担任のミサトの声で教室がざわめく。
しかし、そのなかで彼、碇シンジは小さく息をついた。
彼はその転校生のことを知っていた。
また、彼女がこのクラスに来ることによって、
自分の平穏な日々はなくなってしまうであろう事を。
彼女の名前を聞いた瞬間、
今はしゃいでいる男子生徒たちは僕の敵になるんだろうな。
困ったな。
せめて、クラスだけでも違えば良かったのに。
なにが、「一緒のクラスの方がよくお互いを知ることができる。」だ。
おかげで、僕はとんでもない目に会うかもしれないんだぞ。
父親に向かって、心の中でグチを言って、シンジはまた小さくため息をつく。
ミサトがその転校生に合図する。
そして、彼女が教室に入った瞬間、クラス中が喧騒にさらに大きくなった。
彼女はゆっくりと歩いて教卓の横に並んで、はずかしそうに頬を赤く染め顔を伏せる。
そのしぐさがさらに男子生徒たちのざわめきを大きくする。
しかし、教師である葛城ミサトが彼女の名前を黒板に書いたとき、
そのどよめきは意味の違うものになった。
教卓には碇レイと書かれていた。
クラス中の視線が窓際の席の一人の男子生徒に向けられる。
その視線の殆どは好意的なものではなかったため、
彼は愛想笑いを浮かべて何かを言おうとした。
しかし、教卓の横に立っているレイが口を開いたため、
クラス中の視線がまたレイに集まる。
「碇レイです。よろしくお願いします。」
そしてぺこりとお辞儀をする。
担任のミサトはにやにや笑いながら彼女の紹介をする。
「というわけで、これからみんなと一緒に勉強することになった、碇レイさんね。
みんなよろしくね。」
その言葉ににっこり微笑むレイ。
まるで、燃える炎のような赤の瞳。
そして、太陽の日差しを吸い込んだような、プラチナの髪。
すらりと伸びた腕、足、その肌の白さが目を引く。
そのレイの姿を見た男子生徒の何人かが息をつく。
もちろん、女子生徒のうちの何人かは違う意味で息をついたが。
その中にはトウジの様子をこっそり見つめていたヒカリも含まれている。
「ところで〜、どうして碇の姓を名乗ってるかみんな知りたいよね〜。」
ミサトはにやにやしながら、シンジを見る。
シンジはやっぱりきたか。と心中呟き、苦笑を浮かべる。
しかし、そのしぐさは一部の男子生徒からは余裕の笑みと受け取られてしまったようだ。
くそっ、シンジの奴何余裕かましてんねん。とは後にトウジの語ったところである。
「とりあえず、みんなに説明してあげたら?シンジくん?」
ミサトは猫なで声でシンジに話しかける。
シンジは突き刺さる視線を感じ、居心地が悪そうに体を動かす。
「はぁ…」
気が乗らなさそうなシンジを見てミサトは視線をレイに移す。
「なんなら碇さん…ややこしいからレイさんでいいわよね…
で、レイさんから話してもらっても良いわよ。」
レイはミサトを見てこっくりうなずくと生徒たちに向き直る。
「私とシンジくんは…」
「シンジくんは?」
クラスの何人かの男子生徒がユニゾンで尋ねる。
その様子を見て、くすくす笑うレイ。
「実は…」
「実は?」
そして、レイは息をつき、
男子生徒たちにとっては最高の笑顔で最悪の事を言った。
「結婚してるんです…」
「け、結婚…」
誰かが小さく呟く。
レイの背後で少し驚いた表情を浮かべるミサト。
しかし、それは一瞬でにやにやと口元に笑みを浮かべる。
そして、クラスが静まり返る。
次の瞬間、またもやシンジに視線が集まる。
その視線は厳しいというよりも殺気立っていた。
「え、ちょっとまってよ…誤解だよ。」
「五階も六階もないわよ。」
ヒカリが氷点下のような冷たい声でそう答える。
その言葉にうなずくクラスメート達。
慌てて、周りを見渡して答えるシンジ。
「…僕とレイはそんな関係じゃないよ。」
「この〜、今更シラを切るつもりか。」
ケンスケのメガネがキラリと光る。
トウジも指を鳴らしながら立ちあがる。
もちろん、クラスの数人がそれに同調する。
