日付も11月を過ぎると、常夏の猛暑にも幾らかの落ち着きが見られる時節。
そんな季節の合間に予定された、第壱中学校二年次生の修学旅行を目前に控えた日曜日、アスカは粘りこんで加持に頼んだ甲斐あって、二人で街へ出ることに成功していた。
「ん〜ふふふふ、ラッキーィ♪
加持さんにショッピングに付き合ってもらえるなんてぇ」
加持にしてみればつかの間の散歩感覚だが、アスカにしてみれば天にも昇る気分のデート同然。否応なしにアスカの気分も盛り上がり、加持は当分の間左腕を占領されて離されなかった。
おまけに連れて行かれたのは百貨店の水着売場。立ち並ぶ女性水着の合間をくぐってレディのお供をするのには少々年を重ねすぎたかな、と自嘲する加持を余所目に、アスカは紅白ストライプのビキニを掲げてレジへと駆け出していく。
「いやはや、今時の中学生は進んでいるなぁ」
ジェネレーションギャップが身に凍みる。
休日で賑わう野外広場に腰を据えた二人は、来週の修学旅行の話で盛り上がる。
「で、修学旅行は何処にいくんだい?」
「オ・キ・ナ・ワ!
メニューにはね、スクーバダイビングも入っているの!」
「ほお、それでその水着か」
「そーゆー事。折角の修学旅行だもの、パーっと気分を解放しなきゃ!」
修学旅行に気分を踊らせるアスカは、見ているだけなら年頃の女の子そのもの。いつもこういう状態ではいられない所がチルドレンでいる事の弊害だとするならば、彼女にとっては辛い宿命なのだな……と一人物思いに沈む加持。
「しかし、市立中学校が修学旅行で飛行機を使わせるなんて、日本の教育も随分寛容になったな」
「? どういう事?」
「なに、余裕が出来たって事だろう。
一昔前までは私立の学生くらいしか、修学旅行で飛行機なんて使えなかったのにな」
「へぇ……。
ねぇ、ところで加持さんは修学旅行、何処行ったの?」
「あ、ああ、俺達の頃にはそんなの無かったんだ」
「? どうして?」
「……セカンドインパクトがあったからな」
「あ……ごめんなさい。悪い事聞いちゃったかな」
「いや、気にしなくていいさ。あの頃が少し異常なだけだったんだよ。
羽を伸ばせるようになっただけ、今の時代の方がいいものだよ」
「やだ加持さん、なんだか急に老け込んだみたい」
「そうかな」
「そうよ」
その夜のコンフォートマンション。
アスカは天と地が逆転するような衝撃の事実をミサトから聞かされる羽目になった。
「ええーっ!? 修学旅行に行っちゃ駄目ぇ!?」
ご立腹のアスカの剣幕を余所に、ミサトは極めて涼しげにビール缶を飲み干す。
「どうして!?」
「戦闘待機だもの」
「聞いてないわよ!」
「今言ったわ」
「誰が決めたのよ!?」
「作戦担当のあたしが決めたの」
アスカが反対するなんて事は火を見るより明らかだったので、ミサトの性根も座ったものである。どちらも一歩も引かずしばし睨み合うが、所詮どうともならない。急に不機嫌になったアスカが、この険悪な雰囲気の真横で暢気に昆布茶を啜っているノヴァスターに話を振った。
「ちょっとおさんどん!? お茶なんか啜ってないで、あんたからもなんとか言ってやってよ!」
「俺に振られてもねぇ……ミサトさんの立場にしたら、これもしょうがないんじゃない?」
「男のくせに何妥協めいた事言ってんのよ!?
折角一生に一度の修学旅行だってぇのに、こちとら黙ってられないわよ!」
「アスカがなんと言っても駄目な物は駄目なの。これは決定事項よ」
「だってさ」
ミサトの言葉に相槌を打つノヴァスターには、
「所詮はミサトに飼い慣らされた男か。あーやだやだ、あんたに振ったあたしが馬鹿だったわ」
「最近の君、ホントに言葉に遠慮がないねぇ(^-^;」
それでも無条件で笑って許すだけノヴァスターも出来たものである。
「アスカ、気持ちは分かるけど、こればっかりは仕方ないわ。
あなた達が修学旅行に言っている間に、使徒の攻撃があるかもしれないでしょ?」
「……いつもいつも、待機待機待機待機!
何時来るか分かんない敵を相手に守る事ばっかし!
たまには敵の居場所を突き止めて、攻めにいったらどうなの!?」
「それが出来ればやってるわよ」
苦笑混じりのミサトの台詞が、くたびれもする。
かけっことて追う方よりも逃げる方のが心に負担を抱える。まして人類の驚異たる使徒を相手に防戦一方というのは、更にその迎撃戦闘員の指揮官とあらば、心理的なプレッシャーとて並々ではない。
「ま、これをいい機会だと思いなさい。
クラスのみんなが修学旅行に行ってる間、少しは勉強ができるでしょ?」
ミサトはポケットに仕舞っていたディスクを取り出すと、アスカにまざまざと見せつける。
それは第壱中学校生徒の個別成績を納めたディスクの、アスカ個人宛の物であった。
「アスカが学校で何点取ったかなんて情報くらい、あたしが知らないとでも思ってるの?」
(あんな物がポケットから出てくるという事は、ミサトさん最初っからそのつもりだったんだなぁ)
二杯目の昆布茶を自前の湯飲みに注ぎながら、ノヴァスターは完全に傍観者として潜んでいた。
「日本語が読みにくいとか日本のしきたりとか、色々と戸惑うこともあるでしょうけど、
『郷に入れば郷に従え』って言葉もある事だし、何とか慣れてちょうだい」
「い〜〜〜〜っだ!」
「……明日は梅こぶ茶を買ってくることにするか。…ズズッ…」
数日前、浅間山観測所のデータに奇怪な要素が発見された。
地底観測のプロが判断に困るという観測データが、浅間山のマグマ内に認められたのである。
その為、ネルフのMAGIを介したデータ処理を委託された形になったネルフだが、真相は別の所にあった。その未確認のデータ部分が、使徒のパターンではないかという半ば確信じみた憶測である。
今日の第一発令所は、そのデータの解析に当たっているところであった。
