ミサトは途中まで書き上げた書類に突っ伏して、嘆いていた。
前日の騒動の報告書と始末書に、何と書くべきかをさんざん悩み抜いた末の嘆息を吐きつつ、今自分が居座っている部屋の主に愚痴たれた。
「はぁ〜あ。水中戦闘を考慮すべきだったわぁ……」
「あら珍しい、反省?」
「いいじゃない。貴重なデータとやらも取れたんだし、結果オーライよ」
言葉とは裏腹に、そのデータの取れた顛末に関してミサトの虫の居所が悪い。
前日の戦闘記録を記載しようとしたところで、ぱっと見信じて貰えるやら。第一弐号機のシステムの方に戦闘記録が記録されている以上小手先の誤魔化しは利かないのだし、その辺を融通するリツコでもない。
「でもあれは、本当に貴重なデータだったわ。
まさかパーソナルパターンの類似しないパイロットが、弐号機を動かすだなんて。
それもシンクロ率は過去の記録更新、なんと103%を越えたのよ。ここまで来ると一種の奇跡ね」
「単なる火事場の馬鹿力でしょ。たった七秒間の計測記録じゃ、信憑性薄いわ」
「私が驚いているのは数値だけじゃないわ。シンジ君と弐号機がシンクロしたという単純な事実そのものよ。
まったく彼はこちらを驚かしてくれる事ばかりしてくれるものね」
リツコは触れてはいけない事に触れてしまった。案の定ミサトはその言葉にカチンと反応する。
「だいたい、アスカを病院送りにしといてなにが『記録更新』ですって!?
まったく冗談じゃないわ、自分を何だと思っているのかしら、あの子!」
「それは生憎私の管轄じゃないわ。私は受け取った事実を後々に生かすまでよ。
シンジ君を叱咤するなら、別に止めはしないけど」
「当たり前よ!」
ドガッ、という音とともに、拳の鉄槌がテーブルに振り下ろされる。
「止してちょうだい。うちの備品よ、それ」
「まったくどいつもこいつも……」
ミサトは上唇と鼻の間に筆を挟みながら、使徒より厄介な始末書に目を向けた。
「報告書ならまだしも、始末書たぁね。
碇司令も人が悪いにも程かあるわ、どの道使徒があそこに来るのは予想してた事なんでしょ?」
「司令の考えは私にも計りかねるわ。加持くんがここに来た理由もね」
「ちょっとぉ、人がイライラしている時にやな奴の名前出さないでよぉ」
「あら、あなた達まだ喧嘩してたの?」
「おあいにくさま」
ミサトはべーっと舌を出すが、その拍子に落っこちた筆を慌てて拾う。
やがて大人しくミサトが書類に対峙し始めた時、リツコの側にあった内線電話が鳴る。
「伊吹です。先輩、今ちょうど例の報告書が仕上がりました。そちらに転送しますね」
「ありがとう、マヤ。これの整理が終わったら今日はあがりましょ」
「はい、お疲れさまです、先輩」
「お疲れ、マヤ」
リツコは通信を切ると、プリントアウトされる数枚の書類を手に取り、一枚一枚目を通し始めた。
最初の数枚は流し読みしていたが、最後の一枚に特に目を留めると、
「ミサト。『彼』の正体、調べておいたわよ。でも、あまり芳しくない結果ね」
「どういうこと?」
リツコは最初の一枚から順次要点だけを掻い摘んで読み上げ始める。
「ネルフ第二ドイツ支部、第三アメリカ支部、その他の支部全てに人員の検索をかけたけど、
『ノヴァスター=ヴァイン』なんて人物名はかすりもしないわ」
「……思った通りね。ただの『語り』か」
ミサトはリツコに頼み、前日に出会った青年、ノヴァスターの裏を取っていたのである。
昨日はその場の雰囲気に流されて彼の言葉を信用したが、よくよく考え直せばあからさまに怪しい人物でもあった。また、シンジとなにやら親しげだったのも引っかかる。あの不遜な少年に親しげになっている事に苛立っているのは果たして自分のやっかみなのかとも思い直したが、一瞬後には頭から振り払う。
「シンジ君からも事情を聴取して、そちらの方も探ってみたけどまるで引っかかる様子なし。
でも少なくとも、あなたの前で語ったようなネルフ関係者でないのは確かだわ」
「ならあんたは認めるの!?
ネルフに無関係の人間が、弐号機の仕様を弄くっていただなんて!
技術の秘匿だけの問題じゃないわ、外部の人間にエヴァを触らせただなんて、
弐号機の警護にも問題があったことになるのよ!」
そう、それがミサトが今始末書を書かされている理由なのだ。
「……手の回るところはあらゆる所に潜入をかけたわ。
それこそ支部の端末や、米国SWATの端末までね。ところがまるで経歴に掛かる気配はなし。
レイのように、経歴そのものを抹消されたとも考えられるけど」
「どの道信用は出来ないって事でしょ。そうと決まった以上、とっとと出ていって貰いましょ。
そっちは保安部の仕事ね、私は知らないわ」
ミサトが背もたれに深くもたれ掛かり、前後に船漕ぎを始めた。安物の椅子がギシギシと唸る。
『保安部』という言葉が出たところで暫し逡巡したリツコが、やがて重い口を開いた。
「そうもいかないみたいよ。昨日までの経緯がどうあれ、彼は今日から正式にネルフの一員だもの」
「!? なんですって!?」
「司令が認めたのよ。彼は、保安部に連行されるどころか、逆に今日から保安部所属よ。
『ネルフ本部保安課所属 ノヴァスター=ヴァイン二尉』それが今日から彼の肩書きよ」
「一体……司令は何を考えているの?」
ミサトが憤怒のあまり、顔を赤らめている。最近彼女は怒ることが多くなったとリツコは思う。
「しょうがないじゃない。彼はあなたやシンジ君には嘘の肩書きを語っていたのだろうけど、
彼が持っていた出向辞令書は本物だったと、司令が認めざるを得なかったのよ」
「どこの支部がそんな辞令を出したのよ!?
