「何…だ?」
脳裏に映ったものを理解しようとするシンジ。
しかし、いつも何だったのか理解できないまま、また記憶の海に沈んでいく。
シンジはそのままの姿勢でしばらく考えていたが、あきらめたように首を振る。
いつのまにか頭痛は引いていた。
「何なんだ?」
そう呟きながらベッドを降りる。
そして服を着替え始める。
僕に何が起こっているんだろう?
最近になってこういうことが多くなった。
何かが引き金になっているのか?
それは、もしかすると…
シンジはある出来事を思い出していた。
確かのあれから頭痛が起こるようになった。
それも最近は間隔が短くなってきている。
つまり、そういうことなのだろうか?
僕が忘れている記憶。
それが少しづつ戻ってきているのだろうか?
着替えが終わり、シンジは部屋から出る。
と、廊下にいたマナと鉢合わせする。
マナも既に制服に着替えている。
「おはよ。」
マナはにっこりと微笑んで挨拶してくる。
シンジはそのマナの笑みを見て、いつもとは何かが違うような感じがした。
「おはよう。」
とりあえず、シンジは挨拶を返した。
それにこくこくうなずいて、マナはじっとシンジを見つめている。
不思議に思ってシンジは尋ねる。
「どうかした?僕の顔に何かついてる?」
しかし、マナは手を振って、微笑んだまま答える。
「なんでもない。」
そして、シンジの手を取って歩き出す。
マナに引っ張られながら、シンジはさきほどのマナの笑顔の事が引っかかっていた。
なんだろ?
何かいつもと違った気がする。
どこがとは言いきれない。
でも、何かが違った。
なんだろ?
何か違和感があった。
うまく捕らえきれなかったけど、でも何かがおかしいと思ったんだ。
Time Capsule
TIME/99
第32話
「さよなら」
そして二人の道は別れる
2学期が始まって3日目。
その授業は夏休みに課題を終わらせられなかった生徒のために自習になっていた。
シンジは窓際の席で一人の女の子の横顔を眺めていた。
今日の朝、感じた違和感って何だったんだろ?
こうして見てもいつも通りだ。
シンジは視線をそらして窓の外を見る。
グランドではどこかのクラスの生徒たちがサッカーグランドに散らばっていた。
シンジは朝の出来事を思い返していた。
あの時に感じたのは…
…
いったい何だったのだろう?
と急にシンジの頭が痛み出す。
シンジは頭を抱えて顔を伏せた。
激しい痛みに耐えきれず、目を閉じた瞬間。
何かのイメージが次から次へとひらめく。
しかし、今度はいつもと違うようだ。
最初はいくつかのイメージが絶え間無く浮かんでいたが、それがゆっくりとなり、
そして、はっきりと一つのイメージの形になる。
それは、一人の小さな女の子の笑顔。
そして、そのイメージは、頭痛と共に急に引いていった。
シンジはちいさく息をついて、顔を上げる。
なぜか目の焦点が合わない。
二、三度瞬きをして、シンジは頭を振る。
そして、今自分が見たイメージに対して動揺していた。
そのイメージの女の子は今日の朝見たマナの笑みと同じ笑みを浮かべていた。
そう、その笑みもいつものマナのものだった。
まるで幼いマナが微笑んだかのような。
でも、何かが違う。
確信的にシンジはそう思った。
小さい頃のマナの笑み。
最初はそう思った。
でも、どこかで違うと感じた。
何かが、ほんの少し違う。
そして、感じた。
これは今日の朝のマナの笑みを同じだということに。
いったい何なんだ?
どういった意味があるんだ?
