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EPISODE
少年−シンジ−の場合
Stage 5 使徒
一人の少年が階段の踊り場をゆっくり歩いている。
目の前にまた階段。彼は、慎重に昇る。
「「跳躍」はブロックしてあるんだ。ふん。セカンドチルドレンだか何だか知らないが、一対一で戦えば俺にかなう訳はないんだ。なにしろ俺には誰にも真似出来ない切り札があるからな……さあ、どこにいる?」
一人言を口の中で独白く。右手が、左手が、緊張で固く握り締められている。
彼が半ば階段を昇った時……
「ここよ、アタシは」
少年の背後から突然声がかかる。
狼狽して振り向く少年。目の前、自分の立つ3段下に、探していた少女が立っている。少年は驚愕する。いつの間に背後を捕られたのか、彼は全く気が付かなかったのだ。少女の赤い髪と青い瞳。それが彼の目に入った時、彼は瞬時に攻撃に移ろうとする。
が、
それが彼の持ち時間の最後の瞬間だった。
「遅い!」
アスカのそんな声も、彼に届いたか、どうか。
次の瞬間には、少年は階段から真っ逆さまに、いや、階段が交差する狭い隙間から真っ逆さまに転落している。
ここは、5階へ続く階段なのだ。
アスカは階段の手すりに手を掛けて下方を覗きこむ。
「ついてなかったわね、アンタ」
アスカは彼に声を掛ける。
はるか地階の床に少年が横たわっている。ここから見ても、彼の首が在らぬ方を向いているのが分かる。少年の、虚空を見つめる光のない瞳。
しばらくそれを見つめた後、軽く頭を振りながらアスカは顔を上げる。
そして……、アスカの姿はもうそこにはない。
アスカは、最上階の廊下にたたずんでいる。
傍目に見ると、待ち合わせの相手を待っている様な、所在無い落ち着かなげな風情。
そう。彼女は待っているのだ。相手が来るのを。生憎、デートの相手ではなかったが。
「発見!7階だ」
声と共に、少年が一人アスカの前に現われる。
アスカはその声に振り向き、周りに集中する。
少年の仲間達が駆けつけてくる気配はまだない。
二人はしばし対峙する。既にこの瞬間に互いの「力」は互いにブロックされている。こうなると、戦闘は自然に白兵戦となる。
少年が体勢を低くしてアスカに突っ込んでくる。アスカはローキックで牽制しながら、相手が繰り出す拳をスウェーバックでかわし、自らも相手の隙を窺う。
しかし、体格的にもアスカより上の少年は、楽々とアスカを後退させる。風を切って襲う少年の攻撃に、アスカの身体がステップバックし、気が付くとアスカは狭い小部屋の中に追い詰められている。背中に壁が当たる。これ以上は下がりようがない。
ゆっくりと少年がそこに足を踏み込む。余裕の笑み。
「他の奴を呼ぶ必要は無かったな。「力」さえなけりゃ、ただの女だもんな。さて、楽しませてもらおうか?」
サディスティックに笑うと、少年は指の関節を鳴らしながらアスカに近づく。
「ふふっ。どう楽しむつもりなのかしら?」
アスカの微笑。
「?」
少年が訝しげにアスカを見る。と、部屋の天井から何かが外れる音が響く。
突然、「小部屋」がきしみ、次の瞬間、
「じゃあね。バイバイ」
アスカの姿が部屋から消える。
同時に二人の居た小部屋が下降しはじめる。次第にその速度を上げて。
少年は突然悟る。ここは……小部屋なんかじゃない!