ドイツやアメリカの支部はあり得ないんでしょ!?」
「辞令の発行主は支部司令ではなく、本部の碇司令本人よ」
「……どういうこと?」
「それが……私にも何がなんだか分からないわ。肝心の司令も分からないって言ってるのよ」
「???」
「書いた覚えのない、でも本物に間違いない辞令を突きつけられたんですって」
「……何それ、聞いているあたしだって分かんないわよ」
ドアをノックした後、リツコの研究室に訪れたマヤが見たのは、妙齢の女性が二人、顎に手を添え悩み抜いている光景であった。
話は三時間ほど遡る。
「いやはや、波乱に満ちた船旅でしたよ」
加持は調度机の上に肉厚なハードケースを乗せると、これ時期とばかり愚痴たれた。
「しかしとんでもない品ですな。お陰で使徒に尻を囓られるところでしたよ」
「使徒も後がないのだ。襲い来るデストルドーの前には、死に物狂いにもなる」
ゲンドウはゆっくりと蓋を広げ、ベークライトで硬化された『アダム』を目で吟味した。
「人類補完計画の要……最初の人間『アダム』、か。老人の懐刀にしてはやや小さいな」
「これでもたいぶ復元された方ですがね、今はこんな物でしょう」
「結構。ご苦労だったな」
「いえいえ、こちらこそ」
ゲンドウは引き出しから一通の辞令を引き出し、机の上に差し出した。
「これで、今日から君は晴れて監査課所属の一尉だ。
まあ、当面は主だった仕事もあるまい、休暇でも取るといい」
「ありがとうございます」
加持は嬉しくもない申し出に有り難く礼を述べた。
(いずれにせよ監視は付くだろうに。まあ、必要のない鈴は大人しくしていろという事か)
重厚なドアを叩く音がする。
《碇司令。例の男を連行いたしました》
「分かった。入れ」
ドアが開かれると、保安部員二人に両腕を捕まれ、その他数人に包囲され身動きのとれなくなっているノヴァスターが連れて来られた。船を降りた瞬間、有無を言わさず連行され、手錠を掛けられたのである。
ところがノヴァスターは、そんな状況になっても相変わらず笑顔のままで、こうなると少し気味が悪い。
「それじゃ、私はこれで」
その雰囲気の合間を縫って、加持は早々に引き下がった。
ノヴァスターは上着のジャンパーと銃を剥がれ、Tシャツ一枚にスラックスの格好でゲンドウの前に引き出される。もちろん手錠は掛けられたままで、両手は頭の後ろだ。押収された危険物は、保安部員の手で全てゲンドウの机に乗せられた。
「葛城君とシンジから事情は聞いている。鼠にしては大層な大立ち回りをした物だな」
「昼行性なものでしてね」
「……まあいい」
皮肉に相槌を打つノヴァスターを無視し、ゲンドウは押収物に手を掛けた。最初にマグナムM19を手に取り吟味し、次にコルトガバメントM1911A1を手に取る。
シンジには教えてなかったが、腰部に隠していた予備の銃が、M1911A1である。
「いずれにせよ、SWATの使う銃ではないな。ましてネルフの部員にはこんなロートルは使わせん」
「ま、型はあくまで趣味ですから」
次にジャンパーに手を掛けた。……が次の瞬間、ゲンドウの顔が俄に歪んだ。
「上着にしてはやたら重いな。何が詰まっている」
「防弾装備に防刀装備、救急道具に予備弾丸、ついでにランボー御用達のナイフも一本。
述べて10kgは下りませんかね」
ノヴァスターはさらりと答えた。実際保安部員が調べたのと違いはない。
「どこでどれだけ軍事訓練を受けた」
「さあ……色んな所を転々としましたからね。
SWATに居たのも一応事実ですよ、数ヶ月の研修でしたけどね。
修練期間は……ハイスクールを出てからだから、かれこれ7年ですかね」
「掴めん男だな」
「よく言われますよ」
ゲンドウがニヤリと笑った。
「売り込みか」
「まあ、そんな所ですかね」
保安部員の一人が、ゲンドウにとある封筒を差し出した。身体検査の時、胸元に入ってたのを没収されたのだが、やたら厳重な〆が付いていたので開けぬまま、爆発物検査だけは済ましたあとに、ゲンドウに手渡す。
白い高級な様相のその封筒には【碇ゲンドウ 宛】とある。ゲンドウはその筆跡に覚えがあるような気がしたが、誰の物かはその時は思い立たなかった。
「開けて構わないのか?」
「構いませんよ。あなた宛の封書なんですから」
ゲンドウはやや警戒しながら、封筒の〆をナイフで切った。
中には二通の手紙が入っていた。まず一通を手に取り、広げてみる。
それはノヴァスターをネルフ本部所属に任命する辞令であった。ゲンドウがそれを偽物と考えるのは簡単だったが、何故か署名主が自分であった事が引っかかった。こんな明快な偽物はあった物じゃない、本人に書いた記憶がないのだから、本来真贋は一目瞭然である。
「何の冗談だ」
「冗談なんかじゃありませんよ。筆跡を調べてくださっても構いませんし」
筆跡と言われてピンと来た。確かにこの字は、自分の筆跡にひどく似ている。
「こんな物を書いた覚えはないのだがな」
「でしょうね。でもそれが本物かどうかは調べてみる価値はありますよ。色々とね」
「……」
食えない男だ。しかも相当。
ゲンドウはその辞令書を一旦保留して、二通目の手紙を手に取った。
…………。
内容を読み進めるに連れ、ゲンドウの顔が青ざめはじめた。口ではぼそぼそと「何だと……」という言葉を繰り返しつつ、手紙の内容を何度も読み返す。
やがて手紙から顔を上げ、ノヴァスターに訪ねた。
「笑えん冗談にも程がある。こんな手紙を私に信じろと?」
「あなたの書いた手紙でしょう? 真偽はあなたが一番知っているはずだ」
ノヴァスターが断言した。
「……下がっていいぞ。この男はここに置いていけ」
ゲンドウは保安部員達に命じ、人払いをした。彼等はノヴァスターをここに一人置いておくことを当然のように諫めたが、ゲンドウが押し切った。
やがて彼等が司令室から引き取ると、ゲンドウは発令所へと回線を開いた。少しばかり苦々しい心境に任せてか、ボタンを押す指の動作が荒い。
「冬月、急いで戻れ。話がある」
「なんだ碇、こちらは昨日の記録整理残務に忙しいのだぞ」
「その昨日の来客が、問題なのだ」
ゲンドウの話を信用するには、言葉より顔を見るのが早い。そのゲンドウの顔色を察した冬月は、
「……分かった、こちらは青葉君に依託して、そちらに行くとしよう」
やや態度を渋りながらも、承諾した。
「司令。この部屋に『老眼』と『耳』は?」
ノヴァスターが奇怪な質問をしたが、ゲンドウは意図を早急に察し答えた。だが『眼』と言わず『老眼』と言ったノヴァスターの台詞をこれ以上推察する事は一種の恐怖でもあった。逆に考えれば、この男がゼーレの間者と考える方が難しくなるからだ。
ゲンドウは計画の秘密の一端を漏らす者は、加持同様ゼーレの小手先だと信じ込む悪癖があった。いや、妥当に考えればそれは正しい用心である。
