シンジは浮遊した自分の身体をゆっくりと地に沈ませ、ゲンドウの10メートルほど眼前に着地した。
対するゲンドウに動きはない。
だがいざとなれば口を開く用意はある。命乞いの為だ。
それは自分の後ろに控える三人の女性だけが対象だったが。
碇ユイ。
綾波レイ。
赤木リツコ。
自分が自分の逃避の為だけに蹂躙した命と心。
本来なら今は亡きリツコの母、赤木ナオコさえも対象者だ。
しかし私は改めて思い起こすと酷い男だと、ゲンドウもまた自分をふと嘲笑って見せた。
その笑いがシンジの勘に触って、弁解する前に殺されなければいいがと一人愚痴りながら。
最後の余裕が、ゲンドウの切り札だった。
唐突にそれは起こった。
ブレーカーが落ちた時のような音がドグマ内部に木霊すると共にシンジの頭上後方に浮かび上がる「SEELE 01 SOUND ONLY」の紅色の文字。
暗闇の為かえって鮮明なそれが何を表す物なのかは誰の目にも明らかである。
キール=ローレンツ。
その肩書きは、人類補完委員会議長。
そして、秘密結社『ゼーレ』総帥。
その声は、痺れをきらしていたのか苛立たしげだ。
「方法は分かっているはずだ。碇ユイをお前の依代にする為にも、碇ゲンドウを消し、ファーストチルドレンを寝取れ。それがお前に残された只一つの救済に他ならない」
キールがゼロチルドレンの「心の閉塞」を解き放つ為、シンジに提示した補完計画。
―――父殺し、母の面影を持つ少女を懐く事、そして母胎の抱擁―――
それはかつての「碇シンジ」が、深層心理の一部に抱いていた理想であった。
だが、それもまたキール達が仕向けた「時限装置」である。
ゼーレの唯一の失敗は、ロンギヌスの槍の「本来の所有者」の能力を計り知りえなかった事、あるいは過小評価していた事だ。
シンジは知り過ぎてしまった。
「人間」の醜と美。心の壁の生み出す個体同士の軋轢。
ゼーレが、その心の擦れ違いを恐れ、心の壁すなわちATフィールドの解放を願った事さえも。母胎回帰を願ったのはむしろ彼等の方なのだから。
だがシンジはユイほど寛大でもなければ、罪悪感を持ちすぎた。
彼の出した答えは簡潔であった。
ゲンドウもリツコも、ただ呆然とするしかなかった。
先刻から目の前で起こっている光景が理解できない。自分達のシナリオ外の光景には、これほどまでに疎くなるものかと感心しさえする。
唯一、キールのモノリスの更に後方に、おそらく自意識のない諜報部員の類が、ホログラム映写機を両手に抱えているのがモノリスの正体だろうと踏んだ位である。
「司令」
「判っている」
ゲンドウは二歩だけシンジに歩み寄り、そしてまたしばし沈黙した。
(きっとあの人は判ってなどいないわ)
リツコにはゲンドウがこれからシンジに自白するであろう事と、その為に彼が如何なる行動に出るかが手に取るように判る。
以前はその冷徹な仮面と色眼鏡によって不可思議な威圧感を発していた風体が、今は見る影もないといえるのか、その背中が酷く弱々しく映る。
ある意味ゲンドウとの関係はユイ以上に長いのだ。その分ユイより彼に詳しい自信さえあったが、こうして改めて仮面の剥がれた彼に接してみると、やはり彼の心の拠り所であった女性には程遠い自分をひしひしと感じざるを得ない。
「司令、どうかご自愛を・・・・」
ゲンドウに聞こえるか否かのか細い声で後押しする。
ゲンドウはリツコに見えない位置でふと口元を歪める。
自分が見透かされている事が、そしてなお、まだ自分の命を恐らく形だけでも慕ってくれているのであろう存在があった事が、今更ひどくおかしい。
「シンジ、私が憎いか」
ゲンドウは努めていつもの彼を演じるが、リツコから見る限り、既に彼の体から発せられる威圧感はかつての彼には程遠い。
