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「ふっふっふっふっ……くっくっくっくっ……あはっはっはっはっは……!!」

 

 闇に沈んだ室内に、男の甲高い笑い声が響く。

 その笑い方は聞く者全てに不快感を感じさせるであろうほどにいやらしく、そして不必要に長い。

「……何をそんなに笑うのです、たかが報告書一つに」

 男の前にそれを提出した女が、たしなめる。男が腰掛けていた悪趣味な背もたれと調度は、男の身分がただならぬ物である事を示しているがその割には、女は言葉に遠慮がない。

 或いは、自分の制作した報告書を一笑された事に対する苛立ちとて少しはあるのだろうか。

「くっくっくっ……これが笑わずに居られるものか。

 溶岩の中で防具も無しに暴れるだと……このサードチルドレン、随分と我々を楽しませてくれる。

 しかし、第六使徒戦時の報告書以来何となく勘付いていたが、どうもこの小僧……」

「何か感付いたのでしょうか、明らかに『今までの傾向』とは異なりますな」

「さして気にする事ではない。我々の何に差し障る程度ではないのだからな」

「では予定通り『依代』の選出は、」

「他の二人のが適しているだろう。幸いサードチルドレンの戦果は華々しすぎる。

 ファーストはともかく、セカンドは今頃焦れきっているだろう」

「そちらも、既に手は回してます」

「例のあれをか? それにしては、老人共め随分容易に通したものだな」

「私、ですから」

 

 女の顔をしばし凝視した後、男はもう一度高笑いに興じた。

 

「はははははっ! そうだったな……お前だからな」

「そういう事です。……それでは」

 女はきびすを返し、扉のノブに手を掛ける。

「イリア」

 男が突然背もたれから腰を上げ、女の名を呼ぶ。イリアと呼ばれた女が振り返った時には、男は既にイリアの真後ろにまですり寄っていた。

「なんです」

「……行くのだな?」

「何を今更。私に道を示したのはあなただろうに」

「たまには戻って来い。お前ほど男を上手く乗りこなせる女は、私の周りにはいないのだよ」

「すると、さしづめあなたは鞍を背負った暴れ馬?」

「辛辣だな。なんだ、飢えているのか」

「ふっ、それもあなただろうに」

 一通り皮肉り合った後、二人は妖艶で淫らな口付けを交わし合う。

 互いの性の体臭と淫靡さにさんざん酔いしれた後、互いはどちらともなく唇を離した。

 

「……行って来るがいい、イリア。我々の悲願の為に。

 護衛に私の近衛を四人つけよう。護衛の他にも色々と扱き使える精鋭だ」

「お気遣い感謝します。それでは……」

「うむ」

 

 そして女は、闇に消える。

 

 

 

 

「イリア。俗物共に、我々の威光を知らしめよ。

 そして、ユイが真に選んだのが私だという事を、あの男にもう一度知らしめる為にも……くううっ……」

 男が歯を食いしばる。かつて男が受けた、一つの恥辱に肩を震わせて。

 年月を経た今でも心を引き裂くような屈辱と苦渋を男に強いる、あの日の出来事。

 

「……今度こそ私が手に入れようぞ。ユイという魂の遺産も、そして貴様の命運をもな……」

 

 


 

=悔恨と思慕の狭間で=

 




− 第二十五章前編 覆水が盆に返る為の奇跡 −

 

 

 夜露の残滓か、朝霧に紛れた第三新東京市に今日も変わらぬ一日が訪れる。

 そんな中、土曜の早朝の街の一角に、徹夜明けでコインランドリーに通う人影が三つ。

 その内の一人、青葉シゲルが入り口前の自動販売機に手を伸ばす。懐から小銭を150円きっかり取り出し投入すると、刹那の逡巡の後彼は缶コーヒーのボタンに指を伸ばす。

 取り出し口に手を伸ばし掛けたところで、すぐ横を元気な子供達が駆け抜けていく。

(やれやれ、子供達は無邪気なもんだな)

 たった16年前の彼がそうであったように、子供達には無尽蔵の元気と活力がある。……だがその翌年には、彼のゆとりと希望の大半を根こそぎ奪うような天災が、世界を襲った。あれで友人も多く失った。シゲルが見惚れた初恋の女の子は、行方不明のまま今に至る。今頃は地の底か海の底か、どこで眠っているのだろうか。

 ともあれ、今のこの街には一時の平和があるのだ。あの子供達を守る為の仕事が、昨夜の自分に徹夜を強いたのだろう……そう考えれば、彼にとって150円の缶コーヒーも大いに有意義な飲料であった。

 顔は天を仰ぎ、腰に右手を当て一気にコーヒーを喉に流し入れる。彼は背中に背負っていたエレキギターに似合わず、古典的な仕草が好きだった。

 

「……これじゃ、毎回のクリーニング代も馬鹿にならないわね」

 洗濯、乾燥に加え、ご丁寧に防虫フィルムで包装までしてくれるクリーニング機は相応に割高だ。

 リツコは便利さと価格が比例するシステムの悲劇にぼやきながら、自分の衣類を取り込んだ。

「せめて、自分でお洗濯できる時間くらい、欲しいですね」

 隣にいたマヤの洗濯物はリツコの倍近い。手持ちの手提げ袋に収まりきらないほどだ。

(仕事に随分と時間を割いてくれる証拠ね……)

 マヤをプライベートとは無縁な女性にしてしまった事に、リツコは上司として心を痛める。

「ここの職場の形態と特徴を考えれば、家に帰れるだけまだマシっすよ」

 そんな二人の愚痴に、シゲルがそれとなく割り入る。二日ぶりに帰宅できる機会を得たという事にいちいち感慨を覚えていられる自分達の職業に対する皮肉と取れば、彼の言葉の方がより愚痴っぽい。

「……それもそうね」

 リツコも、この時ばかりは素直に頷いた。

 

 始発の首都環状線に乗り込んでネルフに向かおうとする三人は、ほぼ無人に等しい電車の中で意外な人物と遭遇した。

 一般所員の出勤時間帯とは無縁に、たった一人出勤中である冬月だ。

「あら、副司令。おはようございます」

「「おはようございます!」」

 洗濯物を小脇に抱えながらリツコが挨拶する。続いてマヤとシゲルが畏まって続く。

「……ああ、おはよう」

 冬月は横柄にか、或いは疲れ切った表情を見せて挨拶を返した。穏和な彼にしては珍しく機嫌が良くない朝らしい。それでリツコは冬月の隣に腰掛け、それとなく理由を伺おうとする。……大方の理由は見当は付いてはいたが。

