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Episode10. MAGMADIVER




「回答が来た」
「聞かなくとも分かっている。どうせまた拒否だろう?」
「仕方あるまい。JA計画が頓挫した以上、今のところこちらには連中に応と云わせる、有効な切り札がないのだからな」
「帆足を追い返した程度ではビクともしないか」
「冬月も食えん男だ」
「いや、マルドゥックは奴の権限外だ。大方、碇の差し金だろう」
「亭主の方か? それとも女房の方か?」
「どちらにせよ、同じことだ。あの二人から譲歩を引き出すのは並み大抵のことではないぞ」
「だが、奴等も失態を犯す。いつまでも強権が通じるものではない」卓の一番上座に座っていた制服姿の男が口を開いた。「その機会を逃さず利用することが肝要だ。それを忘れるな」
 男は厳しい眼で卓をぐるりと見渡し、云った。
「この際、ト級の進捗に影響が出ることもやむをえん。なんとしても、こちらの手駒からパイロットを選ばせねばならん」






 修学旅行。


 それは学生生活最大のイベントの一つである。

 その言葉を聞く時、あるものは枕投げ、またあるものは夜中の酒盛り、そしてまたあるものは憧れの人と歩く旧い街並みに、それぞれ思いを馳せる。
 この際、目的地などどうでもよろしい。
 前世紀以来、相も変わらず六・三・三制をとっている日本の教育制度では、例外はあるせよ、生涯でたった三回しか、それは訪れない。
 第三新東京市立第一中学校の場合、第二学年、セカンドインパクト以来日本列島から季節が消えて久しいが、便宜上残された秋という時期に行われることになっていた。
 たまたま来日してすぐにこのイベントがを体験できることを知り、自分の立場などお構い無しに盛り上がってしまった少女がいた。
 その名を、惣流アスカ・ラングレーという。
 だが、彼女には過酷な運命が待ち受けていた。



「修学旅行に行っちゃダメぇぇっ?!」
 夕食の済んだ葛城家のリビングに、惣流アスカの悲鳴が響き渡った。
「そう」ビールを口にしながら、平然と葛城ミサト。
「どうして?!」
「戦闘待機だもの」ニベもなく、云う。
「そんなハナシ、聞いてないわよ!」
「今云ったわ」
「そんなこと、誰が決めたのよ」
「作戦担当の私が決めたの」
 さすが作戦部長。問答無用のその言い草。
 何も言い返せなくなってしまうアスカ。下手に聡明であると、オトナの理屈が理解できてしまうのが不便だ。
 とはいえ、これで収まる筈もない。なにしろ、どこから仕入れたのか、ドイツを発つ時点から日本にそういう制度があることを聞きつけて、ずっと楽しみにしていたのである。おまけにムリヤリ洞木ヒカリや山岸マユミを付きあわせて、ちょっとダイタンな水着まで買ってきたというのに。オトナの勝手な都合でフイされれば誰だって頭に来る。
 と言う訳で惣流アスカは、この行き場のない怒りの矛先を、一番最初に目に付いたナサケない同居人に向けることにした。
「シンジ。呑気にお茶なんて啜ってないで、何か云ったらどうなの?!」
 だが、もともとが物分かりがいい、というより人生諦めきってるんじゃないか、と勘繰りたくもなるこの少年が、まっとうな返事を返す訳もない。
「いや、僕は多分こういうことになるんじゃないかと思って」
「諦めてた、ってワケ?」
「うん」
 大袈裟に「呆れました」のポーズを取るアスカ。
「ハッ、飼い慣らされた男なんて、サイテー」
 そのお言葉に、さしもお子様もカチンときた。
「そういう言い方は止めてよ」とシンジ。
「しかたないよ、アスカ。それがわたしたちの役目なんだから」と、お代わりのお茶とビール、そしてお茶うけを置きながら、マリエ。
 だが、そんなマリエを、きっ、と睨み付けてアスカは云った。
「あんたは行くのよ、マリエ」
「え?」
「あんたバカ? 乗るエヴァもないのに、ここに残ったってしょうがないじゃない。せいぜい沖縄で楽しんでくるのね」
 その言葉に、マリエは苦笑する。アスカはアスカなりにマリエに気を使っているのだ。自分達が行けないなら、せめて待機の必要のないマリエくらいは行ってきて欲しいのだろう。
 ただ、もう少し素直な言い方のほうが分かりやすくて、誤解する人も少なくなるのになぁ、ともマリエは思う。
 だが、その気遣いも、ミサトの一言に消されてしまう。
「いいえ。マリエも残って」
「ミサト!」案の定、声を荒げる惣流アスカ。
 だが、ミサトの口から出たのは意外な言葉だった。
「マリエ。三日後に起動試験をやるから、準備しておいて」
「え」マリエは一瞬戸惑ったが、その意味に思い当たる。「それって……」
「そ。明日未明、第一支部を発つそうよ。明後日には本部に引き渡されるわ」




