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 某日、第一発令所―――。

「……システムオールグリーン。ふう、これで一段落付いたかしら」

 はふーっと大きく一息付くと、リツコはシートに深く腰掛けた。

 連日作業の疲労も、リツコにとっては良くない意味で慣れた物だ。

「あ、マヤ、悪いけど……」

「はい、どうぞ」

 リツコが言うより早く、マヤの手からマグが差し出される。

「あら、気の利く事」

 それに気をよくして、久方振りの笑顔と共に一口コーヒーを啜った。

(……マヤも大分私好みの味が分かってきたようね)

 などと考える物だから、殊更機嫌が良くなる。

「ユイさんも、どうぞ」

 リツコの様子を察したか、クスクスと笑い見届けているユイにもマグが差し出された。とは言え、マヤ自身クスクスと笑いつつな物だから、かえってリツコの方が冷めてしまう。

「あらありがとう、頂くわ」

 コンソールにもたれ掛かりながら、あくまで部外者気取ったままのユイも静かに口を付けた。

 

「ようやく落ち着けたわね、ご苦労様。

 しかし大した物ね、昔会った時からどことなく知性じみていたけど、

 まさか今ではMAGIを一手に引き受けて、ここまで自在に操っているなんて……」

 ユイがリツコを見据えてしみじみと語る。初号機から戻ってきて以来、浦島状態のユイは何かに付け回想癖を露にしたがるのだ。27という年齢相応の容姿は美麗だとしても、性格のオバン臭さで割を食っている事は本人も承知済みというのが、また居直っていてタチの悪い話である。

「ユイさんたら、またご謙遜ですか?」

「いえ、本当の事に関心しているまでよ」

「それでも、OSシステムと思考ルーチンの把握には相当時間が掛かりましたし、

 今でもシステム全体の75%程度しか自由になりませんの。

 特にカスパー、あれには相当手を焼かされますものね。

 ……母さんの穴は、なかなか埋まらない物です」

「赤木講師、か……」

 二人の脳裏に、次世代人格移植OS機器の先駆者として名を馳せた高名な女性の面影が浮かぶ。

 科学者特有の気難しさのない屈託なさの受ける良い人だったのに、とユイは先輩同然の女性との過去にふける。

「……まさか、急病で亡くなられていたなんて、惜しい話ですわ」

 

 リツコは黙って項垂れていた。

 予想済みの反応をさせてしまった事に即座に勘付いて謝る。

「……しけた話になってしまったわね、ごめんなさい。

 でもあなたは本当に大した物ね、何せ最初は70GBにも及ぶデータを

 一通りクリーニングするだなんて気の遠い話だとばかり思ったけど、

 それがこれだけ短期間で済むなんて、総てあなたの助力あっての事よ、赤木さん」

 ユイの感謝に、らしくなく恐縮するリツコ。

 歳は下でも、『どうにも対処に困る姉貴分』という立場はリツコの30年の人生には未対面なそれだから、彼女の言葉の対応には、本当に逐一困る。自分自身も到底、例えばミサトのようなイージーな対処が真似出来ない人格だから、尚更だ。

「そんな……ユイさんが居てくれたからこそ、E計画関連のデータ処理が、

 当初の予定の半分以下の期間で済んだんです。

 こちらこそ感謝しきれませんわ」

 やがて二人は互いを持ち上げてばかりいる自分達に一つ失笑しながら、その後はしばらく黙ってコーヒーを味わうだけであった。

 

 リツコとユイ以外に、E計画のデータへの干渉権を持つ……が故に膨大な職務を抱える羽目に陥っていたA級技術員は、その殆どが連日の疲労に耐えかね、今は仮眠室で泥のように寝込んでいる。

 唯一人コンソールの前で粘っていたマヤも、作業に目処が付き、二人分のコーヒーを手渡し終えた途端緊張の糸が切れたかのように、たった今まで作業していたコンソールを即座に寝枕に変え、早々に夢の世界の住人と化していた。

