ここはどこだ?
シンジは闇の中を彷徨っていた。
「シンジ…。」
突然闇の中から声が聞こえた。
「え…? 誰!?」
再び声が聞こえる。
「シンジ…。」
まるで地獄の底から聞こえてくるような恨めしい響きを帯びて…。
シンジは恐る恐る後ろを振り返った。そしてシンジの表情が恐怖に凍りついた。
「わあああああああぁぁぁぁぁ……………………!!!!」
シンジは悲鳴をあげた。
そこには血まみれになったアスカがいた。
左目は潰れて血に染まっていた。右腕は根本から真っ二つに裂かれていて血が滝のように滴り落ちていた。そしてお腹のあたりは肉がごっそりと削げ落ちており臓器の一部が露出していた…。
まるで地獄から這い上がってきた亡者と錯覚するほどの凄まじい形相のアスカの姿にシンジは腰を抜かして立てなくなった。
「ひぃ……!!あわわあああぁぁぁぁぁぁ………………!!」
「シンジ…、よくも…よくも…あたしをこんな目に遭わしてくれたわね!」
アスカは残っている右目に凄まじい怨みを込めてシンジを睨みつけた。
「ち…違う…僕がやったんじゃない!」
「あんたがやったも同じよ。ううん、直接手をくだすよりよっぽど質が悪いわ!あんたはあたしを助ける力を持っていながらあたしを見殺しにしたのよ!あたしがもがき苦しむ様をまるでショーのようにただじっと眺めて楽しんでいたのよ!絶対に許せないわ!」
「ち…違う!」
「違わないわよ!あんたもあたしと同じ目に遭わせてあげるわ!」
というとアスカの左手にロンギヌスの槍が現れた。
「ア…アスカ…。」
「まずは左目からよ!」
といってアスカは槍を振りかぶった。
「うわああああああぁぁぁぁ…………………!!!!」
「うわああああああああぁぁぁぁぁ…………………!!」
シンジは目を醒ました。
「ハア…、ハア…、ハア…、ハア…、ハア…」
「ゆ…夢か…」
シンジの寝間着は汗でびっしょりになっていた。
ふとシンジは白い包帯の巻かれている自分の右手の小指を見た。
それを見て大きなため息を吐く。
「そうか…、夢じゃなかったんだ……。」
第七話「虚しい決意」
シンジは部屋から顔を出して恐る恐るリビングの様子を伺った。
アスカはまだ起きてないようだ。
それを確認するとシンジはようやく部屋から出て朝食を作るためにキッチンへ向かった。
シンジはハムエッグを調理しながら昨日の夜の出来事を思い浮かべた。
これからずっとアスカと顔を会わせなばならないのかと思うと気が重くなってきた。
料理をテーブルの上に並べていると突然誰かがシンジの肩を叩いた。
シンジはドキリとした。今この宿舎にはシンジとアスカしかいない。
ということは必然的に後ろにいるのはアスカということになる…。
シンジはそれを悟ると恐る恐る後ろを振り向いた。
そこには予想通りアスカがいた。
ただ予想と違うのは昨日の出来事が嘘のように険のない笑顔でにこにこ笑っていた。
「おはよう!シンジ!」
そういってアスカは満面の笑みを浮かべてシンジに挨拶した。
シンジは呆然としている。
「どうしたのシンジ?元気がないわね?」
アスカは何事もなかったかのような口調でシンジに尋ねる。
「………………………………。」
「何か悩み事でもあるの…?こういう時はおはようのキスでもすると元気がでるわよ!ねぇ…シンジ…キスしよう…。」
と言って頬を赤らめてアスカは自分の顔をシンジに近づけた。
シンジはアスカの態度に戸惑った。そして一瞬だが昨日の事は本当に夢じゃなかったのかと錯覚した。だがそれは本当に一瞬の事だった。起きた時から続いている小指の痛みが昨日の出来事が現実であるとしきりに訴えていた。
シンジはくるりと後ろをむいてアスカから顔を背けた。
その途端アスカの声の調子が毒のこもったものに変わった。
「チッ! さすがに引っかからないわね!のこのこ唇を近づけたら思いっきり股間を蹴り上げてやるつもりだったのにね!」
シンジは振り返らなかった。アスカが今どんな顔でシンジを見ているのか確認するのが怖かった。そして後ろを振り向かずそのままシンジは宿舎から飛び出していった。
