「或はそれも幸福のカタチ」
第9話「Painful Determination」
朝6時。
今まさに鳴らんとしていた目覚まし時計を、タッチの差で止める手。
疲労困憊していたシンジも習慣のせいか勝手に目が覚めてしまう。
彼の体内時計はかなり正確なようだ。
「ふぁ....」
ピロロロロ...
それを待ちかねていたかのように電話が鳴り出した。
怪訝そうな顔でその電話を見るシンジ。
こんな非常識な時間にかけてくるという事は、よっぽどの急ぎか間違いかだ。
まぁとにかく取ってみない事にはわからない。
「ふぁい、碇です..」
「あぁ、シンジ君ね?」
「あっ、リツコさんですか、おはようございます」
「おはよう」
「どうしたんですか?こんな朝早くに」
「昨日の件について、いろいろと話しておきたい事があるのよ。できれば今から来て欲しいの」
「えっ!?今からですか?」
「朝ご飯はおごるから。所長も待っているわ」
「父さんが?」
「そう。来たらそのまま所長室に来てちょうだい」
「は、はい...」
「それじゃ」
急いで服を着替え、シンジは部屋から飛び出した。
「う・・・、ちょっと冷えるな」
朝の冷たい空気が靄のかかった意識を一掃していく。
まだ太陽はその姿を見せていない。
「それにしても・・・・、なんで父さんが」
シンジは父親が嫌いなわけではない。ただ、普段から驚くほど無口であり、そのため会話の機会が実に少ないのだ。それ故に「親子の会話」といったものは皆無であった。
その分母親のユイと話すので、そこでバランスが取れているのである。
シンジの視点から見ると、それは実に危ういバランスの関係であった。嫌いではなく苦手なのだ。
ようやく着いた研究所に人気はなく、リツコに言われた通りに所長室に向かう。
他の部屋のものよりも少しだけ豪華な扉をノックする。
ココン
「入れ」
シンジは無意識に眉間に皺を寄せる。どうも苦手だ。
「失礼します」
「あら、おはよう、シンジ君」
所長室にいたのはリツコ、ゲンドウ、ユイの3人。
「おはようございます、リツコさん」
「おはよう、シンジ」
「おはよう、母さん」
「.....御苦労」
「もぅ、あなた、久しぶりの親子の会話だってのに...」
すでに諦めきった表情のユイ。
「いや、そんな、いいんだよ、母さん」
シンジもまともな会話をする事は最初から諦めている。
これがこの父親の当り前の姿なのだ。
「ほんとにもう、あなたたちは....」
その親子3人の様子を見ていたリツコはクスリと笑い、今話し合うべき事を定義する。
「それで、昨夜の事なんだけど」
「....はい」
「...災難だったわね、シンジ」
「うん......正直言って...あれは、恐かった」
昨夜の光景が脳裏を過り、無意識のうちに右手を開いたり閉じたりを繰り返す。
聞くなら今しかあるまい−
「結局、あれは何だったの?何が目的だったのさ?」
「....おそらく、『あれ』に違いあるまい」
突然ゲンドウがその思い口を開く。ユイたちにその視線を向け、同意を促す。
「ええ。おそらくは」
「『あれ』って何なの?昨日リツコさんに聞いても教えてくれないし、僕には知る権利があるんじゃないの?」
「確かにその通りよ。だから、今から話せるだけの事は話すつもり」
今までになく真剣な表情のユイ。その雰囲気に押されてシンジの表情も真剣なものになる。
「まず....昨日襲撃してきた『使徒』だが」
「使徒??」
聞きなれない言葉を耳にして、思わず聞き返すシンジ。
「あの生命体の事だ。我々はあれを「使徒」と呼称している」
「ふぅん.....」
まぁ、シンジにとって名称はあまり重要ではない。自分に降りかかってきた事件の真実が知りたいだけなのだ。なぜ「使徒」と呼ぶかについては、彼もいずれ知る事になる。
「...使徒は、まだ不確定ではあるが、おそらく我々が以前に深く関った組織が送り込んできている可能性が高い」
「組織!?あんな物を作り出す組織なんて....一体...」
「その名を....『ゼーレ』という」
シンジは気付かなかったが、リツコとユイはその名を聞いた途端にその整った眉をぴくりと動かした。ゲンドウもその隠した口元を僅かに歪める。
「ゼーレ?」
「その組織の詳細については、いずれ話す事になるだろう。だが、まだ100%ゼーレの仕業と決まったわけではない。裏付けが取れたらまた話す」
「....わかった...あ、それと、あの倉庫には、一体何があるのさ?」
−来た。
当然の疑問であろう。昨夜その質問に対しお茶を濁す形となってしまったリツコは眉をひそめる。
「我々の研究に、そして相手がゼーレと仮定してだが、彼らにとっても重要なものが冷凍保存されている。お前の中のエヴァも、それが何であるかは気付いているはずだ」
「(本当!?)」
『...今の言葉で確信を得た。おそらく...我々の母集団だ』
そうか−
それでようやくあの厳重なガードの理由に納得がいった。