 それに気付いたリツコが、手身近にあった毛布をそっとかける。

「……この娘も、よくやってくれましたわ。

 自分が考えていたよりずっと汚れた職場だったって、

 当初はこの娘程この仕事を毛嫌った娘もいませんでしたのに、

 生来の生真面目なんでしょうね、一度関わった仕事をどうしても放り出せない。

 皮肉にもそのお陰か、今では何処に出しても恥ずかしくない程の技術者に育ってくれましたし……」

 リツコにとっては、大学時代からの掛け替えのない後輩でもある。リツコにとっては数年をかけてじっくりと有能な部下を育てる形になってしまったが、結果マヤは自分自身の意志でその立場に浸かっていたのだから、二人の関係はそれていいのだろう。

「でもこうして見ていると、本当の親子みたいにしっくり来るわね、あなた達の関係」

「止めてくださらない? この娘と私は6つしか違わないんですから。

 それとも私、そんなに老けて見えます?」

 常々自覚があるからか声だけは不機嫌だが、口元はしまりなく笑っている。

 それも全て見抜いているからだろう、相変わらずクスクスと笑い続けているユイに毒気を抜かれたか、やがてリツコも苦笑一つで鞘に納めた。

 

「でも本当、この娘もよく私なんかにここまで付いて来てくれた物だわ。

 自分でも融通の利かさない上司のつもりでいたのに、

 私の言う事成す事、何でもはいはいって聞いてくれて、

 一体どれだけ上品な家庭に生まれたのやら」

 二杯目のコーヒーは自分で入れ直しつつ、リツコは未だマヤの側でしみじみと語っている。

 合間、シュガーを一つ指で摘みながら、ザラザラとした感触をわざと楽しんでいたりもする。

「……きっとそれだけじゃないんじゃないかしら」

「え、何がですか?」

 リツコにしては間の抜けた返事が返ってくる。

(まあ、気付いていないのならそれはそれで良い事なのかもね。

 伊吹さんを応援するというのも何か違う気がするし……)

 面白半分……いや五分の四は興味本位なだけの想像から生まれるであろう、今度のユイのクスクス笑いだけは、何とも理解し難かったリツコだった。

 


 

 休憩もそろそろ一段落付けるかと、MAGIシステムを一旦ダウンさせ通常待機に戻す。

「これで来週の査察には間に合ったわ。

 ……後は弐号機だけが悩みの種、か」

 武装を解除され、国連通達の御指南通りに二重の拘束具を括り付けられていた弐号機の映る、ケイジ用モニターに視線を向けるリツコ。

 二ヶ月近く主人を乗せていない紅の巨人は、何処となく気の抜けた鉄塊でしかないように見えた。

「悩みの種……そうかも知れないわね」

 隣からユイがモニターを覗き込む。彼女にとっては直接建造に関わる事は一切なかったとしても、大切な親友の眠る「しとね」に対する眼差しは、また感慨深い物があるのだろう。

 

(キョウコ、あなたもそろそろ決心が付いたのではなくて……?

 あの娘の命運があなた次第なのは、分かっているはずだから……)

 

 急に間の持たせ方に窮屈を感じたリツコが、一つ伸びをする。

「これで、明日からようやくの休みも取れるかしらね。

 おばあちゃんも顔を見せろって常々言っている事だし、久しぶりに実家に帰るのもいいかしら」

 リツコが伸びを戻した所で、意を決したユイがさもばつが悪そうに隣から申し出る。

「その休暇、申し訳ないけど少し先送りさせて貰えるかしら?」

 ……あの娘なら、きっとそう言い出すでしょうから」

 そして、ユイは予想し得た台詞そのままを、只今より約18時間の後に耳にする事になる。

 

 

 

 

 

「アタシを、エヴァに乗せてください!!」

 


 

=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第十四章前編 その眼差しの温もりを−

 

 

 対してゲンドウはと言えば、ユイよりは悲観的なのかその表情は難しい。彼にとって意味のない説教をしたつもりはないし、反面アスカがここにいるという事はやはりユイと違って楽観的にはなれなかった。

