「終焉の果てに」第伍話 目覚めと拒絶
枯れた美しさ。
ミサトは、そんな思いを抱かれずには、いられなかった。
その光景は、無我の境地に立つ菩薩の様だった。
その美は、色気など微塵も感じさせない、ただ純粋な美。
月光の中で、眠る少女。少女を見つめる少年。
少女は、月に彩られ、その痩せた姿さえ、美しさを際だたせていた。
僅かに乱れた茜色の髪は、月光を集め儚い光を放ち、整った顔立ちは、死化粧を施した様に見えた。
少年の今にも朽ち果てそうな雰囲気が、中性的な美しさを醸しだし、その瞳に宿る深い悲しみは、その美しさに拍車を掛けていた。
声をかけることも躊躇わせた。
一声でも発すると、すべてが消えていくような気がした。
ミサトは、部屋に入った瞬間から、壮絶なまでの美しさに魅了された。
部屋に入ってどのくらいだろうか、一瞬のようであり、永遠のような時間が流れ、やっとミサトは、声を発した。
「……シ、シンジ君。」
舞を舞うかのように、ゆっくりとシンジは振り返った。
「何ですか、ミサトさん。」
壊れそうな笑みを浮かべる。
その笑みに、捕らわれたミサトは、呆然とシンジを見つめていた。
「何ですか、ミサトさん。」
今度は、前より暖かみがある音が広がった。
「えっ……あっあの、あのね。最近シンジ君、あんまり寝て無いみたいだから。少し休むようにって、言いに来たんだけど……」
「分かりましたよ。それじゃあ、そろそろ眠りますので。」
そう言うと、ドアの方をふっと見た。
「あ……ああ、そうね。それじゃあお休みなさい。シンジ君。」
「はい。お休みなさい。」
ミサトは、病室を出て大きなため息をついた。
『綺麗だった……
アスカもシンジ君も、ぞっとするほど綺麗だったわね。
なんだか、本当に消えてしまいそうだった……
本当に消えなきゃいいけど……』
ミサトは、静かに病室を後にした。
ミサトが去った後、シンジはいつもの様にドアの前で眠りにつく。
サードインパクトの終わりから三週間、病室の外では、ネルフが情報公開を行い、ゼーレと人類補完委員会が明るみにされ、世界中で混乱が起きていた。
当初、一方的に攻められていたゼーレ側も、政治力、経済力をバックボーンにかなり盛り返していた。直接的な軍事行動は、行われなかったものの、一般市民が知り得ないような、水面下での激突は激しく、決着はしばらくつきそうになかった。
しかし、この303号室では、ほとんど時間の流れを感じさせなかった。
シンジにとって、現在の日常は、すべてアスカ一人のためにあり、他人の入る隙間はほとんどなかった。
そのわずかの隙間に入れたのは、レイただ一人しかいなかった。
レイは不安だった。
サードインパクトが終われば、消えるべき存在と考えていたからだ。自分の存在価値が見つけられなかった。
ぼんやりとした、二人目の記憶が、シンジに助けを求めた。
シンジは、「綾波は、僕たちの仲間だよ。」と、言っただけだったが、それでもレイは、嬉しかった。
ただ、アスカの為だけにいる、今のシンジを見ると、心が無性に痛かった。初めての感情にかなり戸惑っていた。
翌日、射し込む日光で、シンジは目覚めた。
寝袋を畳んで、ベッドの横の椅子に座る。アスカは、まだ眠っているようだ。
やがて、アスカは、微睡みから目覚める。
「おはよう、アスカ。」
アスカは、答えない。
シンジは、二言三言喋り、ただアスカを見つめる。
やがて、静寂は破られる。朝食が運ばれてきたのだ。
……トン、トン……
「惣流さん、碇さん、朝食です。」
圧縮された空気が抜ける音と供に、若い看護婦が朝食を運んできた。
「ありがとうございます。」
シンジは、微笑みながら食事を受け取る。
看護婦は、その笑みにドキドキしながら食事を渡し、「お大事に。」と、一言言って立ち去る。
今、若い看護婦の間では、この二人の噂で持ち切りだった。
心を閉ざした絶世の美少女と、それを見守る儚げな少年。
だれもがこの二人を見ようと、食事を運ぶ係りも一食ごとに、奪い合いになっている有様だった。
シンジは、アスカを起こして、ゆっくりと食事を食べらす。
アスカの今の食事は、流動食と点滴だけだ。
アスカに食べ終わらすと、シンジも朝食を取る。食事が終わると、食器を運びに行き、その後、洗顔と歯磨きをして、病室でアスカを見つめる。毎朝の風景だった。
満腹感と疲労により、シンジは、アスカの枕元で眠りに落ちた。
アスカは、ぼんやりと天井を見ているだけだった。
アスカは、暗闇の中で胎児のように、足を抱えて座っていた。
『あたしはもう、何の価値もない………
ママは、助けてくれない……
あたしまた、捨てられたんだ……
また、捨てられた……
何が、天才パイロットなの。
何が、天才美少女なの。
シンジに助けられ、ファーストに助けられ、
あたしは、何をしたの。
加持さんは、ミサトを、
シンジは、ファーストを、
女としての価値もないのかな。
誰か見てよ……
あたしを見て……
……シンジ……
───あたしは、シンジに見てほしいの?
違う!
あたしのプライドを壊した奴。
シンジさえいなければ、あたしがエースだった。
シンジさえいなければ、あたしがあたしでいられた。
シンジさえいなければ、良かった。
───なぜ、シンジにキスしたの?ファーストキスだったのに。
ファーストに負けたくなかったの!
