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俺は本当はシンジが嫌いだった。

いや、嫌いというより嫉妬していたのかもしれない。

三年前、はじめてあいつと出会った時からずっと…。

 

エヴァ初号機の専属パイロットのサードチルドレン。

シンジが第三新東京都市に来た時、最初から持っていたステータス。

幼い頃からチルドレンだった惣流や綾波と違って、シンジがその肩書きを手に入れるのに苦労や努力をしたという話を聞いたことがない。

俺はただ羨望の眼差しをこめて見ていることしか出来なかった。

シンジが巨大なエヴァを駆って使徒と闘う姿を…。

体育の授業中のなよなよしたシンジの姿を見るたびに何度も心の片隅で思った。

あの程度の運動神経でエヴァのパイロットが務まるのなら、俺にもエヴァさえ与えられればシンジ以上に活躍してみせるのに…。

だが、結局俺は夢の中でしか、エヴァに乗ることは叶わなかった。

シンジがエヴァのパイロットを止めて第三新東京都市から離れると知った時、俺はシンジに対して憎しみ以外の感情を持てなかった。

俺がどんなに望んでも手に入れれなかったエヴァのパイロットの座を、あいつはドブに捨てるように放り捨てたからだ。

 

あれから三年。

エヴァも永遠にその存在を失い、シンジに対するわだかまりは解消したと思った。

だが、三年ぶりに再会した少女の存在が、再び俺のシンジに対する劣等感を刺激した。

惣流・アスカ・ラングレー。

かつて赤い髪をした蒼い瞳の勝ち気な天才少女が、金色の髪を靡かせて俺の前に現れた時、俺は惣流を美の女神(ヴィーナス)の化身と錯覚した。

三年前に比べても、見違えるほど奇麗になった惣流の姿に俺は一目で夢中になった。

本当に一目惚れだった。

けど、…と同時にその時には少女の心はすでに他の男に奪われていたことを…、絶対に俺の手には入らないことを再び思い知らされることになった。

またしてもシンジだった。

惣流の心の中に俺の入り込む隙間は欠片も存在しなかった。

 

それでも惣流の最高の笑顔が見られるなら…と俺は諦めた。

だけど、シンジは惣流を捨てた。

惣流を泣かせた。

三年前のあの時と同じように、また俺の手に入れられなかった大切なモノを踏みにじったんだ。

 

あいつはいつだって、俺がどんなに望んでも得られなかったモノを、何の努力も無しに手に入れてしまう。

しかも、その大切なモノをまるで無価値なモノとでも言いたげに、放り捨ててしまう。

許せない。

俺は、俺の大切なモノを侮辱したシンジを絶対に許せない。

 

 

 

「二人の補完」

 

 

  第二十三話 「男の戦い」

 

 

 

夕闇の照り返す右京ケ原。

風に大きくなぶられるススキの原。

ガサガサと草むらをかき分けながら、三人の少年が中央にある広場に姿を現した。

「ここなら教室と違って邪魔する奴は誰もおらへんで…。男と男が拳で語り合うには、うってつけのステージやと思わへんか?なあ、シンジ、ケンスケ。」

「………………………………………………。」

中央にいる黒いジャージを着た少年が他の二人に向かって問い掛けたが、二人は無言だった。

『そういえば、ここは三年前、ネルフに嫌気がさして家出した僕が、たまたまキャンプしていたケンスケと出会った場所だったよな。まさか、その場所でこれからケンスケと……。』

三人の中でも長身の黒髪の少年は奇妙な感慨に耽りながらも、突然何か思い出したように考え込んだ後、無言で他の二人の少年から離れだした。

 

少年はある程度二人から距離を置くと、ポケットから携帯電話を取り出して

「すいません、徳永さん。碇ですけど…。」

「碇か。どうしたんだ?」

「今日ちょっと訳ありでバイトに出るのが遅れそうなんですが、よろしいでしょうか?」

「学校の補習か何かか?」

「…………そんなところです。」

「……分かった。終わったらすぐに顔を出してくれよ。」

「は…はい。すぐに済むと思いますので…。」

 

トウジはチラリと電話中のシンジを見た後、隣にいるメガネを掛けた背の低い少年を見下ろして

「なぁ、ケンスケ。もう一度聞くが、お前ホンマにシンジと遣り合うつもりか?」

「………………………………………。」

「ああ見えてもシンジは委員会で真面目に護身術を習っていたんや。戦争ごっこに興じていただけのケンスケじゃハッキリ言って勝ち目はないで…。」

 