「ない、この部屋だけは全て排除してある」
「なら構いませんね。いずれにせよあなたと副司令だけには、話しておかなければならない事ですからね」
ゲンドウは、その言葉に口元を歪めた。
それは、この男の意図が読めないことに対する苛立ちである。
「……碇の言うことももっともだ。突然こんな物を突きつけられて信用しろと?」
冬月は手紙の内容に、ゲンドウ以上に明確に驚愕して見せた。
「どうせ事態が運ぶに連れて、信用せざるを得ないはずですよ。
もはやあなた方の『計画書』には何の意味合いもありません。計画の修正なら、早めが良いかと」
ノヴァスターは両手を頭の後ろにしながらも、口は雄弁だった。
「……一つだけ辻褄が会うとすれば、シンジの言葉だな」
ゲンドウが一つの結論に達した。
「? あいつが何か言いましたか?」
「この手紙と、あいつの豹変ぶりを考えれば確かに辻褄は合う。
だがお前は、どうやってその事を信用させる? お前は何をしてくれるのだ」
「とりあえず、その辞令書通り保安課にでも配属してくれれば、シンジの為くらいにはなって見せるつもりですけどね」
「それも喰えない話だな」
「信用が足りないのならば、俺はひたすら謝るしかないんです。
その代わり、こっちにも引けない明確な理由がありましてね、
ここで身の潔白を示さないと下がるに下がれないんですよ」
「……ならどうする?」
ノヴァスターは無言のまま、サングラスを外した。
その素顔を見たゲンドウの顔が俄に凍り付く。
「間違いない、確かにお前は……! ……まさか、こんな再会になるとはな……」
ゲンドウがやがて全てを諦めたかのような嘆息を吐く。だがその次には、ノヴァスターの両肩に手を添えていた。それはすなわち、ノヴァスターを信用したという事であった。
「お前がここに来た理由の深くは聞くまい。その代わり……」
「分かってます。今の俺はあくまで子供達のサポーター。
俺が此処に来た本当の意味は、時が熟したときに示して見せますよ」
「ならば、私はお前をネルフに迎え入れよう。
……私に代わって、シンジ達の未来の為の力になってくれ」
「命に代えても」
その瞬間、ノヴァスターは一つの重大な任務を果たせたのである。
「それで? その手紙の内容はなんだったの?」
「それが、司令は何も教えてはくれなかったわ。
ただそれ以来、司令の彼への態度が和らいだのも事実。それも副司令までもよ?」
「……結局腹の内は読めない、って事か」
ミサトがピシャリと音を立てて筆を置いた。どうやら書類を書き上げ終えたらしい。
「ようやく終わったわね、ミサト」
「まぁーったく、いらない重荷背負ってる身分にもなってよぉ」
ミサトが愚痴垂れながら、司令室へと向かうべく重い腰を上げた。合わせて安物の椅子が軋む。
一通りの仕事が終わり、ミサトはリツコとマヤを連れて外部ゲートをくぐる。
「んもーっ、こういう日は、何か飲まないと気が晴れない気分ね」
車のキーを指に通してグルグルと弄ぶミサト。
「ミサトは何かあると、すぐかこつけてビールでしょうに」
「なら先輩、いつものところに飲みに行きません? 葛城さんもどうですか?」
「それもいいわねー。パァーッとやりますか」
「でも今日はあなたの奢りよ」
「なんでそうなるのよぉ!?」
「あら、MAGIを私用で使っておいて、只で済むはずがないじゃない。
先端の技術の私利私用が、飲み代で済むだけ感謝してほしいわ」
「あれなら、ちゃんと作戦課から正式な書類がいってる筈でしょう?
公式に使わせてもらったのに、なんでそれで奢んなきゃならないのよ!?」
「それはあくまで昨日の戦闘記録の調書の話よ。
『彼』の裏取りはあなた一人の推察に過ぎない行動でしょう?
あなたが一人で勝手に彼を訝しがっただけよ。本来それが保安課の仕事だと言ったのもあなたよね」
リツコの捲し立てる言葉に、返す言葉のないミサト。
「どう? ぐぅとでも言ってみなさい?」
「……ぐぅ」
「結構。それじゃ、今夜はあなたの奢り……」
リツコが言いかけた所で、リツコの懐の携帯が鳴った。
「はい、赤木です。……ええ、……ええ、……分かりました。すぐそちらに向かいます」
携帯の電源を切ると、リツコは軽く項垂れた後、電話の内容を話した。
「ミサト、悪いけど打ち上げは中止よ。
セカンドチルドレンがたった今目覚めたらしいわ」
「アスカが!?」
ミサトは病室に入るのをしばし躊躇った。
あの娘の性格上、昨日の顛末を一部始終聞かせたとして、腹に据えてくれるのだろうかが不安で仕方がない。アスカのプライドの高さは知っている、果たして落ち着いて話を聞いてくれるのだろうか、と。
「ここで躊躇しても仕方ないわ。事実は隠さず話すしかないのよ、どの道ね」
リツコに後押しされて、やむなくミサトは病室のドアを叩いた。
アスカの機嫌は思ったほど悪くなかった。
実際、昨日の戦闘で自分が取り乱したのは事実であり、彼女自身も渋々その事実を受け入れた事により、シンジに弐号機を乗っ取られた事を多少ばかり黙認していたのである。
だがそれも所詮は一時凌ぎ。
「思ったより元気そうで何よりだわ」
「ふん、ちょっと過呼吸起こしただけで元気も何もないわよ。
ちょっとばかり寝過ぎで頭がボーッとしてるけどね。
それより、そこの二人を紹介してくれる?」
アスカはミサトの事を知ってはいるが、他の二人とは面識がない。
「あ、ああそうだったわね。紹介が遅れたわ。
こちらが赤木リツコ博士。アスカも名前は聞いているでしょう?
E計画責任者であると同時に、次世代OS開発担当者でもある若き権威」
「宜しく、アスカ」
差し出された手に、おずおずと握手を交わすアスカ。
「その隣が伊吹マヤ二尉。リツコの右腕的役割を担っているわ」
「宜しく、惣流さん」
続いてマヤとも握手を交わす。
リツコは不意に懐から二枚のカードを取り出し、一枚をアスカに差し出した。
「これが昨日付でのあなたのID証明書。今からこのパスで本部内を動いて頂戴」
アスカはカードを受け取ると、少しだけ内容に目を通した後、胸元のポケットに仕舞った。
「? そっちのカードは?」
アスカがもう一枚に興味を示した。
「こっち? こっちはレイの新規カードよ。あなたのじゃないわ」
「レイ? もしかして、ファーストチルドレンの綾波レイ!?」
綾波レイの名前は自分も知っている。その名の示すとおり、世界で初めてチルドレンに認定された少女。
「そうよ」
「リツコ、そういえばそのカードようやく更新したのね。
この間から仮発行のカードで凌いでいたからねぇ、レイったら。
……そうだ! アスカ、あなたがレイにこのカードを届けてくれる?」
「何言ってるの、ミサト?」
「いいじゃない。アスカは明日からこっちの中学校に編入するんでしょう?
