TOP 】 / 【 めぞん 】 / [SNOW]の部屋 / NEXT

  《初号機》と綾波の《零号機》が同時に横に飛んだ。
  すでに機体は限度ぎりぎりまで酷使していて、なかば停止しかけている。無意味なところまでカスタマイズされているというか、必要以上にパワーのある《初号機》はともかく、テストタイプである《零号機》は、それで完全に停止した。
  当然だった。
  つい数日前の対《使徒》戦で、《零号機》と《初号機》は中破に追い込まれて、いまだに修理の終わっていない機体を、無理矢理戦わせているのだ。
「綾波?」
  照明の落ちたプラグのなかで、綾波は軽く頷いた。機体の負荷が限界に達しただけで、パイロットには別状がない。予測の範囲内だったけど、ほっとした。戦闘のさなかで気を抜くのも間抜けだけど、どのみち《初号機》だけでは今回の作戦では役に立たない。
  紫と黄色の《エヴァ》のあいだを、真紅の疾風が駆け抜けた。
  惣流の弐号機だ。
  両手にプログレッシヴソードと呼ばれる、プログナイフと同じ原理で動いている長剣を持っている。
  回線からは、惣流の雄叫びが伝わってきた。
  数日前にこの《使徒》とはじめて交戦したときは、その特性がわからず、《初号機》、《零号機》が中破、《弐号機》まで小破という華々しい戦果を挙げる羽目になった。それで、ネルフと仲の悪いUN(よく思うことだけれど、人類を守る組織じゃないのかな、ネルフや国連って)によるN2爆雷の集中投下で構成物質の四分の一を消却して足止めをした。
  ネルフだって馬鹿じゃない。だから、《使徒》の解析はできていて、弱点と対策も立案された。
  最初の予定では、《弐号機》を完璧な状態にして、惣流がひとりで戦うという作戦だった。そして、分離を行う《使徒》二体の代わりに、シュミレーターの相手を綾波とふたり(それぞれ甲、乙として)で勤めた。けれど、そこでわかったのは、完動状態の《弐号機》でも、《使徒》の相手を一体でするのは不可能ということだった。それで、《初号機》と《零号機》をとりあえず動く状態にして、惣流の攻撃チャンスを作るようにおとりとなる作戦に変更になった。
  そして、いま目の前で、《使徒》のコアにプログソードが突き立てられた。
  わずかな隙を見逃さずに効果的な一撃をくわえる。惣流の戦闘センスはさすがだった。 天才というだけのことはある。
  彼女がこの第3新東京市にやってきてからの《使徒》は、すべて彼女が処理していた。これで彼女の屠った《使徒》は四体目だった。
  《使徒》が爆発を起こした。
  発令所からは歓声が聞こえる。
  爆発でできたクレーターの中心では、《弐号機》が剣をさげてたたずんでいる。
「惣流?」
  いつもならまっさきに歓声を上げて大騒ぎする惣流が、きょうはやけに静かだった。どうしたんだろう?
「どこか損傷でもあったの?」
  映像は《弐号機》側でカットされていて、《SOUND ONLY》という表示だけが映っている。普段はお姉さん風を吹かせながらも、喜怒哀楽が激しく大騒ぎする。なのに、きょうは珍しく黙りこくっている。
《アスカ?》
  さすがに気になったのか、発令所からミサトさんも問いかけた。
《……なんでもない》
  普段の彼女にはない静かな返事が返ってきた。
  ほんとうにどうしたんだろう?