「待ってよ、本当に違うんだよ。」
「何をたわけたことを…」
と、レイがくすくす笑いながら言う。
「本当よ。私とシンジくんは兄妹なんです。さっきのはちょっとした冗談です。」
「兄妹?」
クラス中から声が上がった。
Moon-Stone
TIME/99
第1話
「転校生は妹?」
それは父ゲンドウの一言から始まった。
「すまん、シンジ。お前にどうしても許可を貰わねばならないことがある。」
そのゴネドウを見たシンジは驚いて後ずさった。
なんと言っても、あの父親がテーブルに手をついて頭を下げているのだ。
いまだかつてシンジが目撃したことが無い光景だった。
シンジはおそるおそる声をかける。
「あの…父さん…何か悪いものでも食べた?」
シンジの疑問はもっともな所であろう。
シンジの父、碇ゲンドウは人を見下すことはあれ、
人に頭を下げることなどまず考えられない種類の人間であった。
しかし、そのゲンドウが頭を下げて、「許可が欲しい」と言っているのだから
シンジとしては父親がおかしくなったのではと思ってしまうのも当然だった。
「実は…な…」
ゲンドウはつまりながら話はじめた。
どうやら、先ほどのシンジの言葉は耳に入ってないらしい。
「…父さん…な…再婚することにしたんだ。」
「さ、再婚だって?」
シンジは驚きを隠せない表情で父親を見た。
まさか、こんな父親を好きになる女性がいるとは。
シンジの母親、つまりゲンドウの妻が亡くなってからもう10年が過ぎた。
それからずっとゲンドウは独身を守りつづけてきた。
亡き妻に操を立てたといえば聞こえが良いが、どう考えても、
女性に持てるタイプではないので、結果的にそうなったのだと、
今の今までシンジはそう思っていた。
それが、再婚とは。
「相手は誰なの?」
シンジはとりあえず、相手の名前を聴くことにした。
もちろん、父の交友関係なのどは知る由も無いが、
もしかしたら、自分が知っている人かもしれないと考えたからだった。
ゲンドウはみみたぶまで真っ赤にしながら、答える。
「ユイ…くん…だ。お前も知っているだろう?」
「えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
シンジは思わず声をあげる。
だって、ユイさんって。
本当に?
シンジはもしかして、父独特のジョークかと思いゲンドウの顔をまじまじと見つめる。
しかし、ゲンドウの顔にはそれらしき表情は浮かんでいない。
どうやら本当らしい。
しかし…
シンジは何回か会っているユイの顔を思い浮かべる。
そして、ゲンドウの顔を見つめる。
ダメだ。
どう考えても、似合わない。
というか、信じられない。
どうして、ユイさんほどの人が…
「本当…なの?」
もう一度確かめてみる。
どう考えても信じられない。
「あぁ、もうすぐここに来るはずだが。」
「本当に?」
「本当だ。」
シンジは息をついて椅子を引き寄せ座る。
ゲンドウも椅子に座る。
うーーん。
信じられない。
でも、父さんは嘘は言ってないようだ。
しかもジョークではない。
再婚。
まさか、父さんが再婚するなんて考えたことも無かったな。
相手はユイさん。
どちらかというと、父さんが再婚することよりも、
相手があのユイさんということのほうが驚きだ。
いったい、父さんどんな手を使ったんだろう?
まさか、良からぬ事を…
シンジの思考が不穏な方向に流れ始めたとき、
ゲンドウが口を開く。
「嫌…なのか?シンジ。」
ゲンドウが珍しく自身無さげに尋ねる。
シンジはふと顔を上げる。
そして、慌てて首を振る。
「い、いや、急な事だったんで、ちょっとびっくりしてる。」
と、その時、玄関のチャイムが鳴る。
ゲンドウが彼らしくない慌て方で立ちあがり、玄関のほうに歩いていく。
シンジはその様子を見て息をつく。
父さんが再婚するのには…
特に異論は無い。
というか、このチャンスを逃したら、もう二度とないのではないか?
