「永遠に失われた」
"The Lost One"
TIME/98
シンジはその日も彼女の病室にやってきた。
いつもの時間に、いつものようにドアを開けて微笑む。
「こんちわ。来たよ。」
彼女の顔はシンジを見るとぱっと輝く。
うれしそうに微笑む。
その笑みはまるで、ひなたのように暖かい。
シンジはベッドの側に座り、彼女の手をそっと握る。
冷たいような、そして、どこか熱を含んでいるようなぬくもり。
でも、シンジは彼女の手を握ることをやめなかった。
それが彼女が生きていた証だから。
「今日はね…学校で…」
学校であったことを彼女に聞かせるシンジ。
また、彼女も学校での出来事を知りたがった。
ときおり、クラスメートからの伝言を預かったり、
彼女からの伝言をクラスに伝えたりする。
そして、一通り話がすむと、二人は黙って面会の時間が終わるまで
ずっと、手を握って座っている。
彼女の両親は面会終了時間間際にやってくる。
両親はふたりに気を利かせているようだった。
まして、彼女が望んでいることを邪魔するつもりはなかった。
もう、彼女の時は尽きかけていたから。
いや、もう尽きていたのかもしれない。
後になって、シンジはそう考えるようになった。
三ヶ月と言われた命が半年以上続いたのは、
二人の絆があったおかげだと。
シンジが帰るまでの二、三時間。
二人の会話はほとんど無い。
そして、面会終了時間にシンジは帰っていく。
その時の彼女の表情。
シンジは忘れることができない。
もしかしたら、彼女の明日はないかもしれない。
彼女の表情にその恐怖を見て取る。
明日には会えないのではないか。
もちろん、自分の命が尽きることで。
しかし、シンジは彼女を優しく抱きしめこう言う。
「じゃ、明日必ず来るから。待っててね。」
それで、彼女も笑みを浮かべてこっくりとうなづく。
そして、約束通りに翌日もシンジはやってくるのだった。
「碇シンジ君ね…よろしく。」
彼女は僕の隣の席にすとんと座る。
僕は彼女の髪がふわりと揺れ、落ち着くのに心奪われる。
彼女は僕の表情を見て不思議そうに首をかしげる。
そのしぐさも僕の目を引く。
「どうかした?」
僕は慌てて首を振る。
彼女はそんな僕の様子を見て、くすりと笑う。
そして、満面の笑みを浮かべる。
僕を手招きする彼女。
なんだろ?
僕は彼女に顔を寄せる。
彼女からいい香りがする。
何の香りだろ?
一瞬そんなことを考えた。
「もしかして、碇君…って…」
そして、彼女顔をぐっと寄せてくる。
僕は反射的に身を引く。
それを見て、納得したようにくすくす笑う。
そして、僕の顔をじっと見詰める。
「…やっぱり。女の子が苦手?」
「え、そ、そんなことないけど…」
慌てて答えるが、彼女はさらにくすくす笑い続ける。
おかしそうにお腹を押さえて笑い続ける。
「もう、そんなにおかしいかな?」
僕もつられて笑顔になって尋ねる。
彼女はなんとか笑いをこらえて答える。
「ごめん。あまりにも反応が予想通りだったから。」
そして、涙をぬぐうと、僕にウィンクして見せる。
それだけで、僕の心臓はどきどきする。
「でも、好きよ。そういう人。」
「へ?」
僕は彼女が何を意図してそんなことを言ったのかわからなかった。
「なんでもなーい。」
彼女はそう言って、にっこり微笑む。
「シンジのこと好き。」
彼女はそれだけ言うと、恥ずかしそうにくるりと向こうを向く。
紙が風にふわりと広がる。
そして、それが収まるのを待ったように、彼女が口を開く。
「それだけ、アタシが言いたいのは…それだけ。」
彼女はうつむく。
僕は、彼女のことを…
彼女の肩を抱く。
好きだったんだ…
彼女の耳元に囁く。
「僕も好きだよ。」
彼女は肯くだけ。
それは、彼女が泣いているからだと、僕は知った。
「ね、シンジってこんなに暖かかったんだ。」
彼女は僕の胸で深く息を吐く。
波の音が静かに聞こえる。。
月の光が二人を浮かび上がらせる。
吹き付ける風は二人の身体を通り過ぎていく。
空には満天の星空。
そして、僕たちは…
「すごく暖かい。」
彼女はそれだけ言う。
僕も肯くだけ。
そう、もう二人の時は帰ってこない。
彼女の命は…
彼女が少し身じろぎする。
「ごめん。少し苦しいよ。」
強く抱きしめてしまったようだ。
僕は腕の力を抜く。
彼女は安心したようにほっと息をつく。
彼女は…
本当に…
僕を置いて行ってしまうのだろうか…
その思いに胸が痛む。
今…
ここにいるのに…
こうして、呼吸をして…
生きているのに…
僕の腕の中で…
生きているのに…
どうして?
