TOP 】 / 【 めぞん 】 / [SNOW]の部屋 / NEXT

  あまりに疲れていて、目を開けているのもおっくうだったけど、マンションにつくまではと必死で眠気と戦っていた。
  全身の痣やらけがやらが、すごく痛い。
  エヴァで戦うときのための格闘技の訓練ってことなんだけど、喧嘩なんてものも滅多にしない、そして、スポーツも嫌いな人間にとっては、それこそ必死の授業だった。
  担当教官も、これほどに鈍い人間はいないとあきれてるだろうなと思う。
  いま《使徒》が来たら、間違いなく人類は滅ぶだろう。
  それとも、薬漬けにでもされるのかな……。
「……ちゃん、シンちゃん?」
  運転席のミサトさんが、何度か名前を連呼しているのにようやく気づいた。
「はい……」
「きょうはコンビニ弁当にしましょ」
  そういえば、今晩の食事当番は……。
「すみません」
「いーのよ」
  優しく微笑んで、ミサトさんはギアをひとつおとした。
  緩やかに速度を落として、コンビニの前に車をつける。
  降りようとするのを制して、
「わたしが買ってくるから、シンちゃんは待ってて」
「……お願いします」
  受け答えもどこか夢の世界のできごとのように感じられる……。
  ミサトさんのモデルみたいな後ろ姿を見送りながら、意識は闇に閉ざされていった……。


NEON GENESIS EVANGELION ANOTHER STORY
砂の果実
EPISODE:3
Everyday Life

「よう、碇」
  朝のホームルーム待ちの時間に自分の席で倒れ伏していると、ケンスケが近寄ってきてばちんと背中をたたいた。
  声にならない痛みが、全身を駆け抜けた。
  涙をにじませながら苦悶していると、トウジがとまどったように見つめていた。
「どうしたんや、シンジ」
  机にしがみついて痛みをこらえながら、
「いや、格闘技を習ってるんだけど……」
  嘘じゃない。
「さんざっぱら投げられたか殴られるかしたってわけだな」
  納得したようにケンスケがあとを継いだ。
「きょうが土曜日でよかったのう」
  トウジもなるほどというように頷くと、自分の席に腰を下ろした。
  なんで格闘技なんかを習っているのか詮索しない。そういう一線を引いたところがあるから、表層だけでも友人づきあいができるんだと思う。
  そうでなければ、絶対に近寄らない。
  ケンスケいわく、
「誰にでも隠したいこと……悩みとかはあるし、それを無理に聞き出すのが友人だと錯覚するようなやつは、単に下世話なだけ」
  なんだそうだ。
  ウェットな人間関係が嫌いな人間にとっては、これほど気楽につきあえる人間もいない。
「ま、せやかて相談に乗らんっちゅうわけでもない。大したことはでけへんでも、ひとに話すだけで気が軽なるっちゅうこともあるし、ま、そんときはわいらにまかせい」
  そういっていたトウジは、菓子パンの袋をひとつ取り出しながら、ふと思い出したように、
「そういや、綾波のけがは長引いとるんか」
  千葉に《使徒》が出没したことは、このふたりも目撃している。いい加減な戦自の行動のために、結局見つかることなく逃げ帰ったらしい。
  綾波は、このときの騒ぎで怪我をして入院したことになっていた。
  これも嘘じゃない。
「もうすぐ退院できるみたいだよ」
  これは本当。
  きのう、訓練の前に見舞いに行ったときに、看護婦さんが教えてくれた。
「そうなの?」
  なぜか近くにいたクラス委員長の洞木さんが口を挟んできた。
  別に席が近いわけでもないのに、気づくとそばにいて話に割り込んでくる。
  なんでだろ?
  最初は不思議でしょうがなかったけど、最近わかってきた。
「お見舞い、いけなかったわね……」
「はあっ!?」
  トウジが奇声を上げた。
「いいんちょと綾波って仲よかったんかいな」
「そういうわけじゃないけど、クラス委員長として、やっぱりお見舞いに行かなきゃ……」
「クラス委員長として、クラスメートの妹が入院したお見舞いにいった立場としては、行かなきゃまずいよねえ」
  少しちゃかすような口調でケンスケがいった。
  そう。
  トウジの妹は、理由は知らないけど入院しているそうだ。
  訊かなかったし、トウジもいわなかったから理由は知らない。
  それで、なぜか洞木さんは見舞いにいったらしい。
「そ、そういうわけじゃ…」
  そばかすの浮いた頬が少し赤くなった。
  それをトウジが怪訝そうに見て、
「いいんちょって仕事も大変やのう」
  だめだ、こりゃ。
  ケンスケと一緒にため息をつくと、トウジは訝しげな顔のまま、
「なんや、その、クイタンのみで親を流されたような、よじれきった顔は」
  トウジとケンスケはときどきふたりで麻雀をうっているそうだ。しかも、男同士で脱衣……。
  ……想像してしまった。
「気持ち悪い……」


