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新武蔵野市。
わずか百年前には多くの文筆家の想像力を刺激し、数々の詩歌・散文にその美しさを謳われた雑木林も、今は見る陰もなく、現代的な高層建築に取って代わられている。

あの、未曾有の大災害から15年。
半ば海中に没したかつての日本の首都、東京に代わり、日本政府は旧埼玉県西方約200Km四方の山あいの地域に遷都、強権により新たにそこを「第二新東京市」として首都機能の移転を既に終了している。
かつて旧東京都のベッドタウンとして開発され機能してきた武蔵野市は、首都移転に伴い現在は第二新東京市のそれとして再開発の対象となり、名称と共にその姿すら変えてしまっている。
多くの国同様、大災害からほどなくして勃発した局地的な動乱は、この国の経済にも影響をあたえ、大多数の国民に不安と混乱を招いたが、国連の主導によりその動乱も今は沈静化しており、勢力図的に、且つ地理的にも世界地図を書き換えさせた通称「モダニティ・インパクト」の影響は、ここに住む住民の姿を見る限り見られず、却ってそれが既に過去のものである事を感じさせる。

だが、その新武蔵野市にも、未だその変化について行けないでいる、場所がある。
新武蔵野市、再開発予定地区。
市の中心部から西方へ数時間ほど歩くと、突然目にはいるのは20世紀の遺物とも言うべき雑然として薄汚れた町並。もちろん、そのほとんどは既に取り壊しが終了しており、今行っても瓦礫の山と、取り壊しを待つだけとなっている昔ながらの建造物しか残っていない。
その景色の中で一際存在を主張している廃ビルが一つ。周りが無くなって初めて気が付くほどの無個性な7階建ての雑居ビル。
そしてそこに今、二人の少年少女がひっそりと身を隠している。






EPISODE
少年−シンジ−の場合



Stage 4 苦痛






第三新東京市。
国連直属秘密組織「ネルフ」本部。
作戦発令所。
断続的に状況をモニターし、報告するオペレーターの声だけがその部屋に響く。
「800前に発生していた反応消失」
「E反応が指向性のものから変化。拡散していきます」
「強力な磁場が発生。新武蔵野市の全域を覆っていきます」
「いやになるわね」
葛城ミサトがつぶやく。もちろん、彼女を始めとする能力者には現地の映像がレイを通して伝わっている。片手で頭をかきながら、
「とりあえずは、包囲から逃れたのね。まぁ、良しとするか」
「これからどうするの?」
と、これは傍らにいる赤木リツコ博士。
「まあねぇ。こちらから迎えに行くわけにもいかないしねー。ともかくは現状のままホールド。様子を見るしかないでしょう。いずれ、すぐに発見されちゃうとは思うけど、ね」
「ずいぶんと消極的ね。あの歴戦の勇士、伝説の葛城ミサト一尉の言葉とは思えないけど?」
「あらー失礼ね。現状維持っていうのも立派な作戦よ。それに、何か新しい動きでもないと、状況じゃアスカにまかせるしか手はないもの」
「葛城さん。やはり私が行きましょうか」
その時、二人の背後から声が聞こえる。
「日向クン……」
リツコ博士が振り向いて答える。
日向マコト曹長。ネルフ作戦本部葛城本部長の補佐を勤める。彼も、能力者である。
「あたしだってねぇー、本当だったら飛んで行きたいのよ、日向くん」
ミサトは振り返りもせずに言う。
「だったら、何故?」
マコトの言葉に、ミサトは初めて振り向いて答える。
「あなただって、分かってるでしょ?あたし達が現役だった頃と、あの子達とじゃ違うって事」
「……」
「確かに、卑怯な言い方かも知れない。それを理由に結局あたし達はあの子達を利用しているんだから。でもね、日向くん。あの子達と今のあたし達、プレ・モダンの世代とは「力」に大きな開きがありすぎる。発現する能力に差がありすぎるのよ。ことに戦闘においてはこの差は致命的だわ。それが事実。そうじゃない?」
「確かに、そうですが」
「それに、相手は日本政府なのよ。強権を発動されて戦略自衛隊でも投入されたら厄介だし、ね。……とにかく、この話はこれでおしまい。作戦立案段階で棄却した話を改めて持ち出すのは以後止めなさい。いいわね」
これは、階級の上の者が部下に対してかける言葉ではない。今回の作戦の立案時に彼は同様の申し立て−彼女のサポートに自分も出る事−をしたのである。マコトが本気でアスカを心配している事はミサトにも良く分かっている。彼とは、長い付き合いなのだ。泥沼の闘いに明け暮れた日々、幼かった頃の苦い記憶……。
だが、敵に対する認識が甘かった事を、後で彼女は思い知る事になる。
ミサトのくだけた表現に対して、
「了解」
マコトは態度を正し改まって答える。
ミサトは前に向き直ると、
「レイ、とりあえず、聞いての通り。現状のままホールド」
レイに「声」を掛けると同時に肉声で同じ事を伝達する。
「人類の未来は、いつの時代でも結局子供達に委ねるしかないのよ。当時のあたし達がそうだった様に。そして今はあの子達に……」
ミサトは、肺にたまった息を吐き出すと、自分の席に戻る。
椅子の背持たれに深く身体を預け、静かに目を閉じる。
(祈っている様だ……)
マコトはそんな彼女の姿を見てそう考える。
そしてミサトの姿を見てそう感じたのは、一人マコトだけでは無かった。








