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「お帰りなさい。父さん、母さん。」

その日。
シンジはゲンドウとユイを迎えに空港に来ていた。
マナはその時間は病院の診察で別行動だ。
ハワイに行っていた二人が帰ってくる。
ただ、マナの両親はまだ帰って来ない。
しかし、そのことに関して、マナはシンジにただ一つだけ告げた。

「家族だから大丈夫だよ。」

シンジには彼女が言いたいことがよくわかった。
だから、それ以降、そのことをマナに尋ねなかった。
この時もシンジはゲンドウとユイにその事を尋ねることはしなかった。
久しぶりに家族が顔を合わせたため、外食することになり、タクシーで三人は移動する。
マナには連絡して、お店で待ち合わせることになっていた。
ゲンドウ、ユイ、シンジ順に座っていたが、ふいにユイがシンジに顔を寄せて囁いた。

「で、どうだったの?」

シンジはいぶかしげにユイを見て答える。

「何が?」

「二人っきりの新婚生活は?」

「って、別に何も…」

そう答えるシンジにゲンドウが告げる。

「情けない。せっかく私達がお膳立てしてやったというのに。」

「って、まさかそれだけのために、帰国を遅らせたの?」

ユイがくすりと笑みを浮かべて告げる。

「いいえ、私達もたまには息抜きをしたかっただけよ。」

その彼女の、とても息子がいるとは思えない無邪気な笑みを見て、
シンジは大きくため息をついて告げる。

「はいはい、そういうことにしておくよ。
まったく、マナにはなんて言えば良いんだ。」

そして窓の外に視線を向ける。
まさか、本当のことではないだろうが、
それでもこの両親だけにありえてしまうのが怖い。

「別に何も言わなくてもいい。」

落ち着き払った表情で、そう答えるゲンドウ。
それを見て、シンジは軽く肩をすくめて見せる。

「はいはい、そうだね。」

「返事は一回で良い。」

ゲンドウのその言葉に、シンジはまたしてもため息をついた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Time Capsule
Written by TIME/01
 
 
 
 
 

第49話
思い出
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「おっはよー、シンジ。」

「おふぁよ。」

ダイニングに入ってきたシンジは、マナの挨拶にあくびで答える。
そして、寝ぼけた表情で椅子に座りテーブルに突っ伏す。

「はぁ、眠い…」

「うん?寝不足なの?」

そのマナの声にゆっくりと顔を上げて、彼女の方を見るシンジ。
そして、彼女の服装を見て、寝ぼけ眼が見開かれる。
マナがいつものブラウスの上にジャケットを着ていた。
その理由に気付き、小さく頷くシンジ。

「そうか…今日から冬服だっけ?」

「そうよ。どう?似合う?」

シンジの前でくるりと一回りするマナ。
スカートの裾がふわりと舞う。
そして、マナは小さく首をかしげて見せる。

「うん、いいんじゃないかな?」

そう答えるシンジに、マナはぷっと頬を膨らませて答える。

「何か、てきとー。」

「いや、別にそんなわけでは…」

そこまで言って、シンジは部屋の中を見渡す。
ダイニングにはまだゲンドウは現れていない。
ユイはキッチンで朝食の準備に忙しそうだ。
TVから流れるニュースで多少の声は消されてしまうだろう。
そして、小さな声でシンジはマナにこう告げた。

「…似合ってるぜ、ハニー…」

そのシンジの言葉に、マナはきょっとんとした表情を浮かべて、まじまじと彼を見つめる。
シンジの方は耳まで真っ赤になっていた。
そして、マナはにっこりと満面の笑みを浮かべる。
彼がどうしてそんな言葉を告げたのか思い当たったから。

「うん、ありがと、シンジ。」

そして、顔を寄せて、シンジの頬にキスをする。

「そんなこと覚えていてくれるなんて、ちょっと嬉しいぞ。」

「そ、そうかな。」

照れて頭を掻くシンジ。
しかし、少しだけ真面目な表情でマナは告げる。

「でもね。」

「うん?」

「そのまま言うなんてかなり恥ずかしいよ。」
 
 
 
 
 

「どう?様子は?」

ユイは部屋から出ていくマナを見送ってから、囁くように彼に尋ねた。
彼はマナの主知医であり、アヤが交通事故に遭った時の担当医でもある。
もちろん偶然ではない、彼自身が申し出て担当医となっている。
それにはゲンドウ達の根回しもあった。
その彼は軽く肩をすくめて、カルテに何かを書きつけながら答える。