すぐに「跳ぼう」とした少年は、それがブロックされている事に気付く。いや、それだけではない。彼が持つ「力」は全てブロックされている。驚愕と絶望。彼にはそれを感じる時間も無かったかもしれない。
とても聞くに耐えない絶叫が小さくなって行き、やがて建物を揺るがす音響がそれに続く。
アスカはその「小部屋」のあった暗い空間を見つめる。
「大げさねぇ。たかが7階から落ちた位で……」
そこは、既に使われなくなっていたエレベーターだったのだ。相手の攻撃に押された振りをしてそこに誘い込んだのは彼女。「力」でエレベーターを支えていたロープを切断、それごと少年を落下させたのだ、彼の全ての「力」を完璧にブロックしておいて。少年の「力」では所詮彼女の「能力」の全てをブロックする事は出来なかった。
「アンタには、身の程を知るって事が必要だったのよ。まあ、例え格闘技でも本当はアンタなんか敵じゃなかったけどね」
埃の舞い上がる虚空を見下ろす。ふと何かに気付いた様に、
「もう遅かったかな、気付くの」
冷たい笑みを投げかけると、そこから立ち去る。
先程の少年の「声」を聞いた他のチルドレンが7階に駆けつけた時には、アスカの姿は当然そこには無かった。
*
アスカがチルドレン一人一人と小競り合いを繰り返している時。
そのビルを見下ろす上空に、二人の少年少女が浮いている。
渚カヲルと、島サチコ。二人共、日本政府が抱えるチルドレンである。
サチコは、ビルの内部で行われている仲間の動向を、彼女の「力」でモニターしている。
「トモキとミチ、カズがやられました。……今、シロウの思考波が跡絶えました」
横にいるサチコの声を聞きながら、カヲルは、
「……馬鹿だね。あれほど3人づつのグループで行動しろと言っといたのに。個別に戦って勝てる相手じゃないのは分かっているはずなのに、しょうがない人達だ、全く」
端正な顔をしかめる。
伝わってくる状況は決して良いものとは言えない。仲間は一人、また一人と敵の手により墜ちて行く。めざす目標にも届いていない。相手の選んだ戦場が多数の敵を相手にするのに都合の良い場所であった事もある。
しかしそれにも関わらず、カヲルの顔には焦りの色はない。相変わらず同じ笑みを浮かべている。
「サチコ、シンジ君はどうしてる?」
「目標は2階の奥から2番目の部屋にいます。でも、強力なシールドが展開していてよく「見え」ません」
「ふん。アスカ君のシールドにも困ったものだね。手は出せないかな?」
「無理だと思います。「力」も届かないし、物理的にもあそこへは入って行けません」
「やっぱり、アスカ君をどうにかしないと、駄目か」
<渚>
そこへ、ノブから「声」が掛かる。
<ノブ。僕は言ったはずだよ。発見したら必ず3人掛かりで攻撃しろと>
<分かっている、それは。だが相手の方の動きが素早いんだ>
<言い訳はいいよ、ノブ。結局は彼女を捉えられていないんだから>
その時、5階の一室から激しい爆発音と共に炎が舞い上がる。
「ユウがやられました」
サチコが報告する。
<渚!>
<分かったよ。僕が行くよ。二人は気絶してるだけだろう?起こして残りの3人と一緒に集めておいてくれ。とりあえず「跳躍」のブロックだけは残さないと、逃げられるからね>
<分かった。早く来てくれ。渚>
「声」が途切れる。
カヲルは、傍らのサチコに顔を向ける。少女の顔に、先程までと違い、わずかな感情が張り付いている。
「サチコ、そんなに心配することはないさ。僕が行けばすぐ片付くよ」
サチコは、うつむいて答えない。
「全く、結局僕がまとめないと彼等はバラバラなんだ、仕様がないね、本当に」
サチコはカヲルの顔を見ずに、微かに聞こえる程の小さな声を出す。
「……危ない事は、しないで、お願い」
カヲルは黙ってサチコを引き寄せると、強引にその唇を奪う。
長い口づけの後、二人は離れる。サチコの顔が幾分上気している。
「心配いらないよ。すぐ終わるからね」
そう言い残して、カヲルはビルの方に向き直る。
*
ネルフ本部。作戦発令所。
状況をモニターしているオペレーターと、責任者達。その背後の一段高い場所にある席に、二人の男が現われる。
一人は、テーブルに肘を付き口の前で手を組んでいる格好で椅子に座っている。もう一人はその男の斜め後ろに寄り添う形で立っている。
椅子に座っている男は、国連直属秘密組織「ネルフ」の司令にして日本支部長、碇ゲンドウ。傍らに立つ初老の男は、冬月コウゾウ。ネルフの副司令である。
彼等の存在に気付いたミサトが立ち上がり敬礼する。
「司令、副司令!」
「葛城君。状況は把握した。モニターを日本全土に拡大。核融合反応もチェック出来るようにフィックスしてくれたまえ」
碇司令が静かな声で命令する。
「了解」
ミサトは、そう答えるとオペレーターに指示を出す。
命令通りの作業を始めるオペレーター達。その姿を眺めやりながら、
「碇、やつらはそこまですると思うか?」
冬月コウゾウが小声で聞く。
「ああ。可能性の問題だがな」
碇ゲンドウは彼に顔を向ける事なく答える。
「そうか、分かった」
冬月コウゾウは碇ゲンドウにそう言うと、改めてミサトに声を掛ける。
「葛城君。レイに連絡してくれたまえ。上海にコンタクトをとる様に、とな」
その声に、そこにいる全ての者が驚きの表情を作る。
「上海に?まさか、黄を使うんですか?」
ミサトは二人を見上げて叫ぶ。
「そうだ。その様に準備してくれたまえ」
冬月コウゾウが答える。それを聞き食い下がるミサト。
「し、しかし、黄は今でもあの状態です!使えるとは……」
「確か報告書によると、現状でも最長30分間は使用可能となっていたが……赤木君?そうじゃなかったのかね?」
碇ゲンドウが、ミサトの言葉を遮る。
「は、はい。碇司令。確かにおっしゃる通りです」
話を振られたリツコは彼にそう答え、ミサトにうなずく。
「なら、問題無い」
司令のその言葉が、この話はこれで打ち切りだ、と宣言する。
モニターを日本全土に拡大、核融合反応もチェック、そして黄を使用する……
何が起きてるの?何が始まるの?これは、ただサードチルドレンを保護する為だけの作戦じゃないの?確かにアスカに振り掛かっている状況は深刻だけれど、それにしては余りに対応が大袈裟過ぎる。一体、あの「間宮シンジ」には何があるの?