「今日はお早いですね」

「碇の代わりに上の街だよ」

「ああ、今日は評議会の定例でしたね」

「くだらん仕事だ。碇め昔から雑務はみんな私に押しつけおって……、MAGIがいなかったらお手上げだよ」

「そういえば、市議選が近いですよね、上は」

 この場合、「上」という言葉は第三新東京市本体の事を指す。地下のジオフロント住まいが多い人間にはこのように呼ばれる事がしばしばで、この言葉一つにも「上下間」の確執が浮き彫りである。

 上は上なりに、自分達の待遇に不満を持っている。元々政府機関から遠巻きにされているネルフを快く思わない者は、これだけ間近にもいるという見本だ。

「市議会は形骸に過ぎんよ。ここの市政は、事実上MAGIがやっとるんだからな」

 

 MAGI―――ネルフをネルフたらしめるスーパーコンビュータ、最新型第七世代OSシステムの総称である。

 世界の技術開発に10年は先駆けて開発されたと言われる人格移植型OSは、ネルフの旧体制の遺産であり、同時にネルフの眼と手足となって駆使されるネルフの心臓部そのものでもある。

 その最大の特徴は、OSに三重の人格を設ける事であたかもOS内の三者会議を実現し、同性能のCPUによる懸案、策定、決議等を三基並行で行えるという物だ。

 市議会の運営など、そんなMAGIの機能からしてみれば片手間にも余る余興でしかない。

 

「三系統のコンピューターによる多数決だ。

 きちんと民主主義の基本に則ったシステムだよ」

 そう語る冬月の口調は皮肉に満ちあふれている。

「議会はその決定に従うだけなのですか?」

「最も無駄の少ない効率的な政治だよ。……効率だけを考えればな」

「流石は科学の街。まさに科学万能の時代ですね」

 マヤは冬月の皮肉は解せなかったらしい。おまけに最新鋭科学の信奉者であるかのような言葉。

 彼女にしても科学が全てとまでは思わないが、科学が自分の負担を減らしてくれる立場の多忙な者として、恩恵を素直に表したくなる時とてある。

「古臭いセリフ……」

 その恩恵の程度がさほどでもないシゲルにしてみれば、旧時代のキャッチフレーズのセンスの無さだけを単純に評価したような一言だった。

 彼が背負っていたエレキギターとて、絶対に「エレキ」でなければならない理由などない。ただその方が音に特徴があったり、使い勝手の違いがあったりと、他のギターとの違いを楽しめるからこそのエレキ、なのだ。

 彼にとっては、科学は職務の付加要素だ。マヤほどに依存する代物でもないし、信頼してる物でもない。

 

「そういえば、初号機の実験だったかな、そっちは」

「ええ。本日1030より、第73次本体稼働試験、並びに右腕部神経伝達補正試験の予定です」

「右腕部?」

「ええ。補修ついでに、思うところがありまして」

「……ふむ、まあ、君に任せれば間違いはないだろう。

 ところで、零号機の実験の件、どうするつもりだ?」

「そちらは私の権限では最早まかりなりませんわ。司令は何と?」

「相変わらず黙りを決め込んでおる。何を考えているのか……。

 初号機の朗報は、期待しとるよ」

「そうですか……」

 数日前から控えていた零号機の第二次稼働延長試験予定。ところが委員会直属の科学者達が半分接収する形で、零号機の実験を肩代わりすると言い出したのだ。弐号機とて先日から彼等の手に渡った状態のままである。ゲンドウが容認しているのだから何か考えあっての事なのだろうが、その細小を聞かされていないリツコにしてみれば、不満である。

(……何かが、軋みだしている)

 リツコは、不穏な気配を肌で感じつつあった。

 

 


 

 

 いつもの早朝ランニングを終えて、ノヴァスターが帰還する。

 部屋の扉を開けた時彼が目撃したのは、ウェイトを両手に黙々と両腕を鍛えているシンジだった。

 ノヴァスターに触発された為か、「修行」の成果をより確実な物にする為かは知らないが、彼の指示ではなく自発的に行い始めたらしい。もっとも、シンジがこんなトレーニングに打ち込んでいるのは昨日今日に始まった事ではなく、「転生」したあの日以来合間を見て行っている事だ。

 お陰で彼の細腕は以前よりだいぶ引き締まり、筋肉も目に見えて腕の中で育ってきている。

 トレーニングの理由自体はさほど疑問に思うような事ではない。彼が以前の「彼」ではなく、今やエヴァの力の虜となりつつある碇シンジ少年である事を考えれば、ドイツ語を学習していた時と状況は同じなのである。

「…………」

 ところがノヴァスターは、そんなシンジの前にずんずんと歩み寄ると、

「ストーップ!」

 突然制止をかけた。

「……なんですか?」

 シンジがぼそりと尋ねるのも気に介さず、ノヴァスターはシンジの手からウェイトを無理矢理に取り上げると、

「そーれ、ぽ〜〜〜〜〜いっ!!」

 そのウェイトを窓の外に盛大に投げ飛ばしてしまった。

「な、何するんですか!?」

 奇抜な行動はいつもの事としても、自分が何かに励んでいるところを邪魔されたのは初めての事なので、シンジも無意識に声が上擦りながら抗議していた。

「あのねぇ、お前さんみたいな細っこい腕の奴がね、こんな物使って励んでもしょうがないだろ?

 将来の夢がボディビルダーだって言うんなら止めはしないけど、どうせそうじゃないだろうに。

 本当に実用性のある筋肉は、そういう事じゃ身に付かないんだよ。

 バーベルを上下していれば使える筋肉が出来るって訳じゃあない。筋肉に『粘り』が出来ないからな」

「粘り……?」

「そ。『アレ』を使いこなすには、君自身がタフネスにならないとな。

 見たところ、君の体格なら丁度いい育ち具合になりそうだ。君さえ良ければ、指南の口があるぞ」

「……どうせあなたは『悪いようにはしないから、俺の言葉に従ってみろ』そう言いたいんでしょう?」

「お前さんも分かってきたねえ。そういう事だよ」

 シンジが強く睨み返す。最近はすっかり彼のペースに惑わされているが、別段ノヴァスターに心を許したわけでもない。よくよく考えれば、まるでそれが当たり前のように側に付き添っている彼の存在自体、本来の自分には必要はないはずなのだ。