「現状は安定しています。
この時期の患者にしてはまだ健康体な方です。
しかし、それは使用許可がやっと下りた、
新薬が効いているのか、それとも他の何かあるのかは不明です。
このままで様子を見るしかないですね。」

「そう…、それが一番ね。」

ユイはとりあえずは安心したのか、小さくため息をつきながら頷く。
その彼女を見て、彼も小さくため息をついて告げる。
しかし彼の場合には安堵ではなく、不安のため息だった。

「ところでアレの方ですが、明日から設置作業が始まります。
場所はC棟の地下です。そこがいろいろと都合が良いそうで。」

しかし、彼はそのことにはあまり興味がなさそうな口調と表情だった。
それを見て、ユイは口許に小さな笑みを浮かべて尋ねる。

「あなたは信用してなさそうね。あのシステムを。」

「ま、普通の医師ならそう思うのが普通でしょう。
自分がカヤの外ですからね。」

彼が小さく肩をすくめて答える。
ユイはそんな彼の肩を優しく叩いて、立ち上がる。

「大丈夫よ。あなたが治療できれば、使わないものなのだから。」

今度は苦笑を浮かべて、彼は立ち去ろうとするユイの後姿に声を掛ける。

「ずいぶんとプレッシャーをかけてくれますね。」

「そんなことないわ。本当に感謝しているわ。
これに立ち向かうことができる医師は本当に少ないのだし。」

それだけを告げると、彼女は部屋から出て行った。
その後姿を見送り、彼は何度目かのため息をついた。

「なるほど…」

そう小さく呟き、彼は視線を窓の外に向けた。

「かくして彼女は降り立つ…か。
彼女は私を許してくれるのだろうか?」
 
 
 
 
 
 
 

「何もこんな所に、片付けなくても良いと思うけど…」

シンジはそう文句を言いながら、彼が探すように言われたとある物を探す。
体育倉庫の入り口から見た限りでは、お目当ての物は見当たらない。

「う〜ん、どこにあるのかな?」

シンジは部屋の中を見渡す。
そして、大きな跳び箱の方を向く。
無造作に重ねられているマットの上に乗り、跳び箱の向こう側を覗き込む。

「ここにもないなぁ。」

と、そんなシンジの背後から声がした。

「シンジ、見つかった?」

振り返ると、マナが入り口からこちらを覗き込んでいる。
いつもと違って髪をまとめているせいか、いつもと違う雰囲気がする。

「まだ検索中だよ。」

「じゃあ、私も手伝おっか?」

そう告げて、マナがシンジの傍にやってくる。
シンジが振り返り、声を掛ける。

「気をつけて。」

「うん…と。」

マットの上に登り、シンジとは逆の方を覗き込むマナ。
シンジはマットから降りて、さらに奥に向かう。
跳び箱の向こう側にもさらにマットが敷かれている。

「ホントにあるのかなぁ?」

足元を確かめながら、壁際に立っている棚をそれぞれ見て回るシンジ。
そして、マナが立っている場所に戻ろうとする。
その時、彼女が足を滑らせて姿勢を崩してしまった。

「きゃ!」

とっさにシンジはマナの体を支えようと手を伸ばす。
ちょうど、シンジの方に倒れこむように、マナは倒れてしまう。

「うわ!」

シンジはなんとかマナを支えて、マットの上に倒れこむ。
舞い上がる埃。
しばしの沈黙。

「…シンジ。」

「う、うん…大丈夫。」

シンジは軽く首を振ってから瞳を開ける。
と、目の前にマナの顔が。
マナがシンジに覆い被さるように寄りかかっている。
思わず見詰め合う二人。

「マナ…。」

「ごめんなさい。すぐにどくわ。」

「うん…」

しかし、マナはじっとシンジの瞳を見つめる。
そのマナの瞳にシンジの釘付けになってしまう。
二人はそのままの姿勢でお互いの瞳を見詰め合った。
そして…お互いの顔が近づいていこうとしたときに、入り口から声がした。

「お〜い。見つかったかぁ?」

そのケンスケの声に二人は慌てて立ち上がる。
ケンスケが入り口から顔を出してまた告げる。

「どうだ?見つかったか?」

「それがどこにあるのか。」

首を振って、そう告げるシンジ。
マナはケンスケに背中を向けている。
その様子にケンスケは首をかしげる。
そして何かに思い至ったのか、こう告げた。

「もしかして…俺、邪魔だったか?」

「え?」

固まるシンジ。
そこにマナが振り向いて慌てて首を振って告げる。
しかし、その頬は真っ赤だった。

「そ、そんなことないわ。」

「ふうん、ま、それなら良いけど。」

にやりとケンスケは笑みを浮かべて、そして、軽く手を振って告げる。

「せめて、ドアぐらいちゃんと閉めといたほうがいいぞ。」

そして、その場から立ち去るケンスケ。
シンジとマナは顔を見合わせて、お互いに顔を真っ赤にした。
 
 
 
