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 それは、シンジが第三新東京市を訪れる、もとい転生する22日前の出来事であった。

 

 

 某月某日、ネルフ本部・第2実験室―――。

 

「起動開始」

 現場の指揮監督者、碇ゲンドウの抑揚のない声とともに、その実験は開始された。

「主電炉、全回路接続」

「主電源接続完了。起動用システム、作動開始」

 途端に現場は各々の手慣れた作業と復唱と共に、スムーズな作業が進められる。

 

 

 「エヴァ零号機」起動実験。

 

 

 過去に数十度行われた作業と言えど、未だにその作業成果と可能性は未知数であり、また同時に未だその難解な構造と、パイロットとの複雑な神経接続構成、それに伴う精神暴走の可能性と言ったあらゆるマイナス要素が絡み、手を焼くのが現状だ。

「パルス送信」

「全回路正常」

「初期コンタクト、異常なし」

 何時如何なる被験体の暴走もあり得る中で、作業は常に緻密かつ慎重に行われている。当然今日のそれも例外ではない。ゲンドウ以下、冬月とリツコも共に問題の零号機を慎重な面もちのまま実験棟から見つめていた。

「絶対境界線まで、あと……0.9……0.7……」

 精神接続の際、パイロットがその神経を鋭利に働かせる為に払拭されなければならない物……それは恐怖心。子供達を包み込んだ絶対の防御システムとしての一面をも果たすエントリー作業、だがそれは同時に、エヴァの起動に一様の影響を及ぼす引き金でもある。

 つまり……パイロットたる子供達が不安を抱く事、それ自体が「起動障害」なのだ。

「0.5……0.4……零点さ」

 バツッ!

 

 オペレーターのカウントの最中、何かがブツリと途絶えた電子音と共に、その歯車は暴走しだした。

「パルス逆流!」

 その叫びと同時に実験棟の面々が見たのは、零号機を拘束する拘束具がミシミシと悲鳴をあげている音。だがそれは聴覚的に、自己暴走を始めた零号機の雄叫びのようにも聞こえた。

 それとは別に視覚的な恐怖に恐れおののきながらも、実験担当のリツコが明敏な対処を始めた。

 単純な暴走行為なら、今までにも数度あった事なのだ。

「コンタクト停止。6番までの回路を開いて」

 至極冷静に勤めてそう伝えるが、その冷静さも応急処置が効くと思える瞬間までの話。

「駄目です! 信号が届きません!」

 一方の零号機はと言えば、両肩部に固定された拘束具を煩わしそうに振り解く仕草、いやもっと獰猛な行動を見せながら、遂に拘束具を引きちぎってしまう。そのまま何が苦しいのか。頭部を抱えて悶絶のような動作を見せている。

「零号機、制御不能!」

 例にない零号機の過剰暴走が、そんな簡素なかつ捨て鉢な一言で済まされてしまう。

 だが、その事実が皆に緊迫感を一層押しつけたのも確かだった。

 

「実験中止、電源を落とせ」

 心なしか、かのゲンドウも酷く渋った口調で一言伝えた。

 それに呼応して、リツコが即座に緊急用電源レバーを引き抜いた。直後に零号機からアンビリカルケーブルが脱着される。だがこうなれば、後は自動的沈黙……零号機の、三十数秒用意された予備電源が尽きるまで放置するしか算段が無くなったのも事実。

 より一層の暴動ぶりを見せる零号機が次に取った行動は、なんと実験棟のゲンドウ目掛けて殴りかかるという物であった。しかも暴走状態とは言え、正確にゲンドウ一人を狙っている。零号機が数度殴りかかった事により、実験棟の対衝撃強化ガラスが脆くも粉砕される。

「危険です、下がってください!」

 畏怖に表情がひきつっているリツコが呼び掛けてからややあって、ゲンドウが二歩退いた。

 依然頭部を抱えて蹲っている零号機の、背部ハッチが乱暴に弾かれた。

「オートイジェクション、作動します!」

「……いかん!」

 ゲンドウの感情露な焦燥が滲む叫びと同時に排出されるエントリープラグ。だが野外戦闘時に於ける緊急離脱とは訳が違い、ここはネルフ深層部の実験室なのだ。当然即座に天井に突き当たり、噴かされたスラスターに流されるままに天井の隅を横行し、四角隅に辿り着いて燃料切れまでへばり付いていた。

