しかし、使徒の足下だけは全く変化がない。
それを見た『シンジ』は手をかざすのを止めると後ろへ下がって、小さく舌打ちした。
「あのバリア…重力子までも遮断するとは。
想像以上にやっかいだな。
ワームホールを使って中へ入り込むか?
だが、あのバリアは奴の体ぎりぎりの所にある。
どう考えても、隙間に入るのは無理だな。
それなら逆に、バリアの方をワームホールでどこかへとばす方がいいか?
………そう上手くいく代物じゃ無さそうだし、面倒くさいな。
それに、この方法は俺では無理だ……。
他に何か面白い方法は……。
そうだ、どうやらこのバリア、次元隔壁とは違って耐久力に限界があるようだし、そのへんの適当なビルでも切り取って質量爆弾にして投げつければ、使徒ごと一発で消し去れるはずだな。
そのかわり、被害は街1つなんてレベルじゃ絶対に済まんが…。」
いまいち良い解決方法が思いつかないのか、どんどん考えることが過激になっていく。
それを止めたのは、
「ちょっと、シンジ君!?」
ミサトからの通信だった。
とたんに我に返る『シンジ』。
「さっきから、様子がおかしいけど、大丈夫なの?」
モニターの中でミサトが心配そうな顔をしている。
「……“シンジ”が無事かどうかは分からんが、この“体”に異状はない。」
『シンジ』の返事に、ミサトはリツコと顔を見合わせた。
(ちょっとリツコ、シンジ君って二重人格だったっけ!?)
(そんなはずはないわ。
マルドゥック機関の報告には無かったし。)
(それじゃあ、この変化は何?
しゃべり方も雰囲気も、全然違うじゃない。)
(確かにね。
マルドゥック機関は一体何を調査していたのかしら。)
ひそひそと囁きあう2人の言葉が聞こえたのか、『シンジ』が口を開く。
「言っておくが、俺は“シンジ”ではない。
この体は“シンジ”のものなのだが、今は俺が制御している。」
「それは、どういうこと?
多重人格じゃないわよね?」
リツコが問いかけた。
「それは違う。
俺は別に自分の肉体を持っている。
簡単に言えば、体を乗っ取っている状態だ。
先ほど、突然“シンジ”が気を失ってな。
……本来そんなことはありえんのだが、心当たりも無い訳ではないし、放っておいたのだ。
だが、シンジの意識はなかなか帰ってこんし、使徒とやらが近づいてきたのでやむなくこちらから操作させてもらっている。
まったくアイツも、いつまで話し込むつもりなのだか……。」
ぶつぶつと呟く『シンジ』と、さっきまでのシンジのあまりの違いに、シン…となる発令所。
「た、確かに別人のようね…。」
ミサトの呟きに、その場の全員が無言のまま頷いた。
“Deus ex machina―D”
「そうだな………。」
"マスター"は、もう一度使徒に足止めの加重力兵器を放ちながら考え込む。
他人に"マスター"と呼ばせるつもりはない。
だが、本名を名乗る気もしない。
しばらく悩んだ末、ようやく口を開いた。
「……そうだな。
"ネクター"とでも呼んでもらおうか。
シンジは俺のことを"マスター"と呼んでいるがな……。」
その声には、わずかな自嘲の色が混ざっていた。
意外にも思ったが、ミサトはそれをできる限り表情に出さないようにした。
「ネクターね。
それじゃあネクターさん、できれば現在の状況を説明して欲しいんだけど。」
「・・・さんづけはいらん。
現在、使徒は加重力兵器によって足止めされている。
だが、奴の持つバリアのせいでほとんど実際の効果はなく、はっきり言って、奴はただ驚いて足を止めているにすぎん。
まったく被害がないことを確認すれば、再度進行してくるだろう。
あのバリアを消す方法……有るには有るのだが、俺がやれば被害が街1つでは済まん。
シンジならば、被害を最小限にとどめてバリアを突破することもできるのだが……。
そのあたりについて、そちらに何か方法がないか訊いておきたい。」
「あのバリア……私たちはATフィールドと呼んでいるんだけど……。」