 
 
 

ベランダに出たマナはその人影を見て、小さく呟いた。

「あれ?シンジ…」

時間はすでに深夜の一時を過ぎている。
その時間では、あまり大きな声を出すわけにもいかない。

「あ、マナ…どうしたの?こんな時間に。」

そう尋ねるシンジの隣に立ち、マナは答えた。

「ちょっと星が見たくなって。シンジは?」

「僕も同じ。ちょっと夜風に当たりたくなって。」

そのシンジの言葉に、マナはくすくす笑う。
不思議そうにシンジは彼女の顔を見つめる。
辺りは静かで、風でそよぐ木々のざわめきだけが辺りに響いていた。

「どしたの?」

「ううん、夜風に当たりたいなんて、ドラマか何かのセリフみたい。」

シンジははにかみ頭をかいて答える。

「そ、そうかなぁ?なんとなくそんな気分だったんだ。」

「わかるわ。今の私も同じだから。」

そう告げて、マナは視線を上げる。
今日は雲が少なく、月も出ていないため、星が綺麗に見える。
シンジは彼女の横顔を見つめながら尋ねた。

「どう?身体の方は?」

既に日本に戻ってきて一ヶ月以上が経過している。
マナは定期的に病院に診察に行っている。
一応、シンジはその結果を聞いているが、本人に確かめたかった。

「う〜ん、あまり変わらないわ。
身体がだるい日もあるけど、お薬飲めば楽になるし。」

マナは曖昧な表情で答える。
その表情が何を意味するか、シンジには捉えきれなかった。

「そう…」

降りる沈黙。
しかし、すぐにマナがその沈黙を破る。

「ねぇ…シンジ。」

「うん?」

「最近…」

そこまで告げて、マナは視線を逸らす。
その様子にシンジは首をかしげて尋ねる。

「どうしたの?」

「シンジ…全然、キスしてくれないね。」

その言葉に驚くシンジ。
彼の想像していない方向に話が展開したからだ。
確かに日本に戻ってきてから、数えるほどしかキスはしていない。
でも、それは、得に意識しているわけではなかった。

「え?」

「ちょっと…さびしい…な。」

別にシンジは避けているわけではなく、
自然とそうなってしまったからだったのだが、
それでマナが寂しがっているとはシンジは思っていなかった。

「ごめん。」

そう答えてシンジはマナの方を向く。
マナが潤んだ瞳でシンジを見上げる。
そして、シンジはゆっくりと彼女を抱き寄せる。
まるで壊れやすい陶器を扱うように。
その度に彼女が華奢であることを思い知らされるためだが、
マナはそんな彼の優しさを感じ、嬉しそうに微笑み、自分から彼の胸に飛び込む。
ゆっくりと顔を寄せる二人。
満天の星空の下で二人の影が重なった。
 
 
 
 
 
 
 

「お〜い、ここら辺にしようぜ。」

そのケンスケの言葉に、一緒にいた全員が肯く。
トウジとシンジが持ってきたレジャーシートを広げて、
そこに全員が靴を脱いであがる。

「やっと、メシかぁ。」

そう告げて、トウジが腰をおろす。
輪になって座ると、それぞれが昼食を取り出す。

「はぁ、しかし、三時間も歩きづめなんてそうないよね。」

「秋の遠足はなぜか、歩きなんだよね。」

「春はバス移動なのにね。」

「なんでも、昔は秋の遠足もバスで、その代わり、冬にマラソン大会があったそうだ。」

ケンスケがそう告げながら、カメラ等の撮影機材が入ったバッグを手元に引き寄せる。
シンジは軽く首をかしげて尋ねる。

「ふうん、で、どうしてこうなったの?」

「さあな、何かあったらしいけど、その理由はよくわからないんだ。」

そんなこんなで昼食を取り始める一同。

「でもいい天気で良かった。」

ヒカリが空をふとい見上げてそう告げる。
その言葉に全員が空を見上げる。
雲があまりない空は高く、青く澄み渡っていた。
 
 
 
 
 
 
 