学校ならレイとも会うでしょうから、その時に届けるといいわ。リツコが素っ気なく渡すよりいいでしょ?
ついでに、新しく同僚となる人と挨拶くらいしておいても損じゃないわよ」
ミサトが勝手に話を進めてしまう。
「綾波レイ、か。……よし」
アスカは暫く考えるような仕草をしていたが、やがて思い立って、そのカードを受け取った。
「今晩は様子見で入院を続けてもらうけど、明日の昼には退院出来るわ。
アスカ、明日から早速学校に行ってみる?」
「別に、行けると思うわ。でもなんで今更中学校なの? アタシはもう……」
「はいはい、学士号を取っているって言いたいのね。
でもアスカ、日本語の学習はまだ完璧じゃないんでしょう?
丁度いい機会だから、この際日本語もマスターしてしまいなさいよ」
「ま……それもそうね」
ミサトはなるべくアスカの機嫌に障らないように言葉を選びつつ、事を運んだ。
「なら決まりね。ついでにアスカ、私と同居してみない?」
この言葉にリツコが呆れ果てた。
「あなた……意図が丸見えよ。大方アスカに部屋を片してもらおうと……」
「い、いやねぇ、そんな訳ないじゃなーい。
ただ私としては、同居することによって上下間の親睦を深めようかと……」
「無理ばかり並べ立てないの。それでシンジ君の時は体よく断られたんでしょう?」
「あれは向こうが無下に断っただけよ!」
二人が言葉の応酬を交わし、マヤがその間で言葉もなく狼狽えている間もアスカは暫く考える仕草をしてたが、やがて決断を下した。
「ミサト、あたしは構わないわ」
アスカはミサトの提案を受け入れた。もしアスカが、ミサトの家の惨状を知っていたら、或いはシンジに対するライバル意識を深く認識することがなくば、ミサトの言葉を受け入れなかったであろうが。
アスカは、これ以上シンジに後れを取らないために、ミサトに追従する決意を固めたのだ。
艦上の様子や、今の言葉を察するにどうやらシンジとミサトは仲が良くないらしい……という事は、作戦部長に阿っている自分の方が後々旨味を吸えると踏んでいたからだ。媚びへつらうのはアスカの好むところではないが、ここはミサトの立場を利用した方が良さそうだ、と。
翌日、ミサトの部屋に踏み入ったアスカが、案の定その言葉を後悔したのは言うまでもない。
その翌日の出来事。第三新東京市内の一角で、ささやかな騒動がわき起こる。
それは一中学校という狭い区画の小さな出来事ではあった。一人の外人転校生の容姿端麗さに男子生徒が浮かれ立ち、女子生徒が嫉妬を焼くといった程度の話である。中には少女の生写真を内密に売りさばいたり、ラブレターを送ったりする生徒も多々あったが、少女はそれを自分の人気の一パラメータとのみ考え、それを成す少年達自身は歯牙にもかけなかった。
そしてその少女が、あのネルフの最重要人物である事を知る者も殆どいなかった。
第三新東京市立第壱中学校―――ここがアスカの編入した中学校である。
一見平凡な市立学校ではあったが、その中でも2−A組だけは特殊な構造を呈している。
このクラスに編入された生徒は一人の例外なく、エヴァンゲリオン適格者候補、もしくは適格者本人で形成されている。よって生徒達の平凡な学園生活の陰では、ネルフの厳しい監視が常時目を光らせている。
……子供達は、どこまで行っても大人達の傀儡に過ぎないのだ。
アスカは早朝の構内で何人かの生徒に訪ねつつ、一人の少女をようやく探し当てた。
ファーストチルドレン「綾波レイ」。アスカは内心彼女を気掛かりにしていた。
ID証明書の写真を見る限りは、物静かな性格が伺える。よもやこの少女まで自分に突っかかってくる事はないとは思いつつも、不安は隠せない。
アスカはレイにはさほどのライバル意識は持ち合わせていなかった。チルドレンの能力を表すパラメータの一つ、シンクロ率が自分のが大幅に勝っている事は知っていたし、シンジのように向こうから突っかかってくる事さえなければ、なあなあの付き合いくらいは出来るだろう。
とは言え、アスカにとってはレイもミサト同様、自分を引き立てるスパイス程度の価値に過ぎない。彼女にはせいぜい自分の後押しとなって、シンジを出し抜くのに利用させてもらうだけである。
アスカはこの時点では、その自身の考えに何ら疑問も後ろめたさも持っていなかった。自分が一番であり、特殊であり、貴重な存在である事を世に知らしめるには、ライバルを利用するか蹴落とすのが最短で確実なのだと信じているのだ。おぼつかない自らのプライドという足場を守るため、彼女もギリギリの境遇を強いられている事に、彼女自身は薄々勘付いてはいた。
だが、希釈された毒を毎日飲み続けるような生活が、彼女に決定的な痛手を負わすにはまだ至らない。
アスカは横断橋の上から、一人の少女の後ろ姿をじっと眺めている。
レイは学園内の一角にあるベンチに座り、飽きることなく書物に視線を落としている。ちなみにレイが登校するのは数日ぶりであり、研究棟詰めの彼女はアスカとはまだ対面していない。それが数日ぶりの登校で、朝からこれである。
時間はまだ早朝、学生達が登校してくる時間帯に好きこのんで読書に耽る少女に声を掛けるのを僅かに戸惑ったが、こちらには正式な用事(こじつけとも言う)もあるのだと割り切った。
アスカが深く考えるのはそこまで。あとは生来のお転婆を発揮し、陽光を自分の身体で遮ってレイの書物に影を落とすという小意地を働かせる。
レイはと言えば、書物をずらして日光を手に入れるという大人しい手段で対抗し、アスカの意地悪にはまだ気が付いていない。というより、隣にいるのがセカンドチルドレンだという事にも気が付いていないだろう。勿論、ドイツから適格者が訪日したという話は知っていたとしてもだ。
「ハロゥ!」
つまらない対応をされたアスカは容易に業を煮やして、挨拶から入った。さすがに自分にちょっかいを出されていた事には気が付いたのだろう、そこでようやくレイもアスカに視線を巡らせた。
「あなたが、綾波レイね。プロトタイプのパイロット」
先日の艦上でもそうだったが、アスカは専用搭乗機からしてシンジやレイには勝っていると信じている。ガギエルの件も、「碇シンジの腕前」ではなく「エヴァ弐号機の性能」が撃墜したと考える事でアスカはようやく現実を鵜呑みにする事に耐えたくらいなのだから。無論、小手先の逃避に過ぎないのはアスカ自身承知だが、一時の恥辱として考える事で後々の逆転を計る賢しさを身につけてしまったのも、ひとえに彼女の生きてきた不遇の環境が成した業なのだろう。
