海を渡る風が彼女の髪をそよがせた。
その風は少し湿っていた。
まるで彼女の心の中を見透かしているように。
空には満天の星空。
そして、天の川が輝いていた。
来たよ…
約束通り…
彼女は小さくつぶやいた。
半年以上前に彼と交わした最後の約束。
「七夕は一緒に星を見ようね。」
その約束を果たしに彼女はここに来た。
その約束を交わした彼は…
彼女が好きになった最初で最後の男の子は…
彼女の傍らにはいなかった。
「毎日電話するからね」
彼の最後の言葉。
…
ねぇ…
これなの?
あなたが私に見せたかったのは?
この星空なの?
彼女は呟く。
あなたが大好きだったと言っていたのはこの天の川?
…
…
私は…
あなたと…
一緒に見たかった…
…
これじゃ、わからないよ…
あなたが好きだった天の川…
あなたが私に教えてくれなきゃ…
わかんないよ…
…
…
どうして…
どうして…
…
約束を守ってくれなかったの?
私の傍にいてくれなかったの?
私はどうすれば良いの?
あなたなしで生きていけって言うの?
それは無理だって、
あなたは知っていたじゃない。
だから…
ずっと、傍に…
いつまでも私の傍にいてくれるって…
約束してくれたんじゃない?
どうして?
どうしてなの?
彼女は手すりに持たれかかり顔を伏せる。
ねぇ…
私はどうすれば良いの?
あなたがいないこの世界で、
何を目的に生きていけば良いの?
ねぇ…
教えてよ…
私はどうすれば…
顔を上げた彼女の頬に涙が伝う。
しかし、吹き寄せる風に髪が舞いあがりその表情が隠れる。
どうすれば、あなたを忘れられるの?
どうすれば、あなたと過ごした日々を忘れられるの?
わかんないよ…
私にはもう…
なにがなんだか…
どうすればいいのか…
わからないよ…
…
…
こうして目を閉じると今でのあなたの笑顔が浮かぶのよ。
少し恥ずかしそうに、でもやさしく微笑んでくれる。
私の名前を呼ぶのも恥ずかしくて、最初の頃はよくどもっていたよね。
やっと、私の名前を自然に呼んでくれるようになって、
あなたに与えられた役目も終わりに近づいて、
二人で生活を始められるようになったのに。
…
なのに…
…
卑怯だよ。
私の傍からいなくなって、
私の手の届かないところに行って。
残された私は…
もう抜け殻のようなもので…
あなたがいないこの世界で、
生きていく目的も見出せずに、
ただ、その日を生きていく。
あなたを失ってからやっと3ヶ月が経ったけど、
それでも私はあなたが忘れられなくて…
まだ私の部屋にはあなたの物がそのまま置いてあって。
いつかあなたが帰ってきても良いように、全部そのままで。
…
…
でも、あなたは帰ってきてくれなくて。
…
…
私…ね。
こんなに一日が長いなんて全然知らなかったよ。
朝起きて、
夜寝るまで。
こんなに長いなんて…
全然知らなかったよ。
…
いつも、あなたのことを考えているの…
でも…ね…
あなたと過ごした時間がこんなにも私を苦しめるなんて、
思ってもみなかったよ。
…
こんなに苦しいのなら、
あなたを受け入れるんじゃなかった。
あなたのこと知らなかったら、
こんなに苦しまずに済んだのにね。
…
どうして、出会っちゃったのだろう?
出会わなければ…
今ごろ…
…
…
…
ねぇ…
私…
生きていくの…
疲れちゃったよ…
…
そっちに行っても良い?
あなたにもう一度会いたいよ。
…
もう、それしか方法は無いのかな?
あなたはこの世界にはいないのかな?
もう、そう思っても良いのかな?
三ヶ月…
あなたは生きている。
そう思いつづけてきたけど…
…
もう、これ以上は…
…
耐えられそうに無いの…
…
だから…
…
会いに行っても良いよね…
今から…
…
…
…
7th of JULY
SIDE C MANA
TIME/99
彼女はふらふらとした足取りで、船首方向へ歩いていくマナ。
そして、手すりから下を覗き込む。
漆黒の海は全てのものを飲みこみそうに見えた。
このまま…
この海に飛び込めば…
身を乗り出した瞬間、
マナの背後から声が飛ぶ。
本当にアイツってバカよねぇ。
その言葉に振りかえるマナ。
一つ上のデッキに立って、こちらを見つめていたのは…
アスカさん…
アスカはにっこり微笑むと言葉を続ける。
ずっと、指令のいいなりで使徒を追い払いつづけて、
やっと、全てが終わって指令とも決別して、
アナタと一緒の新しい生活が始まったのに…
首をふるふる振って、アスカは髪をかきあげる。
風にのって髪がゆらゆらとそよいだ。
本当にバカよねぇ…
マナはアスカの方を見て微笑んだ。
その笑みははかなく消えてしまいそうにアスカに見えた。
どうしたんですか?こんな時間に…
それはこっちのセリフよ。
こんな時間に海に落ちたら誰も気づかないわよ。
見詰め合う二人。
と、アスカは手すりから身を乗り出して、マナのいるデッキに飛び降りる。
飛び降りるといっても2メートルもないので、
アスカにとっては造作も無いことだった。
そして、ゆっくりとマナの方に歩いて来る。
星を…
見ていたんです…
マナは空を見上げていった。
頭上には見事な天の川が空に横たわっていた。
天の川…か…
アスカが小さな息を吐く。
アイツ…大好きだった…な…
しばらく黙ったまま二人は夜空を見つめた。
デッキを吹きぬける風が二人の髪をそよがせている。
沖に出ているせいか、波は穏やかだ。
頭上に広がる天の川はまさしく光の川となって、二人の頭上を流れている。
そして、アスカがマナを見て尋ねる。
ね、ひとつ聞いて良い?
