TOP 】 / 【 めぞん 】 / [TIME]の部屋に戻る/ NEXT





雨上がりの霧。

指に絡まる髪。

窓についた水滴。

改札口の喧騒。

花びらの絨毯。

夢であえたら。

波に洗われる貝殻。

ひまわり畑。

ダイヤモンドダスト。

横断歩道。

温泉の湯けむり。

夕日の差す屋上。

赤い時計台。

最上階の展望台

小川のせせらぎ。

髪をかき上げるしぐさ。

瞳の奥のきらめき。

信号待ちの人々。

好きな人は誰?

公園の噴水。

人気の絶えたビル街。

北極星。

ステレオのボリューム。

庭先のキンモクセイ。

プールサイドのデッキチェア。

二人だけの合図。

図書館での会話。

虫たちの演奏会。

電話ボックス。

過ぎ去った日々。

チューリップの花畑。
風の匂い。
クラスでの挨拶。
君の伏せた横顔。

大輪の花火。
セミの鳴き声。
金魚すくいの露天商。
にっこりと微笑む君。

落ち葉の歩道。
二人で取った写真。
屋上からの眺め。
月光で輝く髪。

乾いた土の匂い。
降りそそぐ流星。
吹きつける木枯らし。
輝く君の涙。

二人は出会った。

そして…

序章 「冬、失われた想い」

彼女はベッドの上で、小さく息を吐き出した。
左手は彼が握っていてくれるおかげですごく暖かい。
彼はいつもの時間に現れ、そして手を握ってくれている。
そのぬくもりをずっと感じていたいと思う。
そして、彼にいつもそばにいて欲しいとも思う。
しかし、今の彼女にとって、それはかなわぬ望みだった。
窓からは梅の花が咲き乱れているのが見える。
今年の桜はどうなのだろう?
いつも二人で歩いていた公園の桜は今年も花開くのだろうか。
ふとそんな想いが彼女の心中に起こる。
ゆっくりと首をまわし、彼の方を向く。
少し悲しそうな、でも、やさしい瞳が自分を見ている。
誰よりも好きな、愛しているといっても言い過ぎではない大事な人。
ずっとこの人の隣にいたいと思っていた。
彼ににっこり微笑みかえす。
しかし、笑みは浮かべているが、
彼の瞳は何かに耐えているかのように曇っていた。
その原因が自分にある事は知っていた。
でも、もう自分にはどうする事もできないようだ。
あと、何日、いや、もしかすると数時間かもしれないが、
いつまで彼の顔を見ていられるのだろうか?
そんな事を考えていると、
彼が笑みを浮かべたまま、話し掛けてくれる。
「今日は気分が良いみたいだね。」
考えていた事は不穏なことであるが、
実際今日は気分が良かった。
こっくりと肯いて、にっこりと微笑みかえす。
もう、言葉はずっと話していない。
声にしようとしても、疲れるだけだった。
声が出なくなってしばらくは、筆談していたが、
最近は、書くのも辛くなってきている。
「そう。昨日、飲んだ薬が良かったのかな?」
少し、強く彼の手を握ってみる。
といっても、全然力は入らないのだが。
でも彼には分かったようだ。
「どうかした?」
少し不安そうに顔を覗き込むように尋ねてくれる。
首を小さく振って答える。
ただ、そうしたかったから。
自分が生きている事を感じたかったから。
「そう…でも辛くなったら言ってよ。」
こっくりと肯きかえす。
じっと彼の瞳を見つめる。
彼の空色の瞳はいつものように奇麗だった。
自分の瞳はあの時のように輝いているのだろうか?
ふと彼女はそう思った。
「そろそろ薬飲まないと。」
彼は時計を確かめて、脇のテーブルに置いてある薬袋を手に取る。
彼に手伝ってもらって起き上がり、薬を飲む。
ふと、彼の顔が近くにある事を感じて、恥ずかしくなる。
「どうしたの?」
不思議そうに彼が尋ねた瞬間。
彼の首に腕をかけて、精一杯背伸びする。
彼の唇は柔らく暖かだった。
唇を放して、ベッドに横になると彼の顔を上目使いで見てみる。
彼は少し戸惑ったようだが、にやりと笑う。
「もう、少しも反省してないんだから。」
髪に手を当てて、優しくなでてくれる。
とても気持ち良い。
ずっとこうしていたい。
「そういうことは体を治してからって約束しただろ。」
布団に隠れようとしたが、彼は先に布団を押え込んでかがんだ。
「だから、これはお仕置き。」
彼はゆっくりと唇を重ねてくる。
それに答えながら、彼女は思った。
この人をこんなに好きなのに。
アタシはもう…



「時が終わるまで」
Written by TIME/98

This story based upon "Forever and Ever SIDE C MANA".



第一章 「春、出会い」

「霧島マナです。よろしくお願いします。」
彼女はそれだけ言うと、にっこり微笑んで挨拶した。
教卓横には一人の女の子が立っている。
柔らかな栗色の髪、そして、きらきらと輝く瞳に
男子生徒達の視線は釘付けになる。
黒板には彼女らしい可愛い字で彼女の名前が書かれていた。
クラスの男子生徒がざわざわとざわめいている。
それを制するように担任の葛城ミサトが話を続ける。
彼、碇シンジはクラスの男子生徒のどよめきを無視して、
ぼんやりと外を眺めていた。
校庭の桜は満開で、風にそよそよを揺れている。
グランドのトラックではどこかのクラスが100M走のタイムを計測している。
のどかな春の一日。
とミサトの声がシンジの耳に入った。
「…じゃ、席はとりあえず、碇くんの隣ね。」
その声に我に帰り、教室内に注意を戻すシンジ。
視線を上げると彼の目の前には一人の女の子が立っていた。
彼女はシンジの隣に席にかばんを置いて、にっこりと微笑む。
まるで春の日差しのような微笑み。
男子生徒のざわめきが大きくなる。
「よろしく、碇くん。」
「うん。」
シンジはそれだけ答えると、視線を窓の外に戻す。
そして、ぼんやりと外を眺める。
それを不思議そうに彼女、マナは見つめた。
「今日の朝のホームルームはこれで終わりだけど…
シンジくん、ちょっと話があるの、来てくれる。」
シンジは視線を窓の外から、ミサトとが立っている教卓に戻した。
一瞬、教室内が静まる。
「はい。」
シンジそう答え、立ち上がるとミサトと一緒に教室から出ていった。
マナは不思議そうにその光景を見つめた。
が、ミサトが教室からいなくなったとたん、クラスの生徒がマナの机を囲む。
最初に机にたどり着いたのはジャージを着た少年、鈴原トウジだった。
「な、な、どこから来たん?」
いきなりマナに質問をぶつけるトウジ。
委員長である洞木ヒカリが慌てて、止めに入るが、効果はなさそうだ。
マナは驚いたようにクラスメートを見回した。
と、眩しいフラッシュがたかれる。
その方を見ると、メガネをかけた少年が、うれしそうにシャッターを切っている。
「こりゃ、久々の上物だ。」
彼、相田ケンスケはそれだけ言うと、一心不乱にカメラのシャッターを切る。
まるで、アイドルのサイン会のような雰囲気になってしまう。
このクラスってすごそうね。
マナが最初にこのクラスに対して持った感想はこうだった。

「シンジくん。まだ忘れられないの?」
職員室の椅子に座って、気遣わしげにシンジを見つめるミサト。
シンジはミサトの前に立って、じっと足元を見つめている。
朝の職員室は喧騒に包まれている。
周りの先生たちは授業の準備を始めている。
ミサトは一時間目の授業が無いためゆっくりしているのだが。
「つらいだろうけど、彼女はもういないのよ。」
少し寂しそうに微笑むシンジ。
視線はそのままだ。
「…解ってます。理解はしてます。でも、心は受け入れてくれません。」
その言葉を聞いて、ミサトの顔が曇る。
「忘れなさいとは言わないわ。でも、乗り越えなきゃ。」
「解ってます。でも、もう少しだけ待ってください。
もう少しだけ時間が欲しいんです。」
シンジのつらそうな表情を見て、ため息をつくシンジ。
「そうね、まだ一ヶ月だものね…」
その声にかぶせるように予鈴が鳴る。
「ごめんね、授業前に。アタシでよかったら相談乗るから。
加持先生も心配してるし。」
ミサトはちらり、と加持が座っている席に顔を向ける。
加持も二人の方に手を上げて微笑む。
シンジは一瞬だけ視線を向けて、素直に頭を下げる。
「すいません。じゃ、行きます。」
振り返って戻ろうとするシンジに声をかけるミサト。
「それから、転校生の霧島マナさんね、隣だから、
気を使ってあげてね。シンジくんも大変だろうけど。」
振り向かずに答えるシンジ。
「彼女は大丈夫ですよ。みんながほっときませんから。」
そして、職員室を後にする。
「はあ…しばらくは様子を見ますか。」
ミサトはため息をつき呟いた。