ミサトは、そこまで考えて、頭を切り替える。彼女は一方で、やはり軍人なのである。速やかに気持ちを現状に同調させると、レイに「声」を掛ける。
<レイ、聞こえる?>
*
<渚カヲル>
ビルの中に「跳ぼう」としたカヲルに、突然「声」が掛かる。
瞬時にカヲルの顔から、張り付いていた笑みが消える。
<局長!>
<状況は全てモニターしていた。一体何をしている>
<只今目標を捕獲するべく展開中で……>
<そんな事は分かっている。それよりも、12人も揃えてこの体たらくかね、渚>
<……申し訳ありません>
<しかも、貴重なチルドレンをすでに4人も失うとは>
<……>
カヲルは唇を噛む。返す言葉が無い。
道具としての自分。用済みになればどの様な処分がまっているのか、彼は自身が充分理解しているのだ。滅多な事では感じる事のない恐怖が彼の心を捉える。
<まあ、それについてはいい>
「局長」と呼ばれた「声」は、
<これから命令を伝える。これは長官命令でもあり、「委員会」の承認を得たものだ>
<はい>
<これより、彼等に目標の現場への足止め行動を指示しろ。600秒後速やかに全員現場内から退避、外から現場を結界で封鎖。その300秒後に、起動させた「使徒」を現場に派遣する>
その言葉に驚愕を隠さないカヲル。
<!「使徒」、「使徒」を使うんですか?>
<そう。これは決定事項だ>
<使徒……完成していたんですか?>
<その質問に答える義務は無い。君にも知る権利は無い>
<……はい>
<では、健闘を祈る>
「局長」の「声」は、それで終わった。
「使徒。使徒を使うのか……まさかこの新武蔵野市丸ごと消し去るつもりなのか?」
カヲルはしばし呆然として独白く。
「という事は、委員会はシンジ君の捕獲よりも消去を選択したという事か。これはまた、随分と諦めが早い……いや、それとも最初からそのつもりだったのかな?」
そして目の前のビルに目を落とすと、
「シンジ君、アスカ君。どうやら、君達にはもう会えなくなりそうだね。残念だよ」
彼の顔に、先程消えた冷笑が戻ってくる。
*
アスカは、一人ビルの廊下を歩いている。
先程から、自分を圧し包む様な気配を感じるが、仕掛けてくる様子はない。ただ、じっと見つめているだけ。
(おかしいわね。アイツ等どうしたのかしら)
そういえば、レイの「声」もさっきから跡絶えている。
(何か、やる気なのね。一体、何?)