僕自身は特に反対する理由は無い。
相手のユイさんは何回か会ってる。
たしか、娘さんが一人いるとか。
旦那さんは父さんと友人のジャーナリストだったけど、
ずっと昔に仕事先で亡くなったって聞いた。
やさしくて、お母さんて雰囲気がすごくして、素敵な女性だった。
それにしても、僕のお母さんと同じ趣味の人がこの世にもう一人いたとは。
どうしても、考えがそっちに行ってしまう。
するとゲンドウがユイと一人の女の子を連れてリビングに戻ってきた。
ふと、視線を彼女に向けたとたんにシンジの時が止まる。
首から駆けているペンダントの宝石がなんとも表現しがたい色で輝く。
燃えるような赤い瞳。
母親のユイはブラウンの瞳だったが、彼女は驚くほど赤い瞳だった。
また髪も印象的だった。なんとも表現しがたい色。
プラチナ色をいう表現が一番的確なのか。
一言では表せない色。
しかし、そういった違いがあるが、母親であるユイによくにているとシンジは感じた。
親子であることは間違えようもなかった。
この子がユイさんの娘さんなんだな。
彼女は少し恥ずかしそうに顔を伏せていたが、そろそろと顔を上げてシンジを見る。
そして、シンジを少し不思議そうな表情で見つめる。
「娘のレイです。シンジくんは始めてだったわね。」
ユイのその声で我に帰り、シンジは視線をユイに向ける。
そして、シンジはゆっくりとうなずいた。
「え、ええ、始めてです。」
そして、視線をレイに戻す。
レイがにっこり微笑んで、挨拶する。
「よろしく。シンジくん。」
シンジは少し慌てたように挨拶を返す。
「う、うん。よろしく。」
シンジは改めてレイを見つめる。
歳は同じ位なのかな?
父さん達が結婚するんだったら、この子は妹か、姉になるんだよな。
…
「二人とも座ったらどうだ。」
すでに椅子に座っているゲンドウが二人に話しかける。
二人は照れくさそうに微笑みあってそれぞれの椅子に座る。
「それで…シンジくんには話したの?」
ユイがゲンドウに尋ねる。
「あぁ、今さっき話したばかりだが。」
そう答えると、シンジの方を見る。
「えぇ、本当に先ほど聞きました。」
「それで、返事は?」
ユイが真剣な表情でシンジを見る。
その表情を見て、やっとシンジは納得した。
二人が結婚しようとしていることを。
顔を伏せるシンジ。
これを逃したら父さんはもう結婚できないよね。
それにユイさんだったら、お母さんとしても全然問題無いし。
いきなりでびっくりしたけど、僕がいやがる理由は何処にも無いし。
…
…
…
母さん…
いいよね…
…
…
シンジはそう心の中で呟く。
そして、顔を上げてにっこりうなずく。
「うん。僕はいいと思うよ。」
そして、少し肩をすくめながら答える。
「だって、これを逃したら、二度と父さん結婚できなさそうだし。」
その言葉に苦笑を浮かべるゲンドウ。
しかしユイはにっこり微笑む。
レイも母親を見て微笑む。
ふとシンジとレイの視線が合う。
少し首を傾げて見せるレイ。
それはまるで、「よかったの?」と聞いているようだった。
シンジは一回ウィンクをして微笑む。
「もちろん。」という意味だが、レイにはわかったようだった。
続けてシンジも首を傾げてみる。
それを見てレイもウィンクをして答える。
「…それで、いつから一緒に暮らすの?」
シンジはふとそう思い尋ねる。
「それなんだが…」
ゲンドウは息をつき答える。
「…実は今日なんだ。」
「へ?」
シンジはあっけに取られる。
「…今日?」
「そうだ。今日だ。」
シンジは思わず笑い出す。
