シンジは朝の陽射しを浴び、大きく背伸びしながら歩き始める。
もう衣替えが終わって冬服に移行している。
まだ学生服の上着を着るのは抵抗があるが、かといって、シャツ一枚では肌寒い。
そんな中途半端な朝だった。
「でも、いつのまにか、涼しくなってるね。」
ハワイにいたのは数週間のことだったが、それでも日本では確実に四季は移ろっていた。
「そうだね。もうすぐ秋も過ぎて、冬が来る…ね。」
「うん…」
まだ二人は、一緒に秋と冬を過ごしたことがない。
二人で過ごす初めての季節。
しかし、それは最初で最後になるかもしれない。
そんな思いが一瞬二人の脳裏によぎる。
お互い表情には出さないが、その考えがほんの少しだけ二人の心を重くした。
「おっはよー!」
と、そんな二人の思いを吹き飛ばすかのように、明るい声が後ろから聞こえてくる。
振り返ったマナが元気よく手を振る。
「おはよ〜。」
「おはよ。マナ。」
ヒカリは二人に追いつくといつもの笑顔で挨拶してくる。
それに答える二人。
彼女は、いつもとは違う旅行鞄を一つ肩から下げている。
「まだ時間は大丈夫よね。」
ヒカリはふうと小さくため息をつきながら、シンジに告げる。
「うん、この調子で歩いてゆけば50分には間違いなくつくよ。」
集合場所はさすがに学校だとまずかったのか、学校からの最寄駅の駅前になっていた。
その駅であれば、バス用の大きなロータリーもあるため、バスも入りやすい。
「そういえば…」
シンジはヒカリに尋ねる。
彼らがいなかった間の学校での出来事を。
昨日は自分達が質問されるばかりで、質問することができなかった。
そのため、学祭の時の事など、聞きたいことはたくさんあった。
時間的には10分少ししかないから、聞けることは少ないだろうが、
それでも、聞いておかないと、バスの中で聞いてる時間があるかどうかシンジには自信がなかった。
「そうね…まずは学祭からね…」
そうして、ヒカリは話を始めた。
学祭での出来事、そして球技大会のこと。
かいつまんでであったが、それでも必要なことはそれだけで知り得た。
そして、どうして学祭の打ち上げで温泉旅行ができるのかも。
「なるほど、学年で最優秀賞取ったんだ。」
「そう…そのご褒美がこれ。」
そうこう話すうちに3人は駅前までやってきた。
集合場所にはもう何人かの姿が見える。
「さて、今日はどうなることやら。」
そのシンジの言葉にマナはにっこりと微笑んだ。
「まぁ、やっぱり質問攻めよね。」
「そうそう、みんな楽しみにしてたから。シンジを締め上げるぞって。」
その言葉に、やはり逃げた方が良かったのではないかとシンジは心底思った。
Time Capsule
Written by TIME/01
第47話
「その理由」
今日ばかりは集合時間に全ての生徒が集まり、
一行はロータリー内に停まっているバスに乗りこんだ。
当然、シンジとマナは前の方の席に並んで座らされる。
どうやら席は二人がいないうちに決められたらしい。
そして、走り出したバスの中でミサトはマイクを掴んで話し出す。
「とりあえず、これからの予定を話しておくわね。
まずは、目的地に向かいます。
まぁそれは当然よね。」
バスの中に笑いが広がる。
「で、到着はおそらくお昼過ぎになるから、そのまま昼食、
そんでもって自由行動、夕食兼宴会。
終わってから自由行動、そして寝る。と、そんなところね。」
そして、前の方の席に並んで座っているシンジとマナを見て、
ミサトはにやありと、いやらしい笑みを浮かべる。
シンジはそのミサトの笑みを見て、少しだけ背筋が寒くなった。
「ま、二人にはいろいろ積もる話もあるだろうからぁ、
夕食の宴会の時に、気持ち良くウタってもらいましょ〜。」
「おぉ〜。」
歓声と拍手。
シンジは恐る恐るといった様子で、ミサトに尋ねる。
「あのぅ、もしかして、ミサト先生は僕達を酒の肴するつもりじゃ…」
シンジの嫌な予感は的中したようだ。
