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 某月某日、第一実験棟―――。

 

 

 特務機関ネルフ所属のサードチルドレンに認定された、と同時に十五年振りに来襲した使徒殲滅の初任を背負った少年、碇シンジ。その彼の初戦役は目覚ましい物であったが、何分彼は戦務には素人である。

 現在実験棟で行われている模擬戦闘訓練は、これから想定される数々の使徒来襲に備えた物である事は自明の理だが、それは彼にとって学習というよりも「復習」に過ぎなかった。

 初戦であれだけ軽快に初号機を操って見せたのが奇跡とは誰も思わなかったが、反面、誰も彼をエヴァ操縦の既習者であるとも思いはしない。リツコとミサトが課した模擬訓練を、彼はさも当然のようにこなしてゆき、「素人にしては」あまりにも卓越した成績を叩き出し続けた。

 

 そして、今日も引き続き、第三使徒を仮想敵と想定した射撃訓練が行われていた。

 

 

「おはよう、シンジ君。調子はどう?」

 亜麻色に輝く、口当たりの苦いLCL溶液に浸されたシンジへの皮肉にもならないリツコの挨拶には、

「……問題ありません」

 無難に答えた。

「結構。

 エヴァの出現位置、非常用電源、兵装ビルの配置、回収スポット。

 全部頭に入っているわね?」

「……はい」

 この都市にシンジが訪れてから数日、彼にはありとあらゆる戦闘を想定したレクチャーが課されたが、彼は一度の学習で全てを吸収する「優等生」であった。……ように見えた。

 「既に見知っている」とはおくびにも出さないシンジもシンジであったが、彼自身はそれでも朝晩、至極真面目な勤勉振りを見せ、レクチャーに取り組んでいた。

 

「では、もう一度お浚いするわ。

 通常、エヴァは有線からの電力供給で稼働しています。

 非常時に体内電池に切り替えると、蓄電容量の関係で、フルで一分。

 ゲインを利用しても、せいぜい五分しか稼働出来ないの。

 ……これが私達の科学の限界ってわけ。おわかりね?」

「……はい」

 リツコは彼女なりに、自分達に可能な範囲で精一杯、任に取り組んでくれているのだろう。

 リツコが稀に漏らす自嘲的な呟きも、「二度目」の事だから、他に邪推に考える事もないのだからこそ気付ける事。それが彼女の、ここネルフで只一つ「赤木リツコ」で居られる理由のようにシンジには感じられた。

 彼女は賢いのだから、自分の罪の重さを知っていたのだろう……。あの時、レイのサンプルをその手で砕き、泣き崩れた彼女の小さな背中を、シンジは忘れはしない。

 

 彼女もまた、様々な思惑との擦れ違いに苦しんだ、一人の弱い女性だったのだから―――。

 

「では昨日の続き、インダクションモード、始めるわよ」

(リツコさんは既に割り切る決心をしているんだ、僕達子供を兵器として扱う事に。

 ミサトさんとは違って、悩む事が弱さを受け入れる事だという事の辛さを噛み締めているからこそ、

 あえてその罪から目を逸らすしかなかった……父さんと同じ辛さの凌ぎ方をしている人。

 

 ならば、リツコさんの「事後」はどうあるべきなのだろう……)

 

「……始めるわよ、シンジ君。何をボーっとしているの!」

 叱咤されて気が付いたのか、やや慌ててシンジは操縦桿に取り掛かった。

 

 仮想的に用意された初号機の時限リミッターが発動する。エントリープラグ内の映像には、第三使徒との野外戦闘の光景がシミュレーションされている。間抜けなまでに晴れ上がった仮想の青空と、ピクリとも動きそうにない仮想の第三使徒との怪しいコントラストが、シンジの内心の失笑を買っていた。

 だが手を抜く事無く、初号機の両手に握り締められていた模擬パレットライフルを使徒に狙い定めた。

「目標をセンターに入れて……スイッチオン」

 リツコの指示とモニターのロックオンを受けて、即座に放たれるパレット弾。それは使徒の上半身に絞って狙い定められ、数回使徒の身体が弾けたかと思うと呆気なく崩れ落ち、小規模の爆発を見せた。

 だが、プラグの画面内には、即座に別の模擬敵体が姿を表し、リツコの「次!」の言葉に従って、黙々と初号機の使徒退治は続いた。

 

