狼狽するシンジ。
ゆっくりと、そして確実に、独特の威圧感を持って近づいてくるサキエル。
「ひ....い....あ...」
恐怖のあまり声が出ない。
エヴァの声に導かれて来て、そこでこんなものに遭遇してしまうなんて!
シンジは自分の不運を呪う。
『落ち着け』
「落ち着けったって、これが落ち着いていられるもんか!と、とにかく逃げなきゃ」
『あれはお前にしか倒せないんだぞ』
「どうしてさっ!なんで僕だけなんだよっ!」
『我々の同胞が寄生しているのを忘れたのか?おそらくATフィールドを張れるだろう。ATフィールドの前ではいかなる物理的衝突も意味をなさない』
「でも、『人とE細胞との信頼関係』とかそういう話はどうなったの!?」
『多少荒っぽい方法で、強制的に関係しているのだろう。「信頼関係」などという生易しい物じゃない、言うなれば「主従関係」か』
「くっ....」
その会話の間にもじりじりと距離が詰まる。
「や、やっぱりだめだよっ、僕には無理だ」
後ろも見ずに逃げ出す。
足がもつれる、暗いのであちこちの壁にぶつかってしまう。
今は逃げることしかできない。自分には無理だし、そもそもなぜあんなものがここに居るのかすらもわからない。不可解過ぎるのだ。
しかし、状況は彼に絶望を強いる。
「こ、この角を曲がって....あぁっ!!!!」
驚愕するシンジ。
無理もないだろう。彼の目の前ではバイオハザード用隔壁が低い音を立てて、今まさに彼の進路を完全に塞ごうとしていたのだ。
話には聞いていたが、それが稼動しているのを見たのは初めてだった。
しかし、それが意味するものは−絶望。
「なんでっ、どうしてだよっ!!!」
叫んだその瞬間に、10センチ程あった隙間も完全に閉じてしまった。
『どうやら閉じこめられたようだな』
「なんで.......ちくしょう....」
隔壁にゴツゴツと拳を打ちつけるシンジ。
彼には、「倒すか死ぬか」の2つの道しか用意されていないようだ。
「緊急用隔壁による遮断、完了しました。セキュリティへの破壊工作に対する復旧、あと5分かかります」
「(許してちょうだい、シンジ君....)」
「目標S1、第66番通路に出ます」
人気がないはずの研究所内、中央制御室では、マヤがシンジ達の様子をモニターしていた。
その後ろで苦渋の面持ちでそれをじっと見ている白衣の女性−赤木リツコ。
その手に爪が食い込み、血が滲んでいる。
「目標S1とS2の距離、残り40...しかし、本当にいいんですか?彼があれに勝てる見込みは−」
「奴にはいかなる通常兵器も効かないのよ。けど、彼の力なら...」
僅かな望みにすがりつくようにリツコが応える。
残酷と言われようが、非人道的と言われようが、今はこれしかないのだ。
しかしそれは、望みと呼ぶにはあまりにも危うすぎた。
「もう少し早く、あれが来る事がわかっていれば...」
解っていたところでどうだというのだ?あのATフィールドを破る方法があるのか?所詮、人間の浅知恵...神の使いには勝てない。
神に勝てるのは....神のみ。
彼女のきつく結ばれた口から、ギリっと音が漏れた。
「ちくしょう....ちくしょう....」
『奴が近づいてくる。覚悟を決めろ』
「そんな...無茶だよ、できっこないよっ」
『このままだとただ死ぬだけだぞ』
「く.....」
『それに、武器はある』
「え?」
『ATフィールドだ』
「ATフィールド?でもあれは防御にしか使えないんじゃ...」
『いや、違う。それは...む、奴がもう目の前だ。あとは戦いながら話す。全力でかわせ』
「え?...うわっ!!」
それはまさに一瞬の出来事だった。サキエルの掌(?)が一瞬光ったかと思うと、その部分から光の槍が飛び出してきたのだ。
慌てて身を翻すシンジ。
ガキン、と嫌な音を立てて、今しがたシンジがいた場所に光の槍が突き立てられる。
『やはり反射系の伝達速度を向上させておいて正解だったな』
「そ、そんな事はいいから早く!ど、どうやって戦うんだよ!」
『ATフィールドは言ってみれば「心のカタチ=イメージ」だ。イメージ次第でいかなる物にも形状を変える』
「つ、つまりどういうこと?」
『ATフィールドを張る時のイメージを変えればいい。鋭いイメージ、尖ったイメージを持って張れば、それに合った形状になる。ただ、問題は...』
「何?何かまずいことでもあるの?」
『奴もATフィールドを持っている。ということは、こちらの攻撃を中和、相殺してしまう可能性もあるということだ。あの光の槍もおそらくATフィールドだろう』
「そ、それじゃぁどうすれば....」
『より鋭く、より精密に、一点突破を狙うしかない。相手の体の中心に強い力を感じる。そこがおそらく同胞の中枢だろう。そこを狙え』
「........わ、わかったよ」
そう言ってる間にも攻撃は続く。普通の人間にはとてもかわせないようなスピードだったが、反射能力の向上したシンジはそれを紙一重で避ける。避けるというよりは「逃げ惑う」という表現の方が適確ではあったが。
「研究所内のセキュリティ、回復しました!予定より30分早いです!」
「『猟犬』の周りの隔壁が閉まりました!」
「『壁』の反応が2ヶ所に!?どういうことだっ!?」
「気付かれているのかっ!?」
「大至急もう1つの反応をモニターしろ!」
「撤退の準備をしろ!それとHTL装置の準備だ!」
ガキン!