「別に急がずとも良いんだぞ、惣流君。

 弐号機の件ならば当分目処は付いているから、君は君の方でゆっくり心身を癒すと良い」

 ゲンドウ自身も、恐らく右隣にいるユイがまた小言を挟むと踏んでなお、の助言のつもりだったのだが、実際はユイの横槍よりも、アスカのもう一押しの方がなお早かった。

「大丈夫です、アタシ、やれます!」

 少し前までの彼女の決意は、一歩間違えれば暴走しかねないそれにも見えたから、誰かが差し止めに入ってしまうのもやむを得ない類のそれであった。

 だが、毛並みの違いはゲンドウにも即座に理解できた。

 今度の彼女の、決意は「堅い」。「固い」のではないのだ。

 もう暫く難しい顔を保ちつつもそこはゲンドウ、必死で食い下がるアスカの腕を払いのけるような薄情な真似は到底出来ない。

 しかしゲンドウも随分と寛容な男になった物だ。いや、良いベクトルではあるのだろうが。

「……分かった。但し、恐らく君が弐号機に乗られるのは、

 これが最後になるだろう。それでも……」

「構いません」

 あくまで毅然とした態度のアスカ。

 

 ―――それにしても、一晩でこの娘に何があったというのだ。

     昨日までの彼女とは段違いの信念、いやさ最早威圧感にも似た物を感じさえする。

     それほどまでの覇気に満ちた眼差しで私達を見据えてくる。

 

     とかく女性は、強い物なのだな。

 

 やがて心の中だけでゆっくりと、諦めたように溜息をつく。

 だが、その胸中の思いに反して、この事態を悪戯が過ぎる楽しさに変換出来る自分の立場を最大限に利用しようとまで考える。

「……ユイ、すまないが起動実験の指揮は君が取ってくれ。

 赤木君にはMAGIの方に向かって貰って、『目』を逸らしてくれるように。

 こちらはこちらで、冬月と二人で国連の石頭共を宥めてくるさ」

「分かりました、そういう事なら」

 ユイも、尻に火がついてから漸くきびきびとし始めた夫の態度に満足したか、快諾の笑みを満面に映す。

 ―――全く、女というのは飴と鞭を上手に使い分ける……。

 一瞬後、しかしそれもくだらん愚痴だと首を振るゲンドウ。

 そんなゲンドウの辛苦を多少は察したアスカが、はにかんだ笑顔で目一杯頭を下げて礼を述べた。

「ありがとうございます、司令」

「何、礼には及ばんよ。我々が好きでやっている事だからな」

 

 ―――娘が二人いるというのも、悪くはないな……。

 


 

 アスカの眼に、あの紅いプラグスーツが映る。

 両腕に抱えたそれは、暫く見ないうちに少し重量を増した感さえする。

 この薄いスーツ一枚に自分の全てを賭けていた時があった事を、彼女は忘れはしない。

 そして、そんな弱さを打ち砕かんとする強い意志も既に強く芽生えている。

 だが、あえて彼女はもう一度だけそのスーツに袖を通す。

 今度は戦う為ではない、逃げる為ではない。

 自分と、自分を支えてくれていた人を救う為に。

(救う―――そう、シンジに逢う為に。そして、ママにも……)

 

「アスカ……いる?」

 不意に、自動扉越しにミサトの声がした。

「ミサト?」

「ちょっち、いいかしら」

 さも意外そうな顔をして振り向いたアスカの瞳が見たミサトの顔は、何処となしにやつれても見えた。

 


 

「強制シンクロ……ですか!?」

「そうよ」

 リツコがにべもなく言い放つ。一瞬後には、発令所の面々の顔が一様に強張る。

 リツコの予想通り、真っ先に食ってかかったのはマヤだった。

「納得出来ません! だって彼女の体調はまだ……」

「体調が万全だとしても、アスカが再び弐号機にシンクロするかは疑問だわ。

 アスカの不振は、病んだ精神面だけのそれだけが原因ではないのよ」

「だとしてら尚更、どうしてハーモニクスダイブを強制してまで今更弐号機を!?」

「マヤ。」

 マヤが落ち着きを亡くした辺りを待ち合わせたかのように、リツコはマヤをゆっくりと宥めるようにその両肩に手を添えた。

「全て承知した上での結論なの。

 ユイさんと何度も打ち合わせた上で、考え得る限り最良の判断なの。

 勿論アスカ本人にもゆっくりと言い聞かせて、その上で彼女も承知したわ。

 いい、マヤ?