「この機体も、ようやくここを離れるか」
 ケイジを見下ろす管制室。胡麻塩髭の大柄な壮年の男が窓の向こうの黒鉄の巨人を見下ろす。
「帆足から散々急っつかれていたからな。ようやく肩の荷が降りた気分だよ」
 エヴァンゲリオン参号機。
 制式タイプとしては二機目の機体である。
 Nerv支部中最高の技術力を持つ米第一支部で建造されたこともあり、その完成度は弐号機に勝るとも劣らないものだと云われている。
 但し、4th Childrenのひとり、当時参号機専属パイロットであったレイチェル・イコマが、一年前この機体の起動実験中の事故でロストされているという曰く付きの機体でもある。
 もうひとりの4th Childrenである帆足マリエが、この機体で最後に起動に成功したのはほぼ半年前。これほどのブランクで起動試験を行った例はない。しかも、その時のシンクロ率は三十パーセントに少し足りない程度。パーソナルデータのチューニングが十分でなかったとは云え、前任者であったレイチェル・イコマのそれが九十パーセントを越えんかなとしていたことを考えれば、あまりにも低い数字といわざるを得ない。
 Nerv本部からシンクロテストの度に送られてくる帆足マリエのパーソナルデータとのシミュレーションは行ってはいるが、未だあまり芳しい数値が出ていないのが実情だった。
「とはいえ、あの娘にはこいつに乗る資格がある。そうは思わんかね?」隣に立つほっそりとした女に声をかけたが、相手の返事はにべもなかった。
「つまらない感傷ですわね、ジェイコブ司令」氷のように冷たい声だった。「グループCの他の候補者の成績はご存じでしょう? こういう状況でもなければ彼女を乗せる理由などありませんわ」
 その言葉に男はあからさまに不機嫌な顔をした。だがこの女はいつもこうなのだ。つい漏らしてしまったとはいえ、云う相手を間違えた自分が悪い。
「彼女たちは皆ここで生まれ育ったのだ。我々からすれば娘のようなものだ。君にとっての1st Childrenと同じだよ、ミズ・碇」
 嫌みたっぷりに云ったつもりだったが、女はその形の良い唇に薄笑いを張り付けて云った。
「私はレイを、番号で呼んだことなどありませんもの」
 その言葉に男は鋭い目でユイを睨んだ。
「偽善だとでもいうのかね?」
「いいえ、とんでもありません」だが女は、その視線も知らぬげに呆けてみせる。「ただ、一度は候補から外された娘を復帰させることに何故そんなにこだわるのか、少々興味があるだけですわ」
 ジェイコブにはその応えが気に入らなかった。当時この女はNerv本部の精々一介の開発技術者だった筈だ。今でこそE計画の重鎮とは云え、第四次選抜計画の詳細などこの女の知るところでは無い筈なのに。どこからか記録が漏れているのだろうか。冬月か、帆足か。あるいは、もっと別な人間か。この女は一体どこまで知っているのだろうか。
 だが男はその疑念を意識の端に追いやって云った。
「息子を捨てた母親よりもマシだと思うがね」
 精一杯の仕返しのつもりだったが、女はまるでびくともしなかった。それどころかユイは、低い笑い声を漏らしさえした。
「あんな息子など、よろしければどなたにでも差し上げますわ。今の私には、レイさえいれば十分ですもの」
 平然とそう云い放つ。男が唖然とするのにも構わず、ユイは心から楽しそうにくすくすと笑った。




 潮の香りはいつ嗅いでもいい、とシンジは思う。碇シンジは海が好きだった。
 つい半年前まで暮らしていた施設は房総・鋸山に近い海沿いにあった。窓から見える東京湾は、海岸線が後退したせいでセカンドインパクトの前とは見える景色が変わってしまった、と施設の管理人が嘆くのを幾度となく聞かされた。そのころの写真は残されていたが、現在の姿しか知らないシンジには、どこか別の場所の風景にしか見えなかった。
 かつて三浦半島とを結ぶフェリー乗場があった浜金谷港は今ではすっかり海面下に沈んでしまっていて、天気が良ければ遠く伊豆大島まで見通せたという鋸山は、少し小高いだけの岬になっていた。施設を抜け出しては、シンジは自転車でよくその岬に通っていたものだ。今こうして岸壁に立つと、風景は違うものの確かにあの時と同じ香りがした。あの時見た海と空は、今まで見たどんな色よりも蒼かった…………

「センセ。なにタソガレてんのや」

 情緒のカケラもない声にがっくりして振り返ると、そこにはやっぱり情緒のカケラもないジャージ姿。
「修学旅行いけへんのがそんなにショックやったんか? まぁ、そない落ち込まんでも、お前らの分までキッチリ楽しんで来たるわ」そう云ってカラカラと笑う。出発直前でテンションが上がっているせいなのか、普段にもましてデリカシーのない発言だよなぁ、とシンジは思う。こんな台詞を惣流アスカが聞いた日には、有無を云わさずたちまち海に叩き込まれるところだったのだろうが、幸か不幸か今日の見送りにはきていない。
 出がけにいちおう声は掛けたはみたが、
「ぜぇっっっっっっっったい行かないっ!」
というニベもない返事が返ってきた。転校して来て日が浅いせいもあるが、それよりもオトナの都合で旅行がフイになったのが、よほど腹に据え兼ねているようだった。
 まったくオトナ気ないよなぁと、物分かりがいい、というより人生諦めきってる碇シンジは思う。少しは帆足さんを見習えばいいのに。
 一方、その当のマリエは、洞木ヒカリの「ゴメンね」責めに少々困惑気味だった。
「ゴメンね。なんか、私たちだけ」その、と言い淀む。
 いちおう仲良し少女漫才三人組ということもあってか気を遣ってくれるのはうれしいが、そんな気兼ねしないでちゃんと楽しんで来てほしい、とマリエは思う。ね、マユミちゃん、と視線を向ければ、真っ直ぐな黒髪を揺らしてマユミがこくこくと頷いた。
「行きましょう、ヒカリさん。そろそろ乗船時間ですよ」
「うん……」しぶしぶといった様子で、ヒカリ。「じゃあね、マリエ」
「うん。お土産楽しみにしてるから」
 にっこりといつも通りの笑顔を見せて、マリエは小さく手を振った。