一方のレイはアスカのそんな事情など知りはしない。公衆の面前でネルフの身分を公にされた事を多少不都合に考える程度で、それを言うアスカ自身の人格にまで深く考えを回す事はしない。これも彼女なりの生活がもたらした不都合と考えるべきなのかも知れないが。
そんなこんなの合間に、今学校を騒がす噂の渦中のアスカを一目見ようと野次馬と化した学生達が、ギャラリーとしてアスカの後方に塊を作っていた。中には高台に上ってレイを見下す格好になっているアスカの、スカートの内部を見るべく姿勢を屈める不埒な奴まで。渋い表情で立ち上がったところをみると、収穫は期待できなかったようだが。
「あたし、アスカ。惣流=アスカ=ラングレー。
エヴァ弐号機のパイロットよ、話にくらいは聞いているわよね。
同じチルドレン同士、仲良くしましょ」
「……どうして?」
「その方が都合が良いからよ。色々とね」
正直言って、友達を作る為の問いかけにはあまり聞こえない。外見的にはアスカの高飛車ぶりが鼻につく程度だろう、その外見的というのは野次馬たる学生の視点である。
レイの視点は少し違う。自分の事を棚に上げるようだったが、レイはアスカに友人は少ないだろうと見抜いていたからだ。レイは友人は少なかったが、友人を作る為の親密な付き合い方くらいは学園内の生活から薄々悟っている。アスカの話しかけ方で友人が出来るはずがないと考えるのも、そこが起因だ。
アスカはどうやら実力主義らしい。そこに突っかかる理由もないが、馴れ合う理由も今はない。
「必要があればそうするわ」
そこでレイは至極彼女らしい返事で、体よくアスカの申し出を受け流した。
アスカも、してやられた返事なのを一目で察する。恐らく自分とレイの立場が逆転していたとしたら、自分とてそう答えただろうから。
「つまり、必要に迫ったら仲良くしてくれるわけ?」
「たぶん」
「ふ〜ん……」
レイを自分と同種類の人間とは考えられないが特に抜けた性格でも無さそうだ、とはアスカの談。アスカはレイの存在をキープとして脳裏に置いておくことを決め、とりあえずは馴れ合うことにしてみた。
「それじゃ、時間だからあたしは行くわ。赤木博士からの預かり物もあるから、その時渡してあげる」
「そう」
レイは始業時間間近な事を自らの時計で確かめると、パタリと閉じた本を懐にしまい、そそくさと昇降口のほうに立ち去っていった。淡泊な娘ねぇ……などと思いつつ、アスカは周囲の野次馬には目もくれずに自分も足早に昇降口に歩き始めた。
ミサトのような来訪者がなければ、至って物静かな赤木研究室。
リツコは端末上の膨大なデータに一通り目を通し、解析に余念がない。使徒の身体構造は、MAGIのような次世代機能をもってしても未だに謎のままである。
膨大な仕事量の前に、ふと冷めたコーヒーを口に運ぶ。諦めたかのようにカップから唇を離すと、再び気怠い仕草でキーボードに手を運ぶ。
刹那、座席の後ろから力強い腕で抱きしめられるのに一瞬気を奪われるが、即座に誰の仕業かは分かった。彼なりの唐突な挨拶に遭遇するのはこれが初めてではないのだし、リツコも余裕を持って受け答えた。
「少し、痩せたかな」
「そう?」
「悲しい恋をしてるからだ」
「どうして、そんな事が分かるの?」
リツコの声が珍しく、艶のある上擦った甘いものになる。彼なりの誘いとジョークには、それなりの演技と余裕で応えなければ失礼に値する……というのも、どちらかと言えば彼に併せた価値観なのだろう。
加持が自分の恋愛事情を察しているものとは初めから思ってはいない。彼はリツコが恋をしていようといまいと、そうあるものだと仮定して誘っているのだから。無論自分を本気で口説き落とすつもりもないのだ。こちらが本気で乗れば応えないほど節操がある男でもないが、ただの軟派でもない。それが彼の持ち味。
「それはね……涙の通り道にほくろのある人は、一生泣き続ける運命にあるからだよ」
加持の厳つい指が、言葉に合わせ優しくリツコの頬を撫でる。常人ならば吹き出すか呆れるか虜になるかの三択だろうが、リツコにとっては挨拶以上の物ではない。
それでも加持の言葉に図星を突かれているような感覚を受けるあたり、自分が後ろめたい物を抱えている証拠だろうか。しかしそこで上手く回避してみせるのが女のしたたかさ、リツコは正面に見える強化ガラスにへばりついていた「逃げ道」を上手くたぐり寄せていた。
「これから口説くつもり? でも駄目よ、こわ〜いお姉さんが見ているわ」
無論ミサトである。はらわたの煮えくり返ったような渋い顔をガラスにへばり付かせ、あの悪癖はどうにかならないのかと苛つきながら、事ある度に軟派に興じる加持を一心に睨んでいた。
それでも相変わらず悪びれる様子のない加持が、リツコからゆっくりと身を剥がした。無機質な電子音だけが響く研究室内に、微妙な空気が漂う。
「お久しぶり、加持君」
「やっ、しばらく」
それでいて今度は至って普通の口調で久方の返事と来たものだ。しかし手にはいつの間にかリツコのカップが握られていて、さも平然と口に運ぶ。
「しかし加持君も、意外と迂闊ね」
「こいつの馬鹿は相変わらずなのよ!」
憤怒で踏みしめた足音と共に、ミサトが研究室に乗り込んできた。また騒がしくなる……とリツコが眉をしかめる。夫婦喧嘩なら外でやってほしいものだ。
それに、リツコの言葉は先日の一件を指していたのであって、今の不手際(リツコを口説き落とそうとしていたのが見つかった事)を指していたのではない。
もっとも、ミサトにしてみれば両方の意味を指しているようだ。今の軟派劇もあるにしろ、ミサトの怒りは第一にして、先日の戦闘にあるのだから。
「あんた弐号機の引き渡し済んだんならさっさとドイツに帰りなさいよ!」
公私混同とは言わずとも、ミサトらしい歯に衣着せない大層な言いぐさである。
「今朝、出向の辞令が届いてね。ここに居続けだよ。また三人でつるめるな……昔みたいに」
「誰があんたなんかと!」
昔みたいに……その言葉が、昔の自分と加持との関係を揶揄したものだと思うと、ミサトは煮えくり返るような心境が押さえきれない。ミサトの心の中では、あの恋愛は人生最大の汚点だと自らに言い聞かせてあったからだ。
