EPISODE:01 少年−シンジ−の場合 Stage 7 覚醒
彼は、ぼんやりと眺めている。
目の前で起きている事は、彼自身がよく知っている昔の事。
でも、忘れていたんだ。思い出したくなかったんだ。
だって、そう、これはきっと夢なんだ。そんなはずないんだよ。
僕は……違うんだ。捨てられたんだよ、両親に。
間違いなく、先生もそう僕に教えてくれたじゃないか。
だから、僕は……
僕は……僕は……
彼は、頭を抱えて目の前の記憶から目を逸らす。
母親が何か言っているのが聞こえる。
「ねえ、あんた、あたしの言う事が信じられないの?」
「今日だって、幼稚園に呼び出されたんだから、あたし
「先生の話だと、どう考えてもやったのはシンジだろうって
「もうあたし申し訳ないやら、恥ずかしいやら
「何より、怖いのよぉ。あの子」
「それで、相手の子はなんて言ってるんだ?」
父親が面倒くさそうにやっと口をきく。
「リカちゃん?あの娘の言う事も訳分かんないのよ
「外から石が飛んできただの、積み木が降ってきただの
「確かにあの娘の傷は、側に落ちてた積み木で出来たんだろうって、先生もお医者さんも言ってるんだけど、
「その場にはシンジしかいなかったのよ。もう、あの子がやったとしか思えないでしょ
「それにね、あんた信じられないかもしれないけど、あの子何だか薄気味が悪いっていうか、得体が知れないっていうか、
「時々、本当に自分の腹を痛めた子供なのかって疑っちゃうのよ
「だって、聞いてくれる?あの子たまに一人で部屋の中で遊んでるんだけど、この間見ちゃったのよ
「あの子の周りで、……ねえ、馬鹿にしないで聞いてくれる?
「本当に?
「じゃ、言うけど、ねえ、本当に見たんだからね、あたし。間違いないんだから
「あの子の周りで、あの子のおもちゃがね、一人で勝手に動いてるのよ
「ほら、あの子が気に入ってるヒーローの人形とか、恐竜のおもちゃとか、何でもないミニカーとか
「ねえ!本当なのよ、本当にあの子の周りで、まるで生きてるみたいに歩き回ったりミニカーが部屋中走り回ったりしてたんだから
「あたし本当に見たのよ!
「ねえ、本気で聞いてよ。あの子、何かがとり憑いてるんじゃないかしら
「……そう言えば、赤ん坊の時も、おかしかったのよ、あの子
「覚えてるでしょ、あたしがあの頃言ってた事
「絶対間違いないのよ。だって、居間のベビーベッドに寝かせたはずのあの子、よくいなくなっちゃって。探すとあたし達のベッドルームで寝てたり、お風呂場で寝てたりしてて
「そう。やっぱり気のせいじゃないのよ。今思い返してもあれはおかしいわよ。だって、一度だけ、あの子いつの間にかあの部屋の中で寝てたのよ。あの部屋って、鍵のかかった物置部屋よ……
「ちゃんと鍵だって掛かってたのよ、あの部屋
「ねえ、あんたは昼間は仕事に行ってて家にいないからそんな事が言えるのよ。一日の大部分をあの子と過ごすあたしの身にもなってよ
「このままだと、あたしおかしくなっちゃうよ。ねえ、あんた聞いてよ……」
ぼくは おふとんの なかで ぜんぶ きいてたんだ。 ぱぱと ままが ぼくの ことを はなしてるのを きいてたんだ。
ぼくの ことを おかしい って ままが いってる。
ぼくの ことが こわい って ままが いってる。
ぼくは なにも してない のに。
ただ あそんでいる だけ なのに。
ほら こうして ぼくが よぶと ばっとまん が はしって くるんだよ。
ろびん だって はしって きてくれるんだよ。
みんな ぼくが だいすき だって ぶろっくくん も かいじゅうくん も ぼくが よぶと きてくれるんだよ。 いっしょに あそぼう しんちゃん って きてくれるんだよ。
でも りかちゃんは しんじて くれなかったんだ。
いっしょに いつも あそんでたのに なかよしだった のに ぼくの いうことを しんじて くれなかったんだ。
だから みせて あげたんだ。ぼくの いうことが ほんとうなんだって みせて あげたんだ。
ただ それだけ なんだよ。それなのに
りかちゃんは こわい って。ぼくの ことが こわい って。
ぼくは かなしくて かなしくて なきそうに なって そしたら つみきさんが とんできたんだ。 ぼくを こわがった りかちゃんに おしおきを してくれたんだ。
それだけ なんだよ。 ほんとうに それだけ だったんだよ。
ぼくは なにも していない のに。
つみきさんが やってくれた だけなのに。
ねえ まま。 ぼく こわいの?