「だがまだお前に殺されてやる訳にはいかん。こんな私にもまだやり残した事がある。そして私はその事に固執したまま、当分死ぬつもりもない。それに、お前に父殺しの罪をあえて被せる事もできん。これは只の私の偽善だがな」
「無駄だよ碇。彼の殺意も我々の悲願も既に貴様の力の及ぶところではない。計画は既に最終段階を迎えた。後は・・・・」
「私は貴様と会話しているのではない。シンジと・・・・」
「同じ事だ。もう誰にも止められはしない」
二人の会話はあからさまに棘だらけである。証拠にろくに相手の言葉の先を許さない。
再び静寂が暗黒空間を支配する。それを打ち破ったのは意外な人物であった。
「それはあなたがあの子の意志を過小評価しているという事ですわ」
碇ユイである。一足早くユイが覚醒した事に気付いたリツコが肩と白衣を貸していた。
目覚めたばかりのユイではあるが、大方の事情は知っていた。
憶測の部分がないわけではなかったが、そこは女性の第六感。
「あなた方はすべて自分達のシナリオ通りだと思っているようですが、補完計画はあなた方が思っているほど自由に出来るものではないのですよ。すべてはあの子の強い意志が左右します。そして私は息子を信じていますから」
それはユイの「母」としての純粋な思いと願いである。
だがそれでも、ゲンドウはモノリスの向こう側に、醜く笑うキールの顔があるような気がしてならない。今更あの男に何の切り札があるのか。
「碇シンジの願いではなく、ゼロチルドレンの破綻した願望が我等の切り札だ。君達が信じる息子はとうにこの世には存在せんよ」
だが、それでもキールが期待したようなゲンドウとユイの驚愕の表情は二人の顔には表れなかった。ゼロチルドレンと碇シンジの受精卵交換を二人は知らないとばかり思いこんでいたキール。
「誤算」がまた一つ露呈されていく。
やがてゲンドウはニイッ、と不気味に微笑む。
ネルフ司令の勘を取り戻したかのように。
「その事か。いつ貴様に恨み言の一つでも叩き付けてやろうかと思ってはいたがな。生憎貴様等が弄んだのはダミーの受精卵だけだ。私は既に万一を考えてユイの了承を得てシンジを受精卵の時点で保護していたのだ。もっとも・・・・」
「貴方、その先は私が」
11年振りの夫婦の会話であるが、ゲンドウはその感慨に溺れる事なく、一歩下がってユイを立てた。
「あなた方が人工的に強化型チルドレンを生み出す技術を発達させていた事は知ってます。というより私も知らずの内に一枚噛まされていた事は否定しませんけれど。あなた方が人工的に生み出したその命を蹂躙した事は許される事ではないけれども、生み出された命に罪はありません。だから、私は『彼』を私達のもう一人の息子として育てる事で合意しました。決してあなた方のシナリオの範疇だとは思わない事です」
ユイの声と態度は毅然として止まない。
ゼロチルドレンを育成するという事はシンジと身体一体化するという事である。だがそれでも『碇シンジ』も『ゼロチルドレン』も一人の個体として生きていく事が許されるという事だった。
勿論ゲンドウはユイを必死に説得し、危険性を訴え続けたが、ユイは厳として「私はこの子達の母親でいたい」と一歩も譲らなかった。ゲンドウはそのユイの慈悲の心に惚れた弱みで、渋々許してしまったのだ。
だが、その時の事を二人とも後悔した事はそれ以来ない。
ゲンドウはユイと結ばれて以来別の意味で後悔し続けていたが、自分達の信じた「子供達の為の幸多き未来」の為に行った行為の行き着く未来自体は信じている。
そして、そのためにネルフやゼーレの生み出した非合理な罪悪の数々を、ゲンドウは最後自分一人で全ての罪を被ってゼーレ共々心中し、ユイには子供達、特にチルドレン達の未来を暖かく見守り続けて欲しいという願い。