ATフィールドについて説明をしようとしたリツコだが、突然言葉を切って『シンジ』の方を見つめ直した。
「その前に、ネクター…あなたには出来なくて、シンジ君なら出来る方法……。
出来れば聞かせてもらえないかしら。」
「……いいだろう。
さっきも言ったとおり、この体は本来シンジの物……。
俺は無理矢理、一時的に制御しているだけだ。
それが原因で、シンジなら使用出来るが、俺には出来ない能力がいくつか有る。
その一つが、空間に関する能力。
先ほど、初号機の前でシンジが使用したものも、この中に入る。
大まかに言えば、空間を歪めたり、相転移させたり、縮ませたり、といったようなものだ。
これらの能力は、シンジ本人の意思によってのみ発動する。
そして、見たところ、例のバリア――ATフィールドとか言ったか――も空間を歪ませた物の一種……。
ならば、シンジの能力によって消滅させることも、可能なはずだ……。
なお、シンジと俺が一体何者なのか――と言う質問に対しては、一切答えられんからそのつもりでな。」
『シンジ』の説明を聞いて、リツコは小さく笑った。
「あなた達……非常識なんてものじゃないみたいだけど、ちょっとアレは特殊なの。
ATフィールドは、ただ空間を歪めるだけではなくならないのよ。
あれを消すには、ATフィールドを同調させて中和しなければならないわ。
つまり、こちらもATフィールドを展開できなければ、攻撃を加えることは出来ないの。」
心の壁を破ることが出来るのは、心の壁だけ。
そのことを知る数少ない1人であるリツコは、はじめから見えていた、ただ一つの結論に内心で嘆息していた。
「それで、ATフィールドをつくる方法は、分かっているのか?」
やっぱり、そう考えるのが普通でしょうね。
心のどこかで相手の技術水準に対抗しようとしていた事に気付き、ふっと苦笑が漏れる。
「ほとんど分かっていないわ。」
あっさりと『シンジ』の言葉に答えるリツコ。
『シンジ』は小さくため息をついて――と言ってもLCLの中なので口からLCLとわずかな気泡が出ただけだったが――使徒の方を見つめた。
「……ならば仕方ないな。
使徒には周辺の都市ともども、吹っ飛んでもらおうか。
これが、現時点における最も確実な手段だ。
ちなみに、N2兵器などと比べるなよ。
こっちは一撃で天井都市を消滅させることが出来る。
いかにジオフロントといえども無事では済まんから、そのつもりで避難しておかないと、大きな被害を受けることになるぞ。
場合によっては、それも無駄かもしれんがな。」
あまりの発言に、コウゾウが眉をひそめて口を開く。
だが、言葉が発せられる前に、その口は閉じられた。
『シンジ』がにやりと笑って、先に発言したからだ。
「いや、その必要はなかったようだな。
ようやく帰ってきたか、"シンジ"。
まったく……時間をかけすぎだ。
……もっとも、かかった時間に見合うだけの収穫はあったようだが……。
俺の仕事は確実に増えたな……。
調べ物もいろいろとせねばならんようだし、俺はこのあたりで消えるとしようか。」
『シンジ』がゆっくりと目を閉じる。
それと同時に、使徒に襲いかかっていた重力子が一斉に動きを止めた。
そして、ネルフのスタッフ達が息をのんで見守る中、再び"シンジ"の目が開いていく。
次の瞬間、マコトの叫び声が発令所の活動を再開させた。
「初号機の周辺に、ATフィールドの発生を確認!!
使徒のATフィールドを中和、侵食していきます!!」
「そんなバカな!!」
慌ててコンソールを確認するリツコ、マヤ、シゲル。
初号機から突如発生したATフィールドは、確実に使徒のATフィールドを中和していた。
「シンジ君!?」
リツコの呼びかけに、シンジはにっこりと微笑んで答える。
「ご心配をおかけしました。
もう、大丈夫です。」
(うっ……、こうやってみると、案外かわいい子じゃないの。
……って、そんなこと考えてる場合じゃないでしょう!)
