シンジとミサトが乗った車は、ゲートを通って地下へと降りていく。
ミサトの車は、シンジが展開した次元隔壁のおかげで、N2地雷の被害はほとんど受けていなかった。
「そう。
国連直属の、非公開組織…。
私も、そこに所属しているの。
ま、国際公務員って奴ね。」
「非公開組織…。
まぁ、あの使徒とやらとロボットが戦うんですから、公開なんかしたらパニックになるだろうとは思いますけど…。」
やや呆れてシンジが言う。
《やっぱり面白くなりそうだな。
これでこそ、来させた甲斐があると言うもんだ。》
〈マスター…。
楽しそうですね…。〉
心底楽しそうな"マスター"に、シンジは思わずため息をついた。
《当たり前だ。
最近は何かと忙しくて、面白いことというのが少なかったからな。
それが、謎の組織に呼び出された謎の少年とくれば、こいつを楽しまないで、何を楽しむ?》
〈…組織の方はともかく、少年の方は謎ではないでしょう?マスター。〉
"マスター"につっこむシンジ。
《いや、まぁ、俺にとっては謎ではないんだが、読んでいる人にとっては…。》
〈何ですか、その“読んでいる人”っていうのは…?〉
君は知らなくても良いことだ、シンジ君。
〈そうですか…って、今のは一体誰が?!〉
《…俺には何も聞こえなかったが?》
そんな、訳の分からないやりとりをしている間に、自動車はリフトの上に乗り、レールの上を進んでいく。
「さっきからずっと思ってたけど、シンジ君って、妙に独り言が多いのね。」
車がリフトの上に乗り、運転する必要が無くなったので、ミサトがシンジに話し掛けた。
「えっ?…あっ、よ、よく人にも言われるんですよ。
いつも独り言ばかり言ってるって。」
ミサトが突然話し掛けてきたので、焦って答えるシンジ。
シンジが"マスター"に話し掛けるためには、小声で良いのだが口に出して喋る必要があるため、側で聞いていると、独り言を言っているように見えるのだ。
「ふーん…、そうなの。
…さぁて、そろそろよ。」
ミサトが言った次の瞬間――車を乗せたリフトはトンネルのような通路を抜けて、一気に開けた場所へ出た。
「これは―――…。」
《――ジオフロント!
意外と、こいつらの科学力も、高レベルだったのかもしれんな。
これだけ大きなジオフロントが造れれば、かなりのもんだ。
さすがに、空間をいじってはいないようだが。》
"マスター"が、シンジの頭の中で、小さく呟く。
〈ジオフロント…。
これが、本物の?〉
《そうだ。
俺も、かなり前に研究所のスペースが無くなったときに考えたんだが、結局地下に空間が必要だからな。
地下鉄なんかと鉢合わせしたらまずいし、いずれはこいつらも造るだろうと思ったからやめて、空間を歪曲させてスペースを造ることにしたんだ。
しかし、予想外に早かったな。
よほどの天才が現れたか、それとも、これは……。》
"マスター"はそこまで言うと、何やら考え込んでしまった。
「そう。
これが私たちの秘密基地、ネルフ本部よ。」
さっきシンジが"マスター"に対して呟いた台詞を、自分に話し掛けたものと勘違いして、ミサトが説明する。
「世界再建の要…、人類の砦となるべきところよ。」
初老の男―NERV副司令、冬月コウゾウは、側に座っているゲンドウに問いかける。
しばしの沈黙。
そしてゲンドウが、ゆっくりと口を開いた。
「…初号機を、起動させる。」
それを聞いた、金髪に白衣を着た女性が反論する。
「そんな、無理です!
パイロットがいません!
レイには、まだ…。」
「問題ない。」
その言葉を遮るようなゲンドウの言葉に、白衣の女性は沈黙した。
「たった今、予備が届いた。」
ゲンドウが、モニターに映ったシンジを横目で見て言う。
ヒトを物としか思っていないかのような、冷酷きわまりない台詞だ。
周囲の人間も、さらには言った本人でさえ、そう思っていた。
だが、実際は違った。
事情を知るもの…―例えば、シンジの"マスター"あたり―…が聞けば、おそらく、大笑いしただろう。
なぜなら、その予備のパイロットは、NERVの全装備―もちろん、ロボットも含めて―と、さらに国連軍を加えた物を、その気になれば、そして"マスター"からの指示があれば、素手(と言えるのかどうかは難しいが)で全滅させることができるだけの能力を持っていたのだから。
それだけが、冷徹な司令官、六分儀ゲンドウの唯一の、そして彼と一部の者にとっては最悪の、だがそれ以外の人類全体にとっては非常に幸運な、誤算だった。
“Deus ex machina―B”
「…葛城さん。」
シンジが、何かに耐えられなくなったかのように、問いかける。
「ミサトで良いわよ。
それで、なーに?」
「一体、いつまで歩けばいいんでしょうか?」
…そう。
既に二人は、同じ所を軽く五回は通っていた。
「え〜っと…、もうすぐよ…たぶん。」
エスカレーターから降りた二人は、十字路を右へ曲がる。
〈マスター…。
もしかしてミサトさん…。〉
妙に見覚えのある景色に、シンジが訊ねた。
《ああ。
まず間違いなく、道に迷ったな。
これで、ここを右へ曲がるのは6回目だ。
こうなったら、誰か道に詳しい人が現れるのを待つしかないな…。》
"マスター"もさじを投げる。
だが、幸運の女神はシンジを見捨てなかったようだ。
2人の背後のエレベーターの扉が突然開き、1人の女性が姿を現したのだ。
「どこへ行くの?