シンジはマナの方を見た。
そして、驚く。
マナはじっと自分を見ていたからだ。
しかし、そのマナの瞳は何も映していないように暗くよどんでいた。
そんなマナの瞳をシンジは初めて見た。
シンジの知っているマナの瞳はいつもきらきら輝いていて、
マナ自身と同じように生きている喜びに輝いていた。
でも、今のこの瞳は…
息を呑むシンジ。
と、それに合わせたかのように、マナの瞳に生気が戻る。
まさしく、光を失った瞳がまた光を宿したようにシンジには見えた。
そして、シンジの視線に気づき、不思議そうに首をかしげる。
シンジはそれに首を振って答えると、視線を逸らした。
授業の終了を継げるチャイムが鳴り、先生が課題を集め始めた。
それは午前中最後の授業の時間。
今日は半日授業なので、これで今日の授業は終わりになる。
ちらりとシンジの方を見るマナ。
シンジはぼんやりと視線を窓の外に向けている。
ちゃんと言わなきゃ。
そうお父さんと約束したのだし。
お別れしなきゃ。
そのために今日一日をもらったのだから…
でも…
わかってはいるけど…
胸が痛いよ…
離れたくないよ…
今日で今までの日々が終わってしまう。
そして、私はここから消えてしまう。
シンジの前から消えてしまう。
もうずっと会えなくなってしまう。
もしかすると、二度とシンジに会えないかも…
胸の痛みがいっそう酷くなる。
あえぐように小さく息をつくマナ。
駄目。
そんなこと考えたら、耐えられないよ。
だから、なるべくそんなことは…
視線をシンジからはずして、マナは自分の机の上を見る。
英語の教科書、そしてノート。
今は授業の最中だ。
周りにはクラスメートがいて、この退屈な時間を過ごしている。
退屈…
そう退屈なはずなのに…
なのに…
どうして、こんなに大切に感じるのだろう。
どこにでもある授業風景。
何も特別変わっているわけではない。
でも、すごく大切に思える。
この一瞬を忘れないでいたい。
シンジのことは当然だけど、一緒に過ごしてきたクラスメートの事も忘れないでいたい。
もう帰ってこないこの一瞬を…
ずっと感じていたい。
そう痛切に思うの。
「どうしたの?」
その声に我に返るシンジ。
顔を上げると、そこにはシンジの予想していた通りにマナが立っていた。
いつもと同じ笑み。
確かに今は朝の違和感を感じない。
瞳もいつものように輝いている。
シンジは微笑み返して首をふるふる振った。
「いや、ちょっと考え事。」
「そう…」
マナはそのまま前の席に座ってシンジを見つめる。
開いた窓から吹き込んだ風がマナの髪に触れていく。
向かい合ったままお互いに見つめあう。
まるで瞳で会話をしているように。
そして、マナが口を開く。
「あのね…」
しかし、そう言ったきり黙ってしまう。
シンジは黙って次の言葉を待った。
「今日、午後でかけない?」
シンジはその問いに首をかしげて答える。
「いいけど。おばさんと出かけるんじゃなかったの?」
その問いにマナは苦笑を浮かべて首を振る。
「ううん。今日はユイおばさまとお出かけ、明日一緒にでかけるの。」
「そうなんだ…じゃあ、どこかに行きますか。」
「うん。」
マナは嬉しそうに微笑む。
シンジはその笑顔を見てまるで、これで最後になるような喜び方だなと思った。
そしてその考えに苦笑を浮かべる。
そんなことはないよね。
まだ後、半年もあるんだから。
いくらでも時間はあるはず。
秋の始まりのその日、日差しは強かったが、風は心地よかった。
まさに秋の始まりを感じさせる午後だった。
二人は公園を散歩した。
そしてボートに乗る。
シンジはマナに尋ねる。
「今日はご機嫌だね。」
マナはシンジに答える。
「だって、すごく楽しいから。ほんとうに楽しいから。」
そしてシンジは微笑む。
「だったら、また一緒に来ようよ。」
池の中央でボートを止める。
マナはぼんやりと空を見上げた。
「それならこうした方が良いよ。」
シンジがボートに寝転がる。