「しっかし、ひっどいところねぇー」
開け放った窓から身体を乗り出して、目に入る風景に文句を言う少女がいる。
振り返って部屋の中を改めて見渡し、
「外も中も変わん無いじゃん」
とこぼす。
ほんの5分程前、少女と少年は音もなく忽然とその部屋の中に姿を現わした。そして少女は現われるとすぐさまこの部屋を隅々見て周り、中の様子を物色し、何もない事が分かると窓の側へ赴くこともなく、全ての窓を「開け放った」のである。
そこは、恐らく元は小規模のオフィスででもあったのか、机や配線の引かれていた痕が床に残り、しかも壁や天井は既に内装の取り壊しの済んだコンクリート向きだしの状態で、窓から入る眩しい陽光のおかげで室内は明るく照らされているが、そのままで人がそこにいる事が不自然に感じさせる雰囲気を、こもった空気の中に感じさせている。
そして少女と一緒にこの部屋に現われたもう一人、少年の方はどうしたかというと……
気分でも悪いのか、壁に寄りかかり座り込んでしまっている。
少女が窓の前に立ち、そんな少年に声をかける。
「大丈夫?シンジ」
少年は声も出せないのか、少女の声にうつむいていた顔を上げると、ぎこちない笑みを作る。
「初めてだったからね。でもすぐに慣れるわよ、きっと。アタシの知り合いなんにかは何度「跳ん」でも駄目だっ、ていうのもいたけどね」
シンジは返事をしようとして、声を出そうとした時にまた顔をしかめてうつむいてしまう。
「そんなに気持ち悪いの?たかがこんな短距離ジャンプで」
「……アスカは自分の事だからそんなふうに言えるんだよ……」
弱々しい声。相当気分が悪いのだろう。
「しょうがないわねぇ。しっかりしなさいよ、男の子でしょ?」
「……関係無いじゃないか、そんなの」
「関係あるわよ!男はいつもシャキッとするの!いい?そんな事じゃこの後大変よ」
(また、これを味わうのか、この後も……)
うんざりしながら、ふと気が付いた様にシンジは尋ねる。
「ところでさ、これから最終的には何処へ行くの?」
「第三新東京市よ」
(第三新東京市。遠いなぁ、また……)
シンジは暗澹とした気分に襲われる。