アスカは、喉まで這い登ってくる不安を、ひたすら飲み込む。
*
中国。
上海。20世紀後半から進められた自由経済化路線により、ここ上海は外国企業や金融機関が林立するアジアの経済センターの一翼を担う存在となっている。
ネルフ中国支部は、ある外資系企業ビルの姿を借りて存在している。
その超高層ビルの25階の一室で、一人の少女がベッドに寝ている。
黄麗華。
17歳。
実は、この少女がネルフが保護した世界で最初のチルドレンである。
彼女はこのベッドに寝たきりのまま、もう3年にもなる。
その間、目を開ける事も寝返りをうつこともない。
中国軍情報局の一系列である某研究施設から保護されたその時から、彼女は植物人間の状態で時間を過ごしている。
彼女の意識は、死んではいない。その証拠に、彼女は肉体がこの状態であるにも関わらず、「声」を掛ける事が出来るのだ。
だが、運ばれてきた当初は誰とでも「声」を交すことが出来た彼女も、最近はその肉体の衰弱が激しく、一日のほとんどを眠ったまま過ごしている。付き合いの長さと、精神波の波長が合うのか、今は主に綾波レイが、彼女と「話し」が出来る相手となっている。
<黄、黄。起きて、黄>
綾波レイが「声」と共に彼女のイメージ−あの公園の風景−を送り、静かに黄を起こす。
何度か「声」を掛けたろうか。暫くすると、黄が自分のイメージを送り返してよこす。
それは真っ青に広がる大空に雲が一筋流れるイメージ。
ネルフの能力者は、それぞれが自分の固有のイメージを持ち、それをコールサインの代わりに相手に送ることによって互いを認識しあう。特に規則がある訳ではないが、いつの頃からか自然にそうする事になっているのだ。
そして、黄のイメージを受けた綾波レイは、彼女が起きてくれた事を知る。
<レイ、どうしたの?何かあった?……あ、今日はサードチルドレンの保護作戦の日ね>
<ええ>
<そうかぁ、サードチルドレン……ね、どんな子なの?サードチルドレンって>
レイは、黙って幾つかのイメージを黄に送る。
それを受け取ると、
<ふーん。いい男じゃない。優しそうな子ね、この子。ちょっとおとなしそう……>
<そうね>
<ねえねえ、この子の保護にはアスカが行ってるんでしょ?ふふふ、あの娘今頃イライラして怒鳴りまくってるんじゃない?目に浮かぶ様だわ>
黄は楽しそうに言う。もともと話し好きな娘なのだ。特にレイと「話し」をする時には決まって話しが長くなる。
対して綾波レイは興味なさげな表情で、言葉少なに、素っ気なく答える。これもいつもの事なので、黄は気にもしない。
<そうでもないみたい。何か、楽しそう>
<へぇーっ。あのアスカがねぇ。ふふっ、さてはアスカも自分の女性に目覚めたかな?>
<さあ>
<なによぉレイ。あなたももう少し女の子らしくしたら?>
<わたしはいいもの、そんなの>
<ふふん。そう?でも、もしアスカがそうだったら面白いのにな。あの赤毛の生きる戦闘兵器がどう変わるのか、興味あるわ。あっはっはっはぁ……>
ひとしきり笑った後、急に黄の「声」が遠くなる。
<黄?どうしたの?>
<……ゴメンね。わたしね、そろそろ駄目みたいなんだ。>
レイは、はっとする。
今まで物心ついた時から、「話し」あっていた姉の様な存在である黄。現在のレイがあるのも、ある意味で彼女のお陰なのだ。黄は、どんな時でも弱音を吐くことは無かった。あの研究施設で自分の身体をずだずたにされた時でさえ、彼女の波動には「弱さ」は感じられなかったのだ。そんな黄をレイは、本当に実の姉の様に慕っている。
その黄が、今こんな弱い波動を出すとは。レイには、黄の言葉に返事が出来ない。
<……>
<身体がね、そろそろ限界みたいなの>
<……>
<残念だなぁ。レイとは一度「声」だけじゃなくて実際に会って話しがしたかった。アスカもそう。あの娘もたまに「声」を掛けてくれるのよ。見た目よりも優しいのね、あの娘。それからサードチルドレンも、最後に会いたかったわ、悲しい、私たちの兄弟。「力」という絆で結ばれた家族……ねえ、レイ?>
<……何?>
<なにか用事があるんでしょ?>
黄は、核心を突いてくる。だが、レイには答えられない。命令は出ている。でも、自分には出来ない。こんな黄に、とても自分は出来ない。
今の黄が彼女の「力」を使えば、本当に彼女の命取りになるかもしれないのが分かるから。