シンジは自分の席につき、授業の準備をする。
一時間目は数学だ。
と、マナがシンジが席につくのを待って、話し掛けてくる。
「ね…碇くんだっけ?数学ってどこまで進んでるの?」
そして、シンジの方に身を乗り出してくる。
それを見た教室内がざわめく。
転校生の、しかも可愛い女の子がクラスの男に話し掛けているとなれば、
ざわめかない方がおかしいのかもしれない。
「…数学はここまでだよ。」
教科書を開けて指差すシンジ。
「ふーん。ちょっと教科書見せてくれる?」
マナは首をかしげて、シンジに尋ねる。
「…うん。いいけど。」
マナはシンジの教科書を手にとってぱらぱらとめくる。
そして、教科書をシンジに返すと尋ねる。
「あのね、私教科書まだ貰ってないんだ。
もしよかったら、授業中見せてくれる?」
その背後で教室内のどよめきがさらに大きくなっていた。
中にはあからさまにシンジに敵意の視線を送る生徒もいる。
しかし、シンジは無表情に肯くと教科書をマナに渡す。
「いいよ。使っても。僕は見ないから。」
戸惑うマナ。
「でも…」
「いいよ。僕は使わないから。」
話は終わりとばかりに窓の外に視線を向けるシンジ。
「うん…」
マナは教科書を受け取って、自分の席に座る。
そして、ちらり、と横目でシンジを見る。
シンジは何も無かったかのように、窓の外をぼんやり眺めていた。
マナは数学の教科書の最初のページから目を通しはじめた。
数ページ程めくって、書き込みに目を通すマナ。
しかし、あるページに明らかにそれまでの書き込みとは違う字体で
「ここは重要」という書き込みがあった。
これってもしかして女の子が書いたのかな?
さらに教科書を読み進めると、やはり似たような書き込みがある。
しかし、最近のページには書き込みはなかった。
ふと顔を上げて、シンジの横顔を見つめるマナ。
マナはその横顔にどこか寂しさを感じた。
どうしたのかな?
書き込みと碇くんの態度には何か関連があるのかな?
不意にそんな考えがマナの脳裏にひらめいた。

「シンジ。飯どないする?」
昼休み、トウジ、ケンスケがシンジの机にやってくる。
「…ごめん。食べないから。」
「お前…」
トウジがいらいらしたように何か言いかけるが、
ケンスケが肩を叩いてトウジを制する。
「じゃ、俺達はパン買って屋上で食べるから。その気なったら来いよな。」
ケンスケはそれだけ言って、トウジの背中を押していってしまう。
その二人を見送ってまた、窓から外を見るシンジ。
マナは一部始終を見届けて、少し迷ったが、思い切ってシンジに話しかける。
「ね、碇くん。一緒にご飯食べない。」
ワンテンポ遅れて、シンジがマナの方を向く。
その顔には戸惑いの表情が浮かんでいた。
「一緒に?」
こっくりとマナはうなずいた。
「いろいろ碇くんに聞きたい事があるし。」
「ごめん。最近、食欲ないんだ。」
そっけなく断るシンジ。
しかし、その答えにかぶせるようにマナは言う。
「じゃ、ご飯食べなくてもいいから、付き合ってよ。」
その強い口調に驚くシンジ、
そして小さくため息をつきマナに尋ねる。
「どうして?」
「え?」
「どうして、僕なんか誘うの?霧島さんだったら、他にいるんじゃないの?」
マナはにっこりと微笑む。
「どうしてかな?私っておせっかいだから。」
シンジは怪訝そうに尋ねる。
戸惑いの表情は更に強くシンジの表情に出ている。
「だから?」
「お話したいの。シンジくんと。駄目かな?」
それだけ言うと、シンジの腕を取るマナ。
と、教室に残っていた男子生徒達の視線が二人に集まる。
実はマナと一緒に昼食をと考えていた生徒達はかなりの数いて、
彼女の行動を見守っていたのだ。
「ね、おべんとだけでも付き合って。」
マナは繰り返し、シンジにお願いする。
見詰め合う二人。
と、シンジが視線を逸らし、ため息をつく。
「…わかったよ。行こうか。」
シンジは諦めたように立ち上げる。
「やった。じゃ、屋上行こうよ。」
マナはシンジの腕を取ったまま、引っ張っていく。
「わかった。」
二人は教室から出て行く。
その光景を見詰める男子生徒達。
彼らはシンジへの復讐を誓っていた。

「ふうん、ちょっとした公園みたいだね。」
屋上には庭になっており、背の低い木々や花々が植えられていた。
ちょうど空いていたベンチに座る二人。
目の前には色とりどりのチューリップが咲いていた。
「奇麗ね。見た感じ春の花ばかりだけど…」
「夏になったら、夏の花に植え替えるんだ。それまで植えられていた
花は校庭の庭におろされるんだ。で、また春になったらここに植えられるんだ。」
首をかしげるマナ。
「どうして、そんな面倒な事するの?」
「校長の趣味なんだって。ガーデニングが。」
少し苦笑するシンジ。
その表情を見てマナも微笑む。
「やっと笑ってくれた。」
「え?」
「だって、ずっと無表情なんだもの。感情がないのかなって心配したよ。」
「…いろいろあったからね。」
マナはどうしようか迷ったが、聞いてみる事にした。
「それって、教科書にあった書き込みをしてくれた女の子の事?」
驚いたようにマナをみるシンジ。
「ごめんなさい。見るつもりはなかったの。」
首を振るシンジ。
少しうつむくように自分の足元を見つめる。
「いいんだ。貸したのは僕だったから…」
しばらく考えてからシンジは話し出した。
「…そう、その女の子の事でいろいろあったんだ…」
ため息をついて、顔を覆うシンジ。
「…本当にいろいろ…ね…」
見かねてマナは止める。
「もういい。聞かないから、そんな顔しないで。」
シンジは顔を上げ、マナを見る。
「ごめん。まだ、話せないみたいだ。忘れなきゃいけないのに…」
「ううん。いいの、ごめんね。ただの好奇心だったの。」
そのまま黙り込む二人。
と、何か思い出したようにシンジがマナの顔を見る。
「ところで、お弁当食べなくていいの?」
「へ?」
マナは手元にある袋に視線を向ける。
「そうだった。忘れてた。」
シンジは時計を見る。
「まだ、三十分あるから急がなくてもいいよ。」
「うん。でも私食べるのゆっくりだから、急がないと、間に合わないかも。」
お弁当を取り出し、フォークを握る。
「いただきまーす。」
ミニハンバーグを頬張るマナ。
シンジはその光景をぼんやりと見つめる。
その視線に気づき、不思議そうに尋ねるマナ。
「どうしたの?」
ふと我に帰り、首を振るシンジ。
「ごめん。ぼおっとしてた。」
マナはお弁当を見て、にこり微笑むと、フォークでウィンナーを刺し、
シンジの口元に持っていく。
「はい、あーんして。」
「え?」
「いいから、あーん。」
シンジは慌てて周りを見まわす。
二人を気にかけている生徒はいないように見えたが、
シンジは気が気でなかった。
トウジとケンスケがいるはずで、もし見つかったらどうなることか。
「困るよ。」
「あーん。」
「まずいよ。」
「あーん。」
「ね、聞いてる?」
「あーん。」
マナは全然諦めようとしない。
小さくため息をつき、シンジは周りを見回し、口を開ける。
「あーん。」
「はい、ちゃんと食べなきゃ体に毒よ。」
シンジはもぐもぐとウィンナーを頬張る。
「おいしい?」
マナがシンジの顔を覗き込む。
「うん。」
恥ずかしそうに答えるシンジ。
「よかった。」
マナはほっとしたようにため息をつく。
シンジはふっと笑みをもらすと、花壇に咲いている花々を見る。
それきり黙ったままシンジはベンチに座っていた。