「……射撃成績は優秀ですね。とてもエヴァに乗って二週間足らずの少年とは思えません……」

 コンソールの数値と睨み合いながらマヤが呟くが、あいにくその言葉は少々現実を逸れている。

「成績は優秀でしょうね。彼自身、初めから含んだような態度だったもの。

 まるで何処かでエヴァの操縦をレクチャーして来たかのよう……の方が言い得ているわね」

 リツコが顎に手を添えて考え込むその傍らで、じっとモニターに視線を注いだままの寡黙なミサトがいた。ミサトもリツコと同様の憶測を立てていたし、何より、彼女は碇シンジという少年その物に対する観念を見直し始めていたからだ。

 報告では、数日前まで何の変哲もない辺鄙の土地で暮らしていた少年の筈が……。

 ミサトは悩んでいた。

 

 そして、悩みの全てを払拭した少年はと言えば、ただ黙して模擬訓練に身を沈めるのみであった。

 

 

 

 

「目標をセンターに入れてスイッチ。

 

 目標をセンターに入れてスイッチ。

 

 目標をセンターに入れてスイッチ。

 

 目標をセンターに……これも厭きたな」

 

 


 

=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第十七章 心の棚に並べられた、艱苦 −

 

 

 ミサトが、シンジに対して抱く疑問は一つではなかった。

 まずは先日、第三使徒来襲の数日後、シンジが意識を取り戻してからの話である。

 

 シンジが戦闘前、作戦部長に対し不敵にも「自分の好きにさせろ」と言い放ってから、彼は公言通り使徒を倒した。

 勿論使徒殲滅の任は絶対に失敗は許されない事ではあるが、作戦部長を後目に少年が独断で使徒を殲滅してしまえば、そこはそれで歪みが生じる。面体がどうのという話でもあるかも知れないが、何より、碇司令がそれを黙認したのがミサトには腹に据えかねた。本来シンジには懲罰刑も辞さない覚悟のミサトだったが、

「当組織の指揮監督よりも、サードチルドレンの独断が的確かつ迅速に働いたのも事実だ。

 独断専行は、今回限り見逃してやればいい」

とゲンドウに一括りにされてしまえば、それも梨の礫であった。

 

 また、シンジは司令に対しとんでもない要求を一つ出していた。

「自分を学校に行かせる必要はない。

 代わりにネルフの起動実験、人体実験の類は一つも欠かさず出勤する。

 要は自分を扱き使ってくれて構わない」という物だ。

 これには、ミサトの怒りが爆発した。特段何の言い分を以て説教出来るわけでないのはミサト自身承知していたが、年頃の学生が学校にも行かずにいるというのを、大体にして仮にも父親たるゲンドウが是認していたのが、余計腹に据えかねた。

 確かにミサトはシンジの保護者でも何でもない。只の作戦上の監督者に過ぎないのは分かっている。だがそれでもこんな時には、口幅ったい事の一つも言いたくなって許されるべきだと彼女は信じていた。

 

 

 やがて、シンジのそんな非日常的な訓練任務も、三週間が経過した頃。

 かの第三新東京市に、再び非常事態宣言が発令された。

 

「只今、東海地方を中心とした、関東、中部の全域に、

 特別非常事態宣言が発令されました。

 速やかに、指定のシェルターに避難してください。

 繰り返しお伝えいたします。只今……」

 

 地上で流れているアナウンスも聞こえはしない、地下本部居住区で静かに待機していたシンジの部屋の内線電話が鳴った。

「シンジ君、そこに居たわね。

 非常召集発令よ、今直ぐ初号機ケージへ急いで頂戴」

 最低限の伝言だけを済ませて、ミサトの電話が無下に切れた。

 心なしか、その言葉使いが余所余所しかった。

「……当然か。望んでこうなった癖に、今更……」

 

 兎に角、シンジは小走りでケージへと急いだ。

 

 


 

 

「目標を光学で補足。領海内に侵入しました」

「総員、第一種戦闘配置」

 冬月副司令の、温厚ながらも張りつめた雰囲気の号令が響く。

 ゲンドウは訳あって五日程本部を留守にしている真っ最中である。司令権限代行を全て背負っている彼の言葉は、必要程度に重かった。

 そして、その冬月の言葉にならって都市は迎撃戦形態へと移行していた。

 