 ゆっくりと岸壁から離れて行くフェリーをひとしきり見送ると、マリエとシンジは乗船所を後にした。
「ホントは行きたかった?」リニアの駅への道すがら、マリエがシンジに訊いた。だがシンジは小さくかぶりを振った。
「そんなに行きたかったわけでもなかったんだ。それに、ほんとはちょっと、安心してるんだ。人がたくさん居るのって、苦手だから」
「そう……」
「帆足さんは? 行きたいって思わなかったの?」
 その問いに、マリエは小首を傾げた。
「わかんない」
「え?」
「行きたかったような気もするけど、でも行ってもこっちのことが気になっちゃって楽しめなかったんじゃあないかなぁ」
 へぇ、と碇シンジは思った。自分はごく個人的な理由で修学旅行に乗り気でなかったというのに、マリエの口から漏れるのはやっぱりエヴァのパイロットとしての心配だった。どんなに過酷な命令を受けて眉一つ動かさずに従う綾波レイにしても、二言目には「人類の存亡」を唇に乗せる惣流アスカにしても、やはり自分とは違うのだ、とシンジは思わずにはいられない。
 前回の出撃で惣流アスカとペアを組んだことは、シンジにほんのわずかにせよ自信を持たせてはくれている。だがその分、自分と他の三人の適格者との違いを、以前よりも強く感じるようになっていた。それは劣等感とも違う、なんとも云い様のない居心地の悪さだった。
 生え抜き。帆足マサキの言葉が否応なしに蘇る。年端も行かぬ頃から訓練の日々に明け暮れて刷り込まれてきたものが、それだけ重いということなのか。

 どうして自分はここにいるんだろう。どうして自分がエヴァに乗らなきゃならないんだろう。
 どうして選ばれたのが自分だったのだろうか?

「どうしたの?」
 気付くとマリエの緋色の眸がこちらを覗きこんでいた。まとめられた髪が柔らかそうに揺れる。
「あ、いや、その、なんでも、ないよ」
「そう?」
 マリエは少しだけ心配そうな表情を眸に浮かべたが、それも一瞬だけだった。両手を後ろ手に組んでくるりとシンジを振り返ると、いつも通りの笑顔になって云った。
「せっかく新横須賀まできたんだし、なにか美味しいもの食べてこ。アスカと綾波さんにも何か買っていってあげようよ」
 その笑顔につられて、シンジは思わず頷く。こういうときのマリエは年相応の少女の顔になる。ほんの少し前まで自分とは違うパイロットの顔を見せていたというのに。
 おんなのこって、よくわかんないや。
 先に立って歩き始めたマリエの背中を追いながら、シンジはぼんやりとそう思った。




 見上げる月は、今日も変わらぬ冴えた光でベランダを照らし出す。
 そのベランダに立ち、綾波レイはぼんやりと夜空を見上げていた。
 湯上がりのほてった頬を撫でていく夜風が心地よい。月明かりの下、見渡せば朽ちかけた墓標のような団地の並ぶ見慣れた光景。惣流アスカはそのまま葛城家に居残ることになったが、結局綾波レイはこの部屋に帰って来ていた。
 葛城一尉は、弐号機パイロットに加え、自分もあの部屋に住まわせようと申請を出したそうだ。Children全てを公私共に管理下に置くことは今後の作戦展開に有利に働くと思われる、というもっともらしい理由が付けられてはいた。彼女が前回の訓練でその手応えを感じたのは、確かにウソではないだろう。だが、本当の理由はそれだけではないことは、レイにも容易に想像がついた。
 葛城家の居心地も決して悪くはなかったのだが、碇司令の応えは当然のことながら否だった。それは間違いなく碇博士の意志でもある。
 でも、それで良かったと思う。あのまま彼女とともに暮らすようになれば、きっと自分の中の何かが変わっていってしまう、そんな気がするから。
 そよそよと頬を撫でた夜風に、不意にくしゅん、と小さくくしゃみが出た。薄着のまま長く外に出過ぎたようだ。こんなことで体調を崩してしまっては元も子もない。
 明日は帆足マリエと参号機の起動試験が有る。別に自分の起動試験の時に立ち会っていたからではないし、何を期待しているわけでもない。だが、自分もあの時と同じ場所にいて一部始終を見守っていたいと思う。
 自分がそういう感情を持ち始めたこと自体が、レイにとっては驚きだった。
 彼女がこの部屋を訪れるようになってからの自分の中の密やかな変化。それは赤木博士ですら気付くほどのものになりつつある。
 自分が変っていくということに、レイは漠然とした不安を抱いている。それはなにか根拠があるものではない。だが、いつか自分が今の自分自身以外の存在に変容していく予感は、幼かった頃からずっとレイを捉えていたものだ。
 いや、自分の心をざわめかせるそれは、本当は不安ではないのかもしれない。自分はその時が来るのを待っているのかもしれない。

