞ。わたしのところに直接な」
本来はシンジとの契約で《六分儀》と戻したはずなのだが、どうしても《碇》と呼んでしまう。
ゲンドウは無関心に窓の外の光景を眺めている。
「しまいにはおまえの解任もちらつかせて、はぐらかすのが大変だったぞ」
ゲンドウはやはり外を眺めたまま答えた。
「老人たちの計画……表面上はしかと遂行している。一体何が不満だというのだ」
「そうだな……ロンギヌスの槍。あれの回収をしていないのは、かなり問題だろう」
冬月は旧南極の地獄絵図を思い浮かべた。
あの地にもはや生命が宿ることはあるまい。
「やむをえん……。使徒撃退には有効な品だ。使い捨てるか」
冷徹な声でゲンドウがいうと、冬月は含み笑いをまじえて応じた。
「利用して捨てる……。人類と同じだな」
「まあ、無難なところね」
「冴えない奴」
披露宴の会場の、中央からかなり離れた場所に位置する席で、新郎を評したリツコとミサトの言葉がこれであった。
「ま、最後はリツコで決まりだから、わたしも安心だわ」
嫌みをたっぷりのせた言葉をミサトは隣の席の友人に投げつける。
それを聞いて、リツコはきわめて穏やかに微笑んだ。いささかわざとらしささえ感じられるほどだった。
「そうね。わたしが最後でしょうね」
ミサトはその言葉に意外そうな顔になる。
リツコはそれを見て満足そうな笑みを浮かべると、さらに言葉を続けた。
「なにせ、結婚できないミサトがいるものね。安心してゆっくり相手が探せるわ」
「ふんっ」
眉間にしわを寄せて、ミサトはワインを飲み干した。嫌みの応酬となると、ミサトが明らかに不利だった。
前では新婚夫婦がケーキカットをしている。ぼんやりとその様子を眺めながら、子供のころは、ウェディングドレスにあこがれていたな、と思い出した。あのころの単純なあこがれが懐かしい。
アスカやレイもそんなあこがれを抱いているのだろうか。その人生を、自分の手でめちゃくちゃにしつつある、いや、すでにしている、同居人の少女たちの顔を思い浮かべた。
「……結婚、か……」
ミサトは、結婚というシステムが苦手だった。
それは、母に甘えることで人生から逃げ出していた父への憎しみから来るものだろう。大学までそう分析していた。
だが、一年近い加持との同棲生活を経験して、考えを変えざるを得なくなっていた。
結婚を憎むのは、自分を憎むのと同じだった。
ミサトはふっとため息をつく。
「なにため息ついているの」
リツコはさすがに訝しんだようだった。
「ん……ちょっちね」
ミサトはそうごまかして、またワイングラスを傾けた。
穏やかで、緩やかなリズム。
もたれかかっている躰は、羽のように軽い。
規則正しく動く胸。その奥からは、鼓動だって伝わってきそうだった。
躰と躰が触れ合っているところが、溶けそうなまでに熱い。
「ん……」
完全に寝入っている綾波が、かすかに身じろぎをした。二度、三度と頭の位置を直すように動いた。そして、ふたたび安心したように動かなくなる。安心したように、というのは、そう思いたかったのかもしれないけれど。
夕陽を浴びて、綾波の胸のあたりで、銀のペンダントが茜色に輝く。
窓の外を見ると、ものすごく大きくて、そして深い夕焼けが、ビルの合間から見えた。無機的なはずの街並みが、黄金色に輝いている。
それがまぶしすぎて、そっと目を細めた。
もう一度、綾波に視線を戻した。
綾波の胸に揺れるペンダント。それは、母さんの形見。
本当の意味で大切な品物は、これしかなかった。その他のものは、自分のものであっても、結局は代理のきくものなのだから。
そして、大切なものだからこそ、綾波に受け取ってほしかった。
少しだけ乱れている額にかかった髪を、そっとなでつける。
そのときに腕にかかった寝息がこそばゆくて、そして、ひどく熱を感じさせた。