「政府、及び関係各省への通達完了」

「現在、対空迎撃システム、稼働率48%」

 その言葉にやや顔を顰めるミサト。作戦指揮を預かり受けている者としては、都市防衛システムの本調子でない現在に使徒が来襲する事は勿論好ましい事態ではない。

 とにかく、こちらの実質の戦力はエヴァ初号機と、それに搭乗する不明瞭な意志を持つ少年一人だけである。確かに彼は先日の戦闘ではなかなかの戦績を挙げたが、次もそうなるとは一切限らない。

 連日の鯨飲といい、彼女の胃がよく音をあげない物である。

 

 

 第四使徒−シャムシェル。

 「昼を司る天使」の名を冠するこの使徒、まるで推力にリニアモーターでも用いているかのように、都市部の建物や樹林すれすれの低空滑空で都市部を縦断してくる。失礼だが真上から見ればその形状はまるで赤い烏賊(イカ)にしか見えない。この冗談のような形態をした生物が、これから人類を滅ぼそうとするのは少々リアリティに欠けるのだが、幸いその形状に一笑するようなネルフの職員は居なかった。

 

「碇司令の居ぬ間に、第四の使徒襲来。

 意外と早かったわね」

 メインディスプレイを見上げるミサトの瞳は不敵に微笑み、皮肉が口を突いていた。

「前は十五年のブランク。

 今回は、たったの三週間ですからね」

 同調するかのようにミサトを振り向いて語るのは、作戦部の日向マコト二尉。やるせない思いが皮肉として口を突く反面、部下達もまた黙して任務に打ち込むしかないのである。

 

 48%の対空迎撃システムが稼働し、シャムシェルを一斉に攻撃する。

 迎撃システムとその行使権はネルフの固有ではなく、現在は戦自のそれである。ネルフの権限で行使することも可能ではあるが、正直ネルフのB級以上の職員は誰もが使徒に対して通常攻撃が通用しない事位知っているし、第一前回で教訓になっている筈である。

 だが軍人の理論では「効きませんから勿体ないので撃ちません」では禄は食えないらしい。無駄と知りつつ、迎撃という格好を見せないと、彼等も首と面子が掛かっているのだから仕方が無い。だがそれを心から理解してくれるネルフの人員も存在はしないが。

「……税金の無駄遣いだな」

 冬月副司令を推してなおこれなのだから。

 

「委員会から再び、エヴァンゲリオンの出動要請が来ています」

 第一発令所勤めの青葉シゲル二尉が、渋った様子を垣間見せながらミサトに報告した。

「煩い奴らねぇ……言われなくとも出撃させるわよ」

 彼女はとかくご立腹だった。

 

 


 

 

 その頃、シンジは既にプラグスーツを纏い、ケージで待機中であった。

 スーツを着る為に更衣室に立ち寄った時、怪我で着替えもままならないレイを見かけた。

 

 シンジとは違い、レイは退院の翌日から復学していた。

 また、今日に限らず本部内で対面する事は数度あったし、その気になれば会話をする機会も存在はした。勿論彼女が進んで会話に乗る性格でない事は百も承知だ。

 「綾波レイ」という少女は極端に喋らない。人との接触を進んで持とうとはしない。当然、シンジの身心に深く触れる事も有り得ない。

 だから今のシンジにとっては実に都合が良く、何一つ問題なくこの三週間を過ごせたのだ。何も気を配らずとも彼女との接点は殆ど持たずに済むし、自分が彼女の「居場所」に割り入っている罪悪感は多少はあっても、彼女の「心」に割り入っている覚えは無くて済むのだ。

 

 準待機命令の下っている彼女に出番を作るつもりはない。そんな事態になったら実質人類は滅びるであろう。もし彼女の体が五体満足であれば分からないが、それもあくまで病み上がりの彼女を酷使した場合の仮定の話。

 シンジは無言で立ち上がり、命令のままにエントリープラグへと乗り込んだ。

 

「……使徒、人類の敵……か。最初に彼等を『敵』と決めつけたのは、誰だったのだろう……」

 LCLが電化操作されている間、ふとそんな思いを巡らせていた。

 

 

「シンジ君? 出撃、いいわね」

 ミサトさん……この人の人生は、使徒を敵と見定めるしかなかったのだろう。

「……はい」

「よくて? 敵のATフィールドを中和しつつ、パレットの一斉射。

 練習通り、大丈夫?」

 リツコさん……この人にとって、エヴァという存在はどれだけ因縁深かったのだろう。

 そんな人達に見守られて、僕は僕の役目を果たしに行くしかないと言う訳か。英雄気取り、或いは浪花節……そんな柄でもないか。

 