「さて、帰ってこれたな。」

彼は後ろを振り返り、付き添っていた彼女に微笑む。
彼女はその笑みを受けて、こっくりと肯く。

「でも、まだこっちでの準備があるわ。」

空港のロビーまで出て、俺は大きく背伸びをした。
久しぶりの日本。
海外に出かけるなどここ何年かなかったため、思っていたよりも疲れた。
しかし、彼等にはまだやるべきことが合った。
自分達の娘の明日のために。

「いや、なんとかなるさ。博士のサポートも取り付けたし。」

その言葉に、ハワイで何年かぶりに再会した女性のことを思い出したのだろうか、
彼女は一瞬懐かしそうな表情を浮かべて答える。

「あの時、高校生だったのにもう主任なんてね。」

自嘲気味な笑みを浮かべ、彼はしみじみと告げた。

「私達も年を取るわけだよ。」

「えぇ…」

二人は見詰め合う。
そして、どちらからともなく手を握る。

「こうして歩くのなんて、久しぶりのような気がするわ。」

「そうかい?そうでもないと思うがな。」

その彼の答えに、彼女は笑顔を返した。
そして二人は並んで歩き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 

「はぁ…これが…こうで…と。」

シンジはノートに計算式を書き連ね、ぶつぶつと呟きながら、その問題を解いていた。
明日は彼の苦手な数学のテストがある。
しかし、マナに教えてもらった手前、そう悪い点を取るわけにはいかない。
これって男の意地ってやつなのかな?
シンジはふと浮かんだその思いに、苦笑を浮かべる。
でも、わざわざマナが時間を割いて教えてくれたんだから、やっぱりそれに答えないとね。
と、部屋のドアがノックされる。

「はい?」

そう答えたシンジにいつもの声が返ってくる。

「私です。」

そしてドアを開けて顔を出したのはマナだった。

「もう遅いよ。まだ起きてるの?」

マナのその言葉に時計を見るシンジ。
既に深夜の二時を過ぎている。

「そうだね、あと少しだけやったら寝るよ。
もう少しでコツが分かりそうなんだ。」

「そう?」

そう答えて、笑顔を浮かべると、マナは部屋の中に入ってくる。
そして、手近な椅子を引き寄せ、シンジの隣にちょこんと座る。

「じゃ、見てる。」

「え?」

「シンジがどれくらい、私の教えたこと理解してるか見てる。」

机の上に両手をついて、そこに顎を乗せてにっこりと微笑む。
シンジは苦笑を浮かべて答える。

「何か、それってプレッシャーだな。」

「そう?」

小首をかしげてシンジを見るマナ。
髪がさらりと揺れ、机の電灯の明かりを反射した。

「そうだよ。」

「ま、いいじゃない。やってみて。」

軽い口調で答えるマナに、シンジは肩をすくめて、問題に取り掛かった。
マナはそんなシンジの顔を見つめていた。
 
 
 
 
 
 
 

「はぁ、もう十一月だねぇ。」

シンジは大きく背伸びをしてそう告げる。
吐く息も朝だと白くなり始めていた。
この日はまだいつもに比べれば暖かかったが、
今日の朝になって、また寒くなってきたようだ。

「そうね。早いものね。」

マナも感慨深そうに、答える。
まだ彼女は普通に学校に通っている。
他の患者の蛍光から考えると、
そろそろ入院を考えなければいけない時期に差し掛かっているが、
彼女の抵抗力自体が、九月の時点からさほど変化を見せていないため、
様子を見つづけている状態だ。
これを良い方向と考える人は多かったが、
過度に期待はしないようにと彼女の両親は告げていた。
それほど、甘いものではない。と。

「あと二ヶ月で、今年も終わりね。」

自分に言い聞かせるように呟くマナ。
シンジはその口調に、ただならぬものを感じ、彼女を顔を見つめる。
彼の視線を感じて、マナは小さく首を振って見せた。
まるで、不安がっている彼を安心させようとするかのように。