彼女の強力な「力」が時々制御しきれなくなる事は、よく知られている。その「力」に彼女の身体が持ちこたえられるとは、レイにはとても思えなかったのだ。
相手の出方によっては、勿論、それは現場にいるアスカについても同じ事なのではあるが、自分の大事な「兄弟」を失うかもしれない事をレイは恐れている。
どうしよう。レイの心の中のそんな葛藤が、黄にも伝わる。
しかしそれに構わず、黄は続ける。
<わたしの「力」が必要なのね?>
<……そう。司令の命令が……>
<碇司令か、懐かしいな。……皆、元気?葛城部長、日向曹長、伊吹さん、そうそう、司令の奥様、なんていったっけ……そうユイさん。赤木博士に、冬月副司令も>
<ええ、みんな元気よ>
<そう、良かった。……わたしやるわよ。レイ>
レイはその黄の言葉の中に、確固たる意思を認める。顔を上げるレイ。
<それで皆に恩返しが出来るのなら、わたし、やるわよ>
<そう、分かった>
<心配いらないわ。そうすぐには逝ったりしないから、ね>
<うん、……うん>
<じゃあ、サポートして、レイ>
椅子に腰掛けたレイの周りに、青白い光が現われる。レイの身体を包んだその光は、次第に強さを増して行く。
やがて、目を閉じた彼女の顔を覆う光りが、徐々に形を伴って凝縮して行く。そしてその光りはレイの顔に被さる様に、染み込む様に、強さを増す。
レイの顔に、黄の顔が重なる。光りが強烈にはじけ、部屋中に行き渡る。真っ青な光りに満たされた部屋は、一瞬の後に元の薄暗いたたずまいに帰る。
そして、綾波レイは椅子に座りながら、一筋、我知らず涙を流している。
*
富士山の麓に、富士戦略自衛隊兵装開発部の施設がある。
主に次世代の兵器開発を民間企業との合同で行い、サンプルの保存、テストを行っている。
見た目には平凡な倉庫と事務所が並んだ姿をしているが、その実態は敷地内の地下に何層もの階層を持つ巨大施設である。
事務所の最上階。当施設の所長室がある。
その日、所長は予定していたゴルフをキャンセルするはめになった事で、秘書が見ても不機嫌な表情をしている。昨夜突然届いた連絡により、所長はこの施設に今日一日詰めていなければならなくなったのだ。
一体、自分がここにいて何をすればいいのか。彼には何の説明も無かったのだ、不機嫌になるのも当然だろう。ただ「委員会」からの命令だ、と上司は連絡してきたのだ。長官命令である、とも付け加えて。
秘書に命じて届けさせた昼食を食べ終え、彼は自室でゴルフクラブを手にすると素振りを始める。
(今日はどうも調子が悪い。やはりキャンセルして正解だったか。)
彼が自分で自己採点しながら素振りをしていると、
「外線7番にお電話です」
秘書がインターフォンでそう告げる。
それを聞いた途端、所長の顔に緊張が走る。外線7番は、守秘回線である。ただの電話ではない。それは、恐らく自分を今日一日ここに詰めさせた理由が分かる内容であるはずなのだ。
所長はクラブを投げ捨てるともどかしげに自分の席に戻り、受話器を取る。
しばらくその声に聞き入った後、
「かしこまりました。すぐさまその様に手配いたします」
そう言って受話器を置く。
暫く固まった後、
インターフォンに手を伸ばす。
「技術1課の佐々木君を呼べ」
秘書にそう告げて沈黙する。
やがて、技術1課の佐々木課長が、所長室に姿を表わす。
「お呼びでしょうか?」
眼鏡を掛けた丸顔の太った男が入室する。
「今、上層部から命令があった。これからすぐにA-17を起動させる」
「は、A-17ですか?あれは確か2ヵ月前に凍結されて……」
「凍結は本時刻をもって解除。ただちに作業にかかりたまえ。ただし、作業は君一人で行う事」
「りょ、了解しました」
所長は自分の腕時計を見た後、
「今から2分後に本相からデータが送られてくる。起動時にはそのデータを入力する事。それから正確に15分後には起動が終了している様に。いいかね?」
佐々木課長は、それを聞いてから一礼の後、所長室を退室する。
「ふむ。何をするつもりなんだ、上は」
一人残った所長は、そう独白く。
所長室を出た佐々木課長は、急いでリフト乗り場に赴きその一つに乗り込むと、地下4階へ降りて行く。
いくつかのセキュリティーに守られた扉を潜り、彼は数々のサンプルを貯蔵している倉庫に入る。厳重なロックが施された扉の一つ一つに番号がふってある。静かに、迷うことなく真直ぐに彼は「A-17」と書かれた扉の前にたどり着く。
彼は、ため息を一つ付くと、その扉から離れ、奥にあるコントロール室へ向かう。