ミサトはいやらしい笑みを浮かべたまま、頷いてみせる。
「ぴんぽーん、こんなおいしそうな肴放っておけますか。」
「はぁ…これだよ。」
シンジはお手上げとばかりに肩をすくめて両手を上げる。
どうやら諦めるしかないようだ。
ため息をつくシンジにマナは笑顔で告げる。
「がんばってね、シンジ。」
シンジはちらりとマナを見て、答える。
「って、他人事みたいに言わないでよ。」
「え?そうなの?てっきり締め上げられるのはシンジだけだと思っていたけど。」
その言葉に周りにいたクラスメート達がうんうんと肯く。
「って、マジ?」
「マジマジ。なんで霧島さん締め上げないといけないんだよ。」
「げぇ〜!」
「げぇ〜なんてはしたないわよ。碇くん。」
そんなクラスメート達との会話を聞いてマナもにこにこ笑っている。
その彼女の表情を見て、シンジは少しだけ気が軽くなった気がした。
彼女は楽しそうに微笑んでいる。
確かに、クラスメート達と旅行というのは、つまらないはずはない。
単純に楽しめばいいんだよね。
と、シンジは思い直した。
しかし、この後、やはり今回の旅行に関して悲観的にならざるを得ない出来事が起こるのだが、
今のシンジは知る由もなかった。
シンジは頷きながら、視線を前に向けて、そして、ぎょっとした。
「さて、さっそく昨日の続き行ってみようか?」
目の前の席に座っていたケンスケが、カメラを構えたままそうシンジに告げる。
と言われたところで、シンジにしても素直に答えるつもりはなかった。
だから、シンジはそ知らぬ振りで聞き返す。
「何が?」
少しだけ眉をひくつかせながら、ケンスケはシンジの左手を指差す。
「ほう…今日もきっちりと、左手のくすり指に指輪をつけてきて、そういうことを言うのか?」
「い、いや、これは…」
言葉に詰まるシンジ。
しかし、マナは嬉しそうに微笑んで答える。
「はずしたら、お仕置きだもんね。」
シンジを見て、にこやかに笑ってみせるマナ。
しかし、なぜかシンジは背中が寒くなる気がした。
その言葉を聞きつけ、近くの席のクラスメート達がその指輪を見に来る。
「どれどれ、その婚約指輪って。」
「そんなんじゃないって。」
シンジは首を振って、その指輪をしている手を隠す。
しかし、マナは笑顔でその指輪を見せている。
「へぇ、でもシルバーなんだね?こういうのってプラチナとかじゃないの?」
「それって結婚指輪のほうでしょ…って、これどっちなの?
普通婚約指輪ってダイヤじゃなかったっけ?」
「どっちも何も、まだ結婚してないんだろ二人は。じゃあ婚約指輪?」
「何言ってるの?私見たもん、マナがウエディングドレス着てる写真。」
クラスメートの一人のその言葉に、クラスメートがさらに騒ぎ出す。
傍らでシンジは頭を抱えているが、マナはやはりにこにこ笑っている。
「げぇー何それ?俺見てないよ。」
「こら碇、ちゃんと説明しろ。」
そう言われて、シンジはしどろもどろに答える。
「い、いやそれは…」
そこにさらにマナがとどめを差す。
「写真あるけど、見る?」
「見る!!」
そのマナの言葉に後ろの席に座っていた生徒達も、その写真を見ようと前に押しかける。
シンジは慌てて、マナを見る。
「どうしてそんな写真持ってきてるの?」
「みんな見たいかなぁって…」
その言葉に周りのクラスメート達が、そろって頷く。
「そんなものがあるということは、これはもう確定だな。」
「…だな。」
何人かが大きく頷く。
そして、シンジを見たが、その視線の厳しさにシンジはうろたえる。
「あ、あのぅ、みんな、何か誤解してない?」
「い〜や、誤解なんてしていないと思うぞ。」
ケンスケがにたぁりと不気味な笑みを浮かべて告げる。
そんな彼のメガネが怪しく光を放つ。
「あぁ、今俺はいつになく冷静だぞ〜。」
ケンスケの言葉に同意した一人がシンジに近づく。
その瞳は、狂気の光を放っているようにシンジには見えた。
「あ、あの、ちょっとみんな僕の話聞いてみない?