 パイロットを失うも、零号機の動きは一向に止まらない。内蔵電源のカウントダウンを待つまでもなく、特殊硬化ベークライトが実験棟内部に噴出された。

 だが、その時分になって、燃料を失ったエントリープラグが落下する。

 

「レイィィ!」

 

 狼狽したゲンドウの叫び虚しく、エントリープラグは衝撃そのままに地面に叩き付けられた。

 同時に、無我夢中で壁を殴り付けていた零号機もまた、電源を失い硬化する。

 それを確認するや否や、堪えきれずに飛び出したのがゲンドウだった。慌ててプラグに近寄り、手動ハッチをこじ開けようとする。だが零号機内部の温熱とスラスターの火力に熱されていたハッチは、前後を失ったゲンドウの手を容赦無く焼き焦がす。幾多の呻き声をあげつつも、ゲンドウの救出の手は緩まない。

 実験棟上部からその様子を見守っていたリツコが、痛ましくも複雑な表情でその光景を眺めている。

 やがてハッチが開いてLCLが排出される。我を忘れてプラグに乗り込み、レイの名を呼ぶ。その声がただっ広い実験棟に木霊するのが、やけに閑寂的であった。

「レイッ!」

 自分事以上に気が気でないのであろう、全く自分を見失った叫び声でレイの名を呼びながら、プラグの中で蹲っているレイに近寄った。

 そして、プラグの内部にいたのは、全身を苦痛に見舞われながらも健気にゲンドウに応えるレイ。声にもならない声で、そのゲンドウを宥めるかのような静かな声で、小さくハイと答える。

 それをゆっくり聞き届けると、ゲンドウの無骨な顔が僅かな喜びで満ちた。

「……そうか」

 

 

 先程ハッチをこじ開けていた時であろう、何時の間にか外れていたゲンドウの伊達眼鏡が足下で、ハッチの予熱で小さく歪んでいた。だが、後にプラグを回収した回収班がその眼鏡の存在に気付く事はなかったという。

 

 


 

=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第十八章 それは、度重なる想いの果てに −

 

 

「『綾波レイ、14歳。

 マルドゥックの報告書によって、選ばれた最初の被験者、ファーストチルドレン。

 エヴァンゲリオン試作零号機専属操縦者。

 過去の経歴は白紙、全て抹消済み』」

「で? 先の実験の事故原因は何どうだったの?」

 零号機を硬化させた特殊ベークライトの剥出作業が進む中、同時にリツコとミサトの会話が進む。

 ミサト自身は、先日の起動実験に立ち会わせてはいなかった為に、今時分になってリツコから話を伺っていた。

「未だ不明。

 但し……推定では操縦者の精神的不安定が、第一原因と考えられるわ」

「精神的に不安定? あのレイが?」

 あのレイが……その先入観は、ミサトだけの物であったのだろうが、実の所、寡黙ながらも精神的には穏健と温柔の手本のような少女である事には違いはなかった。

「ええ。彼女にしては信じられないくらい乱れたの」

「何があったの?」

「分からないわ。

 でも……まさか……」

「なんか、心当たりがあるの?」

「いえ……そんな筈がないわ……」

 既にそれはいつものリツコの呟き癖であった。

(……シンジ君の事を初めて伝えたのが、確か起動実験の少し前の事……もしかしてとは思うけど)

 だが、リツコの思い当たる理由はそれだけではなかった。

 

 


 

 

 先日の第四使徒襲来、至戦闘に於いて、コア以外ほぼ原形を留めて息絶えた使徒の研究を行うべく、使徒を撃滅した地点には、その超重かつ巨大で動かせない第四使徒を保護するべく、仮設研究棟が建設された。

 夏場の早期死骸腐乱が懸念されたが、死骸は数日経っても一向に腐敗臭を漂わす風でもなく、研究は至って順調に進められていた。

 