 その日が来るのは何時なのだろうか。そしてその時自分は、何を望むのだろうか。




「修学旅行?」赤木リツコ博士は手に持った資料から目を離さず、それでも器用にサーバからコーヒーを継ぎ足しながら、呆れたように云った。「このご時世に呑気なものね」
「その子供たちをネタにトトカルチョをやってたのはだぁれ?」イヤミたっぷりのミサトの台詞だったが、リツコは平然と受け流す。
「ギリギリまで黙って待ってなきゃいけないこっちの身にもなってちょうだい。多少の娯楽を提供してくれたっていいじゃないの」
 ねぇ、マヤ? と傍らで作業をしていたオペレータに声を掛けたが、ばつの悪い笑いのような言い訳のような、複雑な表情のむにゃむにゃとした返事だけが返ってきた。
 それにみたことか、とミサトはリツコを睨んだが、当の本人は気にした様子もなくカップを傾けている。仕方なくミサトは話を元に戻した。
「で、参号機はどんなカンジ?」
「どうもこうもないわ。よくもこんな機体を作れたものね」
 ため息混じりのリツコの云い方に、ミサトは首を傾げた。
「どういうこと?」
「単純に戦闘能力だけみれば、間違いなく弐号機以上。パワー、反応速度、どちらも弐号機の値を三十パーセント以上上回っているわ」
 その言葉に、ミサトは目を見張る。
「そんなに差があるの?」
「ええ。一緒に送られてきたデータとも突き合わせてみたわ。数値は掛け値なしのものよ」
「すごいじゃないの。それの何が問題なの?」
「すごいのはそれだけじゃないわ。ここを見てみて」とリツコは書類のある箇所を指差し、ミサトに示した。それに目を走らせたミサトの表情が硬くなる。
「これって……」
「そう。逆に、素体の疲労蓄積度は弐号機の倍近いわ。つまり、時間経過に伴う能力の劣化が他の機体に比べて格段に大きいの」
「要するに、耐久力に限って云えば弐号機の半分程度しかない、ってこと?」
「そう。そして能力が劣化するということは、同時に他の機体に比べてそれだけパイロットへの負担も大きいということよ」
 ミサトの表情が厳しいものになる。パイロットとは、つまりマリエのことだ。
「あの娘に耐えられると思う?」
「なんとも云えないわね」リツコは曖昧な答を返した。「確かに、今の適格者の中では体力、身体能力ともにずば抜けているから、マリエなら乗りこなすことが出来るかもしれない。そういう意味で云えば、マリエにはぴったりのチューニングと云えなくもないわ。けど、能力劣化時の精神的ストレスは相当なものになるはずよ。そちらの方が心配ね」
 ミサトは唇を噛む。待ち望んでいた筈の参号機。だがそれはマリエに必要以上の負担をかけることになるのかもしれない。
 だがそれでも彼女は「乗る」というだろう。それが自分自身に課せられた使命だと知っているから。
「前任者がテストしていた頃には、こんなふうにはチューニングはされていなかった筈よ。多分、ここまで納期がずれ込んだのは、この調整に時間が懸かりすぎたせいでしょうね」
「でも、どうしてこんなふうにしたのかしら」
「さぁ、分からないわ。考えられるとしたら、これまで提出した戦闘報告書からそれまでの参号機の状態では最善といえないと判断した、ということくらいかしら」
「碇博士の差し金?」
「多分ね」
 リツコはカップを取り上げ、まだ湯気の立つコーヒーを一口啜った。
「けど、どうやったらたった半年の間でこんなふうに仕上げることが出来上がるのか、私には想像もつかないわ」
「リツコでも?」
「私は魔法使いじゃないわ」リツコは面白くもなさそうに云った。「こうやってみると、弐号機のバランスの良さがよくわかるわ。しかもアスカの能力に合わせてきちんと調整されている。あれ以上の機体は、ひょっとしたらもう建造できないかもしれない」
 リツコは疲れた様子で眼鏡を外した。
「やっぱり、惣流博士の抜けた穴は、そう簡単には埋められそうにないわね」