「ほら、楽に空が見上げられるよ。」
マナもシンジに従って、ボートに寝転がる。
二人は並んで、ぼんやりと空を見上げた。
鳥達の囁き、そして草木のざわめく音、そして、自動車が通り過ぎて行く音。
でも見えるのは空だけ。
ゆっくりと流れて行く雲。
そして、そよそよと吹く風が前髪を揺らせる。
マナはちらりとシンジの方を見る。
瞳を閉じて眠っているように見えた。
今、私はシンジの隣にいる。
こんなに近くにいるんだ。
でも、こんな風に隣でいられるのもあと少し。
本当に少しの時間しか残っていない。
マナは空を見上げた。
済んだ空。
と、流されたボートが池の上に枝を広げている木のそばを通った。
太陽が、枝葉にさえぎられてきらきらと輝く。
その一瞬、まるで永遠に感じた一瞬。
マナはちいさく息をつく。
私は忘れない。
今、この時を。
シンジと二人で過ごしたこの時間を。
ずっと、ずっと、忘れない。
忘れたくないよ。
そして、マナは急にシンジにこう告げる。
「お願いがあるんだけど。」
瞳を閉じていたシンジはマナの方を見て答える。
「何?」
「あのね、今から海を見に行きたいの。」
「海?」
こくこく頷くマナ。
「そう、6月に二人で行った海。」
「でも、どうして?」
「なんとなく…じゃ、駄目?」
甘えるようなマナの口調にシンジは苦笑を浮かべる。
そして、ゆっくりと起き上がって背伸びをする。
マナも起きあがる。
「わかった…行ってみようか。」
その答えににっこり微笑んでマナは頷いた。
シンジはその笑みを見て微笑む。
この笑みは変わってないよね。
最初に会ったときから、ずっとこんな笑みを僕に投げかけてくれた。
じっとシンジが見つめていたのを不思議に思ってか、マナがはにかむ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。」
そう答えてシンジはボートを乗り場の方に向けた。
そして二人は少し足を伸ばして海に来た。
その場所は数ヶ月前にも、同じように二人で立って海を感じた場所。
二人で波が打ち寄せる様をじっと見つめていた。
もう、太陽は海に沈んでいこうとしている。
あたりが少しづつ闇に包まれていく。
打ち寄せる波の音が二人の胸に響く。
吹きつける風が二人の髪をそよがせる。
マナが繋いでいるシンジの手を少しだけ強く握る。
身につけている指輪が夕陽を映して、一瞬輝く。
シンジ…
ありがとう…
短い時間だったけど今日は楽しかった。
本当に楽しかったよ。
そして見詰め合う二人。
笑顔の二人。
マナがうなずく。
シンジもうなずき返す。
そして微笑み合う二人。
どうしてだろ?
すごく嬉しいのに。
すごく悲しいよ。
もう、これ以上は駄目なのかな?
これ以上…
耐えられないのかな?
じっとシンジを見つめていたマナの瞳が光る。
そして、涙が一筋頬を伝う。
泣き笑いのような表情でマナはシンジを見続ける。
やっぱり駄目だよ。
笑っていたかったのに。
シンジが思い出す私の顔が泣き顔なのは困るから。
だからずっと笑っていたかった。
シンジには私の笑顔を覚えていて欲しかったから。
でも、これ以上は無理だよ。
少し驚いた表情を浮かべてマナを見つめるシンジ。
マナはそんなシンジの表情を浮かべながら、半歩ほどシンジから離れた。
あまり近くにいると、私、離れられないかもしれない。
…
ねぇ…
どうしてなのかな?
私ね、今すごく時が止まれば良いって思っているの。
私が生きてきた中で一番強く願っているの。
でも、神様はかなえてくれないんだね。
ずっとシンジのそばにいたいって思っていたのに。
それも無理なんだね。
どうしてなのかな?
どうして、そんなささやかな願いもかなわないのかな?
そしてまた半歩シンジから離れるマナ。
今度はシンジも気づいたようで、マナに合わせるように歩み寄る。
そんなシンジにマナは心の中で問いかける。
シンジ…
あの日のこと覚えてる?