NEON GENESIS EVANGELION ANOTHER STORY
砂の果実
EPISODE:6(A)
Textures

「碇君」
  中学校の教室で、ケンスケとトウジのふたりの、どうでもよい話を聞き流していると、洞木さんが近寄ってきた。
  トウジに呼びかけることはときどきあるけれど、めずらしくきょうは違った。
「なに?」
  洞木さんはDVDのケースを二枚差し出した。
  テレビで見かけた気がしないでもない名前が書いてあった。
「これ、アスカに渡してくれない?」
  ネルフの技術部で働いている惣流にとって、ほとんど唯一といっていい同世代の友人が、洞木さんだった。
  いや、同世代という枠組みをはずしても、ひとりしかいないのかもしれない。
  惣流には、人を寄せつけない壁のようなものがあった。
「頼まれてたんだけど、部活、忙しくって……」
「あ、うん」
  受け取ったケースをトウジがのぞき込んだ。
「はあ、惣流やいいんちょって、こんなん聞いとるんかあ」
  《こんなん》呼ばわりしているということは、トウジも聞いたということなんだろうか? それとも、単に知っているだけなんだろうか?
  洞木さんはむきになっていう。
「いいじゃない、別に」
「そら、ま、せやな。いいんちょがなにしようと、わいのしったことやないわな」
  トウジはそういって大あくびをした。
  そのトウジを見て、ケンスケが少し困った表情を浮かべた。視線を向けてくるけれど、なにかを期待されても、困る。
「そ、そうよ! 関係ないわよ!」
  洞木さんは一瞬いいよどんで、それからさらにむきになった。
「ほな、それでええやないか」
  トウジはつまらなさそうに耳の穴に小指をつっこんでから、その指先をふっと吹いて立ち上がった。
「すまん、わい、小便」
  そういって出ていくトウジの黒いジャージの背中を、洞木さんは寂しそうに、そしていらだたしそうに見送った。それから、自分の席に戻っていった。
  ケンスケが回していた鉛筆が床に落ちて、それど張りつめた雰囲気がとけた。
  どちらからともなくため息をついた。
「世はすべてこともなし……か?」
  あんまり平和じゃない。


  模擬体経由のシンクロテスト、そしてそのあとの格闘練習などを終えて、自販機コーナーでひとりコーヒーを飲んでいると、廊下から加持さんと青葉さんが歩いてきた。
「それじゃあ」
  青葉さんは仕事の最中だったみたいで、そのまま発令所の方へ歩いていった。仕事の関係なのか、単に気が合うのか知らないけれど、このふたりが並んで歩いている光景というのは、結構見ている気がする。
  加持さんの方は自販機の前に立って、財布をとりだした。なんか、いつも本部内を手ぶらで歩いているけれど、仕事はないのだろうか。
  ジュースを買って、加持さんは隣りに腰を下ろした。
「よっ、シンジ君。調子はどうだい?」
  人好きのする微笑を浮かべる。
「普段通り、ですね」
  肩をすくめてからつけ加える。
「……良くも悪くもないですよ」
「そうか」
  プルを起こすと、加持さんは一口飲んで、「甘いな」といった。
「調子が悪いのは、惣流です」
  加持さんは、ジュースを飲もうとした挙動を止めて片方の眉をつり上げた。
  目で先をうながす。
「この前の《使徒》が来たときからですね……」
「だろうな」
  ソファーの背にもたれかかって、加持さんは天井に視線を向けた。
「予測できたことだ」
「そうですか」
  空になった紙コップを握りつぶした。そして立ち上がる。
「なら、どうして放っておくんですか」
「自分で立ち直ることも必要さ。とくにこれからのことを考えるとな」
  加持さんはそこで一瞬だけまじめな顔を浮かべた。
「アスカは、自分で立ち直れなきゃいけないんだよ」
「……いけない?」
  正論のはずなのに、どこかニュアンスが違ってきこえた。
  けれど……。
「そりゃ、アスカも十六だからな。いい加減大人の女になってもいいころだろ?」
  すでに表情を崩した加持さんはにへらっと笑った。
「誰かにすがって生きたって、そんなのは自分の人生じゃないからな。そうは思わないかい、碇シンジ君」