放課後、シンジとマナは一緒に帰っていた。
家の方向が同じだったのと、マナが他の生徒の誘いを
「碇くんと帰るから。」
という一言で断ったためだ。
その時の教室内の雰囲気はまさに修羅場だった。
授業が終わってすぐ出てきたため、
帰宅する生徒が大勢歩いている。
実は二人をつけている生徒も何人かいたが、
二人は全く気づいてなかった。
並んで坂を下りていく二人。
学校は丘の中腹に立てられており、
校舎の一段下にグラウンドがある。
右手にグラウンドを見下ろすように歩道を歩く。
マナは両手でかばんを持って、グラウンドの方を覗き込んでみる。
学校の校庭では生徒達がクラブ活動をしている。
シンジの方を向くマナ。
「ね、碇くんはクラブ入ってないの?」
「うん。特にやりたいものなくて。」
そっけなく首を振って答えるシンジ。
マナはグランドの方に視線を戻し尋ねる。
「強制的に何かやれされないの?」
「うん。そういうのはないけど。」
「ふーん。」
シンジはちらりとマナほうを横目で見て尋ねる。
「前の学校はそうだったの?」
「いろいろとね、うるさい学校だったから。」
しばらく黙って歩く二人。
歩道は煉瓦作りで、街路樹もある一定距離ごとに植えられている。
街路樹が作る影をくぐり抜け、歩道を歩く二人。
ふとマナは立ち止まる。
「ねぇ、お願いがあるんだけど。」
「何?」
少しだけ間を置いて、マナは口を開く。
「あの…ね、明日からなんだけど…」
「うん。」
「一緒に学校行ってくれないかな?」
シンジは一瞬きょとんとしてマナの顔を見つめた。
どうしてそんな話が出るのか全く分からないようだ。
ばつがわるそうに顔を伏せるマナ。
少しだけ頬が赤く染まっている。
「どうして?」
マナは顔を伏せたまま、こう答えた。
「今日来てみたんだけど、家からの道が結構複雑で。それで、
その事を葛城先生に話したら、しばらくは碇君と一緒に
登校すればって言ってくれて。」
シンジは問い返す。
「ミサト先生が?」
「うん。なんか私の家までの帰り道に碇君の家があるみたいで。」
「そう。」
心の中でため息をつくシンジ。
「だめかな?」
マナは上目使いでシンジを見つめる。
シンジは視線を逸らし考える。
ミサト先生は僕に何を期待しているのかな?
僕はもうしばらくそっとしておいて欲しいだけなのに
でも、嫌だと言う訳にも行かない。
やっぱり慣れないうちは不安だろうし、
それにこの子の事だから…
少し考えてからシンジはゆっくりとうなずく。
「…いいよ。」
「ほんとうに?」
マナは少し驚いたように聞き返す。
「まぁ、ミサト先生にはめられたみたいだけど。
それに、もし僕が嫌だっていっても、
霧島さん毎日僕の家に来そうだし。」
苦笑しながら答えるシンジ。
「…バレてた?」
「なんとなくね。」
「そうなんだ。」
マナは大袈裟に驚いて見せる。
シンジの苦笑が大きくなる。
「じゃ、明日からはシンジ君の家に呼びに行くね。」
「えっ?家に来るの?」
「うん。当然でしょ。」
腕を組んで考え込むシンジ。
「そうか…ま、いいよ。じゃ、八時くらいに来てくれるかな?
それくらいに出れば、間に合うから。」
唇に指を当てて考え込むマナ。
「うん。わかった。じゃ、明日の八時に碇君の家に行くね。」
「OK。」

ユイはいつものようにテーブルに座り、
ゲンドウと差し向かいでコーヒーを飲んでいた。
「…やっぱり寂しいわね。」
カップの中のコーヒーを見つめながら、
ぽつりとユイは呟いた。
「あぁ、そうだな。」
ゲンドウは新聞をテーブルに置きユイを見つめる。
「あの子、強がってはいるけど…」
ユイはそこまで言うとシンジの部屋に通じる入り口を見つめる。
「これは、シンジの問題だ。私たちは手助けはしてやれるが、
立ち直るのはシンジ自身でなくては。」
ゲンドウはユイの手を握る。
「そうね…」
ゲンドウの手を握りかえすユイ。
と、玄関の呼び鈴が鳴る。
「今、呼び鈴が鳴ったかしら?」
「あぁ、私もそう思うよ。」
慌てて、モニターで訪問者を確認する。
モニターにはユイが見たことがない女の子が立っている。
「どちらさまですか?」
「あの、私、霧島マナと申します。
今日から碇君と、一緒に学校に行く事になりまして。」
「ちょっとお待ちくださいね。」
その返事とともに、シンジがリビングに降りてくる。
「はぁ、寝坊したよー。母さん朝食はいいから、学校に行くよー。」
そのシンジにユイが尋ねる。
「霧島さんて女の子が来てるんだけど。」
「あぁ、今日から、一緒に学校に行く事になったんだ。
転校してきたばっかりで、学校までの道が覚えられないからって。」
シンジは玄関で靴を履く。
「じゃ、行ってきまーす。」
シンジは飛び出していった。
「…私たちが気をもむ必要もなかったようだな。」
ゲンドウが笑みを浮かべユイに話す。
「…そうね。」
ふう、とため息をつき、ユイはそれだけ答えた。


第二章 「夏、心の闇」

その日も暑い一日だった。
天気予報通りに空は晴れ渡り、気温もぐんぐん上昇している。
碇シンジはテレビの天気予報を見て、小さくため息をつく。
「夏だよなぁ。外はすごく暑そうだな。」
と、窓に視線を向ける。
薄いレースのカーテンごしでも、日差しの強さはよく分かった。
「こんな日に、来るんだよな。」
そうひとりごち時計で時間を確認する。
もうそろそろだな。
TVを消して立ち上がろうとした時に、
ぴんぽーん。
玄関のチャイムが鳴った。
シンジは玄関まで行って、ドアを開ける。
「こんにちわー。」
ドアの向こうには、麦藁帽子をかぶった女の子、マナが立っていた。
「今日も、あついよー。」
マナは玄関に入ると、帽子を取って、にっこり微笑む。
白いワンピースが夏の午後の日差しを受けて、きらきらと輝く。
「そうみたいだね。」
そう答えるシンジに微笑みかけ、
マナは部屋の奥を覗き込むようにして尋ねる。
「ご両親は?」
「二人とも仕事。なんか、大切なテストがあるみたい。」
「ふーん。ご両親って同じ会社に行ってるの?」
「うん。なんか職場結婚らしいよ。」
「へー、そうなの。」
マナをリビングに通して、シンジは冷蔵庫を開ける。
「オレンジジュースでいい?」
ソファに座って、きょろきょろまわりをみまわしていたマナは慌てて答える。
「う、うん。」
シンジはテーブルにオレンジジュースが注がれたグラスを一つ置き、
マナの向かいに座る。
「…で、数学はどこまで進んでるの?」
一口、オレンジジュースを飲み、マナはぺろりと舌を出し答える。
「…実は全然。」
シンジは額に手を当てて、天を仰ぐ。
「だと、思ったよ。もう後二週間で夏休み終わりだよ。どうするの?」
「だから、シンジくんを頼ってきてるんじゃない。」
「まず、自力でやらないと駄目なんじゃないの?」
「シンジくんは数学、得意だからそんなこと言えるのよ。
私にとっては暗号解読とさして変わらないんだから。」
マナはぷっと頬を膨らませる。
そして、もう一口、ジュースを飲む。
炎天下の中を二十分近く歩いてきた後に飲む
オレンジジュースは格別だった。
「…わかったよ。じゃ、とりあえず、僕の部屋でやろうか?」
シンジはやれやれとばかりに立ち上がる。
「えっ…う、うん。」
慌てて、マナも立ち上がる。
「こっちだよ。」
シンジに案内されて、部屋に入るマナ。
きょろきょろと部屋の中を見回す。
「へぇ、思ってたより、奇麗に片付いてるね。」
本は本棚にきっちりとならべられていて、
床にはテーブルが置いてあり、数学の課題の問題集と教科書が置いてあった。
ふと、マナは机に視線を向ける。
そこには写真立てらしき物が伏せられていた。
もしかして…
マナはシンジの方を見る。
シンジは本棚から数冊の参考書を取り出していた。
そして、マナはもう一度机に視線を戻す。
クラスの友人から聞いている、シンジが好きだった女の子。
その子の写真だろうか。
思わず手を伸ばしそうになるマナ。
「さて、始めようか。」
シンジのその声で我に返るマナ。
私、いま何をしようとしたんだろう?
「どうかしたの?」
不思議そうにマナの顔を覗き込むシンジ。
「ううん。なんでもない。」
マナはにっこり微笑みながら、首を振った。
「そう。じゃ、始めようか。」
「うん。」
シンジは自分の問題集を開く。
その隣にちょこんと座るマナ。
「で、問題は全然進めてないんだね。」
「この問題集を見て。」
と、嬉しそうに、新品同様の問題集を見せる。
「はぁ、全く。開こうともしなかったんだね。」
ため息をつき、シンジは苦笑する。
「うん。せっかくの夏休みだもん、勉強なんか忘れたいし。」
返事だけは元気のいいマナ。
「じゃ、とりあえず、最初のページからやっていこうか?」
「えー!シンジくんの答え、見せてくれないの?」
マナは上目使いでシンジを見る。
「それはどうしようもなくなった時。
だって、この問題集の範囲で実力テストがあるんだよ。
どうせやるんだったら、自力でやった方がテスト対策にもなるし。」
首をぶんぶん振って、抵抗するマナ。
「そんなの試験前に考えればいいじゃない。」
「駄目です。ただでさえマナは数学成績はよくないんだから。」
「だから、暗号解読は苦手なの。」
すねるようにマナは答える。
「だったら、この機会に少しは勉強しないと。」
シンジは言い聞かせるようにマナの顔を見詰める。
「どうしても?」
「どうしても。」
あきらめたようにため息をつくマナ。
しかし、何か思い付いたようににっこり微笑んだ。
「じゃ、シンジくんが毎日教えてくれるんだ。」
「え?」
シンジは驚いたように絶句する。
「そこまで言うんだから、当然よね?」
「で、でも、ほら、僕はバイトもあるし。」
「だったら、バイトのない夜にすればいいよね。」
「へ?」
マナはシンジの右手の小指に自分の小指を絡ませる。
「ゆびきり。」
「へ?」
「今日から、毎日シンジくんは私に数学を教えてくれる。」
「ちょっと…」
シンジに有無を言わさず指を切るマナ。
「はい、指切った!」
にっこりとマナは微笑む。
対照的にシンジは呆然として、指切りをした自分の小指を見つめる。
「約束したからね。」
その声に我に返るシンジ。
「ほんとに?」
「ほんとに。」
しばらくシンジは黙っていたが、
やがてゆっくりとため息をついて答える。
「わかった。教えるよ。」
「やったー。」
「でも、その代わり、」
シンジは顔を上げてマナを睨む。
「ちゃんと勉強してもらうからね。」
「え…」
シンジはにやありといやらしく笑う。
「とことん勉強してもらうからね。」
「ちょ、ちょっと。」
マナは慌てる。
「そうだね、まずは今度の実力テストで平均点を取れるように勉強してもらおうかな。」
「そ、そんなー。絶対無理だよう。」
「問答無用。さー、そうと決まれば、きりきり勉強してもらおうか。」
「いやーん。こんなの予定外だよー。」
マナは半泣き状態で叫んだ。

