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EPISODE:01 少年−シンジ−の場合Stage 7 覚醒



彼は、ぼんやりと眺めている。
目の前で起きている事は、彼自身がよく知っている昔の事。

でも、忘れていたんだ。思い出したくなかったんだ。
だって、そう、これはきっと夢なんだ。そんなはずないんだよ。
僕は……違うんだ。捨てられたんだよ、両親に。
間違いなく、先生もそう僕に教えてくれたじゃないか。
だから、僕は……
僕は……僕は……


彼は、頭を抱えて目の前の記憶から目を逸らす。


母親が何か言っているのが聞こえる。

「ねえ、あんた、あたしの言う事が信じられないの?」
「今日だって、幼稚園に呼び出されたんだから、あたし
「先生の話だと、どう考えてもやったのはシンジだろうって
「もうあたし申し訳ないやら、恥ずかしいやら
「何より、怖いのよぉ。あの子」

「それで、相手の子はなんて言ってるんだ?」
父親が面倒くさそうにやっと口をきく。

「リカちゃん?あの娘の言う事も訳分かんないのよ
「外から石が飛んできただの、積み木が降ってきただの
「確かにあの娘の傷は、側に落ちてた積み木で出来たんだろうって、先生もお医者さんも言ってるんだけど、
「その場にはシンジしかいなかったのよ。もう、あの子がやったとしか思えないでしょ
「それにね、あんた信じられないかもしれないけど、あの子何だか薄気味が悪いっていうか、得体が知れないっていうか、
「時々、本当に自分の腹を痛めた子供なのかって疑っちゃうのよ
「だって、聞いてくれる?あの子たまに一人で部屋の中で遊んでるんだけど、この間見ちゃったのよ
「あの子の周りで、……ねえ、馬鹿にしないで聞いてくれる?
「本当に?
「じゃ、言うけど、ねえ、本当に見たんだからね、あたし。間違いないんだから
「あの子の周りで、あの子のおもちゃがね、一人で勝手に動いてるのよ
「ほら、あの子が気に入ってるヒーローの人形とか、恐竜のおもちゃとか、何でもないミニカーとか
「ねえ!本当なのよ、本当にあの子の周りで、まるで生きてるみたいに歩き回ったりミニカーが部屋中走り回ったりしてたんだから
「あたし本当に見たのよ!
「ねえ、本気で聞いてよ。あの子、何かがとり憑いてるんじゃないかしら
「……そう言えば、赤ん坊の時も、おかしかったのよ、あの子
「覚えてるでしょ、あたしがあの頃言ってた事
「絶対間違いないのよ。だって、居間のベビーベッドに寝かせたはずのあの子、よくいなくなっちゃって。探すとあたし達のベッドルームで寝てたり、お風呂場で寝てたりしてて
「そう。やっぱり気のせいじゃないのよ。今思い返してもあれはおかしいわよ。だって、一度だけ、あの子いつの間にかあの部屋の中で寝てたのよ。あの部屋って、鍵のかかった物置部屋よ……
「ちゃんと鍵だって掛かってたのよ、あの部屋
「ねえ、あんたは昼間は仕事に行ってて家にいないからそんな事が言えるのよ。一日の大部分をあの子と過ごすあたしの身にもなってよ
「このままだと、あたしおかしくなっちゃうよ。ねえ、あんた聞いてよ……」


ぼくは おふとんの なかで ぜんぶ きいてたんだ。 ぱぱと ままが ぼくの ことを はなしてるのを きいてたんだ。
ぼくの ことを おかしい って ままが いってる。
ぼくの ことが こわい って ままが いってる。
ぼくは なにも してない のに。
ただ あそんでいる だけ なのに。
ほら こうして ぼくが よぶと ばっとまん が はしって くるんだよ。
ろびん だって はしって きてくれるんだよ。
みんな ぼくが だいすき だって ぶろっくくん も かいじゅうくん も ぼくが よぶと きてくれるんだよ。 いっしょに あそぼう しんちゃん って きてくれるんだよ。
でも りかちゃんは しんじて くれなかったんだ。
いっしょに いつも あそんでたのに なかよしだった のに ぼくの いうことを しんじて くれなかったんだ。
だから みせて あげたんだ。ぼくの いうことが ほんとうなんだって みせて あげたんだ。
ただ それだけ なんだよ。それなのに
りかちゃんは こわい って。ぼくの ことが こわい って。
ぼくは かなしくて かなしくて なきそうに なって そしたら つみきさんが とんできたんだ。 ぼくを こわがった りかちゃんに おしおきを してくれたんだ。
それだけ なんだよ。 ほんとうに それだけ だったんだよ。
ぼくは なにも していない のに。
つみきさんが やってくれた だけなのに。
ねえ まま。 ぼく こわいの?