一つのスイッチを押すと、システムが既に立ち上がっている事を伝える。彼は傍らのキーボードに手を伸ばし、電源を入れたモニターの一つを見つめながら入力を開始する。
ひとしきり入力すると、モニターからデータをDown Loadしている状況が報告される。暫くそれを見つめて待つ。やがて作業が終了した事を、システムが告げる。
その後彼はまたキーボードで入力を再開する。流れる様なキーを叩く音だけが響き、やがてEnterキーを彼が押すと同時に、全てのプログラムと先程Down Loadしたデータが機械合成音と共に目標に流れて行く様がモニターに写し出される。それと共にこの施設のサブ電源の回路が切り替わり、ケージナンバーA-17に接続された事が報告される。
佐々木課長は無表情でモニターを見つめ続けている。
モニターは、ケージA-17の中にある物の起動状況を報告し続ける。
やがて、炉心が臨界点に達した事を告げる。
彼は、それを見ると、再びキーボードに手をやり、入力する。「ANGEL START」と。そして、しばしためらった後、Enterキーを押す。
*
ネルフ本部。作戦発令所。
碇司令はじっと目の前のモニターを注視している。身動きもしなければ、一言も発しない。
そして、発令所全体が沈黙に包まれている。
やがて、オペレーターの声がその沈黙を破る。
「富士裾野に核融合反応」
「場所は戦自の兵装開発部です」
それを聞いた碇司令は、初めて身体を震わせる。
「ま、まさか。あれを使うの?」
リツコが呆然とした様に独白く。
「なに、リツコ、あれって」
振り返ってミサトが聞く。リツコは明らかに動揺している。そんなリツコに驚くミサト。彼女とは長いつきあいだが、この様に動揺したリツコを見るのは初めてなのだ。
「まさか、完成していたなんて……」
ミサトの声が届かないのか、リツコは独白き続ける。
「な、何なのよ!あれって!」
ミサトは声を荒げて聞き直す。リツコは我に帰ると、ミサトに目を向ける。
「生物兵器よ。「委員会」が開発している対人人型決戦兵器。いや、対「能力者」用のね」
「な、何?それ」
「確か、報告では試作品の製造が進んでいるとはあったけど、まさか投入するの?」
「だから、リツコ、それ何なのよ!」
二人の会話を遮るようにオペレーターの声が続く。
「核融合反応にかぶる様に強力なE反応発生!」
「反応源は同一の目標です!」
「間違いありません。どんどん強くなります。こ、こんな。これは人間の出す数値じゃない!」
それまで黙っていた冬月コウゾウが、そっと碇ゲンドウに話しかける。
「碇……」
「ああ、間違いない。使徒だ」
*
アスカは相変わらず、一人で廊下を歩いている。
4階のエレベーターホールにたどり着くと、足を止める。
さっきからわずかに口の中に感じる違和感、金属を舐めた様な痺れる感覚がある。こめかみを押さえ付けられた様な妙な感覚。
(そう。確か昔、感じた事がある。こんなの……)
アスカは暫く立ち止まった後、すぐ側の一室のドアを開け、入って行く。そこに誰も
いないのは「覗く」事によって分かっている。一度も立ち止まらずに窓の方へ歩く。
窓を開け、空を見上げる。
(何か、始まるんだわ、きっと。何か、そう、とんでもない事が)
彼女の超感覚が、本能が、何かが起きようとしている事を告げている。警告しているのだ。
<レイ。何が始まるの?>
答えは無い。
<レイ。どうしたの?聞こえないの?>
そこに、レイでは無い「声」が帰ってくる。
<アスカ、聞こえる?アスカ>
<!黄?黄なの?アンタどうしたのよ、一体?>
<今、レイと「話」してたとこ。久し振りね、アスカ>
<何よ、それどころじゃないでしょ!どういう事?レイとの「話」って、アンタの「力」を使ってなに始めようってぇの?>
<それは、わたしが聞きたいわ。何でも、碇司令の命令だって、レイは言ってたけど?>
<司令が?そ、そんな、アンタの「力」なんか使ったら街ごと吹っ飛んじゃうじゃない!>
<やあねぇ、それくらいコントロール出来るわよ。それに今はレイとシンクロしてるんだし。この娘が抑えてくれるわよ。アスカのサポートをしろって事らしいわ。つまり……>
<つまり、何>
<わたしの「力」が必要な、何かが始まるんでしょ、多分>
<……>
<アスカも感じてるんでしょ?あれ>
<……う、うん>