 幾つもの精神症が引き起こした自己喪失状態から、アスカは抜け出す事に成功したわ。

 心身もゆっくりと回復し、成長しつつある。それも良い事だわ。

 でもね、だからこそ『チルドレン』としての資格を失いつつあるのよ、あの娘は。

 エヴァは、一人立ち出来るようになった子供を護る事は出来ないの。

 だから、この起動実験に次はないわ。一回限りの真剣勝負。

 アスカの為に、もう一度だけ私達は汚れ役にならなければならないの。

 ……マヤ。あの娘の為に、もう一度だけ……頑張られる?」

 顔を伏せたマヤの拳が堅く握られている。ふるふると震えるマヤの気持ちは分かってあげられるつもりでも、それでも自分の小狡さも分かる、それが赤木リツコの悪い癖。

 そんな自分を振り切って、肩からすり下ろした手をマヤの拳にそっと添えた。

「先輩……」

 

「お願い、マヤ」

 


 

「どう、アスカ、調子の方は?」

 アタシが聞きたいわよ、という言葉を喉まで出しかかって、アスカは急いでその悪態を飲み込んだ。

「大丈夫、無理はしてないわ」

 

 ミサトはアスカを誘って、ジオフロント内森林帯の遊歩道を二人、歩んでいた。

 実はこの二人、覚醒時の騒動以来数える程しか顔を会わせていないので、ミサトの方も間が取りにくいのであろう、何処となくぎこちない話の切り出し方をする。

「この間とはうって変わって、随分と忙しいみたいじゃない、ミサトの管轄」

「まあね。暇だなんて言っていたバチみたいな物よねぇ」

「お腹に爆弾抱えている身で、アンタこそあんまし無理するんじゃないわよ」

「あたしだって無理なんかしてないけど、それより爆弾って何よ、人の愛子に対して」

 ミサトが態とらしく腹部を庇って見せる。つまらない暗喩に、それでもケラケラと笑う二人。

「でも、今朝から突然その仕事も無しだってさ。

 司令は相変わらず即断即決というか、裏で何をしているのやら、ね」

 仕事が日単位で満遍なく割り振れれば良い物を、多忙と退屈を上司の都合で織り交ぜられる苦労を、ミサトは愚痴一つに濃縮して吐き出す事が出来ていた。

 

「……そういえば、加持さんは?」

 アスカは、それこそ彼の姿を殆ど見かけた事がない事に気が付いた。

「あーい変わらずよ、あの風来坊は。

 碇司令の指令でまた何処かに潜って工作しているらしいけど、

 詳しい事はやっぱり何一つ伝わってこないし、肝心のバカからの連絡も皆無。

 あたしが独自に調べた限りじゃ、どうもまた危ない橋渡っているらしくてね……。

 あ〜あ、やっぱり早まったのかなぁ……」

 両手を頭の後ろに回して自嘲していると言う事は、当然本心じゃないんじゃないかしら。と、ミサトの癖を見抜くのは容易だと解釈しているアスカ。

 

 やがて二人の目の前に、あの西瓜畑が現れた。

 ミサトは垣根もない無人の畑に無断で侵入すると、無作為に西瓜を一つ手に取った。

「この西瓜畑は、相変わらず此処にいてくれるのにね」

 

 ミサトはその西瓜を乗せた手をアスカに差し出し、食べる? と目だけで訴えた。

 食べたいのはアンタでしょ。アスカの口元は笑っていた。

「全く。これからアタシは起動実験だってのに……」

 