場面が、変わる。

ここは、僕の家。
子供部屋。
そう、僕はいつもここで一人で遊んでたんだ。
一人でも、ちっとも寂しくなんかなかった。


だって、皆僕が大好きだって言っていつも僕の側に来てくれたから。

……僕が遊んでる。

今日は、恐竜達が僕の周りに集まって来てくれた。
一匹づつお辞儀をしながら僕の前に来て、
「今日は何をして遊ぼうか、しんちゃん」
ほら、誘ってくれるんだ。
だから一人でも、寂しくなんかない。
「ようし、今日は決闘ごっこをしよう」

僕が言ってる。
そうだ、……思い出した。


あの日、僕は恐竜を決闘させて遊んでたんだ。
一回戦は、ティラノサウルスとステゴザウルス。
ティラノサウルスは意外と弱いんだ。きっと優しいんだね。すぐにステゴザウルスの刺のある尻尾でやられちゃうんだ。
二回戦はステゴザウルスとアパトサウルス。
これが結構いい勝負なんだ。なかなか決着がつかなくて、いつも僕が間に入って止めてたっけ。
でも、その日は、アパトサウルスがステゴザウルスのお腹を尻尾で叩いて、一回戦でステゴザウルスはそこをティラノサウルスにやられていたから、それでステゴザウルスは倒れちゃったんだ。
そして三回戦は……


嫌だ! 見たくない。
ここから先は、僕はもう見たくないよ。
頼むからもう見せないで。
思い出したくないんだ、お願いだからもう止めて!!






アパトサウルスに、トリケラトプスが突進していった時、
「しんちゃん。おやつ食べる?」
子供部屋に母親が入ってくる。
そして部屋の中を一目見た彼女は、そのまま戸口で固まってしまう。
そこには、
彼女の息子が一人、部屋の片隅で膝を抱えて座っている。
そしてその部屋の中央では、大きさ約10cmほどの恐竜のフィギュア達が思い思いに散らばっている。
そのフィギュア達が、ひとりでに動き回っているのだ。
息子は、顔を上げて母親を見る。
彼女の顔は蒼白になり、目は恐竜達の動きに釘付けになっている。
「ママ。どうしたの?」
恐る恐る、彼は訊ねる。
母親は、息子に引きつった笑いを向ける。訝しげに見つめる息子をそのままに、黙って部屋を後にした。
蹌踉とした足取りで居間にたどり着くと、テーブルに両手をかけて立ち尽くす。
必死に気を落ち着けようと、荒い息を何度も吐く。
自分が今見た光景に対して、何とか合理的な説明をつけようと努力するが、そんな物つくはずがない。
以前から感じていた不審が、たった今目撃した光景が、彼女の理性を徐々に崩壊へと誘う。
沸々とたぎる様に、彼女の中に狂気が芽生え、やがてそれが全身を駆け抜ける。

息子は、母親が出ていった部屋の扉をじっと見つめている。
彼には、母親の反応は理解出来ない。
彼にとってはおもちゃが「生きている」事は、至極あたりまえの事実なのだ。
もともとこの年頃の子供は、自分の周囲にある全ての物(生物だけでなく、無機質なもの、例えばテーブルや机、おもちゃは言うに及ばず、皿や茶碗、果てはテレビ等も)を生物であるとして認識する傾向にある。
彼の場合は、特にそれを疑う理由がなかった。
ましてや、自分の母親がその事にショックを受けているのだと、「相手の気持ちに立って」考える事など未だ出来るはずが無かったのだ。
だから、今彼が抱いているのは、母親が告げた「おやつ」に対する興味だけなのである。
どうしよう。ママの所にいこうかな。何だろう、今日のおやつ。