場面が、変わる。
ここは、僕の家。
子供部屋。
そう、僕はいつもここで一人で遊んでたんだ。
一人でも、ちっとも寂しくなんかなかった。
だって、皆僕が大好きだって言っていつも僕の側に来てくれたから。
……僕が遊んでる。
今日は、恐竜達が僕の周りに集まって来てくれた。
一匹づつお辞儀をしながら僕の前に来て、
「今日は何をして遊ぼうか、しんちゃん」
ほら、誘ってくれるんだ。
だから一人でも、寂しくなんかない。
「ようし、今日は決闘ごっこをしよう」
僕が言ってる。
そうだ、……思い出した。
あの日、僕は恐竜を決闘させて遊んでたんだ。
一回戦は、ティラノサウルスとステゴザウルス。
ティラノサウルスは意外と弱いんだ。きっと優しいんだね。すぐにステゴザウルスの刺のある尻尾でやられちゃうんだ。
二回戦はステゴザウルスとアパトサウルス。
これが結構いい勝負なんだ。なかなか決着がつかなくて、いつも僕が間に入って止めてたっけ。
でも、その日は、アパトサウルスがステゴザウルスのお腹を尻尾で叩いて、一回戦でステゴザウルスはそこをティラノサウルスにやられていたから、それでステゴザウルスは倒れちゃったんだ。
そして三回戦は……
嫌だ! 見たくない。
ここから先は、僕はもう見たくないよ。
頼むからもう見せないで。
思い出したくないんだ、お願いだからもう止めて!!
アパトサウルスに、トリケラトプスが突進していった時、
「しんちゃん。おやつ食べる?」
子供部屋に母親が入ってくる。
そして部屋の中を一目見た彼女は、そのまま戸口で固まってしまう。
そこには、
彼女の息子が一人、部屋の片隅で膝を抱えて座っている。
そしてその部屋の中央では、大きさ約10cmほどの恐竜のフィギュア達が思い思いに散らばっている。
そのフィギュア達が、ひとりでに動き回っているのだ。
息子は、顔を上げて母親を見る。
彼女の顔は蒼白になり、目は恐竜達の動きに釘付けになっている。
「ママ。どうしたの?」
恐る恐る、彼は訊ねる。
母親は、息子に引きつった笑いを向ける。訝しげに見つめる息子をそのままに、黙って部屋を後にした。
蹌踉とした足取りで居間にたどり着くと、テーブルに両手をかけて立ち尽くす。
必死に気を落ち着けようと、荒い息を何度も吐く。
自分が今見た光景に対して、何とか合理的な説明をつけようと努力するが、そんな物つくはずがない。
以前から感じていた不審が、たった今目撃した光景が、彼女の理性を徐々に崩壊へと誘う。
沸々とたぎる様に、彼女の中に狂気が芽生え、やがてそれが全身を駆け抜ける。
息子は、母親が出ていった部屋の扉をじっと見つめている。
彼には、母親の反応は理解出来ない。
彼にとってはおもちゃが「生きている」事は、至極あたりまえの事実なのだ。
もともとこの年頃の子供は、自分の周囲にある全ての物(生物だけでなく、無機質なもの、例えばテーブルや机、おもちゃは言うに及ばず、皿や茶碗、果てはテレビ等も)を生物であるとして認識する傾向にある。
彼の場合は、特にそれを疑う理由がなかった。
ましてや、自分の母親がその事にショックを受けているのだと、「相手の気持ちに立って」考える事など未だ出来るはずが無かったのだ。
だから、今彼が抱いているのは、母親が告げた「おやつ」に対する興味だけなのである。
どうしよう。ママの所にいこうかな。何だろう、今日のおやつ。
そこに、母親が子供部屋に戻ってくる。
静かに、ドアを閉め、自分の息子を見下ろす。
一言も発しない。
黙って、息子に一歩近づく。
彼も、母親のただならぬ雰囲気を察し、身を固くする。
いたずらをして怒られる時、母親はいつもこんな雰囲気を漂わせる。
だが、それ以上は、現実的な想像力を持たない彼には思いつきもしない。
ただ、母親の光の無い虚ろな瞳を見つめている。
と、母親が動く。
自分の背後に隠した右腕をゆっくりと振りかざす。
その手には、包丁が握られている。
初めて、母親が口を開く。
それと同時に、一気に息子との間合いを詰めて来る。
「この、化け物!!」
母親の言葉と、右手に握られた包丁が反射する光が彼の視覚と聴覚を圧倒する。
化け物。
彼の心は楔を打ち込まれた様に、その言葉に砕ける。自分目がけて襲い掛かってくる刃が起こす風が鼻先を捕えたとき、
「ママ、やめて!」
彼は叫び、自らの手で自分の頭を抱える。
暫くの間。
やがておずおずと、彼は母親を見る。
母親が、包丁を自分の鼻先に振り降ろしたままの姿で凍りついている。
その時の母親の顔。