彼女が…
いなくなってしまう…
本当だろうか…
だとすれば…
僕は…
どうすれば…
残された時間は…
あとわずか…
その時間を…
どうすれば…
「ね、シンジ。」
彼女が顔を上げる。
「このまま、時が止まればいいのに。」
囁くように彼女は言う。
本当に…
そうなればいいのに…
そうなれば…
彼女はずっと…
僕の側に…
僕は答えることができなかった。
「どう?体の調子は?」
前を歩く彼女にさりげなく声をかける。
でも、声が少し震えていた。
「うん。結構大変よ。」
彼女はおかしそうに、僕の方を見て答える。
包み隠さず、僕に話してくれる。
多分、僕に覚悟をさせるためだろう。
でも彼女は覚悟できているのだろうか?
自分の存在が無くなってしまうことに対して。
僕は…
まだ…
諦められない。
「でも、いいよね。三ヶ月だって言われたのに。
まだ、こうやって散歩できるんだから。」
「そうだね。」
僕はそこに救いを見出していた。
もしかすると、このまま、良くなって元気になるかも。
「でも、多分…外に出るのは…」
彼女はうつむく。
風が彼女の髪を巻き上げる。
そして、言葉を続ける。
「最後だと思う…」
「どうして?」
こんなに元気なのに。
入院した頃に比べれば、少しやせているが、
それでも、瞳の輝きや、髪のツヤはそのままなのに。
「隔離病棟に明後日移るの。」
「…そんな。」
彼女は大きな木の幹にもたれかかる。
そして、辛そうに息をつく。
彼女は顔を上げて、僕を見る。
「だから、もう会いに来ないで。」
「いやだ。」
そんなのは嫌だ。
世界中の誰が反対しようと僕は嫌だ。
今、彼女と離れるなんて、絶対嫌だ。
「僕は君の側にいる。」
「でも。」
「何があっても、離れない。」
「…」
僕は彼女を抱きしめる。
こんなに華奢になってるなんて。
僕は驚きとともに納得してしまった。
彼女の命はもう尽きかけていると…
でも…いや、だからこそ、僕は彼女と一緒に居たい。
最後まで一緒に居たいんだ。
彼女はそろそろと僕の背中に手を回す。
「初めてね…シンジがこんな言い方するの。」
「僕は嫌だ。君と一緒にいる。」
そして、僕の瞳を見つめる。
僕も彼女の瞳を見つめる。
そして、彼女は諦めたように、首を振り、
ため息をつく。
「…わかった。一緒にいて。」
その日の数日前から、彼女意識を遠のく時間が増えていった。
そして、彼女の両親は彼女の生命維持装置を外すことに同意した。
彼女がただ一言、
「アタシ、行くわ。」
そう言ったからだ。
シンジもその場に居合わせた。
すべての機器を外されたあと、
彼女はゆっくりと手を上げて、シンジを招き寄せる。
シンジ…
そんな悲しい顔しないで…
ゆっくりと右手を上げる。
シンジは両手で包み込むように握ってくれる。
暖かい…
ずっと、このままでいて欲しい…
ね、アタシ…ね…
シンジのこと、好きだった…よ…
今まであった人の中でいちばん…
ずっと、シンジの側にいたかった…
でも、もう駄目みたい…
ごめんね…
シンジ…
彼女は口を少しだけ開いて、何か囁こうとしている。
顔を寄せるシンジ。
彼女はその耳元に小さく囁く。
もし二人が生まれ変わったら…
住んでる国が違っても…
信じる神様が違っても…
人種が違っても…
絶対私はあなたを選ぶから…
そして、小さく息を吐き出す。
ありがとう…
彼女はシンジの瞳を見つめる。
シンジも彼女をじっと見つめて、記憶に彼女の姿をとどめようとした。
しかし、涙があふれて彼女の表情が良く分からない。
零れた涙が頬を伝い、彼女の頬に落ちる。
彼女はにっこりと微笑み、
そして、
瞳を閉じた。
握り締めた手がするりと抜けていく。
彼女の時は尽きた…
シンジは病院から出た。
そして、駆け出す。
敷地内には小さな林がある。
木々を抜け駆けるシンジ。
と、つまづきシンジは倒れる。
涙が止まらない。
彼女は…
行ってしまった…
僕を置いて…
僕はどうすればいい?