そこに、母親が子供部屋に戻ってくる。
静かに、ドアを閉め、自分の息子を見下ろす。
一言も発しない。
黙って、息子に一歩近づく。
彼も、母親のただならぬ雰囲気を察し、身を固くする。
いたずらをして怒られる時、母親はいつもこんな雰囲気を漂わせる。
だが、それ以上は、現実的な想像力を持たない彼には思いつきもしない。
ただ、母親の光の無い虚ろな瞳を見つめている。
と、母親が動く。
自分の背後に隠した右腕をゆっくりと振りかざす。
その手には、包丁が握られている。
初めて、母親が口を開く。
それと同時に、一気に息子との間合いを詰めて来る。
「この、化け物!!
母親の言葉と、右手に握られた包丁が反射する光が彼の視覚と聴覚を圧倒する。
化け物。
彼の心は楔を打ち込まれた様に、その言葉に砕ける。自分目がけて襲い掛かってくる刃が起こす風が鼻先を捕えたとき、
「ママ、やめて!
彼は叫び、自らの手で自分の頭を抱える。
暫くの間。
やがておずおずと、彼は母親を見る。
母親が、包丁を自分の鼻先に振り降ろしたままの姿で凍りついている。
その時の母親の顔。
大きく目を見開き、くすんだ肌に脂汗を浮かべている。わずかに自由になる唇を動かし、
「この化け物め!この化け物め!この化け物め!この化け物め!」
母親の呪詛に満ちた言葉が繰り返される。
「違う、違う、違う、違う、僕は化け物じゃないよ、ママ、ママ、ママ」
彼も繰り返し訴える。
「化け物め、化け物め、化け物め、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ!!!」
彼女は自由の利かなくなった身体を動かそうと必死に力を込める。だが、指一本動かす事が出来ない。
「やめてよ、お願い、ママ。僕何にもしてないよ、ママ」
「これが化け物の証拠よ、あたしを金縛りにしてどうするのよ、この化け物!」
「ちがうよ、僕、何にもしてない!」
「殺してやる。殺してやる。この悪魔!そうだ、殺してやる。お前なんか殺してやる!!」

やめて!

彼は、自分の中の何かが捻れる感覚を味わう。
そして、彼の目の前で、
母親の顔が、頭が、膨らみ−−まるで極限まで水をいれたゴム風船の様に−−、目から、鼻から、耳から、赤い何かがほとばしり、
次の瞬間、それが熟れすぎた果実の様に弾けて周囲に飛び散る。
子供部屋の中が真っ赤に染まり、頭髪と、母親の顔を構成していた組織と脳漿とが辺り一面を彩る。
首から上を失った彼女の身体がゆっくりと傾き、自身の血溜まりの中へと横たわる。
それらが現実感を伴わぬスローモーションで彼の眼前で繰り広げられる。