それがトウジの正直な感想だった。

身体能力と格闘技術。

そのどちらを取っても今のシンジとケンスケでは雲泥の差があった。

シンジの護身術の訓練は生活の都合上、週に一回だけだったので、さすがに本来の目的であった、その道のプロから身を守れるほどの領域には辿り着けなかったが、素人の一対一の喧嘩ならまず楽勝のレベルには達していったからだ。

高校に入学したての頃のシンジはよく学校の不良に絡まれていたが、背が伸びて身体能力が備わって以来、シンジがタイマンで負けたのを、トウジは一度も見たことがなかった。

 

「それに……」

トウジはやや憐れみをこめた目でケンスケを見下ろしながら

「万に一つ、シンジに勝てたからってそれが一体何になるんや?そんなことで惣流がケンスケに振り向いてくれるとも思えんしな…。」

「いいから放っておいてくれよ!こいつは俺自身の問題なんだからよ!」

ケンスケの激憤した態度にトウジは軽く肩を竦めながら

「確かにその通りやな。ワイは只の立会人やし、この先は黙って見守らしてもらうかいな。」

その時、ちょうど電話を掛け終わったシンジが二人の側に戻ってきた。

 

シンジは軽くケンスケに殴られた左頬を抑える。

口の中が少しヒリヒリする。

とはいえ殴られた痛みより、油断していたとはいえ素人のケンスケにまともに一発入れられたことがシンジの癪に触った。

ましてや公衆の面前で、何の予告もなくいきなり殴られたのである。

それを笑って許せるほどには、シンジは今のケンスケに対して好意的にはなれなかった。

 

ケンスケはトウジから離れてシンジに向かって一歩踏み出した。

どうやらケンスケはすでに臨戦態勢に入っているみたいだ。

シンジは無表情にケンスケを見下ろしていたが、チラリと腕時計を見た後、

「ケンスケ、もう一度確認しておくけど…」

「…………………………………。」

「なんで、僕はこれからケンスケと喧嘩しなくちゃいけないのかな?いきなり殴られたことも含めて僕には理由が思い当たらないんだけど……。」

「シンジ。お前は惣流を傷つけた…。理由はそれだけで十分だ!」

ケンスケはシンジの質問に腹の底から響くような低い声で答えた。

 

「……………………………………………。」

『何言ってるんだ!?傷つけられたのは僕の方じゃないか…。』

シンジは呆れたような目でケンスケを見下ろしながら

『だいたい、それってアスカに手を出した張本人が言うセリフなのか!?こういうのをきっと盗人猛々しいというんだろうな…。』

ケンスケが燃え上がれば燃え上がるほど、逆にシンジの気持ちは冷めていった。

 

シンジのどことなく乗り気でない態度を見てケンスケは

「相変わらずウジウジした野郎だな。そういう煮え切らない態度だから、惣流を寝取られたりするんだよ。」

「!?」

その言葉を聞いて先程まで飄々としていたシンジの態度が一変する。

シンジの黒い瞳に目の前の少年に対する強い嫌悪感が宿った。

「…で惣流が駄目なら今度は霧島というわけか…。三年前のあのロボット事件の時とは逆のパターンだよな。さすがに二股男はやる事が一味違うよなぁ〜。」

ケンスケはシンジを嘲笑するような口振りで挑発を続ける。

 

「………………はじめようか…。」

シンジは一言呟いた後、ファイティングポーズを取った。

この時のシンジの黒い瞳には静かな怒りが渦巻いていた。

結果として、シンジはケンスケの挑発に思いっきり乗せられる形になってしまった。

 

ゴクリ…。

シンジの雰囲気が危険な方向に変化したのを肌で感じ取ったケンスケは無意識のうちに生唾を飲み込んだ。

何やら背筋にも寒気を感じる。

シンジの挑発には成功したが、ここから先の展開は完全に未知数だ。

少年は今まで本気で他人と殴り合ったことなど一度もなかったし、目の前の少年が本気になった時の強さがどれほどのものなのか知らなかったからだ。

 

ただ一つハッキリしているのは、今のシンジは三年前のような非暴力の無抵抗平和主義者ではないということだ。

シンジは無意識のうちに胸にぶらさかっている十字架のペンダントに軽く触れる。

三年前、ネルフ本部を襲った戦略自衛隊の不当な暴力からシンジの生命を救ったのは、今は亡きシンジの姉ともいうべき女性が命懸けで示してくれた戦自と同種の暴力だったのだ。

その時以来、シンジは暴力を無条件には拒まなくなった。

 