夏の天気の急変はよくある事だった。
その日も午後の晴天が嘘のように、夕方には雲が空を覆っていた。
そして。
窓に雷光が映る。
その一瞬後に、ごろごろと雷の音が響いてくる。
間を置かずに、雨が降り出す。
始めはしとしとと降っていた雨も、次第に強くなり、
窓に激しく雨粒が当たるようになる。
そして、また雷光。
「きゃっ。」
マナはそう小さく叫ぶと、
シンジのTシャツの裾をぎゅうとつかむ。
さきほどの雷から、マナはずっとシンジに抱きついていた。
マナをやさしく抱きしめ、シンジはくすり、と笑った。
「な、なによ。こんな時に何がおかしいの?」
マナは伏せていた顔を上げ、シンジをにらむ。
「だって、マナは雷が恐いんだ?」
そのからかう口調にマナはなんとか強気に答えようとする。
「だって、恐いんだもの。」
マナはそっぽを向いて答えるが、
頬が少し赤くなっていた。
「シンジだって、恐いものあるでしょ。」
ふとするとゆるみそうになる口元を引き締めながら、
シンジはうなずく。
「まあ、ないといえば嘘になるけど。」
マナは恐る恐る窓を見つめる。
その瞬間。
また雷光。
「きゃ、まだ終わらないの?」
マナは顔を伏せ、シンジの胸に顔を隠す。
そして、轟音。
「もう…なんで、近くにばかり落ちるのよ。」
マナは小さく呟く。
それを聞いたシンジが関心したように呟く。
「ほんとに恐いんだね。」
マナがいきなり顔を上げる。
「そりゃ、そうよ。どうして演技しないといけないのよ。」
その声はいつものマナの声だった。
マナはまた顔を伏せる。
相当、恐いようだ。
マナの肩が少し震えているのが分かる。
シンジは苦笑して、窓を見つめる。
雨はいっこうに止まず、
雷は相変わらず、轟音を立てている。
マナはシンジにしっかりとしがみついている。
マナを抱きしめてるなんて、なんか変だな。
ふとそういう考えが浮かんで、シンジはマナを見る。
そのシンジの気配に気が付いたのか、
マナも顔を上げて、シンジを見る。
潤んでいる瞳にシンジの顔が映っている。
マナってかわいいんだよな。
普段はあんまりそうは思わないんだけど。
「なに。どうかしたの?」
その言葉は少し、不安そうな響きがあった。
「ううん。なんでもないよ。」
シンジはそう答えると、目をそらす。
そのまま見つめていると、恐かったから。
何かマナにしてしまいそうで。
「…シンジくん。」
耳元に囁かれて、シンジはびっくと震えた。
「ね、シンジくん…こっちを向いて。」
シンジはマナの顔を見た。
「ど、どうしたの。」
声が上ずる。
何か、いつものマナとは違う。
「ね、一つ聞きたい事があるんだけど…いい?」
マナはシンジに背中を向けて、もたれかかる。
シンジは後ろからマナを抱きしめる形になった。
「う、うん。いいけど。」
どうしたんだろ?
急に口調が変わったような気がする。
聞きたい事か…
大体予想はついてるけど…
できれば聞いて欲しくない。
マナはシンジに顔を見せないように呟く。
「ね、その机の上に伏せてあった写真立てって…」
その瞬間、今までのものとは比べ物にならない落雷の轟音が響く。
「きゃ!!」
慌てて、耳をふさいで体をすくませるマナ。
シンジはぎゅっとマナを抱きしめる。
しばらく経ってから、マナはほっとため息を吐く。
「…もう、不意打ちなんて卑怯よ…」
相変わらずのマナの言葉に口元をゆるめるシンジ。
「…なによ。何笑ってるのよ。」
マナは泣きそうな声で答え、思い出したように顔を伏せ、首を振る。
「…どうしたの?」
シンジは不思議そうに尋ねる。
「…写真立てにはあの人の写真が入ってるの?」
アスカは伏せた顔を少し上げて、シンジを見る。
「ね、やっぱり忘れられない…の?」
マナはシンジに向き直る。
シンジはごくりと喉を鳴らす。
そのマナの表情は真剣で、
シンジがいままで見たこともないくらい奇麗だった。
やっぱり…
そのことか…
部屋に入ってきた時にマナが、机の上のそれに
気づいていたみたいだったから予想はしてたけど…
でも…
シンジは言葉を捜す。
どう答えればいい?
本当の事を話せばいいのか?
僕は…
それを口に出してしまったら…
目を閉じ少し考えてから、シンジは少し寂しそうに答えた。
「…そうだよ。彼女の写真。最後に一緒に撮った写真だよ。」
それだけ言って、顔を伏せるシンジ。
マナを後ろから抱きしめているから、マナの髪に顔を埋める形になる。
「…そう。」
マナを抱きしめているシンジの右手に自分の左手を重ねるマナ。
沈黙が部屋を支配した。
「…ね。写真見てもいい?」
マナはシンジの手を握りながら囁く。
「…駄目だよ。」
シンジはマナの耳元に囁く。
写真を見せる訳にはいかない…
それを見せれば…
今だけは、それは…
そのシンジの苦悩を感じ取ったのか、
最初から期待はしていなかったのか、
「ごめんなさい。」
マナはあっさりと答えた。
「…ううん。僕の方こそごめん。」
と、急に姿勢を変えて、シンジの方を向くマナ。
「どうしたの?」
不思議そうに尋ねるシンジににっこり微笑みかけるマナ。
「ね、今日は何の日か知ってる?」
「えっ?」
「今日は夏祭があるんだよ。」
「夏祭…」
「そう、今日からなんだけど、一緒に行ってくれないかな?」
少しだけ上目使いをして、シンジを見つめるマナ。
その瞳はきらきらと輝いている。
「今日?」
「そう、夜の八時くらいに待ち合わせして。」
「八時?」
「…駄目?」
少しだけ考え込む、シンジ。
夏祭…
知らなかったわけじゃない…
でも…
心配そうに見つめるマナを見て、シンジはにっこりと微笑む。
「…わかった。一緒に行こうか。」
「うん。」
大きく肯くマナ。
いつのまにか、雷は遠くに行ってしまったようだった。