「リツコは、その起動実験の為に朝から忙しくて、シャリ、

 私はと言えば、こんな所でぼそぼそ西瓜かじって、シャリ」

「ホント、作戦部長の風上にも置けないグータラ者だわ。シャリ」

 1/8にカットした西瓜を、遊歩道の道外れに腰掛けながら咀嚼する二人。端から見れば多少は妖しい光景である。

 そんなだから、そんな不届き者を注意する輩も出てくるのだ。

「ホント、嫁入り前の女性とは思えない行儀だな、お二人さん」

「……!! アンタねぇ……」

「加持さん!?」

 不意を突かれて瞬時に振り向くと、相変わらずネクタイの締め方の分からない不精者が、如雨露を片手に二人の後ろから見下ろしていた。

「葛城、他人の物を無断で食するのは良くないぞ」

「分かったわよ、断ればいいんでしょう? 頂いているわよ」

 ぶっきらぼうな返事を、苦笑いで不問にする加持。

「その様子だと、作戦部は暇が取れたみたいだな」

「どうせアンタが裏で仕組んで暇にしてくれたんでしょうが」

「それも長くはないさ。国連の監査は来週だからな。

 ま、それまでは暇と言えば暇なのか、俺も葛城も」

「だから今度は西瓜畑の世話にわざわざ戻ってきた訳?」

「ま、そんな所かな」

 以前と代わり映えしない痴話喧嘩は、安寧の印なのだろう。

 加持の良さに変化がない事にも、アスカは自然に安堵を覚えた。

 

「アスカの方は、調子はどうだい?」

 突然自分に振られたので、アスカの方は少々返事に戸惑いながらも、

「大丈夫!」

 自分の返事が快活なのは、演技でも誇張でもない。

「そうか……。よっと、失礼するよ」

 如雨露を傍らに置き、加持もアスカの隣を拝借し、腰掛けた。

「弐号機の起動実験か。事情は今朝碇夫妻に聞いたよ。

 こちらは俺も知らない、深い事情があるらしいけどな」

「うん……。みんなに無理言って漕ぎ着けて貰った起動実験だから、

 ちょっとは罪悪感もあるんだけど……でも、

 どうしてもしなくちゃならない事だと思ったから」

 西瓜を手にしながら、黙って正面を見つめたまま語るアスカに、加持は未だ知らぬアスカの新しい一面、或いは盲点であった一面を垣間見ているような錯覚を覚える。

 アスカとは、彼女の生地ドイツからの数年来の付き合いだが、彼にとっては常に大人びようとして無理に背を伸ばすアスカをゆっくり諭すのが自分の役割だと思い込んでいたし、それは未完遂だったとは言え、結果間違いではなかったろう。

 だが、あの憔悴しがちな眼差しではなく、優しさと強さに満ちた眼光だと見直した時、

「……もう、俺の片手間ではなくなったと言う事かな」

 それはそれで淋しさの残る感慨。

「?」

 

「……加持さんは、今まで何処に行っていたんですか?」

 今度は加持が質問責めに遭う番だった。

「そうよ、もういい加減洗いざらい話して貰いましょうか?」

 それに乗じて悪乗りするミサト。

「……ま、話せと言われれば出来なくもないが、

 要するに国連のお偉いさん方のプライバシー身辺調査さ。

 それこそ洗いざらい碇指令に知れたら、立場は逆転、そういうシナリオ」

「ゼーレとの癒着と裏帳簿調査も兼ねていた、素直にそう言えないの?」

 加持は額に掌を当てて、アタタとジェスチャーする。

「何処まで知ってるんだ君は、全く……」

 それでも苦笑いで通せるだけの内容なのだろう。今更間諜であった事は隠せた事ではないにしろ、

「アスカの前だぞ、ちょっとは手加減してくれ」

 ミサトにさえ伏せていた事を、よりによってアスカの前で暴露されるのも褒められた話ではないだろうと揶揄したつもりが、

「アスカの前だから尚更でしょ」

 素っ気なくそっぽを向いて、黙って西瓜の咀嚼に勤しむミサトはと言えば、それが分かっていて尚、いじけてみたいのだろう。

 実際子供達とて、大人達が自分達の保身の為に腐心してくれている事情は百も承知だし、多少腹黒い話になったとて、それも以前のネルフの比ではない。彼等が再び泥にまみれた仕事をする事に常に後ろめたさを持っている事を分かってあげようという努力も又、陰にあるのだから。