アスカはそれを冷たい瞳で見ていたがやがて何事もなかったようにシンジの作った朝食を食べはじめた。
シンジは馴染みになった第三中央病院から出てきた。
昨日は簡単に応急処理しただけの右手の小指の怪我を見てもらったのだ。
医師の話では幸い骨は折れていないそうだ。
軽い脱臼でしっかりとテーピングしておけば一週間もすれば自然に治癒するとの事だ。
宿舎へ帰る気にもなれずこれからどうしようかシンジが迷っていると誰かが後ろから声をかけた。
「シンジ君!」
シンジが振り返るとそこには私服姿のマヤが立っていた。
「マ…マヤさん。」
マヤはにっこりと微笑むと
「ちょっと話があるんだけどつきあってくれるかな?」
とシンジを誘った。
むろんシンジに否応あるはずがなかった。
シンジとマヤは近くにあった喫茶店「BIG CAT」に入り二人分のコーヒーを注文すると席についた。
さてマヤはシンジを誘ったもののどう話を切り出していいか踏ん切りがつかず少しシンジの様子を観察することにした。
シンジはマヤの視線に気がつくとにっこりと笑みを返したがそれは昨日まで見せていた屈託のない少年らしい心からの笑顔とは明らかに異質のものだった。それに気づきマヤの顔がやや暗くなる。
『やっぱり昨日アスカと何かあったのね…。』
マヤはそう確信した。
やがてコーヒーが運ばれてきたがそれでもマヤはどう話を切り出せばいいか思案しあぐねた。そんな時砂糖をスプーンでかき混ぜるシンジの右手にマヤの視線は固定された。
「シンジ君。その右手…」
そういうとシンジはあわてて
「あ…これですか…これは昨日料理をしている時失敗しちゃって…」
と弁解した。
明らかに後ろめたそうなシンジの表情からマヤは嘘だと確信した。
『もしその右手の怪我もアスカが絡んでいるのなら状況は私が想像していたよりかなり切羽詰まっているのかもしれない。だとしたらこんな所でぐずぐずしてる場合じゃないわね…。』
マヤはそう決心して大上段から攻める事にした。
「シンジ君、アスカと何かあったの?」
とマヤはいきなり核心をついた質問した。
アスカという単語にシンジは過剰に反応した。
スプーンをかき混ぜる手が乱雑になりその目には明らかに怯えの色が見えた。
「べ…別に何もあるわけないじゃないですか…。」
誰が見ても嘘だと分かるほど狼狽した態度でシンジは弁解した。
それを見てマヤは
『あせっては駄目ね…。まずは私がシンジ君の味方だって事を分からせなくては…。』
と決意するとマヤはいきなりシンジの手を取った。
「マ…マヤさん!」
シンジはさらに狼狽する。
マヤはそんなシンジをいくらかでも落ち着けようとにっこり微笑むと
「シンジ君。警戒する気持ちも分かるけど私はあなたの味方よ。アスカちゃんとの事で何かトラブルがあるのなら遠慮なく私に相談してちょうだい。」
シンジはその言葉に顔を背けたが目が思慮深げにさまよっていた。
『迷ってるわね…。ここはシンジ君が乗ってきやすいように自然な形で話を切り出せばうまくいくかもしれないわね…。』
マヤはシンジを握る手に一段と力を込めると
「病院でも話したと思うけど私はシンジ君とアスカちゃんが二人だけで暮らすのはまだ早いと思っているの。だからシンジ君にとって今のアスカちゃんが負担なら私から冬月さんに話して別々に暮らせるように手配してもいいわよ…。シンジ君、あんた達はまだ14歳なのよ。だから半人前であることを恥じる必要はないわ。今二人でいることが自分達の為にならないと思うのなら正直に話して欲しいの。」
そう言ってマヤはじっとシンジの目を見つめた。
シンジは明らかに迷っていた。しばらく悩んでいたがやがて決心したらしくマヤを恐る恐る上目遣いで見上げると
「あ…あの…実は…」
と話そうとしたがすぐに何かに驚いた表情をすると突然口を貝のようにつぐんでしまった。
「ど…どうしたの?シンジ君?」
マヤはあともう一息でうまくいくと思っていたのに突然変貌したシンジを不審に思いシンジの様子を見直してみた。シンジは明らかに恐怖の表情を浮かべていた。そしてシンジの目線はマヤの後方に注がれていた。
まさか…と思いマヤは後ろを振り返って見るとそこにはアスカが立っていた。