「あなたの悪ふざけはもう……いいです。

 これ以上僕をもて遊ぶのは止めてもらえませんか。迷惑なんです。邪魔なんです」

 この際きっぱり言っておくべきだと確信するシンジは、彼を突き放す事にした。

 悪い人ではないのは良く分かる。彼のアドバイスが的を得ているのも知っている。だけど、それならその知性をせめて自分ではなくアスカや綾波達に使ってほしい、彼女達の自立の為に役立ててほしい、自分から突き放せば彼は自然と彼女達だけの為になってくれるはずだから……シンジはそんな自分の思い込みを信じてみる事にしたのだ。

 逆を言えば、それだけノヴァスターに対する信頼が心底にあるとも言えるが、それはまだシンジの自覚の範囲内ではない。

「……そうか。……お前さんがそう言うのなら、それでいい」

 それだけを呟いて、ノヴァスターは洗面室へと消えていった。

 

(……言い返さないんですね、何も)

 

 それも、吹き流しのように気ままな彼の性分の一端なのだろうか。シンジは扉の向こうに消えゆくノヴァスターの背中を見つめながら、そんな事を呆然と考えていた。

(それにしても……)

 Tシャツ姿から覗くノヴァスターの両腕は、言うだけあって見事な物だ。決して不格好に太く隆々としている筋肉ではなく、機能美とでも言うべき適度な細さと逞しさを保っている。

 そんな時、洗面室から再び現れた彼が、不意にTシャツを脱ぎ捨てる。新しい肌着に着替えようとして彼が箪笥に振り返ったとき、シンジの目の前にはやはり綺麗に鍛えられた背筋が姿を現す。

(……!)

 傭兵だと自称する割には、ノヴァスターの上半身には戦場で生き抜いてきた人間特有の戦歴とでも言うべき傷が殆ど無い。

(やっぱりあれも詐称だったのかな……)

 拳銃は持ち合わせているが、シンジは使ったところを見た事があるわけでもない。第一いつもニカニカと笑っている彼が人を殺せる場面が想像できないとも思う。

(でも、この人の事だから無意味に所持している訳でもないんだろうな)

 気がつけば、シンジは彼の事ばかり考えている節がある。素性が謎だから……それもあるだろう。だがそれよりも、彼の人柄そのものに惹かれる物を感じているのが正解だろう。

(!?)

 そんな時、シンジはノヴァスターの背中にうっすらとした傷があるのを見つけた。だがそれは戦場が生んだ傷跡にしては不自然で、背骨部分から脇の下にかけて規則的に左右四本ずつ、背筋を引き裂くように生じている。

「……爪痕?」

「!」

 シンジの呟きを聞き取ったノヴァスターが、慌ててTシャツを着替え終える。

「あ、ああ。気にするな」

 珍しく口調が狼狽している。

「……相変わらず、人に言えないような事なんですか?」

「というか、恥ずかしくて普通人には語らない傷だわな」

 鼻の頭を掻き掻き照れたように語るノヴァスターは、それだけを答えると上着を一通り着込み、部屋を出ていく。

 それ以上その言葉から、何も読みとれなかったシンジは首を傾げるだけであった。

 

 

 やがて日が昇る頃、朝の食事当番を努めるシンジがいた。

 炊飯、味噌汁、そして卵の太巻きと黙々調理をこなしていく。やがて二人分の食器を並べると、味噌汁を保温していた火を止め、ノヴァスターを呼びに行くべくシンジも部屋を出ていこうとする。

「まったく、いつもはきちんと座って待っている人なのに、今日に限って何処に行ったんだろう……」

 もしかしたら、さっきの自分の言葉に傷付いたのだろうか。

「そんな人じゃあないと思うんだけどな……」

 それでも、知らぬ処で平気で人を傷付ける性分が、自分だ。

「……また、自業自得か」

 自分に彼を呼びにいく資格はないな……そう割り切ったシンジは、仕方なく一人で朝食を済ますべく、席に戻った。

「……そういえば彼が来てから、まともな食事を取れるようにもなれた。

 それに彼が側にいると、色々と学ぶ事も多い。本当なら……僕にはあの人が必要なんだと思う」

 だからこそ、自分には不要なのだ。そして、彼女達には必要なのだ。

「もし彼が戻って来なかったら、それが一番いいんだ……」

 

「お前さんじゃあるまいし、そうはいかないのさ」

 驚いて振り返れば、その口元にいつも通りの、不敵で自信に溢れた満面の笑みを浮かべるノヴァスターが。

「ノヴァスターさん!?」

「さぁて、メーシメシぃ! 腹減ったぞシンジ、早く飯食わせ」

「はいはい……」

 そんなシンジの口元にも、迷惑そうな嬉しそうな、微妙な苦笑いが浮かぶ。

(やっぱりあなたには、かなわないや)

 もう少し、この人と共に居てみよう……シンジにしては、自分らしくない妥協を試みた。

「……味噌汁が薄い! まだまだ修行が足りないな、シンジ!」

「知りませんよ!」

 

 

 

 

 背中の傷に誓っても、この程度で挫けるわけにはいかない……それが彼の、信念。

 

 


 

 

 ディスプレイ上に紅い「EMERGENCY」の文字がひた走る。

「実験中断、回路を切って!」

 リツコの鋭敏な声に応じて、即座に初号機の電源が落とされる。

「……ふう、これで五回目ね。微調整が難しいわ」

「何せ前例の無いシステムですから、目測が付きにくいです」

 今日はマヤもいつも通りにリツコの側に控えている。リツコは彼女に電圧部分の調整を依頼したが、暗中模索の実験はどうも難航しているようだ。

「本当に実現出来るんですか、このシステム……?