新武蔵野市立第二中学校。
突然発生した生徒指導室での爆発・出火は、今その消火作業が始まった所である。
消防隊員の到着により、校庭での騒ぎがまたひとしきり大きくなる。生徒達はそれぞれにこの事態に興奮し、ある者は午後の授業がつぶれる事に感謝し、ある者は消火作業を始める消防隊員の動きを遠巻きに眺めている。
火災が沈静化すれば、原因の調査が始まるであろうが、いずれにせよ、その出火原因は「不明」という事で処理される事になるだろう。最後にその部屋を使用した男達の存在は、恐らく握りつぶされ、外に漏れる事はないのだから。

そして、その屋上。
11人の子供達がそれぞれてんでバラバラにたたずんでいる。
中の一人、お下げ髪をした少女が、銀色の髪をした上背のある少年に声をかける。
「いた。いました。ここから西方へ約10Kmの所にあるビルの2階です」
その声で、周りにいる全員に瞬時に緊張が走る。場の空気が膨れ上る様な圧力が生じる。
「よし、全員移動するぞ」
報告を受けた銀髪の少年が周りの子供達を見回して言うと、そのまま姿を消した。
そして次の瞬間に、残り全ての子供達の姿がかき消す様に居なくなる。








「ねえ、どうしたの?」
さっきから何も言わずに窓の外を見ているアスカに、シンジが聞く。大分具合が良くなった様だ。
「……ついてないな、って思ってたの」
アスカはシンジに向き直り、そう答える。そして重ねて、
「せっかく一張羅を着てきたのよ。この服、お気に入りだったのにな」
シンジはちょっと呆気に取られる。てっきり「ついてない」理由が今の状況にあるのだと一瞬思ったのだ。それが単に女の子らしい発想だった事が分かり、シンジには目の前の少女が等身大に見えると同時に、何だか微笑ましいものに映る。だが、アスカの言う本当の意味はシンジには汲み取れていない。
(その服、よく似合ってるよ……)
そんな言葉も、気の利かないシンジの頭からは出てこない。代わりに、
「アスカって、すごいんだね。ねえ、アスカって、何でも出来るの?」
無邪気な好奇心を剥きだしにする。
「まっさかぁ。魔法使いじゃないんだからね……でも、大概の事は出来るわね」
アスカは余り気乗りのしない様子でそう答える。
「大概って?」
「アンタ、超能力って知ってる?」
「うん、名前ぐらいは」
「超能力って言われる力にはどんなのがあるか言ってみなさいよ」
シンジは頭を捻りながら、指折り数え、
「えーっと、まずテレパシーだろ、それから透視、PK(念動)、テレポーテーションに……」
自分が知っている幾つかの名前を挙げる。
「とりあえず今アンタが挙げたものは使えるわ、アタシ」
「へーっ。凄いんだね、アスカ……さっき男の子が言ってたもんね、世界最高だって」
シンジは、アスカが暗い顔をしている事に気が付かない。「力」の話にふれてから、アスカの声の調子まで変わったというのに。
「アンタは……」
「えっ?」
「アンタは何とも無いの?そんな人間が側にいて」
シンジはやっと、アスカの変化に気が付く。だが、理由が分からない。だから、その問にも答えが出せない。
「アンタは、アタシが怖くない……の?こんなアタシが」
何となくアスカの言ってる意味は分かりかけてくる。でもかける言葉が見つからない。
「アタシにはね、アンタの考えてる事が読めて、アンタを傷付ける事だって出来るのよ、指一本触れずにね。それでも、「へー凄いんだね」なんてのんきに言えるの?アンタの目の前にいるのは、人間の形をした化け物かもしれないのよ?」
その時、シンジは弾かれた様に叫ぶ。
「ち、違う!違うよ!アスカは人間の形をした化け物なんかじゃない!だって、だ、だって……」
「だって、何?」