違う!!
こんなの嘘だ!
僕は覚えていないんだ、こんなの!!
きっと、本当の事じゃないんだ!!
こんなの……



父親が帰宅した時、家の中は真っ暗だった。
彼は訝しげに玄関で靴を脱ぐと、部屋の電気を点ける。
「おーい。どうしたんだ」
妻に声を掛ける。
だが、返事が無い。
念のため玄関先を再度見る。
妻の靴と、サンダルも残っている。息子の靴も。
外出した様子はない。
彼は、ネクタイを緩めると、奥の部屋へ向かって歩き出す。
寝室。誰もいない。彼は背広の上着を脱ぎ、傍らのハンガーに掛ける。
廊下を歩く彼の耳に、微かなすすり泣きの声が届く。
子供部屋。そこか。
彼は急いでそこへ向かい、ドアを開ける。
ドアのそばの電気のスイッチを入れ……彼は絶句してしまう。
とても正視に耐えない光景がそこに広がっている。
半ば固まりかけた血糊と、床に横たわる妻とおぼしき「物」。
そして、身体中を真っ赤に染めて部屋の隅に座り込んで泣きじゃくっている自分の息子。
生臭い部屋の空気が彼の鼻孔を刺激し、それが彼の理性を弾き飛ばす。胃壁がまるで別の生き物の様に波打ちながら痙攣する。
彼は思わず廊下に逃げ出し、込み上げて来る衝動に耐えきれず、そのまましゃがみ込んでしまう。
口腔から溢れ出る内容物を廊下の床に撒き散らし、やがてひとしきり戻した後、彼の頭が次第に冷静さを取り戻す。
電話口に駆け寄り、わずかに考えた末、番号を震える指先で押す。警察へ。
手短に状況を説明し、住所を告げ、受話器を置く。
ほっとして一息つき、その時彼は息子の事を思い出し、愕然とする。
あそこに置きっ放しだった。
彼は子供部屋へと取って返し、出来るだけ息をしない様に努めながら息子の傍へ歩み寄る。
「シンジ、大丈夫か?」
「……」
息子は、父親を見上げ、しかし言葉は発しない。
「一体、何があったんだ、これは」
父親は部屋の中を見渡し、そう口にする。
その時、息子の身体がぴくりと震える。
「とにかく、こんな所にいちゃ駄目だ。早く、こっちへ来い」
息子の腕を掴み、立ち上げながら引っぱる。
息子は父親の力にすがりつく様に立ち上がる。
「早く」
父親が戸口へ引っぱる。
息子は、床に横たわる母親の遺体につまずき、父親の腕に倒れ込む。
その息子に顔を向けた父親の目に映ったもの。母親の右手に未だしっかり握られたもの。
にぶい光りを放つ一本の包丁。
それを見た父親は、息子の肩を掴み、
「これは何だ。シンジ、どうしてママがこんな物を持ってるんだ。一体何があったんだ!」
幼稚園児にこの状況を説明しろと言っても、無理な相談である事は、父親にも分かっている。
だが、この異常な状態が−−部屋の惨状が、妻が握った包丁が、息子の態度が−−彼の大人としての理知に一抹の陰りをもたらし、重ねて、数日前に語られた妻の恐怖が彼の脳裏に蘇った時、父親の心に残っていた幾許かの理性は脆くも霧散してしまう。後に残ったのは徐々に膨れ上る疑惑と、肌に粟立つ程の恐怖。
(まさか、あいつの言った事は本当だったのか?まさか、シンジが何かしたのか?まさか、この子供が?) 彼は息子の両肩を掴み激しくゆすりながら、
「答えなさい!何があったんだ。シンジ。ママに何があった?」
息子は、うつむいたまま黙っている。
その姿が、父親の興奮を助長する。
「シンジ!答えろ!何があったんだ。……お前まさか、ママに何をしたんだ?」
最後の言葉が発せられた時、弾かれた様に息子が顔を上げる。訴え掛ける様な瞳の奥に、微かな肯定が見て取れる。
それが、父親の心に狂気を生む。
「そうなのか?お前がやったのか?どうなんだ?答えろ!!」
小さな身体を激しく揺すりながら、彼は恐怖に任せるままに叫び続ける。
「シンジ!答えろ!どうなんだ!お前がやったのか!シンジ!」
息子は声を出そうと口を開く。開くが、声が出ない。
(パパ、やめて。お願いだからやめて)
父親は尚も息子を振り回しながら叫ぶ。
「そうなのか。お前がやったんだな。お前が、お前が、ママを殺したのか!」
(やめて、お願い。僕、何もやってないよ、パパ)
「お前が殺したんだ。お前がママを殺したんだな。……この化け物め!!」
化け物。
それを聞いた瞬間、息子は激しくかぶりを振る。
(違う。違う。違う。違う。僕は化け物じゃない。僕は化け物じゃない。放して、パパ。放して、パパ。放して、お願いだからもう放して!)