2人とも。」
その声に、シンジとミサトが振り返る。
「遅かったわね、葛城一尉。」
「あ…、リツコ…。」
ミサトがちょっと気まずいような顔をする。
あの、ゲンドウの側にいた、白衣に金髪の女性だ。
「あんまり遅いから、迎えに来たわ。
―人手も時間もないんだから、ぐずぐずしてるヒマ、無いのよ。」
「ごめ〜〜ん!
ちょっち迷っちゃってね〜…。
まだ、慣れてないから…。」
手を合わせて謝るミサト。
そして、白衣の女性がシンジの方を見る。
「…その子ね、例のサードチルドレンって。」
「初めまして、碇シンジです。」
「あたしは技術一課E計画担当博士――赤木リツコよ。
よろしく。」
自己紹介をすまし、相手を観察するシンジ。
ミサトとは違った、どこか冷たい感じのする、美女。
それが、第一印象だった。
それと、
(この人…髪は金髪なのに、眉は黒…。)
《…これは、眉を黒く染めているのか、髪を金に染めているのか、どっちだ?》
心で呟くシンジに、"マスター"が言う。
シンジは、何も口に出しては言っていない。
と言うことは、どうやら"マスター"もたまたま同じ事を考えたらしい。
「いらっしゃい、シンジ君。
あなたをここの司令に会わせなければならないんだけど、その前に、見せたい物があるの。
あなたも、自分がここへ呼ばれた理由は、知っているでしょう?」
「…新型ロボットとか言う奴ですか?」
リツコの言葉に、我に返ったシンジが問い返す。
「厳密に言うと、ロボットじゃないの。
それは、見せてから話すわ。」
そう言ってリツコは、先ほど出てきたエレベーターの扉を開いて入っていき、シンジとミサトは、慌ててそれを追いかけた。
発令所に、緊張した空気が漂っている。
「進行ベクトルを5度修正、なおも前進中です!」
「予測目的地は、ここ、第3新東京市!!」
飛び交うオペレーター達の声を来ながら、ゲンドウは立ち上がる。
「…総員、第一種戦闘配置!」
「はっ。」
オペレーターの返事を確認し、隣に立っているコウゾウに、声をかける。
「冬月…、あとを頼む。」
「あぁ。」
ゲンドウは何やら操作し、下へと降りていった。
「…あの、村雨 ノボルのただ1人の親類か…。
マルドゥック機関も、またややこしい子を選んだものだな。」
コウゾウの独り言は、誰にも聞かれることなく宙へと消えていった。
けたたましいサイレンとともに、アナウンスが入る。
リツコ、ミサト、シンジはホバークラフトに乗って、オレンジ色の水面を進んでいた。
「ちょっと、起動用意って、どういうこと!?」
ミサトの問いに、リツコがホバークラフトを進めながら答える。
「初号機は、B型装備のまま冷却中。
いつでも起動できるわ。」
「いつでもって…。」
ミサトが何か言いかけるが、リツコがそれを遮った。
「ただし、起動確率は0.000000001%。
09計画とはよく言ったものだと私も思うわ。」
「…それじゃあ、動かないも同然じゃない。」
ミサトが呆れたように言うが、
「確かに動かないも同然だけど、0ではないのよ。」
と、リツコはたいして気にしない。
「まったく…。
それじゃ、N2地雷は、使徒に効かなかったの?」
ミサトが呆れて話題を変えると、リツコは渋い顔をした。
「ええ、表層部に軽くダメージを与えただけ…。
それも、あっさり修復されてしまったわ。」
「やっぱり、一筋縄ではいかないか…。」
ミサトがため息をついた。
それに追い打ちをかけるように、リツコが言う。
「おまけに、学習能力や機能増幅能力まで持っているわ。
MAGIシステムは、外部の遠隔操作ではなくて、プログラムによって動作する…一種の知的巨大生命体だと分析しているわ。」
そんな2人の会話を聞きながら、シンジは"マスター"に話し掛けた。
〈この人たちにも、あの使徒とやらの事はよく分かっていないようですね、マスター。〉
《ああ。
この様子では、あまり詳しい説明は望めないな。
…だが、やはりこれは面白そうだ。
面白そうだが、このまま巻き込まれておくべきか悩むようになってきたぞ…。》
〈なぜですか?〉
考えても理由が分からなかったので、シンジが訊ねる。
《シンジ…。
今の2人の会話を聞いて、不安にならない訳がないだろう。》
〈そうですか?
