真っ白い壁。清潔だけど,飾り気のない室内。どこか無機質とも言えるその部屋を,僕は一週間ぶりに訪問した。
その部屋には,一人の少女がいた。栗色の髪に蒼い瞳。かつては生命の躍動を象徴しているかのように輝いていたそれらは,いまでは色あせ,虚ろなばかりであった。
ここはNERV特別病棟。壁には部屋番号と入院患者の名札が掛かっている。
『303号室
惣流・アスカ・ラングレー』
自分の心を閉じてしまったアスカが入院して2カ月ほどが経っていた。入院した頃の彼女は,自分では何もできず,点滴で栄養を補給するほどに自我を失っていた。しかし,最近になってようやく,食事とトイレだけは自分でするまでに回復してきていた。しかしそれも,まるで人形があらかじめ定められた動きを,プログラム通りに繰り返しているように見える。看護婦が着替えさせる時も,大人しくさせるがままにしているだけで,自分からは動こうとしない。まるでそこに人がいないかのように,他人を認識しようとしない・・・。
しかし,その様子は,僕がアスカの部屋を訪れると,一変する。僕が部屋に入っていくと,彼女はその瞳に急激に生命の炎を取り戻し,憎しみの眼で僕を睨み付ける。そして・・・・。
『部屋に入ってくるなーーーっ!!こぉの,クソバカシンジッ!!お前の顔なんか見たくないって何度言えば分かるんだっ!!!』
烈火の如く怒り,僕に拒絶の言葉を浴びせかける。それは,僕の心にまた一つ,傷を増やしていく・・・・。
今日も僕はアスカの病室に向かう。カヲル君を殺したこと。綾波の秘密。それらのことに耐えられなくなって逃げてきたのが,アスカのところ。でもそこに待っていたのは,僕を心の底から憎んでいる少女。
アスカの精神崩壊の原因として,僕の存在があったことは,薄々,気が付いていた。アスカがただ一つの心の拠り所としていたエヴァのパイロットとしての意義を,僕はどちらかというと重要視していなかった。そのくせ,偶然的な要素が多くあったにしろ,僕は彼女よりエヴァを上手く扱えた。天才と呼ばれていたアスカよりも,何もできないようなこの僕が・・・。アスカの受けた心の傷はどれだけ深かったか。そしてアスカが心の底で助けを求めていた時も,自分のことばかり考えていた僕は,何も気が付かずに,アスカに手を差し伸べることをしなかった。アスカが僕を憎むのは当たり前のことかも知れなかった。でも,僕は・・・・,それでも僕は,何とかアスカを立ち直らせてあげたかった。
僕が,来る度に心に傷が増えるのにも拘わらず,アスカのもとを訪れるのは,アスカの担当のお医者さんの言葉を聞いたからだ。五十台半ばの,頭が半分白くなったお医者さんは,僕にこう言った。
『彼女は,普段,周りの人間に反応しない。看護婦が話しかけても,返事をしない。食事やトイレといった生活に必要な最低限のことは自分でするが,それ以外には興味がないかのようだ。ところが,君が部屋に入ると,たとえ憎しみという負の感情であっても,彼女に感情が甦る。瞳に生気が宿る。今,君の存在は,唯一,彼女の精神を現実に引き戻すことが出来る鍵なんだ。君にとっては,大変つらいことかもしれないけれども,彼女を現実世界に引き戻すために,たまに彼女の部屋を訪れてもらえないだろうか。』
それから僕は,週に一,二回程度,アスカの病室に通うようになった。あまり,頻繁に行って,アスカの神経に負担をかけ過ぎないように,とお医者さんに言われたからだ。そして僕は,今日もアスカの部屋に向かう。
