「了解、停止信号プラグを排出。」
シンジはプラグスーツと呼ばれる体にフィットした服に着替え、筒状の部屋の中に座っていた。
「エントリープラグを挿入。」
オペレーターの声が聞こえると、部屋――エントリープラグが下へとすべり込む。
「固定完了、第一次接続開始。
LCL注水。」
その言葉と同時に、シンジの足下からオレンジ色の液体が流れ出て、エントリープラグの中を満たしていく。
しかし、シンジは平然としている。
「あら、意外と落ち着いてるのね。」
リツコが、偶然にもミサトと同じような事を言う。
もっとも、それは当然だ。
小さな部屋に閉じこめられた状態で、突然足下から水がたまり始めれば、普通は焦るものなのだ。
「その液体はLCLと呼ばれているんだけど、それで肺が満たされれば、直接酸素を取り込んでくれるわ。
つまり、呼吸できる水のようなものね。
すぐに慣れるはずよ。」
〈……別に、慣れる必要はないんですけどね……。
普段から呼吸なんて、する必要無いんですから。〉
《だが、このLCLとやらも、なかなか面白いぞ。
コイツは、ただの呼吸できる水じゃない。
感じとしては、生物の血液に似てるんだが……。》
"マスター"が考え込む間にも、作業は続いていった。
「稼働電圧、臨界点を突破。
第二次接続開始。」
「了解、シナプス挿入、結合を開始します。
A10神経接続。
異状ありません。」
「双方向回線、開きます。」
エントリープラグの中が突然明るくなり、様々な模様や光が入り乱れる。
「………いけるわ!」
リツコが、嬉しそうに呟いた。
それを聞いたミサトが、発令所中に聞こえるように叫ぶ。
「エヴァンゲリオン初号機、発進準備!」
そんな中、シンジは何かが側にいるような感覚にとりつかれていた。
〈マスター……。
もしかして、これは……。〉
《おそらく、この"エヴァンゲリオン"の意識だろうな。
会話することは出来ないようだが、何かきっかけさえあれば、それも可能かもしれん。》
「内部電源充電完了、外部電源コンセント異状なし!」
「エヴァ初号機、射出口へ!」
ガタン……。
初号機がゆっくりと移動し始め、昇降機にセットされる。
そして、その上にある射出口のシャッターが、次々と開いていく。
ここで、ミサトがゲンドウの方に振り向いた。
「六分儀司令!
…かまいませんね?」
「もちろんだ。
使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない。」
顔の前で手を組んだまま、頷くゲンドウ。
それを聞いてミサトも頷き、オペレーターの方へ向き直って叫んだ。
「発進!!」
次の瞬間、足下で電光が光ったかと思うと、初号機はすさまじい勢いで上昇していった。
ガシィィン!
初号機が地上にたどり着き、急停止する。
その前方には、使徒の影があった。
「いいわね、シンジ君。」
ミサトが、最後の確認を取る。
「は、はい。」
落ち着いてはいるが、多少緊張しているようだ。
「最終安全装置、解除。
エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!」
ガコン……。
ミサトの指示で、初号機をリフトに押さえつけていた器具がはずされる。
それに気付いた使徒が、ゆっくりと近づいてきた。
「落ち着いて、シンジ君。
今は、歩くことだけを考えて。」
ミサトが言う。
シンジはその指示通り、精神を集中して歩くことだけを考える。
ズゥゥン………。
ゆっくりと、初号機の足が前へと進んだ。
「歩いた!!」
発令所で、ざわめきが起きる。
「その調子よ、シンジ君。」
また一歩、初号機が足を踏み出す。
しかし今度は上手くいかず、まともにバランスを崩して倒れそうになる。
誰もが、「倒れる。」と思った。
だが、そうはならなかった。
次の瞬間、初号機は、大きく傾いたままの状態で静止したのだ。
「やっぱり………。
原理は不明だけど、あの子、どうやら物を宙に浮かべられるみたいね。」
モニターとコンソールを確認して、リツコが呟く。
初号機は、先ほどレイの頭上に落下したライトのように、地面から数メートル浮いていたのだ。
やがて、初号機の姿勢がゆっくりと元に戻っていく。
そして完全に元の姿勢に戻ると、初号機は両手を見つめ、握ったり開いたりした。
ちなみに、足はまだ地面から離れたままだ。
エントリープラグの中では、シンジが"マスター"に話し掛けていた。
〈だいぶコツがつかめてきました、マスター。〉
《だが、このエヴァ、ろくな武器がないな。
……………………………………。
どうせ見られたんだし、加重力兵器でも使え。》
〈……はい。
それなら、……あれ?〉
フッと突然、シンジの意識が遠くなっていく。
ゆっくりと使徒が近づく中、初号機が突然くずおれた。
シンジは、何もない真っ白な空間にいた。
〔ここは、私の心の中。〕
突然、声が辺りに響いた。
(……一体誰が!?)