「まあまあ、いい歳して喧嘩しないの二人とも」

「歳の話は余計でしょ、アスカ」

(この二人が、良い意味で相変わらずなのはかえって安心出来る―――)

 三人は密かに思惑を一致させていたりする。

 

「……そろそろ、時間だわ」

 アスカの手元の時計は、リツコに聞いた招喚時間の五分前を指していた。

「そう……頑張ってね、アスカ。私達も暫くしたら行くから」

「頑張って来い、アスカ」

「それじゃっ!」

 勢い良く立ち上がり、ミサトに向かって西瓜の皮を手早く渡した……投げ捨てた? かと思えば、颯爽と遊歩道を駆けて行く。

「病み上がりで走るんじゃないわよ!」

 背中にかかるミサトの軽い叱咤にも、後ろ手を振っただけで振り返る事もなく走っていった。

 

「暫く見ない間に、すっかり変わったな、アスカは」

「ホント。ずっと付き添っていたユイさん達にも理由は分からないんですって。

 心に病を背負っていたとか、もうそんな面影が殆どなくて、

 只の跳ねっ返り娘に戻った訳でもないし、

 ……また無理を背負っているんじゃなければ、私はそれでいいんだけれど……」

「心配か、葛城?」

「当然でしょ。私達の妹分なのよ」

「そうだな。一番肝心な時に、何もしてやれなかった俺達だからな、せめて……」

 せめて、今度からは肌身離さないように、しっかりと見守ってあげようか。

 加持の決意は、アスカだけに対する物だけではなく、今肩を抱いている女性に対する物でもある。

 それが分かるミサトだから、今度は茶化したりはしなかった。

 只、後生大事そうにその手にそっと手を添える。

 


 

 リツコには、直接弐号機ケイジに向かうように伝えられている。

 エントリープラグに乗り込みさえすれば、実験が始められるように算段が整っているのだろうと信じて、アスカは弐号機ケイジに行く前に、ほんの少しだけ寄り道をした。

 

 至―――初号機ケイジ。

 

(ユイさんが言っていた。初号機のS2機関は、誰かの意志を受け継いだかのように、

 黙々とアンチATフィールドを発していて、誰の手でも止められない状態になっているって。

 アンチATフィールド、その意味する所は、

 人と人とが、今よりもう少しだけ分かり合える為の可能性。

 それを世界中に拡散する事により、全世界規模での簡易的な補完がなされているって。

 今ならその理由も分かる。いかにもシンジの考えそうな事だもの。

 自分だけ黙って居なくなって、それでいて初号機は相変わらずアタシに恩を売ってばかり。

 どうしてこんな損な役割黙って引き受けたの?

 

 ……そう、よね。アタシ達が分かり合えなかった事が原因だものね。

 シンジもアタシも、誰の事も分かってあげられない程子供だった。

 アタシはそんな自分のまま背伸びしようとしていただけだし、

 アンタは反対に殻の中で縮こまっていただけだった。

 だから、あんなに近くにいたのに、最後までアンタの事何も分かってあげられなかった。

 ファーストもカヲルも、あんなにシンジの事分かってあげていたのにね。

 アタシばかり一人、ずっと冷たい女だったまま。

 でも……今のアタシなら、もっと努力出来るよ。

 アンタを分かってあげたいっていう努力。

 ……後は、アンタがそんな私を受け入れてくれるか、

 アタシの『今』も、もっと分かって貰えるか、それだけなの。

 ―――信じているからね、シンジ)

 眼前に佇む紫の巨人もまた、二重の拘束を受けながら黙している。

 主人を失って悲しいのは、もしかしたらこの機体もなのかも知れないじゃない、と。

「大丈夫よ、すぐあの聞かん坊を連れ戻してあげるから」

 

 アタシがこれだけ強く願っているのだから、きっと出来るわ。

 ―――そう、心を開いて……。

 


 