アスカは冷たい目線でマヤを見ながら
「「噂をすれば影がさす…」というのは本当の事ね…。マヤ…。」
と呟いた。
「ア…アスカ…!!」
「あんた何あたしのシンジに手を出してるのよ!手を握ったあげくあたしとシンジを無理矢理引き裂こうとするなんてやり方が陰険なのよ!」
とアスカが吐き捨てるように言うとマヤはあわててシンジの手を離し
「わ…私はそんなつもりじゃ…」
と弁解すると
「どう違うのよ!どう見たってあたしに嫉妬したショタ女が色仕掛けでシンジをたぶらかそうとしたようにしか見えないわよ!」
アスカの侮辱にマヤは顔を真っ赤にしてぶるぶると震えだした。
アスカはそんなマヤを無視してシンジに近寄りそっと首に手を回して後ろから抱きしめると
「シンジ…、あなたも言ってあげなさい。あたし達の間には何の問題もないって…。だってあたし達愛し合っているんだもんねぇ…。シンジ…?」
と笑ってシンジに問い掛けた。
シンジはアスカの顔を見上げる。アスカの顔は笑っていたが目は笑っていなかった。
心なしか首にまわされた手に力がこもっているように感じる…。
「も…もちろんだよ…。ア…アスカ…。あははっ……」
とシンジは虚ろな表情をしてアスカの問いを肯定した。
アスカは満足そうに微笑むと
「というわけよ。マヤ…。悪いけどあんたの入り込む隙間はないのよ…。帰りましょう。シンジ…。」
と言ってシンジの手を引いた。
それを見てマヤはあわてて
「待ちなさい。まだ話は終わって…」
と呼び止めようとしたが
「マヤ…。あんたこんな所で油を売っていていいのかしら?あんた死ぬほど忙しい身なんでしょ?」
とアスカは嫌みな口調でマヤを封じ込めた。
アスカはもはやマヤには一瞥もくれず
「いくわよ。シンジ。」
と言ってシンジを引きずるようにして喫茶店から出ていった。
一人残されたマヤはしばらく呆然としていたが
「失敗か……。」
と呟いて深いため息をついた。
「ううううぅぅぅ………!!」
シンジは宿舎に着いた途端アスカの制裁を受け壁際にくずれ落ちた。
アスカはシンジを軽蔑の視線で睨み付け
「本当に最低な男ね!ちょと優しい顔したら一生側にいてほしいなんて言っていた癖にその舌の根も乾かないうちに今度は逃げ出そうとするなんてね!」
とシンジを罵った。
アスカはシンジの前に仁王立ちになりシンジを見下ろした。そして
「シンジ…!勘違いするんじゃないわよ!あんたには何一つ自由はないのよ!あんたは一生あたしのものなんだからね!」
そう宣言するとアスカは自分の部屋へ帰っていった。
それから一週間が過ぎた。シンジは誰の目から見てもどんどんやつれていった。
今日もシンジは図書館に来ている。学校が始まるのはまだ先なので自主勉強をするためだ…。勿論宿舎で出来ないこともないのだが可能な限り宿舎から離れていたかった。だがすぐに閉館時間になりシンジは図書館から追い出された。宿舎への帰路へつきながらシンジはため息をついた。
「帰りたくない…。」
宿舎にはシンジを心の底から憎んでいる少女が待っているからだ…。
そんな時誰かが声をかけた。
「よう。シンジ君。おひさしぶり…。」
振り向くとそこには日向と青葉の二人が立っていた。
「ちょっと話があるんだがそこのレストランで夕食でも食べないか?」
とシンジを誘った。
シンジは喜んで誘いを受けた。
とりあえず宿舎へ帰らない口実が出来たからだ。
夕食までに帰らなかったらアスカがまた怒るかも…という考えが一瞬頭の中をよぎったがとりあえず目先の利益を優先させる事にした。
レストラン「黒船」は意外に混んでいた。
シンジ達は20分ほど待たされた後ようやく席に案内された。青葉と日向は壁側の席に腰掛けシンジはその反対側に一人で腰掛けた。青葉はカレーライスを、日向はステーキをそしてシンジはハンバーグステーキを注文するとさっそく会話が交わされた。
「最近少しやつれたように見えるけど疲れているのかい?」
日向がシンジに質問する。
「………………………。」
シンジは何も答えない。
マヤには一瞬全てを話そうと思いかけたシンジだがこの二人にはどこまで話していいのか思案しあぐねていた。