一瞬シンジに見とれたリツコだが、そう自分に言い聞かせ、とりあえずそのことは頭の隅に放り込んだ。
もっとも、マヤやミサトも含めて、その場にいた女性は同じような状態だったが。
「シンジ君!使徒には、コアと呼ばれる弱点があるわ!
この使徒の場合は、胸の所にある、赤い球体がコアよ!
そこを破壊してちょうだい!」
「分かりました!」
答えてシンジは使徒のコアを確認した。
顔の下の部分に、血から作られた宝玉のような物がある。
〈マスター、使徒との距離は?〉
{およそ三十八メートルです、シンジ。}
答えたのは、"マスター"ではなく、中性的でどこか冷たい、それでいてなぜか人間的で優しい響きの声だった。
〈アメジスト?
マスターはどうしたの?〉
"マスター"に代わって答えたのは、完全自律思考型コンピューター「クリスタル」 シリーズNo.2、「アメジスト」だった。
もちろん、村雨ノボルが生みの親で、No.1「クリスタル」、No.3「ジャスパー」という同型機がいる。
シンジとも長年のつきあいで、三人ともシンジの兄(といっても、三人とも人格的に男でも女でもないので、兄でも姉でもないのだが)といった感じだ。
{マスターは、何か気になることがあるようで、ついさっき出ていきました。
おそらく書庫にいるのでしょう。
そんなことより、目の前に集中しなさい。
あなたなら簡単に勝てるでしょうが、気を抜いてはいけませんよ。}
〈分かってるよ。
ところでアメジスト、どんな武器が有効かな?〉
{ATフィールドを中和した今なら、どの武器でも有効でしょうが…そうですね、
近接戦闘でのビームニードルあたりが無難ではないでしょうか?}
〈そうしようか。
それじゃあ……〉
「いくよ、初号機。」
そう呟くと、シンジは使徒へ向かっていった。
使徒もそれを見て、初号機へ向かうスピードを上げた。
初号機が、使徒の腕をつかむと同時に、その足を払う。
シンジは、地響きとともに倒れた使徒のコアに近づこうとしたが、その前に使徒の目にあたる窪みが突然不気味な光を発したかと思うと、初号機の左腕とその周辺で閃光と火花が上がった。
〈なっ、なんだ?!〉
急いで使徒と距離を取り直したシンジに、アメジストが注意する。
{ほとんど周囲に拡散しないほどの、強力なレーザー光線のようです。
この様子では、もう左手は使えないと見てもいいでしょうね。
次からは、次元隔壁を使った方がいいでしょう。}
シンジはアメジストの言葉に従って、次元隔壁を展開した。
光も遮られ、むこうは虹色で見えないが、ある程度の位置を予測して近づきなおす。
そして、瞬時に次元隔壁を解き、使徒のコアに手のひらを押しつける。
使徒も全力で殴りかかってくるが、それを小規模な次元隔壁で弾き返した。 次の瞬間、発令所のモニターには、初号機の右手から発生した薄緑色の短い光の束にコアを貫かれながらも、初号機に絡み付く使徒の姿が映っていた。
そしてさらに次の瞬間、モニターに一瞬だけ白い光が煌めいたが、あとは虹色の光に埋め尽くされた。
「どうなったの!?」
ミサトの疑問には、誰も答えなかった。
モニターの虹色の光が徐々に薄れ、そのむこうに一体の人型の影が見えたからだ。
「……使徒は自爆、消滅。
初号機の損害は左腕部のみです……。」
マヤが、やや呆然とした風に報告する。
発令所は静寂に包まれ………そして………。
きっかり3秒後、発令所に初勝利の大歓声が響きわたった。
「………まだ喜ぶには早いな。
場合によっては、新たな『敵』が増えたのかもしれんというのに……。」
そう言いながらも、少しも心配していなさそうなコウゾウであった。