シンジは無言のままケンスケに向かって歩を進める。

少年の鼓動がどんどん高まっていく。

さっきから足の震えが止らない。

何時の間にかシンジは少年の目の前に移動していた。

身長差20cm。

穏やかだった級友の姿に今までにない威圧感を感じる。

それは自分がシンジを極限まで怒らせた結果だった。

シンジの拳が振り上げられるのを視界が捕らえる。

なのに身体がすくんで動かない。

少年は今の状況を作り上げた自分自身を半分だけ後悔した。

 

 

 





 

 

 

はぁ…、はぁ…、はぁ…、はぁ…。

「そこまでや、シンジ!これ以上はさすがにやばいで!」

トウジが僕に何か言っている。

よく見たらトウジは青ざめた顔で必死に後ろから僕にしがみついている。

一体どうしたんだよ?

そういえばさっきから心なしか両の拳が痛む…。

そうだ。僕はケンスケと喧嘩していたんだっけ?

ケンスケにアスカのことで挑発されて思わずカーッとなって…。

それでケンスケはどうしたんだ?

目の前にいない…………!?

 

シンジの目線がゆっくりと下に下がっていく。

やがてシンジの視線は地面に釘付けになる。

目の前には先程まで喧嘩していたはずの少年が仰向けに倒れいる。

半分ひび割れたメガネが戦いの結末を物語っている。

シンジは自分の体を撫で回してみるが、特にダメージはない。

どうやら一方的な展開だったみたいだ。

 

『何をやっていたんだ、僕は!?』

目の前のぼろぼろの少年の姿を見て、シンジは激しい後悔と自己嫌悪に駆られた。

先ほどまで、シンジの中に燻っていた熱いモノがみるみる冷え切っていく。

どうやらシンジは、アスカの件で心の奥底に溜まっていた鬱憤を、まとめて目の前の少年にぶつけてしまったみたいだ。

『これが僕のやったことか!?嫉妬に煽られて、素人の親友を思いっきりぶん殴ってしまった…。』

シンジには、これは喧嘩ではなく、ただの弱い者苛めとしか思えなかった。

『何をやっているんだ、僕は!?僕はこんな事をする為に、強くなりたいって思ったわけじゃない…。僕は…、僕は……』

 

シンジは三年前、精神崩壊から目覚めた時のことを思いだした。

夢から覚めた時、シンジはすでに最も大切な何かを失っていた。

最後まで戦おうとせず、辛い現実から逃げ出した負け犬の当然の末路だった。

その時、シンジはベッドの上で自分の無力を嘆き、自分の今までの行動を後悔しながらも、それでも今度こそ強くなろうと泣きながら自分自身に誓約したのだ。

『そうだ。強くなるのは本来の目的じゃなかったんだ。いつのころから目的と手段を取り違えていたんだろう。僕は大切な何かを守れる力が欲しくて強くなりたいと願ったん………………!?』

再びシンジは自問しはじめる。

『大切なモノ?僕は何を守る為に強くなりたいと思ったんだっけ?何の為に?いや、誰の為に?』

 

 

 

 

イテェ……。

少年は心の中で呻き声を上げる。

トウジが自分の身体を支えながら必死に自分を呼んでいる声が聞こえる。

夕日が目に染みる。

身体中がみしみし痛み、悲鳴を上げる。

こんな体験は生まれてはじめてだった。

もうこれ以上殴られたくない。

目の前にいるシンジという少年が恐くて仕方がない。

シンジとは逆の意味で少年の中に燻っていた熱い想いは急速に冷え切っていく。

『ははっ…。殴られるとこんなに痛いんだ。当たり前だよな…。俺、何やってるんだろう…。何の得にもならないことで痛い思いをするなんて馬鹿じゃねえのか、俺は!?』

先程まで燃え上がっていた少年の魂は急速に冷え切っていき、少年本来の属性であったシニカルさが顔を出し始めた。

『それにしても強いんだな、シンジは…。ほとんど一方的だもんな。はじめて会った頃なら互角に闘えると信じていたのに、この三年で随分差が着いちまったんだな、俺とシンジは……。』

ふと、少年は今まで自分がシンジという少年を少し見誤っていたことに思い至った。

『差がついて当然か。俺はいつもシンジに嫉妬していたけど、だからって俺自身何もしなかったんだ。能力以前に自分を高める努力を一切放棄して、嫌なことから目を背けて好きなことだけにうつつを抜かして生きてきたんだ。それに比べてあいつはこの三年の間ずっと…。』