七夕で見上げた夜空。
あの時、シンジは私と一年に一度しか会えなくなったらどうする?
って聞いたときに「そうならないようにする」って言ってくれたよね。
今でもそう思ってる?
もし、そう思っているのなら、私をこのまま…
何かを言おうとするマナ。
しかし、その言葉を口にするのを躊躇してしまう。
駄目。
こんなことを口にしたら。
シンジに告げてしまったら。
でも…
でも。
小さな声でシンジにだけ聞こえるようにつぶやくマナ。
波の音に途切れそうな、本当に小さな声。
「お願い…このまま私をどこかに連れ去って…」
そして、じっとシンジの瞳を見つめる。
どうして私はこうなってしまうのかな。
こんなこと言ったって何も変わらないのに。
私自身が決めたことなのに。
それなのに。
私は…
私は。
そんなマナの様子を見て、シンジは先ほどから感じていた違和感の理由が分かった気がした。
こんなこと言うなんて…
これじゃ…まるで…
何かを思いつき、シンジは自分の心臓を掴まれたような感覚に襲われる。
最後の別れみたいだ。
まさか…マナ…
「どうして?」
マナは息をつく。
「私…もう一緒にシンジといられない。」
その言葉がシンジの心に届くまで時間がかかった。
一緒にいられない?
どうして?
何故?
まだ時間はあるはずなのに。
どうして一緒にいられないの?
それはやっぱり君の身体のせいなの?
シンジが浮かべた戸惑いの表情を見て、マナは言葉を繋ぐ。
涙がさらに一筋頬を伝って、落ちる。
砂浜に小さい、ほんとうに小さい染みを作る。
しかし、すぐに砂浜に染みこんで分からなくなってしまう。
少し強くなり始めた風が二人の間を流れて行く。
まるで、二人の間を埋めようとするかのように。
「私…お父さん達と一緒にハワイに行くの…」
その言葉を聞いて、シンジはちいさく息をついて落ち着こうとした。
「どうして?」
理由はわかっている。
でもマナの口から聞きたかった。
そしてどうしてそうなってしまったのか、その原因を知りたかった。
別れるのなら納得のいく理由が欲しかった。
「それは…」
マナはうつむく。
涙が頬を伝って落ちて行く。
本当の理由。
十年前の出来事に起因する私の身体の異変。
話したい。
話して、私が戻るまで待っていて欲しいと言いたい。
でも…
でも…
マナは小さく息をつく。
言えないよ。
今言ってしまえば、シンジは…
シンジは…
シンジは私に行くなって言うだろう。
そして、私はシンジのそばから離れられなくなる。
それは二人にとっては悲劇でしかないから。
だから…
だから。
そして、マナが顔を上げたとき、涙はもう止まっていた。
「もう、私には残された時間が無いの…」
そう、私が言えるのはここまで。
お願い。
それ以上聞かないで。
シンジはじっとマナの瞳を見つめる。
その瞳を見て、マナは思わず視線を逸らせてしまう。
そんな悲しそうな愛で私を見ないで。
お願い。
このままじゃ、私…
「…」
シンジにはそれが何を意味しているのか理解できなかった。
だから、何も答えられない。
しかし、マナは言葉を続ける。
「だから…ごめんなさい…」
そして、マナはにっこり微笑んだ。
その笑みはシンジが今日の朝、そして記憶の欠片として見たものだった。
その時シンジはやっと理解した。
何故、いつもと違うと感じたのか。
いつものマナの笑顔の中にないものがそこにあったから。
マナの笑顔の中に悲しみがあったから。
本当に少しだけ、シンジ以外の誰にも分からないほど、本当に小さな悲しみのかけら。
それがマナの表情に含まれていた。
太陽が水平線に沈んでしまい、闇が濃くなってきた。
シンジには急に吹きつける風が冷たくなったように感じられた。
先ほどまで二人の間を埋めようとしていた風が、まるで二人を裂こうとするかのように感じられる。
「最後にお願いがあります。」
マナは笑顔のままそう告げる。
「ねぇ、どうして?」
シンジはそう問い掛けた。
なぜ、理由を教えてくれないのか?