「大丈夫、私は大丈夫よ。」

「そうだね、きっと…」

シンジのその言葉に、マナはふっと微笑んで彼の手を握った。
少し彼女の手が少しだけ冷えているようにシンジには感じられた。

「今年は一緒に二年参りに行ってくれる?」

「もちろん。」

彼はしっかりと頷いてみせる。
マナも頷き返し、繋いだ手を見る。

「シンジの手って暖かいね。このまま手を繋いで学校に行かない?」

「そ、それはちょっと…」

慌てるシンジにマナはくすくすと笑う。
そして、甘えるような表情で告げる。

「じゃあ、この歩道の突き当りまで、ね?」

「う、うん、それなら。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

舞い散る落ち葉。
歩道を埋め尽くすそれをゆっくりと踏みしめながら彼女は歩いていた。
秋の休日の午後。
彼女はひとりで散歩に出た。
彼は今日は一人で部屋にいる。
誘おうか、とも思ったが、なんとなく一人になりたくて彼女は出てきた。
吹き寄せる風は冷たく、冬の到来を告げている。
その風に積もっている落ち葉たちが舞い上がる。
彼女はその中をゆっくりと歩いてゆく。
まるで、彼女を引き立てようとしているかのように、落ち葉が舞い上がる。
あと少し。
あと数ヶ月で私の存在がなくなるかもしれない。
死が私に降りかかるかもしれない。
でも、私はまだ生きていたい。
この世界の行く末を見ていきたい。
彼の行く末を見ていきたい。
そして、一緒に生きた証を残したい。


でも、残せるだろうか?


怖い…



時々、言いようもない恐怖が私を襲う。
自分が消えてしまうことへの恐怖。
今こうして生きている、私という存在が消滅してしまう。
その先には何があるのか?
誰もその答えは教えてくれない。
知らないということが、こんなに怖いなんて。
ずっと気付かなかった。


私は生きてゆけるのだろうか?
それとも消えてしまうのだろうか?
ずっと自分に投げかけている疑問。
生きていくんだ。
存在し続けるんだ。
そう思うようにしている。
でも、ふいにそれはやってくる。
死んでしまうこと、消えてしまうことに対する、諦めにも近い納得。
心のどこかでは叫んでいる。
無駄だ。と。
何をしても変わらない。
結末は同じなんだ。と。


そうかもしれない。
この病は不治と言っても言い過ぎではない。
なのに、それでも生きられるなんて…
あまりに…



でも…


それでも…



心の大部分が…


心の中に住んでいるたくさんの私が。



認めない。
それは…

彼が…



立ち止まっているマナに、突然背後から声がかかった。

「マナ!」

マナはゆっくりと声のした方に振り返る。
やっぱり…
どうして、あなたはこうして私を見つけ出してしまうの?
それも、あなたのことを考えている時に。

「シンジ、どうしたの?」

シンジは、彼女の元に近づきながら、照れたように視線を落とす。

「いや、部屋にいなかったから、気になって…
別に何がどうというわけじゃないけど…」

そう…
シンジが…
シンジがそれを信じているから。
私と生きていけることを信じているから。
だから、私はそれを受け入れない。
死は変えようのない事実かもしれない。
でも、私は、最後まで…

「ありがとう、シンジ。」

ふわりと穏やかな笑顔でマナは告げる。
シンジはその笑顔を見て、一瞬だけ空気が暖かくなったような気がした。
まるで、春の陽射しに包まれているような感じだった。

「う、うん。」

はにかんで頷くシンジの右手を取り、マナは告げた。

「せっかくだから、一緒に散歩しましょ。」
 
 
 
 
 
 

マナはエプロンに三角巾を身につけて、
大きななべから中の液体を小皿にすくって、味見をする。
少しだけ首をかしげると、
テーブルにあった味噌を少しだけお玉にとって、それに溶かす。

「ね、霧島さん。」

と彼女の傍にやってくるクラスメートが二人。
家庭科の時間のため、二人とも女の子だ。

「うん?どうしたの?」

「毎日、碇君のために朝食作っているって本当?」

興味津々といった表情で二人が詰め寄ってくる。
マナは少し頬を赤らめながら尋ねる。

「え?どうして?」

「だって、霧島さん、すごく手際良いし。慣れてるって感じで。」

二人は顔を見合わせて肯きあう。

「…それに相田君が、霧島さんは毎日朝食作ってるって…」

「えぇ〜?」

彼女は持っていた小皿を落としそうになった。
う〜ん、エプロンつけてるとこ見られちゃったから、やっぱりそう思われたのかな?
確かにたまには朝食作るケド…
でも、シンジも作る時もあるし…
それを言うとまたいろいろと誤解されそうね。
彼女は少し考え、言葉を選びながら答えた。

「う〜ん、いつもじゃないけど、たまに、作ってるよ。」

たまに、というところを強調して答えてみる。
彼女達はうんうんと嬉しそうに肯いて、さらにこう告げる。

「あぁ、やっぱりそうなんだ、両親公認だもんね。
でも、大変じゃない?もうお姑さんと暮らしてるなんて?」

「へ?お姑さん?」

マナはショックのあまり、身体をふらふらと揺らして小さな声で聞き返す。

「お姑…って、ユイおばさま?
そりゃ、シンジのお母さんだけど、それにハワイで…たけど…でも…」

立ち直るまでにその家庭科の時間一杯を必要としたマナだった。
 
 
 