 息せき切ってケージに乗り込んで来たアスカがモニターに映った瞬間、待ってましたとばかり、リツコがコンソール脇のマイクを手に取る。

「来たわねアスカ、それじゃ早速だけど……」

「ええ、こっちはいつでもOKよ」

 言うや否や、アスカはまたも颯爽とエントリープラグに乗り込んだ。

 お陰で、端で待機していた職員が手を加える暇もない。

「アスカ、はやる気持ちは分からないでもないけど、落ち着いて行くのよ」

「大丈夫」

 プラグに乗り込み、LCLを注入されてからのアスカは、一転して深呼吸する。

 LCLからゆっくりと酸素を取り込み、意識を宥めて行く。

 

「……元気そうですね、アスカ」

 マヤの心配も何処吹く風、かえって脱力しそうになる。

「そうね。安心した?」

「なんか、待ち遠しくて仕方なかったって感じが見て取れます」

「多分、マヤの言う通りなんじゃないかしら」

 クススと笑うリツコが考えるのは、あらやだユイさんの癖が移ってきた、その程度であった。

 実際この起動実験に危険が有り得ないわけではない。しかし、アスカ自身があれだけ精神的に余裕が見られるのであれば、実験経緯も楽観……までは行かなくとも見通しは良さそうだっだ。

 

「……それでは、始めましょう。マヤ、後はお願いね。

 じきユイさんもここに駆けつけると思うから、以降は彼女の指示で動いて頂戴」

「それはいいですが……先輩は?」

「私には別の仕事があるの」

 と言い、MAGIの脳幹部分を指さす。

「こういう事に小煩い人達がいるから、手は抜けないのよ。色々とね」

 はぁ……、とマヤは首を捻るが、彼女はそれで良いのだろう。

「それじゃ、青葉君は例のように対外交のサポートをお願いするわ。

 日向君はマヤのバックアップ。後の各自も、打ち合わせ通りにお願いするわ」

「了解!」

「まかしてください!」

 青葉と日向は親指立てて快諾を返した。

 

 突然、発令所の扉を開く者が現れた。

 リツコは振り返る事なく、恐らくユイが駆けつけた物だと信じ込んで自分の管轄に没頭しようとしたが、

「あらあなた達!?」

 マヤのリアクションに違和を知って振り返る。

 駆けつけたのはユイではなく、レイとカヲルであった。

「どうしたの、レイに渚君? 二人揃って」

 ところが、二人はゼェゼェハァハァと息を切らせているだけで、まるで返事の出来る状態ではない。

「どうしたの、じゃありませんよ赤木博士!

 わたし達、アスカが起動実験するなんて事、はぁ、今の今までひとっつも知らなかったんですから!

 アスカもアスカ! なんで、はぁ、突然弐号機に乗るなんて承知したのよ!」

 気が付けば、レイがコンソールのマイクを握りしめ、息絶え絶えで怒鳴り始めている。

「レイ、取り合えず落ち着きなさい」

 仕様がないわね、と思いつつリツコはレイの真後ろに控え、宥めにかかる。

「だって、折角弐号機の事はお預けにして、アスカにはゆっくり

 治療に専念してほしかったのに、何で唐突に起動実験なんか……」

「レーイ。」

 聞けば、それはアスカの声。

「リツコを責めるのはお門違いよ。

 この起動実験の事は元々アタシが言い出した事なの。

 心配してくれるのは嬉しいけど、アタシは大丈夫。

 必ず成功させるから、見守っててくれる?」

 アスカがらしくなく優しく諭す物だから、余計に抗い辛い話だ。

 レイも、そういう事ならば……と尻込んだ。

「それにあなた達、今は授業中じゃないの?」

 まあアスカが此処に来ている時点でそんな堅苦しい話は抜きにしろ、リツコは一応の断りのつもりで声を掛けた。

「レイが、事情を知った途端に授業どころじゃないって、脱兎の如く抜け出してきたんですよ。

 一人で慌てさせとくのも心配だったので、僕も付いてきました。

 それにしても汗だくですよ、炎天下を駆け抜けてきたんですから」

 カヲルが、右手でパタパタ仰ぎ無意味な涼みを作りながらリツコに言い訳を述べた。

 管制塔の冷房は万全にしろ、汗が引くのにもう数分は掛かるだろう。

「赤木博士が付いててくれるんだし、ユイさんだって承知している話だって言うんだ、

 大丈夫だよ、レイ。何にも心配いらないさ」

「でも、カヲル……」

 振り返ったレイの顔からは、未だ焦燥が抜けないでいるのが伺える。

(彼女の決心は堅い。僕達が脇からしゃしゃり出て言う事は何もないさ)

(彼女が大切な人を取り戻す事を、力強く願う事が出来ているんだ。これ以上は節介だよ)

(でも、何も今すぐじゃなくたっていいじゃない!)