 シンジの自問答虚しく、ミサトの指揮により初号機が射出された。

 

 


 

 

 都心部一角の高層ビルに偽装された、D−22番リフトに打ち上げられる初号機。

 敵からは、その姿はいまだ死角になっている。

「作戦通り……いいわね、シンジ君」

 ミサトは、今回こそは彼が指示通りに動いてくれる事を願った。

 だがそれは今回も肩透かしを食らう羽目になるようである。

 

「…………」

 

「シンジ君? 作戦通り、突出と共にパレットライフルの一斉射撃よ。どうしたの!」

 発令所からのミサトの命令を無視し、ビルからふらりと歩き出た初号機。

 そのまま初号機はシャムシェルの眼前に立ちはだかる形になった。その様子に、まるで戦う意志は見えない。

「あの、バカ……!」

 ミサトが一人歯軋りするが、シンジに動じた様子はない。

 

 

「シャムシェル……僕には君を倒す理由がない。君にだってないはずだよ。

 君が退いてくれれば、僕も無理に倒そうと躍起にならずに済むんだけど……」

 

 シャムシェルが突然、両腕から光の鞭を二本飛び出させたかと思うと、初号機が今射出されたばかりのビル型ゲートをズタズタに斬り裂いていた。

 初号機はその鞭の軌道から素早く屈んで逃げおおせたが、両手に抱えていたパレットライフルは逃げ遅れたか手の中で四散していた。

(……! やっぱり、彼等にとっては盲目的に求める物の為に、

 無我夢中で戦うしか道が残されていないって訳なのか……。

 彼等にも後がないんだ。

 『あれ』が求められなければ、近いうちに破滅するしか道のない種族なのだから。

 それが使徒と呼ばれる、僕達の亜人種……)

 

「僕は……戦うしか、ないのか。こんなあやふやな生き様のままで……」

 

 一方のシャムシェルには、シンジと問答する気は毛頭ないらしい。

 唯一の武器と思われる光の鞭を都市部で縦横無尽に振り回し、逃げおおせる初号機を追いかけるように街中のビルを次々と斬り払って行く。逃げる初号機側も器用な物で、身体には殆ど鞭を掠らせもしない。

 そして、最初に直撃を受けたのはアンビリカルケーブル部分だった。超高圧の電線が跳ね飛び散る光景を一瞬で確かめ、顔を顰めるシンジ。

「ちっ!」

 

「アンビリカルケーブル断線!」

「エヴァ、内蔵電源に切り替わりました!」

「活動限界まで、あと四分五十三秒!」

 言われずとも分かっている「危機感」に焦燥の表情を隠せないミサト。

「どうしたのシンジ君! 逃げてばかりいないで戦いなさい!

 予備のライフルを今出すから!

 それと、予備ケーブルの準備!」

 

「……言われなくとも、そうしなきゃいけないっていうのなら……」

 ガシュッ、という音を立てて、初号機左肩のプログレッシブナイフが射出された。

「……やっぱり、これが一番使いやすいや」

 白熱に熱されたナイフを両手で胴に構えると、地を這うように初号機が駆け抜けた。

 

「待ちなさいっシンジ君! 命令を聞きなさい!

 いきなり接近戦だなんて、無茶よっ!」

 戦術のイロハもない、只の特攻にしか映らない初号機の光景に、頭痛がし始めてきたミサト。

 あんな彼を、誰が「優等生」と呼んだのであろうか。

「初号機、活動限界まであと三分二十八秒!」

 

「あなた、そんな事で使徒を倒せると思っているの!!」

 作戦部の管轄下に於いて、命令無視甚だしく行動するシンジに激昂する。

 ミサトにしてみれば、任務の失敗と同時に、そんなじゃじゃ馬同然な立場の少年の行動を一度ならず二度までも看過は出来ないのだ。

 

「……じゃあもう三分時間を下さい。

 命令違反の処罰なら、営倉送りくらいは覚悟してますよ」

 シンジは発令所向けのモニターに不躾に指を三本立てて見せ、直後発令所は初号機の一方的な通信カットを食らった。

 

 

「いい覚悟だわ、碇シンジ君……!」

 ミサトが憎々しげに呟いた。

 

 

「うああああああっっっ!」

 激しい叫び声と共に、素早くシャムシェルの懐に潜り込もうとするシンジと初号機。

 しかし、さすがに接近すれば敵の攻撃はかわしづらくなる。振り乱された鞭に全身の数カ所を斬り刻まれてなお、初号機は止まらない。ようやく懐に取り付いた初号機がシャムシェルの胸部にあるコアに思いっ切りプログナイフを突き立てた。