ミサトがいよいよ怒号を発しようとしたその瞬間、本部内に警報が響きわたる。
その頃シンジは、ケージにおいて初号機による映像内戦闘シミュレーション訓練の最中であり、第三使徒との戦闘プログラムを利用した戦闘訓練をひたすら繰り返していた。
シミュレーション訓練を担当していたのは第一発令所のマヤとマコトであるが、彼等はこの半日、ひっきりなしにシンジのシミュレーション訓練に付き合わされていた。模擬体の使徒を何度倒してもシンジは再び戦闘を試し、二人がバックアップとして記録を取り続けるという構図がかれこれ三時間超になっている。
シンジはひたすらディスプレイ上の使徒を倒し続けている。しかも使徒のコアを狙って撃墜するとき、初号機は限って上空からのプログナイフによる跳躍攻撃で仕留めていた。プログラムが意図的に、使徒の正面や側面から懐に飛び込める隙を作っても、シンジはその隙にはまったく目もくれずひたすら跳躍から着地するときの衝撃を利用した突撃ばかりを繰り返す。
「……本当に、こんな訓練が有効なんですか?」
マヤはシンジの飽きることない反復から来る倦怠を、つい隣のマコトに漏らした。
「僕に聞かれてもなんとも言えないなあ。
葛城さんに聞いても、『彼の好きにさせときなさい』の一点張りでさ」
作戦部長の副官にしては頼りない発言であるが、それ故に真実めいていた。
「葛城さん、彼のことあまり好きじゃないみたいだから……」
マヤとてシンジを庇護するつもりで言ったのではないが、それにしては微妙な人間関係がピリピリと伝わってくるようで、マヤは彼女なりにこの雰囲気を危惧していたが為の発言である。
そこに、先程の警報発令である。シンジはその音に反応するとピタリと動きを止め、シミュレーション訓練の終了を促した。シンジに言われるまでもなく発令所の動きが慌ただしくなり、シンジはそのまま初号機の緊急発進準備に備える。
「使徒ですか?」
「まだ分からない、君はそのまま初号機に待機しててくれ!」
「……了解」
シンジは初号機の主電源を落とし、大人しく待機状態には収まったが、
「……第七使徒の襲来に決まっているのに」
『未来』を知る者ゆえの呟きがふと漏れる。
気が付けば、シンジはいつの間にか自分の右掌を閉じたり開いたり……彼が焦れている時の癖が滲み出ていた。
「警戒中の巡洋艦『はるな』より入電!
『我、紀伊半島沖ニテ巨大ナ潜航物体ヲ発見、データヲ送ル』」
通信係のシゲルから仲介されたデータを元に、マコトが解析を進める。
「受信データを照合! ……波長パターン青、使徒と確認!」
敵性体と確認された以上、ネルフ以下の行動は迅速である。冬月の第一種戦闘配置指令とともに本部内が慌ただしくなり、周辺都市には戒厳令が敷かれる。
当然、中学校に通っているレイとアスカにも収集発令が出され、エヴァンゲリオンの出撃用意が最優先でなされた。
先の第五使徒戦によって、第三新東京市の都市偽装迎撃システムは甚大な被害を被っている。ゆえに迎撃都市までの誘導を無意味と悟った作戦課は、沿岸部に防衛戦を敷き、上陸直前の使徒を叩く作戦を立案した。
迎撃には初号機と、先日の戦闘の損傷を補修し終えた弐号機が使用され、地下高速リニアラインによって海岸部まで移送されている最中、その旨をメインパイロットの二人に指示するミサト。
「初号機並びに弐号機は、目標に対し波状攻撃、近接戦闘でいくわ。
地上に出たら電源補給、間髪入れずフォーメーションをとって……いいわね二人とも!」
「了解!」「……了解」
「それと……くれぐれも、くれぐれも! 足並みを合わせた戦闘を心掛けて頂戴!
特にシンジ君! むやみに先行するような事はないようにね。
念のため、最初は弐号機を先攻させて、初号機をバックアップとして行くわ! いいわね?」
ミサトは半ば無駄だと思いつつも、深く釘を刺しておいたがシンジは今回ばかりは大人しく縦に頷く。アスカなどは、心の中で密かにミサトに感謝したくらいだ。
(ナイスよミサト! サードチルドレンなんかに出番をくれてやる事ないわ!
初号機をバックアップとして後ろに控えさせたままあたしが仕留めれば……!)
ささやかな野望に身を委ねるアスカ。だが、その時点で既に勝負がついていた事に、ミサトもアスカも気付く術はない。
そう、シンジが黙ってバックアップを引き受けた時点で、シンジの意図通りだったのだ。
移動指揮車から送られるミサトの指示通り、先行して到着していた電源供給車からのケーブルを受け取り、自らの背部に器用に接続するエヴァ両機。
その横には、専用移送車が運んできたエヴァ専用の装備品が選り取りみどりだった。
アスカ操る弐号機は、彼女の最も得意とするソニック・グレイブを手に取る。使徒戦において、概ね巨大な使徒との対峙にはこのような近接用斬撃兵器が有効である、とのコンセプトから開発された両手兵器の一種である。
対してバックアップ担当のシンジ操る初号機は、中距離用狙撃兵器パレットライフルを手に取る。劣化ウラン弾を連続射出するこの兵器は敵性体が生物であった場合に有効だが、いかんせんウランを用いているが為に戦場処理に手間取る。環境保護を考えればあまり用いたくない兵器の一つだ。
初号機は更に、予備のプログナイフをも手に取り小脇に携えた。それはその場に居合わせた者の殆どが気付かないほどの迅速な動作だった。
アンビリカルケーブルを引きずったまま、エヴァ両機は海岸線の砂浜に立ちはだかり、使徒の襲撃を待つ。シンジは後方、アスカは海中にやや足を踏み入れるように前方に陣取る。
やがて海上に、巨大な水柱が立つ。海上を偵察していたVTOL戦闘機のうちの数機が盛大に海水を浴びたが、幸い失速するような間抜けな機体は無かった。
水柱の中から現れたのは、比較的人型に近い使徒であった。直後、使徒は第七使徒『イスラフェル』と認定され、ネルフ本部で処理される。
「人型の使徒の襲来は第三使徒以来ですね」
現場指揮車の中で敵の画像を見ていたマヤが、それとなく呟いた。彼女のここでの役割は、本部発令所へのデータ転送と技術課の現場指揮である。
「そうね。コアもくっきりと腹部に確認できるわ。
シンジ君とアスカの二人掛かりなら、相手に余程特別な機能がない限り勝てるでしょうね」
故にマヤの会話の相手は隣に控えていたミサトではなく、今頭部に装着しているインコムの通信相手、本部控えのリツコであった。