シンジが辺りを見回すと、少し離れた場所に、1人の少年が立っているのが目に入る。
(僕と同じくらいの歳かな?
それにしても心の中って…?)
〔私は、君達にはエヴァンゲリオン初号機と呼ばれている者。
ぜひ、君と話がしたかったんだ。
でも、通常の手段では君たちに話し掛けることが出来なかったから、こんなふうに私の心へ招待したんだよ。
もっとも、普通の状態ではそれもできなかっただろうけど、君が不思議な力を使った影響だろう、こんな事が出来るようになったんだ。〕
それを聞いて、シンジは驚いた。
「エヴァンゲリオン初号機の、心の中?
と言うことは、君が…初号機!?」
言って、シンジはあらためてその少年の姿を見つめた。
やはり、歳や背の高さはシンジと同じくらい。
両肩まで伸ばした綺麗な金髪に、整った目鼻。
問題なく美少年と呼ぶことが出来るだろう。
もちろん、さっき見た初号機の外見とは、似ても似つかない。
そんなシンジの思っていることが分かったのか、初号機が言う。
〔私の外見とこの姿、ずいぶんと違うだろう?
あの外見は人間達が勝手に造った、ただの器…。
いや、拘束具にすぎないんだ。
これが、君と話したかった、一番の理由だよ。〕
そこまで言うと、初号機はシンジを見つめて、にっこりと微笑んだ。
〔さっきから見ていると、君は普通の人間じゃないね?〕
初号機の問いに、シンジの体がぴくりと震えた。
〔そう怯えることはないよ。
第一、私も人間ではないんだから。
とにかく、頼みたいことがあるんだ。〕
「…頼みたい…コト?」
シンジが、訝しげに聞き返す。
〔そう。
君のことは、以前から知っていたんだ。
私の前で、赤木博士達が話していたからね。
君があの村雨ノボル博士の、ただ1人の親類ということになっていることも知っているよ。〕
「……………………。」
シンジは村雨ノボルという名が初号機から出てきたときは少し反応を見せたが、後はずっと黙っている。
〔君は、村雨博士が生み出した、人造人間なんだろう?
……私も一応は、人造人間と呼ばれる身。
何となく、分かるんだ。
そして君は、先ほど私の前で、興味深い移動方法を見せてくれた。
あれはおそらく、空間の歪みを利用しているんだろう?
私にも、人間にはない能力が、幾つかあるし、君にそんな能力があっても、不思議じゃない。
あれなら、今の私ぐらいの大きさでも運ぶことが出来るはずだ。
…つまり、私の望みは、村雨博士の所まで運んでもらうことなんだ。〕
「……………………。」
シンジはなおも黙ったままだ。
〔もちろん、こっちからもそれなりのお礼をさせてもらう。
そうだな…。
例えば今、君の前にいる使徒。
コイツを破壊するためには、ただ攻撃するだけでは、だめだ。
なぜならコイツは、赤木博士達がATフィールドと呼んでいる、絶対不可侵のバリアを持っているから。
ATフィールドを持つものを破るためには、ATフィールドどうしで中和するほかに方法はない。〕
ここまでくればシンジにも、初号機が次に何を言うのかがなんとなく分かる。
〔そして、私はそのATフィールドを創り出すことができる。
つまり、私は君が使徒を倒せるように、ATフィールドを中和する。
これは、けっして悪い条件ではないと思うよ?〕
「……なぜ?」
初号機の提案に、シンジがぽつりと訊ねる。
「なぜ、父さんに会いたがるんだ?