《シンクロ率、65.3%で安定しています》
  マヤさんがディスプレイに表示されたデータを読み上げた。
《低いわね……》
  赤木博士がずいぶんなことをいう。
  千葉で使徒と戦う前は、60%を少し越えるくらいだったはず。文句を言われる数字じゃないと思うけど……。
《そうですね》
  マヤさんまで同意しないでほしい。
《シンジ君》
  赤木博士はマイク越しに、
《いま、なにを考えてプラグに乗ってる?》
「いま、ですか?」
《実験が始まってからでいいわ》
  まさか、これから綾波の見舞いに行くことを考えてた、なんていえないよな……。
  嘘はつかない方がいいと思うし。
  ほかになにを考えてたっけ。
「きょうの夕食のメニューを考えてました」
《……ミサトの担当?》
  少し引いた声で赤木博士がいう。
「ぼくが作るんですけど」
《ならいいわ》
  マイクの向こうで、ミサトさんが赤木博士になんか文句を言ってる。
《パイロットに倒れられたら困るわ》
  言い争っているふたりをほっといて、マヤさんに訊ねた。
「さっき、シンクロ率が低いっていってましたけど、落ちてるってことはないですよね」
《あ、うん。あ……そうじゃなくて、ね。この前、千葉で使徒と戦ったとき、シンクロ率が一瞬だけだけど、90%、越えてたの》
  知らなかった。
  いわれてみると、シンクロの副作用としてエヴァから伝わる痛みが、ほんのわずかな時間だけ鮮明になった記憶がある。
「綾波が乗っていたから、とか……」
  マヤさんがモニターの向こうでしかめっつらをした。
《もう、あんなことしちゃだめよ》
  声が怒っている。
《男女七歳にして席を同じくせずっていうでしょ》
  マヤさんって、いつの時代のひとなんだろ。
《でも、ありえるわね》
  ミサトさんをやりこめて、赤木博士が話に割り込んだ。
《シンジ君とレイのパーソナルデータ、確かに似ているわ。似すぎなくらいにね》
「似すぎって……。エヴァのパイロットって、同じパターンの人間を集めてるんじゃないんですか」
  よくわからないなりに訊ねてみる。
《そんなことないわ。セカンドチルドレンのシンクロパターンは、シンジ君とは全く違うわ》
「いま、ドイツにいるんですよね?」
  いつか、ミサトさんが教えてくれたことを思い出した。
《そうよぉ。かわいい子だから、シンちゃんもうれしいでしょ》
  つきあわなければいけない人の数が増える方がいやだ。
《有名人だから、楽しみにしてなさいね》
  ドイツ人なんて、ヒットラーくらいしか知らないけど……。
  ちょび髭の男がプラグスーツを着ている姿を想像して気分が悪くなった。
  なんか、きょうはいやなことばっかり考えてる……。