「いやあ、平和だねえ」
  員数外その一が、ひどくのんびりとした口調で、カメラを回しながらぼやいた。
「うーん、平和だねえ」
  員数外その二としては、こう応じるしかない、と思う。
  目の前では、惣流とトウジが接戦を繰り広げていた。
  ……いや、いちおう四人で勝負という形式になっているんだけど、実際にトップ争いに加わっているのは、トウジと惣流のふたりだけだった。
「ほら、シンジの番やで!」
  勝利を目前にして、トウジの声はいささか弾んでいた。
「あ、うん」
  仕方なく立ち上がる。
  なにをしているのかといえば、ボーリングだ。
  ことの発端は、二週間前の日曜日。すなわち、《使徒》襲来の直前。
  年末・年始の休業の終わりに、トウジとケンスケがマンションまでわざわざ遊びに来たとき、トウジと惣流の口げんかから、いつの間にかボーリングで勝負をすることになってしまっていた。商品は、惣流との一日デート権だそうな。いったい、どんなやりとりがあったんだろう。
「別に要らないよ」
「大丈夫」
  惣流はミサトさんに似た、自信過剰な(惣流には確かな実力があるが、自信はそれ以上にある)笑みを浮かべると、
「わたしに勝てるとは思わないでしょ」
  それは確かに思わない。
  トウジは違うんだろうか。
  面倒を引き起こした当人は。
「しっかりせんかい!」
「ははは……」
  二回にわたる溝掃除を終え、ケンスケの横にふたたび座った。
  入れ替わりに、ケンスケが立ち上がった。
  こっちは、多少マシ。一投目で七本倒した。
  まあ、なんにしても、惣流とトウジには及ばないけれど。
  現状では、トウジがわずかながらにリードしていた。惣流の普段の能力を考えるならば、奇跡に近い勝利だ。
  その原因は明白だ。惣流の調子が悪すぎる。この前《使徒》を撃退したころから様子がおかしかった。まったく理由がわからない。
  作戦は成功して、惣流が撃墜数をひとつのばした。
  そのどこに問題があるんだろう。
  どこかぼんやりとしているような、もどかしそうな、いらいらしたような、惣流の横顔。
  なにかあったのかな?


  その電子メールの内容は簡潔だった。
  明日の日付と時間、そして場所が記されているだけだった。
  名前も、それ以外の文面も記されていなかったが、発信元を見なくても、差出人のことはよくわかっていた。
  内容は大したものではない。
  単にデートのお誘いというだけのものだ。
  微笑する。
  そして、年甲斐もなくはしゃいでいるのかと、自分でも思わずあきれた。が、それを楽しんでいることにも気づいていた。
  思春期の子供のような、熱っぽいだけの恋愛もどきとは違い、肌を重ね合うことで互いを確かめる、そんな欲望。
  いや、より求めているのは、自分の方だろうか?
  そう思い、ふたたび微笑みを浮かべた。そんな様子を見て、部下が訝しむような表情で見ている。
  なんでもないと答えて、まじめな顔を意識的に作った。
  承諾の返事をただひとこと載せて、メールを送り返す。
  その瞬間、確かに幸せだった。