最初は,僕がアスカに助けを求めに行ったはずだった。でも,彼女は僕以上に傷ついていた。そんな彼女を見た僕は,そこに逃げ場を見つけたのだ。
(アスカの心の病気は僕が直すんだ・・・。)
そんな風に思い込んで,自分の心をそちらに向けることで,僕は自分を怯えさせていた問題から逃げ出そうとしたんだ。だけど,それはただの逃避だったのかもしれない。自分以上に不幸な人間を見て,自分は不幸じゃないんだ,と思い込もうとしている。僕は,アスカが僕より不幸なのを実は心の中で喜んでいるのかもしれない。そして心の片隅で,僕は自分のことを
【精神の均衡を失った知り合いを献身的に看護するいい人】
ということにして,自分の気持ちを誤魔化そうとしているのかもしれない。そんなことが次々と頭の中に浮かんでくる度に,僕は自己嫌悪という名の底なし沼に沈んでいきそうになった。それでも今は,なんとか踏みとどまっている。アスカが僕を必要としているであろうから・・・・,たとえそれがどんな理由にせよ。
苦い自覚を心の片隅に押し込んで,僕はアスカの元に行く。確かに,心の底ではそう思っているかも知れない。でも,どんな形であれ,アスカが僕を必要としてくれている,僕を必要としてくれる人がいるんだ,ということが僕を突き動かしていた。最初の頃は,傷つくのがイヤだった。逃げ出したかった。でも,最近は,アスカの浴びせてくる罵声も,僕を必要としてくれている証なのだ,と思うようにしていた。
少女は,白い天井を見ながら,考えていた。
アタシ・・・まだ,生きてる・・・。もう・・・誰にも,必要・・・とされ・・ないのに・・・・。そう・・・アタシは・・死ぬのが・・・こわ・・い・ん・だ・・。たとえ・・誰が必要としなく・・なっても・・・・・,死ぬのが・・・こわくて・・いまだに・・・・・・こんなところで・・・・。なんで・・・・アタシ・・が・・・。
その時,ドアを遠慮がちに叩く音がした。少女がハッと振り向く。ドアを叩く音で,それが誰だか分かったようだ。
『アスカ・・・・,入るよ。』
ノックと同じように,遠慮がちに現れたのは,少女の予想した通りの顔であった。黒い髪と線の細い顎のラインに哀しみを湛えた瞳。その少年の姿が,視界の中に入ってくる。
シン・・ジ・・・。そうだ・・・・,こいつが・・・アタシを・・。こいつのせいで・・・アタシは・・・必要ない人間・・に,なった・・・。こいつのせいで・・・。
アスカの部屋に入るときは,いつも心が痛くなる。分かってはいても,アスカに罵られるのに慣れることはない。それでも僕は,部屋に入らねばならないのだ。それが,今の僕にとって唯一の心の依りどころだから。部屋に入る前に,ドアの前で僕は呟く。
(アスカのために・・・。アスカのために・・・)
それは,その部屋に入る前に必要な呪文。心の傷を少しだけやわらげてくれるための。
でも,今日は,いつもと様子が変わっていた。いつもなら部屋に入るなり浴びせかけられる罵声がない。アスカは確かに僕の方を見ているのだが,口の中でぶつぶつ呟くだけだ。
(どうしたんだろう・・・。いつもと様子が違う・・・。)
『アスカ・・・・,僕だよ。シンジだよ。どうしたの。』
不安になった僕は,アスカに話しかける。
僕のことに気が付かないのか?
もう,僕はアスカにとって必要じゃなくなってしまったのか?
それは僕にとって非常な恐怖であった。唯一の心の支えがなくなる!
背中を冷や汗がつたうのを感じた。その時!