大きく目を見開き、くすんだ肌に脂汗を浮かべている。わずかに自由になる唇を動かし、
「この化け物め!この化け物め!この化け物め!この化け物め!」
母親の呪詛に満ちた言葉が繰り返される。
「違う、違う、違う、違う、僕は化け物じゃないよ、ママ、ママ、ママ」
彼も繰り返し訴える。
「化け物め、化け物め、化け物め、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ!!!」
彼女は自由の利かなくなった身体を動かそうと必死に力を込める。だが、指一本動かす事が出来ない。
「やめてよ、お願い、ママ。僕何にもしてないよ、ママ」
「これが化け物の証拠よ、あたしを金縛りにしてどうするのよ、この化け物!」
「ちがうよ、僕、何にもしてない!」
「殺してやる。殺してやる。この悪魔!そうだ、殺してやる。お前なんか殺してやる!!」
「やめて!」
彼は、自分の中の何かが捻れる感覚を味わう。
そして、彼の目の前で、
母親の顔が、頭が、膨らみ−−まるで極限まで水をいれたゴム風船の様に−−、目から、鼻から、耳から、赤い何かがほとばしり、
次の瞬間、それが熟れすぎた果実の様に弾けて周囲に飛び散る。
子供部屋の中が真っ赤に染まり、頭髪と、母親の顔を構成していた組織と脳漿とが辺り一面を彩る。
首から上を失った彼女の身体がゆっくりと傾き、自身の血溜まりの中へと横たわる。
それらが現実感を伴わぬスローモーションで彼の眼前で繰り広げられる。
違う!!
こんなの嘘だ!
僕は覚えていないんだ、こんなの!!
きっと、本当の事じゃないんだ!!
こんなの……
父親が帰宅した時、家の中は真っ暗だった。
彼は訝しげに玄関で靴を脱ぐと、部屋の電気を点ける。
「おーい。どうしたんだ」
妻に声を掛ける。
だが、返事が無い。
念のため玄関先を再度見る。
妻の靴と、サンダルも残っている。息子の靴も。
外出した様子はない。
彼は、ネクタイを緩めると、奥の部屋へ向かって歩き出す。
寝室。誰もいない。彼は背広の上着を脱ぎ、傍らのハンガーに掛ける。
廊下を歩く彼の耳に、微かなすすり泣きの声が届く。
子供部屋。そこか。
彼は急いでそこへ向かい、ドアを開ける。
ドアのそばの電気のスイッチを入れ……彼は絶句してしまう。
とても正視に耐えない光景がそこに広がっている。
半ば固まりかけた血糊と、床に横たわる妻とおぼしき「物」。
そして、身体中を真っ赤に染めて部屋の隅に座り込んで泣きじゃくっている自分の息子。
生臭い部屋の空気が彼の鼻孔を刺激し、それが彼の理性を弾き飛ばす。胃壁がまるで別の生き物の様に波打ちながら痙攣する。
彼は思わず廊下に逃げ出し、込み上げて来る衝動に耐えきれず、そのまましゃがみ込んでしまう。
口腔から溢れ出る内容物を廊下の床に撒き散らし、やがてひとしきり戻した後、彼の頭が次第に冷静さを取り戻す。
電話口に駆け寄り、わずかに考えた末、番号を震える指先で押す。警察へ。
手短に状況を説明し、住所を告げ、受話器を置く。
ほっとして一息つき、その時彼は息子の事を思い出し、愕然とする。
あそこに置きっ放しだった。
彼は子供部屋へと取って返し、出来るだけ息をしない様に努めながら息子の傍へ歩み寄る。
「シンジ、大丈夫か?」
「……」
息子は、父親を見上げ、しかし言葉は発しない。
「一体、何があったんだ、これは」
父親は部屋の中を見渡し、そう口にする。
その時、息子の身体がぴくりと震える。
「とにかく、こんな所にいちゃ駄目だ。早く、こっちへ来い」
息子の腕を掴み、立ち上げながら引っぱる。
息子は父親の力にすがりつく様に立ち上がる。
「早く」
父親が戸口へ引っぱる。
息子は、床に横たわる母親の遺体につまずき、父親の腕に倒れ込む。
その息子に顔を向けた父親の目に映ったもの。母親の右手に未だしっかり握られたもの。
にぶい光りを放つ一本の包丁。
それを見た父親は、息子の肩を掴み、
「これは何だ。シンジ、どうしてママがこんな物を持ってるんだ。一体何があったんだ!」
幼稚園児にこの状況を説明しろと言っても、無理な相談である事は、父親にも分かっている。
だが、この異常な状態が−−部屋の惨状が、妻が握った包丁が、息子の態度が−−彼の大人としての理知に一抹の陰りをもたらし、重ねて、数日前に語られた妻の恐怖が彼の脳裏に蘇った時、父親の心に残っていた幾許かの理性は脆くも霧散してしまう。後に残ったのは徐々に膨れ上る疑惑と、肌に粟立つ程の恐怖。
(まさか、あいつの言った事は本当だったのか?まさか、シンジが何かしたのか?まさか、この子供が?)
