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「・・・・はあ。遅いなあ。アスカも、ミサトさんも。」
僕は呟いた。
窓の外は、既に暗くなっている。
壁にかかっている時計を見てみれば、八時をまわっていた。
「・・・・・・・・・・・・。」
僕は、何をするでもなくぼさっと椅子に腰掛けていた。
ここは、僕の部屋。
それなりに高級なマンションの一室であり、普通の中学生が一人で生活
している場所ではないだろう。
きちんと整理され、ぴかぴかに磨き上げられたキッチン。
主の性格を現しているようだ。
「・・・・・・・・・はあ。」
僕は何度目かの溜め息を吐いた。
今は、この広い部屋の中で独りきり。
アスカも、ミサトさんも今は学院に居る。
今帰るか、今帰るかと、うずうずしながら待っているのだけど、一向にドアの
チャイムはその音を響かせなかった。
・・・・・・・今日は、アスカの好きなハンバーグなのにな。
ぽつりと、そんな事を考える。
アスカには今日の献立は内緒にしてある。
帰って来た時、びっくりさせて喜ばせてあげたいという子供っぽい理由からだ。
『おいしいわよ!シンジ!特別に、誉めてあげる!』
にっこりと微笑んで僕を見つめる彼女の姿が浮かび、僕は恥ずかしくなる。
prrrrrr..........prrrrrrrrr.............
電話の着信ランプが突然赤い光を燈した。
ゆっくりと受話器を持ちあげる。
「はい、碇ですけど。」
「あ、バカシンジね!」
電話の向こうの声は、僕が待ち望んでいた声だった。
「そ、惣流。授業はもう終わったの?」
「んーん。それがねえ。かなり授業長引きそうなのよ。
 下手するとこっち出られるのは十二時過ぎになるかもね。
 だから、今日は夕飯いらないわ。こっちで適当に食べるから。」
「え・・・・・・・・。」
僕はちょっと悲しかった。
せっかくアスカのために準備したのに。
特売で買ってきた挽肉は、もう後は焼くだけで彼女に満足を提供出来た
筈なのに。
でも、まあ授業じゃしょうがないな。
アスカはなにしろ天才的な魔法使いなんだから、授業もみっちり仕込まれる
に決まってる。
「うん・・・・・・分かった。夜遅くまで大変だね。無理しないでよ。」
「なあに言ってんのよ。あんたなんかに心配されちゃお終いよ。
 ・・・・・・え?何?」
彼女の電話の声が、後半ちょっと遠くなる。
どうやら傍に居る別の人と話しているらしい。
「あ、シンちゃあん?」
声ががらりと変わった。
「あ、ミサトさんですか?」
「そうよお。ごめんねえ。愛しのアスカとのラブコール、邪魔しちゃって。」
「な、何言ってるんですか、ミサトさん!」
思わず怒鳴ってしまう。
受話器の向こうで、アスカの同じ様に怒鳴っているのがかすかに聞こえた。
「まあ、さっきアスカが言ってた通りなんだけど、授業が長引いちゃってね。
 あたしもちょっと今日中には帰れそうにないの。
 だから悪いんだけど・・・・・・・・。」
「はい。いいですよ。どっちみち、夕飯これから準備するところでしたし。」
「悪いわねー。じゃっ。」
「じゃあねバカシンジ!」
ぷつっ。
最後に再びアスカに替わって、電話は切れた。
ツー。ツー。ツー。
受話器をだらりと右手に下げたまま、僕はしばらくぼんやりと立っていた。
そして、呟く。
「なんだ・・・・・・今日は、独りだけか・・・・・・・・・・。」






僕のために、泣いてくれますか(第拾七話)