確かにそれは大変なものだ。
「今、エヴァは、彼らの『母集団』と言ったけど、本当?」
「ああ。その通りだ」
「でもなぜ、それをわざわざあんな物騒な方法で奪いにくるのさ?」
「我々は以前からあれを引き渡すように要請されていたのだが、それを拒否し続けていたためだろう」
「拒否?...なぜ?」
「それもいずれ話す事になる」
まだ、何かを隠している−
シンジは歯噛みした。
その当事者という立場にも関らず真実から離れている事実に苛立ちを覚える。
「シンジ...今はあまり話せる事がないの。でも、ゼーレの事だけは知っておいて欲しかったから....」
「...わかったよ、母さん」
「すまないわね......」
母の表情が曇る。
「シンジ」
唐突にゲンドウが話しだす。
「?」
「これは重要な事だが...おそらく連中はお前の存在、E細胞と融合してなおかつ自我を保っている人間の存在を今回の事件で嗅ぎつけただろう」
「...そ、そうなの?」
「つまりお前も研究材料として狙われる可能性もあるということだ」
「あっ」
「常に用心はしておけ」
「う...うん」
そんなシンジを見るユイの表情がますます曇る。
「それじゃ、失礼します」
まだ聞きたい事はあったが、早めに話を切り上げ、所長室を出る事にした。
あまり母親の悲しげな顔というのは見ていたくないものだ。
早足で研究室に向かう。が−
はた、と足が止まる。
『どうした?シンジ』
「...朝御飯、どうなったんだろ...」
『(やれやれ)』
忘れっぽいのは親の遺伝だろうか。
しかし、今すぐ戻って「メシを食わせろ」なんて言う度胸は彼には勿論無い。
「まだこんな時間か...ふぅ...」
ガチャ
時刻はまだ7時半。研究所員は普通9時ごろ来るものだ。
葛城研に着いたシンジはそのドアを無造作に開ける。
と、
そこで、彼の動きが止まった。
「........遅かったじゃないの」
「ア、アスカ!?」
そこには、テーブルに片肘ついて不機嫌そうなアスカが座っていた。
遅刻こそすれ、早く来る事など滅多にないあのアスカがこんな時間に来ている!
「も、もしかして、待ってたの?」
「....そうよ」
と、いうことは−
これからの展開を考えただけで気が滅入る。
「...何ボケーっと立ってんのよ」
「え?あ、うん」
「そこに座りなさいよ」
そう言って目の前のイスをちょいちょいと指差すアスカ。
「は...はい」
それに素直に従ってしまうシンジ。昨夜あんな事があったので流石に後ろめたいのだ。
「さて、と」
じっ、とシンジを見据えるアスカ。思わず視線を逸らしてしまう。
そんなシンジの様子が腹立たしいのか、アスカの表情が曇る。
「話して」
「は?」
「あんたが!、隠して!、いること!、全部!、よっ!!」
今にも胸倉を掴みそうな勢いのアスカ。
「い、いや、でも...」
「何?私には話せないとでも言うのっ!?」
「ごめん...」
両手を目の前に合わせて深々と頭を下げるシンジ。
さすがにそこまでされるとアスカも勢いを削がれる。
「どうしてよ...」
「....」
「みんなアタシに隠れてコソコソと...シンジもリツコも...」
「....」
「どうしてよっ!何でなのよっ!あんなもの見せられて、不思議に思わない人間がいると思うのっ!?」
「うっ...」
ATフィールドの事だ。いくら他の事を巧妙に隠蔽したとしても、あれを見られてしまっては元も子もない。
話した方がいいのだろうか−
しかし、それによって彼女を危険に晒す事になりはしないか−
「(どうしよう...)」
『微妙な問題だな』
「ちょっと、ボーっとしてないでなんとか言いなさいよっ!一体なんなのあの光はっ!」
「ごめん....この話をすると、アスカに迷惑をかける事になると思うんだ」
とことん話題をそらすのがヘタなシンジ。逆に探求心を煽ってしまっている。
「迷惑!?あんたがそうやって隠し事しているほうがよっぽど迷惑よっ!」
「で、でも...アスカを危ない目に会わせるわけには...」
ガタンッ
そこまで言った所でとうとうキれてしまったのか、アスカが勢いよく立ち上がり、シンジの胸倉を掴んでガクガクと前後に揺らす。
「まだウダウダ言うつもりっ!?は・な・し・な・さ・いっ!!!!」
その憤怒の表情はシンジが今までに見た事もないような恐ろしいものであった。
「ひっ...ひゃ、はい!!」
腰を抜かす寸前のシンジ。つい返事をしてしまう。
『諦めるしかないようだな』
「(とほほほ...)」
「...わかればいいのよ、わかれば」
ぱっと手を放してアスカがどかっと座る。
流石に胸倉を掴むなんて行為ははしたないと感じたのか、少しバツが悪そうな表情のアスカ。シンジは『ほぅ〜』と大きく息を吐きだす。
「何...から話せばいいのかな?」
「全部よ」
「う、うん....それじゃぁ...」
こうして長い話は始まった。
E細胞が生存していた事、その後の奇妙な出来事の事、そして「エヴァ」の存在...