雑踏に慣れていない綾波を、連れ回しすぎたかもしれない。
慣れていないのは、綾波だけじゃないけれど。
真珠のようになめらかな肌は、けれど、よく見れば隠しきれない傷を持っていた。
《零号機》の暴走。
千葉島での事件。
エヴァにかかわることが、綾波を苦しめている。
綾波には、できればエヴァには乗ってほしくないと思う。けれど、もし綾波がエヴァに乗らなくなったら、なんのつながりも残らないんじゃないだろうか。
矛盾した思いだった。
普段なら、考えることの無意味さに気づいていたはずだ。どちらがよいという結論を出しても、ネルフがそれを許すはずはない。
けれど、時間が過ぎるのを忘れて考え続けていた。
現実に意識を取り戻させたのは、人の声だった。
ずいぶんと早く時間が流れたな……そう思いながら、そっと綾波の肩に手をかけた。
「起きて、綾波。駅に着いたよ」
それは突然だった。
トウジの隣を歩いていたアスカが、口元に手を当てて不意にうずくまると、嘔吐した。ゲルマン民族との混血で白い肌は、夕焼けにも青ざめて見えた。
「惣流?」
トウジは一瞬絶句した。そして、アスカの背中をさする。
「どないしたんや?」
アスカは答える余裕もなく、二度、三度と押し寄せる苦痛の波に、胃の内容物を撒き散らした。
トウジは青ざめると、携帯電話に手を伸ばしかけた。
「救急車……」
が、胃液にまみれた手で、アスカはトウジの腕をつかんだ。
ものすごい握力だった。骨が折れそうなほどにきしむ。
「……だめ。……呼ばないで……」
「せやかて……」
「おね……がい」
真っ青の顔で、アスカはトウジに頼んだ。
トウジは逡巡した。が、結局その望みを受けることにした。
「わかった。けどな、放っておくわけにもいかんやろ」
「薬……」
アスカは鞄の中身を探った。そして、ビン入りの錠剤を取り出した。
それを飲み込もうとして、ふたたび嘔吐した。
「おい、惣流……」
アスカは歯を食いしばると、小さめのケースを取り出した。なかには注射器と薬品が入っていた。
注射器に薬を注入すると、強靱な意志の力で手のふるえを止め、素早く注射する。
そこで気を緩めたのか、注射器が地面に転がった。
アスカが落ち着いたのは、陽が落ちて、空が濃紺に移り変わったころだった。
トウジに連れてこられた公園のベンチで、いまだにくらくらする頭を抑えていると、ジュースを買いに行っていたトウジが戻ってきた。
「ほい」
アスカは紅茶の缶を受け取ると、それで胃液のいやな味の残る口の中をゆすいだ。
「もう大丈夫……みたいやな」
「ん……」
口の中から酸味が消えるまでうがいを繰り返して、それからアスカはようやく紅茶を飲んだ。
「迷惑かけたわね」
トウジの服に視線を向ける。むろん、ジャージではない。
そのトウジの服の数カ所に、アスカの吐瀉物がかかっていた。
「そないなこと、気にせんでもええわい」
トウジは笑いもせずにいった。
「それより、どうしたんや。病気とか、なのか?」
「病気……?」
トウジは深刻な顔でアスカの顔を見ていた。
「ちょっと、違うかな」
アスカはそこで唇を曲げた。
「悪阻って、知ってる?」
「……悪阻?」
トウジは絶句した。言葉が脳に浸みいるにつれて、表情が愕然としたものに変わる。
「妊娠……」
トウジの目から焦点が失われた。
その目の前で、アスカはぱたぱたと手を振ってみた。が、反応はない。
「鈴原……?」
トウジのときは凍りついたままだった。
アスカは予想以上の反応に表情を引きつらせた。
「あの……冗談、なんだけど……」
「……へ?」
「いや、だから、冗談……」
「惣流!」
トウジは絶叫した。
「ははは……。あんたがあんまりまじめな顔してるもんだから、つい……」
「ふん」
憮然とした表情でトウジは足を組んだ。
「性格悪いで、ほんま」
「そ?」
紅茶を一口飲んでから、