『シンジ・・・,くだものが・・リンゴが食べたい・・・。持ってきて,ここで,皮,剥いて。』
アスカが・・・普通に,僕に話しかけた。僕は思わず,エッ?,と聞き返していた。しかし,アスカはそれ以上は何も話しかけてくれなかった。でも僕は,アスカがようやく普通に話しかけてくれたことに,小踊りしたくなるほど喜んで,すぐに看護婦さんの所に駆けていった。
『看護婦さん,リンゴありませんか?アスカが,食べたいって!』
看護婦さんは驚いたようだったが,すぐに果物ナイフとリンゴを二つ,僕の手に渡してくれた。
『気を付けてね。』
僕がいつも訪れた時のアスカの状態を知っている看護婦さんは,嬉しそうな僕に対して,未だ油断はできない,とういふうに言った。でも,僕はそんなこと気にしていなかった。すぐに戻らないと,アスカの気が変わっちゃうかも知れない・・・。慌ててナイフと林檎を持つと,僕はアスカの部屋に戻った。
アスカは,先刻の状態のまま,まったく動いていないようだった。おそるおそるアスカに話しかける。
『アスカ・・・,ほら,林檎だよ。』
アスカは僕の方をチラッと見ると,コクッとうなずいた。ホッとした僕は,ベッドの横に置いてある椅子に座って,林檎の皮を剥き始めた・・・。
林檎の皮が剥き終わったので,僕はアスカの方にお皿を差し出した。その瞬間,彼女の身体がパッとひるがえった。彼女の手は,僕の差し出したお皿を通過して,横のテーブルに伸びていった。
『えっ?アスカ?』
次の瞬間,僕は左手に鋭い痛みを感じた。思わず,林檎ののったお皿を落としてしまう。左手の痛みの走った部分を確認した後,アスカの方を見る。僕の左手には,鋭利な刃物で切り裂かれた傷が付いており,そこからは真っ赤な血が滴っていた。そして,アスカの手の中には,僕の血に濡れた果物ナイフが握りしめられていた。
『シンジが悪いんだ!みんな,アタシがこんなになったのも・・・アンタが!!』
アスカの身体が心なしか震えている。その理由が,生身で人を傷つけたためなのか,それとも別の所にあるのか僕には分からなかった。でも僕は,自分が不思議なくらい落ち着いているのを感じていた。あるいは,あまりのショックに,一次的に感情が麻痺しているのかも知れない。アスカはなおも話し続ける。
『シンジが悪いのよ。殺してやる・・・。シンジを・・・殺してやる!!!』
彼女の瞳は,燃えるような炎を宿していた。
『アスカ・・・,なんで,僕を殺したいんだい。』
何故,こんなことを聞いているんだろう。自分でも良く分からなかった。でも,僕はそれを聞くべきだと思ったんだ。
『アンタが悪いのよ。殺してやる。シンジを殺して・・・,アタシも死ぬんだ!』
『一緒に死んでちょうだい!!アタシと・・・一緒に死んで!!』
『・・・・・・・』
『何とか言いなさいよっ!!怖いなら怖いって,泣き叫んでごらんなさいよっ!!!』
アスカは本気で僕を殺そうとしているのかも知れない・・・。心の中でそんなことを考えながら,自分でも不思議に思える答えを返していた。
『いいよ・・。』
『えっ・・!?』
『アスカが僕と一緒に死にたいというのなら・・・・,死ぬのに僕が必要と言うのなら,僕はかまわない。』
『なっ,何,かっこつけてんのよ。アタシは本気なのよっ!!』
アスカは,僕の答えがまったくの予想外だったのか,一瞬,躊躇したが,すぐにナイフを振りかざした。
『アスカ,一人で死ぬのがこわいんだね。それなら僕も一緒に死んであげるよ。』
そう言って僕は,アスカを受け入れるように,両手をちょっと広げた。
『イッ,イヤァァァーーーーーーッ!!!!!』
その言葉と行動が,後で思うと,アスカを追い詰めてしまったのかもしれない。彼女は一瞬,恐怖に駆られた表情をし,次の瞬間,身体ごと僕にぶつかってきた。
左の腹部に痛みが疾る。何かが身体の中に潜り込んでくる感触。苦痛で顔が歪んだ。しかし僕は,そのまま両手でアスカを抱きしめた。
『アスカが・・・僕を必要としてくれるんだったら・・・,たとえそれが・・・一緒に・・し,死ぬことであっても・・かまわない。今の僕には・・・,アスカしか・・いないんだ・・・。』
アスカの耳元に囁く。苦痛のため,声が思ったように出ない。しかし,その言葉を聞いたアスカの身体が,ビクンと跳ねた。そして・・・。
『イヤァァァーーーーーッ!!!シンジッ!!!シンジーーーーーッ!!!』