そうすればみんな幸せになれると思うんだ…」
しかし、そんなシンジの言葉はどこへやら、
クラスメート達はマナを取り囲み、いろいろ質問を投げている。
「まぁ、今日の夜は長いし…な。」
前日と同じような言葉を吐き、シンジの肩をたたくケンスケ。
シンジは泣き笑いのような表情で、ケンスケを見た。
そんなこんなで数時間後に旅館に到着した一行。
さほど大きくなさそうに見える温泉宿の前でバスが停車した。
なんでもミサトのなじみの旅館らしく、かなり安く泊まれるらしい。
この日は貸切になっており、他のお客は泊まっていなかった。
宿の女将と軽く二、三言会話を交わし、ミサトは宿に入っていく。
その間にヒカリが全員をバスから下ろし、部屋割りごとに生徒達を並ばせる。
部屋割りもすでに決まっていたようで、シンジ、ケンスケ、トウジの3人は同じ部屋になった。
ちなみにマナはヒカリと一緒の部屋になっている。
なぜ女が2人部屋で男が3人部屋なのかは不明だが、どうやら、ミサトの策略らしかった。
そして、各自自分達が泊まる部屋に移動する。
「しかし、帰ってきていきなり旅行っていうのもね…」
シンジ達は自分達の割り当ての部屋に入る。
旅行バッグを手近なところに置いて、ため息をつくシンジ。
「確かにちょっと大変だよな。時差ぼけとかは大丈夫か?」
ケンスケが自分の荷物を置いて、その場に座る。
そして、かばんの一つ(ケンスケはバッグ3つの重装備だった。)からDVDカムを取り出し、整備を始めた。
「それは良いんだけど。
でも、何か変な感じだね。
おとといまでは泳げるくらいの気温のところにいたのに、今日は温泉だなんて。」
そう呟き、シンジは窓を開ける。
3人が泊まる部屋は6畳の和室だった。
大きな窓が一つあり、その外は林だった。
どこからか、水が流れる音が聞こえてきた。
涼しげな風が部屋の中を通る。
しばらく、ぼんやりと林を見つめていたシンジだったが、窓を閉めて、部屋の中を見回す。
「あれ?トウジは?」
いつの間にか、トウジが部屋からいなくなっていた。
ケンスケは相変わらずDVDカムの整備中で、気のない様子で答える。
「あぁ…何か一人で出て行ったみたいだな…」
「ふうん。」
シンジは首をかしげながら、ケンスケのそばにやってくる。
時計は15時過ぎを指していた。
「どうしようか?夕食までは時間があるけど…」
そうシンジが告げた瞬間、部屋の入り口のドアがノックされる。
「はい。どなた?」
「私。お邪魔して良い?」
その声はマナだった。
「いいよ。」
そう答えるシンジ。
ケンスケはちらりとドアの方に視線を向けるが、すぐに手元のDVDカムに視線を戻す。
部屋に入ってきたマナは手招きでシンジを呼ぶ。
「?どうしたの?」
そう答えながらマナに近づくシンジ。
マナは曖昧な笑みを浮かべたままシンジを見る。
シンジは不思議に思いながら、マナのそばに歩み寄る。
マナは少し頬を赤く染めながら、小さな声で囁いた。
「ちょっとね…」
そのマナの言葉の意味が理解できずに、シンジは首をかしげる
「どうしたの?」
と、マナが顔を上げて、シンジの顔をじっと見つめる。
少し潤んだ瞳がシンジの鼓動を早くさせる。
「シンジ…」
見詰め合う二人。
マナの形の良い唇がかすかに震える。
と、シンジはある気配を感じ振り返る。
「ケンスケ。」
ケンスケがいつの間にかメンテナンスを終わらせたDVDカムで二人を撮影していた。
シンジの視線を受け、彼は指を振ってこう答えた。
「俺のことは良いから、続けてくれ。」
「あの、続けるも何も…」
シンジは絶句する。
と、マナがシンジの服の裾をちょいちょいと引く。
振り返るシンジに、マナは小さく囁いた。
「外に出よ?」
「う、うん。」
そう答えて、シンジはケンスケを振り返る。
「ちょっと外に出てくるね…」
そして、指をびしっと突きつける。
「もちろん、後をつけるのはなしだよ。」
ケンスケはカメラを下ろして、肩をすくめて苦笑を浮かべる。
「はいはい、ごゆっくり。」
結局、外に出るだけではなく、二人は少し散歩することにした。
裏手の林の中には、ちょっとした遊歩道のコースがあったからだ。
比較的高い木々に囲まれた林の中を、舗装されていない幅数メートル程の道路が走っている。
木々から漏れてくる光が地面をまだらに染めている。
二人は並んでその道路を標識にそって、歩いていた。
標識によると1キロほど先に湖があるようだった。
「それで、さっきはどうしたの?」
シンジはマナを見て、そう尋ねる。
マナはうつむき、少し恥ずかしそうに答えた。
「何か、急に不安になって。」
「何が?」
「それでシンジに会いたくなって。」
マナは視線を伏せたまま話している。
「僕に?」
そう尋ねるシンジ。
こくこくと頷くマナ。
「どうしてかな?すっごく不安になってシンジに会いたくなったの。
それでシンジの部屋に行けば会えるって思って。」
「それで部屋に来たんだ?」
「…うん。」
頬が赤い。
何も知らない人が聞けば、のろけ話しかならないが、シンジにはそれだけではすまなかった。
「今は大丈夫?不安じゃない?」
そう尋ねる。
マナは顔を上げてシンジを見る。
「シンジの顔見たら、消えたから…」
「じゃあ、いいんだけど。」
そう答えながら、今のマナの話を考えていた。
やっぱり体のことは、マナの心にかなり重荷になっているのかな?
僕がいれば、少しは気がまぎれるのだろうか?
だから、僕からはなれた途端に不安になったのだろうか?