彼は息子の両肩を掴み激しくゆすりながら、
「答えなさい!何があったんだ。シンジ。ママに何があった?」
息子は、うつむいたまま黙っている。
その姿が、父親の興奮を助長する。
「シンジ!答えろ!何があったんだ。……お前まさか、ママに何をしたんだ?」
最後の言葉が発せられた時、弾かれた様に息子が顔を上げる。訴え掛ける様な瞳の奥に、微かな肯定が見て取れる。
それが、父親の心に狂気を生む。
「そうなのか?お前がやったのか?どうなんだ?答えろ!!」
小さな身体を激しく揺すりながら、彼は恐怖に任せるままに叫び続ける。
「シンジ!答えろ!どうなんだ!お前がやったのか!シンジ!」
息子は声を出そうと口を開く。開くが、声が出ない。
(パパ、やめて。お願いだからやめて)
父親は尚も息子を振り回しながら叫ぶ。
「そうなのか。お前がやったんだな。お前が、お前が、ママを殺したのか!」
(やめて、お願い。僕、何もやってないよ、パパ)
「お前が殺したんだ。お前がママを殺したんだな。……この化け物め!!」
化け物。
それを聞いた瞬間、息子は激しくかぶりを振る。
(違う。違う。違う。違う。僕は化け物じゃない。僕は化け物じゃない。放して、パパ。放して、パパ。放して、お願いだからもう放して!)
次の瞬間、父親の身体が背後から見えない物に襟首を掴まれて引っぱられた様に、物凄い速さで吹き飛び、廊下の壁に頭から激突する。
頭部は壁にめり込み壁一面に真っ赤な抽象画を描き、そのまま彼の身体が床にずり落ちる。
息子の肩を掴んでいた父親の両腕だけが、ちぎれて部屋の中に残っている。
そして、一人残った彼は、そのまま部屋のなかにへたり込む。既にその瞳には何も映っていない。
連絡を受けて駆けつけた警察官が見たものは、そんな惨劇の現場に一人座り込んでぼんやりしている幼児の姿だった。
違う。
僕は、何もしていない。
違う。
僕は覚えていないんだ。
違う。
これは、嘘だ。
違う。
これは、夢なんだ。
違う。
だって、僕は両親に捨てられたんだ。
違う。
こんなの僕じゃない。
違う。
……違う。
僕がやったんだ。
僕はずっと忘れていたんだ。
僕は捨てられたんじゃなかったんだ。
僕はずっと忘れていて、自分の中で無かった事にしていたんだ。
僕は、僕は、僕が、
僕が、殺したんだ。
僕が……殺した。ママと、パパを。
僕が……
うわあああああああああああああああ・・・・
ishiaさんの『EPISODE:01 少年−シンジ−の場合』Stage 7、公開です。
壮絶な過去ですね。
凄惨な出来事でしたね・・
「止めて」「放して」
暴発した力−−−
この力が目覚めるのでしょうか
恐ろしい・
シンジの両親は
ゲンドウ・ユイでないんですね
あの二人なら冷静さを失うことはないでしょうし(^^;
さあ、訪問者の皆さん。
感想、沢山あるんじゃありませんか?
ishiaさんに伝えましょう!