 やがてその仮設舎に、両脇を保安部員二人に挟まれたシンジが現れた。

 ミサトが一時釈放させて、使徒の側で事情を伺おうとした為であるが、同時に彼に、使徒なる未知の敵性体をもう一度しっかりと認識させて、その心持ちを改めて貰えれば……という思いも片隅にあった。

 一方監視任の保安部員には、サードが反抗した時の為に多少の実力行使権と、万一脱走した時の威嚇発砲等程度は許可されていた。まかりなりにもシンジは罪人である。

 だが、そんな時に限り、いざ命令に従えと言われればシンジの行動は極めて温順であり、予想された手間は一切掛からなかった。

 そんなシンジを傍らにミサトは、人間から比べればあまりに巨大な風体の使徒のサンプルを見上げつつ、

「……これが、私達の敵なのね」

 シンジにも聞こえるように呟いたが、この光景も既に二度目となるシンジにとっては何の感慨になる物でもなかった。

「成る程ね。コア以外は殆ど原形を留めているわ。

 ホント理想的なサンプル……ありがたいわ」

 使徒の弱点であるコアのサンプルは破損と劣化が激しかったが、それ以外の部分に主立った傷は一切無く、リツコの手間は随分と捗ったらしい。その為か、その声は彼女にしては珍しく喜び露であった。

 それは、コア一点のみを狙って撃墜したシンジの功績が後々になって生きてきた証でもある。それを言外に知ると、少し不機嫌なミサト。

「で? そのお陰で、何か分かったわけ?」

 軽い皮肉を返したが、当のリツコの機嫌の良さに幾分幕を掛ける事は出来たようだった。

 なにせ……、

 

「601」

 ピーッという発信音と共に、三桁の数字が不愛想にディスプレイの中央に踊る。

「何コレ?」

「解析不明を示すコードナンバー」

「つまり、訳分かんないって事?」

 まあミサトらしい解釈の噛み砕き方である。

「そう。使徒は粒子と波、両方の性質を備える、光のような物で構成されているのよ」

 これが現時点でのリツコの精一杯の研究成果である。

 背もたれにのし掛かり、傍らのコーヒーを啜る。それに続いてミサトも同様にコーヒーを飲み干す。

 傍らの保安部員とシンジにも同様のカップが手渡されていたが、保安部員は任務上堅苦しく勤める為でもあるまいが手を着けず、一方のシンジはと言えばディスプレイとは明後日の方向を見ながら、マイペースで黙って一人啜っていた。ちなみにシンジは未だ両手に手錠を掛けられている。この状態で勉学も飲食も差し障りないように振る舞っているのだから、器用な物だ。

 

「で、動力源はあったんでしょ?」

 まあ当然の質問とは言え、痛い所を突かれたと言った心境を醸し出しつつ、リツコは溜息混じりにカップを手放した。

「らしき物はね……。

 でもその作動原理が、まださっぱりなのよ」

「まだまだ未知の世界が広がっている訳ね」

 ミサトとて、別にリツコの苦労を知らない訳ではない。それでも事態は前途良く傾いている方なのだろうとは割り切っているような一言だった。

「とかくこの世は謎だらけよ。

 例えば……ほら、この使徒独自の固有波形パターン」

 リツコはディスプレイ前から立ち上がり、食い入るように見入るであろうミサトから離れる。

「どれどれ?」

 案の定リツコの思惑に乗るミサト。

 だがディスプレイに映し出されたパターンを一通り見入ったミサトが、記憶の片隅の知識に呼応したのか、僅かに声色を変えた。

「これって……!」

「そう。

 構成素材の違いはあっても、信号の配置と座標は、人間の遺伝子と酷似しているわ。

 99.89%ね」

「99.89%って……!」

「……改めて私達の知恵の、浅はかさって物を思い知らしてくれるわ」

 

 ディスプレイを僅かに横目で捕らえながら、シンジが誰にも聞こえない声で呟いた。

「妥協したりもしたり、0.11%、か……。

 酷似でも類似でもなく、変異であるという事……みんなは知らなくても良い事なんだろうか……」

 それは、かつての知識の名残。彼にとってのもう一つの武器は、ゼロと同一化していた頃から持ち合わせ続けているその知識である。

 それ即ち「真実」という絶対的な冠詞を身に付けた重みを持つ記憶を受け止めようと誓うシンジが、その思いを静かに吐露するが精一杯であったとしても、それは無理らしからぬ事なのかも知れない。