僕はハンバーグ一歩手前の赤い物体三つを、それぞれラップに包んで、 冷蔵庫に仕舞ってしまった。 明日の夕飯に使えば、多分大丈夫だろう。 ・・・・・・さて、と。どうしようかな。 しばらく思案したが、結局。 ラーメンでいいか。 僕は戸棚を漁ると、おやつ用の袋詰めのインスタントラーメンを手に取った。 以前は自分一人でも毎日きちんとした食事を作っていたけれど、 どうも食べるのが自分だけだと思うと料理をする気が起きない。 まあ、今夜は適当に食べておけばいいや。 沸騰した湯の中に麺を放り込む。 ほぐれた所で、添付のスープも入れて、かき混ぜる。 これで、完成。 でも余りにも寂しすぎる事に気が付き、すぐにねぎを少し刻んで入れた。 栄養も何も無いけど、一食ぐらいこんなぐらいでいいよな。 僕は丼を持って、テーブルへ向かった。 ラーメンは、すぐに食べ終わってしまった。 シンクに丼を放り込んでリビングへ行くと、完全に手持ち無沙汰に なってしまった。 退屈しのぎに、テレビをつける。 歌謡番組だの、アニメスペシャルだのがやっているけど、余り僕の興味を 引く物は無かった。 仕方無いのでクイズ番組でチャンネルを止める。 愚にもつかない問題ばかり出すのでこの番組は嫌いなのだけど、点けていない よりはましだった。 軽薄な司会者が必死にゲストや視聴者に媚びを売っているのを見ながら、 ふと九時から連ドラがある事を思い出す。 アスカが毎週楽しみにしているドラマで、毎回僕も付き合わされて見ていた。 ちなみにマヤさんも最近ハマっているらしい。 ビデオにとっておいてあげようかな。 ニュース番組をつらつらと眺めていると、既に十一時をまわっていた。 ・・・・・・・・・・・。 僕はぐるっと部屋の中を見渡した。 広い。 このリビングって、こんなに広かったっけ。 それに、こんなに蛍光燈、暗かったっけ。 そんな風に思うけど、実際自分でも分かっていた。 ・・・・・独りで居るって、こういうものだったんだよな。 部屋の中は、静かだった。 テレビがCMを流しているけど、それは部屋の寂寥感を埋めるものでは なかった。 僕は、立ち上がった。 そして、うろうろとそこら中を歩き回る。 別に、何をしようという訳でもない。 ただ、じっと座っているのに耐えられなかっただけだ。 意味も無く冷蔵庫を開け、飲みたくも無い牛乳を口にした。 コンロ周りの油汚れを拭き取った。 窓を開けて、サッシが汚れていないか確かめた。 「・・・・・・・・・・・。」 何かの作業をしている間は少しは気が紛れたけど、その後すぐに空しさが 込み上げてきた。 無性に、人恋しかった。 テレビやラジオの声ではなく、人の言葉が聞きたかった。 そうだ、電話しよう。 僕はトウジかケンスケとでも世間話をしようと、受話器を手に取った。 しかし時計を見て、思いとどまる。 ・・・・・・この時間じゃ、さすがに迷惑だよな。 受話器を戻して、僕は再びテレビの前でべたん、と腰を降ろした。 寂しい。 ここしばらく感じなかった、そんな感情が僕の心を満たし始めていた。 すっかり忘れていた感覚。 何も考えずに叫び、走り回りたくなる様な、そんなもやもやとした気分。 僕は両肩を抱いて、身体を縮こまらせた。 無性に苦しかった。 寂しい・・・・・・・よ。 ・・・・・・・。 ・・・・・・・そうだ。 うん。 僕は意を決すると、すぐに立ち上がって、玄関へ向かった。 彼女に逢えるかもしれない。 そう思うと、僕の心は浮き立った。 彼女と、ほんの少し言葉を交わす事さえ出来れば、こんな寂しさなど すぐにでも吹き飛んでしまう。 スニーカーを履くのももどかしく、僕は玄関から外へ出て行った。 ・・・・・・・・彼女は、いなかった。 