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「ミサトさん、起きて下さいよ!」
その日は5月の第二日曜日。
ミサトの朝は遅い。平日ですらなかなか起きないと言うのに、日曜日ともなれば昼過ぎまで惰眠をむさぼるのが普通である。だがこの日は……
「ん〜、もうちょっと…」
「何言ってるんです、起こせって言ったのミサトさんでしょう! 昼には向こうに着くんじゃなかったんですか!?」
「……今何時?」
シンジは無言でミサトの眼前に目覚まし時計を突きつける。
未だ頭が働いていないのかミサトはしばらくそれを眺め続ける。
「……あああ、もう11時前じゃない! なんでもっと早く起こしてくれないのよ!?」
余りにも身勝手なそのセリフにシンジは思わずため息をつく。
「あによぉ、その態度は。」
その時、ダイニングの方から声が鳴り響く。
「ちょっとぉシンジ、いつまでやってんのよ! 早くご飯〜!」
「とにかく、ご飯準備してきますから早く支度して下さいね。」
そう言って部屋を出てこうとするシンジにミサトは後ろから声をかける。
「あ、そうだシンちゃん、花は届いてる?」
「ええ、もう届いてますよ。」
それは籠一杯の白いカーネーション。
ミサトから母親へのプレゼント。
第三新東京市から愛車を駆って2時間とちょっと。
セカンドインパクト前に比べれば交通事情は遥かに良いとはいえ、それでも普通なら4時間近くかかるところを半分の時間で来たのだからミサトの飛ばし方は尋常ではない。
だがその甲斐あってどうやら日の高い内に目的地に到着する事が出来た。
そこは京都のはずれに位置する小さな町。ミサトの母の実家があり、そして……母が眠っている場所。
亡くなったのがセカンドインパクトの前であったため、彼女の母は共同墓地ではなく教会の墓地の一角に眠っていた。
その墓の一面を埋め尽くすかのような様々な種類の白いカーネーション。ミサトからのプレゼント。
「久しぶり、母さん。ごめんね命日の時には来れなくて。」
母が亡くなって既に20年近く経つ。その間ミサトが此処に来たことは数えるほどしかない。
父に引き取られた時はすぐに日本を離れたし、セカンドインパクトの後しばらくは自閉状態に陥っていた。大学時代はその反動の様に色々なことに参加し忙しい日々を送っていた。国連そしてNERVの要員となってからは墓参りどころではなく……。
いや、全ては言い訳に過ぎないのかもしれない。結局自分は母を思い出すことを、過去に向き直ることを避けていたのだろう。
「これ、母さんに返しておくわね。」
墓にかけられる銀のクルス。父の形見。母から父へ、そして自分へと受け継がれた物。
そして……彼女の復讐の誓いだった物。
母は孤独だった。
研究のことにしか頭のない父。家のことを顧みない父。現実の煩わしさを避けていた父。
そんな父をひたすら愛していた母。
自分には心配かけないようにといつも笑顔を見せていたけれど、密かに泣いていたことを知っている。
もともと体の強い方ではなかった母。自分を産んだことで更に体を痛めたのかもしれない。
父が家のことを顧みないため全て一人で背負い心労も大きかったはずだ。
しかし何よりも孤独が、父の居ない寂しさが堪えたのだろう。
結局ちょっとした病気をこじらせてあっさりと、本当にあっけないほどあっさりと逝ってしまった。
だのに、そんなときですら研究のことが頭から離れなかった父。
葬儀の次の日には大学へ出かけていった父を彼女は憎んだ。
母を、自分を見ようとしない父を憎んだ。
父への復讐。
それが彼女の最初の生きる目的だった。
そのために決して父のそばを離れなかった。だが父に心を開かなかった。会話もほとんどしなかった。
ただ、自分を母に近づけた。
もともと容姿は母親似だった。それを更に似せるため、服装は勿論、普段の行動でも母の仕草を真似、ほんの僅かの会話には母の癖を入れ……。
父に自分の罪を思い知らせるため。母を、自分を愛さなかった罪を忘れさせないため。
娘が常にそばにいながら、決して愛を与えられる事のない孤独。
父が死ぬまでその孤独を与え続けること、それがミサトの復讐だった。
だが……あの時。
あのセカンドインパクトの時。
母を、自分を愛していないと思っていた父。愛していないはずだった父。
その父が身を呈して彼女を守った時。
あの時彼女の復讐は終わりを告げ、そして彼女は生きる目的を失った。
心を壊した彼女が目覚めた時、彼女は生きる目的に再び復讐を選んだ。
父を殺した使徒への復讐。
過去に囚らわれ、ただ復讐の為だけに生きてきた彼女。
「でも結局過去に囚らわれていただけで過去に向き直ろうとはしていなかったのね、私。」
母の孤独を埋めてあげられなかった自分。
父の愛を判ろうとしなかった自分。
過去に向き直る事でそんな自分を知ることを拒んでいたのだろう。
だが、全てが終わった今は……。
「もう私にはこれは必要ないから。それにこれは母さんが持っているべきだと思うし。」
唯一父が片時も手放さなかった母の形見。最後に彼女に託して送り出した銀のクルス。
「やっぱり……父さんは母さんを愛していたと思うから。」
それは彼女が囚らわれていた過去。だが思い返すことを拒んできた過去。
でも今なら……。
そう、全てが終わった今ならば……。
「覚えてる、母さん。あの時……」
過ぎ去りし日の母に思いを寄せて……白いカーネーション。
(fin)
『カーネーション』 ミサトの章 お届けしました。
5月の第二日曜日は母の日。この記念日はもともとアメリカはフィラデルフィアの少女、アンナ・ジャービスが自分の母の命日の追悼式に母への感謝を示す「母の日」を制定しようと呼びかけたことで始まりました。
その彼女が母の命日に飾ったのが運動のシンボルともなった白いカーネーション。
それにちなんで、この連作集 『カーネーション』 も白いカーネーションから始めました。
白いカーネーションの花言葉は「私の愛は生きている」。ミサトの亡き母への想い、そして父の母への想い……それが白いカーネーションに込められているのでしょう。
では、次は アスカの章 をご覧下さい。
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