…
難しいな。
どうすればいいんだろう?
なるべく傍にいるようにすれば良いのだろうけど。
少し考え込んでいたシンジは、マナが自分の顔を覗き込んでいることに気づかなかった。
マナはすっと手を伸ばしシンジの手を取る。
それで、シンジは我に返り、マナを見る。
「手、繋いでいい?」
にっこりとマナは微笑んでそう言った。
「もちろん。」
シンジも微笑みかえす。
そして、マナと歩幅を合わせる。
「ね、球技大会の詳しい話は聞いた?」
突然、まったく違う話題を切り出すマナ。
シンジは首をかしげて答える。
「いや、まだ聞いてない。マナは何か聞いたの?」
「うん、洞木さんからね。結構いろいろあって大変だったみたいだよ。」
マナが楽しそうな表情でヒカリから聞いた、その時の話を始める。
シンジは彼女から、不安そうな表情が消えたことにほっとしながら、話を聞く。
そうこうするうちに、遊歩道は小さな湖のほとりに出た。
シンジがあたりを見回す。
「あ、あそこにあるね。行ってみない?」
「何?」
シンジの指差すほうにはボート乗り場があった。
マナはシンジを見て尋ねる。
「シンジってボート漕げるの?」
シンジは軽く肩をすくめて見せる。
「大丈夫だと…思う。」
その少し自身のなさそうな言い方にマナは可笑しくなったようで、
くすくす笑いながらシンジの手を引きその方向に歩き出す。
「じゃあ、行きましょ。」
「がんばれ〜。」
マナはにこにこ微笑みながら、シンジを応援していた。
シンジはオールをそれなりに操り、ボートを湖の真中の方に向ける。
シンジ達のほかには数隻のボートが湖面に浮かんでいたが、
どれもシンジ達が知らない人が乗っていった。
「意外ね。他に誰もいないなんて。」
「そうだね。みんな温泉にでも入っているのかな?」
そう答えるシンジにマナは可笑しそうにまたくすくすと笑った。
さんさんと降り注ぐ日光で二人の体が暖かくなる。
絶好のお昼寝日和だった。
湖の中ほどまで来て、シンジはオールを置いて、ふうと息をつく。
「ごくろうさま。」
マナはそう告げて、手招きする。
シンジはその意味を図りかねて首をかしげる。
「どしたの?」
「ね、こっちに来て、膝枕してあげる。」
「え?」
「ほら、おいでよ。」
マナは笑顔で手招きしている。
シンジはどうしようか迷ったが、素直にマナの方に移動する。
「横になって。」
マナに膝枕され、横になったシンジは小さくため息をつく。
どこからか小鳥達のさえずりが聞こえてくる。
ひどくのどかの雰囲気。
ちょうど、マナが少しかがみこむようにシンジの顔を見ているおかげで、直接日差しが瞳に入らない。
マナは優しげな笑みを口元に浮かべてゆっくりとシンジの髪をなでる。
「どう?気持ちいい?」
「うん。」
素直にシンジは頷いてみせる。
でも、こんな風にしてもらっていると、寝ちゃうかもしれない。
さすがにそれは…
そう考えているシンジの思考を読み取ったかのようにマナが告げる。
「じゃあ、ちょっとお昼寝する?」
「え?」
どきりとしながら、シンジはマナを見る。
「私は良いわよ。もう少しこうしていたいから。」
そう告げて、マナはシンジの顔を覗き込む。
髪をまとめているリボンが風でひらひらと舞うのが見えた。
「でも…」
何かを告げようとした、シンジの唇を人差し指でふさいで、マナは告げる。
「私がこうしていたいの。だから、寝ちゃっても良いよ。」
その言葉に、シンジは笑みを浮かべて小さく頷く。
「でも、少し…もったいないな…」
何気なくそう呟くシンジ。
瞳は閉じていた。
「何が?」
「せっかくマナと二人きりなのに。」
くすりとマナが笑みを漏らす声。
シンジはそれっきり、黙ってしまう。
まだ眠っているわけではなかったが、なんとなくそれ以上話をしなくてもいいような気がしたから。
マナはゆっくりと髪をなでている。
そのうちシンジはうとうとし始めた。
寝ているような、起きているような中途半端な状態。
と、マナが何か話し掛けてきているような気がした。
「ね、シンジ。」
「うん?」
かろうじて、シンジは答えを返した。
「私をずっと守ってくれる?
闇が私を捕らえないように、ずっと灯りをともしていてくれる?」
「もちろんだよ。僕はずっとそばにいるよ。だから…」
「だから?」
「君を守るから。」
小指に何かが触れる感触。
「ありがと…約束よ。」
「うん…約束だ。」
そして、頬に何かが触れる感触。
ふとシンジは目を覚ました。
時計に視線を向ける。
まだ小1時間ほどしか経過していない。
マナはボートにへりにもたれるようにして眠っていた。
ゆっくりと体を起こすシンジ。
ふと小指に何かの感触を感じて、その指を見るシンジ。
…
夢。
なのかな?