この三年間、シンジはいつも自分を磨く努力を怠ったことはなかった。

それはケンスケだけでなく、トウジやヒカリの目から見ても明らかだった。

『惣流にしたってそうだ。俺はシンジと違って積み重ねてきたものは何もない。何の努力もせずにいきなり女に持てようなんて虫の良い話だったんだよな…。それに…』

ケンスケは昼間会った時のアスカの言葉を思い出す。 

 

「それにあんた、あたしのこと知らなすぎだよ。あたしはあんたが思っているような女神のような女じゃないよ。三年前あたしは鬼のような形相でシンジをいたぶって、シンジが自殺未遂を図るまでシンジを追いつめ続けた酷い女なんだから…。」

 

『鬼のような形相!?自殺未遂まで追いつめた!?ははっ…。今の奇麗な惣流からじゃ想像も出来ないよな。』

そう考えて少年は自嘲する。

『結局俺は惣流のことを何も知らない。そして三年前シンジがどれほど惣流で苦労したのかも…。俺は三年前の鬼のような惣流の狂気の姿を見ても、それでも惣流を好きでいられたのだろうか?』

少年にはそうは思えなかった。少年が蒼い瞳の少女に惚れたのは、極めて少女の外面に惹かれた要素が強かったからである。

 

『やっぱり無理だったんだ。何の努力もしてない俺なんかが、努力してきたシンジに意見しようなんていうのがそもそも間違っていたんだ。何より惣流が狂気に陥って本当に苦しんでいた時に何もしなかったのに、惣流が正気に返って奇麗になってから惣流に振り向いてもらおうなんてのが虫が良すぎたんだ。俺には最初からこの件に口を挟む資格はなかったのかもしれない…。けど…、けど……。』

それでも少年には納得できないことがあった。

少年は再び少女の最後の言葉とその時の少女の泣き顔を思い出す。

 

「………それにあたしにはシンジしかいないの…。もう二度とシンジに会うことが出来ないとしても、それでもあたしはシンジが好きだから…。」

 

『惣流……。』

ケンスケはアスカの心からの笑顔を一度も見ていない。

このままでは、もう二度とアスカの本当の笑顔を見ることは出来ないのだろうか。

『納得できない!』

ケンスケの脳裏にアスカの泣き顔がフラッシュバックされる。

『俺は三年前の事件を何も知らない。シンジが惣流に対して抱いているトラウマを理解も共感も出来ない。だから、何もしていなかった俺なんかがシンジに偉そうなことを言う資格はないのは分かっている。けど、それでも…、それでも……』

身体に与えられた強力なダメージに対する恐怖心から、一時消えかけた少年の情熱が再び宿り始める。

『それでもあの惣流の泣き顔だけは絶対に納得出来ねぇ!!』

少年は再び立ち上がる決意をした。

彼が本当に少年に伝えたいことは、まだ何一つ伝えていなかったからだ…。

 

 

 

 

「おい、ケンスケ。しっかりせんかい!?」

トウジがケンスケの顔を叩きながら、必死にケンスケの名前を呼び続ける。

シンジは少し離れた所から蒼白な顔でその様子を見ている。

シンジは自分の拳を見つめた後、わなわなと身体を震わせる。

どうやら激しい後悔と自己嫌悪に打ち震えているみたいだ。

 

シンジはチラリと腕時計を見た後

「トウジ。悪いけど後はよろしくね…。」

と言い残してクルリと踵を返してここから立ち去ろうとした。

 

だが、その時

「待…てよ…、シン…ジ…。」

地の底から響くような低い声にシンジは驚いて足を止める。

「ま…まだ、終わってないぞ…。」

シンジが振り返ると、ケンスケがふらふらになりながら、自力で立ち上がったところだった。

「ケ…ケンスケ…。」

シンジは心底驚いた表情でケンスケを見つめる。

ケンスケは身体に残ったダメージでふらふらしていたが、少なくともその目だけは死んでいなかった。

「もう止めとけ、ケンスケ。これ以上遣っても勝ち目はないで、お前はよくやっ……。」

そう言って、トウジはケンスケを止めようとしたが、ケンスケはトウジを振り切ってシンジの前へふらふらと近づいていった。

目の前の少年のボコボコの顔を見て、シンジの中に強い罪悪感が宿った。

シンジは後ろめたそうな目でケンスケを見ながら

「ケ…ケンスケ。もう止めようよ。僕の負けでいいからさ…。」

「うるせえ!!」

ケンスケはそう叫びながらシンジに突っかかっていた。

そのままケンスケはシンジを攻撃するが、毛ほどのダメージもシンジに与えることは出来なかった。

シンジが軽く跳ね除けると、ケンスケは派手に吹っ飛ばされてしまう。

だが、ケンスケはふらふらと立ち上がると諦めずに執拗にシンジに突っかかっていく。

 