 

 

 一方、その劣化の進んだコア一点に興味があるのか、ゲンドウと冬月もミサト達と時を同じくしてこの仮設舎に訪れていた。今リツコ達が談話していた一室の傍らを通り過ぎて、研究班員がリフトダウンするコアのサンプルに近寄って真剣に見入る二人。

「これがコアか。残りはどうだ?」

「それが……劣化が激しく、資料としては問題が多すぎます」

「構わん。他は全て破棄だ」

 食い入る二人を、部屋から半分顔を出して覗き見するシンジ。その後ろで保安部員がその不審な行動にピクリと反応しかけたが、シンジは後目に手に掛けた手錠を不躾に見せつけ、反抗の意志なしとの言葉の代わりにした。

「……やっぱりコアに興味を示している。

 S2機関のサンプルは垂涎の的なんだろうな、この時の父さんには」

 かつてとは違い、斜めに物を見るシンジ。だがそれも真実の一部である事を確信していた。

 

 だが、その次にシンジが興味を示したのは、やはりゲンドウの手に残る火傷の後だった。

 その理由を知っているとは言え、知っているからこそ今になってその傷跡が深く考えさせられる。

「あれが、父さんと綾波の絆……」

 

「どうしたの、シンジ君?」

 振り返ると、ミサトかやや厳しい目つきでシンジの行動を眺めていた。昔とは違い、大分警戒されている声に、シンジも虚しさを覚える。

「……いえ、別に」

「あのねぇ。別に、っていう返事と行動はは存在しないものなのよ。

 何か気になるんでしょう? 言いなさい」

 シンジの一挙一動が気になるミサトからすれば、含みがちな行動を見せるシンジという少年には油断を表せない。だが、シンジはミサトの心理の裏を突いた。

「……いえ、ただ父さんの手に火傷を見つけたんです。

 どうしたのかと思って……」

「火傷? ……リツコ、なんか知ってる?」

 振り返った先のリツコは、とても思い詰めたような表情を見せながら、その当時の様子を自ら語り出した。

 

「……あなたがまだ此処に来る前、起動実験中に、零号機が暴走した……聞いているでしょう?

「……ええ」

「その時、パイロットが中に閉じこめられてね……碇司令が彼女を助け出したの。

 加熱したハッチを、無理矢理こじ開けて……。掌の火傷は、その時のものよ」

「……それだけですか」

 

 それっきり興味を失ったのか、シンジは再び明後日を見やりながら、リツコの思惑を汲むでもなさそうにぼんやりと振る舞っていた。だがそれも、シンジのその様子にかえって興味を無くしたミサト達へのブラフである。実際は、もう一度立ち会ってしまった状況を、彼なりに考え起こしていた。

(……父さんと、綾波の絆……か。

 そしてリツコさん……複雑な心境になるのも、今なら分かる気がする。

 

 僕が分かってどうなる事でもないんだけど……。

 

 ……そう言えば、どうして父さんは敢えて綾波を学校に通学させているんだろう。

 綾波は学校で友達と有意義に過ごしている訳でもなし……。

 あんな孤独な宿舎に一人にさせているのもそう言えば不思議だよな。

 大事な人の筈なのに、側にも置かないであんな寂しい場所に住まわせるなんて。

 あの人の事だから、きっと器用でない理由があるんだろうけど……。

 でも、もしその理由を二人に尋ねるにしても……)

 

「……殆ど口、訊かないからな……」

 

 


 

 

 翌日。

 シンジは例のようにシンクロ・ハーモニクステストを受けていた。

 初号機のテストも終了し、その一連のデータ処理をMAGI・バルタザール機能へと移行し処理を勤める職員達の傍らで、シンジは静かにプラグ内部に待機している。

 そのシンジの眼前に映る零号機のプラグから現れたレイに、不意に後ろから声を掛ける人物がいた。

 ゲンドウである。

 それに気付いたレイが零号機からちょこんと飛び降り、ゲンドウの前に歩み寄り二、三言葉を交わしている。おそらく二人の性格からして単に成果報告のやり取り程度なのだろうが、その様子は二人の微笑みと相重なって、とても温厚で微笑ましい風景である。まして、あの二人に対しては、微笑むという動作自体物珍しい事だと言うに。