指切りをしたような気がするんだけど。
…
…
何の約束だったのか…
…
…
思い出せない?
…
あれは夢だったのかな?
でも、何か妙に現実感がある。
マナと何か約束したのかな?
すると、マナが小さく身じろぎして、目をさます。
「あ、シンジ、起きたの?」
「うん。ありがと。マナは大丈夫?」
「うん、平気よ。」
にっこりと微笑んでマナは答える。
「ところで…」
そこまで告げて、黙ったしまったシンジをマナは不思議そうに見つめる。
さっきのアレは夢…だったのかな?
そうだよね…
たぶん夢だろうな。
うとうとしてたし。
マナも寝ちゃってたし。
「そろそろ戻る?」
結局、シンジはそのことを聞かないことにした。
「うん。そうしよっか。」
そして、シンジはオールを手にとって、ボート乗り場の方に向かって漕ぎ出した。
少し低くなった太陽が湖面にゆらゆらといびつな円を描いていた。
夕食は大広間で、クラス全員がそろって取ることになった。
向かい合うように食卓べられ、それぞれが自由に席に座ったが、
なぜか、シンジとマナは並んで、上座のミサトの隣に座らされる。
最初のうちは、おとなしくそれぞれが自分の席に座って食事をとっていたが、
しばらくしてビールを飲んで、できあがったミサトにより、かなりの宴会モードになってしまった。
そうなってしまうと、シンジには修羅場以外の何者でもない。
男子生徒達からは手を出され、女子生徒達からは質問攻めに合い。
挙句の果てにミサトからはビールを進められる始末。
「私の受け持った生徒の中では一番最初に結婚するのよ!」
とか言われながら、シンジはなんとか、それらの攻撃をしのぎぎった。
一方マナの方は女子生徒たちに囲まれてハワイでの結婚式、
教会、ウエディングドレスのことを質問攻めにされていた。
なぜか、クラスメート達はマナには祝福の言葉を、シンジには辛らつな言葉を投げかけ続け、
最後にはシンジが墨で畳をいじる光景が見られるほどだった。
「なんで、僕ばっかり…」
そう呟き、いじいじと畳をつつくシンジにトウジは男子生徒を代表してこう告げた。
「学校サボって、そんなうらやましいことしてるからや。」
シンジにとってみれば、楽しいことよりも、大変なことが多かったが、
それを素直に話すわけにもいかない。
そうなると、傍目からはトウジの言ったような感想を抱くことになるのだった。
そんなこんなで3時間ほどで夕食(大半はシンジとマナへの追求)が終わり、各自解散になった。
もちろん、そのままどこかの部屋に集まって遊ぶ生徒達もいるし、
まだ売店でお土産を買う生徒や卓球で汗を流す生徒達もいた。
シンジ達は温泉に入ることにして、一度部屋に戻った。
そこで浴衣に着替える。
そして、お風呂道具一式を抱え、いざ露天風呂に出発する。
いつもはカメラ等の重装備のケンスケも今回は手ぶらだ。
なんでも、今回の旅行に行くにあたり、ミサト先生に誓約させられたとか。
それにしてもケンスケらしくないとシンジは思ったが、
実はこの誓約を破れば、ケンスケは金輪際アナログ、
デジタルデータの売買を学内で行うことができなくなるらしい。
さらに学内への撮影機器の持ち込みを全面禁止されるとくれば、ケンスケとしては従うしかなかった。
そんな事情の下、ケンスケは残念そうに愛用のDVDカムを貴重品を入れる金庫に片付け、
手ぶらでシンジの隣を露天風呂に向かって移動中なのである。
しかし、撮影はしないが覗かないとは誓約しなかったので、
彼自身は己の瞼の内に被写体を焼きつけるつもりでいた。
「露天風呂まで庭を移動とはね。」
シンジ達が泊まっている宿の本館から、露天風呂は中庭の向こう側にある。
本当は移動用の通路があるのだが、先週やってきた台風のせいで、
その通路が壊れてしまい今は修理中だということで、臨時の通路を通ることになっている。
ケンスケがメガネを怪しく光らせながら、そう告げる。
うなずくトウジもどこか表情がにやけている。
シンジはと言えば、この悪友達の悪い癖は知っているので、