 ぱたり、ぱたり、とキーボードを叩く。お世辞にも軽やかなキータッチとは言い難い。一文字一文字を打つたびに考え込み、慎重に数式を解いていく。
 碇シンジはお勉強の真っ最中だった。
 その真剣な表情は場所が場所なら感心すべき光景なのだろうが、人工光とはいえ爽やかな光の差し込むプールサイドときては、どちらかというと違和感の方が先に立つ。
 なにもこんな場所でやらなくてもいいとは思うのだが、根が真面目な、というよりエエカッコシイでいたいお子様としては、「皆が修学旅行に云っている間に勉強しておきなさい」という保護者の有り難い忠告に従う方を選択した、というワケだった。実際、出席日数が不足がちなせいで本来のカリキュラムから遅れ気味なのは確かだったが、しかしイイコチャンになることを選択した理由はもう一つあって、実はその方が本命だったりする。さすがのお子様も、それを口に出すのはカッコ悪い気がするので、誰にも云ってはいないのだが。
「何やってんのよ、アンタは?」
 呆れたような声に顔を上げると、白のパーカーを羽織った惣流アスカが立っていた。裾から伸びるパーカーに負けないくらい白いすんなりした素足に、シンジは慌ててディスプレイに視線を戻して云った。
「り、理科の勉強」
「なによそれ? 何もこんなところでやんなくたっていいじゃないの」まったくお利口さんなんだから、とぶつぶつ文句を云う。
「仕方ないよ、訓練とかで遅れちゃってるんだから。惣流はやらなくて大丈夫なの?」
「あんた、私を誰だと思ってるの? なんで今さらそんな幼稚なことをやんなくちゃなんないのよ」
 そのうんざりした口調で、シンジは惣流アスカの経歴を思い出す。そうか、ドイツで大学を卒業して来た、って云ってたよな。そういえば、あのとき帆足さんは、なんだか面白そうに笑ってたっけ。いつかのアスカとマリエの会話を思い出して、ふとシンジは首を傾げた。
 でもそれならどうしてこっちの中学になんか通ってるんだろう?
 だがその考えている間に、惣流アスカの不満はシンジに移っていた。
「だいたい、その格好は何よ? いくら本部待機だからって、学校休みなのになんで制服なんて着てんのよ。他に普段着くらい持ってないの?」
 シンジに何か云う暇を与えず、惣流アスカはまくしたてた。
「おまけに、ファーストといいあんたといい、どうしてこう付き合いが悪いのかしら。結局一人で泳ぐ羽目になったじゃない。まったくもう」
 どうやらそれがホンネらしい。そんなこと云ったって、ムリヤリ引っ張ってきたのはそっちじゃないか、とアタマでは思ったが、口を突いて出たのは、
「ご、ごめん」
 という、いつものお定まりの台詞だった。案の定、惣流アスカの柳眉が逆立つ。
「ホントに悪いと思ってるの?」
「う、うん……」
 相も変わらずおどおどと返事をするシンジに、アスカは深い深いため息を付いた。
「つまんないヤツ」
 氷の温度を持った言葉にますます小さくなるシンジ。そんなお子様の目の前で、惣流アスカはするりとパーカーを脱ぎ去った。その下は、鮮やかな真紅のワンピースの水着だった。肌の露出こそ少ないが、かえって身体の線が強調されたデザインに、シンジは思わず見入ってしまった。
「…………なにジロジロ見てんのよ」
 言葉こそ不機嫌そうな惣流アスカだったが、特に隠そうという仕草は見せなかった。ひょっとして照れているのかもしれない。だが、いっぱしの男ならば讃辞の一つも出そうな姿に、シンジの口から漏れたのは「ご、ごめん」というお子様な言葉だった。
 惣流アスカは密かな不満と軽蔑を眸に浮かべたが、それ以上何も云わなかった。相手が碇シンジだということもあるが、他にアスカの脳裏を占めていることがあるからだった。
「ほ、帆足さんの起動試験、もうそろそろだよね」
 苦し紛れの碇シンジの言葉は、しかしその核心を突いていて、アスカは思わずシンジを見た。だがそれはほんの思いつきで出た言葉だったらしい。きょとんとした表情のシンジに、アスカは安堵ともつかぬため息をついた。
「大丈夫に決まってるでしょ。マリエだって、これが初めての起動試験じゃないんだから」
「そ、そうかな」
「そうよ」そう口では云った惣流アスカだったが、本当のところはシンジとそうは変わらない心境だった。これまでもシミュレータ上では試験を繰り返してきたとは云え、その成績は決して芳しいものとはいえない。これまでの訓練通りの配置ならば、実戦ではマリエにフォワードを務めてもらわなければならない筈なのだが、今のままでは本当にそれが可能かどうか怪しいものだった。
 なんとかうまくいってくれればいいんだけど。
 おっとりとした少女の顔を思い出して、ほんの少しの期待とその何倍もの不安とで、アスカはこっそりとため息をついた。




「起動開始」赤木リツコ博士の凛とした声が、制御室に響く。
「第一次接続開始」
 復唱を耳にしながら、リツコは部屋の隅に立つ綾波レイに視線を流した。特に頼み込んできたわけではないのだが、「自分も見学していいですか」という問いに、リツコは一も二もなく許可を与えた。レイがそんなふうに自分から何かを云い出すのは、ごく珍しいことだからだ。
 いい傾向だわ、とリツコは思う。碇博士が何と云おうと、今レイを監督しているのはリツコなのだ。レイがユイを慕っているのは承知しているが、それでもその愛情の与え方の不自然さに、リツコは釈然としないものを感じている。甘やかすだけ甘やかすが、その代わり外部との接触を極力断とうとするユイのやり方に、リツコは密かな反発を感じている。この娘だって年頃なんですもの、とリツコは思う。もっといろんなことを見聞きした方がいいに決まっている。十四歳には十四歳の時にしか味わえないことがいくらでもあるのだ。ユイならば「馬鹿馬鹿しい」と笑い飛ばすだろうが、その多感な時期をセカンドインパクトによって奪われてしまった身としては、それですますわけにはいかない。
「主電源、全回路接続」
「主電源接続完了。起動システム、作動開始」
「稼動電圧、臨界点を突破」
「第一次接続、問題なし」
「パイロット、情緒安定しています」
 モニタには黒のプラグスーツの少女。まるで眠っているかのような、眸を閉じて静かな表情。それに一瞬だけ目を向け、レイは再び視線を眼下の漆黒の巨人に戻した。そんなレイの様子を横目で見ながら、リツコは次の指示を飛ばした。
「起動システム、第二段階へ移行」
「パイロット、接合に入ります」
「システムフェーズ2、開始」
「シナプス挿入、結合開始」
「回線開きます」
「パルス送信」
「全回路正常」
「パルス及びハーモニクス、正常」
「初期コンタクト、異常なし」
「オールナーブリンク、問題なし」