父さんに会って、どうするつもりなんだ?」
しばしの沈黙の後、初号機はその問いに答え始めた。
〔……さっきも言ったとおり、この体は人間によって造られた、ただの拘束具だ。
本来の姿は、今君が見ている、これなんだけどね。
私は元々使徒を破壊するために存在しているのだから、目的を同じくするネルフとは、対立したくない。
でも、何を考えたのか、ネルフは私の力を抑え、拘束し、操ろうとしている。
このままでは、私は実力を発揮できない。
それを、君の生みの親、村雨ノボル博士なら、解除できるはずなんだ。
私が元の姿を取り戻せば、当然君がエヴァンゲリオンに搭乗する必要はない。
どうだい?〕
初号機の言葉に、シンジは考え込む。
そして、初号機に向かって、きっぱりと言った。
「それは、無理だよ。」
〔………どうして?〕
今度は、初号機がシンジに向かって訊ねる。
「……父さんは、死んでしまったから。
ずっと前にね。」
〔………あの村雨博士が亡くなったとは……。
それじゃあ、もう……。〕
初号機が、絶望的な声で呟いた。
それをシンジが途中で遮る。
「いや、可能性はまだあるよ。」
〔どういうことだ?〕
「僕が生まれて1,2年経った頃から、父さんと一緒に研究を進めていた人が居るんだ。」
シンジの科白に、初号機はひどく驚いた。
〔そんな、嘘だ!!
村雨博士は10年以上も前にたった1人で、数々のオーバーテクノロジーを持つ今のネルフとでさえ数百年規模の差がある技術を、開発していたんだ!
あの人と共に研究できるほどの科学者が居るはずはない!〕
初号機の言葉は事実だ。
村雨ノボルは、セカンドインパクトの直前ごろから、様々な分野における論文を発表した人物だ。
だが、その理論は専門家にすら理解できず、超難解を極めたため、それが学会で支持されることはなかった。
そして数回発表された論文の全てが無視された後、村雨ノボルの姿を見た者は、ごくごく一部を除いてはなく、その名は時と共に忘れられていった。
しかし、その後も彼は研究を続け、超科学の産物とでも言うべき物を多数完成させていた。
その一部が、次元隔壁であり、重力制御装置であり、ワームホールを利用した空間移動であり、その他、彼の発明品のほとんど全てを備えた究極の人造人間、シンジなのだ。
そんな彼と共同で研究するためには、当然それなりの技術がなければならない。
だが、これほどの天才が同時代に2人もいるとは考えられない……。
初号機はそう言いたいのだ。
「嘘じゃないよ。
その人が、今の僕のマスターなんだ。」
〔マスター?〕
「そう。
僕は、常に誰か1人の人に仕えるように造られた。
最初のマスターは父さんだったんだけど、父さんが死んで、今のマスターに引き取られたんだ。
マスターなら、君を元の姿に戻す方法を知っているかもしれない。」
シンジの言葉に、今度は初号機が考え込む。
しばしの後、初号機がゆっくりと口を開いた。
〔分かった。
君のマスターとやらに賭けてみよう。〕
《なんだ?
どうした、シンジ!?》
"マスター"がシンジに呼びかけるが全く反応がない。
そんなことをしている間にも、使徒は少しずつ、だが確実に迫ってくる。
周囲を飛び回っていた戦闘機から援護射撃のミサイルが放たれたが、使徒はあっさり防ぐと、そのまま進み続けた。
《……やれやれ。
このままじゃまずいな……。
仕方あるまい。
出来ればやりたくはなかったが……。》
"マスター"がぼやく。
それと同時にシンジの目が開き、体を起こした。
「……ふむ。
久しぶりだから上手くいくか心配だったが、取り越し苦労だったようだな。」
『シンジ』が呟く。 声は間違いなくシンジのものだが、口調は"マスター"のものだ。
「さて……。
久々に大暴れするか。」
発令所のモニターの中で、初号機はまたもや突然起きあがると、使徒に向かって素速く回し蹴りを叩き込んだ。
が、その足は使徒には届かず、オレンジ色の六角形に弾かれる。
「ほほぉ。
空間傾斜の一種か、それとも全くの別物か…。
いずれにせよ、格闘技は使えんようだな。
ならば…!」
初号機が手をかざすと、使徒の周囲の地面が突然、すり鉢状に大きく陥没した。
それを見ていたミサトが、かたわらのリツコに尋ねる。
「な、何なの、あれは!?」
「分からないわ。」
リツコは冷静に答えた。
「わ、分からないって…あんたねぇ!」
「ただ分かるのは、私は初号機にあんな機能を付けた覚えはないって事だけよ。
……そう言えばさっき、物を宙に浮かせるって言ったけど、これを見てるとこの子、物を宙に浮かべたんじゃなくて、下に落とさなかった……つまり、重力を操ってたのかも知れないわね。
さすがは、村雨ノボルの親戚。
ますます興味がわいたわ。
フフフフ……。」
小さく笑うリツコに、ミサトはちょっと引いて、本気で(シンジ君……可哀想に)と思った。