「うわあっ!」
ガキン!
「ひっ!」
ガキン!
容赦なく攻撃は続く。
張り詰めた緊張感がシンジを追い詰める。だんだんと「ここで攻撃が当たってしまえば楽になるのかもしれない」という甘美な誘惑が恐怖を上回り始めた。
その瞬間、動きが鈍る。
ザシュッ
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
鈍い衝撃。
光の槍がシンジの肩を削りとるように当たる。
その衝撃で10mほど廊下の床を滑る。
そして初めて訪れたその痛みにシンジの思考は現実に一気に引き戻された。
『シンジ』
「う...く...」
『シンジ、落ち着け』
「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ...イヤだよ...なんで僕が...」
『今の攻撃はATフィールドを咄嗟に張ったので軽傷で済んだ』
「勝てないよ、こんな奴に...」
『そんな事を言ってる場合ではない』
肩に傷を負ったシンジを見て勝利を確信したのか、サキエルは攻撃の手を休め、ゆっくりと、そして悠然とこちらに歩いてくる。その低い呼吸音は乱れる様子がない。
ゆっくりとその右手を振り上げる。とどめを刺すつもりだろうか。
「いやだ、いやだ、いやだっ!!」
無意識に右手をサキエルに向ける。
サキエルの右手が光る。
「うわっ!!」
これまでか...
「...くっ....」
しかし、予想されていた攻撃が来ない。
「...?......っ!!?」
シンジは自分の目を疑った。自分の右手の平から赤い光を帯びた槍が一筋伸び、まっすぐサキエルの肩に刺さっている。
「グォォォォォォン!!!」
床や天井を震えさせるような叫び。
それでようやくシンジは我にかえる。
「...やったのか?」
『まだだ、油断するな。しかし効いてはいるようだ』
「...もしかしたら、いけるかもしれない」
『その調子だ』
シンジの目に希望の灯がともる。
しかし−
「グオオオオオオオオオオッ!!」
突然、おぞましい叫び声をあげつつサキエルが突進してくる。早い!
「うわっ!!」
ガキンッ!!
光の槍がものすごい勢いでシンジのいた場所に突き刺さる。
「ちくしょうっ!」
『シンジ、まずは防御する事を考えろ』
「どうやってさっ!?」
『今から言うとおりにすればできる。我々を信じろ。ありとあらゆるものを拒絶しても、我々だけは信じろ。生き残る手段はそれしかない』
「......」
険しかったシンジの表情がだんだんと穏やかな、それでいて厳しさを併せ持った表情になる。それは死を覚悟した人間の表情ではない。
戦う事を決意した、迷いのない人間の表情だった。
「....わかった。どうすればいい?」
『普通にATフィールドを張るだけでは恐らくあの光の槍は防げないだろう』
「...うん。でも防ぐ方法は...あるんだね」
『そうだ。...まず右手を前に出せ。そして足場を固めろ。あれを受け止めなければいけないからな』
ぎゅっ...右足を前に出し、かるく前傾姿勢になる。
『そして、これからが重要だ。以前、ATフィールドは「拒絶」がその根本的なエネルギーとなる、と説明したな』
「う、うん」
『そのエネルギーを高めるには....これは簡単なようで難しいのだが....「憎め」』
「...えっ!?」
『憎むのだ。目の前にいる奴はもちろん、世界のありとあらゆるものを拒絶し、憎め。その感情が強ければ強いほど、生き残れる確率は高くなる』
「憎む....」
『確かにシンジには難しいかもしれない、だが、勝つには、あれを防ぐには、それしかない』
「...や、やってみるよ」
『我々はATフィールドの展開を最大限サポートする。あの光の槍を受け止めきった瞬間が最後のチャンスだ。懐に飛び込んでそのままATフィールドで貫け』
「.....うん」
シンジにも、それは明らかに「賭け」であることははっきりとわかった。
しかし、今はエヴァを信じなければいけない。ありとあらゆるものを拒絶しても。
サキエルの手がまた光る。
しかしシンジは臆することなく、逆にゆっくりと目を閉じる。
『来たぞ、シンジ』
「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」
パキーン!!!