それがゲンドウの最後の願いと、彼の犯した罪の為に憎悪に駆られたシンジを正面に見据えた末の後悔である。
要は只不器用な人なのね、とユイは一人微笑んだ。
その微笑みはこの修羅場に酷くそぐわない代物であったが。
キールに至ってはそのユイの微笑みさえも嘲笑に見えるほどに狼狽え、そして容易に強硬手段に出た。
「だが、碇シンジもゼロチルドレンにとっても、そして我々にとっても残る手段は一つしかない。だが、その一つが我々と貴様等の明暗だ」
キールが不意に指を鳴らす。
それが合図の筈だった。シンジはロンギヌスの槍をもってゲンドウとユイの貫殺、そして「母性」綾波レイの蹂躙と支配。それでゼロチルドレンの心の空虚が一時的に満たされた事により「力」を充実させ、アンチATフィールドを生成させ、全人類の「心の壁」ATフィールドを消滅させる事による、全人類の魂の一体化。
それが補完計画の全容であり、あるいは一歩間違えば本当に成功したであろう。
だが、それを食い止めたのは、
あるいは、崩壊を越えたシンジの自我。
あるいは、ゼロチルドレンの只一つの純粋な思慕。
あるいは―――、「最愛の他人」。
ゼロチルドレンの人ならざる力は尋常ではない。
最初の試験体でありながら、制御のおぼつかない最初の試験体であったからこそ、ゼロチルドレンは人工でありながら「最強の使徒」にもなりえた。
それは、十四体のエヴァシリーズと十六体の使徒、そしてあの「渚カヲル」さえも、あるいは計三十一体が力を合わせてさえも一蹴出来る程の強力なATフィールドを生成出来る程の。
だがそれは、他人を激しく拒絶する証し。
以前は他人を求め、それ以上に恐れたが故に。
今は―――自分を恐れ、憎むが故に。
今のシンジに、ディラックの海を作り出す事と、それを内向きのATフィールドで支えることなど容易である。それはかつての第十二使徒レリエルの生み出したそれと同等以上の性能である。
だから、それが理解出来ないゲンドウ以下その場にいた全員が、唐突に起こったその現象に戸惑いを隠せなかった。
突如暗闇の床から、人間が這い出したのだ。
その数12人。
ゼーレの構成員と同一数であるのは当然偶然ではない。
そこにはゲンドウとユイのよく知る面々の老人達が、床に円卓状に座りこけ、自分達に何が起こったかも理解出来ず慌てふためく様子があった。
「一体何事かね!?」
「ここはターミナルドグマだとでもいうのか!?」
キールなどは、自分の居場所が故意に動かされた感覚に戸惑いながらも、その仕業がゼロチルドレンであることに確信を抱いていた。
「貴様一体どういうつもり・・・・」
言葉は続かなかった。
それまで沈黙を保っていたシンジが突如眼前に立ちはだかったかと思うと、槍をキールの首に添えてきたのである。当然、何時でもその首をはねる準備があると言うリアクションである。
冷酷な目でキールを見下し、ただ圧倒的な威圧感で迫るのみである。
他人を扱き下ろしてきた経歴の長いキールさえも閉口してしまう程に。
「チルドレンは貴様等の飼い犬じゃない。そんな事の為にあの四人の心身が弄ばれていい理由はないんだ」
この台詞は、碇シンジの声以外で聞き取る事は不可能であった。
「「シンジ」」
ゲンドウとユイは同時に、そしてようやく声を発する事が出来たのだが。
「暫く黙って見届けて頂けますか、碇夫妻」
断たれた親子の絆は、鋭い刃となって二人の心を抉(えぐ)る。
「アスカも『碇シンジ』もトウジもカヲル君も、その儚い心の拠り所を土足で踏みにじるように利用し尽くやがって。自分の汚れた心を他人に擦り付けてまで何が補完だ、心の安息だ! 貴様等のした行為をいくら取り繕ってみた所で、所詮独り善がりの自慰行為に過ぎないものを!」