「だって、さっき、分かったよ、僕。アスカの中に入って、僕はさっきアスカと一つになれた様な気がして……そこは、とっても暖かくて、優しくて、その、あの、えーっと、とにかく、そんな心を持つアスカが化け物なわけないよ!」
顔を赤く染めながら、シンジは一生懸命言葉を探す。そんなシンジをアスカは黙って見ている。
「それに、それに……、アスカは僕を助けてくれたじゃないか!危ないのに、あんなに相手の数が多かったのに、僕をおいて逃げちゃえばいいのに、アスカは僕を助けてくれたじゃないか!」
「馬鹿ね、アンタ」
アスカは、やっとそれだけ言うと、シンジから目をそらす。少しホッとした様な、恥ずかしい様な、うれしい様な、複雑な気持ちが混じりあった横顔。
化け物と蔑まれる事はよくある事。怖がられたり、うとましがられたり、嫉妬されたり。だから気にはしない。いや、しないようにしている。だが、いくらそれに慣れようとしても、受ける悲しみを忘れる訳じゃない。全身を駆け抜ける怒りを忘れる訳じゃない。だから、シンジの言葉はうれしかった。例え、シンジがサードチルドレンであるとしても。
「まあ、それはいいわ。でもね、世界最高はアタシじゃないわ」
気持ちを切り替えて、アスカは続ける。
「世界最高は、世界最高なのは、多分、シンジ、アンタよ」
「へ?僕?何で?」
「さっきはああ言ったけど、アタシにはね、アンタの思考が読めないのよ。時々こぼれてくる考えは掴える事が出来るんだけど、アンタの思考を「覗こう」としても、出来ないの。ううん。アタシだけじゃない。あのレイでさえ、アンタの思考には入り込めないって言ってた。今も、アンタの考えている事は、アタシには「見え」ないの」
アスカの言葉に、シンジは何も言えない。
「たまに、能力者でない人にもいるの、そういうの。でも、それは瞬間的なものでしかない。たとえば、スポーツ選手とか、修行を積んだような人とか、そういう集中力の強い時に、読めない事はあるわ。でも、アンタのはそういうのとは違う。意識してブロックしてるとか、集中してるとか、そういうんじゃなくて、弾かれるのよ、アタシ達の思考波が、アンタに」
そこでアスカは少し窓の外に目をやり、そして更に続ける。
「アンタにとってはアタシに会うのは今日が初めてだけど、アタシは今日が初めてじゃないのよ。この2ヵ月、ずっとアンタをマークしてたの、アタシ達。それでね、分かったの。アンタの思考に入り込むには、アンタが寝ている時じゃないと駄目だって事が」
「じゃ、あの夢は……」
「そう、この4月から、レイはアンタへのコンタクト、アタシは付きっきりのガード。二人でいつもアンタの側にいたのよ。でもね、レイは結局直接アンタにコンタクト出来なかった。寝ている時にイメージは送れても「声」は届かなかったもの。最初は感度の問題もあったんだけど、少なくともアタシの「声」は伝わる様にはなった見たいだけど、でも今でもはっきり覚醒している訳じゃないもんね、アンタ」
そうか、あの夢はそういう事だったんだ。いつも見ていた夢。さっき屋上でアスカの手を通して伝わってきたイメージ。それからたまに感じてた「声」も。え?と、言う事は……
「じゃあ、今日授業中に居眠りしてた時に聞こえたのは……」
「そう。アタシの「声」。アタシの「声」はレイのそれよりは弱いんだけどね。でも、……って事はアタシだけがコンタクト出来たのよね、シンジに」
ちょっと誇らし気に、アスカは答える。その瞳に真剣な色が宿る。シンジの背後の壁に目を向ける。
「……」
「ア、アスカ?」
「まあ、とにかく、そういう事。話は後にしましょ」
そう言うと、アスカは黙ってシンジを横に退けると壁に向かってゆっくり歩き出す。
壁の前に立つと、右手を壁に伸ばす。