そのシンジを不思議そうにその様子を見つめる三人。
「そんなにおかしい?」
レイが首を傾げて答える。
シンジは笑い収め答える。
「い、いや、ちょっと予想外だったんで。まさか、今日なんて、気が早すぎるなって。」
「でも、アタシは2ヶ月前に聞かされたんだけど。」
それを聞いてシンジはゲンドウを見る。
ゲンドウは気まずそうに咳払いをする。
なるほど、ここのところ妙にそわそわしていたのはそのためか。
でも、ぎりぎりまで言わないなんて。
…
まぁ、父さんらしいと言えば、そうなるか。
そう考えると、とがめる気にもなれない。
ついつい、笑みが口元に浮かぶ。
「まぁ、いいよ。で、何時くらいに来るの?引越し便は?」
シンジはそう尋ねた。
「ふうん。まさかあの親父さんが再婚するとな。」
ケンスケが感心したように答える。
隣に立っていた、トウジもうんうんとうなずく。
二人ともシンジの家には何回か遊びに行ったことがあるのでゲンドウの事は知っている。
「まぁね。僕も驚いたよ。」
「でも、残念だったな。」
ケンスケがにやにやしながらシンジの肩を叩く。
シンジは不思議そうに尋ねる。
「何が?」
「何がって、お前と碇さん…なんか変な感じだな…まぁいいや。
で、二人は兄妹なんだろ?」
「うん。レイの方が遅生まれだから。」
その答えに肩をすくめるケンスケ。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。つまりだ、お前と碇さんは兄妹って事だ。」
「だから?」
「だから、俺達にチャンスがあるってことだよ。」
ケンスケのメガネが怪しく光る。
「そやな、今回はシンジはどうすることもできへんな。」
「なんだよ。今回はって。まるで僕が毎回何かをやってるみたいじゃないか。」
トウジがシンジの頭をヘッドロックする。
そして、席から立たせる。
「お前〜、霧島マナの事忘れたんかいな。」
「いてててて〜、彼女がどうしたんだよ〜。」
シンジはトウジの腕をぽんぽん叩く。
ケンスケは呆れたように言う。
「だから、愛想つかされたんだよな〜。」
トウジがヘッドロックをはずす。
シンジは頭を押さえながら反論する。
「だから、どうして僕がマナから愛想つかされたのさ?」
「はぁ、これだから子供は…」
またもうんうんうなずくトウジ。
「行こうぜ、トウジ。こんな奴をかまっている暇は俺たちに無いぞ。」
「そやな。」
トウジとケンスケの後姿を見つめて、シンジはつぶやく。
「なんなんだよ。」
そして、シンジは息をつき、視線をレイに向ける。
今は、クラス中の生徒に囲まれていろいろ質問されているようだ。
しかし、結婚はないよな。
みんなもすっかり騙されるし。
またも、大きくため息をつくシンジ。
妹…か。
あんまりそんな感じしなよな。
まぁ三ヶ月しか誕生日が違わないんだから、当たり前か。
でも、一緒に暮らし始めて二週間だけど、結構良い感じだよな。
もうちょっとギクシャクするかなって思ったんだけどな。
ユイさんもレイもなんか、自然なんだよな。
ずっと昔から一緒にいたような。
…
でも、朝だけは困るよな。
いきなり部屋に起こしに来られても。
レイを起こすついでだからって言われても、まだ抵抗があるよな。
そして、視線をレイから校舎脇に立っている桜の木に移す。
青々とした葉が2階の教室の窓と同じ高さに茂っている。
でも…
まだ実感がいまいち湧かないんだよな。
父さんがユイさんと結婚して、僕にも歳は近いとは言え妹ができて。
うーん…
これからどうなるんだろう?