シンジの目の前に今まで見た中で最大の大きさを持つ光の壁が出現する。
バチバチバチッ
それが光の槍とぶつかり合い、放電現象のようなものが起こる。
ふんばっていたはずの足も、じりじりと後ろに下がって行く。
「あああああああああっ!!!!」
シンジは憎んでいた。目の前の異形の怪物を。自分を殺そうとした存在、自分を傷つけた存在...今やその感情は「殺意」に染まっていた。
そしてATフィールド同士の接触はすなわち心の衝突。
言い様の無い嫌悪感が込み上げてくる。今が戦いの真っ最中でなければその辺に反吐を撒き散らしたかもしれない。
その嫌悪感はそのまま前方の「敵」に対する殺意に変わって行く。
「くっ、ああああああっ!!!...........?」
突然心と体にかかっていた負担が軽くなる。
光の槍が消えていた。
サキエルは攻撃を完全に止められた事により、明らかに狼狽している。
『今だ、シンジ』
「ああああああっ!!!!!!」
一目散にサキエルめがけて突進するシンジ。
一方サキエルは攻撃を止められた事に対するショックからか、一瞬だけ反応が遅れる。
その一瞬で十分だった。
懐に飛び込み、そして右手をサキエルの胴体に押し付け、尖ったイメージを強烈に想像しつつ右手に力を込める。
右手がいままでになく熱い。
「ぐぅっ...」
さらにその手に力を込める。
「キシャアアアァァァァァァ!!」
それがサキエルの最後の叫び声だった。
「『猟犬』の『壁』の反応消失!生命活動も停止しました!」
「くっ!まさか奴がやられるとは....信じられん」
「HTL起動!速やかに『処理』を開始。それが完了したら撤退する!」
「HTL、起動します!」
「はぁ.....はぁ......」
『大丈夫か、シンジ』
「うん....なんとか、生きてるみたいだね。....」
目の前に倒れるサキエルの死体をぼうっと眺める。
すでに感情が麻痺しているようで、恐いとか、そういった感情が湧いてこない。
しばらくそうしていると、あちこちから「ゴゥン」という低い音が聞こえてくる。
背後からもその音が聞こえてきたので振り向いてみると、閉まっていた隔壁がゆっくりと、そして確実に開いて行く所だった。
「なんだよ....今更開いても....遅いじゃないか...」
それを見たシンジの中で、ゆっくりと押し殺していた感情が堰を切ったように溢れてくる。
「くっ...うくっ....く....」
『....!..これは...』
「?...あっ!!」
それは2、3秒の出来事だった。
サキエルの死体が、ゆっくりと「崩れて」いき、それが全てオレンジ色の液体へと変化していく。あっという間にその体はなくなり、後には水たまりができる。
「...あ....え...な、何、今の??」
『わからない。だが、完全に『同胞』の反応はなくなってしまった』
わけがわからないまま茫然とそれを見つめるシンジ。
ぺたんとそこに座り込んでしまう。
「HTLによる『処理』、完了しました」
「今より化学班は撤退を開始すると本隊に伝えろ。作戦は失敗だ」
「なんだったんだろ、一体......」
その時、背後に人の気配を感じるシンジ。
「........シンジ?」
その声に反射的に振り向き、シンジの表情は凍り付く。
そこに立っていたのは、紛れもなくアスカだった。
あとがき
あぁ、疲れた。マジで。今回はかなり難産でした。
そもそも戦闘シーンをなめてかかったのが敗因でした。めっちゃ難しいですね。
途中、かなり詰まっていたんですが、ATフィールドの話あたりからノってきました。現金なもんです。
初稿の段階ではオペレータ3人衆が出ていたのですが、マヤを除く二人は今後登場の機会が話の展開上皆無でしたのでカットされました。ファンの方すいません。
さて、ここで今回新しく出た用語について解説しておきますと...
まず「壁」、まぁこれはATフィールドの事ですね。サキエルを送り込んできた連中はこう呼んでるわけです。ま、そのまんまですね。
次、「HTL」。....これで体を破壊して証拠隠滅もラクラクというなんとも極悪非道なシステムですね。体に「起爆剤」のような物を最初に埋めこんで使用します。略称なんですが、詳細はまたいずれ。割と先の話に係ってきますので。
あ、それから、いつもいつも感想ありがとうございます >鷹羽さん
...最近感想メール少なくてちょっと寂しいです(;_;)
今回執筆時のBGM−CD: 「XROGER LABEL THIRD
放し飼い」
さんごさんの『或はそれも幸福のカタチ』第7話、公開です。
シンジ、大変でした・・
生身のままであんなモノと対するとは。
初めは
絶望の中でギリギリかわしていただけでしたが、
最後は男の面を見せてくれましたね(^^)
懐に飛び込んで、一撃!
アスカとの関係はどうなるのでしょうか・・・
さあ、訪問者の皆さん。
クリスマスの日の投稿に皆さんからお返しを送りましょう!