《浅間山の観測データは、可及的速やかにバルタザールからメルキオールへ提出してください。
第二技術課の池田ショウイチ曹長は、昨日のデータ持参の上作戦司令室までお越しください》
今朝からこの類の館内放送が後を絶たない。それでも基本的には機械任せの情報処理なので、自然と手が空くオペレーター達は各自文庫本なり雑誌なり自己の趣味をひっそり持ち込んでは、事務に支障をきたさない程度に時間を潰していた。
そんな日にも手の休まることのないリツコなどは、ミサトに聞かされた修学旅行の話を、
「こんな御時世に暢気な物ね」
とバッサリ切り捨てた。
「こんな御時世だからこそ、遊びたくなっても仕方がないわよ。
アスカの気持ちは、そのまま私達の気持ちの代弁みたいな物ね。
何時来るか分からない敵を相手に防戦一方……そりゃあストレスだって感じるわ」
「それも、このデータ処理に目処が立てば分からなくなるわ。ミサト、これを見て」
手渡されたデータに目を通すミサトの、目の色が変わった。
「……これが本当だとしたら一大事ね。今すぐ浅間山に行く事にするわ」
「その方がいいわ。ところで、あの子達は?」
「ああ、アスカとレイなら、ジオフロントの遊泳施設に居る筈よ」
ジオフロントの本来の建設目的を考えれば、レジャー施設があったとて不思議ではない。ネルフの所属者が使いこなせるほど彼等には生活の余裕が少ないものの、準待機命令の子供達が使うくらいの余裕が無い訳でもない。三人同時に呼び出しやすい場所に居さえすれば、彼等はそれなりに自由だった。
レイは与えられた純白の水着に着替えて、泳ぐ……でもなし何度も何度も慣性に任せただけの泳法で水の中を漂っていた。レイは水の中が好きなのだ。身を漂わせやすい水という物質が肌に合うらしい。あんまり気分か良い物だから、誰かが止めなければそれこそ何時間でも同じ事をやっているかも知れないほどに。
そんなレイの数少ない娯楽? を後目に、シンジはモバイルノート相手に黙々と学習に励んでいた。勉学の遅れなどは所詮シンジの気の止めるところではなかったが、それを正直に言ったらノヴァスターが即座に用意したのが、今シンジの解いている設問集だった。
はっきり言って難しい。いわゆる中学生の頭脳レベルでは少し手に余る問題ばかりだ。どうやら電気工学系に関するテキストと配線図らしいのだが、読んでいる間に頭がこんがらがりそうになる。投げ出すのは簡単だったが、泳げない自分がここで他に見栄を張る方法も見当たらないので、シンジはこれに真剣に取っ組み合う他は無かった。
(そもそも、なんでこんな問題ばかりなんだろ……)
心の中で愚痴るシンジだったが、これがもしミサトなどが用意した物だったのならばこれほど真剣にはやらなかったであろう。ノヴァスターが用意した物だからこそ、なんとか食らいついていけるのだ。
(あの人はよく変な事を僕に仕込むけど、無駄なことを仕込むような事はしない……)
たぶん、自分にこんな設問を解かせる事も何か考えあってのことなのだ。そうでなければ何処からこんな問題集を用意するのやら。
更にそんなシンジの様子を後目に、先日買い込んだ水着に着替えたアスカがプールサイドに姿を現す。
「……なんだか揃ってつまんない事してるわねぇ」
レイはレイで黙々と遊泳しているし、シンジはシンジで折角のプールサイドで黙々と勉学に励んでいる。
取り合えずは、まだ話しかけやすいレイの方に寄ってみる事にした。
「何してんの?」
「……泳いでる。涼しいから」
「それは見れば分かるわよ。なんだか覇気のない泳ぎ方してるからさ」
「……泳ぎ方、他に知らないの」
「はぁ? だからあんたそんな泳ぎ方してたの? ったくしょうがないわねぇ。
沖縄でスクーバ出来ないからここでしようかと思ったけど、それも暇そうだから、
ついでにこのあたしが華麗な泳ぎ方のイロハって奴でも教えてあげようかしら?」
「……でも私、不器用だから」
「シロートは最初はみんなそう言うのよ。やってもみないで悲観的になるんじゃないわよ。
ほら、そうと決まったら始めるわよ。よいしょっと」
アスカは自分も水に入り、早速レイに手取り足取りクロールの真似をさせてみる。レイの顔は楽しそうには見えず、一見適当に体を遊ばれているような感じだったが、
(……満更でもなさそうだな)
その様子を盗み見ていたシンジの目にはそう映った。
(面倒見がいいというか、アスカは元々姉御肌のある娘だから、
ボーッとしている人とかを、見捨てておけない性分なんだろうな)
その行為には多少、自分の能力を誇示しようとする部分はあれど、それはアスカが自らに課した必修課題みたいな物で、本当は単純に面倒見が良いところその物がアスカの本分なんだろう……それがシンジの解釈。
「……ま、僕には関係のない事か」
開き直って、次のテキストに目を通し始めるシンジであった。
翌日の浅間山では、早朝から葛城一尉の指揮の元に、溶岩深部の強行観測が行われていた。
浅間山からは、第二新東京市が近い。そこからスクランブル発進した戦闘機が空中で偵察を行っているのは、何処からかきな臭い情報を聞き取ったからなのだろう、使徒が絡むとなると煩いのが国連軍である。
そんな状況下、ミサトは採取されたデータを随時ネルフ本部へと送信し、作戦司令室ではそのデータを元に今後の検討がなされていた。
データから、MAGIは50%の確率で使徒潜伏に対しての可能性を打ち出している。
「無視できん数字だな。葛城一尉の報告如何では、出動の可能性有りか」
冬月は部下の手前上そのように言うが、内心はほぼ確信していた。
(……碇は既に打診しているようだな)
ミサトが無理を強いた為に、最新型の観測器を一つオシャカにしてしまったが、効果はあった。
日向の手元のモニターでは、一瞬だけ確認された蛹(さなぎ)のような物体はパターン青を示していた。
「……間違いない、使徒だわ」