どうすれば巻き込まれずにすむかを心の中で検討中だった。
「まぁ、いいやないかい。その代わりいいもん拝めるんやったらな」
にやにやしながら笑いあう二人。
それを見たシンジが小さくため息をつく。
期待するのはいいが、女性側に誰も入っていなければ仕方ないではないか。
そんなシンジの思いが表情にでたのか、ケンスケがシンジに肩を組んで耳元に囁く。
「まぁ、霧島さんとかがいたら、お前に免じて勘弁してやるからな。」
「ありがと。感謝するよ。」
何かをネタにして、シンジをからかわないと気がすまないらしい悪友に、
大げさにため息をついてシンジは感謝してみせる。
あまり誠意はこもっていなかったが、これからのことに夢中な二人は気にも止めなかった。
「へや、なかなか広いんじゃない?」
脱衣所から出てきたシンジがそう言って、あたりを見回す。
向かって左側は大きな岩が積み並べられている。
高さは3メートルほどだろうか。
そこにはいくつかの蛇口がついていて、洗い桶や、腰掛けが並べられている。
どうやら体や頭は、そこで洗うらしい。
正面に温泉が、もうもうと湯気を上げており、その向こう側には柵が並んでいる。
どうやらその向こう側が女湯のようだ。
そして、右側は低い柵が張られている。
そちら側は丘の斜面を見下ろせるようで、離れたところに街明かりが見える。
「シンジ達も来たのか?」
別の部屋のクラスメート達が、湯船から声を掛ける。
大理石で囲まれた湯船に体を入れて、シンジは少し身震いする。
「ちょっと熱くない?」
「まぁ、すぐに慣れるよ。」
シンジはそろそろと腰をおろして、肩まで湯船に座ると、ふうと息をついた。
湯気がもうもうと立ち込め、それが風に乗って湯面の上をすべるように揺れる。
「おっ、いい感じだな。」
ケンスケも脱衣じゃから出てきた。
その後ろにトウジもいる。
二人もシンジの近くに、思い思いに座って温泉に入る。
「はぁ〜、やっぱ露天は最高やなぁ。」
大きく背伸びをしながら、トウジは息をつく。
「そうだな、一日の疲れが吹っ飛ぶよな。」
ケンスケも頷きながらそう答える。
シンジはいぶかしげに二人の顔を見る。
何かここに来る時とは違って、さわやかなこと言ってるんだけど…
「さて、この気分を確実なものにするために、そろそろ行ってみようか?」
「おお、そうやな。」
って、まだ入ったばかりじゃない?
シンジは立ち上がって、颯爽と高い柵に向かう二人を見る。
「なんだ?お前ら覗くつもりか?」
同様に温泉に入っていたクラスメートが、二人に尋ねる。
その問いに、ケンスケとトウジはこれまたさわやかな笑みを浮かべて頷く。
「やめといたほうが良いぞ。」
もう一人がそう告げる。
「なんでだ?」
不思議そうな表情を浮かべて止めに入った二人をみるケンスケ。
「だって、今誰も入ってなさそうだからな。」
ざば〜ん。
盛大なお湯しぶきを上げて、トウジとケンスケが湯船に倒れる。
慌てて立ち上がる二人。
そして、熱そうに顔をぬぐって、そのクラスメートに詰め寄る。
「ま、マジか?ほんとに誰もおらんのか?」
彼はこくこくと頷いてみせる。
「あぁ、疑うんだったら、耳当てて聞いてみ?」
その言葉に、ケンスケとトウジは柵に張り付く。
しばらくそのままの姿勢でいた後、悔しそうな表情でケンスケとトウジは柵から顔を離す。
「ちくしょ〜。なんでなんだ?」
そう言って悔しがるケンスケに、シンジがもっともな仮説を告げる。
「もしかして、僕達の行動が監視されているのかもね。
二人とも前科あるし、僕たちが入っている間は女の子達はお風呂に入らないのかも。」
「そうだな。それはありえる話だな。」
クラスメート達がうんうんと頷く。
ケンスケとトウジは情けなさそうに顔を見合わせる。
その表情をみて、二人以外の皆が笑い出した。
1時間後、女性用露天風呂にて。
「はぁ、いい湯ね…」
ヒカリのその言葉に、隣に座っていたマナも頷く。
「でも、ちょっと変な感じ。昨日までは海で泳げるところにいたのに、
今日は温泉に入っているなんて。」