(私達が諭してから昨日の今日でなんて早過ぎるわ。身体に良くない)

 二人が、今度こそは完璧なアイコンタクトでぶつかり合う。

 尤も、それは二人分の意志疎通だとは限らないが。

 

「レイ、アタシなら大丈夫よ。

 やっと決心が付いたんだもの。そうなれば即断即決、これがアタシのモットーよ。

 司令は待てると言ったけど、正直苦しい事情だって事、知らない訳じゃない。

 だからって、身体に無理を言わせている訳じゃないの、

 心に待ったを掛ける事の方が無理を強いているようで我慢出来なかっただけ。

 だから、アタシは今出来るだけの事をやっておきたいだけなのよ」

 ―――レイやカヲル達から受け取った受け取った優しさも、

     ファーストとカヲルから受け取った意思も、とっても大事にしてるから、

     だから、アタシはこうやって闘えるのよ―――

 

 だから、アスカはそんなにもたおやかに微笑む事が出来たのだ。

 

 アスカのその微笑みの色艶に圧倒されたレイが、漸くしてからやっと言葉を紡ぐ。

「……分かった。もうアスカを止めたりしない。

 その代わり、必ず成功させて、無事に帰ってきてね。

 わたし達、みんなでアスカの事大事に思っている事、忘れないでね」

 アスカの優しさに全てを掛けよう。今のあの娘なら出来る筈。

 レイは、それっきりコンソールから大人しく引き下がり、数歩退いた。

「後は、宜しくお願いします」

 発令所の面々に向かって一つ、深いお辞儀をする。

「それじゃ、折角来てくれたのだから、カヲル君と二人ここで見守っててあげると良いわ。

 但し実験の邪魔にならない程度にお願いね」

「はい!」「はい」

 子供達は至極正直だった。

 

 予定時刻から4分程遅れて、起動実験がスタンバイされた。

 コンソール上の各自の手が、途端にハイスピードで稼働する。

 

 後はわたし達に出来る事は、ただ見守ってあげるだけ。

 それが無力とは感じない。それが私達にしか出来ない事、わたし達ならば出来る事。

 

 

 

 

 

 

 一連の様子を見守っている二人の手は、堅く握り合ったままであった。

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+06/04 公開
感想・質問・誤字情報などは こちらまで!

 第十四章、事情により前後編でお届けしています。

 

 暖かく見守る眼差し、そこだけに焦点を当てた話にしたつもりです。

 加持の裏事情とかはここでは無粋だと思ってあえて明記してないので、各自ご推察ください。

 

 リツコ、ミサト、加持、ゲンドウ、ユイ、そしてレイとカヲル。

 皆々みんな、アスカの頼もしい味方であり、保護者であり、親友であり。

 そして、陰で見守ってくれるもう二人の親友もまた……。

 

 さて後編ですが、内容はお解りだと思います。

 母キョウコ、そして忌避していた過去との対峙。

 それは「決別」ではありません。「享受」でありたいと願う事。

 

 それでわ、また次回。

 

 

 

 ……めぞんでLMR、絶対果たしてみせるぞ(爆)←なんの話だ






 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第十四章前編、公開です。




 いよいよ始まる大作戦、

 みんなで力を合わせて、
 ぜひとも成功して欲しい物ですね。


 肝心要のアスカの調子もいいし、
 見守ってくれる沢山の人達−




 きっと成功するでしょう、きっと。



 みんなやわらかくなってきていてあったかいです。




 さあ、訪問者の皆さん。
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