あらかじめ予測された事態、ミサトの決断は早かった。現時点で浅間山地震観測研究所を完全閉鎖しネルフの管轄下に敷き、情報の隠匿並びに人員への箝口令を徹底させる。
それが一通り済むと、ミサトは碇司令宛に作戦コードA−17の発令を青葉に伝達した。
「A−17!? こちらから討って出るというのか?」
「そうです」
ミサトに言われるまでもない、というより思考の方向性がミサトに類似しているだけか、ゲンドウは既に手元でシナリオを完成させ、人類補完委員会に推奨していた。
「駄目だ危険すぎる! 15年前を忘れたとは言わせんぞ」
「これはチャンスなのです。
これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出る為の……」
「リスクが大きすぎるな」
「しかし、生きた使徒のサンプルの、その重要性は既に承知の事でしょう」
その言葉に詰まる一同。
「……失敗は、許さん」
それだけを吐き捨てるかのように言い残すと、彼等は虚空へと消えていった。
「……失敗か。もう一度失敗した暁には、人類全てが消えてしまうよ」
冬月が語るその一言が、暗闇の中更に重くのし掛かる。
「碇……本当に、いいんだな」
ゲンドウは、重ねた掌の下でせせら笑うだけであった。
「碇め、使徒の捕獲が我々の弱みだとは、随分と高を括ってくれる物だな」
「仕方あるまい、奴はゲオルグの存在を知らんのだ」
「手元に切り札を携えているつもりだろうが、逆転出来るのは時間の問題なものを……」
「まあ良い。当分は碇に踊ってもらう、それに変わりはないのだからな」
暗闇で、老人達もまたせせら笑う。
やがてチルドレン達も作戦会議室に召集され、作戦コードA−17の説明が始まった。
まずは公開された使徒の「蛹」形態に、一同息を飲む。
「これが……使徒なの?」
「そうよ。まだ完成体になっていない蛹の状態みたいな物ね。
今回の作戦は、使徒の捕獲を最優先とします。出来うる限り原形を留め、生きたまま回収する事」
「出来なかった時は?」
「その時は作戦目標を即時殲滅へと切り替えるわ。いいわね?」
「「「はい」」」
リツコはその時一瞬だけ目を伏せたが、思い立ったように口を開く。
「それで、今回の作戦担当者は……」
「はいっ! 私が潜ります!」
リツコが言い終わらないうちに、アスカが意気揚々と立候補した。
すると、シンジが冷ややかな視線でそんなアスカを盗み見る。D型装備の規格の事もあるので、今回は自分は取り合えず引いておくべきなのだと割り切ったのだ。
そんなシンジの様子を察したリツコは、仕方ないといった表情をしながらアスカを選んだ。
「それで、いいのね?」
「勿論よ!」
アスカは何を聞くのだと言わんばかりに愛想のいい返事をしたが、リツコにとってその言葉は、暗にシンジに確認を取っているのであった。そして、その時シンジの視線は使徒の映像に完全に釘付けになっており、その視線は真剣その物であった。
(……やっぱり、彼の言うとおりシンジ君は動くわね)
リツコはそんなシンジの心境を察してか初号機を弐号機のバックアップとして選び、零号機を本部待機へと回した。それは傍目から見ても妥当な人選であった。
「A−17が発令された以上、直ぐに出るわよ。支度して!」
「「「はい」」」
アスカはリツコに手渡された耐熱仕様のプラグスーツに、半信半疑で身を包む。一見普段のプラグスーツとの違いは見られなかったからだ。
「? いつものと変わらないじゃない?」
「右手首側のスイッチを押してみて」
言われて従順に押したのがそもそもの間違いだった。見る見るうちにプラグスーツは膨らみ続け、アスカは哀れ「起きあがり人形」状態。あまりの格好悪さにアスカは涙が出そうになった。
「なによこれ〜ぇ!?」
他人の作ったものならばいざ知らず、自らの作業の成果に対しては真剣その物である。ある意味職人気質とでも言おうか、そのアスカの容姿にクスリとも笑わず、リツコは冷ややかに言い放った。
「同様に弐号機の支度もできてるわ」
アスカは頭によぎる猛烈な不安だけは的中しないようにと神に祈ったが、信心浅いアスカには神は応えてくれなかったようで、弐号機もアスカ同様耐熱スーツで着膨れ人形にされてしまっていた。
「いや〜〜〜〜ぁぁ!! なによ〜これ〜ぇ!? これがあたしの……弐号機!?」
「耐熱耐圧耐核防護服。局地戦用のD型装備よ」
成る程、こんな機会でもなければ一生お蔵入りしそうな物ではあったが、無事に日の目を見たにしては、登場早々悲惨な言われようである。
「こんなのってないわよ〜ぉ……。やっぱり嫌! あたし降りる!」
ついには駄々をこね始めたアスカ。折角のチャンスに活躍はしたいのだが、こんな容姿ではそれも意味がない。これではネルフの内部にしても外部にしても、ろくな笑われ方をされないのは目に見えている。世界を救う筈のチルドレンが、お茶の間の娯楽に成り下がったらそれこそアスカにとっては生き恥だ。
ところが、何処から嗅ぎつけたのか格納庫のギャラリーに、加持が姿を現した。
「しょうがないなぁアスカは。どれ、ここは俺が一つ……」
おどけて見せながらアスカを励まそうとするか、と思い立つ。
「そいつは残念だなあ。アスカの勇姿が見られると思ってたんだけどな」
「か、加持さん!? い、いや〜〜あ!!」
憧れの男性に見られた恥ずかしさが極まって、とうとうアスカは物陰に隠れて持久戦を決め込んでしまった。これではこの状況が改善されない限り、アスカが出てきてくれることはないだろう。
「困りましたね……」
「そうね」
真剣に困っているマヤとリツコとは対称的に、シンジは苦笑を一つ顔に浮かべるとリツコに持ち掛けた。
「……僕が弐号機で出ましょうか」
それを聞き付けた途端、アスカはつかつかとシンジの前に歩み寄り、シンジの胸を突き飛ばした。
「あんたには金輪際弐号機に触って貰いたくないわ!