 
 
 
 

「第40次定期メンテナンス作業、終了です。」

その彼女の言葉を受けて、それに群がっていた人たちがその巨大な箱達から離れてゆく。

「お疲れ様。」

そう彼女のもとへ歩み寄ってきた彼に声を掛ける。
片手に持っていた紙コップを彼女に渡しながら、彼は微笑む。

「お疲れ様です。」

彼の持ってきたコーヒーを一口飲み、彼女はほっと息を付く。
隣の椅子に座り、彼も同様の行動をとる。
ため息をつくところまで同じだった。
それだけ彼女達にとって、負担をかける作業だった。

「さて、これで、こちら側は準備OKですね。」

「そうね。でも、向こう側の準備をしないと。」

「ネットワーク系の物理配線等は終了しています。
コントロールモジュールの搬入があさって、接続と初期設定に一週間、
その後の基本動作確認に二日ですか。」

「実験モジュールだから、いろいろと面倒は起こるでしょうね。」

くすりと微笑んで、彼は彼女の深刻そうな横顔に告げる。

「そのために私を貼り付けにしたのでしょう?」

その問いに彼女は微笑むだけで何も言わなかった。
そこで会話が途切れる。
先程までいたメンテナンス要員が全て退出し、その場に二人だけになってから彼女は話し始めた。

「あなただけには話しておくわ。」

彼女と表情と口調に、彼も気安い表情を消して、次の言葉を待つ。

「今回のプロジェクトの結果によっては、
このプロトタイプは破棄することもありえます。」

「…それは、MAGI自身の存続よりも優先すべき事項があるということですね。」

彼は内心の動揺を出さないように努力をしながら、そう答える。
そして彼女の次の言葉を待った。
彼女はしばらく沈黙した。
まるで空気が凍ったかのように感じるその間、ずっと彼は黙ったまま彼女を見つづけた。

「そう…あなたには話しておくわ。
このシステムの秘密を。
そして、今回のこのプロジェクトの本当の目的を。」

彼女の言葉に、彼は仕事をするときにだけに見せる険しい表情を崩さずに頷く。
そして、彼はその秘密を知る数少ない一人となった。
 
 
 
 
 
 

「で、ここで…」

「ふうん、なるほど…」

「そうそう、そんな感じ。」

キッチンから漏れ聞こえてくる会話に、シンジは不安そうにそちらに視線を向ける。
大丈夫かな?
洞木さんはともかく、マナの方は初めてだし。
でも、僕は入っちゃ駄目って言われてるし。
この日、碇家でマナはヒカリとユイを講師に、ケーキの焼き方を教わっている。
シンジ自身はケーキを焼いたりはしないが、ユイはよく趣味で焼いている。

「どうした?シンジ。」

その声に視線を友人達の方に向けるシンジ。
ヒカリがケーキを焼くとなれば、トウジが黙っているはずもない。
となると、ケンスケも話を聞きつけるわけで、
三馬鹿トリオはリビングの方でゲーム大会中だった。
今は、ケンスケとトウジが格闘ゲームで対戦中だった。

「そろそろ代わるか?」

トウジにコントローラを手渡され、シンジはゲームを始める。
やがて、ケンスケ持込みのゲームを一通りプレイしたぐらいにリビングにもいい匂いが漂ってきた。

「お、いい匂いやな。」

「うん、そうだね。」

それから少ししてケーキが焼きあがった。
そうなると、トウジはゲームどころではなくなる。
幸い、男子禁制は解除されたため、
みんなでケーキのトッピングやデコレーションを分担してはじめる。
やがてマナ作のケーキが出来上がた。

「やった〜、うまくできたと思わない?ね?」

嬉しそうにケーキを持って、ポーズをとるマナ。
シンジは苦笑気味にうんうんと頷いてみせる。

「いいんじゃない?」

「そう?そう思う?やった〜。」

大はしゃぎの彼女に、ヒカリが一言。

「問題は味よ。」

その一言に詰まって、じぃっとヒカリを見るマナ。

「う…だいじょぶ…だと思う。たぶん。」

自信なさげに答えるマナにその場の全員が楽しそうに笑った。
 
 
 
 
 
 
 

「あ〜、シンジ。ちょっと待って。」

その言葉が頭上から降ってきて、シンジは立ち止まり見上げる。
一緒にいたクラスメート達も立ち止まって振り返る。
ちょうど階段の踊り場のところにマナがいて、彼女はにっこりと微笑むと、階段を駆け下りてくる。