その言葉は、あるいは彼の心を最も傷つける。
「純粋な子供達の、最も想う人との絆と、希望と、未来を断ち切ってまで、どうして老い先短い貴様等の安息が約束される! 貴様等がかつて受けた心の傷を倍返しに子供達にはねつけただけだ! 教訓の一つも生み出せなかった稚拙な輩が、余計な真似を!」
不意に口を挟んだ者がいた。
「何を言うか! 大体貴様は・・・・」
それはゼーレの一員であったのだが、誰であったかを確認するには、ゲンドウは他の11人の顔から消去法で割り出すしかなかった。
次の瞬間その発言者の首から上は存在しなくなっていたからだ。
振りかざされた槍から滴る血が全てを物語っている。
「誰が貴様に発言を許した」
かつてのゲンドウやキールさえも足下に及ばない程、冷酷で凛とした声。
もう彼を碇シンジと信じる者は殆どいない。
実の両親さえ不安に駆られる事限りない。
シンジが押し黙る事により、その場から人声は暫く消滅した。
勿論ゼーレの面々が不意に口を開く事はもうなく、ゲンドウ達もしばらくの間はシンジに起こった心の変化についていく余裕がない。
だが、その静寂に心を壊された者約二名。
恐怖に耐えかね、立たぬ足腰で無理矢理立ち上がり、何やら聞き取れない程不可解な奇声と共にこの場から走り去ろうとする。
三秒後。
奇声は聞こえなくなった。
代わりに、壁に槍ごと叩き付けられた骸が二体。
不思議な事に、それでもシンジの手には槍が握られている。
ある者はシンジの手元に突如異次元から姿を表したかのように槍が握り直されたのを見届けた者もいるが、やはりその事で追求しようと迂闊に口を開く愚行はしなかった。
「でも補完計画は必要だ」
たっぷり五分は待たせた後、シンジが再び口を開いた。
「お前等の所為でこの世界とその人々は荒廃しきっている。安息のための必要悪などという言い訳は言わせない。不本意だが、こうなった以上補完計画自体は必要なようだ。だが勘違いするな、魂の一体化などという行為は人を人でなくさせる。個性あっての人間である必要のない世界など、安息でなく只の終焉だ。人が人同士の違和感に苦しみながらも、他人の心を素直に受け止め受け入れられる自分を生み出せる事に喜びを感じる事の出来る世界に。他人の存在が、そして他人にとって自分が理解しあえるという思いと共にある世界で・・・・人は生きていけるさ。分かり合えるかもしれないという希望と、自分自身を正しく認識しようという思いと共に」
その独白の後半は、叶わなかった彼自身の願い。そして未来ある人々への祈り。
そして、只の自嘲―――。
「存在出来るのならばそれだけが幸福感の一体化の世界は、閉息された未来でしかない。それよりも、自分自身が自分と想い人の為に未来を掴み取る、生きていくのが少し辛いかもしれない世界の方が、きっと希望ある生を実感出来る。未来ある子供達の為にも・・・・その為の補完計画」
シンジはやおら槍を振りかざすと、ゼーレの面々に仕向けた。
「お前等はもう一度転生するといい。もう一度、母に愛された子として生まれ変わって来るといい。今度は、閉息した未来を夢見ないように、思慕と希望に思いを馳せる一人の人間としての再生を」
ロンギヌスの槍は、シンジの頭上で一回転し、直後、ゼーレの面々の首を一振りで跳ね飛ばし、躯は見るも無惨に四散した。
「・・・・それでも、私怨は忘れてはいないという事さ」
ゼーレを掃滅したシンジは、やはりもう一度嘲笑って見せた。