アスカは自分の感じている予感がどうしても気になっていたのだ。だが、彼女は作戦発令所へ「声」を掛けてはいけない事になっている。アスカには訳が分からないが、レイに「声」を掛ける以外、ミサトやほかの本部の能力者へのコンタクトは、敵に内容や本部の位置を探知されかねないから、との理由で禁止されているのだ。
<ねえねえ、ところでアスカ>
と、黄が先程までとはガラリと変わった調子で「声」を掛ける。
<な、何よ>
とっさにとまどうアスカ。何か、嫌な予感がする……
<サードチルドレンってどう?>
<ど、どうって、なにがよ>
<いやー2ヵ月もびっちり付いてたんでしょ?あなた>
<そうよ、それが?>
<恋にでも落ちたかなぁーってね>
<バ、バカ!?そんな事ある訳ないじゃない!あんな頼りないヤツ!>
いきなり真っ赤になって怒鳴るアスカ。平然として続ける黄。
<あれぇー、そう?でも見せてもらったわよぉー、わたし>
<な、何をよ、一体>
(ア、アタシ、なんかまずい事してたかしら?……全く、だから黄は困るのよ。寝たきりでいるからこんなに出歯亀な性格になっちゃって)
<なあにい、アスカ。今なんか考えてたでしょう>
<何でもないわよ!>
<そうかしら?忘れてない?今わたしレイとシンクロしてるのよ。「見え」ちゃうよ、アスカの考えなんて>
(ぎくっ)
忘れてた。レイの「力」を借りれば何でも「見え」ちゃうんだ……
<それで。何を見たのよ、黄?>
アスカは開き直る事にする。
何を見せたのか知らないが、後でレイをとっちめてやる。そうアスカは心に決める。
<別に、たいした物じゃないわよ。それより、どうなの?図星?もしかして>
<だからあ、そんな事ないって言ってるでしょ!>
<そうかなぁ。でも彼優しそうじゃない>
<あ、あ、あれはね、優しいなんて言うんじゃなくて、馬鹿なのよ。ただの>
<ふふっ。やっぱりね>
<やっぱりって、何がよ>
<アスカのそういうの、初めて見たよ、わたし>
<?>
<昔だったら、「アタシには他人の事なんか関係ないわ」の一言で終わらせてたじゃない。すっごく冷静で、氷みたいに冷たくて、二の句を継がせない様な調子でさ。そんなにうろたえて否定する所を見ると、やっぱりアスカも女の子なんだなぁってね>
<ふ、ふん。そんなんじゃないったら>
<はいはい。分かった分かった。……からかって悪かったわね>
<……本当よ。今はそれどころじゃないっていうのに>
<そうね。もうやめましょう。今は>
黄は、そう言って言葉を止める。
そしてアスカも辺りに改めて集中する。だが、黄が最後にごく小さい「声」で言った言葉に、アスカは気が付かなかった。
<……アスカのそんな姿が見れて良かった……わたしの大事な妹……>
*
「渚」
ノブがカヲルのすぐ横に出現する。
「全員撤退終了した。一体、どうなるんだ、これから?」
カヲルは、ビルを見つめたまま、ノブには顔を向けない。ただ一言、
「ビルの敷地内全てを囲んで結界を張れ。「跳躍」で逃がすなよ」
「分かった」
ノブは、それだけ言うと、自分の持ち場へ戻る。
カヲルは、かたわらのサチコに目を向ける。
「これから先は、サチコには辛いかもしれないね、見るのが」
サチコは、大きな黒い眼を見開いてカヲルを見つめる。
「見るのが嫌だったら、そうして僕の顔を見てればいいさ」
そう言うと、カヲルはまたビルへと視線を戻す。
*
富士戦略自衛隊兵装開発部、地下4階。
ケージナンバーA-17に、異変が起きている。
夥しい熱と光りが内部に充満し、高まる圧力に隔壁が悲鳴を上げる。
コントロール室にいる佐々木技術一課長の目にも、それは映っている。彼の顔に緊張が走る。全身を汗が冷たく濡らす。
2ヵ月前のテストの時の記憶が蘇る。
あの時は、奄美諸島の無人島でテストを行った。起動には成功したものの、プログラムの一部にバグが残っていた為に挙動管理が行いきれず、結果としてその島を丸ごと消し去ってしまったのだ。
その後機体の回収に非常な労力が費やされ、報道管制の元、事件は世論から目隠しされたままになっているのだ。この2ヵ月、原因の究明と、プログラムの書き換え、バグ取りが徹底して行われているが、その時の事故の後、この機体は凍結されたままとなっていた為に起動実験は行われていない。
もし又制御不能に陥ったら……
彼は今後悔している。やはり、起動すべきではなかったのではないか、と。たとえそれが上司の命令であったとしても。