ファーストは、たぶんシンジが好きだった。
だから、シンジとキスしたの!
───うそ、シンジが気になっていたんでしょ。だけどシンジは、ファーストを見てた。だからキスしたの?
違う!違う!
あたしが好きなのは、加持さんだけなの。
───加持さんは、あたしを見てくれたの?
見てくれない……
加持さんが見てたのは、ミサトだけ。
嫌い……
みんな嫌い……ママも加持さんもミサトもファーストも自分も、みんな嫌い……
シンジが一番嫌い。
あんな奴が、
あたしのプライドを壊して、
あたしからみんな奪って、
そのくせ優しくして、
あたしを、いらいらさせる。
あたしを、殺そうとした男。
優しさで、あたしを、殺そうとした男。
気持ち悪い。
虫ずが走るわ。
大嫌い。
バカシンジなんて、大っ嫌い!!』
太陽が頂にに立つ頃、シンジは目覚めた。
そろそろ、昼食が来る頃だ。
しばらくして、昼食が来た。
いつものように食事が終わり、シンジが帰ってきたとき、いつもの日常が変わった。
「………
でてけ………」シンジは、自分の願いが叶ったことを知った。
「アスカ!!今喋ったよね!ほら、もう一度喋ってよ!」
「……でてけ、あんたなんか、顔も見たくない。」
自分が、抱いていた淡い幻想は砕けた。
『…僕は、何馬鹿なことを、期待してたんだ。
当然だよ。
僕は、アスカに嫌われてる、憎まれてるのに。
アスカが僕に感謝する?
馬鹿な考えだよ。
寝てるときにキスをしようとして、
アスカを汚して、
あの時だって、アスカを殺そうとして、
アスカ、言っただろう「気持ち悪い。」って。
キスだって、暇つぶしだったんだよ。それに、浅間山の借りを返しただけなんだよ。
だけど、アスカが退院するまでは、いよう。
僕を憎むことで、アスカは早く元気になるかもしれない。
そしたら、消えよう。』
「ア、アスカ、そう言わずに何か話をしようよ。」
「あんたとなんか、話したくない。」
この日、アスカは、それっきり喋らなかった。
日が暮れて。
「じゃあ、アスカ、僕そろそろいくね。
晩御飯は、看護婦さんに食べさせてもらうように、頼んでおくから、ちゃんと食べてね。
明日もまた来るからね。」
シンジは、病室を出た後、ロビーの椅子で眠った。
翌日
シンジは、303号室の前にいた。
「アスカ、入るよ。」
「入るな!」
構わず、シンジは、入った。
アスカは、ベッドの上で、シンジを睨んでいた。
「入るなって言ってるでしょ!」
「そう言わずに話しよ。そしたら、早く元気になって、退院できるよ。アスカだって、こんな病院に居たくないでしょ。」
「何であんた、あたしの所へ来るの。
こんな、あたしを見て楽しいんでしょ。自分を馬鹿にしてた女が、こんな風になって嬉しいんでしょ。
ほら、さっさと馬鹿にしなさいよ。笑いなさいよ。」
アスカは、自分をあざ笑うかのように言った。
「違うよ。僕はただ、アスカに早く元気になって欲しいだけなんだ。」
「ふ〜ん、嘘ね。ホントの目的は、なに?わたしの体が目当てなの?
やらせてあげるわよ。ほら、早くセックスしなさいよ。それが目的なんでしょ!]
アスカは、パジャマのボタンを外そうとした。
「違うよ!!そんなんじゃないって、言ってるだろ!!そんな風に言うのやめろよ!!」
「そっか……
あたしには、女の価値もないんだ……
シンジは、ファーストがいればいいんだ……
さっさと、ファーストのとこにでも行って、いちゃいちゃしてればいいのよ!」
「アスカ!!」
「何よ、さっきから、アスカ、アスカって馴れ馴れしいのよ!あんたに「アスカ」なんて呼ばれたくないわよ!」
「……分かったよ…アス……惣流さん……」
シンジの中で、アスカとの絆がまた一つ消えてゆく。
「さっさと出て行きなさいよ!あんたの顔見てると、いらいらするわ!二度と来ないでよ!!」
「……また、明日来るよ……」
シンジは、立ち上がり、ドアへと向かった。その時、あふれていた涙は、アスカには見えなかった。
「二度と来るな!!」
この言葉は、それから二週間の間、シンジに浴びせられ続けた。
シンジは、逃げ出したかった。でも、同じように辛かった、サードインパクトの合間の日々が、皮肉にも彼を支えていた。
しかし、彼は、肉体的にも精神的にも衰弱していった。ミサトをはじめとする、ネルフの面々は、何とか彼を励まそうとするが、すべてが無駄だった。無理にでも、アスカから引き離そうとすると、彼は狂ったように暴れた。手の打ちようがなかった。
そして、ついにシンジは、倒れた。
極度の精神的ストレス、肉体的な疲労。
彼の心と体は、ボロボロだった。
その日、シンジが、アスカの病室に訪れることはなかった。
アスカが、二度目の心を閉た日から、初めての日だった。
綾波の出番がないです。
俺は、基本的にアスカ人なので、どうしてもアスカ中心に話が動いてしまいます。
アヤナミストのみなさん、ごめんなさい。
でわ、次回「第六話 すれ違い」で、お会いしましょう。
佐門さんの『終焉の果てに』第伍話、公開です。
アスカが言葉を発しましたね。
内のみを向いていた意識が、
外界に反応する。
しかし、出てきた言葉は。
その言葉が向かうシンジが来ないこの日。
更なる変化は?
さあ、訪問者の皆さん。
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