「そうね…体の方は大丈夫なの?」
その言葉にマナはどきりとして、まじまじとヒカリの顔を見る。
ヒカリはマナのその反応を驚きながらも言葉を続ける。
「飛行機で移動した翌日にまたバスで移動して、大変じゃない?」
どうやら一般的な話をしたらしいとマナは気づき、慌てて笑いながら手を振る。
「ちょっと大変かな。でも、みんなに会えたんだし、大丈夫よ。」
「そう…」
そこで会話が途切れた。
今は露天風呂の中にはマナとヒカリの二人しかない。
少しお湯が熱く感じるが、半身だけお湯から出せば、心地よい風が火照った体を冷ましてくれる。
立ち込める湯気が視界を悪くしているが、頭上を見れば、半月が銀色の光を放ち、
所々に星が輝いているのが見えた。
ハワイで見た月と同じはずなのに、何か印象が違うね。
自分が置かれている状況のせいかな。
ふと、そんなことを思うマナ。
そして、ヒカリを見て、マナは尋ねた。
「ね、洞木さん。」
「何?」
「鈴原君には告白したの?」
そのいきなりな質問に、ヒカリはがばっとマナの方に振り返る。
その大げさな動きが、かなり彼女が慌てていることを表していた。
「な、な、ななな何言ってるのよ?」
ごまかしているわけではない。
マナはヒカリの思いを知っているから。
いきなりどうしてそんな話をしたの?という意味だった。
しかし、マナはそのヒカリの様子を見て、答えを知った。
「まだ告白してないの?」
そのマナの言葉にヒカリは顔を真っ赤にして、うつむきこくこくと頷く。
もとから温泉につかっているので赤かったが、今はのぼせるのでは?と思うくらい真っ赤だった。
本人もそう思ったらしく、お湯から上がって浴槽の縁に座って、ふうと息をつく。
「そうか…でも、何か私がハワイに行く前とは少し変わったような気がするけど。」
「そう?そうなのかな…少しは二人の距離が近づいた気はするんだけど…」
首をかしげて、マナはヒカリに問う。
「よくわからない?」
「…うん。」
ヒカリははぁとため息をついて、うつむく。
そして、ぽつりと呟く。
「告白…しようとしたんだけど…」
「けど?」
「言えなかった。
今、トウジの妹さんが入院してるらしくって、アイツ、今はそれを気にかけてるから…」
「そう…」
マナはそれだけ言うと、きゅっとヒカリの肩を抱きしめた。
ヒカリは少し驚いたが、すぐ体の力を抜いて、マナに寄りかかった。
「大丈夫、きっとうまくいくよ。」
マナは一人でロビーのソファに座っていた。
そのソファは2人掛けで、マナはその左側に座っていた。
実はシンジと並んで座るときにはいつも左側に座る癖のせいなのだが、
この癖はシンジも、マナ自身も気づいていなかった。
マナはヒカリ達を露天風呂に入ったあと、一人になりたくてこのロビーにいた。
夜もふけているため、正面玄関は閉められている。
少し離れている露天風呂までは、裏口を使うため、ロビーには人気はない。
フロントからは死角になる少し離れた場所に座っているため、人目はまったくない。
目の前には窓をはさんで、日本庭園が広がっていた。
といっても、本館と別館の間だけのスペースなのでさほど大きくない。
左側の岩場の小さな滝から流れ落ちた水は、そのまま小さな川を作り庭を横切ってゆく。
さらに日本的な調和を考えて灯篭や木々が配置されている。
マナはぼんやりとその様子を見つめている。
そこに背後から声がかかった。
「あれ?マナ?」
その声にマナは先ほどまでのぼんやりとした曖昧な表情を消し、笑顔を浮かべて振り返る。
その笑顔は作り物ではなく、本心の笑みだった。
「シンジ…どうしたの?」
「いや、ちょっと一人になりたくて。」
まるで、マナの心を知っているかのようにシンジは答える。
マナは少し驚きながらも、心の中で思う。
そうだよね。
あの時も来てくれたものね。
今、シンジに会いたいって思ってたんだよ。
どうして、シンジは私の心を知っているかのように、行動してくれるのかな?
ちょっと不思議だけど…
すごく嬉しい。
だって、私とシンジの心が繋がっているみたいじゃない?