 もはやここまで来れば、ミサトも荒々しく言葉を発するような事もなくなり、只ひたすら初号機と使徒の戦闘を黙って腕を組み、見守り続けている。あそこまで啖呵をきられて黙っているのも癪だったが、今は目下作戦行動中、これ以上感情的にもなっていられなかった。

 

 ナイフを突き立てられたコアが、激しく火花をスパークさせ初号機の装甲に雨霰と降り注ぐ。

 たとえ使徒の弱点であるコアを攻撃出来たとて、プログナイフでは破壊に即効性はない。シャムシェルは苦悶しながらも、なんとか取り付いた初号機を引き剥がそうと悶えるが、初号機がビル群に身体を押しつけて食い留められているので、浮遊形状のシャムシェルはまるで身動きが取れない。

「初号機、活動限界まであと一分を切りました! 五十七、五十六、五十五……」

 マヤのカウントダウンが始まっても、発令所の皆の目は一様にディスプレイに釘付けになったままである。活動限界までには使徒の撃破が間に合うだろうという一縷の望みと、もしや間に合わないのでは……という焦燥とが綯い交ぜになった瞳を向けられても、初号機はただひたすら使徒に対してナイフを突き立てるのみであった。

 藻掻き苦しむシャムシェルの鞭が、初号機を周囲のビルごとがむしゃらに斬り刻む。搭乗者であるシンジにも当然激痛をもたらすが、歯を食いしばって取り付いているシンジには大した影響ではないようであった。

 

 

 やがて、パキッという音と共にコアがひび割れたかと思うと、その紅い輝きを失ったコアと共にシャムシェルもまた息絶えた。

「目標は、完全に沈黙しました」

 使徒が活動を停止したと認めた初号機が、ナイフをコアから引き抜きつつシャムシェルから離れ、その場で電源を一旦落とし回収に備えた。

 活動時間は残り十八秒を指した所でカウントを中断されていた。

 

 任務を終えた発令所には、使徒再撃退に喜ぶ職員達の余韻と、ミサトの暗澹とした内心を表す顰め顔のみが残されていた。その様子を後ろから静かに見守るリツコにしてみても、大した差ではなかったが。

 

 


 

 

 初号機の回収と事後処理をリツコと部下達に任せたミサトは、本部内フロアの一角で休憩を取っていたシンジを早急に問いただし始めていた。無論、先刻の命令無視の件である。

 

「どうして私の命令をことごとく無視するの?

 あなたの作戦責任者は私です。あなたには私の命令に従う義務が生じているの。

 今後もこういう事がある訳には行きません。

 前回に続いて今回も、幸い使徒は撃退出来たけれど、

 それが一少年の独断専行だという事はとても感心できないわ。

 

 分かっているんでしょうね?」

 冷めたシンジの目から見ても、ミサトの機嫌を著しく損ねているのはとても良く見て取れた。

 確かに、あえて皮肉った言い方をすれば、作戦部長としてのミサトの体裁をせせら笑っているかのように振る舞っていて、しかもその独断専行のもたらすダイズの目が良いのならば、彼女にしてみればいたく肩身の狭い話になるだろう。

 そして、それを狙って動いている節のある自分にも嫌悪する……のも彼はいい加減飽きていた。

 

「……別にいいじゃないですか。勝ったんですから」

「あんたねぇ!!」

 憤慨して、今にも掴みかかりそうなミサトの視線が痛い。エヴァに乗って使徒と戦い、痛め付けられた時の全身の苦痛の後遺症よりも、遥かに遥かに痛いのだ。

 そして、その視線に臆面もなく黙って向かい合い、視線を返す自分の度胸が自分自身で信じられない位である。

 

「……葛城さんは作戦部長としては有能なのでしょうけど、

 あくまであなたの指揮は『未知の物体に恐る恐る触れようとしている』感じで、

 引っ込み思案なんですよ、正直。

 事情が分からない訳じゃないですよ。誰だってあんな異形の物体相手に無茶したくはないでしょうし、

 まして、セカンドインパクトだなんて『前例』もあるらしいですからね。

 でも、それじゃ僕達は常に後手しか打てないんですよ。

 

 碇司令には既に申し立てはしてあります。

 使徒との戦闘時に於いて、葛城一射の作戦指揮よりも、

 僕自身の判断が比較良だと僕が判断した場合、僕の独断権のが常に優先させて貰えるように……とね」

「なんですって……!」

 

 申し立てる方も申し立てる方なら、承認する方も承認する方だわ! ミサトの怒りにとうとう火が付いた。

「あなたは軍人でも、まして戦術指揮官としての訓練を受けた訳でもないでしょう!?