僕は別に不安じゃありませんよ?
僕が多少のことでは傷つかないのは、マスターがよくご存知でしょう?〉
《そういう事じゃないのだが…。
…まぁいい、バレたらバレたでその時だ。
少なくとも、こいつらの科学レベルではお前の構造は解析できんだろうし。
たまには、こんなのも良いだろう。》
〈なるほど、そういう意味だったんですね…。〉
シンジが納得して前の方を向くと、水路を囲む壁の1つを、まるでそこから生えているかのように、巨大な手が突き破っているのが見えた。
「アレが…?」
「…まぁ、同じと言えば同じだけど、あなたが乗るのは別の機体よ。
ほら、あっちに見えるでしょう。」
リツコが言った方へ目を向けると、今度は紫色の、肩から先の部分だけが見える。
「着いたわ。
ここよ。」
ホバークラフトを降りて階段を上ると、ドアの向こうに真っ暗な部屋があった。
「暗いから、気を付けて。」
リツコが注意するのを無視して、シンジがすたすたと部屋の中へ入っていく。
〈これが…その、ロボット…。
なんだか、鬼のようなデザインですね、マスター。〉
《確かに。
まぁ悪いデザインではないかも知れないが、あまり正義の味方という感じではないな。》
シンジには、明かりを付ける前でも、ドアのむこうから差し込んでくる僅かな光だけで、ロボットが見えていた。
「シンジ君って、意外と思い切ったことをするのね…。
あんな真っ暗なところで普通に歩くなんて。」
照明が点くと、ミサトが近寄ってきて言った。
「えっ、えぇ、まあ…。
それより、これがそのロボットですか?」
適当に話をそらすためのシンジの質問に、リツコが反応する。
「さっきも言ったけど、厳密に言うとロボットじゃないわ。
人類の創り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン…。
これは、その初号機。
建造は極秘裏に行われた、我々人類最後の切り札よ。」
《…ふむ。
完成度はいまいちだな…。
ちょっと人間には見えん。
喜べ、シンジ。
お前の勝ちだ。》
〈……………。〉
シンジは、"マスター"の言葉には答えなかった。
その時、3人が立っている場所の上から、現れる。
「碇シンジだな。」
突然名前を呼ばれたシンジが見上げると、そこには1人の男が立っていた。
「私は、このNERVの総司令官、六分儀ゲンドウだ。
出撃しろ。」
「は?」
突然、出撃と言われてもどうすればいいのか分からない。
そんなシンジに、リツコが説明を始めた。
「そのエヴァンゲリオンに乗って、外の怪物…私達は使徒と呼んでるんだけど、あれと戦って欲しいの。
シンジ君も、使徒を見たでしょう。
あれには、通常の兵器はまったく効果がないわ。
エヴァンゲリオンなら、使徒を倒せるんだけど、これを操縦できるのは、世界中を探しても、ほんの一握りの人間だけなの。
そして、あなたならエヴァを操縦できるのよ。」
しばらく考え込んだあと、シンジはリツコの方へ向き直る。
「…これは、中に乗るんですか、それとも、遠隔操作で動かすんですか?」
「いい質問ね。
中に乗って操縦するのよ。
エントリープラグという、戦闘機ならコックピットに当たる部分があって、そこに乗り込んでもらうわ。」
「……中に……。」
なぜか、シンジはそのまま黙り込んでしまった。
《どうした?
イヤなのか?