早足でそこへ辿り着いた僕を待っていたのは、”ちびっこ公園”の文字と、 冷たく光る遊具だけだった。 「マヤさん・・・・・・・いないのか・・・・・・・・・。」 大地の精霊たる彼女にとって、剥き出しの地肌以上に心地良い場所は無く、 マヤさんは学院かうちのマンションに居る時以外は、大抵ここに居る。 しかし今、彼女の姿はどこにも見えなかった。 「マヤさんも・・・・・学院に、居るのかな。」 彼女と一緒に居る時にはあれほど美しく感じられたこの公園の景色が、 全く、何の魅力も無いものに思えた。 星空は雲に覆われて見えなかったけど、それだけが理由ではないだろう。 再びどうしようもない寂しさが胸に込み上げて来た。 期待が大きかっただけに、落胆も大きかった。 さすがに学院へ押しかけてまで皆に会おうという気にはなれない。 僕はブランコに腰掛けると、ゆらゆらと身を揺らせた。 自然と顔が俯いてゆく。 しばらく何も考えずに自分の気持ちを落ち着かせて行く。 心の空白はいつまでそうしていても埋まりそうには無かったけど、誤魔化す 事は出来そうだった。 ・・・・・・・やがて。 ん? 僕の感覚が、人の気配を捉えた。 通行人が二人。 公園の入り口の所で、何かひそひそ言いながらこちらを見ていた。 ・・・・・おおかた、こんな時間にこんな所に居る僕を、珍しがって 見ているんだろう。 そう思うと、僕は彼らを無視して俯き続けた。 そのうち行ってしまうさ。 ところが、彼らの行動は、僕の予想を裏切った。 彼らは−−−僕と同年代ぐらいの少年二人は−−−公園の中に入り、 まっすぐに僕の方へ近付いて来たのだ。 ? 訝しく思ったけど、僕は動かない。 まだ、じっと俯いている。 しかし僕の”目”は、二人をずっと観察していた。 僕のすぐ傍へ辿り着く彼ら。 「よお、碇じゃねえか。」 「え?」 相手が自分の名を知っている事に少し驚き、僕は顔を上げた。 二人の顔を真正面から見る。 あ。 僕はそこで、その二人に見覚えがある事に気が付いた。 少年らしさを多少残した、大人びた顔つき。 それなりに高い背。 脱色して、茶色がかった髪。 耳に光るピアス。 たしか彼らは、僕と同じ学年の生徒だった。 学年の中では彼らは有名な方かもしれない。 それも、悪い意味で。 詳しい事は良く知らないのだけど、授業は真面目に受けていないし、 暴力沙汰を起こした事も何度かあるらしい。 クラスが違う事と、どう見ても性格が合いそうに無いために、一度も話を した事は無い。 変なのに、捕まっちゃったな。 そう、一人ごちる。 「・・・・・・こんばんは。」 落ち着いて、そう答える。 「なあ、何やってんだ?こんなとこで?」 片方が、馴れ馴れしく顔を近づけて聞いてきた。 白いシャツをだらしなく着崩している。 「別に・・・・・・何って訳じゃ・・・・・・・。」 「何だよ、怪しいぜ。ひょっとして、惣流と、喧嘩でもしたのかよ?」 と、もう片方。こちらは黒い、趣味の悪いTシャツ。 「そんな事・・・・無いよ・・・・・・。」 「本当かあ?おい、何だったらお兄さんが相談に乗ってやるぜ?」 Tシャツが言い、そしていかにも面白い冗談だった、という様にシャツと 二人でげらげらと笑った。 「何でも・・・・・無いったら・・・・・・。もう僕、帰るから・・・・・・。」 これ以上付き合ってなど、いられない。 僕は立ち上がると、一人で歩いて行こうとした。 「ちょっと、待てって。」 シャツが僕の手首を握る。 さすがに生身の僕の力よりはずっと強く、僕は振りほどく事が出来なかった。 「なあ、そんな邪険にすんなって。