シンジにはもはやケンスケと戦う意志はなかった。

シンジにはこれは戦いではなく只の弱いもの苛めにしか思えなかったからである。

だが、ケンスケの方は身体はボロボロになりながらも、いささかも闘志は衰えていない。

トウジはなぜか先程と違い二人に手を出そうとはしなかった。

やや離れた距離から真剣な表情で二人の様子を見つめている。

ケンスケがシンジに突っかかっては弾き飛ばされる。

そんなことが何度も繰り返された。

  

「うおおおぉぉぉ……!!!」

これで何度目だろう。

ケンスケがフラフラになりながらも雄叫びを上げながらシンジに突っかかってくる。

シンジは再びケンスケを払い除ける。

 

やがて痺れを切らしたシンジがトウジに訴える。

「ねぇ、トウジ!黙って見てないで、いい加減ケンスケを止めてよ!」

トウジは一瞬必死に立ち上がろうとしているケンスケの方を見た後、軽く首を横に振って

「止めれるかいな、せっかっくここまでケンスケが男を見せているというのに…。」

シンジはイライラした声で

「だ…だって、これじゃまるで僕が悪役みたいじゃないか!」

そのシンジの言葉にトウジは軽く瞬きした後、

「そうか、シンジ。お前もそう感じるのか?」

「…………………………………………………。」

「そうやな、シンジ。ワイの目からみてもお前の方が悪役やで。けど、それはシンジの方が圧倒的にケンスケより強いから、つまり弱いもの苛めに見えるから悪役やと言っているわけやないで。なぜシンジの方が悪役なのか理由が分かるか?」

「……………………………………………。」

「それはな、シンジ。お前がケンスケに比べて真剣やないからや。」

「真剣じゃない?」

意外そうな顔でシンジはトウジに問い掛ける。

トウジは、ふらふらとシンジに近づいてくるケンスケを、真剣な表情で見つめながら

「シンジ。ハッキリ言うが、コイツはこんな泥臭い奴やなかったで。『勝てない喧嘩をするヤツは馬鹿のやることだ』と言って、シンジを見捨てたことがあるのを覚えとらんか?とにかく自分の得にならんことには指一本動かさん奴やったんや。それが今のコイツをを見てみい。」

シンジは目の前にいるケンスケの表情を見る。

顔中殴られた跡でボコボコだが目の光だけは一向に鈍っていない。

それは紛れもない男の顔だった。

「シンジ。ケンスケは自分が喧嘩でシンジに勝てないことはよう分かっとるはずやで。何より、万一勝てたって惣流が振り向いてくれるわけじゃないということもな…。つまりこいつは何の得にもならん、しかも勝ち目のない喧嘩に身体を張ってるわけや。どうやら、シンジ。今のケンスケがシンジに勝てるモノなんて何一つあらへんけど、たった一つ惣流に対する想いだけはケンスケの方がシンジよりはるかに上みたいやな。」

トウジはシンジを揶揄するような瞳で見つめながら、そう結論づけた。

 

そのトウジの言葉がシンジに与えたショックは大きかった。

『僕のアスカへの想いがケンスケより劣っているって!?』

それはシンジにとっては最大の侮辱だった。

自分のアスカへの想いがが、数ヶ月前に再会したばかりのケンスケの想いに劣るというのか?

冗談ではない。

それでは三年前、アスカの憎悪を一身に受けたあの地獄のような共同生活は何だったのか!?

だいたいケンスケはどれほどアスカのことを知っているというのだ!?

三年前のアスカが狂気に陥った時の醜い感情を何も知らずに、ただ外面の奇麗さに憧れただけではないのか。

そんなぽっと出のケンスケに、アスカを支えられるような強い男になろうと三年間努力してきた自分のアスカへの想いが劣るというのか?

そうだ…。

アスカだ……。

僕はアスカを守れるような強い男になりたくて、強くなりたいと願ったんだ。

  

この時シンジは自分が強くなりたいと願った三年前の純粋(ピュア)な想いをもう一度思い出すことが出来た。

でも…

それでもまだシンジにはアスカのことで乗り越えられない壁があった。

 

シンジは必死にトウジに訴えるような目で見ると

「そ…そんなことあるものか!僕のアスカへの想いがケンスケより劣っているなんてことは…。けど、僕には…僕にはアスカの気持ちが分からないんだよ!アスカが僕のことをどう思っているのか…、憎んでいるのかさえも……」

 

「それが気に入らないって言ってるんだろう!!」

バキッ!!