俯いたシンジを見て青葉が少しにやけた表情をすると
「そんなに警戒しなくてもいいぜ…。俺達はシンジ君の味方だからな。」
その言葉にシンジは驚いて顔をあげた。
この二人も自分とアスカの関係について感づいているのだろうか…。
そう一瞬シンジは思ったが
「俺達は冬月さんやマヤちゃんみたいに堅い事を言うつもりはさらさらないからな…。まあ確かに道徳的にはちょっとばかし問題があるだろうけど仕方がない事だよな…。アスカちゃんのような美少女と一つ屋根の下で暮らしていて自分を押さえろというのがそもそも無理な話なんだよな。」
「………?」
日向も苦笑したような顔をして
「ただしやり過ぎはよくないと思うぞ、シンジ君。君たちはあくまでまだ中学生なんだからほどほどにな…。」
と言ってシンジの肩を叩いた。
シンジには何を言っているのかわからなかった。
「あ…あの……、お二人とも何を言っているのですか?」
青葉は呆れたような顔をして
「何って…だからナニの話だろ…?」
一瞬呆然とするシンジに日向は
「とにかく避妊だけはしっかりするようにな…。シンジ君だってその年で子持ちになるのは嫌だろ?」
ようやく二人が何を言おうとしているのか理解したシンジはみるみる顔を真っ赤にして
「ち…違いますよ!僕とアスカはそんな関係じゃありません!」
と大声で怒鳴った。
二人は一瞬驚いたが
「シンジ君!ちょっと声が大きい!」
と指摘した。
シンジは周りを見回すと他の客が何事かとシンジ達のテーブルを見つめている。それに気が付いてシンジは怒りでなく恥ずかしさのため再び顔を赤らめ
「す…すいません…。」
と謝って俯いた。
それからしばらく沈黙が続いた。
やがてウエイトレスが料理を運んできて3人は夕食を食べはじめた。
夕食を食べ終えると食後のコーヒーを注文して再び青葉が
「さっきはいきなりすまなかったな…。けど気にする必要はないぜ。愛さえあればたとえ中学生でも肉体的に結ばれるのは決して早いことではないさ。体はもう十分大人なんだしな…。」
どうやら二人はさっきシンジが言った事をまったく信じていないみたいだ。
シンジは心の中でため息をついた。
自分とアスカはそれ所の話じゃないというのに…。
「だから浮気はよくないぞ、シンジ君。決してアスカちゃんを裏切ることのないようにな…。」
「…………?」
また何やら頓珍漢なことを言い出した二人にシンジは怪訝そうな表情をする。
青葉は一つため息をついて
「マヤちゃんも困ったものだよな…。いくらショタの気があるからってよりによってシンジ君みたいな彼女持ちに手をだそうとするなんてな…。まったくこんないい男がいつも目の前にいるというのに…。」
シンジはようやく二人の真意を理解した。どうやらマヤに気のある二人がマヤの一連の行動をシンジに対するモーションと勘違いしてこうしてシンジを牽制しにきたというわけか…。
シンジは心の中で再び大きくため息をついた。
「あの…それじゃ僕そろそろ失礼します。今日はどうもご馳走様でした。」
とてもこれ以上つきあってはいられない…、と思ったシンジは足早にここから退散しようとした。
それを見て日向は何か思い出したように
「あ…そうそう…、本来の目的をすっかり忘れていた…。シンジ君。実は君に渡したいものがあるんだ…。」
といってバッグの中から包みを取り出してシンジに手渡した。
「何ですか…これは?」
シンジが不思議そうな表情をすると
日向ははじめて神妙そうな顔をして
「葛城さんの遺品の一部だよ…。」と答えた。
ミサトの名前を聞いてシンジはビクッと反応した。
「ミ…ミサトさんの……」
「そうだ…。わずかだけど葛城さんの遺品が見つかったのでどうしようか迷ったけどシンジ君達に託すことにしたんだ。葛城さんの財産に関しても同様だ。冬月さんとも相談したんだが全て君たちに託すのが望ましいという考えで落ち着いたんだ。特に遺言状が残されていたわけではなかったけどまず間違いなく彼女もそれを望んでいるはずだしね。何しろシンジ君とアスカちゃんは身寄りのない葛城さんにとって本当の家族だったんだからね…。そうだろ、シンジ君?」