俺達、仲良くなりてえんだよ。」 「そうそう。あの高慢な惣流を手なずけたいきさつとか、聞かせてくれよ。」 「手なずけたって・・・・・・・・・。」 失礼な物言いと、アスカの事を悪く言われた事に怒りが込み上げ、思わず 『やってしまおうか。』 などという物騒な考えが頭をもたげるけど、鉄の精神で自制した。 僕はやんわりと答える。 「別に僕は、惣流とどうこう、って言う訳じゃないんだ。 変な事言うのは、僕はともかく惣流が可哀相だから、止めてよ。」 「ほー。ご立派だねえ、碇君?」 「じゃあ、俺らが惣流の事、ものにしても、お前は文句無いって事だよな?」 にやにやする二人。 そして僕が次に口にした言葉は、自分でも理解出来ない部分から勝手に 現れた。 「まあ、別に構わないよ。君達が、惣流に相手にされるとも思えないからね。」 「「!?」」 二人共、呆気に取られた顔つき。 やがてその顔がみるみる内に紅潮した。 単純な奴等だ。 「てめえ、最近いい目見てるからって、随分調子に乗ってるじゃねえか。」 ぐいっ。 胸ぐらを、捕まれた。 先程迄のにやついた顔から一変、憤怒の形相。 これでいいんだよ。 僕はこっそり思った。 心の中では僕の事を嫌ったり、蔑んだりしている人間に、表層的に仲良さそうな 振りを続けられるよりは、こうやって思いっきりその感情をぶつけられた方が 何百倍もましだ。 僕は激した二人と対照的に、無表情を崩さない。 「おい碇。鈴原と仲良いからって、俺等が手を出さないと思ってたら、 大間違いだぜ?」 シャツが言う。 「そうだ。あいつもいつかシメてやろうと思ってたからな。 この際丁度良いかもしれねえな。」 と、Tシャツ。 「そうと決まりゃあ・・・・・・・。」 がっ。 頬に、熱い感触を感じた後、僕はその場に倒れ込んだ。 どうやら、殴られたらしい。 感触から言って、かなり本気に近いようだった。 当然、痛みなど無いし、怪我もしていないけど、全くなんとも無いのもおかしい ので、わざわざ殴られた個所を紅くさせた。 自分でも、芸が細かいと思う。 「おら、立てよ!」 今度は、シャツが僕を後ろから羽交い締めにする。 どすっ。 今度は腹。 がっ。 がっ。 どすっ。 何度となく僕は殴られた。 人間サンドバッグ、というのはこういう事を言うのか、と僕は身を持って知った。 殴られる度に、わざわざ小さく苦しそうにうめいてやった。 しかし二人共台詞の割には、喧嘩は下手糞だった。 殴り方もいいかげんだし、腹へのパンチにしても、鳩尾を外している。 そんな殴り方じゃ、人は殺せないよ。 二人はかわるがわるに僕を殴った。 何でここで、急所を蹴り上げるぐらいの事が出来ないかなあ。 僕は冷静に批評する。 所詮、子供の喧嘩かな。 僕がここで、ナイフでも取り出してこいつらのどちらかの太股でも刺せば、 それだけでこの二人は泣き喚くだろう。 この世で最悪の生物である悪魔達と毎晩の様に殺し合いを続けている僕には、 こんな喧嘩は茶番にしか過ぎなかった。 「・・・・・・あ?」 シャツが、何回目かの僕の顔への攻撃をしようとした途中。 彼は突然その手を止めた。 妙な顔つきになる。 「何だ?てめえ?」 ?どうしたんだ? 何で、急に殴るのを止めるんだ? 僕を後ろから押さえているTシャツも、相方の表情に何か戸惑っている様だ。 シャツが、言った。 「てめえ・・・・・何、笑ってやがる?」 え? 笑ってる? 僕が? Tシャツが、僕の身体を解放した。 自由になった手で、自分の顔を探る。 ・・・・・・・・・・・・。 本当だ。 僕は、笑っていた。 心の中で思っていた様な、二人を馬鹿にした笑いじゃ無い。 