それから謎の怪物の襲来。
ゼーレに関する部分はこのまま隠しておくことにした。
機密の部分だろうし、知っている人間が危険な目に遭うかもしれないからだ。
「.....これで、一応、全部...だと思う」
シンジは漠然とした不安を抱えていた。
こんな恐ろしい力を持った人間が目の前にいるのだ。それはアスカを恐怖させる事になりはしないか、そして、今まで微妙な位置を保っていたこのどっちつかずの関係を一気に崩す事になりはしないだろうか。
「....そう」
アスカが気難しい表情をしている。
その事実の突飛さ故に、受け止めかねているのだろうか。
「その...ごめん、黙っていて。...でも、アスカに危険が及ぶよりは...いいと思ったんだ」
「....黙って」
「え?」
そう言ってアスカは、ぺこり、と頭を下げる。
「...ごめん」
「ア、アスカ?」
「あたし、シンジがそんな目に遭っていたなんて知らなくて、自分の探求心を満たすためだけに無理矢理聞き出しちゃって...ほんと...ゴメン」
「い、いや、そ、そんな、アスカ...悪いのは、その...僕なわけだし」
「でも、なんでアタシには言ってくれなかったの?」
「....」
「ミサトにも言ってないようだったし...そりゃ、機密だってのは解るけど...」
「...きっと、恐かったんだ」
「?」
「その...こんな人間離れした力を持って、人から敬遠される、恐がられる、嫌われるのが...恐かったんだ」
シンジの脳裏に昨夜の光景が過る。あの、脅えるようなアスカの視線。
それが、一番恐れていたものだった。
「...そう。でも、アンタは1つだけ間違っているわ」
「え?」
「アンタは碇シンジよ。アタシは絶対にそうだと思ってる」
「ア、アスカ...」
「そりゃ、昨日はいきなりだったから...驚いちゃったけど、でも話を聞いてよく考えれば、アンタの本質的な部分は何も変わってないじゃない。それがアンタがアンタである何よりの証拠。それ以外の何者でもないわ」
「で、でも......あっ」
そんなシンジの顔を両手で押さえて、諭すようにアスカが話す。
「バカにしないで。アタシの人を見る目は確かなのよ」
シンジがその時おぼえた感情は−何だったであろうか。
衝撃、驚き、戸惑い、嬉しさ...
少なくとも、アスカは僕を人間として見てくれている。
誰が何と言おうと、ヒトとして生きて行ける。
みるみるうちに、シンジの目に涙が溢れる。
「...ありがとう...アスカ」
「ちょ、ちょっと、アタシはただ自分が感じた事を言っただけなんだから、そんな...感激されても...」
「....」
「もう...ほら、これで涙、拭きなさいよ」
そう言って真っ白なハンカチを差し出すアスカ。
「ご...ごめん」
「...ほら、そのすぐに謝る所がシンジらしいじゃない」
「あ...そういえば、そうだね」
「「ふふっ」」
顔を見合わせ、笑う二人。
言い様の無い幸福感がシンジの胸を満たしていた。
「さて、お腹空いた〜!...シンジ、よっろしくね〜」
「え?アスカ、まだ食べてなかったの?」
「今日は早く出てきたから、そんなヒマなかったのよ。あんたは食べたの?」
「いや、僕もまだだけど」
「んじゃいいじゃない。早くぅ」
「はいはい」
微笑を浮かべつつ研究室備え付けの冷蔵庫の中を覗きこむシンジ。
これで、いつも通りの1日が始まるのだ−
つづく
NEXT
Version-1.00 1998+02/12公開
感想・叱咤・激励・「ナイス、日本金メダル!(時事ネタ)」等は
こちらへ。
あとがき
はい、というわけで、いよいよ本格的にLAS突入か!?
...それは作者のみぞ知る、ということで、すいません(笑)
いやー、こういう会話、難しいです。
今回、どうだったでしょうか。最近感想のメールが少なくてちょっと寂しい&どんな風に受け止められているかわからない、のでどんどん感想を送ってやって下さい。
あうあう、2万ヒット記念のSSも書かなきゃいけないし...大忙しです。
昨日、唐突に体内のインフルエンザウィルスが素晴らしい働きを見せてくれまして(ーー;
ノド痛いです。げほげほ。
今回のBGM−CD:「新世界キヴァンデルヤン」(marth
TERIT RECORDS)
めぞんに戻る
/ TopPageに戻る/ [さんご]の部屋に戻る