『ア,アタシ・・・?!イヤッ!!シンジッ,死なないでぇーーーっ!!死んじゃだめぇーーーーっ!!!!』
アスカは,意識が正常に戻ったのか,自分のしたことに気付いて,パニック状態になっていた。僕はアスカを抱き締める手に力を入れた。
『アスカ・・・,大丈夫だよ・・・。アスカが・・僕のこと,必要だって・・・言ってくれるのなら・・・僕は・・死なないよ。』
『ごめんなさい!!ごめんなさい!!!ア,アタシは・・・アタシは・・・』
アスカが僕の腕の中で泣きじゃくる。やっと,やっとアスカが僕の元に戻ってきてくれた・・・。お腹の痛みはまるで気にならなかった。その嬉しさだけが,僕の心の中を占めていた。
『だっ,誰か来てぇーーーっ!!シンジが,シンジが死んじゃうよぉーーっ!!』
人が駆けつけて来る気配がする。アスカの叫び声が聞こえたようだ。
『大丈夫・・・ここは病院だから。し,心配し・・なくても・・・大丈夫だよ,アスカ。でも・・・ゴメン,ベッドやパジャマが・・血で汚れちゃった・・・。』
『なっ,何言ってんのよっ!!』
僕は何とかアスカを落ち着かせようとして,くだらないことを喋っていたようだ。僕自身は何を喋っていたのか,あまり覚えていない・・。最後の方は意識が朦朧としていたようだ。後で,アスカから聞いた話だ。
(でも・・・このまま死んだとしても・・・,好きな女の子に殺されたのだったら,それも悪くない・・・・かな。)
薄れゆく意識の中で,不謹慎にも僕はそんなことを考えていた。
目が覚めたとき,右手の上に重みを感じた。そちらの方を見ると,頬に幾筋も涙の通った跡をつけたアスカの顔が見えた。ベッドの横の椅子に座ったままで,ベッドに突っ伏している。泣き疲れて,眠ってしまったようだった。僕はアスカを起こさないように,自分の身体の状況を確認しようと,ちょっと身体を動かした。瞬間,
『つぅっ!クッ!』
腹部に激痛が走って,僕は思わず身をよじってしまった。
『ううぅーーーーんっ・・・。』
そのショックで,アスカが目を覚ましてしまった。ハッとなった彼女は,すぐに僕の顔を見つめる。
『シンジッ!!』
口は動くものの,その後の言葉が出てこない。僕は,大丈夫だよ,ということを伝えるため,アスカに向かって微笑んだ。それを見たアスカの瞳から,また大粒の涙が溢れだした。
『シンジィ・・ ウウッ・・・ヒック・・ ゴメンナサイ・・ゴメンナサイ・・・ グスッ 』
泣きながら,僕の寝ているベッドに顔を押しつけて謝るアスカの頭を,僕は,唯一,楽に動かせる右腕で優しく撫でてあげた。
『気にしないで,アスカ。アスカが僕の元に帰ってきてくれたんだから,これぐらいなんてことないさ。』
『で,でも・・ウウッ・・・・グスッ・・でも・・・・』
『ほら,もう泣かないでよ。アスカが泣いてると僕まで悲しくなっちゃうよ。』
『シンジィ・・・』
それから数分後,ようやくアスカは泣き止んだようだったが,顔はまだベットに伏せたままだった。僕は何も言わずに,ずっとアスカの髪をゆっくりと撫で続けた。
今までの僕とアスカの関係がまるで嘘のように思えるほど,不思議と心は穏やかになっていた。
しばらくして,気持ちが落ち着いたのか,アスカは顔を上げると,ポツリポツリと話し始めた。
『アタシ・・・,ママと同じことしちゃった・・・。』
それは今まで全く知らなかった,いや,知ろうとしていなかった,アスカのつらい過去だった。
『アタシが子供の頃にね,ママは,エヴァの試験の最中に精神汚染にあってね・・。アタシのことも分からなくなっちゃったの。』
『アスカ・・・』
僕はアスカが何故そんな話しをするのか分からなかったが,黙って聞いていた。
『それでね・・・,幼かったアタシは,自分のことをいらない子なんだって思ったの。ママに必要とされない,いらない子なんだって・・・。』
知らなかった・・・。アスカにそんなつらいことがあったなんて・・・。いつも不自然なくらいに明るく強気に振る舞っていた裏にそんなことがあったなんて,僕は初めて知った。アスカは話しを続ける。
『今なら認められるような気がする・・・。アタシが今まで頑張ってきたのは,自分が価値のある人間だって認められたいからだった。14歳で大学を出たとか,エヴァのパイロットだっていうことは,みんな他人に自分の価値を認めてもらうための道具でしかなかったのよ・・・。良く考えるとバカみたいね・・・。そんなもので価値を認めてもらったって,所詮,必要とされているのはそのレッテルがついているからであって,ほんとの自分自身が必要とされている訳じゃないのに。でも,何もない自分なんて誰も必要としてくれないって考えるのが怖かったんだわ・・・。』