嬉しそうに、笑っていたのだ。 嬉しくて、嬉しくて、仕方が無いという風に。 何故? 何故、笑ってる? 僕の表情を見たTシャツが、やはり戸惑った顔を見せた。 「何、笑ってやがるんだよ!?」 それは、僕が聞きたい事だ。 僕は殴られて喜ぶ様な趣味は持ち合わせていない筈だけど。 ・・・・・・・・・・・・・・・あ。 僕は不意に、自分の笑みの訳を知った。 そして、何故わざわざこの二人に喧嘩を売る様な真似をしたのか、という事も。 そうだ。 そうだったんだ。 「くくっ・・・・・・・・。くくくっ・・・・・・・・・・・・・。」 僕は笑い声を漏らした。 馬鹿馬鹿しいぐらいだった。 「お、おい、碇・・・・・・・・?」 シャツが、恐ろしい物でも見る様な表情で僕に話し掛ける。 僕は答えてやった。 「ねえ・・・・・・これは、喧嘩・・・・・・・だよね・・・・・・・・。 それとも、いじめ、かな・・・・・・・・・まあ、どっちでもいいけどね・・・・・ ・・・。」 「な、何言ってんだ?」 「くくっ・・・・・・いいよ。もっと殴っても、さ。」 「「?」」 「もっと、殴ってくれないかなって、言ってるんだよ。」 「ああ?お前、変態か?」 気味悪そうに言う。 僕はさらに可笑しくなった。 「僕はね・・・・・・・・・。」 「あ?」 「僕は・・・・・・・・・ずっと、独りだったんだ・・・・・・・・・。」 顔を見合わせる二人。 脅えの色が濃い。 まあ、殴った相手がいきなり錯乱すれば、無理も無い事だろうけど。 「ずっと、独り・・・・・・・誰も、僕の事を、相手してくれなかった。」 「誰も・・・・・・・僕の事を、愛してはくれなかったんだ。」 そうだ。 そればかりか、誰も、僕の事を、嫌っても、くれなかった。 僕は家でも、学校でも、居ても居なくてもどうでもいい奴、としか 扱われていなかった。 僕はその頃、ずっと、思っていた。 他人から、僕の存在を、認められたい。 別に、愛してくれなくたって、良かった。 僕の事を、いじめたり、面と向かって馬鹿にしたり、からかうんだって、 良かったんだ。 何でも、良かったんだ。他人が、僕を見てくれさえ、すれば。 でも・・・・・駄目だった。誰も、僕の寂しさなんて、知った事じゃ無いって風に、 僕の目の前を素通りして行った。 人にとって、僕は全くの他人でしか、無かったんだ。 誰とも、あらゆる意味で、必要とされる人間じゃ、無かったんだ。 「いいんだよ・・・・・。僕を、殴って。好きなだけ、殴ってよ。」 そう・・・・・殴られると、嬉しいんだ。 殴っている人は、僕に憎しみとか、苛立ちとか、ぶつけてくれるから。 「・・・・・・殴ってよ。お願いだから・・・・・・殴ってよ。」 ・・・・・・・・・・・。 何時の間にか。 二人の姿は、そこに無かった。 もう・・・・・殴っては、くれないのか。 僕は無性に悲しくなった。 殴られている最中感じていた、心が満たされる様な想いは、潮が引く様に 消えて行ってしまっていた。 狭い、しかし、独りで居るには無性に広い公園に佇み、僕は俯く。 寂しい。 苦しい。 辛いんだ。 僕はぱん、ぱん、と汚れた服を叩いた。 そして顔を片手で拭った。 殴られて腫れ上がった様に見える顔は、それだけで元のまっさらな顔に戻った。 そして、僕はふらふらと、歩き始めた。 公園を出て、道路へ出て、そして・・・・・・・・・。 ある場所へ、向かうために。 腕に、ぽつりと水滴が落ちた。 しばらくして、もう一度。 ぽつり。 そして、もう一度。 ぽつり。 僕の身体を襲う水滴は、やがてその間隔を狭めて行った。 