「どしたの?にこにこして。」
マナが何も言わないままで微笑んでいるので、シンジは不思議そうに尋ねる。
「ううん。なんでもない。」
笑みをさらに大きくして、シンジにそう答えるマナ。
相手を全面的に信頼して、すべてをさらけ出すような笑いかた。
シンジは少しだけ照れくさくなって、一瞬だけ視線を足元に落とす。
「お邪魔していい?」
顔を上げてシンジはそう告げる。
もちろん、マナは大歓迎だった。
こくこく頷いてみせる。
シンジがマナの元にやってきて、その右側に座る。
そこで、このソファがちょうど二人が肩を寄せ合って座るのには良い大きさであることをマナは認識した。
並んで座って、シンジははにかむようにマナに微笑んで見せた。
「ちょっと狭いかな?」
マナはふるふると首を振って答える。
「ううん。良いくらいだよ。私にとっては。」
そして、シンジの肩に頭を添える。
シンジは少し体を傾けて、マナが良いように頭を預けられるようにした。
マナは瞳を閉じ、ふうと息をつく。
「疲れた?」
シンジが優しげな声で小さく囁く。
二人の距離が近いから、それほど大きな声を出さなくても声が聞こえるから。
「少し…ね。でも、楽しいから。」
マナはくすりと笑みをもらし、そう答える。
瞳は閉じたままだ。
「そうだね…みんな迎えにきてくれて、すごく嬉しかった。」
シンジはその言葉をかみ締めるように告げる。
マナもシンジのその思いに同意する。
「うん、嬉しかったよね。
変な話だけど、帰ってきたんだって思えて。」
そして、マナは瞳を開けて、小さな滝に視線を向ける。
水しぶきが水銀灯の光でまぶしく光る。
ふと、マナはあることを思い出して、それをシンジに告げた。
「あの時もそうだった。夏に私が帰ってきて、シンジを見つけた時。」
それは二人が再開してから初めて2週間近く離れ離れになった時のこと。
シンジは今でもくっきりと空港でマナを見つけた時のことを覚えている。
「待っていてくれる人がいるって、良いことだよね。」
「そうだね。」
すっとマナの左手がシンジの右手を握る。
「ねぇ、シンジ。」
「何?」
マナは少しだけ間を置いて言った。
「私の体のこと、みんなには内緒にしておいた方が良いかな?」
「どうして?」
もちろん、シンジにはマナがそう言った理由はわかっていた。
その話をしてしまえば、クラスメート達は彼女を特別扱いするだろう。
いくら、本人が今まで通りにと言っても、なかなかそうはできない。
それなら、いっそのこと何も話さないほうが良いのではないか?
しかし、それはクラスメート達に隠し事をすることになる。
どちらの方が良いのか?
シンジ自身にも判断がつかなかった。
だから、このことはマナ自身の判断にゆだねるつもりだった。
でも、だからといって全て任せてしまって、自分は何もしないというつもりはなかった。
マナが自分で考え、判断する手伝いをシンジはするつもりだった。
だからこそ、あえて理由を尋ねることをした。
「やっぱりみんなには無理のような気がするから。
私の身体の事を受け入れて、これまで通りに接するなんて。」
マナは一言づつ言葉をかみ締めるように答える。
「そうかな?」
シンジはそう答えてみた。
「もしかしたら、受け入れてくれるかもしれないよ。僕がそうしたように。」
そう、始めはショックかもしれない。
しかし少しづつ理解して、受け入れてくれるかもしれない。
「うん。そうかもしれない。でも、みんながみんな、そうできるとは思わない。」
シンジは頷く。
確かに皆が皆そうできるとは思えない。
となると、やはり、話さないほうが良いのか?
「正直言うと、どっちが良いのかなんて、私にはわからない。
だから、成り行きに任せるという選択肢もあるかなって思ってる。」
「成り行き…か。」
それもまた正しいような気がした。
シンジはため息をついた。
どうやら、僕もマナも出口がない迷路を堂々巡りしているような気がしてきた。
マナも同様に感じたらしく、ふうと大きなため息をつく。
「やっぱり、考えれば考えるほど、よくわからなくなるよ。」
そのマナの言葉に、シンジも同意する。
「僕もだ。」
マナは軽く首を振ると、何もかも嫌になったような口調でシンジに告げる。
「私から言い出した話だけど、これぐらいにしていい?」
「もちろん。」
シンジは頷いて見せた。
マナはもう一度大きくため息をつく。
「どうする?部屋に戻って休む?」
そう尋ねるシンジ。
シンジも少し体が重く感じていた。
「う…ん。あともう少しだけ、こうしていたいな。」
「わかった。」
二人は黙ったまま肩を寄せ合った。
その後、二人はそれぞれの部屋に戻るのだが、
シンジは男子生徒達、マナは女子生徒達と長い夜を過ごすことになる。
翌日、帰りのバスの中は熟睡する生徒達で埋め尽くされていた。
ミサトはというと二日酔いの頭痛を紛らわすために、やはり眠っていた。
その中で一人ケンスケが、睡魔と闘いながら、
かろうじて撮影した一枚のポートレートがしばらくシンジを悩ますことになる。
それは寄り添って眠るシンジとマナ。
しかも都合のいいことに二人とも左手の薬指に指輪をつけていた。
あとがき
どもTIMEです。
Time-Capsule第47話「その理由」です。
みんなでやってきたお泊りでのお話です。
その中で、結局はシンジとマナがハワイに行った理由は、
クラスメート達には話せずじまいになります。
どうすればいいのか二人にはまだ判断はついてません。
そのまま何も言わないのか、それとも全て話してしまうのか。
それはマナの決心にかかっています。
次回はその辺りの話を書いてゆきます。
ひさしぶりに学校に登校する二人。
日常の生活の中に戻り、二人はいろいろ思うところがあるようです。
では次回TimeCapsule第48話「信頼」でお会いしましょう。