余所見していたシンジの頬にケンスケのパンチがクリーンヒットした。

「ケ…ケンスケ…!?」

今のはけっこう効いた。まったく無防備の状態で一発もらったからだ。

シンジの足元がほんの少しだけふらついた。

「関係ねえだろうが…。んなことはよお…!」

「関係ない?」

ケンスケはゼイゼイと息咳ながら

「そうだ!大事なのは手前の気持ちじゃねえのかよ!?」

「ぼ…僕の気持ち?」

シンジは意表を突かれたような顔でケンスケを見る。

それはシンジにとってかなり新鮮な発想だったからだ。

今までシンジは、アスカが自分をどう思っているか…、自分を受け入れてくれるのか、そのことばかりを気にしていて、自分の気持ちを突き詰めて考えたことがなかったからだ。

「それじゃ、何だ!?お前は惣流が手前を好いていたら手前も惣流が好きで、惣流がシンジを嫌っていたら、手前も惣流を嫌いになる。そんないい加減な気持ちで惣流に接していたというのかよ!?」

「……………………………………………。」

「………俺は惣流が好きだ。俺なんかじゃ惣流と釣り合わないことも、相手にされていないことも分かっている。けど、それでも好きなんだ。」

「ケンスケ…。」

シンジは今までにない憂いを帯びた表情で目の前の少年を見下ろした。

「だから、お前なんかに…お前なんかに……負けてたまるかぁ…!!」

ケンスケは残りの渾身の力を込めてシンジに殴り掛かった。

 

パシッ!

だが、シンジは軽々とケンスケの拳を受け止めた。

「ケンスケ……。」

シンジは真剣は表情で、自分の顔をケンスケの顔に近づけるとボソボソッと何かを呟いた。

 

そして次の瞬間

メキッ!!!

今までにないシンジの強力な一撃がケンスケの鳩尾に叩き込まれた。

手加減なしの一撃だ。

「ぐえぇ……!!!」

一瞬少年の意識がブラックアウトする。

胃が逆流する。

少年は悶絶しながら前のめりにぶっ倒れると、そのまま昼食べたモノをゲエゲエ吐き出した。

 

勝負あった。

ケンスケは倒れたままピクピクして動かなくなった。

 

シンジはゆっくりとケンスケの側を離れ始める。

「シ………シン……ジ…。」

その声にシンジは振り返る。

ケンスケは倒れたまま、蚊の鳴くような声で、それでも最後の力を振り絞ってシンジに語り掛ける。

「シンジ…。俺と惣流の間には何もなかった…。そ…それだけは本当だ…。それに……。」

「……………………………………………。」

「たとえ何かあったからって、それが何だっていうんだよ…。それじゃ何かよ。レイプされちまった女は二度と幸せになる権利はないとでもいいたいのかよ、お前は…。ち…畜生。どうして惣流はお前みたいな奴を…。」

ケンスケはポロポロと涙を流しながら、悔しそうな目でシンジを睨んだ。

 

「……………………………………………。」

シンジは一瞬何か言いたげな目でケンスケを見下ろしたが、結局何も言わずにクルリと踵を返した。

ススキの原を抜けたシンジは、バイクに跨ってエンジンをかけようとした時、

 

「シンジ!!」

再びシンジを呼ぶ声がする。

今度の声の主はトウジだった。

トウジはチラリと倒れているケンスケを見た後、

「今、惣流はヒカリのところにいるで。それとヒカリの話じゃ、惣流は来週の日曜日、正午の便でドイツへ帰国するみたいや。」

「…………………………………………。」

そのトウジの言葉に、一瞬シンジは動作を停止したが、すぐにヘルメットを被るとそのままバイクを駆って二人の側から離れていった。

『ワイに言えるのはそこまでやな。この先、どうするかはシンジが自分で決めることやしな…。』

トウジはシンジを見送りながらそう考えた後、ケンスケの方に近づいていく。

 