ぽつっ、ぽつっ、ぽつっ。 この日一日中、人々の心を陰鬱にさせていた曇り空は、 雨の模様を呈し始めていた。 第三新東京市は、科学の街である。 技術の粋を凝らして作られた都市であり、そして2015年の現在、際限無く 発展して行く科学技術は、この街をさらに巨大に、そして利便良くさせて行った。 街の中心部においては、空を圧する高層ビルが立ち並び、 自動車が、電車が、人を運ぶ。 しかしこんな街も、自然の力には逆らえない。 その日中部地方全域を覆っていた低気圧は、その日付を替えた頃、 第三新東京市に雨をもたらした。 時間帯が時間帯だけに、外を出歩いている人、或いは出歩く必要が生じて しまった人は少なかった。 しかしその少ない中にも天気予報を信じずに、傘を持たぬまま家を 出てしまった人々は多く、彼らは自身の不幸を呪っていた。 彼女も、一歩間違えればその不幸の仲間入りをし兼ねない所だった。 今朝、彼女の下僕にしつこく言われて仕方無く持ってきた折り畳み傘は、 彼女の自慢の長い髪や、クリーニングに出したばかりの制服を、 容赦無く襲い来る雨粒から守っていた。 右手に彼女のシンボルカラーとも言える赤い傘を持ち、左手に鞄を提げて、 彼女は一人夜の街を歩く。 女、ではなく明らかに少女、と呼ぶにふさわしい年齢ではあったが、 彼女は実に美しい容貌の持ち主であった。 身体を流れる四分の一のドイツの血は、年齢にふさわしからぬ成長を 彼女に促す。 ただ惜しむべくは、この夜の暗さと雨によって、すれ違う人々には彼女の 容姿の半分も見る事が出来なかった事であろう。 言うまでも無い事ではあったが、彼女は惣流・アスカ・ラングレーであった。 この時間になってようやく学院の授業は終わりを告げ、帰宅の途につく 所であった。 「もー。嫌らしい雨ねえ。どうしてあたしが帰ろうとする時を見計らった様に 降り出すのかしら。」 あたしは凡人とは違うのよ!と公言してはばからないアスカにしても、 雨があまり好きでは無いという点においてはやはり他の人々と同じ感想を 持っているようだ。 車を持っている、頼りのミサトは未だ学院の中で事務処理に追われており、 アスカは不本意ながらも徒歩で帰るしか無かった。 当然と言うか、一見傘を持っていない様に見えるアスカに対して、 このチャンスに少しでもお近付きになろうと、何人もの男子が一緒に帰るべく 自分の傘を見せて誘いをかけたが、彼女は鞄の中から折り畳み傘を取りだし、 彼らを落胆させていた。 「はあー。やっと、着いたわ。」 彼女は高層マンションを見上げてほっと溜め息を吐く。 傘を折り畳んで、入り口へ入って行く。 ごく普通の、ガラス戸。 両親は心配して、セキュリティ機能の完備してあるマンションを彼女に 勧めてはいたが、アスカはそんなものの必要を感じなかった。 それでも中学生が一人暮らしをするには十分贅沢な所ではあったのだが。 チン! 七階を示して停止したエレベーターを降りると、真っ直ぐに自分の部屋へ 向かった。 彼女の部屋は707。 一番奥まった所の部屋だ。 何度も通った道であり、ぼやーっと歩みを続ける彼女は、ふと自分の部屋の ドアの前に人影がある事に気が付いた。 その人影は、ドアに寄り掛かり、じっと俯いて動かなかった。 寝ているようにも見える。 ・・・・・・やーねえ。何かしら。 酔っ払いか何かだったら容赦無く蹴起こしてやろうと思っていたが、 近付いていき、やがてその人影の正体を知るに至って、アスカは驚いた。 「・・・・・・シンジ!?」 じっと座り込んでいる彼女の下僕の姿を認め、彼女は声をあげる。 