  トウジ、ケンスケと別れて、マンションへ歩く。
「どうしたの?」
  綾波と同じくらいに白い肌が、夕陽に赤く染まっている。普段は勝ち気な、あるいは高慢な瞳は、ただ前を向いているだけで、感情を表に出していない。
「……なにが?」
  面倒くさそうに惣流が答えた。
「トウジに負けるなんて、珍しいなって……」
「そう」
  惣流は大した反応も示さずに、前を見て歩き続けている。
  やっぱりおかしい。
  静かなのは嬉しいけれど、この調子でエヴァの操縦まで消極的になられても困る。
  やっぱり、ミサトさんに相談した方がいいのかな、と考えた。
  前の《使徒》の撃退に最初は失敗して、UNによるN2爆雷の集中投下で足止めをしたあとは、苦情や抗議の対応に時間を割かざるを得なかったらしいけれど、いまはそうじゃない。
  きっと、なにか対策を練るだろう。
  マンションに着くと、惣流は早々に自室に引きこもった。
  手伝いなど期待していないから、それを無視して冷蔵庫を調べる。
  ミサトさんとふたりで暮らしていたころと変わらず、食事当番を一手に引き受けているからだ。同居人たちは、この手のことがいっさいできなかった。あるいは、する意志がなかった。
「エビフライ、かな……。それにコロッケでもつけて……」
  メニューを決めて、冷凍庫からエビを出すと、
「ただいまぁ」
  残った同居人の帰還のようだった。やたらと機嫌のよい声だけれど、これはいまに始まったことじゃなかった。
「お帰りなさい」
  出迎える。
  ミサトさんは、またビールを抱えていた。もはや、ミサトさんと酒の関係に対してあきれるとか驚くとかいう反応は示しようがないので、これは無視する。
  そして、その横に立つ人影。
  彼女に微笑みかける。
「お帰り、綾波」
「……ただいま」
  銀色の髪の少女がぎこちなく挨拶を返してくれた。
「あ、ぼくが持つよ」
  ミサトさんが持たせた(としか考えられない)ビールを受け取り、キッチンに戻る。
「わたしのも持ってよ、シンちゃん」
  持ちませんよ。
  冷蔵庫の前にとりあえずおいておくと、
「きょうのおかずはなに?」
  そういいながら、ミサトさんはひょいとキッチンをのぞいて、
「エビフライかぁ」
  そうですよ。ミサトさんには作れないものですよ。
  気づくと、綾波が制服の上からエプロンをつけて戻って来た。
  この、エプロンをつけた姿が好きだった。家庭的な雰囲気が母さんを思い起こさせるからかもしれない。
  綾波だけだよ。まともに家事を手伝ってくれるのは。そんなことを思っていると、口が滑っていたのか、ミサトさんが、
「わたしも手伝うわよ」
  要りません。