シンジは見た。
アスカの右腕が音もなく壁に吸い込まれ、肘まで壁に埋ったろうか、動きを止める。
何かを探っているのか。アスカがシンジに向き直って言う。
「見つかったわ。アタシ達」
そして一気に右腕を引き出す。
その手が何かを掴んでいる。
それは。
シンジには見覚えがある。チルドレン。さっき学校の屋上で自分達を取り囲んだ子供達の一人。
アスカの手が、その少年の首を掴んで壁から少年の身体を引き抜く。アスカの腕の動きに合わせて、徐々に壁から少年の身体が引き出されてくる。
異様な光景。まるで水の中に突っ込んだ手を抜き取る様な無造作な動き。少年の身体は完全に壁から出、そのまま首を掴まれたまま床に倒れ込む。後の壁の表面には、穴も何もない。
パチッ!
生徒指導室で聞いたあの音がまた響く。今度はシンジも見た。アスカは右手で少年の首を掴んだまま左手を少年の額の部分に当てる。そこに電流でも流れたのか、あの音と共に微かに火花の様な光が見え、少年はそのまま動かなくなる。
横たわり動かなくなった少年には気にも止めず、アスカはシンジに向き直る。
「シンジはここに居て。この部屋から出なければ危険はないから。いい?直ぐ戻ってくるわ」
「うん。わ、分かった」
「本当にこの部屋から出ちゃ駄目よ!」
「分かったけど、アスカは……?」
「アタシは心配いらないわ。ちょっと片付け物をするだけだから」
そう言い残して、アスカはシンジを残し部屋を出て行く。
もちろん、出て行く前に倒した少年を「片付ける」事も忘れなかった。
シンジは、さっきアスカが少年を引っぱり出した壁に向かう。壁にそっと手を伸ばして見て、
「やっぱり、ちょっと怖い、かな」
と独白く。








アスカは部屋を出ると、綾波レイに「声」を掛ける。

<「現状のままホールド」だなんて、結局アタシに何から何までやらせるつもりなのね、ミサトは>
<……だって、作戦だって、葛城部長は言ってるわ>

綾波レイの感情のこもらない「声」が答える。
<まあ最初っから分かってたけどね、そんなの。「アスカ、ちょっち行ってきて」ってそれだけだったじゃない。まったく、「作戦」が聞いて呆れるわ>
<アスカ……>
<それよりも、どう、包囲してるの?アイツ等>
<ううん。取り敢えずは皆バラバラに行動してる。でも、多分一人が見つけたら皆集まってくるわ>
<そりゃそうでしょうが。なにしろ、相手はこのアタシなんだから。とにかく一人づつやるわよ。>
<……>

レイは沈黙を帰してくる。かすかなためらい。それがアスカに伝わって来る。
<何よ、なんか文句ある?>
<……相手も、チルドレンなのよ……>
<そうよ。それが?>
<……わたし達と同じ、チルドレンなのよ>
<そんな事、言われなくったって分かってるわよ!>
<……わたし達の「兄弟」なのよ>

そこで、アスカの感情が爆発する。
<分かってるわよ!そんな事!アタシだってね、好きでやるんじゃないんだからね!アンタだって、そこで「見て」るんだから分かるでしょ?アイツ等、本気なのよ。最初の攻撃だって、その次のやつだって、アイツ等本気でやってるのよ。本気でアタシ達を「消す」つもりでいるのが分からないって言うの?直接前線にいるアタシの身にもなってよ!レイはそこにいて「見てる」だけだからそんな事が言えるんじゃない?>
<……わたしだって、さっきやったわ……>

アスカは、はっとする。
<……レイ>
<わたしも、あの娘にやったわ>
<あれは、仕様がないわ。あの娘が極端に未熟過ぎたのよ>

アスカは、一寸言葉を途切ると、すぐまた続けて、
<やらなきゃ、やられるわ。アタシはそんなの御免よ。アンタの言うことはアタシにだって良く分かってる。出来ればアタシだってやりたくない。アイツ等が「兄弟」だって事も分かってる。でも、振り掛かる火の粉は、払い除けるしかないのよ。シンジを保護すると決めた以上、アタシはやるしかないのよ。それしか、この状況を変える方法は無いもの。それとも、他に何か道がある?アイツ等と戦わずにすむ方法がある?>
<……ない>
<だったら、やるしかないのよ、今は>