あんたが出るくらいならあたしがやってやろうじゃないのよ!」
アスカは決意を固めたが、それにしては着膨れた弐号機が哀れであった。
「格好悪いけど、我慢するしかないか……」
浅間山上空に巨大な輸送艇が二機、その巨大な風貌を炎天下の上空に晒している。
弐号機は特殊装備のまま、初号機と並んで空輸されていた。
《エヴァ初号機及び弐号機、到着しました》
「両機はその場にて待機。データの打ち込みと、降下クレーンの準備急いで」
ミサトの迅速な指揮の元、山頂の火口クレバスに大型牽引装置が配備された。これで火口に弐号機を降下させ、第八使徒と認定された使徒『サンダルフォン』の捕獲を遂行しようと言うわけである。
そんな中、待機中の弐号機内部のアスカの目が左右に泳ぐ。どうやら加持の言葉を真に受けてその姿を探しているようだ。
「……あれぇ、加持さんは?」
「あの馬鹿は来ないわよ、仕事ないもの」
「ちぇーっ、折角加持さんにもいいところ見せようと思ったのに……」
加持の話しとなるとミサトがご機嫌斜めなのはいつもの事だ。特にミサトが多忙な時ほど、悠長に時を過ごしているかに見える加持の存在が気に掛かるらしい。
秘密作戦が施行されているとは言っても、民間人には所詮蚊帳の外の話題。
浅間山の観光施設は平日通り営業しており、頂上付近行きのリフトも運行されている。最も、頂上付近に降り立ったところで丁重に人払いされるだけだろう。
そんなリフトの麓の乗り場に、観光客が二人だけ姿を覗かせていた。先にリフトに乗っていた40代前半の中年女性の後に続いて「ご同席失礼」と断って乗り込んできたのは、本来ここには仕事がない筈の加持である。
雑種の子犬を小脇に抱えたりなどして、いかにも地元民を装ってはいるものの女性は歴とした間諜である。加持と内通するに際しての変装は、確かに常人には到底見破れない。
リフトがゆっくりと登り始めると、二人は挨拶も無しに突然切り出した。
「……A−17の発令ね。それには現資産の凍結も含まれているわ。
プロダクションタイプのエヴァ増産計画にも、見直しが図られるかも知れないわね」
「お困りの方も、さぞ多いでしょうな」
二人は狭いリフトの中でも、一切顔を見合わせずに話している。とすると当然窓の外の景色が目に飛び込んでくるわけだが、話題に際して遠くを見つめるのにはそれも都合がいい。
「何故止めなかったの?」
「理由がありませんよ。発令は正式な物です」
「でもネルフの失敗は、世界の破滅を意味するのよ」
「彼等はそんなに傲慢ではありませんよ」
「でも、それではお嬢様は納得しないわ」
「私はお嬢様の部下ではありません。またお嬢様とは生きる道が違います。
この仕事は俺が好きでやっている仕事です。命令は聞けますが、我儘は聞けません」
「お嬢様も物好きな。あなたのような人間を雇うなんてね」
「男を見る目があるのでしょう」
「……滑稽な」
女間諜は一笑に伏した。
やがて、リフトは頂上発の便と交差する。下りの便に乗っている客はたった一人の男性だった。
その男は登りのリフトを一瞥した後、手元の「浅間山名物、抹茶バニラとチョコミントとナタデココアイスの三段重ねアイス」という怪しいフレーズに釣られて買ったアイスクリームを口に運ぶ。
「うえ……まっずぅ。噂に釣られたのが間違いだったかな……にしても400円は高い」
不味いアイスを掴まされた事はこの際水に流して、男は山頂付近に視線を向けた。
今頃シンジは何を企んでいるのやら、あの少年の事だから大人しくバックアップに居座る筈はないが……。
「さて、どうするシンジ。相手は一千度のマグマがバトルエリアだ。
今度はどんな手段で使徒を倒すのか、お手並み拝見といこうか。
前章で出しゃばりすぎたんで、俺は今回はここで静かに観戦する事にするんでね」
リフトの窓桟に肩肘をついて静かに頂上を見守る。一寸先をも知れない未来、人によっては何よりも恐れる物を誰よりも楽しんでいる……それがノヴァスター=ヴァインという男。
だが、一口だけしか口を付けていなかった手元のアイスが、密閉空間の暑さの余り溶解していた事にまでは気が回らず、豪華三段重ねのアイスは音も立てず静かに彼のスニーカーへと垂直落下するのであった。
「!!!」
ふと見上げた空に、光る物体を三つ見つけたアスカ。
「何、あれ?」
ミサトが立て込んでいるので、取り合えず話し掛けられる位置にいたリツコとマヤに問い掛ける。
「ああ、あれね。UNの空軍が空中待機してるのよ」
「この作戦が終わるまでね」
「空中待機……それって、手伝ってくれるって訳?」
「いえ、後始末よ」
「私達が失敗した時のね」
「……どういう事?」
「使徒をN2爆雷で熱処理するのよ。私達ごとね」
リツコはまるで他人事のように語った。勿論失敗などするつもりはないし、失敗した時のことを考える事もない。それでも非人道的なその話に、アスカが憤慨するのも当然だ。
「酷い! そんな命令、誰が出している訳!?」
「碇司令よ」
「……ふん、親子揃って冷酷な事」
「滅多な事は言わない方がいいわよ、アスカ」
「何かあるとすぐN2爆雷でカタを付けようっていうのが、国連軍の悪い癖だよな」
誰にも聞こえないように悪態を吐いているのはシンジだ。
「でもそれって……エヴァも同じ事なんだろうか。
忌まわしい力、狂気の力―――ゼロは言ってた。本来こんな物がこの世にあってはならないんだと。
それでも僕達がエヴァの存在を捨てきれないのは、使徒に対する唯一の対抗手段だから……、
違う、僕の母さんとキョウコさん、この二人の為だけなのかも知れない。
父さんにとって掛け替えのない人、そしてアスカにとって掛け替えのない人。
僕にはゼロのような力はない。だから史実を完全に真似することは出来ない。
でも出来るだけ近付くことは出来るはずだ。
犠牲をなくせば、例え人を生き返らせるような力が無くても結果としては同じ事なんだ。
だから、今度こそ絶対に決着をつけなくちゃならない……僕自身の宿命にも」
吐き捨てるにしても、悲しい決意である。
作戦は開始された。
ネルフは今度は使い捨て用のレーダーソナーを用意し、弐号機に先駆けて潜行させる。指揮はヤシマ作戦時同様に指揮車内部で行われる。
《レーダー作業終了、進路確保。
B型装備、異常無し。弐号機、発進位置》
「了解。アスカ、準備はどう?」
「いつでもどうぞ」
「……発進!」
五重の特殊強化ワイヤー線、兼冷却液パイプに釣り下げられた弐号機は、電磁捕獲機を両手に携えいよいよ溶岩の中へと沈降していく。溶岩に潜行するなどなかなか出来ない貴重な体験ではあるが、命懸けには違いない、アスカは煮えたぎる溶岩を目の当たりにして平穏では居られなかったが、出来うるだけ緊張を解きほぐそうと努め、恐怖心を打ち消そうとした。