僕には何も言えなかった。エヴァに乗るようになった僕も,同じ様なものだったから,彼女の気持ちは良く分かった。
ふとアスカの顔を見ると,今までの彼女に見られたどこか張り詰めた様な雰囲気が抜けて,憔悴した感はあるものの,その顔つきはなんとなく穏やかなものになっていた。
『話しを元に戻すわね・・・。精神汚染を受けたママは入院していたんだけど・・・,ある日ね,アタシを道連れにして死のうとしたの。まだ小さかったアタシの首を締めて,“一緒に死んでちょうだい”って・・・。でも,アタシはママと一緒に死んであげられなかった・・・・。』
僕は何も言わずにアスカの独白のような言葉を聞いていた。僕の心は,まるでアスカの心と繋がっているかのように,キリキリと痛む。そのアスカの心の痛みを感じることで,僕はようやくアスカのことが少し解ってきたような気がしていた。
『そう・・,アタシはママと一緒に死んであげられなかったの・・・。』
アスカの眼に涙がにじんでいる。心がさらに痛くなってくる。
『でも,シンジは・・』
我慢できなくなった僕は,思わずアスカの手を握りしめ,彼女が更に何か言おうとするのを遮るように言った。
『アスカ,もうやめて。無理にそんなこと話さなくていいよ。』
しばらくの沈黙。
そしてアスカは僕の手をゆっくりと握り返したあと,急に話を変えた。
『ねぇ,シンジ。さっきは・・・なんであんなこと言ったの?アタシが望むなら死んでもいいって・・・。』
僕はアスカの眼を見つめ返して考えた。
そう言えばそうだ。アスカがナイフをかざして僕に迫ったとき,不思議と僕の心は落ち着いていた・・・。そして・・・,あの時は何の疑問もなく思ったんだ,アスカが僕を必要としてくれるのなら,命さえも捧げようって。でも・・・。その時のことを思い出した僕は,無意識に身震いしていた。今更ながら,死ぬことに対しての恐怖を感じたらしい。
『・・・分からない。今思うと,とんでもないことを言ったような気がする。でも・・・,あの時は確かにそう思ったんだ。アスカが僕のことを,たとえどんなことにしろ必要としてくれるなら,どんなことでも答えてあげたいって。それが憎まれることであっても,殺されることであっても。』
『アンタ・・・,ホントにバカよ・・・。』
アスカの澄んだ蒼い瞳からは,透明な滴が次から次へと流れ落ちていた。
『そんなことして・・・,もしアンタが死んじゃった後に,アタシがあんたのこと必要になったらどうするのよ・・・。必要だったものを自分で壊してしまったと気付いてしまったら・・・。』
『ゴメン・・・,そこまで考えてなかった・・・。』
僕は思わず顔を伏せ,いつものように謝っていた。
『ホントに・・・大バカなんだから・・・。』
アスカの声が震えている。顔を見なくても泣いているのが分かった・・・。
『でも・・・よかった,シンジが死ななくって。』
その言葉に僕はハッと顔を上げた。しかし,その時はアスカは,僕と繋いでいる手に額を寄せてベッドにうずくまっており,その表情は見えなかった。
『アスカ・・・』
『ゴメンナサイ・・・・。』
アスカが小さい声で謝るのが聞こえた。あのアスカが僕に謝るのを初めて聞いた様な気がする。
『ゴメンナサイ・・・,ゴメンナサイ,シンジ。今までさんざん当たり散らして,ひどいこと言って・・・,その上あんな恐ろしいことまで・・・。今,やっと気付いた・・・,ひょっとしたらわたしの方がシンジを必要としてたのかもしれない・・・。でも,それを認めたくなくって・・・,あんなひどいことを・・・・。』
『わたし・・・,もう少しで取り返しのつかないことしてしまうとこだった・・・。ホントに,ホントにゴメンナサイ・・・・。許してなんて言えない・・・。謝って済むようなことじゃないけど・・・,今のわたしにはそれしか出来ないの・・・。』
僕にはアスカの気持ちが痛いほど分かった。アスカと僕は正反対の様に見えるけど,心に持っている傷や,それによる人を必要とすること,人に必要とされることに対する未熟さといったところは,精神的な双子のように似ているんだ。だから・・・。
『アスカは僕なんかのことを必要としてくれるんだね。』