「―――簡単な事です。エヴァ初号機のS2機関は今後一切、微弱なアンチATフィールドを発生させるだけの装置に成り下がります。それは人と人との心の壁を、ほんの僅かに削るだけの事です。今よりもう少しだけ人と人とが分かり合えるよう、必要以上に他人に怯える事のないように、他人の心もまた怯えている事に気付ける為に。こんな事しか、俺に出来る事はありませんから」
シンジは静かに語り終えた。
自らの役割を押さえ込み限定し、あえて未来を生き残った人間達に託すことを。
信じ得なかった他人を、もう一度だけ信じる事を。
何故なら、その世界に荒んだ自分はもう存在出来ないのだから。
「・・・・お前はどうするつもりなのだ、シンジ」
ゲンドウはふと、シンジが消えてなくなってしまうような不安に駆られる。
これも今まで打ち捨てていた報いかと自分を戒めたくなるが、
「そうではありません。あなたが自分を陥れる必然はありませんよ。あなたがした事は当然の事なんです。俺を恐怖に感じた事は当然の事なんです」
どうにも自分に言い聞かせているかのように聞こえる。
「それと、生憎ですが『碇シンジ』はもうこの世に存在しないんです。15年前に彼は人知れず死にました。俺はゼロチルドレン、それだけの存在です」
彼にとって、もう自分を「シンジ」と呼ばれる事は苦痛以外の何者でもない。
「・・・・シンジ」
それを感じ取りつつもユイがいたたまれなくなってそう語りかける。
11年振りの母子の再会は、息子に一方的に血縁を否定される事で破綻してしまった。
「・・・・残念ですが、『シンジ』は俺が一方的に浸食して結果消滅しました。俺はあなた方の息子でもなければ、人間そのものでもないのです。折角お腹を痛めて産んだ子供にこんな事を吐露されるのは苦痛でしょうが・・・・、真実です」
言っている本人の方が余程辛そうだとユイは感づいてしまった。
それでも、その独白が彼の優しさ故にだと信じたかった。
「シンジ君ッ!!」
シンジは随分懐かしい声を聞いた感じがした。
最後に彼女の声を聞いてから、二時間と経っていないのに。
それは第一発令所から急遽駆けつけたミサトの第一声である。
冬月達が「事後」処理に取りかかった矢先、ミサトは監視カメラに淡々と映るターミナルドグマの光景に居たたまれなくなって大急ぎで駆けつけたのだ。
シンジの紅い瞳とプラチナブロンド。
その手に握られたシンジの等身大のロンギヌスの槍。
いつの間にか消滅しているかつてゼーレと呼ばれた者達の躯。
リツコとゲンドウがそれぞれ肩を貸す聡明な感じの見慣れない女性。
未だ無意識の世界から醒めない少女。
ミサトに咄嗟に理解出来ない事柄は数多かったが、多少外見が変わってしまったといえどその少年がシンジである事だけは確信したミサトは、彼を抱きしめんばかりにシンジに駆け寄る。
だがミサトは見てしまった。
シンジと自分達を隔てる心の壁、ATフィールド。
シンジが発したそれは、先刻ユイがミサトと同様の行為に走ろうとした時にシンジが張り巡らせたそれである。
その頃、第一発令所のMAGIはそのATフィールドを「パターンレッドとブラックの交互発生」という形で三基一致で認識していた。
パターンブラック。かつてMAGIがATフィールドに対してそんな判断を下したことはない。だが、間違いなくMAGIは初対面の筈のパターン信号に明確に答えて見せた。そしてその算出結果は冬月には理解出来てしまったのだ。
何のことはない、パターンブルーの信号が余りに過剰に発せられた時、それはパターンブラックへと昇格する。単純な話、余りに強力な力場が発生しているということだ。
だがその力場がATフィールドではなく、只の「憎悪の感情」である事に気付いた者はいない。
「無事でしたか、葛城さん」
シンジの声からは冷酷さは抜けたが、かわり他人行儀が著しい。
シンジの目からは殺意は感じないが、かわりに激しい疎外感。