「どうしたの?」

「ちょっとお願いがあるんだけどぉ。」

マナが両手を合わせて、シンジの顔を覗き込む。
それを見たシンジが軽く肩をすくめる。

「なんとなく、嫌な予感が…」

「なによ。まだ言ってないでしょ?」

ぷっと頬を膨らませてシンジを睨むマナ。

「ま、いいや。で、何?」

「それはね…」

すっと顔を寄せて、シンジの耳元にごひそひそと話すマナ。
シンジは小さくため息をつく。

「また、そんなことを僕に頼むんだ。」

「だって〜、シンジしか頼めないんだもの。」

「はいはい、わかりました。」

そのシンジを見て、マナはにっこりと微笑むと、
きびすを返して、階段を上っていく。

「じゃあ、お願いね〜。」

それを見送ったシンジは大きなため息をつく。

「はぁ、いつもこうだよ。」

「ま、それだけ頼りにされてるってことだろ?」

「だったらいいんだけどね。」

「しかし、なんて言うか、彼女、最近明るいな。それに元気だし。」

その言葉に少しどきりとしながらも、シンジは答える。

「そうかな?」

「あぁ、何かがふっきれた、そんな感じがするんだけどな。」

「なるほど。」

それだけシンジは告げて、クラスメート達と歩き出す。
ふっきれた…か。
良い方向にふっきれてれば良いんだけど。
たわいのない会話をクラスメート達と交わしながら、シンジはそう考えていた。
 
 
 
 
 
 
 

放課後の教室。
二人はぼんやりとその窓から沈んでゆく夕日を見つめる。
校庭からは運動部の生徒達の掛け声が聞こえてくる。
オレンジの光球が山並みに沈んでゆく。
開け放たれた窓から入ってきた風が真っ白なカーテンを大きくはためかせる。
風は少し冷たく、やがてやってくる冬を感じさせた。
椅子に座っているシンジ、その机に座っているマナ。
二人とも、まるで夢の中にいるような瞳をしている。
見果てぬ夢の中にいるように。
そして、太陽が沈んでしまい、辺りが暗闇に包まれ始める。

「沈んじゃったね。」

そのシンジの言葉に、マナは小さく肯く。
そして、彼の方を向く。

「じゃあ、あとは戸締りして、日誌持っていくだけね。」

「そうだね。」

二人はそれぞれ椅子と机から降りて、手早く戸締りを始める。
そして、鞄を持って、部屋から出て行こうとする。
ふと、ドアのところで教室の中に視線を戻すマナ。
それを見た、シンジが不思議そうに声を掛けようとするが、
すぐにマナが視線を戻したので、何も言えなかった。
廊下に出ると、マナがすっと手を伸ばし、シンジの手を握った。
 
 
 
 
 
 

「もう、十二月か…早いもんやな…」

彼は隣に座っている彼女に声をかける。
二人は電車の中で並んで座っていた。

「そうね…早いものね。」

「あの二人はどうなってしまうんやろうか?」

彼のその呟きは、彼女に聞かせるためにではなく、自然と口をついて出たものだった。
しかし、それは彼女が今まさに考えていることでもあった。
だから、彼女は小さく頷いて、彼を見た。
彼も彼女を見つめる。
二人は無言で見詰めあった後、どちらからともなく口元に笑みを浮かべて頷き合った。

「それを見届けるしかない、か。」

「私達は応援はできるけど、手を貸すことはできない、から。」

あの時。
彼らからその事実を知らされた日。
二人で出した結論。
それから時間は少しだけ経過したが、やはり出される結論は同じ。
だから、彼は小さく頷いた。

「そやな。」

そして、彼女の手を握る。
驚いた表情で彼を見る彼女に、はにかんで彼は小さな声で囁いた。
その言葉を聞いた彼女は頬を真っ赤にしてうつむいて小さく頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 

マナはアルバムに貼られている写真を見て、ため息をついた。
日本に帰ってきてからの二ヶ月ちょっとで、こんなにたくさんの思い出ができた。
シンジと二人でいろんなところに行った。
水族館に遊びに行ったし、映画も二人で見た。
ヒカリや鈴原くん、相田くんとも一緒に遊びに行った。
友達ともいろんな思い出を作った。
体育祭や球技大会。
テスト勉強もした。
シンジやみんなのおかげで楽しい日々を送ることができた。
まだ、身体の調子は悪くない。
このままだと年を越して春を迎えられるはずだ。
そして、ずっと生きていけるかもしれない。
冬がやってくる。
でも、私は一人じゃない。
シンジが、そしてみんがいてくれる。
私は一人じゃない。
だから、生きていける。
戦っていける。
あと少し、私が頑張れば、未来を掴めるかもしれない。
だから、私は…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