「悪かったわ」
ささやきにもならないその声は、トウジの耳には届かなかった。
いくぶん遅めの夕食を終えたころになって、惣流が帰ってきた。
律儀に、トウジは十二階まで送ってきたらしい。玄関から関西弁がきこえてきた。
「それじゃ、旦那によろしく伝えといてくれや」
トウジは惣流にそんなことをいった。
「なに馬鹿なこといってるのよ!」
怒った調子で惣流がいいかえした。なにか、ふたりにしかわからない冗談のやりとりなんだろうか。
だとすれば、少なくとも、デートは失敗じゃなかったってことだ。……たぶん。
もう二、三のやりとりのあと、扉が閉じた。
「お帰り、惣流」
リビングに入ってきた惣流に声をかけた。
「ん……」
トウジと話していたときとは違って、また、調子の狂った彼女に戻っていた。
「ミサトは?」
「まだ帰ってきてないよ」
「……そう」
ふうっと長いため息をついた。かなり気だるそうだった。
なにか、スポーツでもしてたのだろうか。そんな風に、トウジの考えたデートコースを推測してみる。
「ご飯は?」
「……いらない」
やっぱりデートは成功だったみたいだ。その割に、機嫌が戻っていないのが気にはなるけれど。
「あ、お茶いれてくれない?」
リクエストに応じるためにキッチンへ戻ろうとしたところで、居間の電話が鳴った。
「はい、葛城です」
深々とソファに座り込んでいる惣流のかわりに、綾波が受話器を取る。
ひとことふたこと間が空いて、
「わかりました」
そういって綾波は電話を切った。
「葛城三佐から。きょうは遅くなるそうよ」
「三次会、四次会まで出るつもりなのかな?」
そういうと、惣流が怒りだした。
「まさか、加持さんと一緒じゃないわよね」
「聞いてないわ」
綾波は素っ気ない。
「ミサトのやつ……!」
その惣流の声に首をすくめると、キッチンに逃げ込んだ。
明日の弁当の下ごしらえを終えたころになって、マンションの玄関が開いた。
ミサトさんだろう。
出迎えようと思ったけれど、手が放せなかった。けれど、ミサトさんはすぐにキッチンにやってきた。
「あら、シンちゃん。まだ起きてたの?」
「まだって、いつもとそう変わりませんよ」
「そう?」
ミサトさんは首をひねって時計を見た。つられて一緒に見る。
アナログの針は二時を示していた。確かに遅かった。道理で眠いはずだ。
視線を戻す。けれど、ミサトさんはぼんやりと時計の方を見ていた。
そして、気づいてしまった。
顔に血が上るのを自覚したけれど、いわないでおけば、もしかしたら明日の朝が修羅場になる。修羅場になるのは勝手だけれど、そのとばっちりを受けて、あげくに後始末までしなければならないのはごめんだった。
「……あの……ミサトさん……」
「なに?」
振り向いたミサトさんは微笑んだ。いつもとどこか違った気配のある、変に色っぽい笑み。それが予測を裏付けているように感じた。
「その……首筋……」
一瞬怪訝そうな顔をしたミサトさんは、すぐに気づいたみたいだった。
「……シンちゃんには刺激が強すぎたかしら」
鮮やかな赤い口紅を引いた唇が、見知らぬ誰かのもののように蠢いた。
「……惣流が、騒ぎます」
かろうじてそう答える。
「そう?」
ミサトさんの妙に艶っぽい笑みを見ながら決めた。
明日本部で加持さんにあったら、嫌みをいっておこう。
その一週間後。
ミーティングルームは重い沈黙に包まれていた。
無理もないだろう。米国のネルフ第二支部が消滅したとあっては。
さらには、すでに完成していたエヴァンゲリオン四号機が、この攻撃で消滅したのである。
巨大なディスプレイ上では、無意味に第二支部の消滅の様子が繰り返し表示されていた。
第二支部を突然巨大な影が覆い尽くしたかと思うと、その中に沈んでいくのである。
その後、凄まじい爆発とともに、周囲には巨大なクレーターが残ったのだ。