まるで、もう自分には関わるなと言いたげに。
ミサトはそんなもう一つの隔たりさえ感じ、シンジにそれ以上歩み寄ることが出来なくなってしまった。
それでいいとばかり、シンジは笑って見せた。
そしてそんなシンジの乾いた微笑みが、ミサトの目には悲愴に映る。
「・・・・シンジ君。いいえ、・・・・ゼロチルドレン・・・・だったかしら」
その名で呼ぶのは酷く抵抗があったものの、そうでもなければシンジはもう一度自分を否定して見せたであろう。
だから、辛いのを押し込めて、ミサトは一気にまくし立ててみた。
「あなたが・・・・補完計画を作動させるというの?」
「その為に生み出された俺です。不都合は何もないでしょう」
「そうじゃなくて・・・・、あなたはそれでいいの?」
「そうでなくて困るのは俺じゃない、俺とゼーレに破綻させられた人々ですよ」
「・・・・そしてあなたは何を願うの?」
「あなた方の可能性、そして未来と希望」
そこまで答えたシンジは突然きびすを返すと、LCLの満たされた海へと歩み寄り、膝が濡れる辺りまで浸かった。
そして槍をLCLに突き立てると、静かに念を込めるように祈り始めた。
皆がその厳かな儀式を、静かに見守る。
だがこれから起こる事柄に軽い畏怖を抱いていることもまた事実。
やがてシンジが槍を引き抜くと、その付近から静かに人の体がLCLの海から浮き上がる。
一同が恐る恐る近づいて見る。
始めにミサトが口に手を当て驚愕し、一瞬後には駆け出していた。
その姿を、加持リョウジと見間違えていなければ。
そしてもう一人、回帰した少年。
名を『渚カヲル』と言った。
二人の鼓動は静かに刻まれる。
一人はミサトの腕と胸に包まれて。
一人はその正体に感づいたユイ達によって介抱されていた。
また、ターミナルドグマの遥か遠地で、一人の少年の四肢が完全に回復していた事もまた、後に知る事になる。
シンジは、ミサトの腕に抱かれている加持と、その鼓動と温もりを必死に感じようと涙ながらに擦り寄るミサトを内心穏やかに見守っていたが、やがて吹っ切れたように再び語り出す。
「これで大方用事は済みました。あとはあなた方次第です。・・・・もう一度ゼーレのような轍を踏む事はないとは信じています。だがしかし、気を緩めて得られるほど悠長な未来でもないでしょうから」
そしてシンジは、振り返ると静かに後ろに歩みだした。
未来とは正反対の方向へと。
「・・・・シンジ・・・・」
「・・・・シンジ君・・・・」
かつての自分の名を呼ばれても、もう彼は振り向かない。
彼の存在はそれ自体が人間の禁忌の象徴である。
ならば、彼等の未来には絶対にあってはならない存在。
シンジは静かに逃げ出す。
「・・・・アスカ」
その声はミサトだった。
「・・・・アスカの事はどうするの・・・・」
シンジの歩みがしばし止まる。
「彼女にも未来は開けます。今まで辛いだけの人生だった彼女には、今度は幸多い未来があるように」
静かな祈り。
だが、それはミサトの期待した答えにはなっていない。
「・・・・でもあなたは、本当はアスカの事を・・・・」
「それ以上は言わないでください。俺のしでかした事がどういう事かは、分かっている筈です。今の彼女の精神状態は、その具現なのですから」
それに、つい数時間前の惨状。
あの光景を、ネルフの監視カメラが捉えていない筈がない。
「俺は、彼女の人生を破綻させる事と、彼女の心身をなぶる事によって辛うじて自我を保ってきました」
(好きだとか何とかぬかしていたよな)
「そうする事で、俺の中にある醜い憎悪と欲情を適度に発散できる、そのお陰で今こうして補完計画を作動出来るだけの自我と偽善を保っていられるわけです」