マナの身体の何が問題なのか。
教えて欲しかった。
どんな理由でも聞くつもりだった。
それなのにマナは何も教えてくれない。
やはりそのシンジの問いには答えないで、マナは言葉を続けた。
致命的な一言。
二人の関係の終わりを告げるその言葉を。
「私のこと…忘れてください。」
風が吹きつけ、マナのスカートの裾を舞わせた。
潮の香りが鼻をつく。
シンジの呼吸が止まる。
そのままマナを顔を見つめるシンジ。
どうして?
何故マナの事を忘れなきゃいけないの?
病気なら、治せば良いじゃないか?
なのに…
どうして、忘れて欲しいなんて…
そんな悲しいこと言うんだ?
「…」
「今までのこと全て、なかったことにしてください。」
そう。
今までの二人のことは全て忘れてください。
そうするしか、今の私には方法がないの。
どうか、わかって欲しい。
シンジ。
こうするしか無いことをわかって欲しい。
でも、今の私にはこれしか方法はないの…
お願い、わかって。
あなたの思い。
私の思い。
全て無かったことにすれば、少なくともあなたはこれ以上苦しまなくてすむから。
あなたには闇ではなく光の下を歩いて欲しいから。
私と同じように漆黒の闇の中を歩く必要は無いの。
「あなたを好きだといったこと…忘れてください。」
そう告げたマナ。
しかし、心の中の声は違うことを告げていた。
嘘。
本当は忘れて欲しくなんかない。
あなたのことを嫌いになったわけじゃない。
世界中の誰よりも、あなたのことを好きです。
こんなこと言いたくない。
胸が痛い。
心が壊れそう。
私、耐えられるのかな?
「どうして?」
先ほどから同じ事しか言っていなかったが、シンジはそれに気づいていなかった。
それほど、心は乱されていた。
「それが二人のためだから。」
「二人?」
「そう…私もあなたも…その方が…」
マナは繋いでいた手を離す。
じっとシンジを見つめるマナの瞳。
きれいだ。
シンジは思わずそう感じた。
今まで見た中で一番きれいで、はかなげな瞳だった。
シンジ…
ありがとう。
本当に一杯感謝してるよ。
私はあなたのことが好きでした。
誰よりも大好きで、ずっとそばにいたかった。
本当に…
本当に…
またマナの瞳から涙が零れ落ちた。
その涙は風に吹き飛ばされ、きらきらと光を放ちながら、砂浜に落ちていく。
そして、マナはいつもの笑みでこう告げた。
「さよなら。」
そして、マナの姿がシンジの視界から消えていく。
金縛りに会ったようにシンジはマナが歩き去るのを見つめる。
シンジはその場に立ち尽くした。
追いかけられない。
何が起こったんだ?
マナが僕の前から居なくなってしまう。
どうして?
消えていくマナの後姿。
しかし、結局シンジはその後姿を追うことができなかった。
覚えていますか?
あの夏のこと。
初めて会った時のこと。
私にやさしく微笑みかけてくれたこと。
そして、お母さんの後ろに隠れていた私に
手を差し伸べてくれたこと。
私は覚えています。
あの時のあなたの手の温かさ。
そして、その笑顔。
覚えていますか?
ふたりで遊んだ、あの小川。
いっぱい小魚をとって、
でも、あなたはみんな川に返した。
「おうちに帰りたいだろうから。」
その時の横顔、今も覚えています。
夜、その小川のほとり見たホタル。
ふたりの浴衣にとまったホタル。
とっても奇麗だった。
あなたと一緒に歩いた道。
「暗くてこわい。」と言った私のために
手をつないでくれた。
その優しさ。
忘れないでいてくれますか。
あなたは、私を覚えていますか?