 先輩の仕事はいつも信用していますが、流石にこれは……」

「マヤ。誰とは言わないけれど、このシステムの実用性を確信して、私に依頼した人がいるの。

 科学者としてしか能のない私達に、頭を下げて頼み込んだ人が……。

 だから私達は、人として、そしてその前に科学の信奉者として、

 この仕事を達成しなければならない……私はそう思っているわ」

「……先輩がそこまで言うのでしたら、私は何も言えません。最後まで付き合います」

「すまないわねマヤ。これでまた、休日が減るわね」

「気にしないでください。先輩の言うとおり、私も科学の信奉者ですからね」

「……そうね。じゃ、各自続けるわよ。

 回路切り替えて、電源回復! 異常箇所を探知するわ」

「了解!」

 再び初号機に電源が入り、半回復状態の右腕部に送電される。

 するとディスプレイに表示されたデバッグ画面に、数カ所の破損部が確認できた。

「……駄目ですね。やはりチップ自体が熱暴走を起こしているみたいです」

「チップの薄さはこれが限界、これ以上厚いものは使えないわよ。

 でもCPUを右腕部に埋め込まないと、操作もままならないとなると……」

「そこが頭の痛いところですね……。でも、これだけの電力をフォローするとなるとどうしても……」

「もしこのスペックを達成しようと思うのならば、現時点での科学力では至難の業ね。

 とりあえずは右腕のバックパック部分を利用してみましょう。ニードルガンは捨てるしかないわ」

「でもそうすると、電力コンデンサーが……」

「どの道、アンビリカルケーブル接続時でなければこの機能は到底使えないわ。

 ゲインの容量なんか一発で全て吹き飛ぶほどの大食いなのよ。

 いずれにしろ、サブリアクターを構成しなければならないから、そっちは私が何とか考案してみるわ。

 マヤはとりあえず、これを一応の形として完成させる事を目処に頑張ってみて頂戴」

「……わかりました。何とかやってみます」

「頼んだわよ。それじゃ、もう一度同じ設定で、変電圧と相互変換効率を下げてやってみましょう」

「了解」

「では、再起動実験、始めるわよ」

 

 


 

 

 同じ頃、ミサトが定時よりやや遅れて出勤する。

 膨大に長いエレベーターが昇る間、各所の階に無意味に止まるのにやや焦れる。遅刻という負い目があるから尚更なのだが、その遅刻自体は今日に限った事ではない。

 最も、ミサトが遅刻できるような日は平和だという証拠そのものでもあるかも知れない。

「まったく……滅多に乗り込む人なんて居ないのに、面倒なものね」

 エレベーター自体は発令所への直通だから、設置の重要度は高い。しかし今頃の時間帯に頻繁に乗降する人間も居ない。そんな面倒なシステムだからこそ、余計な荷物も拾う羽目になる。

「おおい!! ちょいと待ってくれぇぇ〜!!」

 向こうから全速力で回廊を駆ける人影が一つ。だがミサトは無情にも「閉」ボタンを押してしまう。

 しかし扉があと五センチで閉まるというところで、彼は幸運にもドアを食い留めることに成功した。

「……ちっ」

 ミサトはこれ見よがしに舌打ちしてみせた。何せ無理矢理に乗り込んできたのは加持リョウジその人である。

「ふぅ〜っ、走った走った。はぁ……こんちまたご機嫌斜めだねえ」

 ゼイゼイと息を切らし、腰を打ち付ける動作が何とも中年じみている。

(あーやだやだ、オヤジくさい)

 ミサトの顔もそういう顔だった。

「来た早々あんたの顔見たからよ」

 ミサトは決して加持とは顔を見合わさず、皮肉を連ねた。

 多分、彼女自身戸惑っている感はあるのかも知れない。皮肉で済むのがその証拠だろう。

 加持の顔に苦笑が浮かんだ。

 

 ところが、そのエレベーターが直後に突然停止する。勿論二人は何も停止操作はしていない。

「あら?」

「停電か?」

「まっさかぁ。有り得ないわ」

 ミサトの本部システムに対する信頼とは裏腹に、エレベーター内部の明かりまで消え、非常灯に切り替わってしまう。

「変ねえ……事故かしら!?」

「赤木が実験でもミスったのかな?」

 二人は、それも有り得るとばかり顔を見合わせ、苦笑する。ミサトなどは、以前にも同様のケースが生じて、それが実験棟の電圧の暴走の為にブレーカーが軒並み吹き飛んだ事例を知っているから余計におかしかったのだ。

「どうだろうな……」

「でもま、すぐに予備電源に切り替わるわよ」

 

 

 同時刻、実験棟に於いて。

 こちらでも電源が全てダウンし、実験は強制的に中断されてしまった。

「主電源ストップ、電圧ゼロです」

 初号機の右腕部に過剰に電源を送りすぎた為か、主電源ボタンに指をかけているリツコの動きが止まる。

 ミサト同様、以前の事例を目撃している技術課員の、突き刺さるような視線が痛い。

「わ……私じゃないわよ。……多分……」

 リツコ自身、その言葉にあまり自信はなかった。

「右腕部の暴走でしょうか。それにしては……」

「そ、そんなに電圧は掛けていないはずよ。ゲインの暴走……それもないわよね?」

「直前まで確認したところ、その形跡は見られないです」

「あ……あら、そう。ほほ、ほほほほほ……」

 笑って誤魔化そうとするリツコ。最近誰かさんの影響を一番被っているのは、彼女かも知れない。

 

 

 だが、事態は三人が思うよりも遥かに深刻であった。

 

 

 一方、第一発令所。

「駄目です、回路、繋がりません!」

 シゲルの報告に、冬月の顔色が青ざめる。

「バカな!? 生き残っている回線は?」

 階下の職員が言うには、九回線、ネルフ全体の1.2%程度だけだと言う。

「むう……! 生き残っている電源は全て、MAGIとセントラルドグマの維持に回せ!」

「全館の生命維持に支障が生じますが!?」

「構わん、そちらが最優先だ!」

 流石にこれだけの機能が奪われる事は、冬月の脳内マニュアルにも存在していなかった。

 今彼に考えられる事は、無防備と化したネルフの最低限の生命維持である。

 

 


 

 

 そんなネルフの喧噪を余所に、正午から出勤予定の彼は、悠々と交差点待ちをしていた。

 何故かミサトの洗濯物を両手に抱えた、日向マコトである。

 多忙で帰宅できないミサトの都合も分かるが、その時たまたまノヴァスターが捕まらなかったからと言って、自分に洗濯物を一様に任されても困った物である。洗濯物の中には勿論肌着の類もあり、マコトはどんな顔をしてこの洗濯物を洗うべきかと途方に暮れていたのである。

「ほんと、困った人だよなあ……葛城さんも。仮にも女性の洗濯物なのに、無頓着に僕に渡されてもなあ……」

 もっとも、一番困った事は、ミサトのその頼みが断れなかった自分自身の性分だと彼は自覚している。

 元々彼にはお人好しなところがあるが、ましてミサト相手だとそれが際立つのは、

(ミサトさんは、その理由なんか知らないんだろうなぁ……)

 結婚適齢期一歩手前の彼らしい苦悩であった。

 そんな彼が信号を見上げると、突然赤信号のランプが消滅した。

「……あれ?」

 

 


 

 

 土曜の半ドン(という言い方は今時古いが)で授業を終えたレイとアスカの二人は、肩を並べて下校の途につく。勿論チルドレンである二人は、この足でそのままネルフに赴かなければならないのだが。