その日の夜も熱帯夜だった。
シンジは待ち合わせの場所できょろきょろと周りを見まわした。
まだ、マナは来ていない事を確認して、時計を見る。
「うん。時間的にはそろそろ来るかな。」
シンジは濃い青の浴衣を着ていた。
「せっかくだから浴衣でいきましょ。」
とマナと約束を交わしたからだ。
夏祭が行われている神社への道の途中と言う事もあって、
道にはたくさんの人々が歩いていた。
「夏祭か…」
ふと、シンジがそう呟いた時。
「ごめん。待った?」
マナが現れた。
「うん。少しだけだけどね。」
そう答えるシンジ。
が、内心はかなり動揺していた。
マナは白地に淡いブルーのチェックが入っている浴衣を着ていた。
そして、リボンも淡いブルーの物を使って、髪をまとめている。
「ごめんね。思ったよりもここに来るのに時間がかかって。」
ぺろりと舌を出すマナ。
それを見たシンジは少しだけ落ち着いた。
「じゃ、いこうか?」
シンジは神社の方を軽く指差す。
そして、人込みに混じりながら歩き出す。
「うん。そうだね。」
マナは嬉しそうにシンジの横にやってきて、右腕をそっと握る。
「え?」
シンジは驚いたようにマナを見る。
マナはにっこりと微笑む。
「ね、今日だけはいいでしょ。」
そのしぐさにどきりとして、そっぽを向くシンジ。
「…駄目?」
マナは悲しそうにシンジを見つめる。
「…今日だけだよ。」
シンジは恥ずかしそうにマナの方を見ないで答える。
「…ありがと。」
マナはシンジの腕をぎゅっとにぎって、小さくため息をつく。
そのまま二人は夏祭が行われている神社の境内まで歩いていく。
石段を何段か登って鳥居をくぐる。
境内までの石畳みの道の左右に露天が沢山出ていた。
「うわぁ。一杯お店が出てるね。」
マナは嬉しそうに声を上げる。
「そうだね。」
二人はゆっくりと露店を見て回る。
マナはシンジをぐいぐい引っ張っていき、とある露天の前で立ち止まる。
「ねぇ、金魚すくいしようよ。」
そして、金魚達が泳ぐ水槽のまえでしゃがみこむ。
「へいらっしゃい。お嬢ちゃんはかわいいから、二回で100円でいいよ。」
「ありがとー。」
マナはお金を渡して、うすいガーゼがはられた網を受け取る。
水槽の中を元気に泳いでいる金魚達をじっと見詰めるマナ。
その様子をおもしろそうに見つめるシンジ。
「えいっ。」
マナは網を水槽に入れて、一匹の金魚をすくおうとする。
「あー。」
網の上に乗った金魚が跳ねると、網が破れて金魚は水槽に落ちる。
「うー。もうちょっとだったのに。」
悔しそうに水槽を見つめるマナ。
「うーん。おしかったね。」
のんきに答えるシンジにマナは振り返り、網を突きつける。
「はい、次はシンジくん。」
「は?」
シンジはきょとんとした顔で答える。
「私、この子が欲しい。」
白と赤がまじった金魚を指差すマナ。
「ね、いいでしょ?」
「ま、いいけど、取れるとは限らないよ。」
「えぇー。私の事、愛してるなら取れるでしょ。」
露店のおっちゃんが爆笑する。
「兄ちゃん。こりゃ、おおごとになったな。」
「いや、別に僕は…」
慌てて、返事しようとしたシンジ。
きっとマナに見つめられて、黙り込んでしまう。
「さぁ、兄ちゃん頑張ってくれよ。」
おっちゃんまでもがはやし立てる。
「はぁ、やってみるよ…」
シンジは屈み込んで網を構える。
「がんばれー。」
マナは後ろで応援している。
ゆっくりと、網を水面にもっていくシンジ。
そして、じっと黙って動かず金魚達の様子を見る。
マナも黙ってじっとシンジの行動を見ている。
と、水面近くにいた金魚にねらいを付け、すっと、網を水槽に入れる。
そして、金魚をすくい上げる。
その金魚を取り皿に入れてふうとため息をつくシンジ。
「うわぁ。すごい。すごい。」
マナは嬉しそうにはしゃいでいる。
「やるじゃねぇか、兄ちゃん、網の縁を使うとはなかなかの腕だな。」
「いや、偶然ですよ偶然。」
シンジはほっとため息をついて微笑む。
結局シンジは三匹の金魚を獲得し、
「これだけとりゃ、彼女も愛されてるって思うだろ。」
という露店のおっちゃんの冷やかしを受けた。

「でも、シンジくんすごいね。」
二人で石畳の道を歩く。
気温は少しずつ下がってきているようだ。
時折吹く風は、二人髪をゆっくりとそよがせる。
繰り出している人達も少しずつ増えてきているようだった。
空は晴れていて、三日月が周りの境内の背の高い木々に銀色の光を放っている。
マナは金魚が入った袋を右手に持ち、左手には綿飴を持っている。
シンジは楽しんでくれているのだろうか?
ふと、シンジの横顔を見てマナはそう思った。
確かに楽しんでいるようにみえるのだが、
時折見せる、寂しそうな表情が気になった。
「昔、友達に教えてもらって。」
照れくさそうに微笑むシンジ。
でもシンジくんから話してくれないと…
マナは少しだけ悲しくなった。

境内の前まで歩いてきた二人。
「ね、お願いしようよ。」
マナはシンジをつつき、お賽銭箱を指差す。
今も何人かがお賽銭をあげ、何か願い事をしている。
「そうだね。」
二人は境内に立ち、お賽銭をあげる。
そして、手を合わせお願いをする。
少し離れて夏祭の喧騒が聞こえる。
どこからか、鈴虫の泣く声が聞こえてくる。
シンジは顔を上げて、マナを見る。
マナは何か一心不乱に願っているようだ。
ふと、シンジは後ろを振り返る。
少し離れたところに露店が立ち並んでいる。
その辺りは明るい。
そう、去年も…
と、マナが願い事が終わったのか、シンジに声をかける。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。」
そのシンジの横顔が赤く照らされる。
夜空に赤い大輪の花火がひらく。
「花火…だね。」
続いて、黄色、さらに青い花火が開く。
「きれいだね。」
マナはうっとりと花火を見ている。
そのマナの横顔も花火の光で照らし出される。
何げなくそのマナの横顔を見つめるシンジ。
「…そうだね。」
しばらく黙って、花火を見つめる二人。
「ね…シンジくん。」
花火を見たままマナは話しかける。
「なに?」
「一緒に花火しない?」
そして、マナはシンジを見る。
その瞳が花火の光を映してきらきらと輝いていた。
「花火?」
「そう花火。さっきここに来る途中のお店で売ってたでしょ。」
「…そうだっけ?」
「そう。そこで、花火買ってどこかの公園でしましょ。」
少し考えるシンジ。
「いいよ。花火しようか。」
「うん。」
二人は並んで、歩いてきた道を引き返した。

帰り道の途中の公園に二人は入っていく。
露店で買った花火を楽しむ二人。
「やっぱり最後はこれだよね。」
マナは線香花火を取り出す。
そして、シンジが火を付ける。
オレンジの火花が二人の顔を照らし出す。
じっと、火花が散る様を見詰める二人。
「ね、シンジくん。」
ふいにマナが口を開く。
「何?」
火花が小さくなり、オレンジの丸い玉になる。
そして、その玉も地面に落ちる。
次の花火に火を付けるマナ。
また、オレンジの光が二人を照らし出す。
公園は静かだった。
火花が音を立てて散る音だけが二人の耳に入ってくる。
「…この浴衣どうかなあ?」
線香花火から目を離さずにマナはぽつりと言った。
少し頬が赤く見えるのは気の性かな?
シンジはマナの横顔を見つめる。
ゆかた…か…
シンジの意識は去年の夏休みに飛ぶ。
二人の最後の夏祭。
あの時あの子も浴衣を着てたっけ。
そう、あの時僕は…
もう二人に残された時間が少ない事を知った…
だから、二人で…
「どうしたの?」
ぼおっとしていたシンジを不思議そうに見つめるマナ。
いつのまにか線香花火は三本目だった。
安心させるように微笑むシンジ。
そう、今、ここにいるのはマナなんだ。
あの子じゃ、ないんだ。
もう、あの子はいない…
いないんだ…
ゆっくりと目を閉じるシンジ。
一筋の涙が頬を伝う。
「…シンジ…くん。」
マナの緊張した声にはっとしてシンジは頬をぬぐう。
「…彼女の事?」
少し震えた声でマナは尋ねる。
その瞳も揺れている。
風が吹き抜け、マナとシンジの髪をなでていった。
ゆっくりと、だがはっきりと首を縦に振るシンジ。
「…好きだった。」
小さく囁くようにシンジは言った。
そして立ち上がり近くのベンチに腰を下ろす。
「あの子さえいてくれれば、僕は何も望まなかった。」
うつむくシンジ。
「彼女の全てが好きだった。彼女も僕の事を…」
マナはシンジの隣に座り、シンジの手をぎゅっと握る。
「好きだといってくれた…」