  消毒のにおいが鼻をついた。
  どう思い出しても、病院っていやな思い出しかない。
  毎日のように通ってきていても、独特の消毒の匂いは好きにはなれない。
「お見舞いか……」
  綾波が入院してから毎日通ってるから、もう廊下も歩き慣れてた。
  病室のある三階に来たところで、珍しく自分の足音以外のなにかを聞いた。
  プシュッ……。
  異様な静けさを保っている病院に、ドアを閉じるエアの音が響いた。
  音の方を見ると、綾波の部屋から、黒いネルフの制服に身を包んだ司令が出てくるところだった。
  司令は歩きながら携帯電話をとりだした。
  本当なら、病院内で携帯電話なんか使えないはずだけど、綾波しか入院してない以上、意味のない規則になっていた。
「……冬月、予定通り《オーバー・ザ・レインボー》はもう出港したのか。……そうか、ならいい」
  そんなことを話している横を通り過ぎる。
  司令の視線が一瞬こっちに向けられた気がしたけど、どうでもいいことだった。
  所詮、赤の他人だ。
  綾波の病室の前に来て、ドアをこんこんとノックした。
「綾波、入るよ」
  なかに聞こえるほどドアは薄くないけど、それでも一応声をかけてから入った。
  がらんとしたやけに広い病室に、ぽつねんとベッドがひとつ置いてある。周囲にはいくつかの精密機械があったけど、電源は入ってない。
  ベッドの上で横になっていた綾波が、視線を動かした。
「碇君……」
「やあ、綾波」
  微妙に綾波は口元を動かした。
  それだけだったけど、綾波が微笑んでるってわかる。
  そんなちょっとした反応が、たまらなく嬉しい。
「さっき先生に聞いたんだけど、明日の検診次第では退院できるかもしれないって」
「そう」
「よかったね」
「そうね……」
「それでさ……」
  視線を窓の方に彷徨わせながら、鞄から布で来るんだ包みを取り出す。
  綾波は怪訝そうにその包みに視線を向けた。
  それから、もう一度こっちを見た。
「その、えっと」
  綾波の視線のせいか、顔に血が上ってるのが自覚できた。
「えっと、いらないならいいんだけど、その、なにも思いつかなくって、先生もかまわないっていってたから、だから……」
  うろたえればうろたえるほど、言葉は支離滅裂になってく。
「あの、その」
  綾波の手がすっと伸びて、真っ赤になってる頬にふれた。
  ひんやりとした感触が気持ちいいな……
  ささやかな沈黙。
  そして、
「……風邪?」
「そうじゃなくって!」
  思わず声が大きくなって、綾波は頬から手を離した。
  あ、ちょっともったいないな……。
  ひとの思いも知らないで、綾波はもう一度いった。
「……インフルエンザ?」
  だから、ちがうってば。
  深呼吸して息を整える。
「えっと、お見舞い……。ほかにぼく、なにもできないから……その、お弁当作ってきたんだ。病院食だけだと、味気ないだろ」
「そう?」
  よくわからないといいたげに、綾波は弁当箱を凝視した。
「あ…いや、た、食べたくないなら、いいんだ」
  沈黙が病室を覆い包む。
  やっぱり、だめだったかな……。
  弁当箱をしまおうかなって思ったとき、綾波は布団の上の包みに静かに手を伸ばした。
「ありがとう、碇君……」