 そんな馬鹿げた話がまかり通るとでも思っているの!!」

 

「僕が軍人でもなくても、戦術指揮訓練は未経験だとしても、

 僕は僕なりに最上の戦闘を進められる自負があります。

 決して意地や名声、達成感云々で動いている訳じゃありませんよ、

 それが使徒の撃退に尤も有効であるという判断、それを重視しているだけです。

 

 葛城さんが、現行で可能なだけの資料とシミュレーション経験だけを元にした、

 戦闘指揮に秀でているのは分かります。

 それに、確かに僕は戦術指揮はずぶの素人ですしね。

 だから、戦場で僕が好き勝手せずに済むだけの指揮采配をしてくれるならば、

 僕は大人しく従いますよ。それでどうです、葛城さん?」

 

 既に、シンジの放つ言葉は葛城ミサトという一介の女性にとって屈辱に等しかった。

 やや俯き加減になって、ワナワナと肩を震わせている事に酷く罪悪感を感じながら、同時にシンジが閃いた事。多分……自分はミサトに、作戦部長としての立場に失望して退役して欲しいと願っているのでは……という思い。それがどれだけ傲慢であるかはこの際敢えて、心の棚の上だ。

 だから、危険と知りつつシンジは決定打を口にした。

「それとも、こんな素人の少年のやり口に屈辱を感じるような事があれば、

 作戦部長なんて職業、いっそ止めたらどうです?

 ……使徒に復讐心を抱いたまま、一生こんな組織に埋もれる事はないんですよ、葛城さん。

 あなたには、もっと別の生き方があると思うんです」

「……!!」

 不意にシンジを見上げるミサトの眇めた目は、図星を突かれ狼狽した心境のそれであった。

「……何を言っているの、シンジ君?」

 見据えるミサトの目が座っている。今の一言で、シンジに対して幾分の猜疑心が芽生えたようだ。

「さあ……」

 

 

「……とにかく、ネルフはまかりなりにも軍事組織の一端です。

 上官の命令違反は重罪よ。覚悟は出来ているんでしょうね?」

 ミサト自身、段々と自分の物言いが私怨的になっているのを感じていたが、今はそのドス黒い衝動を押さえきる事が出来ないでいる。

「司令の判断は保留中ですし、その司令自身今は出張中ですからね、

 今回は僕の『命令違反』で構いませんよ」

「……よく言ったわ。

 その通りあなたを、作戦部部長葛城ミサト一尉の名で、営倉への禁固刑に処します。

 宜しいわね?」

 その事務的な言葉に、シンジは黙って頷いた。

 

 

 腕に三重の手錠を掛けられ、シンジはミサトと保安監査部員に引き連れられ地下第一営倉に監禁刑とされた。シンジは大人しく従い、簡易ベッドとトイレ、そして小さな卓だけが用意された暗室に黙って連れられ入っていった。

 一方のミサトも、たった14歳の少年を営倉送りにする事に強い後悔も持っていたが、この少年は実力にかこつけ、余りに身勝手な、不敵な態度で辺り構わず振る舞うのだ。いい灸据えだと思う黒い心も片隅に持っているのも確かであり、またそれに十分な自覚があった。

 

 簡易ベッドに黙って座るシンジに、ミサトは一言だけ問い掛けた。

「何か、ご要望はあるかしら?」

 この住に不便な営倉に於いての気遣いではなくて、皮肉に聞こえる物言いになってしまった自分を一瞬呪うミサトであったが、

 

「……第五の使徒が来たら、教えて下さい。

 今度は葛城さんの命令に従いますから、出撃許可を貰えると嬉しいんですけどね」

 

 ミサトは開いた口が塞がらなかった。

 

 


 

 

「……成る程。随分と不遜な少年ね」

 壁にしなだれるミサトの方には殆ど視線を向けるでもなく、リツコは自分の端末で黙々と作業を続けつつ、事の一部始終をミサトより聞き及んでいた。

「でしょう? 碇司令の子と聞いた時点でや〜な予感したんだけどさ、

 あんな生意気な子供だとは思わなかったわよ!」

「司令が聞いたら怒るわよ」

 リツコにしては気の利いた冗談でミサトを和ますが、

「知らないわよ! 何よ、営倉送りに堪えた風でもなしに何が、

 『第五の使徒が来たら教えてください』よ!