次の瞬間、父親の身体が背後から見えない物に襟首を掴まれて引っぱられた様に、物凄い速さで吹き飛び、廊下の壁に頭から激突する。
頭部は壁にめり込み壁一面に真っ赤な抽象画を描き、そのまま彼の身体が床にずり落ちる。
息子の肩を掴んでいた父親の両腕だけが、ちぎれて部屋の中に残っている。

そして、一人残った彼は、そのまま部屋のなかにへたり込む。既にその瞳には何も映っていない。


連絡を受けて駆けつけた警察官が見たものは、そんな惨劇の現場に一人座り込んでぼんやりしている幼児の姿だった。





違う。

僕は、何もしていない。

違う。

僕は覚えていないんだ。

違う。

これは、嘘だ。

違う。

これは、夢なんだ。

違う。

だって、僕は両親に捨てられたんだ。

違う。

こんなの僕じゃない。

違う。

……違う。

僕がやったんだ。

僕はずっと忘れていたんだ。

僕は捨てられたんじゃなかったんだ。

僕はずっと忘れていて、自分の中で無かった事にしていたんだ。

僕は、僕は、僕が、

僕が、殺したんだ。

僕が……殺した。ママと、パパを。

僕が……


うわあああああああああああああああ・・・・






その時黄は、上海にあるネルフ中国支部の25階のベッドに、その身体を横たえていた。
今の彼女の心を占めているのは悲しみと恐怖。
ほんの、時間にして数分前。
アスカからの最後の「声」が届いてから、彼女の意識は途切れたままなのだ。

<もう、ここまで。後は宜しくね、黄、レイ>

その「声」のすぐ後、自分の周囲に展開していたアスカのシールドが消えた。
それが、何を意味するのか、黄には良く分かっている。
最悪の結末。彼女は自分の無力さを呪う。

……自分が代わりに逝ければよかった。
  どうせ残り時間も少ない自分が、代われればよかったのに。
  ごめんね、アスカ。わたし何の役にも立たなかった。
  こんな「力」を持ってても、わたし何も出来なかった。
  せめてわたしが代わってあげられたらよかったのに。

もちろん、未だはっきりと決まった訳ではない。
もしかしたら……そんな希望も一方では持ち続けている。
でも先程から何度も「声」を掛けても、彼女は答えない。
もう少しレイとシンクロ出来れば、彼女ならアスカの気配を捉える事が出来る。
しかし既にレイとのシンクロは、アスカのシールドが自分達に張られた時にカットされている。
念の為、レイにも「声」を掛けて見るが、返事はない。
それも、黄には分かっている。
今頃は、突然強制的にシンクロをカットされた事により、彼女は意識を飛ばされて失神している事だろう。
強制シンクロカットが及ぼす彼女への影響、それも一方で無視出来ない。
持って行き場の無い思考に苛まれる黄。
彼女を介護しているスタッフが見れば驚いたであろう、この3年間一度も出る事の無かった涙が、閉じられたままの彼女の目尻から一筋流れている。
その彼女の脳裏に、突然絶叫がこだまする。
突如彼女の思考を押し退ける様に飛び込んで来たその絶叫は、瞬く間に彼女の全身を圧倒する。
(な、何、これ?誰の声?)
尚も続く絶叫に対し、彼女はようやく一つの答えを得る。
(これが、サードチルドレン?こんな悲しい声、これがサードチルドレンなの?)

黄は、ベッドに体を横たえたまま、その絶叫に聞き入っている。
彼女が「悲しい」と感じた、その絶叫に。


その時「彼女」は、自分のベッドに入ろうとした所だった。
殺風景な一人用コンパートメントルーム。部屋にあるのはデスクとベッドが一つづつ。
夜11時を回った頃である。
突如聞こえた叫び声に「彼女」の動きが止まり、「彼女」はその声に耳を澄ます。
「えらく強い「声」ね、誰かしら」
そう独白きながら窓の側に歩み寄る。
遠く彼方からの「声」の方角を探る。
「……こんな「声」が出せるのは、あたしの知る限りでは……そう、日本のレイ・アヤナミだけね」
「彼女」の目が次第に細められる。
「でもこれは、男の、少年の「声」……北米内からじゃ無い……ECでもない……太平洋の向こう……中国?……」
そして、「彼女」の口元に笑いが浮かぶ。
「やっぱり、日本からね。……ふーん。世界は広いわね、まだこんな「力」を持つチルドレンがいるんだわ。そう。レイ・アヤナミにも一度会ってみたいし、確かアスカ・ラングレーも今は日本にいるんだっけ……ネルフに鞍替えして日本に行くのも面白いかも、ね」
今だに耳元で聞こえ続けている「声」を、意識の外に外すと、改めてベッドに入ろうとする。
そして、ふと気付いた様にまた独白く。
「そう。日本には、カヲル・ナギサもいるしね」
その瞳に並みならぬ殺気を漂わせて。