ずっと、このままだと思ってた…
あの日までは…
あの日、彼女の命があとわずかだと知らせられた…
もう、そんなに長くはないだろうと…
最初、何かの間違いだと思った…
でも、本当だった…
僕は信じたくなかった…
彼女がいなくなってしまうなんて…

彼女が入院する前の最後のデートが去年の夏祭だった…
彼女は紺の浴衣を着てた…
二人で露店をまわって…
そして、一緒に花火を見たんだ…

あの日…
決して僕は忘れないだろうあの最後の日…
彼女は言ったんだ…
もう、声は出せないはずだった…
でも彼女は言ったんだ…
もし二人が生まれ変わったら…
住んでる国が違っても…
信じる神様が違っても…
人種が違っても…
絶対私はあなたを選ぶからって…
そして…
ありがとう…
そう彼女は言ったんだ…

彼女がこの世からいなくなったあの日…
不思議だった…
いつものように日は昇り…
風は吹き…
草木は芽吹き…
人々は日常に追われ…
何もいつもと変わらない日…
でも、もう彼女はいない…
あの笑顔を僕に向けてくれる事はない…
一緒に駆け回ることもない…
お互いの気持ちを確かめる事もできない…
悲しかった…
自分の存在が希薄になった…
そう。彼女がいて…
僕がいて…
それで僕は一人の人間だった…
だから僕は泣いた…
この悲しみはずっと消えないだろう…
僕の存在がこの世からなくなるまで…
そう思った…

僕は自分のことなんかどうでもよかった…
僕はもう抜け殻だから…
何も考えず…
何も望まず…
何も行動しない…
ただの抜け殻だと思ったから…
彼女は僕に生きて欲しいと願っていた…
でも、僕にとってはそれは痛みしかもたらさない…
生きていると、彼女の事を思い出すから…
それなら死んだ方が良いと…
ずっとそう思ってた…

それだけ言うとシンジは顔を伏せる。
涙がシンジの頬を濡らしている。
「今まで、誰にも話さなかったの?」
ハンカチを出して、やさしくシンジの頬をぬぐいながら、マナは尋ねた。
「みんなには心配かけたから…」
「たぶんみんなは迷惑だと思わなかったと思うよ。私みたいに…」
シンジはゆっくりと顔を上げマナの顔を見詰める。
「私…」
にっこりと微笑むマナ。
街灯の光がマナの髪を銀色の輝かせる。
風を受けてふわふわとそよぐ。
「シンジくんのこと好きよ。」
いつもの笑み。
でも、シンジはマナを見る事が出来ず、
顔を伏せてしまう。
「駄目だよ。僕は…」
マナはシンジを抱きしめる。
消えてしまわないように、
この世界にとどめようとするかのように。
「好きなの…」
マナの声が震えていた。
「初めて会った時から…ずっと…」
そして顔を上げてシンジの耳元に囁く。
「ずっと好きだったんだから…」
そのまま黙ってしまう二人。
時間だけがゆっくりと過ぎていった。
「ね、シンジくん。」
「…」
「私。その人がうらやましい…な。」
「…」
「どうして、その人よりも早くシンジくんに会えなかったんだろう?」
「…」
「そしたら、シンジくんをこんなに悲しませなかったのに。」
「…」
「ね、シンジくんもそう思わない?」
シンジは答えない。
また沈黙する二人。
虫の泣く声が小さく耳に入る。

突然マナは勢いよく立ち上がって、大きく背伸びする。
「うーん…」
シンジはマナのそんな様子をぼんやりと見つめる。
「ねえ、もう時間が遅いから帰ろう?」
にっこりと明るく微笑むマナ。
そして、手をシンジに差し伸べる。
その手を握るシンジ。
立ち上がったシンジを見てマナは微笑む。
「行こっか?」
手を放そうとしたマナ。
と、シンジがいきなりマナを引っ張る。
「え?」
シンジの胸に抱かれるマナ。
何が起こったのか理解できないマナ。
慌てて顔を上げようとする。
「え?ど、どうしたの?」
耳元に小さく囁くシンジ。
「…よ。」
マナの瞳が見開かれる。
その頬が真っ赤に染まる。
「…やさしすぎるよ…」
今度ははっきりとシンジは言った。
「どうして…?」
「さっきも言ったでしょ…シンジの事好きだから…」
顔を上げて、シンジに微笑みかける。
「私、いつもシンジのこと考えてるよ…
たぶん私のいつも考えてる事、シンジにわかったらびっくりしちゃうよ。」
シンジは苦しそうに叫ぶ。
「でも僕は!」
「いいの。ただシンジに知っていてもらいたかっただけなの。」
やさしく、諭すようにマナは答える。
そして、うつむき小さく呟く。
「そう、それだけ。それ以上は…わからない…」
再び顔を上げた時、マナは微笑んでいた。
「ね、もう遅いから、帰ろ?」

マナは自分の部屋の電気を点ける。
部屋は明るい色で統一されている。
カーペットの上には、今日着ていた服が脱ぎ散らかされていた。
慌てて、浴衣に着替えたので、服は片づけてなかった。
マナは大きく背伸びをしてベッドに倒れ込む。
「楽しかったー。」
そして、ふうと小さくため息をつく。
ふいに最後のシンジの言葉を思い起こす。
とうとうシンジくんに告白しちゃったんだ…
頬が赤くなるマナ。
寝転がって、仰向けになり、天井をじっと見詰める。
でも…
マナは思い出す。
あの時…
シンジくんは消えてしまいそうで…
どこかにいってしまいそうで…
私はそれがすごく恐くて…
だから、シンジ君を抱きしめて…
きゅっと胸が締め付けられる。
私はどうすればいいんだろ?
シンジ君はもうこの世界にいない人が好きで…
忘れられなくて…
悲しくて…
どうすれば…
シンジくんを…
「難しいな…もういない人と張り合うなんて…」
マナはぼんやりと天井を見つめていた。



第三章 「秋、真実の光」

ある、土曜日の午後、マナは木製のベンチに座って、
ぼんやり辺りを見回していた。
国立の自然公園の遊歩道の途中の休憩所、といっても
小さな広場があり、ベンチが四脚ほど置いてあるだけであるが、
そこにマナはいた。
ブラウンのコートに手編みの帽子をかぶって、
脇に布のかばんを置いている。
そこから、二本の木の棒が突き出ている。
休憩所の当たりには背の高い落葉樹が植えられており、
それらの木々の散らした葉がたくさん舞い散り、地面に降り積もっている。
今もマナの目の前を大きな葉がくるくると回転しながら、地面に落ちる。
マナはコートの裾を合わせ、ふうとため息をつく。
周りには人影はなかった。
天気もさほどよくはなく、雲が低く立ち込めていた。
一陣の風が舞い、降り積もっている木の葉を巻き上げる。
マナは視線を目の前の一本のイチョウの木に向ける。
その木の葉はまだ、散り始めたばかりであり、
黄色の葉が枝いっぱいに付いていた。
次にマナは視線を遊歩道に向ける。
向かって左側が、進行方向になっている。
そちらは背の高い針葉樹が植えられている。
右側にはイチョウが植えられている。
また風が吹き付け、木の葉を踊らせる。
マナは空を見上げる。
天気の悪さは相変わらずだ。
今にも雨か雪が降りそうだった。
「どうしようかな?」
そうつぶやくマナ。
しかし、誰も返事をしない。
散った葉が、地面に落ちる音が聞こえる。
しばらく、瞳を閉じ、何かを考えるマナ。
と、マナの組んだ手の上に落ち葉が降ってくる。
「…」
マナはその葉を手に取り、しげしげと見つめる。
そして、地面にその葉を置く。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
マナは立ち上がり、イチョウが植えられている
右手の道に向かい、歩きはじめた。