「ねぇ、ちょっといいかな?」
放課後、レイがシンジの傍にやってきて声を掛ける。
一瞬、教室の中が静まり返る。
昼休みにさんざん質問攻めにされたおかげで、
最後の授業が終わっても、我先にとレイのもとによってきた生徒はいなかった。
ただし、一緒に帰ろうと誘うタイミングを見計らっていた生徒は少なくなかったが。
いくら、二人が兄妹だとわかっていても、
安心は出来ないといった表情の男子生徒たちがシンジを見つめる。
シンジはなんとなく居心地の悪さを感じながら、答える。
「うん。いいけど。」
その瞬間、クラスの中のざわめきが戻った。
レイはシンジに顔を寄せて小さく囁く。
レイの顔が近くに来てシンジは少しどきりとしたが、なんとか顔を離さずにこらえた。
周りから見ればかなり仲良く見えるだろう。
シンジは心の中でため息をついた。
これでまた、他の奴等にやっかまれるな。
「あのね、この学校の屋上に行きたいんだけど。」
「へ?」
シンジはすっとんきょうな声を上げる。
周りの視線がシンジ達に集まる。
中には突き刺さるような厳しい視線もあったが、シンジはそれに気付かないふりをした。
レイは表情を少しだけ緩めてにこにこしながら、もう一度シンジに言う。
「休憩時間に学校の中を案内してもらったんだけど、屋上だけは案内してもらえなくて。」
「僕に?」
不思議そうな表情を浮かべるシンジ。
だって、そんなの誰がやっても同じだと思うんだけど。
そんな表情を浮かべるシンジにレイが悲しそうな表情を浮かべる。
「ダメ?」
上目使いでシンジを見るレイ。
その表情には断らるのではないかという不安がありありと見えていた。
シンジは苦笑を浮かべ、首を振った。
こんな表情されたら断れないよな。
「いいよ。」
レイの表情がぱっと明るくなる。
花が咲くようなっていう表現はこんな感じなのかな?
シンジはそのレイの表情を見て微笑む。
「じゃあ、行こう、行こう。」
レイは立ちあがり、シンジの手を取る。
そしてレイはそのままシンジの手を握ったままクラスの外に連れ出す。
「屋上って、こっちの校舎の方だよね?」
レイはそのシンジの問いに不思議そうに尋ね返す。
廊下に並んで二人は歩きだした。
「他にあるの?」
シンジは窓の外を指差す。
その窓からはもう一つの校舎が見える。
シンジの指はその校舎に向かっていた。
「あっちの校舎は屋上に上れないんだ。」
レイはシンジの指差すほうを見つめてうなずく。
「そうなんだ。」
「だから、こっちの校舎の行こうか。」
うなずくレイを見て、シンジは歩き出そうとして、ふと自分の右手を見つめる。
その右手はレイの左手がぎゅっと握っていた。
シンジは顔を上げてレイに尋ねる。
「あの…この手放してくれない?」
レイはその手を見つめた後、首をかしげて尋ね返す。
「どうして?」
「いや、だって、恥ずかしくない?手をつなぐなんて。」
レイは少しだけうつむいて声を落とす。
「シンジはアタシと手をつなぐのはイヤ?」
「イヤとかいう問題じゃないと思うんだけど。
一応兄妹なんだからさ。やめといたほうが。」
レイは顔を上げてシンジをまじまじと見つめる。
「シンジはアタシのことキライ?」
「いや、だから、そういう問題じゃ。」
「じゃあ、いいでしょ?」
シンジは困り果ててしまった。
実はまだ教室の前なので、クラスの中で聞き耳立てられているかもしれない。
どう答えれば良いんだろう?
もしかして、僕のことからかっているのかな?