この気持ちは何処にいけばいい?
彼女に対する想いは何処に行けばいい?
彼女を誰よりも好きな僕のこの想いは?
彼女がいないこの世界で僕はどうすればいい?
何も変わらない日常。
いつものように人々は生活し、
木々は成長し、
全てが今を生きている。
でも、彼女はもういない。
僕の大切な人はもういない。
すべて、終わってしまった。
僕には何ももう残っていない。
彼女ともっと一緒にいたかった。
したいこともたくさんあったのに…
どうして…
僕を…
一人にして…
君は…
行ってしまうの?
好きだった…
髪を揺らして振り向くしぐさも…
首をかしげるしぐさも…
はじけるような笑顔も…
からかった時のはにかむ表情も…
僕の名前を呼ぶ時の嬉しそうな表情も…
怒った顔も…
涙を溜めた瞳も…
全て…
好きだった…
彼女が僕の側にいてくれればそれで良かった。
それ以上に何も望まないのに。
神様はそんな願いさえ聞いてくれないのか。
どうして?
どうして彼女が…
シンジはゆっくりと顔を上げる。
目の前には大きな木が立っている。
そう、その木の前で彼女と約束したのに…
約束したのに…
ずっと一緒にいるって…
僕は約束したのに…
どうすればいい?
僕はどうすればいい?
誰か教えて…
僕は…
どうすれば…
シンジは声を殺して泣き続けた。
数日後。
とある墓標の前にシンジは立っていた。
その墓標には彼女の名前が記されている。
持っていた花束をゆっくり置くシンジ。
そして、かすれるような声でささやく。
「ひさしぶり。もう4日になるね。まだ信じられないよ…」
シンジの瞳に涙が浮かぶ。
ゆっくりと首を振る。
そして、懐から一つの便箋を出す。
差出人の名前をじっと見詰める。
それは彼女の名前。
彼女の名前が涙でにじむ。
「まさか、君から手紙が来るなんて…ね。」
その手紙の封は切られていなかった。
シンジは視線を墓標に移す。
「僕はどうすればいい?」
黙ってシンジは墓標を見つめる。
まるで、彼女が何か答えを返すのを待っているかのように。
そして、一陣の風がシンジを包み込む。
風が吹き抜け、急に口元をほころばせるシンジ。
「そうだね。決めるのは僕だ。」
そして、手紙をポケットにしまってしまう。
「これは、その時が来たら読むことにするよ。」
そう、気持ちの整理がついた時にね。
今はまだ、そんな日が来るとは思えない。
この思いを引きずってずっと生きていくのだろうと思う。
でも、もしかすると…
シンジは立ち上がり、その場を去った。
あとがき
ども作者のTIMEです。
部屋40000ヒット記念「永遠に失われた」はいかがでしたか。
このお話は30000ヒット記念「時が終わるまで」のサイドストーリーです。
マナと出会う直前のシンジと彼女のお話を書いてます。
今回も「彼女」という表現で誰か特定してませんが、
それは読者の方の御想像にお任せします。
30000から40000は早かったですね。
次の50000ヒットも早いうちに達成したいですね。
今年の更新はこれで終わりです。
年明けはTimeCapsuleから更新します。
では皆さん、良いお年を。