シンジは部屋から、窓をぼんやり見つめていた。
部屋の中は奇麗に整頓されている。
ふと、机の上に視線を向けるシンジ。
そこには写真立てが置いてあった。
ベッドから降りて、机の写真立てを手に取るシンジ。
そこには、シンジと一人の女の子が並んで立っている。
二人で撮った最後の写真。
「…」
シンジはその女の子の名前を小さく囁く。
この名前はずっと忘れないだろう。
「僕はどうすればいい?」
そう写真に向かって尋ねる。
「もし…そうだったら、僕はどうすれば…」
写真は何も答えない。
しかし、シンジは何かを感じたようだ、少し苦笑して呟く。
「結局、僕次第なんだね…
分かってるよ、いつも君はそう言ってたね。」
シンジは写真立てを机に置く。
そして、アルバムを手に取る。
そのアルバムは今年の四月からの写真が収まっている。
クラスの集合写真。
修学旅行、キャンプ。
海、体育祭、文化祭。
いろいろな写真があった。
ひとりで写っている写真はなく、
全て、誰かと一緒にとってもらったものばかりだ。
シンジは一人で写真を撮ってもらうのが嫌いで、
誰かと一緒に撮ってもらっていた。
トウジ、ケンスケと一緒の写真が何枚かある。
そして、一番多いのはマナとの写真だった。
特に、夏の終わりに二人で行った海の写真。
撮ってくれた人が上手だったのか、
その写真は奇麗に撮れていた。
少し、緊張してはにかむシンジと
いつもの笑みを浮かべているマナ。
写真を撮ってくれた人が、微笑ましいカップルだね
と言っていたのを思い出す。
シンジはアルバムからその写真を取り出した。

放課後、シンジは階段をゆっくりと登っていた。
階段の行き止まりには屋上へ通じるドアがあった。
シンジはゆっくりとした動作で、ドアを開ける。
屋上には、一本の落葉樹が立っていた。
その木の葉は全て散り、幹と枝だけになっていた。
ゆっくりとその木へと歩いていくシンジ。
屋上には人影はなく、
全てのものが夕日でオレンジに染め上げられていた。
ドアから二十歩も歩いただろうか、
シンジはその木の前に立つ。
そして、幹に手を触れる。
ざらざらとした表皮を触り手を放す。
一陣の風がシンジの体を刺す。
風は木枯らしといっていいほど、冷たいものだった。
少しだけ、身を竦めシンジは夕日を見て、手すりまで歩いていく。
そして、手すりにもたれて、夕焼けの空を見詰める。
オレンジの空、雲、木々。
シンジの顔もオレンジに染まる。
「シンジ。」
その声にシンジは振り向かないで答える。
「どうしたの?マナ。」
マナはゆっくりと、夕焼けを見ながら、
シンジのいるところまで歩いてくる。
「すごい、夕焼けね。」
「そうだね。」
「何点ぐらい?」
シンジはふっと笑みをもらす。
「75点」
「私は90点かな?」
マナはシンジの隣に来る。
「そうなんだ、いい点数だね。」
ゆっくりと顔を伏せるマナ。
そして小さな声でつぶやく。
「一緒にいるから…」
「うん?」
シンジはマナの顔を見る。
シンジの顔を見てにっこりと微笑むマナ。
「一緒にいるから。シンジと。」
その言葉に微笑みかえすシンジ。
「…好きだよ、マナのそういうところ。」
「ありがと。」
陽が沈んでしまって、ゆっくりと辺りが暗くなる。
吹き付けた風に二人は身を竦ませる。
「…寒いね。」
「うん。」
それでもその場を離れない二人。
「帰らないの?」
「うん。もう少しだけこうしていたいんだ。」
「そう…。」
「先に帰ってもいいよ。」
「ううん。一緒にいる。」
”一緒”の部分を強調してマナは微笑む。
「そう。」
シンジはそれだけ答えて、視線を元に戻す。
そのシンジの表情を見ていたマナは、
ふいにシンジを後ろから抱きしめる。
「どうしたの?」
シンジは不思議そうに背中の方を覗き込み尋ねる。
「…」
マナは答えない。
「どうしたの?」
繰り返し尋ねるシンジ。
「この…シン…絶対…から。」
シンジの耳に顔を寄せて小さな声でマナは囁いた。
その言葉を聞いてシンジの顔が強張る。
「嫌だよ。私を一人にしないで。」
更にマナは囁いた。
「そんな事したら、私、絶対許さないから。」
シンジはうつむいた。
自分を抱きしめているマナの手が見える。
小さな手だ。
白くすらりと伸びた指がきれいだ。
そう、あの時の…
そこまで考えて、シンジはその思いを振り払う。
「ごめん…」
そして顔を上げる。
「でも…僕は…」
マナはシンジをぎゅっと抱きしめる。
「それ以上言わないで。」
低くだがはっきりとマナは押しとどめる。
「それ以上は…お願い…」
語尾が小さくかすれる。
「少しでも、私のこと思っていてくれるなら…」
「ごめん…」
そう、あの子とマナのために…
シンジは自分の手をマナの手に重ねる。
そして二人はそのまま立ち続けていた。

その部屋は暗闇に包まれていた。
窓のカーテンは開けられ、月光が薄く差し込んでいる。
マナはベッドの上に膝を立てて顔を伏せて座っていた。
MDデッキからは低く女性ボーカルの声が流れていた。

やっぱり私じゃ、だめなのかな?
あの人を忘れさせられないの?
あの人を思い出にはさせられないの?

マナの瞳から涙が零れる。

そう。
駄目なの。
シンジはあの人を忘れる事はできない。
だって…
あの人がいて、初めてシンジはシンジにだったのだから。

私にはもう何もできない。
いくら私がシンジのこと想っても、
この想いは届かないのかな…

そう、ずっと…

マナは膝を抱えて泣き続ける。

どうしてシンジを好きになったのかな。
好きにならなければ、
こんなに苦しまずに済んだのに。
シンジに出会わなければ、
こんなに苦しまずに済んだのに。
こんなに泣かずに済んだのに。
もっと違う日々が遅れたかもしれない。
そう、他の誰かを好きになって、
その人とずっと一緒に過ごしているかもしれない。
その方が幸せだったかもしれない。

でも…

私は出会ってしまった。
そして、私を見て欲しいと思った。
ずっとそばにいたいと思った。
シンジの助けになりたいと思った。

シンジを好きだから。

マナは顔を上げる。

シンジ、わかってる?
私はこんなにシンジの事好きなんだよ。
ずっと、シンジのこと想ってるんだよ。
わかってる?
いつも夜はこうやって、
シンジのこと考えて。
泣いて。
どうすればいいのか迷って。
そうやって過ごしてるの知ってる?

マナはにっこりと笑みを浮かべる。

でもね…
もう疲れた…
シンジの事ばかり考えて…
だって、いくら私が頑張っても…
シンジは…
あの人のことばかり考えてて…
今日だって…
私には分かってるんだから。

もう認める事にするよ。
私はあの人よりも
シンジのこと好きじゃないんだって。

それで、私はもうシンジとは終わりにするの。
そうすれば、楽になれる。
全てを忘れられる。
二人の関係は友達に戻るの。

それが一番いいの…

ふるふると首を振り、
自分の肩を抱きしめるマナ。

そうしないと、私壊れちゃうから…
この胸の痛みで壊れちゃうよ…
どうにかなっちゃいそうだから…

ねぇ、シンジ…
いいよね…
それで…
私がいなくなっても…
大丈夫よね…

シンジはぼんやりと窓から外の風景を眺めていた。
グランドには人影はない。
テスト前で、クラブ活動は休止になっていた。
放課後、もう三十分は過ぎたであろうか。
教室の中にも誰もいなかった。
シンジはずっと、席に座ったままだった。
そして、先ほどの出来事を反芻していた。
「もう駄目なの。」
マナはそれだけ言った。
シンジにもそれだけでマナが何を言おうとしているのか分かった。
「…ごめん。」
シンジもそれだけしか言えなかった。
でもマナにはそれで、シンジの言おうとした事は伝わったようだ。
この数ヶ月ずっと一緒にいた二人だから。
こういう日が来るのではないかとシンジは考えていたが、
やはりその日は来てしまったらしい。
当然といえば当然だ。
自分は彼女に何もしてあげなかった。
彼女が示してくれた好意にすがっただけだ。
彼女は僕に何を期待していたのだろう。
こんな抜け殻の僕に。
ずっと、何も出来ないでいた僕に。
そして…
自分の本心を認めようとしなかった僕に。
僕は…
そう、マナのこと…
しかし、シンジは首を振る。
もう終わったんだ…
今更それは言えない。
彼女のために…
そう、終わったんだ。全て。
シンジは立ち上がると、かばんを置いたまま、教室を出た。