 しばらくはろくに会話もなく黙って歩いていた二人だったが、とある話題をきっかけに途端に話が弾み出す。

「ってえと、あのおさんどん、あんたの所にまで世話に行っている訳ぇ!?」

「そうよ」

「つくづくあのおさんどんは物好きよねえ。あんたは変だと思わなかった、あいつの事?」

「……変わった、人ね」

「只の変人っていうのよ、あいつの場合は」

 元々、レイの家―――と言っても廃屋同然のアパートの一室をあてがわれている―――は、およそ女の子が住んでいるとも思えないほどに無機質的で、洒落っ気を知らない部屋であった。

 アスカはこの時点ではまだ知らないが、コンクリート剥き出しの壁に、パイプベッドと小さめの箪笥が一つだけ晒してあるような生気のない部屋の構造は、一時期のシンジの部屋のそれと同様であった。

 だがノヴァスターにしてみれば、解決法は簡単だったろう。シンジの部屋と同様の処置をレイの部屋にも施し、時折食事の世話をしてあげれば良いのだから。

 これでノヴァスターは、ミサトとアスカの家に加えレイの家まで世話し、あまつさえ自宅のシンジの世話まで引き受けている事になる。アスカが「物好き」と一言評したのもそこである。

「色々と喋ってくれるし、……多分、楽しい人だと思うわ。

 でも私、そういうの……分からない」

「んー……そうよねぇ、レイはそういうの、苦手そうだもんね。

 いいわ、あたしが時々『監視』に行ってあげる。それでいいでしょ?」

「監視?」

「そ。あのおさんどんがレイに変な事しでかさないようにね」

「……彼は、何もしないわ」

「そーなのよ。あいつ、自分が婚姻してるからってそれを誇示してるからねぇ。

 でも油断しちゃ駄目よレイ。一つ屋根の下で女の子と男とが一人ずつなんて、危ないったらない」

「……手錠」

「え?」

「手錠。彼、いつも家に来るときは手錠をしてるわ。だから……多分大丈夫」

「まだ手錠に拘ってたのね、あいつ……」

 呆れ果てたアスカは天を仰いだ。

 

 あれこれとだべっている内に、二人はネルフ本部のゲート前に到着する。

 レイとアスカはそれぞれゲートに並列に並び各自セキュリティにIDカードを通すが、ゲートはゴーサインを出してくれるどころか、うんともすんとも言わない。つまり、反応がない。

「? あれっ、れっ、あれれっ!?」

 一度限りカードを通したレイとは対照的に、何度も試してみるアスカだったが、やはり反応がない。

「もおーっ! 壊れてるんじゃないのぉ、これぇ!!!」

 開かない扉に向かって目一杯抗議の声をあげるアスカだったが、

「……停電」

「え? レイ、今何か言った?」

 

 

「……おかしいわ」

 

 


 

 

 タイミングの悪い事に、その日シンジは教室の掃除当番であった。

 自分の分担だけをそそくさとこなし、誰に挨拶するでもなくいち早く退出したものの、彼にとってはネルフに居ることなく今日の事態が把握できている。

「急がないと……!」

 悠々と歩く学友達をかき分けて、廊下をひたすら駆けていくシンジ。ところが、

(なんで帰宅時だっていうのに、こんなに人が……)

 帰宅時というのは、登校時ほどに学生達が密集しているものではない。だが、今日に限っては校門前にやたらと人集りが出来ている。チラシを配っている人でもいるのだろうか。

「……!?」

 その実態を知ってシンジは愕然とした。何のことはない、校門前に怪しい人物が居て、その人物を見学する為に学生達が足を止めているのである。そして、その人物が突然シンジに声を掛けた。

「こっちだ、急げシンジ!」

「ノ、ノヴァスターさん……」

 ほとほと呆れた男だ。あの怪しい出で立ちで、とうとう学校にまで姿を現してしまったらしい。

 だが、同時にそれはシンジにとって渡りに船。ガードレールに横付けされていたシビックに、二人並んで颯爽と乗り込み、車は爆音を放ちつつ一路ネルフへと急いだ。

「こ、この車、ホントにハイブリッドカー、なんですか!?」

 爆走の最中ひたすら上下に跳ねる車の中で、舌を噛みそうになりながらシンジは質問した。

「いい質問だ、シンジ! 実はこの間ミサトさんにちょーいとばかりいじってもらったのさ!」

 ちなみにミサトは、市販の車をすぐに暴走車に違法改造してしまう事で有名である。転生前から、シンジはミサトの暴走にはだいぶ頭を悩まされてい事を思い出す。今思い出しても、あれは人間の走りではなかった。

「ノヴァスターさん、まさかそれを知ってて!」

「さすがミサトさん、市販車をここまで暴れ馬にしてくれるたぁ、いい仕事してますねえ〜!!」

「あんた、あんた最低だぁ! あぅっ!」

「喋ると下噛むぞぉ! 掴まってな、飛ばすぜぇ!」

 この時シンジは、ノヴァスターがスピード狂であるという新たな一面を把握した。

 至極迷惑だった。

 

 


 

 

 リツコは通りすがりに四人の作業員を徴発すると、開かなくなった自動ドアを無理矢理こじ開けさせる。

 懐中電灯を片手に、マヤを引き連れて発令所に赴く為だ。

「とにかく発令所へ急ぎましょう。七分経っても復旧しないなんて、異常だわ!」

 

 

 ミサトはエレベーターの電源部を点検しながら、事態の異常性を察しだしていた。

「これは、只事じゃないわ……!」

「ネルフの電源システムの構造は、どうなっている? バックアップは効いてないのか?」

「正、副、予備の三系統。三つのブレーカーが同時に落ちるなんて、セキュリティ上考えられないわ」

「となると……こりゃあ人為かな」

「まさか! いえ……でも……考えられるかも」

 

 

「やはりブレーカーは落ちたというより、落とされたと考えるべきだな」

「自然と落ちたか人為かなどとはこの際第一の問題ではないだろう。

 こんな時に使徒が現れたら大変だぞ。どうする」

 滅多に使う事はないだろうと思っていた非常用の蝋燭を灯しながら、冬月がぼやいた。最新鋭のこの施設でも、蝋燭などという物が用意されているだけセカンドインパクトの教訓が生きているのかも知れない……などと思いつつ。

 

 