「シンクロ率、四十.八パーセント」

 管制室に安堵と同時に、落胆の声が満ちる。
「こんなものなの?」リツコは厳しい表情で呟いた。
「しかし、半年ぶりの起動試験ですから」とオペレータ。
「確かにそうだけど、でもその分パーソナルデータのチューニングは進んでいる筈よ」
「まだ何か阻害要因があるということでしょうか?」
「かもしれないし、全く別の原因かもしれないわね」
 あるいは、とリツコは口には出さず思う。やはりマリエ自身に何か問題があるのかもしれない。
 グループCと呼ばれていた四人の4th Children。マリエがそのリストから一旦外されたのは五歳の時だったと聞く。残ったうちの二人は十歳になる前にロストし、最後の一人も今では植物状態のまま回復の見込みはない。候補を含めて、これだけ適格者にトラブルが起きているのは4th Childrenだけだ。
 彼女たちに対する第一支部の扱いがぞんざいだったというわけでは、決して無い。むしろ本部や第二支部に比しても予算的にも人材的にも恵まれていたのだから、環境に問題があった筈がないのだ。
 育成計画自体に問題が有ったのかも知れない。第四次候補者選抜計画の概要については、リツコはそれほど詳細には知らされてはいないが、ほぼ第二次候補者選抜計画で作成された養成マニュアルに従って進められたと聞いている。違うとすれば、徹底した個人教育が行われた第二次選抜計画に対して、第四次選抜計画は数人のグループ単位による相互扶助を元にした育成計画だった点くらいだろうか。
 あるいは、原因はそのために集められた少女たちだったのかも知れない。いかなる適性の基準によって集められたのか、それは未だ公開されていないままだった。いや、本当はリツコはその真相を知っている。それを冬月の口から聞かされた時、リツコは自分の耳を疑ったものだ。それは衝撃的な内容だった。まさか、本当にそんなことが―――
「先輩?」
 女性オペレータの声に、不意にリツコは現実に引き戻された。
「え? ああ。ごめんなさい」
「大丈夫ですか? 疲れてるんじゃないですか、ここ二、三日働きづめですし」
 そうかもしれない、とリツコは思う。実験中にこんなことを考えるなんて。だが、それをかくして笑みを押し上げる。
「大丈夫よ。それに、これが終わったら一息つけるし」
 計測機器から送り込まれてくるデータに目を走らせる。
「マリエ本人の能力を考えると、格闘戦に関してだけなら弐号機と同等というところかしら。条件さえ揃えばなんとか実戦投入が可能なレベルというところね」


”お疲れ様、マリエ。上がっていいわよ”
 赤木博士の声に、少女は夢から覚めたように眸を開いた。
 七色の残映を残し、電化を解かれたLCLが液体の姿を取り戻す。
 瞬きするその眸から零れ落ちた涙は、その赤い液体に解けて隠された。




 そんなケイジからの報告を受けても、分析室の雰囲気は重苦しいままだった。三原山から刻々と送られてくるデータ、それを元に解析を試みているのだが、それでもぼんやりした映像しか得られていない。
「これではよくわからんな」と冬月。不在の作戦部長の代わりに現在本部の指揮をとっている。
「しかし、この陰は気になります」
「もちろん無視は出来ん。MAGIは何と云っている」
「フィフティ・フィフティです」
 とはいえ、ゼロではないということは重要だった。地球上のあらゆる物体を溶解させてしまう数千度という温度の中で、カタチを保っていられるモノ。あらゆる常識からかけ離れた存在。

 使徒。

 冬月の顔に厳しい表情が浮かぶ。少しでも可能性があるならば、それを無視する愚は犯せない。
「葛城一尉は?」
「既に現地に到着。探査機を徴発してこれより詳細な調査に移る予定です」




 吐く。吐く。吐く。吐く。
 吐き気が収まらない。甘ったるい嘔吐の臭い。それがまた嘔吐を誘い、また吐く。
 もうからっぽだというのに、えづきだけが這い上がってきて、胃袋を締め上げる。苦い。出てくるのは、もう黄色い胃液だけ。それでも吐く。
 それでも少し落ち着いてきて鏡を見上げると、げっそりと青白い自分の顔が映る。その顔が涙に潤む。
 えい、しっかりしろ、帆足マリエ。アスカだって綾波さんだって碇君だって、ちゃんと乗れてるじゃないか。もっとしっかりしなきゃ。
 髪が顔にかかる。ちゃんとシャワーは浴びたはずなのに、その甘い香りに中に血の臭いを嗅いだような気がした。血の臭い。LCL。
 うっ、とまた口元を押さえる。吐く。吐く。吐く。
 なにをやってるんだろう、わたしは。もう分かっていたはずのことなのに。でも。
「レイチェル……」
 少女の鳴咽が、だれもいない化粧室に響いた。