 タイムワープとは摩訶不思議な物で、以前見た光景がさながらビデオ再生のように、シンジの眼前で忠実に繰り返されている。勿論、二度目に目に映るその光景はシンジ本人にも深い感慨を及ぼしていた。

 

 一度目に感じたのは、喫驚と嫉妬。

 二度目に感じたのは―――なんと喩えればよいのだろう……

 

 そう、それは羨望だったのかも知れない。

 

「いい娘よとても。あなたのお父さんに似て、とても不器用だけど」

「不器用って……何がですか?」

「……。……生きる事が」

 

 恐らく「二度聞く」事は有り得ないであろうリツコの台詞を回想しながら、シンジは一人、虚しい思惑に浸っていた。

「綾波……レイ」

 何気なく、彼女の名前を呟いた。言葉と共に漏れた泡が、LCLを掻き分け上りつつ解けていく様をゆっくりと見上げつつ、彼はこれからの自分の行動について考え始めていた。

 

 


 

 

 ―――数日後。

 シンジはいつもの様に両脇を保安部員に挟まれたまま、本部内の正面ゲートに向かっていた。営倉送りの身でありながらも、定期的に行われる起動実験やハーモニクステストには随時参加している為である。

 そんな時、正面ゲートで立ち往生しているレイを視界に認めた。

 どうやら、自分のIDカードがセキュリティに阻まれる為に本部に入れないらしい。

 早速、シンジの右脇の保安部員がレイ本人と確認を取った後、セキュリティの解除を本部内に通達した。当然その間も左脇の保安部員はシンジの監視を怠らない。

 シンジはシンジで、多分リツコさんが新規のカードを手渡し損ねたんだろう、程度に考えるだけであった。

(営倉送りの身じゃあ、綾波のIDカードを渡しにも行けないからね……)

 そんな事を繰り返す気もなかったが。

 

 ややあって、レイ本人との確証が取れ、セキュリティが一時解かれる。

 ゲートが開いても、レイは終始寡黙を通しつつそそくさと内部に入っていく。保安部員二人とシンジも黙って後に続いた。

 

 あの長途なエスカレーターを下る間も、彼等の間には当然会話は存在しない。シンジ達の四段ほど下を下るレイが後ろのシンジに興味を示す風でもないし、シンジの側も馴れ馴れしいどころか今まで会話の一つも交わした事がないのだから、二人の交流というものはいまだかつて存在などしていなかった。

 だが、先にその沈黙を破ったのは意外にもシンジであった。

「……綾波さん。確か、今日再起動実験を行うんだよね」

 レイは一瞬シンジを振り返ったが、すぐ興味を失ったのか正面に顔を戻す。

「…………そうよ」

 やや於いてか細い返事が返ってくる。

「……この間、事故を起こしたって赤木さんに聞いた。

 また、そんな事になるとは考えないのかい?

 ……君は、エヴァに乗るのが怖くないの?」

「……どうして?」

 何をバカな事を訪ねているんだ。……そんな苦い葛藤を押し殺し、拳をやや握り締め直したシンジは続けた。

「前の実験で、大怪我をしたと聞いたから。平気なのかな、と思ってね」

 

「……あなた、碇司令の子供でしょう?」

「……らしいね」

「信じられないの? お父さんの仕事が」

「父親だからと言って何でも信用している訳じゃないよ。

 それに、僕は君と違ってあの人との絆を深めたいなんて思わない。

 血縁だって望んで持っているわけじゃない。もしも向こうから破棄されたって今更な話だし。

 

 絆が、温もりが感じられないと不安に駆られる……そんな感情ももう忘れたし」

 