私は覚えています。
そして、あの夏のことも。
あなたが、私に約束してくれたから。
ずっと、一緒にいてくれる。
そう約束してくれたから。
全てあなたは忘れているはず。
そう思っていました。
でもほんの少しだけの期待を持っていました。
だから、あなたに会うことにしました。
そしてあなたと再会しました。
あなたと最初に会ったとき、私をじっと見つめてくれました。
その瞳。
私が知っているあなたの瞳でした。
あの一瞬。
永遠に感じた一瞬。
その時に私はあなたに恋をしたのかもしれません。
そして、私と一緒に暮らすと知ったとき。
あなたはすごく驚きました。
でも、私のことを受け入れてくれた。
あなたは私のことを忘れているのに、やさしく受け入れてくれた。
そのやさしさ、忘れないでいてくれたことが嬉しかった。
名前で呼んでいいよって言ってくれたとき。
すごく嬉しかった。
だってあの時も名前で呼んでいたから。
でも、私は恥ずかしくて、ちゃんと名前を呼べなかった。
それでも、シンジは私のわがままを聞いてくれて、私を名前で呼んでくれた。
そうして名前で呼び合っているとあのなつかしい昔のようで嬉しかった。。
眠れなくて、一人でベランダで星を見つめていたとき。
あなたは私を励ましてくれました。
まるで、私が寂しがっているのを知っていたように現れて。
あなたは私の心を全て知っているようで。
すこし恥ずかしかった。
でも、私のことすごく気にかけていてくれるってわかった夜でした。
二人で始めて出かけたとき。
あんなに近くであなたを見たのは始めてでした。
すごくどきどきして。
でも、すごく心地よくて。
そして始めて手を繋ぎました。
はぐれないようにって。
やっぱりどきどきして。
でもすごく嬉しかった。
あの日のことはずっと忘れないです。
私の心の中でずっと輝いています。
そして…
あなたは思い出してくれました。
私のことを…
そして交わした約束を…
一部だったけど、それでも嬉しかった。
やっと再会できた。
でも、私はそれで満足すれば良かったのかもしれません。
今となってはそう思います。
私はそれができなかった。
もうすでに私はあなたのことを…
二人きりの夜。
私の誘惑にどぎまぎしていたあなた。
すごくかわいかった。
そして地震が起こったとき。
ぎゅっと抱きしめてくれた。
恥ずかしかったけど。
私のこと大切に思っていてくれるんだと感じました。
そしてアスカさんからの手紙。
あなたはなんでもないって答えたけど。
私はすごく不安だった。
でも、あなたの言葉を信じたいと思いました。
だから…
二人で行った海。
季節はずれだったけど、楽しかった。
手を繋いで堤防に立ったとき。
このまま時が止まればと思いました。
七夕に二人でお話したとき。
離れ離れになったらどうする?って聞いた私に。
そうならないうようにするって答えてくれました。
離れないように…
二人がいつまでも一緒にいられるように…
そう願ったのを今でも覚えています。
ある雨の日の帰り道。
私が両親に会いに行くって言ったとき。
あなたは私を安心させるように微笑んで、うなずいてくれました。
私は少しだけ寂しかった。
行くなって言ってくれるんじゃないかって。
でも、本当はすごく寂しがってくれてて。
それを知ったとき、すごく嬉しかった。
私が両親のもとに帰ることになって、あなたと初めて離れた時。
離れて過ごすのは寂しくて。
だから、電話で話したとき、顔を見たいって言ったの。
でも、あなたは会いに来てくれるって言ってくれた。
それで私は残りの時間をそれまでほどに寂しく思わなくなりました。
そして私があなたのもとに帰ってきたとき。
あなたの姿を見たとき。
私の中で何かが変わりました。
あの時、恋をしていたはずなのに、もう一度あなたに恋をした。
そんな感じです。
あなたと二人きりで行ったプール。
水着を見られるのがすごく恥ずかしかった。
二人で波乗りして遊んで。
ずっとこのままでいられればと思いました。
あの花火の夜。
あなたは私が着たワンピースに何かを思い出したようでしたね。
このワンピースは全てを繋ぐもの。
あなたにはそれが分かったのでしょうか?