しかし、その時、彼女は知らなかった。
終わりの始まりは、そこまで迫っていることを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

彼は小さくため息をついた。
ベッドに横になり天井を見上げる。
十二月…か。
ここまでやってきた。
二人が日本に帰ってきてから、これといって彼女の身体に悪い兆候は出ていない。
新たに使用許可がおりた新薬が効いているのかもしれない。
このままいけば、なんとかなるのかもしれない。
彼女の体の状態は、これまでの同じ症状を発症した人たちとはかなり違うらしい。
やっと光明が見えてきたのかもしれない。
ほんの針の先ほどの小さな光。
でも、これでその光に向かって歩いていけばよい。
二人で一緒に。
そうすれば、この病に打ち勝つことができるのかもしれない。
二人の未来を掴み取れるかもしれない。
だから、あと少し。
もう少し。
これまで通り二人の未来を信じて。
そうすれば…



そして、その日が来たときには。
僕は彼女に…


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

しかし、その時、彼は知らなかった。
試練の時は、そこまで迫っていることを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

今日は最高の日だった。
マナは少し風で揺れた観覧車の中でそう思った。
シンジと二人だけで来た遊園地。
朝から、この時間までずっと遊びまわった。
そしてこの二人のデートの締めくくりはこの観覧車だった。
ライトアップされた園内はまるで魔法の国のように見えた。
ゆっくりとゴンドラが登っていく。
並んだ二人は肩を寄せて地上の光景を眺める。
そして、彼女の隣に座っている彼はゆっくりと彼女を抱き寄せた。

「シンジ…」

マナはシンジの顔を見上げる。
彼の瞳はいつものように優しく輝いている。
どうしてこんなに声が震えるのかな?
シンジの瞳を見ながら、マナはそう思った。
彼が自分に触れるたびに体に電撃が走るようだ。
でも、それは痛くない、どちらかといえば心地よい痺れ。
そうか…
だって、私、すごくどきどきしてるもの。
だから、声も震えちゃうんだ。
こんなに…
こんなに、シンジのこと。
好きになっていいのかな?

「マナ。」

彼はいつもの笑顔で彼女を見る。
その笑顔。
今は、今だけは私だけに向けていてくれるんだよね。
嬉しい。
すっごく嬉しいよ。



その笑顔で私の不安を打ち消して。
ずっと私の心を捉えている不安を取り払って。

私…


シンジが顔をマナに寄せる。
マナは瞳を閉じ、心持ち顔をあげる。
そして重なる唇。

シンジ…
私…
あなたがいないと…



どうしてなのかな?

こんなに自分が弱いなんて…
知らなかった。


だから…


ずっと、そばにいてね。
私を見ていてね。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

その時、二人は知らなかった。
二人に用意された結末に向けて、全てが動き出したことを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「シンジ、手繋いでいい?」
 
 

「え?で、でも。」
 
 

「いいじゃない…ほら、こうした方が暖かいよ。」
 
 

「…うん、そうだね。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、厳しい冬がやってくることを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


NEXT
ver.-1.00 2001!12/19公開
ご意見・ご感想は sugimori@muj.biglobe.ne.jp まで!!


あとがき

どもTIMEです。
Time-Capsule第49話「思い出」です。

今回は短短編の集合という形式で十、十一月、十二月始めまでの出来事を書いてます。
いろんな思い出を作ったマナとシンジですが、その先に待つものは何なのでしょうか?
かなり伏線モードが入っている話もありますが、残り3+1話で全部使い切ります。

さて、次回ですが、十二月ということで当然クリスマスの話です。
以前公開したWinterSongのマナ編で公開したものの改訂版です。
ちなみにあちらはハッピーエンドになりましたが、こちらはどうなのでしょうか?
この連載もいよいよクライマックスです。
あと少しだけお付き合いください。

では次回TimeCapsule第50話でお会いしましょう。
 





 TIMEさんの『Time Capsule』第49話、公開です。





 11月、
 12月。
 シンジと
 友達達と
 ユイさんゲンドウさんとも
 色んな思い出を作って・・・・

 マナちゃんいい感じ〜



 でも、でも。
 終盤の灰色文字が・・・


 冬が
 冬が
 厳冬が。



 どう立ち向かうのでしょうか
 どう乗り越えるのでしょうか・・




 さあ、訪問者のみなさん。
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