 キッ、とした険しい表情のレイが振り返ったのが意外だった。

 また叩かれるのかな……シンジはそう思ったが、やや黙って睨み付けられたまま、しばらくしてまた正面を向き直った。

「癇に障った事を言ってしまったみたいだね。

 でも謝るつもりなんかないよ。

 君はあの人を信じる、僕は信じない。お互いそれでいいと思うから。

 それなら父さんが寂しく思う事もないし、君も絆を抱いて暖まれる。僕も何も困らない。

 

 もし君があの人を大事に思うなら、君が護ってあげてほしい。

 それだけだから……。」

 

 レイが、再びシンジを向き直る事はなかったが、代わりそれ以上シンジと距離を置く事もなくロッカールームまで黙して歩み続けていた。

 

 

 何十度も繰り返した、プラグスーツの脱着行為。

 レイはいつもの通り純白のプラグスーツを身に付け、手元のエアダスターを押し、身体とプラグスーツの間に入った空気を全て押し出す。その瞬間に身体が引き締められる圧迫が、僅かに彼女の緊迫感をも高める。そんな瞬間には、いつもゲンドウの姿と言葉が脳裏を過ぎって、彼女を落ち着かせる物だった。

 

「レイ……大丈夫か。レイ」

 

 そして、そんな時に限っては、彼女の口元に僅かに笑みが浮かぶ。

 人知れず、そして彼女自身も自覚しないうちに。

 

 


 

 

「レイ……聞こえるか」

 LCLを通じくぐもったゲンドウの声に、静かに応えるレイ。

「これより、零号機の再起動実験を行う。

 第一次接続開始。」

 今再びかの状況と同じ配備がなされ、零号機の再起動実験が始まった。

 だが、今度の再起動実験は、端で見る限りはシナプス端子等の微調整を凝らした万全の体制の様相であったが、別の意味で今回の失敗は有り得ないとゲンドウは確信していた。

 

 

「止むを得ん、コアを換装する。例の模写版を使え」

「しかしそれでは、シンクロの安定は得ても、必要数値の全低下を生じますが」

「構わん。安定しないエヴァに用は無い。換装したまえ」

「……はい」

 

 

「主電源、コンタクト」

 心なしかリツコの気概の感じない声。前回とは違う、張りのなさを感じる。

「稼働電圧、臨界点を突破」

「……了解。フォーマット、フェイス2へ移行」

「パイロット、零号機と接続開始」

「回線開きます」

「パルス及びハーモニクス、正常」

「シンクロ、問題なし」

 

 起動作業が順調に続く中、ミサトはコーヒーマグ片手にその一連の作業を実験棟脇の回廊から、特殊ガラス越しに見守っていた。そして、その横には保安部員を添えたシンジも連れ立っている。シンジ自身の起動実験はだいぶ後なのにも関わらず彼は何故か、既に暑苦しいプラグスーツを着込んで立ち居座っていた。

「今度は成功するのかしら……」

 気を揉む余り呟いたミサトの一言だったが、

「……するでしょうね。

 妥協して、不安定な『オリジナル』より確実な『コピー』を選んだんでしょうから」

 意味深なシンジの一言を、ミサトは横目でねめつけた。

 

「……リツコさんもさぞ辛いだろうに……」

 シンジの呟きと言えば、うまい具合にミサトの耳に届かずに済まされていた。

 

 起動実験の最中、レイはしばらく周囲の機器に目を向けていたが、作業が順調であると知ると、ふと手元の操縦桿脇に置いた眼鏡に視線を向ける。

 先日の起動実験の、零号機暴走の事後回収時、プラグから担ぎ出されたレイが痛めた身体に無理を効かせて拾った物だ。ゲンドウはすっかり失念しているようだったが、レイにとっては何故か片身離せない物となっていた。

 なんとなく、その眼鏡に視線を向けている事で心が落ち着く感じがする。彼女にはその理由をぼんやりとだが自覚していた。

 

(……あの人は私を見てくれている。

 でもあの人の息子はあの人を見ていない。あの人も彼を見ていない。

 でも私は見てくれている。私だけを見てくれている……)

 

 計器はゆっくりと、レイの心拍数が落ち着き始めている事を示していた。

 

「チェック2590までリストクリア。

 絶対境界線まで、あと、2.5……1.7……1.2……」

 カウントの続く中、それぞれの面々がそれぞれの思惑で、作業の様子を半ば呆然と眺めている。

 零号機に視線を向けるシンジ、ミサト、ゲンドウ、冬月。

 だが、リツコだけは一瞬ゲンドウの横顔を伺っている。そうやって、彼の思惑の何を探れるわけでもなかったが、そうせざるには居られない。

(でもそれでもいい。彼が私達を必要とするならば、私は私なりに尽力するだけ。

 ずっと昔に、そう決めた筈なのにね。……母さん)

 

「0.4……0.3……0.2……0.1……突破!