日向は包み込むような笑顔でシンジを見つめた。
シンジはやや狼狽して
「ぼ…僕には受け取れません。確かにミサトさんの事は今でも家族だと思っています。けど…日向さんだってミサトさんの事を…」
それに今のアスカがミサトの事を家族と思ってくれているのかシンジには自信がなかった。
それを聞いて日向はやや悲しいそうな表情をすると
「確かに僕は葛城さんの事が好きだった。だけど葛城さんが最期まで愛していた男性は加持さん唯一人だけだった。だから僕にはそれを受け取る資格がない…。だからそれを受け取る資格があるのは葛城さんに家族として愛されていたシンジ君だけだ。それに俺は未練たらしい性格だからそいつを受け取ってしまったらいつまでも葛城さんの事を忘れられそうにないからな…。」
「日向さん…」
日向は吹っ切ったような表情をすると
「ま…そういうわけだ…。葛城さんの財産についてもいずれ俺達の仕事が落ち着いたら正式に話をすると思う。もっとも法的な手続きは全てこちらの方で行うから心配しなくてもいい…。」
そういうと伝票をつかんで立ち上がった。
「それじゃシンジ君。アスカちゃんによろしくな…。」
そういって支払いをすませると二人はレストランから出ていった。
シンジは宿舎の近くにある公園のベンチに腰をおろすと日向から手渡された包みを開いてミサトの遺品を確認した。
中にはたいした物は入っていなかった。
ボールペンにルージェにブローチ…そして十字架を象ったペンダント…。
シンジは十字架のペンダントを左手に持つとそれをじっと眺めて呟いた。
「あの時ミサトさんからもらったペンダント…、保護された時なくしたと思ってたけどちゃんと回収してくれていたんだ…。」
シンジの脳裏にミサトとの最期の別れのシーンが蘇る。
「ミサトさん……………。」
シンジの瞳が潤みはじめた…。
その時包みの中から風に飛ばされて一枚の写真がこぼれ落ちた。
シンジは地面に落ちた写真を拾い上げて見る。
それはサードインパクトの前に3人で撮った記念写真だった。
シンジを左手側、アスカを右手側に従えて、中央にいるミサトがシンジとアスカの肩に手をまわしてにっこりと微笑んでいた。写真の中のシンジも笑っていた。いかにも照れくさそうな彼らしい表情で…。アスカもあきれたような表情をしながらまんざらでもない顔をして自然に口元を綻ばせていた。それはまだ3人が家族でいられた幸福な追憶の一時。3人の家族関係が破綻する前の幸せな一瞬…。
「ミサトさん…、アスカ…。」
知らぬ間にシンジの目から涙がこぼれ落ちた…。
シンジは声を立てずに泣いた。
今はもうミサトはいない…。そしてアスカはもうシンジの知っているアスカではなかった…。
シンジは長い間自分の世界に閉じこもっていたが突然吹き抜けた北風に現実へ戻された。
「さ…寒い…。」
シンジは未体験の寒さに震えた…。
「そういえば日向さんが日本にも季節が戻ったっていってたな…。サードインパクトの影響でセカンドインパクト時にずれた地軸が元に戻ったとかで…。」
シンジはもう一度写真をのぞき込む。そしてペンダントを握りしめたまま呟いた。
「あきらめるのはまだ早いですよね…。そうですよね…、ミサトさん?」
シンジは顔を上げた。その目には一つの強い意志が宿っていた。
シンジはペンダントを自分の首にかけると自分を鼓舞するように呟いた。
「逃げちゃ駄目だ…!」
シンジはベンチから立ち上がると足早に走り出した。
『帰ろう僕の家へ。』
シンジはかつてのアスカを取り戻す決意をした。シンジの瞳に迷いはなかった…。
「ただいま…」
そう呟いてシンジは宿舎の扉を開けた。
その時にはもう10時を過ぎていた。
シンジがリビングにあがるとリビングの奥からいつも通りのラフなスタイルでアスカが現れた。わずかだがアスカの髪からシャンプーのほのかな香りがする…。どうやらちょうど風呂上がりのようだ。
「遅いじゃないの、バカシンジ!今までどこほっつき歩いていたのよ!あんたあたしを飢え死にさせる気!?覚悟はできているんでしょね!?」