そして、夜店で買ってくれた指輪。
私の大切な大切な宝物です。
そしてあの日、あの一日のこと、私はずっと忘れません。
私が自分の思いを押さえられなくなってしまったあの日。
あなたに告白したこと。
答えは期待していなかった。
だってあなたはまだ自分を知らないから。
でも、私にはとても大切な日。
これから、どんなことがあってもずっと忘れないでいます。
こんなにたくさんの思い出があります。
たった、数ヶ月。
それなのにこんなにたくさんの思い出が。
あなたは私を覚えていてくれますか?
私が忘れて欲しいと言っても。
それとも忘れてしまいますか?
これらを忌々しい記憶として、記憶の海の奥底に沈めてしまいますか?
シンジが家に帰ってきたときには、すでにマナも両親もいなくなった後だった。
どうして?
シンジはソファに座りこむ。
何がマナの身に起こったんだ。
と、玄関の方で音がした。
「マナ?」
シンジはそうつぶやき、玄関に向かう。
しかし、そこにいたのはプラチナに輝く髪を持った女の子だった。
「レイ…」
レイは少し寂しそうにシンジの表情を見て微笑んだ。
「マナちゃんは行ったのね…」
シンジはちいさく頷いた。
その表情が少しづつゆがんでいく。
それは必死に涙をこらえているから。
「マナちゃん…」
そうつぶやくレイにシンジがいきなり抱きつく。
「シンジ…」
「どうして…どうして…」
レイは優しくシンジの髪をなでる。
「どうして…マナは…」
シンジの耳元で囁くシンジ。
「マナちゃんも本当に迷ったんだよ。
でも、今よりも未来を選んだんだよ。」
「どうして…どうして…」
シンジはそう呟きつづけた。
マナは飛行場の待合室の席に座っていた。
何かに耐えるようにうつむいていた。
飛行場に来た時からずっとそのままだった。
カオリがマナのそばに歩いていき、声をかける。
「マナ、本当にいいの?今なら間に合うよ。」
マナは首をふるふると力なげにふった。
「いいの…もう終わったんだから。」
その言葉にカオリは何も答えないで、マナのそばを離れた。
マナは顔をあげる。
目の前を一機の旅客機が飛び立って行く。
シンジ…
ごめんね…
本当にごめんなさい。
怒ってるよね。
もう私のこと嫌いになったかな?
…
胸が痛いよ。
どうしてこんなに痛むの?
もう終わったのよ。
どうあがいてもシンジのそばには戻れないのよ。
それなのに…
どうして、あきらめないのかな?
普通に考えればもう駄目なのに。
期待しても駄目なのに。
どうしてなのかな?
シンジ。
私、やっぱりあなたのこと忘れられないよ。
忘れることなんて無理だよ。
あとがき
どもTIMEです。
TimeCapsule第32話「さよなら」です。
遂にマナはシンジの元から離れてしまいます。
シンジの記憶はいったいどうなるのか、
ハワイに旅立ったマナはどうなるのか、
二人の歩く道はまた交わるのか、問題は山積みです。
再登場のレイは、今回と次回のピンポイントの登場です。
彼女がシンジの記憶を取り戻すキー的な役割を果たします。
そして、もうひとつ重要な役割を持っていますが、
それは次回を読んでいただければわかるでしょう。
次回は一人になってしまったシンジが遂に全ての記憶を取り戻す話です。
その事により、アヤとマナの関係と繋がり(姉妹という以外に繋がりがあります)
そして、マナの身体に起こっていること(なぜシンジの元を離れたか)等が明らかになります。
では次回33話「記憶の海から」でお会いしましょう。