 落とされた照明の中、床に埋めこまれたスクリーンにぼんやりと浮かび上がる影。現地から送られて来た映像を鮮明処理したものだったが、それでも影のようなものしか見てることはできない。
 それは何かの哺乳類の幼生のようにも見えた。折り曲げられた四肢に惣流アスカは人間の胎児を連想してしまって、思わず嫌悪に眉をひそめた。
「これが、使徒?」吐き捨てるような惣流アスカの言葉に、
「そう。まだ成体になっていない、蛹のようなものね」リツコは平然と応えた。その台詞に惣流アスカの嫌悪の色が濃くなる。
 これまでアスカが経験した戦闘や過去の資料から突き合わせてみても、使徒が常識を凌駕したデタラメのような存在だということは分かり過ぎるほど分かっている。だが影のフォルムは控え目に云っても脊椎動物か、それに類するもののようにしか見えない。それは、この影がいきものだということだ。それを使徒だと、リツコは平然と云う。

 使徒とは一体なんなのだろう。そして自分たちは、何故使徒と戦わねばならないのだろうか。

 それは惣流アスカの中に初めて生じた疑問だった。いや、それは本当はずっと漠然と抱いていたものなのかも知れない。それが今、はっきりと疑問の形を取ってアスカの中に浮かび上がって来ていた。
 リツコはその答を知っているのだろうか。あるいはその傍らに立つ冬月は知っているのか。碇司令は。ミサトは。ファーストは。マリエは。そして、自分の母親は。

「遅れました」

 その声に、惣流アスカは思考を中断された。
 見ると、ようやくのことでプラグスーツ姿のマリエが部屋に入ってくるところだった。なにしてたのよ、という惣流アスカの小声の文句に、ゴメンね、とだけ云ってすます。リツコも冬月も何も云わなかった。部屋がもっと明るければその青ざめた顔色を見てとれただろうが、スクリーンからの曖昧な光だけではそれを見分けるのは困難だった。
 リツコは構わず命令書を読み上げた。
「葛城一尉からの指示を伝えます。本作戦は、使徒の捕獲を最優先とします。可能な限り、原形を留め、生きたまま回収すること」
「できなかった時には?」とアスカ。だがその答えはいわずもがなことだ。
「即時殲滅。いいわね」リツコの口調には、ひとかけらの迷いも無かった。
「作戦担当は初号機、シンジ君。弐号機と参号機は地上からバックアップ」
「え? 僕?」驚いたようなシンジの声に、周囲の視線が彼に集中した。それに気付いて、シンジは居心地悪そうに俯く。
「D型装備を使うと云っても、今回は作戦行動が比較的長時間に渡ります。だから熱に対する素体の耐久度が一番高い初号機が有利なの」
「はぁ……」一分の隙もないリツコの応えに、シンジは頷くしかない。
「あたしは?」不意に綾波レイが口を開いた。
「零号機は修理は終わっているけど、まだ完全な状態じゃないわ。それに、ここを留守にするわけにもいかないの。悪いけれど、今回は本部での待機を命じます」
 リツコの言葉にレイは何も云わず少しだけ視線を逸らした。いつも通りの無表情だったが、よく見ればわずかに不服の色が混じっているのが分かっただろう。だがそれも薄暗い照明に隠される。
「出発は二時間後よ。D型装備のレクチャーがあるから三十分後にケイジに集合するように。以上です。なにか質問は?」
「あの……」細い声。
 見ると帆足マリエがおずおずと手をあげていた。
「何、マリエ?」
「わたしも、出るんですか?」
 それは当然の疑問と云えた。たった今、調整不十分を理由に零号機が待機を命じられたばかりなのだ。調整が行き届いていないという点では、つい先程半年振りの起動試験を終えたばかりの参号機とて同じことだ。だがリツコは云った。
「参号機自体はすぐに実戦投入可能なレベルにあるわ。今回は地上からの支援が主だから、今のシンクロ率でも作戦行動は可能と判断しました」
「……わかりました」
 自信無げに俯いたマリエに、リツコは微笑んでみせた、
「大丈夫よ、マリエ。あなただってもう実戦は経験しているんだし、もっと自信を持ちなさい」
「……はい」それでもマリエの答えは歯切れが悪かった。
 やっぱり私ではだめなのだろうか。リツコは内心ため息をつく。ミサトだったらこんなとき、何と云って励ますだろう? だが適当な言葉が見つからず、それ以上何か云うのを諦めた。まぁいい。現地に行けばミサトが指揮を取る。これ以上はミサトに任せた方がいい。
「他に質問は? なければ、すぐに準備に掛かってちょうだい」