 ボーダーライン、クリアー!」

「零号機、起動しました」

 実験棟の面々の顔の緊張が僅かながらも一様に緩む。レイ自身も黙って作業を移行した。

「了解。引き続き電動試験に入ります」

 突発に、コンソール脇の内線電話が鳴った。即座に取り上げる冬月。

「……分かった」

 カチャリと受話器を落とした冬月の堅い表情と共に、彼はゲンドウに伝える。

「碇、未確認飛行物体が接近中だ。

 恐らく第五の使徒だな」

 それを聞き及ぶに即座に判断を下すゲンドウ。

「テスト中断。総員第一種警戒体制」

「零号機はこのまま使わないのか?」

「まだ戦闘には耐えん。初号機は?」

 呼応して即座に回答するリツコ。

「380秒で、準備できます」

「出撃だ」

「はい」

 変わって、ゲンドウは零号機のレイにマイクを向ける。

「レイ。再起動は成功した、戻れ」

 続けざま電源を落とされる零号機。途端にレイの周囲を覆っていたLCLの保温が切られ、明かりも消える。

 まるで急に温もりを失った事を寂しがるように、レイは静かに目を閉じ、深く腰掛け直した。

 

 

 シンジが、不意に真上を見上げた。

 勿論そこには実験棟の天井と蛍光灯しか存在しない、だが彼には確かに確信出来た。

 

「……来る。」

 

 シンジはミサトを残し足早にケージに向かい走り出した。

「!? シンジ君?」

 とっさに保安部員とミサトも動いたが、直後に本部内に鳴り響いた警報が、彼らの手を止めた。

「警戒体制!? 使徒が来たの?」

 傍らで連絡を受けたミサトの目は、既に視界からは見えなくなったシンジの背中を追うように呆然と眺めていた。

 

「……何者なの、あの子?」

 

 


 

 

 磨き上げた青水晶のように光り輝く正八面体。それが第五の使徒、ラミエル―――「雷を司る天使」―――の名を冠する使徒だ。

 やはり先日の第四使徒同様、推力の不明な動力を以てして、第三新東京に向かい一直線に低空飛来する。

「目標は、遠野沢上空を通過!」

「初号機、発信準備に入ります」

 発令所の指示に従って発進準備に入る初号機内部のシンジ。

 手と目が計器に向かってはいたが、思考は先刻のミサトとの会話を黙って思い浮かべていた。

 

 

「いいことシンジ君?

 今回こそは私の指示に従ってもらいます。宜しくて?」

 シンジは黙って一つ頷いた。

「我々は常に、人類の存続と存亡を掛けた戦いに赴いているの。勿論あなたも同様よ。

 だから、あなたが一人で勝手な真似で動いている事は、例え事態が良く運ばれたとしても、

 そのうち皆があなたに疑いを持つわ。……今の私のようにね。」

 ミサトは包み隠さず今の自分の本音を伝えた。

「あなたが何を知っているか、何を考えているか、今はまだ何も聞きません。

 その代わり、勝手に先走る真似だけは決してしない事……誓える?」

「……はい」

 今回は当初からそのつもりだったシンジが、頷いた。

「結構。それでは、取り掛かってくれるわね」

 

 

「エヴァ初号機、発進準備宜し!」

「発進!」

 ミサトの号令と共に、リフトが勢い良くリニアレールを駆け上がる。

 数Gの重圧に耐えながらも、シンジは傍らのとある計器に指を掛けた。

 