「はい。コーヒー、入りましたよ」
  夕食のあと、リビングでくつろいでテレビを眺めているミサトさんの前に、コーヒーカップをふたつ載せたお盆を置いた。
「ありがと」
  とくに話題があるわけじゃないけど、なんとなくいつもこうやってコーヒーを飲んでテレビを眺める時間をとる。
  最初はミサトさんから始めたことだった。
  こうすると家族みたいな気がするって、そういってぎこちなく微笑んでた。
  いまも、くつろいだ感じで寝そべって、テレビを眺めてる。
  ほんとにくつろいでるのか、それとも、家族を演じようとしているのか、それはわからない。
  それでも、緊張感のない和やかさに浸っていられるのは悪くない。
  そんなもの、いままで味わったこと、ないから。
  だから、演技でもつきあう。
  コーヒーをすすっていたミサトさんが、《どうしたの》って視線を向けた。
「……クッキー、食べますか?」
「食べる食べる」
  嬉しそうに目を細めて、差し出したクッキーに手を着けた。
  そのミサトさんの横で同じように寝そべっていたペンペンも、クッキーを一枚さらっていった。
  テレビでは、ニュースがひととおり終わって、特集コーナーに移っていた。もっとも、テレビらしい(あるいはマスコミらしい)陳腐な演出ばかりで、好きとは対局に位置してるコーナーだ。
  今夜の被害者は、惣流・アスカ・ラングレーという少女だった。
  十一歳でベルリン大学の工学部情報学科を卒業。続いて翌年には修士号を授与。さらにその次の年には、博士号も授与されている。冗談みたいな経歴を持っている天才少女。
  母親が日系ハーフで、なおかつアスカという日本名ということもあって、日本でもときおり特集が組まれるほどの有名人だ。現在、国連直属の研究機関に所属しているという。
  研究が忙しいのか、最近はインタビューにさえ応じなくなっていた。
  彼女の母親は、やはり生物学と情報工学に優れた研究者だったそうだ。だった、というのは、惣流アスカという少女が八歳のとき(大学へ入学が許された年でもある)自殺したためだ。 そんなことを、歪曲された事実と、そこから造り出した邪推とを、リポーターがわめいている。
  アスカという少女の過去を、くだらないワイドショーばりの、チープなお涙頂戴物の物語と三流のドラマ風に仕立て上げるマスメディアには反吐が出る。
  画像が過去(それも数年前)の使い回しと、本人がいない場所を遠くから写しただけのものというところが、このコーナーをさらに安っぽく、そして無様なものに見せていた。
  別に、人間に期待なんかしてないけど、 なんで他人のことをそんなに知りたがるんだろう。
  この疑問の答えを得ることはできないだろう。そう思う。
  答えてくれる人、答えられる人がいないという意味じゃなく、その答えに納得できないという意味で。
「アスカのこんな過去のことまで、根ほり葉ほり……」
  自分からテレビをつけたのに、ミサトさんはいやな顔をした。
  同感だったから、リモコンを拾った。
「チャンネル、変えましょうか」
「そうね」
  今度はへたくそなアイドルの歌が流れ出した。


  翌日の日曜日。
  訓練のあと、またジオフロントのネルフ直属病院に足を踏み入れていた。
  入り口のロビーにはいつもだれもおらず、寒々としている。
  最初に使徒が来たときには、一般の患者の受け入れもしたらしいけど、それから一月以上がすぎたいま、患者すべては民間病院に転送されたらしい。
  だから、いつも無人だ。
  綾波の病室に一番近いエレベーターに向かいかけて、ロビーのソファーに人が座っているのに気づいた。
  銀色の髪。
  白い肌。
  第壱中学の制服。
  間違いなく、綾波だった。
  そういえば、きょうか明日くらいには退院できるんだった。それがきょうになったってことだろう。
「綾波」
  ゆっくりと近寄って名前を呼んだ。
  綾波ははっとしたように振り返った。
「碇君……」
「やっぱり、きょう退院できたんだね」
  綾波は頷いた。
  でも、なんでこんなところにひとりで座ってたんだろう?
  やっぱり、疲れてるのかな……。
「いまから、帰る?」
「帰るわ」
「なら、送るよ」
  途中で倒れないように。
  こくんと綾波は頷いた。
「じゃ、行こう……」