こんな時間にこんな場所に居る事も驚きだったが、身体中ずぶ濡れの様子が 彼女に不安までも呼び覚ます。 「ちょっと、どうしたのよ、シンジ!」 肩を揺さ振った。 シンジは眠りから覚めた様にぼんやりと顔を上げた。 やがて目の焦点が合い、自分の目の前に居る人間が何者であるか確認する。 「ア・・・・・・アスカ・・・・・・・・・・。」 アスカは、肩を両手で掴んでシンジの身体を真正面から支える。 「どうしたのよ、質問に答えなさいよ、しゃきっとしなさいバカシンジ。」 「・・・・・・・アスカだ・・・・・・・・・。」 ただ茫洋と彼女の名を呟くだけの彼。 しかしその目は確実にアスカの顔をじっと見詰めている。 アスカは迷った挙げ句、ずぶ濡れのシンジを見て、まずいと考える。 「シンジ。とりあえず、中に入るわよ。そんなかっこじゃ風邪ひくわ。 とりあえずシャワーでも貸してやるから、その後ゆっくりと訳を聞かせて もらうわよ。」 ゆっくりと、こくり、と肯くシンジ。 しかし立ち上がろうとはしない。 仕方なくアスカは無理矢理手を引っ張ってシンジを立たせた。 頼り無い足取りではあったが、何とか自力で立ってはいられる様だ。 ロックを解除し、彼女は扉を開ける。 シンジやミサトの所とおなじく、気圧式開閉の扉である。 ぱしゅうん、という音。 「ほら・・・・・・入んなさい。」 先に中に入った彼女は、促す。 幽鬼の様にふらふらと中へ入るシンジ。 「アスカ・・・・・・・・・・。」 相変わらず呟き続けているシンジ。 とりあえず扉を閉めてしまうと、アスカは靴を脱ぐ。 「ほらシンジ・・・・・・。靴、脱ぎなさいって・・・・・・・・・・・。」 彼女は、台詞を全て言い終える事が出来なかった。 ふわっ。 「!?」 一瞬、彼女は自分が何をされたのか分からなかった。 それほどに唐突な、行動。 アスカの肌が、制服が、じっとりと湿り気を帯び始めていた。 数秒後、状況を辛うじて理解した彼女は、顔を真っ赤にした。 「ちょ・・・・・ちょっとこら、何やってんの。・・・・・バカシンジ・・・・・・・ 。」 彼女の・・・・・・・・彼女の、身体は、少年の細い身体に抱き締められていた。 優しいようできつく、しかしきついようで優しい、抱擁。 熱い、ゆっくりとした呼吸が、アスカのすぐ耳元に感じられる。 「何やってんの・・・・・・変な冗談は、止めなさい・・・・・・・シンジ・・・・・ ・・。」 「アスカ・・・・・・・・・・・。」 熱い、囁き。 心の中の熱を全て吐き出すかの様なそのたった一言に、 アスカは何も言えなくなった。 弱々しく、シンジを押し退けようとしていた両手は、下にだらりと下げられた。 心臓が、自分でも信じられぬ程にどくん、どくんと脈打つ。 「シ・・・・・・ン・・・・・・・・・・。」 少年の名を呼ぶ少女。 まるですすり泣く様な声だ。 アスカは自分の声をそんな風に聞いた。 何が何だか、分からなかった。 夢を見ているかの様。 ずぶ濡れの、しかも”男”に抱き締められているというのに、不思議と 不快感は全く無かった。 どうしようも無く、心地良い感覚。 全身が、心が、上気して行く。 止められ無かった。 下げられていた両手が、やがておずおずと持ち上がり、シンジの背中へと 少しずつ、少しずつ、廻されていった。 「アスカあ・・・・・・・。」 僕は再び、彼女の名を呼んだ。 僕は今、彼女の身体を抱き締めていた。 自分でも、何故こんな事をしてしまったのか、分からなかった。 分からないまま彼女の部屋の前まで来て、 分からないまま彼女を抱き締めていた。 アスカは、温かかった。 