「本当に大丈夫でしょうね……この着膨れスーツ」
多少の熱ならばATフィールドだけでも防げるが、千数百メートルの深層部ではそれも保証の限りではない。まして使徒との交戦も考えられる、不安の種など探せばキリはない。
(でもあたしはやらなくちゃならないのよ。選ばれた名誉あるチルドレンとして……)
弐号機が、溶岩に沈む。
《現在、深度170、沈降速度20、各部問題無し。
視界はゼロ……何もわかんないわ……CTモニターに切り替えます》
アスカは肉眼視を諦めCTスキャニングで周囲を索敵する。
「これでも透明度120か……」
それでも黙々と降下を続けるしかない弐号機。目標深度は1000を越えるのだから。
「……深度400……450……500……」
沈降の様子を固唾を飲みながら静かに見つめる司令部の面々、そしてクレバスの淵で見下ろすシンジと初号機。初号機は既にプログナイフを投下する体制を整えていた。未来を「先読み」のできる自分だけの特権を最大限に生かすのがシンジのやり方だ。もし史実通りに事が運びさえすれば、自分は絶対に負けない……そんな思い込みが、今のシンジの支えでもある。
「550……600……650……」
深度が600を越えた辺りから、D型装備が軋みを帯びてきた。だが理論上は1000m以上の深度にも耐えうる為に、まだ心配には至っていない。
「……900……950……1020、安全深度オーバー」
アスカの顔が険しさを増した。敵影はいまだに姿を見せない。
「深度1300、目標予測地点です」
机上の計算ではここが溶岩の流動による使徒の漂流地点の筈であるが、やはり敵影らしき物は見あたらない。
「アスカ、何か見える?」
「……反応なし。居ないわ」
「レーダーによる探知にも何も掛からないという事は……思ったより対流が早いようね」
「目標の移動速度に誤差が生じています」
「再計算、急いで。作戦続行、再度沈降宜しく」
その命令に顔色を変えたのはアスカではなく、ミサトの横にいた日向だ。彼は昨日、ミサトに随伴していたが為に、ミサトが計器を一つ犠牲にしてまでデータを採取しようと強行したのを目の当たりにしている。あの時は代替が利く機械であったからさほど気に留めなかったものの……。
「深度1350……1400……」
その時、冷却液循環パイプの一つに亀裂が生じた。過酷な状況に追い詰められながら、歯を食いしばるアスカ。
「深度1480、限界深度オーバー!」
状況を報告するマヤの声にも焦りが生じている。それを聞き取れないミサトではなかったが、
「目標と、まだ接触していないわ!」
マヤに、周囲に、そして自分に言い聞かせるように叱咤すると、作戦を続行させた。
「……続けて。アスカ、どう?」
「まだ持ちそう。さっさと終わらせて、シャワーでも浴びたいところね」
「近くにいい温泉があるわ、終わったら行きましょ。もう少し頑張って」
互いにここが正念場だと分かっている為か、ミサトの激励も口早に出てくる。
「限界深度、プラス120!」
ここに来て、身体各部に異常が生じてきた。無理を強いているのだから当然としても、
「!?」
《エヴァ弐号機、プログナイフ損失》
左足にベルト装着していた唯一の武器、プログナイフを失ったのは大きい痛手だ。
「限界深度、プラス200!」
このままでは計測器の二の舞……焦燥が限界に達した日向が叫んだ。
「葛城さん、もうこれ以上は! 今度は人が乗っているんですよ!」
「この作戦の責任者は私です……続けてください」
公言するように言い放つミサト。それは指揮車内部の人間に限らず、アスカやシンジにも聞こえるように断言するミサトの決意であった。
(空虚な心を咎と責任で埋める為の責任者ではないんですよ、ミサトさん……)
人は、何処かで自分と他人を重ね合わせて、安堵できるのかもしれない。
だとしたら、シンジにとってはそれがミサトであってはならなかったのだ。
「ミサトの言う通りよ! 大丈夫、まだ行けるわ!」
パイロットたるアスカの同意を受けて、沈降は続行された。
「……深度1780。目標予測修正地点です」
その時、CTモニターの灼熱空間に、繭型の黒い影が認められた。
「目標を映像で確認」
「捕獲準備!」
ミサトの号令に合わせ、電磁捕獲機が展開される。
「お互いに対流で流されているから、接触のチャンスは一度しかないわよ」
「分かってる、任せて!」
目標までの距離を慎重に把握して、弐号機を対流と使徒との軸線に合わせる。
やがて弐号機は無事使徒の中央上部に陣取り、柵に捕らえることに成功した。
「電磁柵展開、問題無し。目標、捕獲しました」
アスカの報告に、一同肩を撫で下ろす。日向などは作戦行動中は気が気でなく、少なくとも計測器の二の舞は防げたと内心安堵していた。
「ナイス、アスカ!」
ミサトの言葉に、アスカも無事に肩を撫で下ろす。だがそんな素振りも一瞬のこと、あくまで余裕の表情を努めなければならない事を思いだし、
「捕獲作業終了、これより浮上します!」
そして任務に忠実に努める事を忘れない。
やがて、使徒をしっかりと携えた弐号機がゆっくりと浮上を始めた。
「アスカ、大丈夫?」
「あったりまえよ、案ずるより産むが易しってね。やっぱ楽勝じゃん」
「アスカも、だいぶ日本の諺覚えたわねぇ」
「へっへ、日本の諺って状況状況で何かと贔屓に出来るじゃない、気に入ってんのよ。
しっかし、この暑さじゃプラグスーツも只のサウナスーツよ。あ〜、早いとこ温泉に入りたい……」
緊張の糸が切れたかのように談笑するアスカとミサトに苦笑するリツコは、
「緊張がいっぺんに解けたみたいね」
「そう?」
「そうよ。口では余裕のつもりでも、本当は今日の作戦、怖かったんでしょう?」
「まぁね。下手に手を出せば、アレの二の舞ですものね」
「そうね……セカンドインパクト。二度と御免だわ」
だがその時点では、司令部の誰もが作戦の成功を信じ、安堵していたのだが……。
(……出番、かな)
シンジはこの中で只一人、この作戦の失敗を信じて疑わない人物であった。
そしてその悪い予感が、まもなく的中する事になる。
(……映像、CTモニターに移行。シンクロカット最大レベル、電力ゲイン確保……)
突如、指揮車に警報が鳴り響く。
「なによこれ〜ぇ!!」
電磁柵の中の蛹が、突然激しい胎動を示し始めたのだ。
「まずいわ、羽化を始めたのよ! 計算より速すぎるわ!」
「電磁柵の強度は?」
「とても保ちません!」
やがて繭から突き出た手らしき物が電磁柵を打ち破ったのを認めると、ミサトはやむなく作戦変更を切り替えざるを得なかった。
「捕獲中止! 電磁柵を破棄! 作戦変更、使徒殲滅を最優先!