  綾波が住んでいるのは、セカンドインパクトの前から残っている、第二次遷都計画の開発から取り残された地域だった。
  マンションまでは、最寄りの駅からずいぶんと歩かなきゃならなかった。
  その道のりを、綾波が疲れないようにゆっくりと歩く。
  旧世紀に建てられたマンション群を、どこかの建設業者が壊していく音が響いていた。それがうるさかったけど、誰にも出会わないのはいいところだった。
  ただ、本当にだれもいないというのが逆に気になる。
  治安は大丈夫なのかな……。
  気づくと一軒の、コンフォート17とは比べものにならないほど汚いマンションにたどり着いていた。
「……ここ、なんだね」
  綾波が教えてくれたマンションの名前と一致する。
「ええ」
  マンションを見上げるけど、どの部屋からも生活感ってものが感じられない。人の声も聞こえない。
  ただ、単調な機械音が、工事現場から響いてくるだけだ。
  綾波はマンションの方へ歩き出した。
  ちょっと迷ったけど、ドアの前までは送ることにした。
  通路も階段も、ほこりやらゴミやらが散らばってて、すごく汚い。壁にも、いつのものかわからないようなスプレーの落書きがあった。
  綾波はなんのためらいもなく、その中を歩いていく。そして、ひとつの部屋の前で立ち止まった。
  その402号室のプレートには、確かに綾波って書いてあった。
  ポストには、誰が押し込んでいくのか、ダイレクトメールが束になって放り込んであった。どれも、日にもせてぼろぼろになっている。ひょっとしたら、数年間押し込まれたままのものさえあるんじゃないか、そう思えるほどだった。
  周囲を見渡すと、どの部屋も同じ感じだった。
  綾波がちらりと振り返った。
「……あがってく?」
「え……あ、うん。そうしようかな……」
  そういってなかに入った。
「おじゃまします」
  靴を脱ごうとしたけど、綾波は部屋のなかに土足のままあがっていった。
  床を見ると、確かに泥まみれで汚い。
  靴を脱ぎたいとは思えなかった。だから、土足のまま綾波のあとに続いた。
  部屋のなかも汚かった。そして、以上にシンプルだった。
  病院のものと大差のないパイプベッド。小さめの、白い冷蔵庫。そして、その上にあるビーカーと錠剤の並べてあるトレイ。ベッドの脇の段ボール箱に押し込まれた、錆びついた赤のこびりついた包帯は、例の零号機の起動実験失敗のときのものだろう。
  綾波はビーカーをふたつ水道ですすぐと、冷蔵庫のなかからペットボトルを取り出して封を開いた。
  ミネラルウォーターをそそいだビーカーのひとつを、綾波が差し出した。
「あ、ありがと……」
  綾波はビーカーに口をつけて水を飲んだ。
  ビーカーがコップの替わり……。綾波って、どんな風に育てられたんだろう。
  家族は?
  そこで、綾波が自分は家族を知らないといってたことを思い出した。
  誰が保護者なんだろう。
  こんなところに放り出して平気なんだろうか。
  いや、平気な保護者はいるか……。
  自分のことを思い出して納得する。
  だからって、綾波がこのままでいいとは思うわけじゃないんだけど……。
  のどを流れるのは気持ちいい冷たさなのに、なぜかいがらっぽく感じた。


  作戦部長という立場なら、なにか知ってるかもしれない。
  綾波のことをミサトさんに相談してみたかったけど、夜勤だったから、そんな余裕はなかった。
  それで、結局なにも話せないまま、こうやって学校に来ているわけだ。
  一週間ぶりに綾波が学校へ来たわけだけど、とくになんの変化もない。クラス委員長の洞木さんがなにか話しかけてたみたいだけど、あきらめたようだった。
  開いたノートパソコンにゲームを立ち上げて、どうでもいい地理の授業を聞き流していると、授業中にもかかわらず携帯電話のコール音がなった。
  周囲の人間の迷惑そうなまなざしが突き刺さる。
  スイッチは切ったはずなのになと確認すると、ディスプレイの部分にネルフ本部へ来るようにと(コードが)表示されていた。
  肝心なときに連絡が取れないという不都合がないように、電源を切っておいても、非常召集のコールは必ず入るように回路が組み込んである携帯電話なのだ。
  ぼんやりと窓の外を見つめていたはずの綾波の携帯にも同じ連絡が入っているのか、もう立ち上がっていた。
  綾波は教壇の教師に見向きもせずに教室を出ていってしまった。 綾波らしい。
  それを追うことにする。
  クラスメートのざわめきなんて知ったことじゃなかった。
「待ってよ、綾波」
  すぐに追いついた。
「一緒に行こう」
  なにもいわなかったけど、綾波はこくりと頷いて、横に並んで歩き出した。
  靴を履き替えて学校を出ると、前から教えられていたところに、黒い威圧感のある大型車が二台止まっていた。なにもこんな目立つ車にしなくてもいいのにと思っていたら、なかの運転手と助手はさらに目立つ格好だった。
  黒いスーツにサングラス。脇の膨らみはきっと拳銃だろう。
  一台の後部座席に綾波とふたりではいると、諜報部かなにかのその人は、無言のまま車を発車させた。 もう一台も、護衛がてらにあとをついてくる。
  それから数分が過ぎた。
  けど、なぜか特別非常事態宣言が発令される気配はない。
  気は進まなかったけど、諜報部の人に訊ねることにした。
「詳しい説明は本部で」
  知らないのか、それとも教える気がないのか、それだけしか答えてくれない。
  結局、疑問は解消されないまま本部にたどり着いた。