僕はアスカに聞いていた。そう,もう迷うことなど無い。
『えっ?』
アスカが顔を上げて僕を見る。その瞳は未だ涙に濡れている。
『じゃあさ・・・,今回のお詫びと言っちゃなんだけどさ・・・・。
これから・・・僕のそばにいてくれないかな。僕にはアスカが必要なんだ。』
『ええっ!?』
ビックリしたように,涙が溢れてる瞳をいっぱいに見開くアスカ・・・。
『僕のことを必要になってほしいなんて言わない。アスカが僕のことを必要でないのなら,必要になるようにしてみせる。それが出来いないときは・・・,いつでも僕から離れていってかまわないから。』
決めた。もう迷うことはない。僕にはアスカが必要だ。だったら,必要とされるのを待つのじゃなく,必要とされる相手になってみせる。それが彼女に対する優しさだと思うから。
『シンジが・・・・』
アスカが僕の眼を見つめながら答える。
『シンジがそう望んでいるのなら・・・,わたしはかまわない・・・。』
小さな声だったけど,それははっきりと僕の耳に届いた。
『でもシンジは・・・,シンジはこんなわたしのことを必要としてくれるの?こんなわたしなんかのことを?』
『アスカだから必要なんだ。いい所も悪い所も全部ひっくるめてね。自分のことをそんな風に言うもんじゃないよ。』
『そう・・・,そうよね。わたしはシンジのことが必要。なら,シンジが必要としなきゃいられないような女になって見せるわ,わたしも。』
『アスカ・・・』
僕は傷が痛むのをこらえて上体を起こした。握り締めていたアスカの手を引いて,彼女を引き寄せる。
『キスしても・・・いい?』
『キズ,痛むでしょ。わたしがシテあげる。』
そう言うとアスカは,僕の首に手を回して,そっと唇を重ねてきた。
僕らはしばらくお互いの温もりを感じ合っていた。
僕らは,この一年の出来事で大きく傷ついた。
でも,それを乗り越えて,一つ成長できたと思う。
まだ,足りないところはたくさんあるけれど・・・。
お互いがいれば,きっといろんな障害も乗り越えて,
もっともっと羽ばたけるようになれるはずだ。
僕らの行く道はまだ始まったばかり。
でも・・・・・,
アスカと一緒なら・・・・。
Fin
【あとがき】
内容については特にありません。たまにはシリアスっぽいのを書いてみようと思いまして。
でも,最終的にはハッピーエンドになってますが。
あれだけ苦しんだんだから,とにかく二人には幸せになって欲しい。それだけです。
今更24話からの補完なのは,実は本作品を書き始めたのがEOEの上映前だったためです。
3分の2ぐらいまで書いてから,最後のまとめ方が決まらなくて,HDの隅で半年近く眠っていたのをサルベージしたものです。
そのうち,できればEOEも補完したいと思っています。
【言い訳】
アスカがシンジを刺す,というのは,まっこうさんの『ワールドカップへの道』でやられてますが,言い訳をさせていただきますと,これを思いついたのは6月頃で,まっこうさんの作品を読む前です。なんか真似してるみたいで,どうしようかちょっと考えたんですけど,せっかく書いたものなので。
まっこうさん,怒らないで下さい。
(おまけに,どっかで聞いたような言い回しが多いような・・・。)
【作者のくだらないこだわり】
アスカの一人称が,途中で『アタシ』から『わたし』に変わっています。気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが,これは誤植ではなく意図的なものです。自分に素直になったアスカの変わったところを表現するためにそうしてみました。それこそ勝手な思い込みですが,『アタシ』ってちょっと気の強いイメージがありまして。
でも,また元気になれば,元に戻るかも知れませんね。アスカには『アタシ』の方が似合うと思うし。
ぜんさんの【必要とすること,必要とされること】、公開です。
24話補完・・久しぶりです(^^)
病室で眠るアスカ。
助けようとするシンジ。
語り尽くされた感もあるこのテーマですが、
ここで新たにひとつの結果・補完に行き着きましたね。
助けようとしている自分に感じる欺瞞・誤魔化し・嫌悪・・
命がかかったときに真実は見えたでしょうか。
本当、この二人には幸せになって貰いたいですよね(^^)
さあ、訪問者の皆さん。
果敢に挑戦したぜんさんに感想メールを送りましょう!