「ひどいわね」
ミサトはいわずもがなのことを口にした。
「エヴァ四号機ならびに半径八十九キロ以内の全建造物は消滅しました」
「数千人を道連れに、ね」
マヤの報告に、辛辣な言葉で応えてから、
「……原因は?」
青葉はファイルを見るふりをして答えた。確認など、とうに何度も繰り返している。
「タイムスケジュールから推測すれば、ちょうどドイツで修復したS2機関の実験中であったと推測されます」
S2機関とは、使徒のコアのことである。
そして、無限のエネルギーを生み出す永久機関でもある。
これをエヴァに搭載できれば、アンビリカルケーブルという束縛なしに、自由に作戦行動がとれるようになるはずだったのだ。
「せっかく直したS2機関も、パーか。夢は潰えたわね」
いささか皮肉になるのもやむを得ないだろう。
「ミサト、勘違いしてるわね」
リツコは冷静にマヤに指示を出した。
マヤはパネルを捜査した。そして、ネルフ支部消滅の映像が、きわめてゆっくりと再生される。
巨大な影が、すべてを飲み込んでいき、その直後、影が一瞬だけうねりを見せた。
そして、とてつもない爆発が引き起こされたのだ。
「これは事故ではないわ。使徒の攻撃よ」
「な……」
「データが残っていないから、確実に確認するわけにはいかないけれど、これはディラックの海でしょうね」
「なによ、それ」
リツコは友人の科学音痴を深く理解していたから、いい加減な説明で済ませることにした。
「いい加減にわかりやすくいえば、四次元ポケットね。影は別の宇宙へとつながっているゲート。そして、使徒本体でしょうね」
「あんな攻撃、対抗できるの?」
「手段はあるけれど、多分その必要はないわ。あの使徒、消滅しているもの」
リツコの合図で、影のうねりと爆発がもう一度、先ほどよりもさらにゆっくりと再生された。
「ATフィールドの反転でエヴァを自爆させたんでしょうね。使徒の構造は不明だけれど、体内に作る虚数空間には限界があった。そして、エヴァの自爆に耐えるだけの許容量もなかった。そんなところかしら」
「自爆なんて、誰が」
「パイロットでしょう」
冷静さを崩さないままリツコは答えた。
「フォースチルドレンなんて聞いてないわ」
「わたしも知らないわ……。ネルフも、一枚岩じゃないもの。ミサトだってわかってることでしょう?」
そこでリツコはゲンドウに視線を向けた。ゲンドウはそれに答えた。
「マルドゥックからの報告は入っていない」
「つまり、不明ですか……」
すべての活動可能なエヴァを所有する本部。その気になれば世界を滅ぼすことも可能だろう。
それを警戒するものがいたとしてもおかしくはない。
ミサトも理解してはいたが、それで腹立たしさがおさまるというものではない。
「まったく! 人類を救う気、あるのかしら」
ミサトは悪態をつくと、部下を連れて出ていった。
残ったのはゲンドウ、リツコ、冬月の三人となった。
それを待っていたかのように、リツコは、
「例のシステム、ゼーレは完成させたのでしょうか」
「おそらくな。赤木博士、こちらも早急に完成させたまえ」
SNOWです。
ふと思ったこと。
ゲンドウって、かわいそう……。
だって、テレビや漫画だとレイが迎えに来たのに、ここだと冬月ですぜ、冬月(爆)
レリエル。
この米国ネルフ第二支部の消滅事件は、S2機関の事故となっていましたが、レリエル戦は面白味に欠ける(主観ですが)のでこのように変更しました。
原作ではネルフ本部直上に来ながら、初号機を食べた以外、半日以上も待機して、ほとんどなんの攻撃もしなかった(本当になにしに来たんだろう)彼(?)ですが。
しかし、今回は三人称パートが多いですね。
シンジという視点からでは描ききれない以上、仕方がないといえば仕方のない面ではありますが……(嘆息)
ではまた。