 その時、ラミエルの中央部分の窪みに、熱転移が確認される。

「目標内部に、高エネルギー反応!」

 シゲルの報告に振り返ったミサトが叫ぶ。

「何ですって!?」

「円周部を加速、収束していきます!」

 同様に血相を変えたリツコが叫ぶ。

「まさか……!」

 シゲルとは、中央部で立ち居座るミサトを挟んで反対側のコンソールに座っていたマヤが、別の異変に気が付いた。

「初号機、パイロット側からのシンクロ率30%カットを受けています!」

 通常、エヴァにはパイロット側の戦時判断により、パイロット側からのシンクロ率の手動切り替えの最大30%の干渉権を持つ。それ以上は発令所側の操作でしか変えられない。

 要するに、シンジ側としては出来うる限りシンクロ率をカットしたという訳だ。

 ミサトがその報告に忙しなく反対側を振り向いた。

「シンクロカットですって!?」

 だか、時既に地上ゲートの解放にまで至っていた。一瞬後には、エヴァ初号機がその紫色の巨体たる勇姿を三度地上部に現す。

「駄目、よけて!!」

 ミサトの絶叫にも関わらず、事態を知らないシンジの反応は一瞬遅れた……のだろう。 

 ディスプレイに映るミサトを振り返っていたシンジの傍らで、ラミエルの巨体の一部が光り輝く。

 

 

 紅き光が、空間を駆け抜けた。

 

 

 初号機とラミエルの間を挟んで立ちはだかっていたビルを飴のように溶かしながら貫通し、加粒子砲が初号機目掛けて突き進む。その痛烈な攻撃は寸分の狂い無く、リフトに固定されたままの初号機の胸部を捉えた。

 そして、その異常なまでの威力がフィードバックされ、シンジの胸部を同時に焼くような痛みが襲う。

 パイロットを保護する緩衝剤のLCLでさえその威力を持て余し、沸騰する。

「うあああああああああッッッ!!!!」

 初号機パイロットの絶叫が、マイクロホンを通して発令所全域を揺るがした。

「シンジ君っ!!」

 

 

 ミサトの悲痛な叫びも、その事態を何も好転させる事はなかった。

 

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+07/22 公開
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 第十八章、公開させていただいています。

 

 昔良く語られた「本編の謎」の中に、「零号機のコアには一体誰の魂が封入されているのか」というのがありました。私は、第二部では「初号機のコアのコピー」としましたが、あくまで私の仮定です(^^;

 しかも、それだけでもないと思います。有力説には「赤木ナオコ説」「初代レイ説」がありますが、私は前者だと話がちょっと膨らむと思って、前者と仮定してます。

 尤も、もう換装してしまったので忘れてしまって構わないんですが(爆)

 しかし、「謎」って本人の興味のあるなしに関わらず、本編の展開をなぞるのに引っかかりますね(--;

 

 さて、極一部の人には「第十九章はいよいよアスカ登場です」と予告しましたが、案の定一つ繰り下げました(爆)あ、ちなみにJAはシカトします(爆)だって今のシンジにJAは何の関係もないし因果もないし……(^^;

 今回と次回分を一気に書き上げても良かったですが、私はSSをメモ帳で全て書いているので、30kb以上のサイズはちょっと辛いんですよ(笑)別々に書いてドッキングしてもいいんですけどね……。

 という訳ですが、次回のヤシマ作戦発動パートは直ぐに投稿出来ると思います。良しなに。

 

 それでは、また次回……

 

 

 

 

 そろそろ短編も書かないといけないんですけど……どの道「アレ」落ちな話になりますけどね(笑)






 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第十八章、公開です。






 シンジがやってくるのが後22日速かったら、
 レイちゃんは大けがせずにすんだのか・・・


 一歩の差だね・・

 いやいや、わざと遅れたとか、何かで。

 なんか、で。


 読みのぬるい私にはわからない(^^;




 EVAの操縦が前よりずっとうまい今のシンジに−−
  JAを一本背おいして欲しかった・・(^^;
  四方投げもいいなぁ

  飛びつき腕ひしぎとかも

 リツコさんをいじめた時田のJAを完膚無きまでに叩き伏せて欲しかったなぁ

 まあ、”完全に出番を失う”以上の屈辱はないから、いいけどね(笑)




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