こいつに乗るのが。》
〈……マスターの、ご命令なら……。〉
"マスター"の問いかけに、小さく答えるシンジ。
しかし、"マスター"はその答えでは納得しなかった。
《そんなことを訊いているんじゃない。
俺が訊ねているのはシンジ、おまえの考えだ。》
〈僕は…できることなら、乗りたくはありません…。〉
《そうか。
まぁ、気持ちはちょっとは分かる。
見かけが亜人間型とはいえ、同類の中に入り込んで操るというのは、あまり気分の良いものじゃ無さそうだからな。
それなら、決定だな。
なぜネルフが、こいつでしか使徒を倒せないと言い張るのかは分からんが、こいつは使わずに、独自に使徒を叩くぞ。》
"マスター"の言葉に、シンジの表情が明るくなる。
〈はい、マスター。
…ありがとうございます…。〉
《礼はいらん。
どうしてもというのなら、次からはもっと自分の意見を言え。
それが、俺にとって、もっとも嬉しいことだ。》
〈はい!〉
シンジは顔を上げるとゲンドウの方を向き、言った。
「イヤです!
僕はエヴァンゲリオンには乗りません!」
ゲンドウは少し眉を動かしたが、ほとんど表情を変えずに言う。
「おまえが乗らなければ、全ての人類が死滅する。
人類の存亡が、おまえの肩にかかっているのだ。」
「いやです!」
「おまえに拒否権はない。
拒否すれば、待っているのは死のみだぞ。」
「なんと言われても、イヤなものはイヤです!」
「……………………。」
しばしの間、睨み合う2人。
そして、ゲンドウが視線を逸らした。
「冬月。
レイを起こしてくれ。」
側にあった小型モニターに、コウゾウの顔が映る。
「レイを?
使えるのかね?」
「死んでいるわけではない。
…こっちへ、つなげてくれ。」
モニターからコウゾウが消え、代わりに青みがかった銀髪に紅い瞳、頭部に包帯を巻いた少女が映し出される。
「レイ、予備が使えなくなった。
初号機で出撃しろ。」
「はい。」
一切の感情がこもっていない、無機質な声だ。
ゲンドウはそんな返事を確認すると、通話を切った。
「……初号機のシステムをレイに書き直して!
再起動よ!」
リツコがシンジのそばから離れ、何やら指示を出し始める。
「………………………。」
シンジは黙って、部屋を出ようと、出口へ近寄っていった。
その時、
ガラガラガラ……。
先ほどモニターに映っていた少女が、ベッドに乗せられて運ばれてきたのだ。
「この娘は……!!」
その少女を見て、シンジは息を飲んだ。
全身に血だらけの包帯を巻いてはいるが、確かに駅前で見かけた少女―綾波レイ―だった。
レイを乗せたベッドは驚いて避けたシンジの横を通り過ぎて、初号機の正面で止まった。
レイはベッドから降りようとするが、全身を襲う苦痛のため、幾度となく倒れる。
それを見かねたシンジが、レイの方へと近づこうとした直後。
ドオォォォン!
NERV本部が、大音響とともに、大きく振動した。
レイはベッドから転げ落ち、ほとんどの者が立っていられないほどのものだ。
「天井都市が崩れ始めた!?」
ミサトの叫び声は、なおも続く音にかき消される。
思わず上を見上げたシンジの目に、レイに向かって落下を始めたライトが映った。
かなり大型の物で、数十キロではすまないだろう。
無論そんな物が落ちてくれば、ただではすまないどころか、普通の人間なら即死である。
〈マスター!!〉
《あぁ、早く助けてやれ。》
〈はい!〉
答えると同時に、シンジの体を、虚空から湧き出した漆黒の球が包み込む。
驚いて目を見開くリツコ達。
そのまま、漆黒の球は縮むようにして一瞬のうちに消え失せ、次の瞬間、レイのすぐ側に出現する。
その球が消えたあと、そこにはシンジが立っていた。
そして、レイを左手で抱き寄せ、右手を、落ちてくるライトの方へ差し伸べる。
すると、突然ライトの落下が止まり、今度はスローでフィルムを逆回ししたかのように、天井に向かってゆっくりと上昇していった。
その間に、シンジはレイを抱き上げると、ライトの真下から、安全な場所まで移動する。
シンジが移動し終わった瞬間、ライトは上昇するのをやめ、再び重力に従って落下し、何もない床に激突した。
シンジと散乱したライトを呆然と見つめる大人達をよそに、シンジはレイを静かに床に横たえる。
(こんな…こんな娘が、僕の代わりにエヴァンゲリオンに乗り込むのか!?
なんて事を……。)
顔を下に向けたままのシンジの瞳には、固い決意の色があった。
〈マスター……。〉
《どうした?》
訝しげな"マスター"の言葉に、シンジはゆっくりと答えた。
〈エヴァンゲリオンに…乗ります。
僕には、こんな娘を代わりに乗せるなんて、出来ません。
よろしいですね?〉
《…そうか。
良いだろう。
おまえの好きなようにしろ。》
〈ありがとうございます。〉
シンジはゆっくりと立ち上がり、ゲンドウとリツコに向かってはっきりと言った。
「――やります。
僕が乗ります。」