「よう、ケンスケ。生きとるかぁ?」

「な…なんとかな…。」

ケンスケはゼイゼイ息咳ながらゴロンと仰向けに倒れ込むと

「俺ってカッコ悪いよな。惣流に横恋慕して、シンジに喧嘩を売った挙げ句、返り討ちにあってゲロまで吐かされちまったんだからよ。」

「いいや…。ワイの見た中で今日のケンスケが一番カッコ良かったで。」

トウジは暖かい瞳でケンスケを見下ろしながら、そう断言した。

ケンスケの表情にも微かな満足感が漂っていた。

「それにしても……。」

ケンスケはやや顔を赤らめると

「俺、なにか無我夢中ですげえ恥ずかしいこと言っていなかったか?」

トウジはククッと笑うと

「おう、言っとたで。以前、駅でシンジに殴られた時、ワイのことを恥ずかしい奴とか言ってたけど、ケンスケの方がよっぽど恥ずかしい奴やと証明されたわけやな…。」

「………………………………………。」

「そういや、ケンスケ。最後シンジは殴る前に何かケンスケに向かってボソボソと呟いとったみたいやが、何言っとたんや、シンジの奴?」

「言えるかよ。あんな、恥ずかしいセリフ…。」

「………………………………………。」

「なあ、トウジ……。」

ケンスケは、上半身を起こしながら、哀愁の漂った真剣な表情をすると

「初恋って適わないというのは本当だな。」

「そうやな。シンジの初恋の相手は綾波やったろうし、惣流の初恋の相手も加持とかいうおっさんだったろうからな。」

「トウジ、それじゃお前も…」

「あほう!一緒にするな!ワイとヒカリの関係は、おんどれら凡人のジンクスをはるかに超越したところに存在するんだからな……。」

「へっ、言ってろよ。」

ケンスケは呆れたように呟いた後、急に悔しそうな顔をしながら

「惣流は本当にシンジのことが好きなんだよ!シンジしか見ていないんだよ!なのに何であの馬鹿にはそれが分からないんだよ!!」

「………………近すぎて、かえって見えないモノというのもあるんやないか?恋は盲目とよく言うしな…。それにそう責めるな。ワイも詳細は知らんが、シンジは一度惣流に殺されかけたトラウマがあるらしいからな。そういう過去のトラウマは一生ついてまわるものだとワイは思うで…。」

そのトウジの言葉にケンスケは真剣な表情をすると

「なあ、トウジ……。」

「なんや、ケンスケ?」

「あの二人。これでうまくいくのかな?」

トウジは顎に手を当てて考え込んだ後、

「さて、どうやろな…。一つだけ確かなことは、惣流はシンジに対してかなり強い負い目を感じているみたいや。だから、このままドイツに戻ったら二度とシンジに会おうとはしないだろうってヒカリが言っていたで…。」

「それじゃ……。」

「ああ、そうや。後はシンジの行動次第やな…。」

それっきり二人は何も喋らなくなった。

 

 

 

 

 

「はい、ブッフバルトです。」

「ママ、あたし!」

「久しぶりね、アスカ。元気だった。」

「うん。ママこそ身体の方は大丈夫!?」

「ええ、平気よ。今は不思議なくらい体調がいいのよ。」

サエコの声に特に気負いはない。

アスカは心の中で軽く安堵すると

「ねぇ、ママ。研修ではあたしが一番だったよ。」

「そう、おめでとう。アスカ。」

「ありがとう、ママ…。けど、本当は一番なんてどうでもいいの…。これでドイツへ帰ったらすぐにママの仕事を引き継げるから、これからはずっとママを楽にしてあげるからね。」

「…………ありがとう、アスカ。」

二人の心が温かい想いで満たされていく。

アスカとサエコの二人は、死ぬまで本当の母娘でいられるだろう。

サエコはしばらく感慨に耽っていたが、気持ちを切り替えると、

「ねぇ、アスカ……。」

そこでやや言いづらそうに口篭る。

「……………………………………………。」

サエコが何を言いたいのかアスカにはすぐに分かった。

二ヶ月ぶりのサエコとの会話で浮かれていた気分が一瞬で落ち込んでいくのを感じる。

だが、これは絶対に避けては通れない問題だったので、アスカは意を決して自分から話を切り出した。

「ママ……。やっぱり駄目だった。あたしとシンジはママとリヒャルドさんのようには成れなかった…。」

「そ……そう……。」

「…………………………………。」

「…………………………………。」

 

それからしばらく無言の時が続いたが、アスカは努めて明るい声を出すと

「け…けど、もう大丈夫だよ。ママ。あたし、シンジのことを完全に吹っ切ったから。」

「…………元気を出してね、アスカ。ママがきっとシンジ君のことを忘れられるような素敵な男性を探してあげるから…。」

「……う…うん。期待してる……。」

『無理よ、ママ…。シンジの代わりになる男性なんて世界中探してもどこにもいないの…。シンジに会って、あたしがどうしようもないくらいシンジのことを愛していることに気づいてしまったの…。もう手遅れなのよ、ママ…。』