弐号機は撤収作業をしつつ、戦闘準備!」
「待ってました!」
やはりアスカには捕獲よりは殲滅のが性に合うらしい。だがプログナイフを構えようと左足に手を伸ばしたところで、灼熱の溶岩を引っ掻くだけであった。
「しまった、ナイフは落としちゃったんだわ! ……正面!?」
眼前から、完全に羽化しきったサンダルフォンが凄まじい速度で迫ってくる。
弐号機はとっさに沈降用の脚荷であったバラストを切り離し、間一髪でサンダルフォンを真下にやり過ごすことに成功した。
「思ったより速い……!」
初撃を回避されたサンダルフォンは、溶岩内をあたかも海中であるかのように泳ぎ回り、二度目の突撃を掛けるためか溶岩内を大きく迂回していた。
やがて視界の悪い溶岩内に隠れて、弐号機のレーダーから完全にロストしてしまう。
「まずいわね……見失うなんて。おまけにこれじゃガギエルの時と状況が同じじゃない!」
冷静を保たなければ、勝てる戦いにも勝てはしない……アスカは自分に必死に言い聞かせた。
(今度こそ、あいつに出し抜かれるわけにはいかないのよ!
あたしは勝つんだ! 勝って、もう二度とあんな奴にでかい顔させるもんかっ!!)
その時、弐号機の前を掠める物体があった。事態を察したシンジがいち早く投下していた初号機のプログナイフである。初号機に手渡されたというのが少々癪だが、ここでは渡りに船とばかりそれを受け取ったアスカ。
「さあ、来なさいよ。相手してあげるわ」
気が付けば正面に迂回していたサンダルフォンが、全速力で弐号機に突撃を掛ける。突き出した使徒の左手はプログナイフで受け止めたものの、余った右手が弐号機の左足を捕らえる。
「しまった!?」
弐号機を両手内に固定したところで、サンダルフォンは恐るべき行動に出た。
なんとこの灼熱の状況下で、口を開いて弐号機の特殊装備に噛み付いて見せたのである。
「まさか、この状況下で口を開くなんて……!」
「信じられない構造ですね!」
リツコとマヤが口々に驚きを見せる。口を開いて見せたと一言で表されるとしてもそれは、使徒の強靱な生命力、環境適応能力、治癒力、学習能力……それら全てを今一度思い知る、科学者にとってはそれほどの衝撃だったのである。
食い付かれた特殊装備も、プログナイフで受け止めた左手もしばし膠着していたが、脚に取り付いた右足は着実に弐号機を浸食していき、やがて脚部は根こそぎ引きちぎられてしまった。
アスカの怒りが頂点に達した。
「こんちきしょお―――ッッ!!」
怒りに任せサンダルフォンの眼球とおぼしき箇所をナイフで何度も攻撃するが、
「高温高圧……これだけの極限状態に耐えているのよ、プログナイフ程度じゃ歯が立たないわ!」
「それならっ!!」
突如、溶岩内のサンダルフォンに飛び乗る物体があった。初号機である。
「初号機!? いつの間に!」
それは作戦司令部の注意が完全に弐号機に逸れた一瞬の間の行動だった。ナイフに遅れること数秒、シンジは意を決して牽引ワイヤーづたいに降下してきたのである。
当然初号機は特殊装備などしていないものだから、全身の特殊装甲はボロボロに焼けただれ融け落ちていた。それでも出来うる限りはATフィールドで耐熱していたが、ATフィールドに回す電力を稼働分に保留しておきたいというシンジの欲目である。
「サード!? なにしに来たの!!」
シンジはアスカのその問いには答えず、右手の拳にATフィールドを収束させ硬化させると、それをサンダルフォン目掛けて目一杯振り下ろした。同時に激しい衝撃の余波が三体を襲う。
「!? 使徒の身体が!」
アスカに確認出来たのは、その初号機の一撃によってサンダルフォンの表皮に僅かにヒビが入った事。シンジは更に左手の拳にも同様にATフィールドを収束させ、そのヒビに向けて目一杯叩き付けた。
「てぇぇぇぇぇいいっっ!!」
その拳が、サンダルフォンの強靱な身体を突き抜ける。
「貸せっ!!」
言うか言わぬか、弐号機の特殊装備を冷却していた冷却液のホースを無理矢理引きちぎり、自分がぶち抜いた穴に向けて差し込んだ。
「! 熱膨張を利用しようと言うの!?」
リツコは瞬時に推測すると、
「冷却液の圧力を全部三番に回して、早く!」
シンジの意図を汲んでいち早く冷却液を利用することを思い立ち、指揮を飛ばす。
高温の溶岩内でマイナス200度の冷却液を体内から浴びせられたサンダルフォンは、あまりの寒暖のギャップにたまらず足掻きだした。同時に、体格を組織していた細胞もボロボロに粉砕されてしまう。
「うああああああっっっ!!!」
先程の二撃で既に初号機の両拳は潰れていたが、めげずに今度は両手を組み合わせてサンダルフォンに叩き付ける。三度の衝撃に加え冷却液で既に全身は崩壊を始めていた。
断末魔をあげるサンダルフォンが、最後の抵抗とばかりに右手で引っ掻いたのが運悪くも牽引ワイヤーだった。ワイヤー計五本のうち四本までをも見事に引きちぎったサンダルフォンは、何かに満足したかのように抵抗をやめ、高温高圧の中急速にその身体を崩壊させながら地中へと沈んでいった。
「……結局、何もできなかった」
颯爽と現れ、想像を絶する戦法で戦い抜くシンジに呆気に取られるのは今回に限ったことではないのに、アスカは何故か極限状態に弱くなっている自分を知りつつあった。
「……なにしに現れたの? あたしじゃ使徒には役不足ってわけ?」
恨めしげにモニター越しのシンジをにらむのも、もう恒例になってしまったような気がする。映像は途切れていて映らないが、アスカはそこにはいつものようなシンジの嘲笑があるのだろうと思い込み一人憎悪を深めていく。
「…………」
「何か答えなさいよ! それともあんたは……!!」
アスカの壮絶な罵声を絶つかのように、最後のワイヤーが切れた衝撃がアスカを襲う。
「そんな……あたし、本当にここで……終わっちゃうの?