「ところでさあ、ミサト」
  無口にエビフライを口に放り込んでいた惣流が、麦茶を飲んでから思い出したように向かいに座っているミサトさんにいった。
「なあに?」
「昔ドイツでつけてた、ラベンダーの香水ってまだ持ってる?」
「持ってるわよ」
  訝しむような顔つきで、ミサトさんは頷いた。
「明日さあ、デートなのよねえ」
  ということは、トウジとのデートに、わざわざ香水までつけて行くつもりなのか。
  思わず感心した。
  惣流がそこまでまじめにトウジにつきあうとは思わなかった。
  逆に、トウジの方が多少気になった。まさかジャージで来ることはないだろうが……
「へえ、シンちゃんと?」
  変ににやけた笑いを張りつかせて、ミサトさんは惣流の顔をのぞき込んだ。そのくせ、ときおり視線は綾波の方を窺っている。
「そんなわけないでしょ」
「そうですよ。明日は用事があるんですから」
「あら、レイとデートだったとか?」
  どうしてもミサトさんは話をそっちの方向に持っていきたいらしい。
  その歪んだとしかいいようのない願望をうち砕いてあげることにした。
「違います。明日は墓参りです」
  デート相手を教えるという選択肢もあったけれど、トウジ、ケンスケたちほどじゃないにせよ、ときどきマンションに来る洞木さんのために、ここは伏せておくことにする。
「墓参り? 誰の?」
「母さんの、ですよ。命日ですから」
「……ごめん」
  ミサトさんは少し鼻白んだ顔つきになった。そして、その場を取り繕うように、
「で、アスカのデート相手って誰?」
  そういって、技術部のメンバーの名前をいくつか挙げた。そのなかには、どう考えても三十をすぎている人の名前もあった。ロリコンという言葉が一瞬浮かんだけれど、口にするのはやめておく。
「ブー! 全部はずれ」
  惣流は笑い顔を作ってみせた。
「ほんとは加持さんとデートしたかったんだけどな」
  ミサトさんはしかめっ面を浮かべた。
「明日は出張なんだって。つまんない……」
「やめときなさいよ、加持なんて」
  ミサトさんは吐き捨てるようにいった。
「あとで後悔するわよ」
「わたしはミサトじゃない」
「あら、そう……?」
  これ以上このやりとりを聞き続けると、食事がまずくなりそうなので、別の話題を放り込んでみた。
「明日は、ミサトさんは友だちの結婚式でしたよね?」
  惣流は辛辣な言葉を口にした。
「ミサトの結婚式に出られるのはいつかしらね」
  だから、喧嘩はやめてほしい……。
「三十路を前にして、どいつもこいつも急ぎやがって。どうせ相手はろくな男じゃないわよ」
  友人の結婚に対して、ずいぶんなことをいう。 先月に三十になってしまったミサトさんにとって、たとえ友人のものといっても、結婚式っておもしろくないものなんだろう。話題を間違えたな……。
「何やっかんでいるんですか。せめてブーケぐらい奪い取ってきてくださいね」
  とりあえず、激励してみる。
「は! ミサトなら力ずくでやりかねないわね」
  惣流が妙にミサトさんに絡む。まるで普段の自分を演じているみたいだった。それとも、本当に調子を取り戻したのか……。
「誰がよ!」
  機嫌を悪くしたミサトさんをしり目に、綾波が口を開いた。
「碇君……。ブーケを取るって、何のこと?」
「ファースト、そんなことも知らないの?」
  惣流はテーブルに身を乗り出して、
「結婚式ではね、花嫁がブーケを投げる風習があるの」
「それを手にした人が、次に結婚できるっていう迷信……かな? があるんだよ」
  綾波はさらに首を傾げた。
「どうして結婚したいの?」
「そりゃあ……好きな人のそばにいたいから、じゃないかな……」
  結婚なんてしたことがないから、言葉がどうしても曖昧になる。
「碇君は、結婚したいの?」
  綾波は、たぶん本人にとっては素朴な疑問を投げかけた。
「え……あ、いや、その……」
「ほほう、シンちゃん、もう結婚相手にあてがあるわけ」
「え?」
  綾波の問いを故意に歪めて、ミサトさんはからかうような笑みを浮かべる。
「それとも、絶対に嫌、とか」
「そ、そんなこと……」
「そんなこと?」
  ミサトさんに抗おうとしたけれど、綺麗なルビー色の瞳に口を閉じた。
  そして、別の言葉を口にした。
「ミサトさんには関係ないでしょ!」
「ほほう……」
「それはそうと」
  惣流はさりげなく話を戻した。
「香水、貸してね!」
「ダメよ。子供の使うもんじゃないわ」
「けちぃ」
  口をとがらせた惣流を見て、ミサトさんは笑った。そのすべてが演技だとも知らずに。


  翌朝、マンションはちょっとした騒がしさに支配された。
  その原因は、寝坊したミサトさんだ。
  どたどたと走り回っているミサトさんをしり目に、綾波、惣流とゆったりとした朝食をとる。
  綾波はいうに及ばず、惣流もだまったままトーストを口に押し込んでいた。
「惣流、きょうの夕食は要る?」
「……あのバカ次第。五十点つけられるくらいのデートプランを考えてきてたら、つきあう」
  トウジが惣流を満足させるデート? それは……無理のような気がする。
「そう……。じゃあ、ゆっくりしてきなよ。夕飯は作らないからね」
  惣流はそれに答えず、黙ってコーヒーを飲み干して立ち上がった。その服を見て思った。
  ときどき加持さんとデートするときと、少なくとも服装に対する気合いの入れ方が同じくらいだった。
  意外だった。
  《五十点つけられるくらいのデートプランを考えてきてたら》という以上、自分もまじめに準備するということなのか、それとも惣流が律儀なのか。それはわからない。
  とにかく、ただ意外だった。
「惣流……」
「なに?」
  この一週間、珍しくなくなってきた、感情のない声が返ってきた。
  それを聞いて迷う。
  惣流は振り向かない。
「……いい。なんでもない」
「そう」
  そのまま惣流は自分の部屋に消えた。
  問いただしたかったのは、洞木さんのことだった。
  洞木さんがトウジに対して恋愛感情を抱いているのはわかっていた。気づいていないのは、たぶんトウジ本人くらいだろう。
  惣流だってそれはわかっているはずだ。
  だったら、どうしてなんだろう。
  そこまで考えたときに、ふっと自嘲した。
  他人のことを思いやるなんて、自分らしくない。しかも、ただのクラスメートでしかない洞木さんのことで悩むなんて、ばかげてる。
「綾波はきょう、どうするの?」
  注意を現実に戻して訊ねてみた。別に墓参りに誘うつもりはなかったけれど……
「きょうは、本部まで呼ばれているわ」
  またかと思う。
  綾波はどういう理由でか、本部に召喚されることが多い。通常の訓練以外にもという意味だ。
  零号機の性能のせいか、綾波のシンクロ率をはじめとした戦闘能力はさほど高くない。それを補うなにか特別な訓練なのかとも思ったけれど、どうもそうではないらしい。ミサトさんや赤木博士はいわないけれど、綾波と話していると、なんとなくわかる。あまり触れてほしくないような雰囲気があるから、問いただしたりはしないけれど。
「そう……」