アスカは激しい敵意の視線でシンジを睨み付けながらマシンガンのように矢次に言葉を紡ぎだしてポキポキと腕を鳴らしながらシンジに詰め寄った。
アスカの形相にシンジはびびって一瞬だがさきほどの決意がぐらつきかけたが心の中で「逃げちゃ駄目だ!」を連呼して何とか踏みとどまった。
そして目を逸らさずにアスカの視線を正面から受け止めた。
シンジのいつもと違う開き直ったような態度にアスカは怪訝な表情をする。
アスカの動きが止まったのを見てシンジがアスカに声をかける…。
「アスカ…、もうこんな事やめようよ…。」
アスカはいきなりのシンジの言葉に戸惑った。
「い…いきなり何いってんのよ!?」
「もう何もかも終わったんだよ。だからさ…もう一度二人でやり直そうよ…。」
アスカはシンジが何を言おうとしているのか理解すると激しい憎悪のこもった目でシンジを睨みつけた。
「終わったですって……!?ふざけんじゃないわよ!終わってなんかいないわよ!ううん…、終わりになんかさせないわよ…!あんたがそうやってのうのうと生きている限り永遠に終わりなんかないのよ!」
シンジは泣きそうな目をして
「アスカもう許してよ!お願いだから昔のアスカに戻ってよ!こんなの…こんなの…全然アスカらしくないよ!!」
その言葉は強烈にアスカの癇に障った。
アスカはシンジの鼻先まで自分の顔を近づけ正面からシンジを見下ろすと
「あたしらしさ…って何よ!?あんたにそんなこと言われたくないわよ! ふんっ! だいたい昔と何が違うというのよ!?やってる事は昔と何も変わらないじゃないの! あんたのことを口汚く罵って…、あんたに家事の全てを押しつけて…、あんたを暴力で縛り付けて…これがあたしらしさ…ってやつよ!何か文句あるの!?」
「違う…! 違う! 絶対に違う! そんなの絶対に違うよ…! そんなの僕が好きだったアスカじゃないよ!」
シンジは叫んだ。
「違わないわよ! 勘違いしてんじゃないわよ! あんたなんか昔も今も大嫌いよ!」
その時アスカの髪の毛がシンジの頬をなでシャンプーのほのかな香りがシンジの鼻孔をくすぐった。そして目の前に突きつけられたアスカの豊かなバストを視界に捕らえた時なぜか大人の関係を示唆した日向達のからかいの言葉がシンジの脳裏に浮かび上がってきた…。その途端シンジはアスカを女として意識してしまい頬を赤らめて思わず顔を背けてしまった…。
アスカはシンジの突然の変化に一瞬顔をしかめたがすぐに敏感にシンジの変化の理由を察知すると軽蔑の眼差しでシンジを睨みつけた。
だがすぐに表情を消して呟いた。
「シンジ… あたしが欲しいの?」
「………………………!!」
「あたしは別にいいわよ! またシンジがあたしから離れられない理由が一つ出来ることだしね…。あのハゲタカ達に陵辱された女の汚れた体でよければいくらでも好きにしてちょうだい!」
「や…やめろよ!」
シンジは目を背ける。
「何をいまさらかっこつけてるのよ!病室であたしのことおかずにして汚したくせにいまさら聖人ぶったって説得力に欠けるわよ!そうよ、それが目的だったんでしょ!? あたしの心じゃなくて体が目当てだったからずっと病室に入り浸って看病と称してあたしを抱きしめていたんでしょう!? やらせてあげるわよ! さっさとあたしを犯しなさいよ!」
そういってアスカはタンクトップをまくしあげる。
かつて病室で拝んだアスカの豊かな乳房があらわれた。
シンジは思わず生唾を飲み込んだ。
シンジとて正常な男の子だ。
アスカのような美少女の半裸を前にして情欲をもよおしてもいたしかたなかった。
アスカが欲しい…。
シンジの中の獣が目覚め始める。
だがシンジはこみ上げてくる欲情を必死の思いで押さえ込んだ。
今アスカを抱けばそれはアスカの言葉を肯定する事になる。
そうなればかつてのアスカを取り戻す事は永遠にかなわなくなってしまう。
シンジはかろうじて残っていた理性を総動員して自分の上着をアスカにかけるとそのまま後ろを向いた。
「な…何でよ!?」
アスカの顔は怒りに震えている。
自分には性欲の対象としての女の価値さえ残っていないのだろうか?