屋上。
やはりここにも人影はなかった。
まっすぐに手すりに歩み寄るシンジ。
そして手すりをじっと見詰めるシンジ。
ずっと、考えていた。
どうしてマナは僕の事が好きなのだろうと。
どうして僕はマナを疎ましく思わないのだろうかと。
手すりを乗り越え、校舎の端に立つシンジ。
一歩踏み出せば、全てが終わる。
全てを忘れる事が出来る。
彼女の元へと行く事が出来る。
そう、それこそ自分が求めていたものではないか。
全てからの開放。
でも、本当にそれが僕の望みなのか。
彼女が僕にたくした望みなのか。
シンジは視線を上げる。
真っ赤な夕日が見える。
「今日の夕日は何点なんだろう。」
ふいに、その言葉を呟く。
そう、僕は臆病だっただけだ。
真実から目をそらしていただけ。
思い込んでいただけなんだ。
彼女がいなければ生きていけないと。
「シンジ。」
背後から声をかけられ、シンジ微笑み、思った。
やっぱり、君は良いタイミングで現れるよ。
そして、いつも僕を助けてくれた。
だから、僕は君を…
ゆっくりとシンジは振り向く。
そこには予想通り、マナが立っていた。
一瞬、強く吹き付けた風にマナの髪が揺れる。
風をやり過ごす間、瞳を閉じる。
そして、開かれる瞳。
そう、この瞳に僕は…
まだ、間に合うのだろうか。
僕の過ちを正す事は出来るのだろうか。
「シンジ。」
もう一度名前を呼ぶマナ。
そして、ゆっくりと、シンジがいる手すりに歩いてくる。
シンジの顔は逆光で見えなかったが、
歩み寄っていくと、シンジが微笑んでいるのがわかる。
「シンジ?」
しかし、シンジの瞳は涙を溜めている。
今にも零れそうな涙。
と、シンジがゆっくりと話し出す。
「ずっと、僕は考えてた。」
シンジの声が少し震えていた。
マナはじっとシンジを見つめる。
沈んでいく夕日が一瞬強い光を放つ。
「どうして、僕はマナのこと疎ましく思わないのだろうかって。」
ゆっくりとマナは手すりまで歩み寄る。
そして、手すりを握っているシンジの手に自分の手を重ねる。
シンジの手は暖かかった。
このぬくもりをずっと感じていたい、そう思わせるような。
「ずっと前から分かっていたんだ。ただ自分が認めたくなかっただけ。」
少し、目をそらすシンジ。
そして、小さくため息を付いて続ける。
「マナのこと好きだって。」
その言葉とともにシンジの瞳から涙が零れる。
涙は頬を伝って、コンクリートの床に落ち、小さい染みを作った。
「でも、僕は恐かった。その気持ちを認めてしまうと、
自分自身を否定しそうで。」
ゆっくりと、握っていた手を放し、
指で頬を伝うその涙をぬぐうマナ。
「私もシンジに話したい事があるの。」
その声は穏やかだった。
そう、あの時の彼女のように。
「ずっと、思ってた。シンジがあの人を忘れるにはどうすればいいかって。
でも、それは無理で、本当は忘れさせるんじゃなくて、それを含めて、
シンジのこと好きでいてあげなきゃいけないって。」
すこしはにかんで、笑みを受かべる。
それは見る者全てを暖かい気持ちにさせる笑み。
「それが、私が好きになったシンジなんだって。」
手を重ねる。
「マナ…」
「私、シンジのこと好き。」
うつむき呟く。
「この気持ちはずっと変わらないから…」
沈黙が降りる。
そして、再びマナが顔を上げる。
夕日の残光をうつして、瞳がきらりと輝く。
シンジは手すりを乗り越えマナの隣に立つ。
その胸に飛び込むマナ。
「ずっと側にいるから。」
シンジはマナの髪を優しくなでる。
「ありがと。」
そして、マナは囁いた。
「シンジは一人じゃないよ。それを忘れないで。」

最終章 「冬、恋の行方」


「そろそろ時間だね。」
厚手のコートにジーンズ姿のマナがシンジの方を見る。
星座板で位置を確認していたシンジは時計で時間を確認する。
二人は南の空が見渡せる丘にやって来ていた。
シンジが来ているセーターはマナがシンジにプレゼントした物だった。
何ヶ月も前からクリスマスに向けて編んだ物だったが、
残念ながら、クリスマスには一週間ほど間に合わなかった。
「うーん。ま、流れ星は時間を守ってくれるのかな?」
「でも、そろそろ始まるんじゃないの?」
双眼鏡に目を当てて、マナは流星を捜し求める。
「あっ!光った。」
マナは叫ぶ。
「そろそろ始まるみたいだね。」
丘の上に敷いたシートの上に座り、寝転がるシンジ。
「シンジだけずるい。」
マナも慌てて、シンジの横で仰向けに寝転ぶ。
土の乾いた匂いがする。
目の前には、きらきらと瞬く星空があった。
周りにいた人達も、それぞれ、流星を見る体勢に入ったようだ。
「ほら、あそこが輻射点だよ。」
シンジが空の一角を差す。
「何それ?」
「流星が降ってくる時にそこを原点として、放射状に軌跡を描くんだ。」
「ふーん。」
と話している間に、どんど流星が流れはじめた。
「なんか、いっぱい降ってきたよ。」
まるで、降るかのように、何十もの流星が、軌跡を描き、
そして消えていく。
「流星雨っていうの分かる気がするね。」
「そうだね。」
しばらく黙ったまま、流星が降るさまを見つめる二人。
「ね、シンジ。」
「なに?」
「光ってる星ってみんな太陽と同じなんだよね。」
「そうだよ。」
「じゃあ、この星みたいに生き物がいる星ってあるのかな?」
シンジはマナの方を見る。
マナは空を見たままだ。
「あると思うよ。たぶん。」
「じゃ、同じように、この流星を見ているのかな。」
「そうかもね。」
「ふーん。」
それきり、マナは黙ってしまう。
「ね、前から聞こうと思ってたんだけど。」
しばらくしてまたマナが尋ねる。
「うん。」
「どんなひとだったの?」
しばらく、沈黙するシンジ。
「一緒にいると、安心できたんだ。彼女といる時の自分が、
本当の自分だって思えるくらいに。」
「そう…」
もう、どれくらい時間が経ったのだろう。
姿を見せる流星の数はぐっと減ってきていた。
帰り支度を始めている人々もいる。
「ね、シンジ。」
シンジは夜空を見上げたまま答える。
「なに?」
「私、頑張るから。」
そっと、シンジの手に自分の手を沿えるマナ。
「彼女に負けないくらいに…」
「ありがと。」
マナの手を握りかえすシンジ。
シンジにはそのぬくもりが何よりも大切に感じられる。
今はまだ思い出にできない。
でも、いつか、きっと…
二人は夜空を眺め続けていた。


End.







NEXT
ver.-1.00 1998+11/04公開
ご意見・ご感想は sugimori@muj.biglobe.ne.jp まで!!





あとがき

ども、TIMEです。

部屋30000HIT記念
「時が終わるまで」はいかがでしたか。

タイトルに書いてるように、この話は、
もともとめぞんのミリオンヒット用に書いてたものですが、
間に合わなくて、今回部屋30000HIT記念ということで一部修正し、
公開する事にしたものです。

展開的にはかなり迷ったのですが、
いつも通りに収束させる事にしました。
#たぶん、私の作品を読んでくださる方々の期待に
#添う形なったと思うのですが、どうでしょうか。

あと、ここ一ヶ月ほど、更新しなかったものですから、
心配していただいてメールを何通か頂きました。
別に病気していた訳ではありません。
仕事でずっと出張だったもので、
下書きみたいな物はいくつかは書きましたが、
作品として、完成させる暇がありませんでした。
#ノートPCなんて高級な物持ってませんし。

次は40000ヒット目指して頑張るわけですが、
それまでには今の連載にメドをつけて、
次の連載を始めていたいですね。

最後に、

全然更新のペースが落着かない作者の作品を読んでくださっているみなさん。

また、発表の場を与えてくださった管理人さん。

作者にインスピレーションを与えてくれたさまざまな作品に。

尽きない感謝と、ありがとうの言葉を捧げます。




 TIMEさんの『時が終わるまで』 、公開です。





 うう〜ん

 うむむ〜ん

 LOVEだっ
 LOVEなのらぁ



 シンジくんとマナちゃんの『愛の軌跡』だぁ(^^)



 病気で死んじゃったアノコってのは、やっぱり、なのかな?


 そのこのためにも進むんだ、シンジ。

   って言うは易し。



 でも、
 マナちゃんがいれば、
 このマナちゃんがいれば、


 だいじょぶ大丈夫、


 うんうん。




 時間と季節が、二人のために。





 さあ、訪問者の皆さん。
 部屋30000を刻んだTIMEさんに感想メールとお祝いメールを送りましょう!





TOP 】 / 【 めぞん 】 / [TIME]の部屋に戻る