(どうせ後で取り繕えばいいとでも思っていたんだろう)
「彼女には感謝してもしきれませんよ」
(そう思うなら、いつもの口癖で謝って見ろよ)
「彼女の存在があってこそ、今の俺があるのですから」
(お前の存在そのものが彼女の破綻を招いたというのに)
「まあ、彼女もこのままではいけないでしょうから、処置は施しますよ」
(お前がつけた心の傷、癒せるほど軽い物だとでも思っているのか)
「感謝の気持ちも込めてね」
(・・・・お前だけは許さない。何があってもな)
「・・・・そんな辛い顔してまで、あなたは何を望むの?」
そう問いかけるユイの顔も、シンジと同じだけ酷く辛そうだ。
シンジの言葉は努めて悪びれていたが、顔は思ったほど演技派ではなかったようだ。
この場に居る誰もがシンジの言葉を真に受けた感はない。
「・・・・死ぬ、つもりなの・・・・?」
ミサトがそれだけは止めてと叫ぶ前に、シンジが切り出した。
「死ぬつもりなんか毛頭ありませんよ。死は生に繋がる回帰行為に過ぎません。輪廻転生の一部ですからね、死は苦痛ではありませんし、苦界でもありません」
死は逃避の場所にしては快楽過ぎるからというのが彼の持論。
「生きていれば生を噛み締めるだけ幸せを感じる事もありますし」
一瞬言い淀む。だが、
「生きている事が何より辛い事だってありますし」
だが安心して欲しい。それは彼等の事ではないのだから。
「・・・・俺はもう行きますよ。時間がない」
別に急き立てる物はもう何もないのだが。
そしてシンジは二度と振り返る事なく、ターミナルドグマを後にした。
シンジの数歩先には、彼が形成したディラックの海がある。
移動手段として見れば、意外に使いではある。
そして、彼が切望した世界がそこにある。
彼の後ろからはしきりにかつての彼の名が叫ばれていたが、心の壁があまりに強固に展開された彼の耳には、もうその声は聞こえはしない。
届いたとしても、聞く耳は持たない。
それは彼が自分勝手を承知で一方的に決断した事。
それを咎める者がいたとして。
その正論に彼が聞き入る事はないだろう。
そして彼は選んでしまった。
もっとも愚かで、辛い道を。
彼は嬉々として選んでしまった。
―――もう、戻るつもりはない―――。
第四章をお届けします。
しかし文才がないというのは辛いです。語彙が足りないのがありありと出てますね。
自分で見返しても同じ表現法ばかりで、これ何とかならないのでしょうか?
この辺りから、シンジの自暴自棄の度合いがかなり色濃くなります。
そして、この状態が当分続きます。約二十話程度でしょうか・・・・とんでもないですね。
何か自分で執筆していて、「俺はシンジが嫌いなのかなぁ?」とも思っていますが、そんな事はないですよ。本来は甘ったるいLASが好みなんですよ。シンジ×アスカ以外じゃ納得出来ない・・・・。
彩羽は今三国志のゲームにはまっています。
とはいえ三国志の知識は皆無で、「龍狼伝」は読んでいるっていう程度ですが。
ですので「僕三国志に詳しいんです。ですから是非お友達になりましょう」というメールにはお答えできません。あるとも思いませんが(笑)。
ちなみに「スーパーロボット大戦シリーズ」ならぜんぜんOKです。
君主に「シンジ」、軍師に「アスカ」、将軍に「レイ」と「カヲル」と名付けて。
使えるんですよ、これが。
カリスマの高い君主を支える聡明の女軍師。
そしてその秘密の恋愛を静かに見守る旧知の将軍達・・・・いいなぁ(笑)
おっと、いけないいけない。めぞんでは真面目を通すと決めていたんだ。
次回は、あの人達も登場します。
特にアスカに関わり深い二人です。
彼等とシンジの対話が中心になるでしょう。・・・・ってもう書いているんですが。
それでは。