アスカの女としての矜持はしたたかに傷つけられた。
シンジはそんなアスカの想いには気づかずに必死に叫んだ。
「アスカ! 頼むからこれ以上自分を傷つけるようなことをするのはやめてよ! そうだよ、僕は汚いよ! あの病室だけじゃない、いつだって想像の中でアスカの事を汚してきたんだ! だから汚れているのは僕であってアスカじゃない! アスカは汚れてなんていないんだ! だから僕の事ならいくら悪く罵ってもかまわないよ…、けど自分を傷つけるようなことを言うのだけはやめてよ!」
シンジは思いの丈を白状しそして自らを断罪した。
突然アスカはシンジの胸ぐらをつかみ正面からシンジの目を見据えた。
その蒼い瞳には憎悪が宿っていた。
シンジはハッと息を飲む。
ほんの一瞬だがシンジはアスカに見とれた。
“復讐の女神”
そう称していいほど今のアスカの顔は美しかったからだ。
パンッ!!
アスカの強烈なビンタがシンジの頬に炸裂する。
「ふざけんじゃないわよ!あんたのその偽善者ぶった態度が一番気に入らないのよ!あたしをこんな風にしたのは誰よ!? 他人を憎むことでしか生きていけないような惨めな女にあたしを貶めたのは誰よ!? あんたでしょ!! あんたがあたしから総てを奪ってこんな風にあたしを作り替えたんでしょうが!!」
アスカの言葉がシンジの心に鋭い針となって突き刺さる。
頬を打たれた痛みより心の痛みの方がはるかにきつかった。
「返してよ! そんなに言うんだったらあたしのまだ汚れてなかった頃のきれいな心と体を返してよ! 出来ないんでしょう!? だったら二度とそんなえらそうな口聞くんじゃないわよ!」
アスカはシンジを一瞥すると自分の部屋へ逃げ込んだ。
「う…ひぃっく…ううぅ………ひぃっく……うううぅ…………ち…くしょう……ちくしょう…。」
しばらくしてアスカのすすり泣く声が聞こえてきた。
シンジは呆然としていたがやがて自らも嗚咽をもらし泣き出した。
自分が再びアスカを傷つけてしまったことを深く悔やんだ。
つづく……。
けびんです。
朧気ながら全体的なプロットが見えてきたので(錯覚かもしれませんが…(^^;)今書いている内容を「二人の補完」前章「AIR」編とさせていただきます。つまり大きく分けて前章・後章の二部構成とする予定です。後章に関してはまた後ほど…(タイトルは未定…ってバレバレだけど…(^^;)
さて一部の読者にとっては大変心苦しい展開が続いてますけど俗に言われている「シンジいじめ」は僕にとってあくまで「過程」(プロセス)であって「目的」ではないのでまあ前章「 AIR」の執筆中はずっと下降線を辿っていくとは思いますが行き着くところまで行き着けば(物騒な話ですが…(^^;)あとはもう上昇するだけだと思いますのでいつかは朝日は登るものと信じてもう少しだけこの雰囲気にお付き合い下さい…。
だって…本当に…本当に…しつこいとは思いますがこれでも自分は本当にLAS人なんですから〜!!
それでは次は第八話でお会いしましょう。 では。
けびんさんの『二人の補完』第七話、公開です。
きびしいですね・・
シンジ、帰宅拒否症ですよね(^^;
マヤさんの手もなかなかうまく届かないし、
ほんと、厳しいですよね。
”前章”と言うことは、
しばらくこのノリが続くのかな?
読み手も気合いを入れましょう(^^)
さあ、訪問者の皆さん。
ペースを保って連載するけびんさんに感想メールを送りましょう!