何も活躍できぬまま……誰にも認められぬまま……誰にも愛されぬまま……死んじゃうの?」
牽引ワイヤーが全て切れてしまえば、不格好な弐号機は重力に任せて落下する他はない。
遥か上部の火口を呆然と眺めながら、アスカは今度こそ確実な「死」を実感した。
目の前の初号機が助けてくれるなどとは到底思わなかった。何故ならサードは自分よりもチルドレンとして優れた存在、自分より戦力として使える存在、だから自分より目立つ存在。何よりサードは自分をのけ者にしたがっているのだ……ならば自分を葬るにはここで見捨ててしまえば至極簡単な事。
(……寂しいな。結局、死ぬまであたしは一人……一人ぼっち……)
身を包む生暖かいLCLの中、アスカの頬には人知れず絶望の涙が伝う。
(本当は誰かに助けてほしかった……一人にしないで欲しかった……。
でも駄目、駄目なの。あたしはサードに負けた。チルドレンとしてのあたしが負けた。負けたのよ。
だからもう誰もあたしを見てくれない。あたしの居場所はもう何処にも無い……。だったらもう死ぬしかない……。
居場所がないのなら……誰もあたしを見てくれないのなら……あたしは……あたしなんかもう要らない……)
「……させない!」
既に初号機の潰れた両手には握力など殆ど残ってはいなかった。シンジは握力の無さを気力と根性だけで補い、ワイヤーを右手に、弐号機を左手に掴み上げながら上昇するワイヤーに身を任せアスカを引っ張り上げていたのだ。
「サード! あたしに生き恥を晒せとでも言いたいわけ!
いいからその手を離しなさいよ! あんた、あたしが邪魔なんでしょ!
あたしなんか居なくたってあんたには何の支障もないのなら、この手を離しなさいよ!」
「…………」
「!? サード!?」
あとはアスカがどれだけ問いかけても初号機側からはろくな返事が返ってこず、そんなやりとりは二機が地上に牽引されるまで続いていた。
焼けただれた初号機のエントリープラグから、緩慢な動作でシンジが姿を表す。そのままとぼとぼとテントに向かって歩き出すと身近にあったパイプ椅子に腰掛け、悠々と目を閉じ休憩を取る。
反してアスカは、自分のスーツのサイズを通常用に戻すと途端にシンジの元に駆け出し、二人は50cmも離れていない真正面で向かい合っていた。
「礼なんか言わないわよ。誰も助けてくれなんて頼んでないわ」
「…………」
アスカは壮絶な視線でシンジを睨みつけるものの、シンジはまるで聞こえていないかのように目を閉じたままだ。
「ちょっと、人の話聞いてるの!? なんとか言ったらどうなのよ!」
「…………」
「目の前でシカトなんていい度胸してるじゃない!」
ついに堪忍袋の尾が切れたアスカが、シンジの胸倉に掴みかかった。ところがアスカが目一杯手前に引っ張り込んだ反動のまま、シンジはアスカの胸元に崩れ落ちる。
「おっと」
アスカにもたれ掛かる寸前にシンジの身体を横から支える者がいた。何処から出てきたのか、ノヴァスターである。
「……やれやれ、お互い意地の張り合いもいいけど、ちょっとは他のことにも気を配るべきだな。
取りあえずアスカ、今日のところはシンジを許してやってくれないか」
「なんでよ!? 私の話はまだ済んでないわ!」
アスカはノヴァスターの説得には大いに不満げだったが、
「とすると、熱さのあまり気絶している奴に延々と説教を続けるつもりかい?」
「……え?」
改めてシンジの顔を覗き込むと、顔中に脂汗を垂らしていたシンジの顔は明らかに青ざめていた。目を閉じて休憩していたのではなく、テントに歩き帰るまで精一杯の意地で平穏を装っていたと言うべきなのだろう。気が付けばシンジは昏々として意識を失っているのであった。
「耐熱スーツもなしに、おまけに溶岩内でATフィールドを手に収束させるなんて無茶をすれば、
当然他の箇所の守りは薄くなるわな。全身灼熱地獄の中で、さぞ熱かったろうによくもまあ意地張っちゃって」
「……!」
「という訳で、担架を一つ要請してきてくれ」
「! わ、分かったわ!」
事態がまだ把握しきれてないのか、詰まりながらもアスカは救護班の元に駆け出していった。
その後ろ姿をしばらく見守っていたノヴァスターだったが、やがてシンジを静かに椅子に戻し、顔色の悪いその寝顔を、何か思うところがあるかのように長い間見つめていた。
「……しっかしよくもまあやるよお前さん。やらなくてもいい無茶ばかりしてるんだものな。
にしても、拳にATフィールドを纏って殴りつけるなんて高等技まで自力で成し遂げてしまうとはね……」
そして、ノヴァスターは自分の掌をじっと見つめる。しばらくそうやって穴が空きそうなほど見つめながら考え事をしていたようだが、ふと何かを思い立ったらしい。
「……そろそろ『アレ』を仕込んでやるべき時期なのかな」
思い立ったが吉日、それを行動に移すためにノヴァスターが向かったのは、技術課員達の控えているテントだった。
「すみません、赤木博士はこちらにいますかね?」
シンジの診断結果は、中程度の熱射病同様の脱水症状だった。
シンジを医務室で安静にさせておく傍ら、ミサトはアスカ達を連れだって軽井沢の温泉街へと足を運んでいた。事後処理作業はここで一泊して、帰ってから行うことにすると開き直った為である。
しかし、かつての避暑地軽井沢の面影は影も形も見られず、何処の温泉宿も閑古鳥が鳴いている始末。取り合えず「近江屋旅館」という旅館を手身近に見つけ、ネルフ一同で一晩の宿とした。
ミサトはアスカを連れだって、大露天風呂へと足を運んでいた。同様にノヴァスターも温泉道具一式を携えて大露天風呂に同伴した。ミサトとアスカの浴衣姿はそれぞれに男性にとってはとても魅力的な着こなしであったが、ノヴァスターは涼しい顔で二人と興じている。
(ちっ、所詮は妻帯者か)
ミサトがそう思ったとか思わないとか。
「ところでおさんどんの奥さんってどんな人なの?」
「? なんでそんな事聞くのかな?」
「なんでって、別にぃ。所帯持ちだと分かった以上少し気になっただけよ」
そっぽを向くアスカに苦笑しながら、ノヴァスターは語った。
「どんな人って……そりゃあ綺麗な奥さんだよ。俺には勿体ないくらいね。
歳は俺よりちょっと年下でね、今は心理学の大学院生やってる傍ら、一方では臨床心理士の卵さ」
「臨床心理士……セラピストって事?」
「そ。彼女の場合、幼少時代に心に傷を負ったようなまま成長した子供とかを専門に診断するのさ。
仕事と言っても彼女が望んで選んだ道だからね、意気込んで打ち込んでるよ。天職だって本人は言ってた」
「へ、へええ……」
二人の相槌がそこで何故かどもる。しばらくしてから問いただし直したのはミサトだ。
「それで、子供とかはいるの?」
「あはは、こう見えても結婚して半年も経ってないんですってば。まだ居ませんよ」
「ってそれってまだ新婚さんじゃない!? こんな所に居ていいの!?」
「妻もちゃんと承知してくれた事ですからね、離れていても気兼ね無く仕事に打ち込めるんですよ」
「ふうん、奥さんの事となると意外と真面目なのねえ」
「そりゃあ……彼女を愛してますから」
「「げえ!」」
突然二人がノヴァスターから距離をとった。
「こ、こんな所でのろけないでくれる!? 当てられる身にもなりなさいよ!」
「ははは、ミサトさんには悪い事をしたかな」
「……どーしてそこで私の名前が出てくるのかしら?」
「いえいえ、独身貴族ってのも、いいもんですよ」
「答えになってなーい!」
哀れ、ミサトにしばかれるノヴァスター。
「い、痛い……」
「それにしてもあんたねぇ……浴衣姿にその悪趣味なサングラスは止したら?