アスカは、半ば自分に言い聞かせる様に、自分自身を納得させる様に言う。彼女も、それが方便でしかない事が良く分かっている。本来ならば、彼等もシンジと同じ、自分達と同じチルドレンとして手を取り合うべき存在でこそあれ、戦う相手ではないのだ。本当に戦わなければならない相手は、他にあるはずであり、自分の「力」の存在理由は、そこにこそあるべきであると、彼女は考えている。
他人の「道具」である自分、他人の思惑に左右される「道具」としての自分、その行き方を捨てた時から、彼女は自分の「力」は仲間の為に、何より自分と同じ仲間達の為に使われるべき物だと規定する事によって、自分の「力」を容認して今までやってきたのだ。
(……でなければ、こんな「力」、自分にとって何の意味もない……)
自分に何故こんな「力」があるのかを考える瞬間は、彼女にとって非常に苦痛を伴う苦い時間でしかない。それは彼女がこの10数年過ごして来た間必ず自問する問であったのだ。答えの出ないその問いかけを繰り返す度に、彼女は、より深い脱力感に襲われる。そして次の瞬間、彼女はいつも自分に言い聞かせるのだ。「この「力」は戦士の力。この「力」は敵と戦う為にあるのだ」と。彼女の有する「力」が圧倒的に強大だった事も、それに拍車をかける。そう教え込まれ、その様に思い込むしか他に道がない環境下に、彼女はいたのである。
かつての彼女の仲間達−今彼女が言う「仲間」とは意味が違う−にとり、そんな彼女はやはり異質な存在だったと言える。そこには、本当の彼女を理解出来るものはいなかった。それは、他の仲間にとり、言い替えれば能力者にとっては、自分の「力」の存在理由など考える必要などない、自明の能力としてあるべきものであったからである。「力」とは、そのまま通常人と自分とを差別するものであり、それ自体がこの世で自分が「特別」の存在である事を、意味するものだから。優越感とエリート意識と。彼等にとり自分の「力」はそれらを与えてくれるという意味で、大事なものなのである。彼等はいつも考える。「力」は自分にあって当り前。何故なら、自分は特別な存在であり、だからその特別な存在である自分には「力」はあって当然の事である。そして、その「力」を持つ事により、自分はより特別な存在であるのだ、と。
アスカは、今苦々しい想いを味わっている。
先程の、あの少年の言葉を思い出したのだ。
彼は言った。アスカは「福音を得」たんだと、彼女は、それを広める「Evangelist」なのだ、と。
アスカは苦笑する。
(こんなEvangelist、どこにもいないわよ。嫌味にも、程がある。どこの世界に、自分の「兄弟」に手をかけるEvangelistがいるっていうのよ)
とにかく、やるしかない。出来るだけ最小限に。
彼女は、心を決める。
<レイ、いいわね>
アスカは、レイに念を押す。
<分かった>
レイは一言だけ、答える。仕方あるまい。状況では、他に思いつく手もないのだから。
レイは、現実のみを見つめる事にする。
<でも、ブロックされてるんじゃ?>
<この程度、大丈夫よ。何も地球の裏側まで「跳ぶ」っていう訳じゃないんだから。このビルの中くらいなら問題ないわ>
<そう。ならいいけど>
<レイ、サポート宜しくね>
<彼は、大丈夫なの?>
<ああ、シンジ?大丈夫よ。アイツの居る部屋はちゃーんとシールドかけてあるから>
<分かった。まずは……その左のドア>