  意外なことに、プラグスーツに着替えろともいわれずに作戦部のミーティングルームまで案内された。
  床に巨大なディスプレイを配置してある、わりと大きめの部屋だ。
  見回すと、作戦部の日向さんや、技術部の赤木博士やマヤさんまでいる。それぞれ緊張した面もちなのに、ミサトさんは端っこの方でのんきにコーヒーをすすっていた。
「どうなってるんだろ……」
「葛城一尉に聞いてみましょう」
  綾波も、赤木博士に自分から近寄る気はあまりないみたいだった。
  それとも、単に一番暇そうだったからかもしれない。
「ミサトさん、いったいどうしたんですか」
「そりゃ、《使徒》が出たのよ」
  《お墓にお化けが出ました》という口調でミサトさんはいった。やっぱりのんきなままだった。
「そのわりにはやけにくつろいでませんか」
「ミサトだけね」
  背後から赤木博士が皮肉をとばした。
「いいじゃない。どうせ仕事ないんだし、部下の分もくつろぐのが上司の仕事ってもんでしょ」
  離れた位置で仕事をしていた日向さんが、めがねの奥で情けない笑みを浮かべている。
  上司も教師も選べないからな……。
「それで、なにがあったんですか」
  ミサトさんはマグカップをテーブルの上に置いて、それから手元でなにか操作した。
  すると、ミーティングルームの床のディスプレイに世界地図が映った。
  東南アジア付近の海上にバツ印がつけられていた。
「そこにね、《使徒》と思われる反応が出たの」
「ちょっと遠すぎますね」
「そ」
  必ずしも、《使徒》がこの街に来るわけじゃないってことか。
「ここに来るまで無視しておくんですか?」
「さすがにそんなことはしないわよ」
  ミサトさんは別の映像を表示した。
  赤い四つ目の人型の姿が表示される。周りのものと比べて、やけに大きく見える。ひょっとして、これもエヴァ?
「ちょうど近くにね、《エヴァ弐号機》を輸送中の国連艦隊がいるの。それで、《使徒》は任せたってわけ。一応負けたときのことも考えて、シンちゃんとレイにも来てもらったのよ」
「そうですか」
  しばらく暇ってことか……。
「ここにいるんですか?」
「んー。どうしようかしら」
  ミサトさんは赤木博士の方を見た。
「本部内なら、しばらくはどこにいてもかまわないわ」
「そうね……」
  といわれても、本部内のどこで暇がつぶせるんっていうんだろう。
  娯楽施設なんて、あんまりなかったと思う。
「葛城一尉!」
  日向さんが大声を上げた。
「《オーバー・ザ・レインボー》から入電! 《弐号機》が《使徒》と交戦、これを撃破したそうです!」
  ミーティングルーム全体がどよめいた。
「も、もう? 早いわね……」
  いったい、なんのために学校を飛び出してきたんだろ?
「きょうはもういいわ。学校へ戻りなさい」
「えっと……」
  あんまり戻りたくないんだけどな……。 けど、
「わかりました」
  表情のない声で綾波は諒解すると、くるりと背を向けた。
「じゃ、ぼくも」
「あ、放課後、またよってね。《弐号機》の戦闘データが届くと思うから」


  授業中に教室に戻ることになったけど、四限の担当の英語の教師はなにもいわなかった。
  ネルフからどんな説明がされているのかはわからないけど、うまく言いくるめられているか、脅されるかしているんだろう。
  いまのところクラスメートのなかに、エヴァのパイロットじゃないかと疑ってる人間はいない(あるいはいたとしても口にはしない)けれど、非常事態宣言下で綾波とふたりでいなくなれば、そのうちわかるんだろう。それを思うと、きょうは《使徒》がこの街までこなくてよかった。
  いやなことを先のばしにしているだけなのかもしれないけど、そのときの反応が面倒なものに思えて、ちょっと憂鬱になる。
  電子的なチャイムが鳴って授業の終わりを告げた。
  直後、トウジとケンスケが近寄ってくると、カバンから弁当箱を取り出し、ひとの両脇を抱えて引きずりだした。
「な、なに?」
  なんか、拉致されてる……。
「鈴原!」
  洞木さんが叫んでるけど、トウジもケンスケも気づかないふりをした。
「いいの?」
「相手にしてみろ。授業を抜け出してどこへ行ってたのか、根ほり葉ほり聞かれるぞ」
「そうや。いいんちょは口うるさいからのう。シンジもそないなのはいややろ」
「うん……いやだ」
  このふたりがなにも聞かないことはわかっていた。
「綾波に訊くようなやつは、そうそうおらへんし、訊いたかて答えやせん」
  確かに、綾波のキャラクターってそんな感じだ。
「けど、碇はそうもうまく逃げられないだろ」
「まあ……うん」
「わいらの厚ーい友情に感謝せえや」
「そうそう。俺たちは、碇の友だちだからな」