もしかしてそれ付けたまま温泉入る気ぃ? あー気持ちわる」
「ちゃんと防水防湿処理のされているサングラスだから、大丈夫なの」
「そういう問題じゃないでしょ!」
たわいない会話に興じながら、入り口前で三人はそれぞれの暖簾をくぐる。
男湯の脱衣所には人の気配は感じられなかった。ネルフ一行も他に出払っているので間違いなく無人なのだろう。それを確かめると、ノヴァスターは静かにサングラスを外し、浴衣を脱ぎ始めた。
時は日暮れ時、露天風呂にも夕焼けが眩しい時間帯だったのだが、
「こういう時にサングラスは無粋だな」
そんな些細な理由で外すことだってある。
ところが、いざ大浴場に足を踏み入れたところ、露天風呂には先客がいた。
「……温泉ペンギンの存在を忘れていたっけ」
加持がご丁寧にもクール便で郵送してきたペンペンである。大の温泉好きのペンペンは、大浴場でまるで水浴びに興じているかのようにはしゃいでいる。そんな彼もノヴァスターがやって来たことに気付いたようだが、一瞥しただけで後は相変わらずはしゃいでいるだけだ。
「……お前も相変わらずだなあ」
そんな温泉ペンギンからはやや距離を取って、ノヴァスターは悠々と風呂に浸かる。
「はあ〜あ……極楽極楽。こんなに気持ち良い風呂は久しぶりだなあ……。
シンジも来ればよかったのに、無茶しやがってまったく」
眼下には雄大な自然、丘陵線には真っ赤な夕日。
「大自然のパノラマを眼前に眺めての露天風呂か。
やっぱり風呂はいいねえ……日本文化の生み出した娯楽の極みだよ」
そんな時自然と女湯の方から、ミサトとアスカの戯れているのであろうはしゃぎ声が聞こえてきた。
「あはっ、アスカの肌ってすっごくプクプクして楽しい〜」
「うあっ!? やぁだっ、くすぐったぁいぃ〜」
「うふっ、じゃあ、ここはぁ〜」
「あははっ、そんなトコ触らないでよぉ〜」
「いいじゃない、減るもんじゃないし〜」
どうやら互いの身体に触れ合ってじゃれあっているらしい。
「……何やってんだか(^-^;
ま、アスカもだいぶ元気を取り戻してるようだし、ミサトさんらしいスキンシップさね」
言葉ではなんともうまく締めたつもりだったのだろうが、先程からペンペンが自分の股間に食い入るような視線を注いでいるのがどうにも気になるノヴァスター。
「……コラ、オスの分際でそんな物まじまじと見つめたらいかんがな。
しかしさっきはミサトさんにはああ言ったけど、新婚生活フイにしてるのは結構痛いよなあ……」
湯船のお湯で顔を洗い直してみるものの、ノヴァスターとて大の男である。
「はあ〜あ……今頃、何してるのかなあ……」
ホームシックが身に凍みる。
アスカは温泉に浸かっている間、ミサトの胸部にある傷跡が度々視界に入ってくるのが気になっていた。
「ん? ああ、これね。セカンドインパクトの時、ちょっちね」
古い傷跡……アスカが顔を顰める。
「……知ってるんでしょ? 私のこともみんな」
「ま、仕事だからね……。お互いもう昔の事だもの、気にすることないわ」
夕日が二人の艶姿を照らし続ける。遠くでカラスが虚しく鳴く。
そんな空虚で雑多な感情を反映するかのように、二人の間には沈黙が続いた。
「たびぃ〜ゆけ〜ばぁ〜♪」
あまりのタイミングの悪さに、縁石に座り込んでいたミサトが思わず浴槽に滑り落ちてしまった。
「コラおさんどん! 下手な歌で雰囲気ぶち壊すのは止しなさい!」
アスカが垣根の向こうに怒鳴ったものの、
「はぁ〜あビハノンノン♪」
「ふう……つくづく変わった人ね、ノヴァスター君って」
変わった人……略すると「変人」。彼はその待遇にもめげず、今日も行く。
二十四章、お届けしました。
昨年度は連載に対する沢山の感想メール、または御愛読をいただいて大変ありがとうございました。
拙作は今年度中の完結を目処に書き上げるつもりです。宜しければ引き続きの御愛読を願います。
本来はクリスマスに合わせて短編を投稿する予定でしたが、出来が不満でしたので、投稿はしない事にしました。その代わり、連載内でのクリスマス(今章は11月の頭に当たる)にその内容を盛り込んで公開する予定です。
さて次章ですが、初号機を「改造」するためにリツコに出張ってもらう事にします。
シンジが器用にATフィールドを扱い始めたのに乗じて、そのコツを応用してみようという話です。
サブタイトルは「初号機スーパーロボット化計画」(笑)……もとい「シンジの修行編」です。
ま、こういう事を発想する奴は一人しかいないわな(^^;
それでは、また次回……。
「LiebesLied」無事完売! お買い上げいただいた方、どうも有り難うございました!(^^)