それを聞くと、アスカはその左のドアには向かわずに右側の壁に向かう。そのまま、壁に当たり……自分の身体を壁の中に沈ませて行く。
数瞬後、アスカの姿は廊下から消えている。
と、同時に。
激しい音と共にドアが内側から弾け、反対側の壁にぶちあたり、乾いた音を立てる。
そのドアの在った空間には少女が一人右手を前に突き出した格好で立っている。
アスカを捉えたと確信したその少女は、目の前に自分が弾き飛ばしたドアの破片しかないのを見ると、すぐに自分の攻撃が失敗した事を悟る。
「はっ!」
我に帰った時には、天井から下りてきたアスカの攻撃を受けている。
何かの弾ける音。
それに続いて倒れる少女。それを見下ろし、
「甘いわ」
一人独白く。そして、
<大丈夫よ、寝てるだけだから>
アスカはまた壁の中に消えて行く。








二人の男が、リフトに乗っている。
一人は、黒髪に赤眼鏡の40代の男。
もう一人は、背が高く、白髪の初老の男
「碇」
初老の男が、一人に声をかける。「碇」と呼ばれた男は、「何だ」とだけ答える。
「これから、どうするんだ」
「どうもしない。予定通りに進めるだけだ」
「しかし、相手もチルドレンだぞ。一人のチルドレンを得る為にしては犠牲が大きすぎないか」
「仕方あるまい。彼等も必死だからな」
「しかも、今行っているのは彼女だろう」
「ああ。我々には持ち駒が少なすぎるからな。黄を行かせる訳にはいかんし、北米支部は今フォースチルドレンの保護の準備に追われている。こちらどころではないからな」
「しかし、彼女はNATOで訓練されている。仕掛けられれば身体が勝手に動くだろう。危険じゃないのか」
「問題ない。彼女はうまく立ち回れる」
「そうだといいが。俺としては現在確認出来るチルドレンは出来るだけ保護したいがな。それが我々の目的でもある」
「それは分かっている」
「だが」
「冬月。いずれにしても、サードチルドレンは我々には必要だ。老師の予言にもその事は謳われている。彼等の手に渡す訳にはいかん。例えその為に10人のチルドレンを潰す事になろうとも、な」
「そうか」
二人の会話が途切れる。ややして、
「……ところで、「委員会」の方に妙な動きがある。どうやら、試作品が完成しているらしい」
「試作品、というと、「あれ」か?碇」
「そうだ。もしかしたら、今回動きがあるかもしれん」
「完成したのか?遂に」
冬月は、独り言ともとれる独白きをもらす。
「同じ人間として、恥ずべき行為だ」
碇も、やはり独り言の様に独白く。
暗闇を静かに移動するリフトは、やがて指定された目的の階で止まる。






NEXT
ver.-1.01 1997-09/11公開
ご意見・感想・誤字情報などは ishia@hk.nttdata.net まで。


あとがき。

どうも、ishiaです。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
前回予告の内容と変わった物になってしまいました。ずっと書き進めているんですが、後から後から書きたい事が増えてきまして、本来のStage 4が非常に長くなってしまいましたので、これを今回3パートに分割してUpする事にしました。
なんだか予定(当初は7Stageで終わらせるつもりでした)が少し狂ってきています。
(おかしいなぁ。しっかり筋立てして書き始めたつもりだったんですけど。)
もし、よろしければ、今後ともおつきあい下さい。
感想(こんなのつまらねぇ!)、苦情(こんなのEVA小説じゃねぇ!)なんでも結構ですので、よし、メールでも出してやろう、とおっしゃる方、こちらまでお願いします。


 ishiaさんの『Episode/少年〜シンジ〜の場合』Stage4 、公開です。
 

 様々な重い辛い、思い。

 力を持つ故の、
 能力を持つ故の−−。

 やらなければやられる。
 でも、
 相手は兄弟。

 読んでいる方にも辛さが伝わってきます。
 

 葛藤を押さえ込んでの戦闘開始。
 まずは生き残ることなんでしょうか・・
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 メールを待っているishiaさんに応えましょう!


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