  炸裂した魚雷の爆発が、海面に続けざまにしぶきをあげた。
  にもかかわらず、輸送船やら戦艦やらが、続けざまに爆発し、沈んでいく。
  音声はないけど、逆にその分リアルだった。
  輸送船の一隻から、なにかの布をマントみたいに巻き付けたまま真紅の巨人が飛び出した。そして、駆逐艦のひとつに飛び移った。
「すごい……」
  エヴァで、軽やかに飛び上がるなんてこと、できるなんて思わなかった。
  そのままさらに飛び上がって空母のひとつの上に飛び乗った。砲塔やら艦載機やらを足蹴にしながら、甲板の上でプログレッシヴナイフを構える。
  そのエヴァをねらって、《使徒》は海中から飛び魚みたいに跳ね上がった。
  気味の悪い魚のような印象があるのは、水中で効率よく動くためなんだろう。
  そんな風に考えたのはあとのことで、画面では《弐号機》が《使徒》の腹部にナイフを突き刺し、勢いを利用して切り裂いていた。
  内蔵やら体液やらが、甲板上にぶちまけられた。
  《使徒》は海中に逃げ込もうとするけど、空母の上に立っている《弐号機》はそれをそのまま押さえつけた。
  《弐号機》と《使徒》の重みで甲板にめり込んでいき、空母自体も転覆しそうになる。
  そんなことなど気にせずに、紅い巨人はプログナイフを突き刺したまま、腹部の傷に両手をかける。そして、手刀を差し込みながら、傷口をこじ開けにかかった。
  《使徒》は苦悶し、のたうちまわる。けど、《弐号機》は手をゆるめなどしない。
  臓器をえぐり出して、それを海の上に投げ捨てる。
  体液やら臓器やらで、海面はすでに紅く染まっていた。
  《使徒》の方は、それでもしぶとくのたうち回っている。もしかしたら、内臓なんて器官、必要ないのかもしれない。
  それにしても、なんかやけに凄惨な戦い方をするな……。
  そう思っていると、《弐号機》はとうとう《使徒》の躰をこじ開けて、中心を貫通させてしまっていた。のたうつ様が少しずつ弱くなっている。でも、《弐号機》は容赦なく攻撃を続けた。
  《使徒》の両顎をつかみ、力技で押し広げていく。
  ゆっくりとこじ開けられていき、やがて限界点に達して、めちゃくちゃに広がったまま閉じなくなる。その奥にコアが見えた。
  巨人はそれを踏みつけると、ゆっくりと力を掛けていく。
  そして、三十秒くらいかけてそれを踏み砕いた。
  これが、UN艦隊から届けられた《弐号機》と《使徒》の交戦記録だった。