「そうですね。シンジ君も実戦前に人型の使徒を相手にした、
シミュレーション戦闘訓練に余念がありませんでしたし、これなら今回は上手く行きそうですね」
リツコはマヤのその一言に何故か引っかかる物を感じた。
「……? マヤ、その模擬戦闘記録、後で見せて頂戴」
「え!? わ、分かりました」
まるで、人間が襟の中に首をすぼめたかのような格好の使徒は、エヴァより若干体躯が大きく、体皮は金属的な光沢を秘めている。しかし攻防の均質の取れた体格ではなさそうであり、動作が比較的緩慢だ。ミサトはそこに付け込んで、機敏なエヴァで掻き回す作戦を取った。
「まずは初号機の射撃で攪乱を誘って、その隙に弐号機で突撃をかける事!」
「了解!」
意気揚々と答えるアスカ。その「突撃」の部分に全てを掛け一気に決着をつけるつもりのようだ。そうと決まればと、アスカはすかさず弐号機の歩を進める。
「ならあたしは先に行かせてもらうわ! ちゃんと援護しなさいよ、サードチルドレン!」
初号機に申し訳程度の目配せを利かせたと思えば、弐号機は既に走り出していた。
「攻撃開始!」
ミサトの指令と共に、初号機のパレット掃射が開始される。イスラフェルの面前には今までの使徒の例に漏れずATフィールドが展開され、劣化ウラン弾を阻んだ。
だがイスラフェルの動作は相変わらず緩慢である。ましてウラン弾の爆発に前方の視界を阻まれ、その時点では敵性体に大した抵抗力を感じられなかった。
「いけるっ!!」
アスカがすかさず飛び出した。沿岸部に水没したビル群を足場に、トントン拍子にイスラフェルとの距離を詰めるべく軽快な跳躍で飛び跳ね回る。アスカとて伊達に戦闘訓練を重ねていた訳ではない。彼女の操る弐号機の機動性は確かに相当のものである。
やがて弐号機とイスラフェルとの距離は60m弱まで迫った。弐号機の機動性ならば、あと一足飛びでイスラフェルの眼前に迫ることが出来る。弐号機はグレイブをより強く握りしめ、先端の槍刃に送電を開始した。
イスラフェルが相変わらず鈍い動作で冷静に弐号機を見上げている。
そう、弐号機は既に使徒の頭上に舞っていた。
「たああああああああっっっ!!!」
アスカの気合いと共に、ソニック・グレイブが一閃。豪快に振り下ろされたグレイブは、見事にイスラフェルを一刀両断に仕留めていた。使徒は今の攻撃ですっかり沈黙し、戦闘は呆気なく幕を閉じたかに思われた。
「どう? サードチルドレン。どうってこと無い敵だったわね、使徒なんて。
戦いは常に無駄なく美しく。華麗に敵を仕留めてこそ、戦場の華となれるのよ」
アスカはすっかり勝利気分だ。自らの操縦技術を発揮した、最短かつ最良の撃退法を実行できた事による充足感が、多少彼女を多弁にする。
……が、アスカが初号機を振り返ると、自慢すべき相手が後方に存在しないことに気が付いた。何処に行ったのかとアスカが周囲を見渡す……余裕はなかった。
「アスカ、後ろ!」
「えっ!?」
振り返ったアスカが見た物は「分体」したイスラフェルであった。ミサト達が見届けた限りでは、真っ二つに切り下ろされたイスラフェルがその形状を蠢かせ一瞬の後に体細胞を回復させたかと思えば、分割された一体は二体となって再び蘇生したのである。
(以降、この二体のイスラフェルはそれぞれを甲と乙に分類される)
アスカは死んだと思ってイスラフェルから目を離し、背部に隙を作った事を即座に後悔した。
使徒はミサト達が思うよりも遥かに回復機能と学習機能が優れている。緩慢な動作ではエヴァに勝てないと判断しその身体を意図的に分割し二手に分かれたのである。
イスラフェル二体は計四本の腕を振り上げ、自らに背部を見せまるで無防備な弐号機に振り下ろすべくその形状を刃型に仕上げる。それはイスラフェル本来の攻撃能力ではない。弐号機の携帯していたソニック・グレイブを学習し、自らの腕を斬撃兵器へと昇華させたのである。
「やられる!?」
その計四本の凶器をまさに弐号機に振り下ろされようとされた瞬間、アスカは弐号機が寸断されるという恐怖のあまり身を屈め目を閉じた。また自分は失敗してしまった……「死」ではなく、「敗北感」だけがアスカの心の中をひたすら横行していた。
だが、後方に控えていたミサト達はその光景を余すところ無く目撃していた。
弐号機とイスラフェル両体の、遥か遥か上空に舞う初号機を。
「うああああああああっっっ!!!」
絶叫にも等しいシンジの雄叫び。初号機は重力落下に身を任せた着地と同時に、両手に握りしめたプログナイフをイスラフェル両体の腹部コアに盛大に突き立てた。だが、コアはその刺突を容易に受け入れた割には、破壊される素振りを見せない。
「あの使徒は不死身なの!?」
ミサトが驚愕する。使徒の能力が未知数とはいえ、コアを破壊すれば撃墜できるという戦術目標の根本を覆されれば、自分達は使徒迎撃作戦を一から見直さなければならないのだから。
幾らか予想外だったのはシンジも同様である。「二点同時荷重攻撃」を再実行すべく一人の力で二点同時攻撃を仕掛けたが、これだけでは撃破には足りないらしい。
そうこうしている間にも、余裕を持ったイスラフェルの同時攻撃が振り下ろされる。初号機はすかさず弐号機を庇いながら、地面に突っ伏す形で後方へと攻撃を避けた。
しかし、全重量700トンのエヴァを抱いては先程のような跳躍はさすがに無理である。イスラフェルの斬撃は初号機の背部を僅かにかすめていた。同時に痛覚が操縦者にフィードバックされ、シンジの顔に苦悶が浮かぶ。
「ぐうっ……!!」
シンジの本心の最優先事項は「使徒の撃退」ではない。ともあらば、自らの身体を呈して弐号機を庇うのも当然である。背部に広がる苦痛も取りなさず、シンジはすかさず体勢を立て直した。
当然その時分になれば、アスカも外界の異常は気が付いている。
アスカが目を開いたとき、眼前にあるのは自らを庇って破損した初号機の図である。
「うおおおおおおおっっっ!!!」
シンジが再び吠える。初号機は間髪入れず、右側のイスラフェル乙の脇腹に半円を描いた回転蹴りを食らわせた。たまらず左側に吹き飛ばされたイスラフェル乙は程なく、左側に控えていたイスラフェル甲に激突した。
その瞬間、イスラフェルはまたも奇怪な動きを見せる。分かれた二体が再びお互いを取り込んで融合したのだ。だがそれこそシンジの意図通り、今こそが千載一遇のチャンス!