 第一発令所に辿り着いたはいいものの、ここでも事態は解決できない事を把握したリツコ。

「タラップなんて、前時代的な飾りだと思っていたけど、まさか使う事になるなんてねぇ……」

 そのタラップを駆け上りながら、翌日に訪れるであろう腰痛を気にしていた。

 どうやら階段のないネルフ内部での生活が、すっかり身体を鈍らせてしまっているらしい。

「備えあれば、憂いなしですよ」

 それに比べたらまだマヤには余裕があるようである。

 

 


 

 

 同時刻、国連軍の測敵レーダーに正体不明の反応が確認された。もっとも、この時期に「正体不明」などと冠する物体は、大凡使徒以外には考えられない。

 最近の国連軍にとっては、ネルフは妖怪退治師にも似た感覚で受け止められている。自分達の兵器が通用しない相手はあれに一任するのが妥当……それが彼等の見識だ。

 その報告を元に、国連軍府中総括総隊司令部では幹部達による簡易協議が行われる。

「上陸予想地点は旧熱海方面……やはり、第三新東京市狙い、か」

「間違いなく、九番目の使徒だろうな。で、どうします?」

「一応、警報シフトにしておけ。決まりだからな」

「そうだな……奴の狙いが向こうならば、俺達に出来る事は他にないからな」

 ところが、第三新東京市からの反応はなく、報告待ちの彼等にも沈黙が続く。

「一体、ネルフの連中は何をやっとるんだ!」

《それが、一切の応答がありません!》

「何だと!?」

 

 


 

 

 とりあえずは、自動扉をくぐらずに済む回廊を巡ってジオフロント上部を辿るレイとアスカ。

 二人共なんとかして下に降りようとはするものの、一切の電子機器が動かない状況では扉一つ分も先に進めず、隅々まで電子制御された本部の構造の裏目を痛感する。

「ふぅ……こっちもダメ。どれも使えないみたいね」

「どの施設も動かない……おかしいわ」

「下で何かあったのかしら!?」

「そう考えるのが自然ね」

「とにかく、発令所に連絡を取ってみましょうよ。このままじゃ対応のしようがないわ」

 一つ閃いたらしいアスカが、懐から携帯電話を取り出して、直通ダイヤルをかけるが、

「ダメだわ、連絡も付かない。回線自体繋がってないみたい。この様子だと、有線の回線も駄目みたいね」

 この案も容易に消えた。

「……多分、下でも同じ状況よ。連絡系統が混乱している筈。まずいわ」

「それじゃ、ネルフは無防備同然じゃない!? もし今使徒が来たらどうするのよ!?」

「今のままでは、対応できないわ」

「マズイ、それじゃ何としてでも本部に行かなきゃ!!

 ……って言っても、どうやって下に行けるっていうのよ!?」

 右に左に振り向いて慌てるアスカ。しばし考え込むレイ。

 一瞬後に二人が同時に閃いたのが、常時携帯を義務づけられている緊急時のマニュアルテキストだった。

「……こっちの第七ルートから、下に行けるみたい」

「急ぎましょ!」

 隣に見える下り階段を下りたところに、R−07と表記されたゲートが姿を表す。扉の横には緊急時用の手動ハンドルがあったが、錆び付いていて簡単には動く気配を見せない。

「レイ、手伝って。二人で一気に回すわよ!」

「わかったわ」

 レイもアスカも年頃の少女らしく非力ではあったが、二人掛かりとなれば流石にハンドルも動きだし、扉が少しずつ動き出す。

「ふう、ふう! 男手がない、ってのはぁ! 楽じゃないわ、ねぇぇ!!」

「…………!」

 歯を食いしばりながらも愚痴るアスカ、黙々と力を注ぐレイ。

 

 


 

 

「統幕会議めこんな時だけ現場に頼りおってぇ!」

 受話器を乱暴に叩き付けながら、その自衛隊高官は日頃の上層部への鬱憤が間違いではなかった事を思い知る。

「政府は何と言ってる?」

「フン、第二東京の連中か? 『逃げ支度』に忙しいそうだ」

 

 地球の生物学上では、「蜘蛛」に分類されるような―――尤も脚部は四本しかなく、厳密には異なるが―――形態を持つ第九使徒。国連軍も動かず、ネルフの迎撃体制も沈黙しているとあらば、この使徒が上陸し侵攻するのに何事も障壁はなく、使徒はどんどんと内陸部を闊歩しネルフ本部に迫っている。

「事態は一刻を争うな。とにかく、何としてもネルフの連中と連絡を取るんだ」

「しかし、どうやって!?」

「……直接行くしかあるまい、こちらからな」

 

 

 よって、航空自衛隊の偵察機を一機、火急に第三新東京市まで飛ばす羽目になった。

 

 

《こちらは第三管区、航空自衛隊です。只今正体不明の物体が本地点に対し移動中です。

 住民の皆様は、すみやかに指定のシェルターに……》

 静寂な市内の上空を、プロペラ音を棚引かせて優雅に飛行する機体を眺めながら、交通手段に欠いてモノレールラインをひたすら歩いていたマコトは事態を察した。

「……! やばい、使徒だ! 急いで本部に知らせなきゃ!

 っ、あー、でもどうやって……!」

 市内が停電していると知った時点で、既に電話回線での連絡は試みていたがそれも出来ない、移動手段も持ち合わせていない、徒歩では到底事態収集に間に合わない……方法に欠くマコトは焦りながら周囲を見渡す。

「……!」

 すると向こうから、一台のワゴンが走ってくるではないか。それが市議選候補者の選挙カーである事はこの際目を瞑って、マコトは幸運な自分を喜んでいた。

 

 


 

 

「それにつけても……暑いわねぇ〜」

 空調の働かないエレベーター内部の暑さに耐えかねて、ミサトはジャケットを脱ぎ捨てる。

「そんなに暑かったら、シャツくらい脱いだらどうだ!?」

 自分は暑苦しい制服を崩しもしない割に、加持はさらりとジョークを飛ばす。

「!?」

「今更恥ずかしがる事もないだろうに」

 その言葉に自戒したか、ミサトがだれた上着を直す。ついでに言えば、事ある度に自分達の過去の関係をひけらかすような加持の口調も癪だ。

「こういう状況下だからって、変な事言わないでよ!」

「はいはい……」

 

 

 同じ悩みは、発令所内部の人員にも言える事だった。

 地下施設で空調が止まるというのは生命維持に関わる。ところが酸素が続くうちはこの状態を保つしかないらしいと知ると、各自はそれぞれの避暑手段を講じていた。

「まずいわね、空気が澱んできたわ……。

 はぁ、これが近代科学の、粋を凝らした施設とは……」

 団扇を持ち出して扇ぐリツコが、緊急時に弱い本部の構造と、その一端を講じた人間としての不甲斐なさを恥じつつも嘆いていた。

「! ……見てくださいよ先輩、司令と副司令を。この暑さにも動じず、立派な物ですね」

 二人が振り返った先には、いつものように威厳を保ちつつ司令席に居座るゲンドウと冬月が。

 もっとも、その角度からは、二人が足を突っ込んでいる防火用バケツが見えていないだけの話。

 