  ちょうど、マンションを出る時間はミサトさんと同じになった。
  とっくに惣流と綾波は出ていってしまっている。遅くなったのは、皿洗いや洗濯をしていたからだ。
  いつもなら綾波が手伝ってくれるのだけれど、本部に行かなくてはならなかったから、きょうはひとりでやる羽目になった。慣れてはいるけれど、寂しい。
「シンジ君、きょうはひとりなの?」
  エレベーターに乗って、ミサトさんは一階のボタンを押してから訊ねた。
「そうです」
「そう……」
  ミサトさんは迷ったような表情で天井をにらみつけた。
  階の表示が十に変わった。
「シンジ君……わたし、セカンドインパクトのとき、南極……古い、昔の、よ……にいたの」
「旧南極に?」
  セカンドインパクト。
  教科書や歴史書には、大質量隕石の、旧南極大陸への落下によって起こされた未曾有の大災害と記されている。事実はより深刻で、南極に存在した《使徒》の覚醒が原因だった。だいたい、隕石の落下で地球の自転軸が移動するなどと本気で考えている人間がいるんだろうか。
「葛城調査隊って知ってる? 葛城博士って、わたしの父なのよ」
「よく……生きていましたね」
  ネルフに入り、チルドレンという資格を得て、多少はセカンドインパクトについて知ることができた。
  だから、セカンドインパクトの発生したところが、葛城調査隊のキャンプのすぐそばだったことも知っている。そして、旧南極が現在は死の世界になっていることも。ゴキブリだって住めはしない。
「父が助けてくれたの」
  閉ざされた扉をにらみつけたまま、ミサトさんは語り続けた。
「わたしは父を憎んでいたわ。父は、自分の研究に逃避することで、家庭、母やわたしから逃げ出している、弱くてずるい臆病者だった。母が父と離婚することを決めたとき、わたしはすぐに賛成したわ。泣いているだけのあの人を見ているのはつらかったから……」
  いつものようなからかう表情じゃなかった。ミサトさんの横顔は、厳しかった。
「南極まで行ったのも、父に離婚の書類に早く印を押させるため、ただそれだけだったの。《わたしはお父さんのことが嫌い》。そうもいってやったわ。けれど、父はそんなわたしを助けたわ。自分の身を犠牲にしてまで……」
  そういって、ミサトさんは胸に揺れる十字架のペンダントを握りしめた。
  むせ返るほど濃厚なラベンダーの香りが充満する密室で、思わず嗤った。
「だから、ぼくに司令と仲直りしろっていうんですか? 自分が後悔したから?」
  冗談じゃない。
「司令は、単なる、他人です」
  強調するように、言葉をひとつずつ区切っていう。
「母さんが夫に選んだ人。そしてぼくの遺伝子上の父親。ただそれだけです」
  それからつけ加えた。
「世のなかには、自分の子供を殺す親だっているんですよ。そして、その逆だって」