その男は、自分に与えられたオフィスでその「絶叫」を聞いた。
窓の一つもないただ広いだけの部屋。
彼はそこの自分のデスクに座ったまま、傍らにいる少女に声を掛けた。
「聞こえるか?フミ」
腰まで伸ばした黒髪。やはり黒々と輝きを放つ大きな二つの瞳が印象的な美少女。
線の細い顔立ちに似つかわしい細い声で男の問に答える。
「……はい。これが、あの目標の子ですか……」
「そうだ。間宮シンジ。彼の覚醒を促す叫びだ」
「なんて「声」。いままでに聞いた事がありません……」
「そうか。よく聞いておくがいい。二度とは聞けないかもしれないぞ」
フミと呼ばれた少女は、首を傾げてその「声」に暫く耳をすまし、考え込む素振りをした。
「加持さん?」
「フミ。ここでは名前では呼ぶなと言ったはずだ」
「すいません。あの、局長?」
「何だ?」
「彼は、何なんですか?」
「……」
「どうして、こうしなければいけないんでしょうか?」
「……」
「彼は、いてはいけない存在なんでしょうか?」
「……」
「彼は、消さなければならない『目標』なんですか?」
「……」
「彼も、わたし達と同じ『存在』なのに?」
「……」
「わたし達と同じ「力」を持つ者なのに?」
「……」
男は、それらのどの問いかけにも答えない。
ただ一言、
「さて、どう出るかな。この賭けは」
そう言って深々と椅子の背持たれにもたれ、目を閉じた。


東京・午後2時。
北京・午後1時。
シドニー・午後3時。
ロンドン・午前5時。
パリ・午前6時。
モスクワ・午前8時。
地中海時間・午前5時。
北米西部時間・午後9時。
北米中部時間・午後11時。
北米東部時間・午後12時。

世界中のあらゆる場所で、彼の絶叫は確認された。
能力者は直接それと認識した上で彼の「声」を聞き、そうでない者の中にも、敏感な者は彼の絶叫を感じる事が出来た。
ある者は寝入りばなを叩き起こされ、ある者は運転中の車の中で、地下鉄の駅へと急ぐ歩道の上で、またある者は仕事中のオフィスの中で、いずれも突然耳元で聞こえた絶叫に一様に驚きと戸惑いを感じながら周囲を見回した事だろう。
そしてその誰もが、次の瞬間には何事もなかった様にそれまで自分が行っていた行動を再び続けた事だろう。
「声」に眠りを妨げられた赤ん坊の泣き声に驚いたその母親達は、自分の子供をあやして落ち着かせる為に持てる技術を総動員している事だろう。