 

 

 

「ぬるいな……」

「……ああ」

「誰かに取り替えに行かせるか?」

「……いや、いい」

 

 


 

 

「このジオフロントは、外部から隔離されても自給自足できるコロニーとして作られている。

 その全ての電源が落ちるという状況は、理論上有り得ない」

「となると考えれられる理由は一つ……誰かが故意にやったという事ですね」

「おそらくその目的は、ここの調査だな」

「復旧ルートから、本部の構造を推測するわけですか」

「癪な奴らだ」

「MAGIにダミープログラムを走らせます。全体の把握は、困難になると思いますから」

「頼む」

「はい」

 ゲンドウ、冬月、リツコの三者協議の結果、この停電は人為的な物であるとほぼ確信された。とすると今頃はハッキングを受けている可能性が高く、リツコの言葉はそこに起因する。

 しかし、システムにも察知されずにネルフへの侵入行為が果たせた相手となると、ダミープログラムの効果もさほど高くないかも知れない……そんな焦燥に侵されても尚、リツコはMAGIの信頼性に掛けるしかない。

「本部初の被害が、使徒ではなく同じ人間にやられたものとは、やりきれんな……」

「所詮、人間の敵は人間だよ」

「……そうだな、お前には敵が多いからな」

 

 


 

 

「ダミープログラムを走らせたか……だが、もう遅い。

 こちらは防衛システムの抜け穴さえ確保できれば、MAGI本体などに用はない」

 ゲンドウ達の推測通り、そこにはネルフの端末に持参のPCを繋ぎ、一人黙々とハッキングに勤しむ女がいた。女の周囲には三人の兵士が周りを固めている。黒革のロングコートに身を包んだ兵士達はその装備も物々しく、その一ヶ所だけに近付きがたい異様なオーラが漂っている。

「おい」

「なんだ、私は忙しい」

 その女が振り返ると、偵察に走らせた残り一人の男が戻ってきたところであった。

「一台の車がカートレインに向かっていってるぜ。あれを通せば……」

「ふむ……こちらはまだ少し時間が要る。連中に使徒を勘付かれたくない。

 お前、行って止めてこい。手段は問わん」

「いいのかい? 俺ぁ制止が効かない性分だからな、皆殺しにしてくるぜ」

「構わん。だが跡は残すなよ、色々と厄介だからな」

「そんなヘマぁしねえよ」

 男は腰部のジョイントにねじ込んだショットガンの弾数を確認すると、もう一度表ゲートへと歩いていった。

 

「……それと、お前達は電源部へのルートをしばらく閉鎖するんだ。

 どうせ短時間で回復はするだろうが、予定を狂わされてもやっかいだからな」

 女は念の為に、残りの男達も遣わした。

 

 

 その頃マコトは、無人の首都高速道路でひたすら選挙カーを走らせ、ネルフの車両型ゲートに向かっていた。

「非常事態だからな!」というマコトの強引な言葉と、それを裏付けるように首都高沿いに闊歩する使徒の壮絶な光景に、広報の委員達は身を縮めながらマコトに従い、ここまで走ってきたのだ。

 そんな折、マコト達から向かって首都高を逆方向から走っていた一台の乗用車。

 それに乗っていた少年がその選挙カーを確認する。

「あれは……日向さんだ!」

 選挙カーの実態を見知っていたシンジが叫ぶ。

「なるほど、いいもん見っけ!」

 それを聞くや否やノヴァスターは車を反転させ、選挙カーの後に付けた。

「日向さん!! 日向さんっ!!」

 ウインドウを開き、シンジは後ろから大声で叫ぶが、マコトの耳には届いていないようだ。

 

 

 ズバン!

 

 

 そんな音と共に、突然選挙カーが横転した。時速100km近い速度で走っていた選挙カーは数十メートルの間横滑りに地面を走り、やがてカートラインのゲートをやや潜った所でようやく制止した。

「!! 日向さんが!?」

「パンク……!? 違うな、狙撃されたんだ!」

「狙撃!?」

 事態を把握すると、シビックも後に続いて横転したワゴンに横付けた。

「日向さんッ!」

 シンジが駆け寄ろうと思ったか車のドアを開こうとするが、

「待てシンジ! 開けるな、お前も狙撃されるぞ!」

 ノヴァスターが腕づくで止める。

「そんな!?」

「少し待ってろ……」

 既に神妙な顔付きになっているノヴァスターが、懐からコンバットマグナムを静かに引き抜いた。

 一方のシンジは、横転したワゴンが止まる時に慣性で自分の側を向いていた為に、車の中に乗っていた人達の壮絶な惨状が正面に見える光景に息を飲んでいた。シートベルトをしていた乗員達はともかく、ベルトもつけずに座席の中間に座っていたマコトなどは頭から血を流して意識を失っているようだ。

「日向さん……どうして……」

 

 ノヴァスターは慎重に周りを見渡しながら、一人シビックを降りる。細心の注意を払って警戒するが、周囲は至って静かだ。遠くで使徒が闊歩する轟音以外に音は聞こえない。

 その一方で、狙撃されたワゴンの左輪部分を確認する。そしてそこには数十の弾痕が。

「相変わらず考え無しの散弾銃……とうとう尻尾を出したな、連中」

 ノヴァスターは、狙撃手に心当たりを持っていた。

「シンジ」

「はい」

「お前は本部まで走れ」

「!? そんな!」

「狙撃手と日向さんは俺が引き受けた。使徒は君に任せる」

「でも!?」

「事態は一刻を争う。それに、アスカやレイ達の事もある。急ぐんだ!」

「……はいっ!」

 シンジはノヴァスターに習って周囲に警戒しながら、ゆっくりとシビックを降りる。ピリピリと張りつめた空気を感じて、背筋を凍らせながら。使徒との戦いには死も恐怖も感じないシンジでも、突然狙撃されるかも知れないという緊迫感には慣れているわけではない。

 重体の日向に後ろ髪が引かれるが、ここはノヴァスターの言葉に従う事にしたシンジ。

 今の自分達にとって、驚異は狙撃手だけではないのたから。

 