しかし、レイの表情は真剣でその瞳は少し潤んでいた。
夕日の残光はレイの瞳と髪をオレンジがかった色にしていた。
シンジは彼特有の苦笑を浮かべて答える。
「…わかった。」
シンジは手をつないだまま、歩き出した。
レイももちろんついてくる。
二人は階段を上って、屋上に出た。
屋上はバスケットのコートが2面取られていた。
さすがに金網が高く張り巡らされているが、
それを除けば、かなり居心地はよさそうだ。
レイはあれだけこだわっていたシンジの右手から自分の手を放して歩き出す。
「ふうん…凄く広いのね。」
シンジはそのレイの少し後を歩きながら、空を見上げる。
もう、陽は殆ど落ちていた。
すぐ夜の闇に包まれるだろう。
視線をレイに戻すと、彼女はフェンス際に近づいて周りの景色を眺めていた。
シンジはレイの方に向かって歩きながら声を掛ける。
「どう?うちの学校の屋上は。」
レイはシンジの方を見ないで周りの景色に視線を向けたまま答える。
「うん。すごくいい感じ。気に入っちゃった。」
二人はしばらく、あたりの風景を眺めていたが、
シンジが時計を見てレイに話しかける。
「…でも、そろそろ帰らない?すぐ日も暮れるし。」
レイは振りかえって太陽のほうを見つめる。
すでに完全に日は落ちてしまっている。
すぐに暗くなるだろう。
「そうね。ありがと、ここに連れてきてくれて。」
レイはにっこり微笑む。
今日何回目の笑顔だろうか。
ここ二週間で見なれていたけど、やっぱりレイの笑顔ってかわいいな。
シンジは思わず見とれてしまう。
そんなシンジに不思議そうに声を掛けるレイ。
「どうかした?」
シンジは慌てて首を振って答えた。
「ううん。なんでもないよ。」
「じゃあ、帰ろ。」
二人は屋上から校舎に入った。
二人は並んで歩道を歩いていた。
シンジは自転車を引きながら、レイは徒歩でゆっくりと歩いていく。
あたりは暗くなってきていた。
空を見上げると明るい星が輝き始めていた。
あと30分もすれば夜と表現してさしつかえない状況になる。
途中で小道にそれて、少し歩く。
そして、二人はマンションにたどり着いた。
シンジはそのマンションを見て息をつく。
「なんか、不思議な感じがするなぁ。」
「どうして?」
自分達が帰る部屋を指差しながら答えるシンジ。
その部屋の窓からは明かりが漏れている。
「こんな時間はまだ父さんが帰っていないんだ。
いつもは部屋にはキーロックをはずして入って、そして夕飯の支度をするんだ。」
そして、視線をレイに戻す。
「でも、今日は帰ったらユイさんがいて、夕飯は作ってくれているんだよね。
それで、隣には君がいて。」
「急に実感が湧いた?」
「実感…か。そうかもしれないね。」
そう言って微笑むシンジ。
その言葉を聞いてレイはうつむいき、小さな声で話し出す。
「シンジはこの結婚、本当に良かったと思ってる?」
顔を上げシンジを見つめるレイ。
「あんなことになったから、仕方なく承知したんじゃ?」
「そんなことはないよ。」
シンジは首を振って答える。
「でもシンジって、亡くなってたお母さんのことすごく大切に思ってたっておじ様が。」
「まあね。でも、父さんが決めたことだし…
それに父さんが母さんのこと忘れたわけじゃないしね。」
それを聞いてレイが笑みを浮かべる。
「叔父様のこと信頼してるのね。」
「一応父親だからね。」
肩をすくめてシンジはそう答える。
二人はエレベータに乗り六階で降りる。
そして、部屋のドアの前で呼び出しのボタンを押す。
「はい、碇です。」
「僕です、シンジです。」
「お帰りなさい。今開けるわ。」
ドアが開き、中に入る二人。
ユイがキッチンから現れ二人を迎える。
「ただいま〜。」
ごく自然にレイは言う。
そしてシンジは少し照れたように言う。
「ただいま。」
いつもと変わらない笑みを浮かべてユイは答える。
「おかえりなさい、シンジくん、レイ。」
「さぁ、召し上がれ。」
ユイはご飯をくんだ茶碗をシンジに渡す。
テーブルにはブリの照りやき、ほうれん草のおひたし、
れんこんのはさみ揚げが並べられていた。
「いただきま〜す。」
レイは嬉しそうに両手を合わせて挨拶をする。
「はい、いただきます。」
ユイもにこにこ微笑みながら手を合わせる。
慌てて、シンジも二人を真似る。
「いただきます。」
一人で夕食を取ることが多かったシンジには、
ある意味当たり前のこの光景が新鮮に映った。
まず最初にシンジはぶりの照り焼きに箸をつける。
「どう…かな?」
ユイが少し不安そうに尋ねる。