 ……大人をなめるんじゃないわよって感じでさ……」

 ミサトが時折、こんな子供染みた感情表現に走る理由をリツコは知っていたが、

「言って後悔するような愚痴なら止しなさい。あなたの為にもならないわよ」

 こうして、気の静まる相方を持つからこそ、彼女はこの境遇に耐えられるのかも知れない。

 

「……分かってるわよ」

 

 


 

 

 後日。

 碇司令の出張帰省に伴って、ミサトはゲンドウよりサードチルドレンの処遇に対する尋問を受けた。

 ミサトは自分の感情が抑制出来なかった事も素直に報告し、事の沙汰を待った。

「……成る程。サードには後で私が改めて尋問しよう。

 感情的になったとは言うが、君に重要な落ち度はなかったと判断する。

 任に戻りたまえ」

「ありがとうございます」

 ミサトは敬礼の姿勢を取り、そのまま司令室を退出した。

 

「……お前の息子は確かに、とんだ不遜者のじゃじゃ馬だよ。

 初号機には魅入られているのかも知れんがな」

 冬月もミサトの事の次第を見届けていた人物であるが、ミサトが逐一正直に報告したとあらば、葛城一尉に対する責任追及も取りあえずは必要ないと判断した。

 

「……監督者の再レポートは役には立たん。

 何処を洗ってもシンジの豹変ぶりを示唆する箇所は該当なしだ。

 シンジの身体に何が起きたか、これでは見当も付かん」

 ゲンドウが、卓上にそのレポートを投げ捨てつつ呟いた。

「……あれがゼロの影響を受けたのに間違いはない。

 だがあれでは、聞いて事の顛末を答える風でもない」

「ならどうする、碇?」

 

 

「どうもせん。本人が戦うというのなら使うまでだ。

 使用用途に変わりはない」

「……眉間が嘘だと言っているな」

 

「冬月。」

「藪蛇だったか」

 

 

 その後ゲンドウはミサトに伝えた通り、シンジを一時営倉から出して聴取を始めたが、肝心のシンジは一向にのらりくらりと尋問をかわすのみで、埒があかない。

 やむを得ないので、忙しさにかこつけて早々に退出させた。

 

 

 

 

(……ユイ、何故『あれ』を受け入れた。

 私の危惧通り、シンジは豹変してしまったというのに……)

 今更ながらに、心の中で呟いた。

 

 


 

 

 話は変わって。

 シンジが監禁されている地下第一営倉には、当然個室毎にモニターが付いている。

 監視の任務自体は保安部の管轄だが、職務が職務だけに情報は逐一リツコの耳にも届いた。

 肝心のミサトには、リツコ経由でも話は届く。

「で? シンジ君の様子は?

 まあ大人しく反省しているようなら越した事はないけど」

 悪態が一言多く付くようになったのは良くない兆候だと一つ釘を差してから、リツコはシンジの様子を語って聞かせた。

「起床、就寝は各AM7:00、PM9:30付近と至って安定。

 朝食の後は昼食、夕食を挟み、就寝までの間決まってストレッチと読書と学習の三交代」

「ストレッチ?」

「人間、閉じ籠もっていれば当然体力が落ちるわ。

 一日最低一度、身体が疲れるまで筋力運動をして、筋力退化を防いでるのよ。

 彼の場合、更に身体を鍛えようとしている節があるけど」

「体力資本か。任務にはご熱心な事よねぇ」

「ミサト! ……続けるわよ。

 読書の内容は年齢より若干上といった感じ。

 但し学習については、独語辞典を持ち込んだって報告があるけれど」

「独語辞典?」

「基礎的な会話と日常語の学習。

 高校や大学の基礎講義程度の内容を独学しているらしいわ。

 尤も、まだ日が浅いから目立った進歩はないようだけど」

「……学校サボってドイツ語? 何考えているのかしら、あの子」

 ミサトは両手を上に向けて呆れ果てた。

 

 