「A−十七だと?」ルイ・ジェイコブ米第一支部司令は、呟くように云った。「正気か、碇?」
 照明の落とされた広大な空間。そこは十数のホログラム投影機の並ぶ遠隔会議室だった。
 立体映像のいくつかには「SOUND ONLY」の文字が浮かぶ。同じ支部司令だというのに一度も顔を見たこともない相手すらいる。特に政府機関出自の支部はその傾向が強い。だが、本部司令碇ゲンドウはその中で平然と顔を晒して指を組んでいた。
 とは云え、ジェイコブも顔を晒している者の一人だ。NGOの学術系機関という前身を持つ第一支部は、ただでさえ正論を振りかざす傾向が強い。それに第一支部司令という地位は、本部司令のそれに勝るとも劣らない発言力を持つ。だから、そのぶん煙たがる連中も少なくはない。
 だが、だからこそ顔を晒すのだ、とジェイコブは思う。先頭に立ってキメラプロジェクトを推し進めた責任を、第一支部は取らねばならない。自分の身を案じて保身に汲々としているようでは、SEELE、延いてはNervの中での第一支部の存在価値などないとジェイコブは思う。それはキメラプロジェクトがE計画へと形を変えてからも同じだった。
 「人類の未来」などという大義名分を大上段に振りかざす資格など自分たちには無い。だが同時に、これ以上人類が破滅へと向かうのを食い止めなければならない。だから少々強引な理屈で相手を封じ込めることになってでも、本部や他支部のNervの暴走を許すわけにはいかなかった。
 だが、今度ばかりはその意図が読め兼ねた。
「だめだ、危険過ぎる。十五年前を忘れたのか」誰かが怒鳴った。
 だがゲンドウは眉一つ動かさなかった。
「生きた使徒のサンプル、その重要性は既にご承知のことでしょう?」
 言葉こそ慇懃だったが、その口調に潜む尊大さは自動翻訳システムを通してさえ伝わってくる。
 何を考えている、碇? ジェイコブは思った。お前は既に例のサンプルを手に入れているはずだ。これ以上何が欲しいというのだ? それとも他の何かを隠すための欺瞞なのだろうか。
 碇の傍らに立つ初老の男にちらりと目をやる。冬月コウゾウ。かつて同志だった男。一度は共に学究の友として同じ道を歩もうと誓い合った男だ。袂を分かつようなことがあったわけでもない。だが今は碇の側に寝返った。しかも帆足マサキを連れてだ。理由は分からない。だがそれがジェイコブにとってどんなに痛手だったことか。結果、第一支部は本部との連絡パイプを失い、本部が秘密主義に走るのを食い止めるのに失敗した。
 その揚げ句が見てのとおりだ、とジェイコブは苦々しく思う。E計画の中では、本来エヴァンゲリオンは必要悪だったのだ。最悪の結果のための万が一の保険の筈だった。それが今や、Nervはエヴァンゲリオンによる使徒迎撃のための一機関に成り下がってしまった。予想外の使徒の早期再来というアクシデントはあったにせよ、あれほどの強大な力を見れば、未だ各国政府に尻尾を握られている支部が黙っている見ているわけがない。米第二支部など既に秘密裏にエヴァ五号機の建造に取り掛かっていると聞く。いずれ世界中の支部が膨大な費用を食いつぶしてでもエヴァを欲しがるだろう。そのカネで救える筈の何百万、何千万もの命と引き換えにして、だ。そうならぬためのNervの筈だったのに。
 それを食い止められなかった、という悔恨がジェイコブにはある。今回にしてもそうだ。意図が読めないにせよ、結果は別物だ。失敗すれば人類そのものが消えてしまう。どう考えてもまともなやり方ではない。そんな暴挙を許すわけにはいかなかった。
 だからジェイコブは異を唱えるべく言葉を発しようとした。
 その時だった。

「失敗は、許されん」

 しわがれた重々しい声が響いた。思わずジェイコブは言葉を呑み込んだ。
 碇のホログラム映像のちょうど真正面、自分の左隣に浮かび上がった老人の姿に、ジェイコブは思わず呟いた。
「御老人……」
 キール・ローレンツは、盲いた眼を覆うバイザーを少しだけジェイコブに向け、かすかに頷いてみせた。何も云うな、とでも云いたげに。
 それで全てが決まりだった。それまで反対一色だった会議の空気は、ほんの数瞬で諦めへと変わった。パトロンである人類補完委員会。その委員長であるキール・ローレンツの決定は絶対だった。
 視線を移すと、碇はいつもと変わらぬ尊大な空気を纏わりつかせたまま身じろぎもしなかった。まるでキールがそう決定を下すと、最初から分かっていたかのようだった。
「補完委員会には私から話をしておく。吉報を期待しているぞ、碇」
 その言葉とともにキールの姿がその場から消えた。少し遅れて次々と消えていく各支部司令の映像の中、最後まで残ったのは碇と冬月、そしてジェイコブだけだった。
 回線が切れる一秒にも満たない間だけ、ジェイコブと冬月の視線が合った。だが冬月は視線を逸らさなかった。昔と変わらぬ厳格な視線で冬月はジェイコブを見据えていた。そして映像が途絶えた。
 普段通りの明るさに戻った室内を一瞥し、ジェイコブは疲れたような長い長い息を吐き出した。

 ふと、組んだ指に隠された下で、ゲンドウの唇が笑っていたような気がした。





(後編に続く)

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ver.-1.00 2000/01/18公開
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ryu1@imasy.or.jp まで




 斎藤さんの『EVANGELION「M」』Episode 10.前編、公開です。







 だっか だか だっか だか とぅ とぅー
 をするのは何とシンジ君っ

 このパターンは初めてだよね!?


 熱っついマグマに潜る苦苦苦を
 シンジ君は耐えられるのでしょうか・・・



 D型装備のシンジ君はみんなに笑われ・・るんだろうなぁ(笑)
 強い女性陣に何か言い返せ・・・ないんだろうなぁ

 強く強く〜


 熱っついマグマに潜る苦苦苦を乗り越え
 見事任務を完遂するのだ〜

 強く強く強く〜



 いい所を見せるのだ〜


 ガムバなのです☆




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