だが最早、後戻りは出来ない。彼が、パンドラの箱を開けてしまったのだ。
突然、彼の視界が真っ白に変わる、いや、地下4階のフロア全体が白い光りに包まれる。同時に高波長の音響が耳に突き刺さり、それが長く続く。彼には、それが何十分にも感じられたが、恐らくほんの数秒。そして、地下4階フロアが静寂を取り戻す。
佐々木は、恐る恐るコントロール室を出、A-17の前に向かう。震える手で自分のセキュリティーカードをだしスロットに差し込むと、パスワードを入力し、センサーに左手をかざす。
歪んだ扉がゆっくりと耳障りな音を立てながら開いて行く。彼は扉が開くのをもどかしげに待ち、中に視線をあわせる。
そこには、この部屋の主を拘束していた金属片が引き千切られて床に転がっている他は、既に何者の姿も無い。
佐々木技術第一課長は、ケージの前に立ち、呆然とそれを見つめている。
*
間宮シンジは、2階の部屋に一人でいる。
アスカとの約束を守り、一歩もこの部屋から出ずに、アスカの帰りを待っているのだ。
最初はあちこちから聞こえてきていた、アスカが原因であろう音響が、この何分も跡絶えている。最後に聞こえたのは、上の階で起きた爆発音であった。それから15分ほど、このビルの中は静まりかえっている。
(アスカに何かあったのかな)
シンジは、この部屋を出て行くアスカの最後の言葉を思い出す。
「アタシは心配いらないわ」
しかし、余りに長すぎる沈黙は、シンジの心配を助長する以外に何の助けにもならない。
(いくらアスカが強いっていったって、相手はあんなに数が多いんだ。それに、皆アスカと同じ「力」が使えるんだし。大丈夫かな、アスカ)
彼は窓の側へ歩いて行く。
窓の外には、再開発地区の殺伐とした風景が広がっている。瓦礫の山、半ば取り壊されたビル群。それは、以前写真でみたことのある戦時中の空襲後の市街地の光景をシンジに思い出させる。
シンジは部屋の中ほどに積んである、もとは内装品であったゴミに歩み寄ると、それをしばらく見つめる。
木材や、剥がされた壁紙、割れたタイル等が申し訳程度にそこに寄せ集められている。
ふと気付くと、小さなタイルの破片がその山から幾つか転がり落ちる。
「?」
部屋が、揺れている。
先程までの音響や爆発とは違い、ビル全体がその細かい振動に包まれている。
次第にその振動が変化し、目に見える横揺れとなって大きくなる。
ゴミの山が音を立てて崩れ、天井からたくさんの埃が降ってくる。
「な、何だ?地震?何が起きるんだ、今度は?」
シンジは立っていられなくなり、膝を付く。
そして、その彼の目の前に、
突然、「それ」が現われたのだ。
「シンジ!」
アスカの声が遠く耳に入る。
シンジはその声に動きもせず、「それ」を見つめ続ける。
目の前の「それ」が何なのか理解も出来ず、ただ目を向け続ける。
あとがき
Stage 5 使徒 でした。
状況がちっとも先に進まず、どうにも困りました(笑)。
とりあえず次回はアスカをちょっと(物理的に)「壊す」事になりそうです。
スプラッタ物はわたし自身余り好きではないので、大した描写はしませんが、
よろしかったら次回もどうぞおつきあい下さい。
以下は言い訳。
全く緊張感の持続しない駄文に我ながら呆れているishiaですが、
黄麗華を出したのは失敗だったかもしれません。
当初は名前だけで、本人が登場する予定はなかったんですが、「どうしても会話がしたい」との本人のたっての希望で(笑)、急遽出番を作りました。
ところが彼女はあの性格なんで、どこに挟んでも集中力をぶち壊してくれまして、殊にアスカとの会話は、何度も没にしようと迷い、結局は残す事にしました。
もう、読み返す気力も失せました(爆)。
一言で結構ですので、貴方の感想を是非聞かせて下さい。待ってます。
それでは、また。
ishiaさんの『Episode/少年〜シンジ〜の場合』Stage5 、公開です。
出てきますね、”使徒”が。
敵一人一人を個別撃破!
頭を使い、
力を使い、
アスカの独り舞台(^^)
ここまではまあ順調に敵を切り崩していましたが・・・
次回では[(物理的に)「壊す」]なんて事態に (;;)
シンジの前に出現した使徒。
シンジ・・早く覚醒しておくれ・・・
さあ、訪問者の皆さん。
貴方の感想を文章にして、ishiaさんに届けましょう!
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