 ところが、その時分になってゲート横の山裾から、黒革のコートに全身を包んだ男がゆったりと姿を現した。両手にこれみよがしに所持している散弾銃が、その男が狙撃犯である事をこれ以上なく明確に語っていた。

「おっと、ここは通さねえぜ、シンジ=イカリ! お前はここでミンチ肉さ!」

 男が両手の散弾銃を一斉に構えた。だがそれより一瞬早く、ノヴァスターのマグナムが火を噴いた。

 一発、二発、三発、四発……弾が尽きるまで休みなく男に向かって撃ち込むノヴァスター。その衝撃に耐えかね、後ろに吹き飛ぶ男。シンジには、一瞬で決着が付いたものだと思われた。

「倒した……!」

 容赦なく男を射殺したノヴァスターに、そして生まれて初めて聞く射撃音に驚きながらも、シンジは彼の後ろに寄り添うように戻ってきていた。

「バカッ、お前は急いで発令所に行かないか!」

「でも、二人で車で急いだ方が早いですよ! 日向さん達の事もあるし!」

「……あの程度でくたばるような連中なら、苦労はないのさ」

 苦虫を噛み潰したようなノヴァスターの横顔に気がつくと、シンジは男の方を振り返る。

 男は全身に数発の銃弾を受けたにも関わらず、何事もなかったかのように起き上がりだしていた。

「そんな……!」

「奴の着ているコートは、特製の防弾仕様だ。あれくらいは奴にとって蚊が刺した程度だよ。

 少し、手こずりそうだな。お前は構わず急げ、どうせここでお前に出来る事は何もない。

 それよりも、使徒の相手、頼んだぞ」

「はいっ!」

 威勢良く返事すると、シンジはもう後ろを振り返る事なく駆け出していたが、途中ゲート内のワゴンがどうしても気になって、横転したワゴンを上から覗き込む。

「日向さんっ!!」

 そのシンジの叫びで、一時的に意識を失っていたマコトは気を取り戻した。どうやら致命傷は避けているらしい。

「日向さん!?」

「……シンジ君か。……大変だ……使徒が……」

「分かってます! 日向さんはここで待っていてください、僕が使徒を引き受けます」

「……頼む……」

 安堵したのかもう一度意識を失ったマコトをやむなく残し、シンジはゲートをひたすら走っていくのだった。

 

 

「あいつも、だいぶ素に戻ってきたんじゃあないかね?」

 そんな後ろ姿を見送りながら、ノヴァスターはシンジの変化を喜ばしく思っていた。

 が、それも束の間の事。起きあがってきた男に振り返った時、既にノヴァスターの顔は険しく彫り込まれた戦士のそれであった。いつもシンジやアスカ達の前で見せていた剽軽な顔はもはや存在しない。

「……相変わらず容赦が無いね。出会い頭にフルバーストたぁ、大層な挨拶じゃねえか。

 チッ、お陰であのガキを見逃しちまったようだな。まあいい……」

 男は馴れ馴れしい口調でノヴァスターに突っ掛かる。どうやら、初対面ではないらしい。

「大層な挨拶、か。その言葉はそのままお返しするよ」

「つれねぇな。三年ぶりのご対面だというのによ」

「そうだな、もうそのクサレた顔とは二度と会うまいと願っていたんだけれどな」

「……それにしても、テメエも『こっち』に来ていたのか。つくづく縁があるな」

「だから腐れ縁って言うんだろうさ。……さて、ここいらでその見苦しい縁も断ち切る事にしようか」

 ノヴァスターの左手が、小腰に収めていたガバメントを素早く引き出す。

 男も同時に、両手の散弾銃を構え直す。二人は暫く睨み合い、気味の悪い静寂が空間を掠めてゆく。

 

 先に引き金を引いたのは、男の方だった。曲芸のように器用に両銃から発した散弾が、たった今ノヴァスターが立っていた筈の地面を掘り返すように次々とえぐっていく。瞬時に三メートルも左に跳んでいたノヴァスターは、地面に転がりざまにガバメントを連射した。

 弾の一つは正確に男の右胸を捉えたが、男はその威力にわずかにのけぞっただけで、胸を貫いてはいない。

 近付かないと埒があかないな……ノヴァスターは毎度の事だと思うものの、あの「黒装束」に立ち向かうのには嫌気が差す。あの重装備と耐久性はなんとかならないものかとぼやきつつ。

 一方の男も、曲撃ちにも見えながら正確に狙いは付けているのの、右に左に勘良く回避しているすばしっこいノヴァスターに苦戦している。男の射撃の腕は良い筈なのだが、対決して数度、あの男には弾が当たった記憶がない。もし当たったとしても、ノヴァスターの上半身を覆うジャケットとて防弾仕様だ。埒があかないのは男も同様だった。

 二人の意志が心ならずも合致し、二人はその間合いを急速に詰める為に駆け出し、右手の銃を構える。

「長ったらしい小競り合いも此処までだ……決着を付ける!」

「テメエこそ、いい加減にくたばりなぁ!!」

 二人の火器が同時に火を噴く。

 決着は刹那の出来事であった。

 

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.01 1999_02/11 公開
ver.-1.00 1999_02/02 公開
感想・質問・誤字情報などは こちらまで!

 

 二十五章前編、公開です。

 今回は80kb超の長編となった為にその便宜上二つに分割しています。

 後編も完成していますので、翌週には公開予定です。

 

 今回から、とある方の協力を頂いてドンパチを絡めていく事にしました。私自身は銃火器に疎い事もあってその辺の描写は詳しくできませんが、極力読みやすい描写を心掛けて描いていくつもりです。

 それと、今章からTV本編から逸脱した設定が様々に生じ始めます。イリアの登場などはその典型例でしょう。

 これ以上の詳細は後編の後書きに。

 

 それでは、また次回……。

 

 

 

 

 今春こそ「魔装機神」がアニメ化すると聞いたけど、ホントなのだろうか……。狼少年な私を陳謝(^^;






 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第二十五章前編、公開です。





 オペレーターズが目立っている(^^)

 マコトがそれなりに目立っている〜

    青葉はそれでも薄いけど(笑)


 でも、
 活躍無しで気絶しちゃったし−−
 もう、
 いいとこないのかな?
 見せ場はないのかな?

 がんばれっっす!



 使徒とともに人間も来て、
 大変な事態・・


 シンジも??



 さあ、訪問者のみなさん。
 3度目の前後編、彩羽さんに感想メールを送りましょう!






 150円の自販機ジュース。
 16年で30円の値上げ・・高いか、安いか?(笑)




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