  マンションの外に出たところで、路上に停まっていた没個性的な国産車のドアが開いて、赤木博士が姿を見せた。
  実にわざとらしく腕時計をのぞき込むと、「十五分の遅刻ね」と皮肉をいった。
  十五分もここで待っていたんだろうか? 上まで呼びに来ればいいのに。
  同じことを思ったのか、ミサトさんがそういい返した。が、赤木博士は冷たく答えた。
「わざわざ? せかしたところで急ぐわけでもないでしょ、ミサトは。だったら無駄なことはしない方がいいわ」
「そうかしら?」
  ミサトさんは鼻白んだ。
「昔からそうでしょ」
  それから赤木博士は視線をこちらに移した。
「シンジ君もお出かけ? ……ああ、そうだったわね」
  赤木博士は口元を嘲るようにゆがめた。
「きょうは、碇ユイ博士の誕生日だったわね」
「……命日です」
  赤木博士の言葉に込められた感情は悪意だろう。ただ、その赴く先がわからなかった。
「あら、ごめんなさい」
  赤木博士は微笑した。なにか、背筋に寒いものが走るような笑みだった。さっさとその場を離れたかったのに、赤木博士は言葉を続けた。
「レイはさすがに一緒じゃないのね」
「……どういうことですか? 綾波なら、本部に行きましたけど」
「そうなの?」
  赤木博士は整えた細い眉を軽くつり上げてみせた。そして、わざとらしくつぶやいた。
「きょうは訓練はないはずなのにねえ……」
  どういうことなんだろう。
  訓練がないのなら、綾波はどうして本部なんかにいったんだろう。
  ふと、この場にはいない人間の顔が脳裏をかすめた。その不愉快さに顔がこわばったのがわかった。そして、胸中で渦巻く、意外なまでにどす黒い感情に驚かされた。
「……リツコ、そんなにのんきに話している時間があるの?」
  ミサトさんが訊ねると、ふたたび赤木博士は腕時計をのぞき込んだ。
「そろそろ出た方がいいわね」
  ミサトさんは助手席に滑り込んだ。
  赤木博士は楽しそうな笑みを浮かべたままいった。
「駅まで送りましょうか?」
「いえ、よりたいところがありますから……」
  赤木博士の申し出を丁重に断って歩き出した。
  一刻も早くこの場を離れたかった。


NEXT
ver.-1.00 1998+09/24 公開
感想・質問・誤字情報などは こちらまで!
あとがき

  SNOWです。

  シンジがアスカを呼ぶ呼び方について。
  原作では周知の通り『アスカ』でした。貞本版において(四巻のみチェック)は、アスカサイドからは『シンジ』『碇君』がありましたが、シンジ側からはすべて『惣流』でした(たぶん)。
  テレビ版において、どのようないきさつで『アスカ』と呼ぶようになったのかは不明(記憶にないですし、ビデオやLDもありません。ついでにいえばデッキも持っていないです(苦笑))ですが、おそらく、アスカがそういわせたのでしょう(シンジが自分からいい出すとは思えません)。

# ところで、そもそもドイツって知り合ってすぐにファーストネームで呼び合う文化でしたっけ?

  『砂の果実』においては、とりあえずそのような申し出をする関係にはないと思い、『惣流』と呼ばせることにしました。
  違和感がある方が多いとは思いますが、ご了承ください。

  感想のメールなどはこちらまで。ただし、(少なくともわたしの使っているメーラでは)意味がないので html メールはご遠慮ください(EPISODE:1 に書くべきでしたね)。

  ではまた。




 SNOWさんの『砂の果実』EPISODE:6 A-part、公開です。





 リツコさんが・・・クールビーチー(^^)

 っていうか、

 みんな厳しめだね。


 シリアスで、
 ハードで、

 そんな世界で、

 だからやっぱり
 人も
 駆け引きも、

 そうだよね。



 厳しい空気が流れているっ




 さあ、訪問者の皆さん。
 感想を送りましょう! SNOWさんへ! ぜひぜひ!!




TOP 】 / 【 めぞん 】 / [SNOW]の部屋