アスカは内心の想いを声に出さないように必死に気を配りながら

「だから、予定通り来週にはドイツへ戻るから………。うっ…!!」

「ど…どうしたの、アスカ!?」

突然嬌声を上げたアスカにサエコは驚いて声をかける。

「な…なんでもない、一端切るね、ママ。」

「ちょ…ちょっとアスカ!?」

アスカは慌てて受話器を置くと口元を抑えながら、洗面所へ駆け込んでいく。

「はあ…、はあ…、はあ…、はあ…、はあ………」

急激な異物感を感じたアスカは、洗面器に嘔吐した。

水を流して吐物を洗い捨て、コップの水を含んで口の中を浄める。

アスカは突然の身体の変調に、顎に手を当てて思案していたが、急に何か思い当たったらしくみるみると顔を青ざめはじめた。

「ま…まさか……。」

  

つづく…。

 

 

 

 

 

 


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ver.-1.00 1998+10/26公開
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けびんです。

今回は、完全に大昔の青春熱血ドラマのノリでしたね。考えようによっては下手な甘々LASよりよっぽど恥ずかしいものをアップしてしまったような気がします。読んでいる人の中には失笑してしまった人もいるかもしれませんが、作者は極めて大真面目に今回の話を書いたつもりです。

 

恒例の後書きによる本編補足ですが、直接説明するばかりでは芸がないので、一つ喩話をします。

 

あるところに一人の少年がいました。

その少年は、貧乏で何も持っていませんでしたが、将来遺跡を自分の手で掘り当てたいという大きな夢を持っていました。

けど、そのためには莫大な資金がいる。

というわけで、少年は遺跡を発掘するという夢を適えるために、まずはお金を貯めようと決意しました。

少年は店の見習いからスタートし血の滲むような努力をして、長い年月の末、裸一貫から億万長者にまで成り上がりました。

けどその時には、その男は遺跡を発掘したいという当初の夢を完全に忘れてしまい、金のためだけに生きる人間に成り代わってしまっていました。

そしてあろうことか、その男はある金もうけのために、遺跡の一つを取り壊すプロジェクトに荷担してしまいました。

そんな折り、その男は遺跡保護団体の一人の少年とぶつかりました。

その少年は貧乏で、何も持っていませんでしたが、遺跡を守ろうとする情熱だけは只ならぬものが、ありました。

男はその少年の姿に、かつての、まだ夢以外、何も持っていなかった頃の昔の自分の姿を見て、自分が少年のころの夢を思い出しました。

そして、ただの遺跡を発掘するための“手段”であるはずの金もうけが、何時の間にか“目的”そのものに成り代わっていたことにはじめて気づきました。

こうして、幼いころの夢を取り戻した男は、自分の私財の全てを投じて新たな遺跡を発掘して、子供の頃の夢をかなえることに成功したのでした。(おしまい)

 

僕が今回書きたかったのは、こういうお話しです。

何か感じ取ってもらえたら嬉しい限りです。

 

さて、「男の戦い」はエヴァ本編全二十六話の中で僕が最も大好きなお話しです。

『僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット。碇シンジです。』

あの19話があったから、EOEでどれほど貶められても、僕は強いシンジを信じることが出来ましたから。

最強の使徒ゼルエルを相手に世界の命運を賭して命懸けで戦ったあの戦いに比べれば、今回の自話の戦いはスケールの小さい限りですが、これはこれで十分、男の戦い足り得ると僕は思っています。

(ちなみに僕は、ケンスケ哀乞う会の会員ではありません。念のため…)

 

何にしても、後章「まごころを君に」編も大詰めです。

ラスト三部作。

次回、第二十四話「アスカでなければいけない理由」でお会いしましょう。

 

では。

 





 けびんさんの『二人の補完』第二十三話、公開です。





 ケンスケ、みせてくれました(^^)

 シンジをずーっと見てきた彼の、
 ここにきての行動っ

 シンジへの
 惣流への
 自分自身への

 色々。


 男だったよね。



 トウジも格好良かったよね。

 言う事は言って、
 黙ってやらして、
 最後はのろけて(爆)

 彼も男っす。




 さあさあさあ、
 シンジもいかんと。
 シンジも見せんと。

 ね。



 アスカには何やらだし、
 佳境!
 山場!




 さあ、訪問者の皆さん。
 クライマックスに突入するけびんさんに感想メールを送りましょう!




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