  気づくと、ミーティングルームからマヤさんの姿が消えていた。
  しばらくして戻ってきたときも、顔が青ざめたままだった。
「すみません……」
  泣きそうな顔のマヤさんを、赤木博士もミサトさんも責めなかった。
  日向さんや青葉さんだって同じだった。
「これが、UNからのビデオ画像よ。まあ、テクニックはシンちゃんやレイ以上かもね」
「そうですね。ぼくはとてもあんな風には戦えません」
  ミサトさんはその言葉にちょっと目を細めた。
  でも、暴走したエヴァような、暴れる猛獣みたいな戦い方は絶対できない。
「あれって、《弐号機》が暴走しているわけじゃないですよね?」
「ちゃんとパイロットの制御下にあるわ。戦いとして無駄が多いのは、まあ、仕方ないわね」
  赤木博士はコーヒーを口に運んだ。
  この人は、機械かなにかみたいに、いまの戦闘データにも動揺なんてしていない。
「もう一度、教育する必要があるわね」
「リツコ!」
  なぜかは知らないけど、ミサトさんはその台詞に怒りを見せた。
「いまのままだと、作戦の支障にもなりかねないわ」
  赤木博士は冷静なままだった。
「もともと、あれは……」
  ミサトさんはさらに怒鳴りかけたところで慌てて口をつぐんだ。
  そして、明らかに作ったとわかる声で、
「シンちゃん、レイ。きょうはもう帰っていいわよ」
  明らかに追い出したがってる……。
「わかりました」
  ミサトさんは、なにを隠したがってるんだろう。
  不思議だったけど、訊ねるつもりはなかったからミーティングルームをあとにした。


  ミサトさんはビールを缶で半ダースほどあけた。
  しかも、もう半ダースはすでに準備済みだったりする。
  その横では、悩みのない温泉ペンギンが小魚をつついている。おまえはいいね、悩みがなくて。
「よく飲みますね」
  しかも、全然酔っていないところもすごい。
  大人の飲酒量について誤解してしまうくらいだ。
  つまみになりそうな料理をふたつみっつ差し出して、綾波のことを訊ねることにした。
「ミサトさん、綾波の家に行ったことってありますか?」
「ないわ」
  そういって、にやりと猫みたいに笑った。
「住所が聞きたいの? でもだめよ。自分で聞き出しなさい」
「そうじゃありませんよ」
「もう聞き出したの?」
「退院したとき、送りましたから」
「そうだったの。シンちゃんもすみにおけないわねえ」
  予想できた反応だけど、ついつい腹が立ってしまう。でも、きょうはそれを押さえなきゃ……。
「えっと、ですね……。あそこって、本当に人間が住む場所なんですか?」
「どういうこと?」
「綾波が住んでるところって、旧世紀から残ってる、開発から遅れた地区なんです」
  ミサトさんはビールを飲みながら、それでも少しまじめな顔になった。
  そして、先をうながした。
「綾波が住んでるところ、ここほどじゃないにしても結構大きなところなんです。けど、あの地区一帯、誰も住んでないんですよ」
「誰も……?」
「はい。あそこって、ゴーストタウンじゃないかって思いました」
  少しずつミサトさんの顔に厳しさが増していく。
「きっと、リツコね……」
「リツコさんが、ですか」
  赤木博士が手配したというなら、間違いないだろう。
「部屋もすごく汚くって、綾波、そのうち病気にでもなるんじゃないかって」
「そう……って、シンちゃん、部屋にまであがったの?」
  ミサトさんはからかいモードにちょっと復帰した。
「……はい」
  それで思い出した。
「それで、綾波……、ビーカーで水を飲んでるんです。赤木博士、あんなこと教えたんですか?」
  ミサトさんは天井を仰いだ。
「そりゃ重傷ね……。わかったわ。もっとましなところに移れるようになんとかしてみるわ」
「ありがとうございます!」


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ver.-1.01 1998+07/12 誤字修正
ver.-1.00 1998+05/26 公開
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あとがき

  SNOWです。
  『砂の果実』EPISODE:3をお届けします。

  アスカの経歴が本編以上に派手になってる気配がありますけど、まあ、いいでしょう。
  本編のアスカって、大学をすでに卒業していることと、日本語とドイツ語のどちらでも思考できること(環境によっては誰でもできそうだけど)くらいしか天才って雰囲気がなかったですからね。
  天才なら、これくらいの派手さはあってもいいんじゃないかなと。
  次にはアスカは登場するはずです。

  感想メールなど、お待ちしております。
  ではまた。






 SNOWさんの『砂の果実』EPISODE:3、公開です。




 シンジだけでなく

 レイと、

 それに
 アスカも。

 性格がいじられてますね。



 すぷっらた〜

 リツコやミサトは知っているの−−−



 オペレーターズはどうなのかな?

 脇まではかえはしないか(^^;


 2バカも違っているし、
 同じとは断言できない?




 さあ、訪問者の皆さん。
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