そして、第三新東京市の地下に潜っているネルフのスタッフも、その「声」を聞いていた。
既に、20分以上も現場のモニターは不可能になっていた。
あらゆる電磁波、光線、電波が、完璧な結界により封鎖されている。
唯一、状況をモニターしていたレイは、黄とのシンクロによりその任務を果たす事が出来なくなっていた。
だから、動きを止めた計器を前にして、全てのスタッフが息をひそめてただ祈るかの様に立ち尽くしていたのだ。
「使徒」の起動が確認された事により、状況は恐らく最悪の度合を深めている事だろう。
誰もが、言い知れぬ不安に己の心が押し潰されそうになるのを感じている。
そこに、彼の絶叫が届いた。
全ての者が、その絶叫に聞き入り、ある者は嘔吐感を感じ、ある者は尚更不安を高まらせ、ある者はただその「声」から逃れたいが一心に耳を押さえた。そんな事をしても無駄な事は分かっている。この「声」から逃れる事は出来ないのだ。それでも、耳を押さえる。それしか出来得る事が無い者達は、だから、ただそうして聞こえてくる「声」にじっと耐えていた。
その中で、ただ一人碇ゲンドウだけは普段と変わらぬ態度で指令席に座っている。
「赤木くん、レイの元に救護班を向けたまえ」
「は、はい?」
ゲンドウに声をかけられたリツコは、普段の姿からは想像も出来ない呆けた態度で振り返った。
「急げ」
ゲンドウは、一言だけ付け加える。
「は、はい」
リツコはやっと彼の言葉が理解出来たのか、その青ざめた顔をオペレーターに向け、命令通りに指示を口にした。
ミサトはその「声」に正面から向き合い、考えている。
この様な「声」は、昔何度も聞いた事がある。
絶望の声。恐怖を感じた時の声。断末魔の声。
戦場で、仲間が、敵が上げるそんな聞くに耐えない「声」。
(またこんな「声」を聞く事になるなんて。しかも、あの子もあの頃のわたし達と同じ年頃だっていうのに)
出来れば、もう二度と聞きたくは無かった。
……二度と、この様な声を誰も出さないですむ様に。
そんな決意とも祈りともとれる覚悟で、彼女はネルフに参加したのだ。
(でも、わたしは結局何をやっているの?言い訳ばかりであの娘達を利用して、わたしは今この「声」を聞くことしかしていない。他に、出来る事はなかったの、ミサト?)
オペレーターがリツコの命令に返事を返している。
「救護班はAチームとBチームのどちらを向かわせたらいいでしょうか」
「Aチームを行かせて。直ぐによ」
リツコが答えている。
ミサトは、ただ黙ってそれらのやり取りを「見て」いた。


そして、綾波レイは、その絶叫を聞いて一時的に目を覚ました。
黄と精神シンクロしていた彼女達の周囲にアスカのシールドが展開された時、彼女の精神はまるでブレーカーが落ちた様に外界からシャットアウトされ、その時の衝撃がそのまま彼女を失神させた。
あらゆる外的、内的に発現する能力を封鎖し閉じ込めるアスカの強力なシールド。
それは、特定の相手に対して掛ける「声」以外の全ての「力」を遮断する。
何故「声」だけが通るのか、何故それほどまでに強いシールドが彼女に展開出来るのか。
今だにその理由は分かっていない。
ただ、ミサトの言う通り「能力」はある意味で感情に近い発現の仕方をする。そうするとこれは、彼女の「仲間」を「護ろう」とする強い「感情」が生み出す奇蹟なのかもしれない。
自分の椅子に腰掛けたまま失神していたレイは、突然聞こえた絶叫にその目を開けた。
ぼやける意識の底から、一瞬の内に立ち返り、自分の置かれていた状況を思い出す。
しかしまだ完全ではないらしく、こめかみに両手をあて、再度薄れ始める意識を、その自分を目覚めさせた「声」に集中する。
しばしの間それをかみしめる様に聞き、
「これは……彼ね」
独白きをもらした。
「これは、彼なのね。サードチルドレン。こんな、こんな……何て事」
黄が「悲しい」と感じたその「声」に、彼女は、綾波レイだけはもっと異質な物を感じ取っていた。
(……血の匂いがする。彼の「声」には強い血の匂いがする)
静かに再び目を閉じながら、レイは独白いていた。
「彼も、アスカと同じなのね……アスカと同じ、血と憎しみに彩られた過去。かわいそうに、このまま「目覚め」なければよかったのに……」

レイは椅子から転げ落ちると、床に倒れ伏し、そのまま意識を失った。





NEXT
ver.-1.00 1997-10/04公開
ご意見・感想・誤字情報などは ishia@hk.nttdata.net まで。



 ishiaさんの『EPISODE:01 少年−シンジ−の場合』Stage 7、公開です。
 

 壮絶な過去ですね。
 凄惨な出来事でしたね・・

 「止めて」「放して」

 暴発した力−−−
 

 この力が目覚めるのでしょうか
 恐ろしい・

 

 

 シンジの両親は
 ゲンドウ・ユイでないんですね

 あの二人なら冷静さを失うことはないでしょうし(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 感想、沢山あるんじゃありませんか?
 ishiaさんに伝えましょう!


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