「……そう言えば、委員会で正式可決されたそうよ。

 ドイツ支部の弐号機、及び専属パイロット移送の件」

「へえ、碇司令直々の出張の賜物ね。辣腕ぶりは健在か」

「ミサトは、アスカに会うのは何年ぶりになるのかしら?」

「さあ……ドイツ支部出張以来だから、かれこれ二年になるかしら。

 あの娘も生意気と言えば生意気だけど、悪い娘じゃないのよねぇ」

 リツコが傍らの紙切れをペロリと差し出した。

「プリントアウトしたアスカの最終経歴よ。

 今春、修士課程修了とあるわ。彼女の公言通りきっかり二年でね」

「へぇー。昔から英才ぶり色々発揮していたけど、まーっさか本当にやるなんてねぇ」

 紙切れをペラペラと振りかざしながら、回想に浸るミサト。

「日本語も大分流暢になったそうよ。

 未だに漢字の書き取りは出来ないらしいけど」

「まっ、二年前はこっちがドイツ語と綯い交ぜて必死こいて話していたんだもの。

 その位のリスクは背負ってもらわなくっちゃねー」

 意地悪く笑いながら、ミサトなりにアスカの来訪を歓迎していた。

 

「いざとなったら、レイ達にも多少の独語学習を余儀なくしようかと思ったけど、

 アスカが日本語話せるなら何も問題ないっしょ」

 ミサトがあっけらかんと楽観的に見ていたのに比べ、

「……じゃあ、地下営倉で何も知らず一人黙々と独語学習している彼は何?」

 とリツコが静かに切り返したら、何も言えなくなってしまった。

「……彼にその事話したの?」

「いいえ、誰も」

「もしかして、碇司令が?」

「それもないそうよ」

 

 

「……小気味悪いわね。

 まさか彼、初めから知っててやってるんじゃないでしょうね?」

「まさか。有り得ないわ」

 リツコの素っ気ない返事も、歯切れは良くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あと三十二日か……」

 シンジは意味不明な一言を呟きつつ、独語用のノートに一つチェックを付け加える。

 彼のノートには、彼の年頃には難しめな心理学、医学的な用語が幾つも羅列されていた。

 端末は営倉には持ち込みを禁じられていたし、手書きは記憶に馴染みやすいのでノートを使っているらしい。

「国語辞書も平行しないと語意も十分に分からないなんて、情けないなぁ……」

 

 彼のビジョンはミサト達より遥か先にあるようであった。 

 

 第五使徒来襲、十二日前の出来事である―――。

 

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+07/15 公開
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 第十七章、公開させていただいています。

 

 

 例えば、本編再構成物を書くときに欠かせないのがTV版を収録したビデオ。

 私はこのSSを書く為にレンタルビデオ店から借りています。

 ビデオ第一巻(第壱話、第弐話)はそれぞれ十五章、十六章としてそれぞれ一章分として書けましたが、このSSを書くに当たり、ビデオ第弐巻(第参話、第四話)も当然見ました。

 さてそれで一つ困ったんですよね。なんと二話纏めても一章分のストーリーにもならないという(爆)

 

 だって、このシンジはエヴァから逃げ出す訳でもなし、トウジとケンスケとの心の交流があるわけでもなし。

 幸いなのはシャムシェルが出てきた事くらいで(笑)そうでもなければいきなりヤシマ作戦ですよ、本当に。端折るにも程があるなぁ自分……(^^;

 

 今回はむしろミサトに焦点を当てて書いたつもりです。

 シンジに追いつめられ始めたのが、ミサト独自の心の弱さに布石した感として、当章の執筆と相成りました。

 

 

 

 さて次回ですが、いよいよヤシマ作戦のパートです。

 ようやくレイが正式に登場します。とは言えあの控え目な性格でどれだけ出番が取れるやら……(^^;

 

 シンジは果たしてミサトの指揮通りにヤシマ作戦に準じるのか。

 そしてレイとの心の絆を繋ぐ事は有り得るのか。

 

 

 それでは、また次回……

 

 

 

 まあ次回は流石にプログナイフ一本で戦う事はないでしょう……(^^;

 ちなみに私がプログナイフに拘る理由は……それしか使えないから。

 あ、ゲームの話ですよ、念の為(爆)






 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第十七章、公開です。





 全部知ってるっつーのも、
 難しいみたい・・・



 前よりましな状況に持っていくために、
 苦労が耐えないって・・



 ま、身近にここのシンジみたいなのがいたら、
 私、ヤーだけどね、きっと(^^;



 大人達との繋がりは−−−だけど、
 チルドレン達とはどうなるのかな・・・



 過程を軽視しすぎなのかな・・




 さあ、訪問者の皆さん。
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