マナは首を少しだけ傾げてアスカを見る。
はい…
シンジのこと…もう、あきらめてる?
…
マナは顔を伏せる。
生きてないと思ってる?
…
マナは黙ったまま答えない。
それはずっといままでマナの心の中で繰り返されてきた疑問。
シンジは…
もうこの世界には…
いないのだろうか?
マナは小さく身震いした。
なぜか、急に怖くなった。
シンジがこの世界にいない。
…
ほんとうだろうか?
その答えを知っている人はいるのだろうか?
それを確かめた人はいるのだろうか?
わからない。
わからないけど…
でも…
アタシは生きてると思ってるよ。
アスカは手すりにもたれかかって、漆黒の海を見つめた。
見渡す限りの水平線に灯りはなかった。
どうしてかって?
だって、シンジだから。
あのバカは飛行機が落ちたくらいで死なないよ。
アスカはそう言うとくすくす笑ってマナを見る。
それにアナタを一人にして先に行ったりなんかしないはずよ。
アイツのことだから、すごいキザなこと言ってそうだけど、
約束は守る奴だから。
でも…もう、駄目なんです…
マナは小さく呟く。
そして、アスカの顔を見つめる。
その頬には涙が光っている。
もう、これ以上は…
マナは首を振って続ける。
生きていけないんです…
シンジのいないこの世界では…
その言葉を聞いてアスカは呟く。
生きていけない…か…
マナはこくこくうなずく。
でも…アナタは生きていかないといけない。
どう…してですか?
アスカは言い聞かせるような口調でマナに答える。
シンジが帰ってきた時に、アナタがいないと知ったらシンジが悲しむから。
今のアナタのように…
帰ってきた時…悲しむ…
シンジが生きて帰ってきたときに、
私がいなかったらシンジはどう思うだろう?
やっぱりアスカさんの言う通りで悲しむかな、今の私みたいに…
どうして帰ってこないと思うの?
誰もわからないじゃない。
今この瞬間だって、アイツは生きるために必死になってるかもしれない。
あなたはそんなシンジを置いて行っちゃうの?
でも…
でもじゃないの。
せめて、シンジが生きていないことを確認するまでは、
死ぬなんてこと考えたら駄目。
わかってから好きにしなさい。
マナは自分に言い聞かせるように小さく呟く。
確認するまで…
そうよ…まだ誰もシンジが生きてるって否定できない。
だから、信じるの、生きてるって。
生きてアナタの元に帰ってくるって。
信じる…帰ってくるって…
そう、信じるの。
知ってる?
奇跡ってほんとうに起きないけど、
信じていれば、起きるかもしれないんだよ。
だから奇跡って言うの。
マナは涙をぬぐってアスカに微笑みかける。
その笑みは先ほどまでのはかなさはなかった。
わかった。
私、もう一度信じてみる。
シンジは生きてるって。
シンジ…
私、もう少しだけ頑張ってみる。
あなたが生きていると信じて。
あなたが私の元に帰ってくるって。
奇跡が起こることを信じて。
いいよね…
それで。
そうよ、まだはっきりしたことはわからないんだから。
アスカはにっこり微笑むと、マナの肩を抱いてデッキから客室に入った。
その二人の頭上で天の川が輝いていた。
その数ヶ月後、とある島の病院でシンジとマナは再会した…
Fin.
あとがき
どもTIMEです。
部屋10万ヒット記念SS「7th of JULY」SIDE Cです。
私が書くSSとしては短い部類ですが、マナ編を公開します。
長編にしてもよかったのですが、かえってこれぐらいのほうが
このお話にはいいかなと思って、そのまま公開することにしました。
さて、これで10万ヒット記念は終わりです。
次は連載の方ですね。
しばらくTime-Capsuleの更新が止まっていたので、
ここで、またペースを取り戻したいですね。
では、連載でお会いしましょう。