(だがどうやって二点を同時に攻撃する!? 武器は……!)
ふと、弐号機の携えていたソニック・グレイブを思い立つ。だが弐号機が堅く握りしめているグレイブを無理矢理分捕るのは時間が掛かるし、何よりアスカとミサトへの「見栄え」が悪い。やむなくシンジは一瞬で代用の武器を発案せざるを得なかった。
しかしプログナイフはイスラフェルのコアに突き立てたままだし、イスラフェルの懐に素手でもう一度飛び込むのは無謀でしかない。急がなければ使徒は次々と学習し、その機能を向上させていくだろう。
「……こんな時、あの人なら何て言うだろうか」
シンジは不意に、とある青年を脳裏に浮かべた。そして、彼の言葉をも思い出す―――。
「……ガギエルの口をこじ開け、一つだけ残った武器、ATフィールドをガギエルのコアに叩き付け破壊すること」
「四十八文字……10点満点だ。だが、お前一人で本当に出来るのか?」
「出来る出来ないじゃないんだ。その為に僕がここにいるのだから。
償うことが出来ないのなら、せめて『その時』までは全てを掛けて守り通してみせる為に……」
シンジはもう一度、あの時と同じ決意を呟いた。そして初号機の右掌が三度ATフィールドを凝縮し始める。
「いけええええええええっっっ!!!」
真横に振りかざされた右手がもたらすATフィールドの斬撃は、今までのどの攻撃よりも強大だった。イスラフェルのATフィールドをも切り裂いて、横並びに二つ揃うコアにそれぞれ強い衝撃を与えた。先程コアに突き立てていたプログナイフが作ったヒビに乗じて、圧縮されたATフィールドの刃がコアを砕く。
次に二人を待っていたのは、使徒が爆発する盛大な衝撃波であった。
呆気に取られるミサト。そして、事態を把握しきれずに呆然とするアスカ。
二人の間の抜けた行動の傍らで、シンジは冷静にミッションの終了を告げる。
「使徒の殲滅を肉眼で確認。作戦の終了を報告します」
淡々とした口調であった。
「え……ええ。各課は戦後処理に努め、エヴァ両機は撤収の準備。各自取りかかって!」
それでも流石は作戦部長、染みついた指揮能力を発揮し、事態収集に努める。
(あんな土壇場であの人の言葉を思い出すなんて、どうかしてるな僕も……)
それでも、彼の言葉がそつなく生かされている事が身に染みるシンジでもあった。
初号機は弐号機の腕をとって弐号機を地面から起こす。またも手柄を奪われ、憮然とした表情のアスカが渋々その腕を取るところに、シンジはミサトに傍受されないように静かに、かつ冷酷に言い放った。
「どうだい? セカンドチルドレン。どうってこと無い敵だったね、使徒なんて。
戦いは常に無駄なく美しく。華麗に敵を仕留めてこそ、戦場の華となれる……君の言うとおりだね」
明らかに勝利者としての皮肉である。
「く、くううっ!!」
アスカは目一杯歯軋った。シンジにまたもしてやられた事に今ようやく気付いたからだ。
「……何か言いたそうな顔をしてるね。でも僕は、
『初号機並びに弐号機は、目標に対し波状攻撃、近接戦闘。
最初は弐号機を先攻させて、初号機をバックアップとして行く』という葛城さんの言葉通りに努めただけさ。
結果、君が先行して使徒の能力を見極め、バックアップの僕が仕留めた。何も問題はない……」
イスラフェルの戦闘能力を知っていた自分の利の立場を、別の意図に利用するシンジ。
「……あたしを……かませ犬にしたわね……」
地の底から響いてくるかのようなアスカの冷淡な声。だがシンジに臆した様子はない。
「ま、悪く言えばそうなるかな。でも勘違いしないで欲しいね、結果としてこうなっただけさ。
僕は君を偵察係に使うつもりなんてないよ。大体にして参戦してもらう必要さえも感じてないんだから」
無下にアスカの存在性を否定するシンジ。だがそれは本心からの言葉ではない。否定しなければならない部分は、かつてのアスカの心を苦しめていた「閉塞的な自己依存」であり、アスカ自身の心の全てではない。だがシンジの言葉のニュアンスは一見してそうは取れない。しかしそれもシンジの深い計算のうち。
(後は彼女の心の動きに任せよう。アスカが僕の存在の全てを憎むまで、僕はこのままであり続けよう……)
シンジは自覚し始めていた。自らの心の中に、冷酷な一面が頭角を現してきているのを。
そしてそれは、シンジにとって自らの「主」たる心だと割り切られている。
本来の「主」たる心を二の次にすれば、今更「憎まれ役」を意識する必要はない。あとは自分が生きていさえすればただそれだけで、彼女の負の感情は全て自分に向けられるであろう事を、シンジは確信していた。
「……どの道殺すなら、背負った罪状が多い方のがいい。」
冷たい決意がシンジの脳裏をよぎった。
背中の痛覚は、既に消えている。
研究室に籠もっていたリツコは、ひどく渋い顔を表していた。
案の定第七使徒との戦闘記録と、戦闘シミュレーションとの奇妙な一致性が伺える。
シンジが、あの使徒の特性を最初から踏まえていた事がこれで明らかになった。
「……問いつめる必要があるわね」
リツコの歩みは、司令室に向いていた。
二十一章、公開です。
前後編に分けたくなるくらいの長さだったのですが、分割はいい加減癖になりそうでやめました。
さて、エヴァSSとしてはおそらく異例の「ユニゾン無し」でイスラフェルを仕留めて見せましたが、如何だったでしょうか。
本家ガイナックスの解説を見る限り、第七使徒は初めから分身能力を持っていた訳ではないようです。ただ環境適応能力が高かったが為に、相手の数に合わせ「分体」したり、腕を刃状にしてみたり、その他様々に戦闘能力を高めていったのでしょう。
作品自体としては「第七使徒はユニゾンでないと倒せない」という観念を打ち破りたかった訳です。……って、大体にしてこの時点でここまで二人が決裂している事が、ユニゾンを不可能にしているだけなんですけどね(^^;;
さて次章ですが、第八使徒戦はまだありません。
主要キャラの日常と衣食住に絡んだ閑話休題を一つ、書いてみるつもりです。
それでは、また次回……。
ユニゾンは滅んだ訳ではない……くくく。