この二週間というものユイはシンジの味の好みを理解しようとして、さまざまな料理を作っていた。
シンジはうなずき、微笑んで見せる。
「うん。おいしいですよ。」
その声にうなずき返し微笑むユイ。
「そう、良かった…シンジくんって料理にうるさいって聞いてたから、いつも心配で。」
シンジは意外そうな表情を浮かべる。
「だから、いつも聞いていたんですね。
味にうるさいって、それは父さんのほうですよ。
味噌汁一つにしても、やれ塩加減が違うとか、味噌が多いとか。」
レイがくすくす笑う。
「なんとなく、それ想像できる。」
「でしょ?だから、自然といろいろ注意するようになって。」
「じゃあ、シンジくんはそんなに気にしないのね。」
シンジはこっくりうなずく。
「はい。だから、そんなに気を使ってもらわなくても良いですよ。」
ほっと息をついて、微笑むユイ。
「わかったわ。」
「…ところで、今日もおじ様は帰り遅いの?」
ユイがうなずいて答える。
「どうしても、はずせない仕事があるんですって。」
「今は父さんと同じ仕事じゃないんですか?」
「えぇ、ウチは案件ベースでチームを作るから。」
「そうなんですか。」
シンジのその口調にレイが不思議そうにたずねる。
「あんまり知らないみただけど。」
素直にシンジはうなずく。
「うん。父さん、あんまり会社の話はしてくれないんだ。」
「そうなの。」
「うん。まぁ、あの通りだから、いくら聞いても教えてくれなくって。
でも、小さいときに実は悪い事してるんじゃないかって、心配してたことがあって。」
「それで?」
「父さんに聞いたんだ。もしかして、人に言えないお仕事してるの?って、
そしてら父さんショック受けたみたいで。少しだけど仕事のこと教えてくれたんだ。
「シンジにはわからないが、ちゃんと人様のお役に立つ仕事をしてるから心配しないように。」だって。」
にこにこ微笑みながらその話を聞いているユイに視線を向けるシンジ。
「それで、あっさり納得しちゃったんだよね。
具体的に何をやってるか聞かなかったんだけど、
その父さんの話し方に妙に納得しちゃって。」
「親子だから…かな?」
ユイが首を傾げて尋ねる。
そういったしぐさはどことなくレイと同じだ。
「そうかもしれないですね。それ以来、悪いことしてるかもなんて思わなくなりましたし。」
「親子…か。」
レイはそう呟くと寝返りを打つ。
シンジとおじ様ってなんかすごく良い感じだな。
そんなに頻繁に話しているわけじゃないけど、
っていうかおじ様はあまりシンジに話しかけないけど、
お互いのことよく知ってるって言うか…信頼してるって言うか。
でも、少しおじ様のイメージが違っていたな。
会社では結構シンジの話を嬉しそうにしてるって聞いてたし、
母さんなんかはすごくシンジの事大切にしてるって言ってたから、
もっと親バカ…これはいいすぎかな?…的なイメージを持ってたんだけど。
実際はそんな事ないし。
額にかかった髪をかきあげレイは息をつく。
でも、シンジってどうしてこんなに簡単に結婚に同意したんだろ?
アタシなんて納得するのに1ヶ月もかかったんだよ。
なんか、お父さんのこと忘れるみたいですごく嫌だった。
今も少しだけ不安なのに。
でも、シンジは母さんのこと忘れるわけじゃないって言って。
どうしてそう思えるのかな?
おじ様も忘れるわけじゃないって言ってたし。
不思議。
一度、ちゃんと聞いてみたいな。
そして、レイは眠りに落ちた。
あとがき
ども作者のTIMEです。
新連載Moon-Stone第1話「転校生は妹?」です。
連載と言っても短期集中連載(全7話)です。
もともとLRSの連載を書いて欲しいと感想メールで
書かれている方々が何人かいらっしゃいまして、
今回この連載でやっとそういった方々の希望に
答えることができるかなと思っています。
1話を読んでいただければ分かると思いますが、
今回、シンジとレイは兄妹の関係になっています。
それもお互いの親同士の結婚でそういう関係になってしまったと。
しかし、いきなりお兄さん、妹といわれても納得しないわけで、
歳は近くでクラスも一緒となれば、
当然、兄妹という関係以外の感情も芽生えてくるわけですね。
今後はその二人の感情、関係がどうなっていくかを書いていく予定です。
まぁ、私のパターンにハマっていただいている人にはお楽しみ頂けるかと。
いつも通りのお約束な展開ですし。
では次回Moon-Stone第2話「動揺してる?」でお会いしましょう。