雨に濡れ、冷え切った身体にはこれ以上ないほどに温かく感じられた。 そして、心にとっても。 すっ・・・・・・・。 アスカの手が、ゆっくり、僕の背中に廻された。 ・・・・良かった。 少なくとも、僕はアスカに拒絶はされていなかった。 アスカが、どんな心境で今の僕を受け入れてくれたのかは分からないが、 ともかく無理矢理抱き締めた僕を、拒絶しなかった。 それが、ひたすら嬉しかった。 僕は、アスカを抱く両腕に、力を込めた。 ぎゅっ・・・・・・・・。 「あ・・・・・・・・。」 アスカが、切ない声をあげた。 肺の中の空気が、押し出された様な、そんな吐息。 心持ち苦しそうな、声。 それを感じ取ると、僕は力を緩める。 「ご、ごめん・・・・・。」 最初の様に、優しく、ただ優しく包み込む様に抱き締めた。 「シンジい・・・・・・・・。」 ぎゅっ・・・・・・。 今度は、アスカの方が力を込めてしがみついて来た。 その表情は見えなかったが、彼女の全身が震えているのは分かった。 「アスカ・・・・・・・。」 僕は、そっと彼女の髪を撫でた。 「ん・・・・・。」 アスカが、心地良さそうに声を漏らす。 ・・・・可愛い・・・・・。 ただ、そう思った。 「・・・シンジ・・・・?」 「・・・・何?」 「・・・どうして、・・・来たの?」 「・・・え?」 「どうして・・・こんな夜遅くに、ずぶ濡れであたしの所に来て、待ってたの?」 「・・・・・。」 「・・・・なにか、あったの?」 「・・・・会いたかったから・・・。」 「え?」 「アスカに・・・会いたかったから・・・・。」 「・・・・・。」 アスカの顔が、赤みをさらに増す。 「ど、どうして、あたしに会いたくなるのよ。」 「だって・・・・・。今日、アスカ、夕飯食べに来てくれなかったじゃないか。」 「・・・え?」 「アスカも、ミサトさんも、今日は家に来てくれなかったから・・・・・。 今日は独りで夕飯、食べたんだ・・・・。一人の夕飯は・・・寂しかったんだ・・・。 だから・・・。」 「ば、ばっかじゃないの?」 アスカが、呆気に取られて言った。 「たった一日、一人で食事しただけでそんな事言ってどうすんのよ? 子供じゃないんだから、そんなぐらいで寂しいなんて言わないでよ。」 「・・・・たった一日、じゃないよ・・・・。」 「・・・・?」 「ずっと、僕は一人だったんだよ・・・・。 十四年間、ずっと・・・・・・一人・・・・・・・・・。 僕は・・・・・独りだったんだ・・・・・・・。」 「シンジ・・・・・。」 「アスカ・・・・・。」 「あっ・・・・・・・。」 僕は、再びアスカをきつく抱き締めていた。 きつく、きつく。 「あっ・・・・シンジい・・・。」 「明日は・・・・・・。」 「え・・・・?」 「明日は・・・・来て、くれる? 夕飯、食べに来てくれるよね・・・・・?」 「え、えっと、その、明日は・・・・・。」 「・・・・・駄目・・・・・なの?」 アスカの声音に何かを感じ取り、僕は悲しみと共に問う。 腕の力を緩め、アスカの顔を正面から見詰める。 抱き合うのでなく、触れ合う身体。 「駄目・・・・なんだ?」 「う、ううん!そんな事、ないわよ。 あ、あたしだって、今日シンジの手料理食べられなくて、寂しかったんだから。 だから、明日は絶対行くわよ。」 「・・・いや、でも・・・何か、用事があるんなら、構わないよ・・・。 学院の授業とか、明日も遅くまであるんじゃないの・・・・?ひょっとして・・・。」 「だ、だから、明日は何にもないってば・・・・。 そ、それに、なんかあったとしても、そんなもの無視して行ってあげるわよ。 可愛い下僕が、一所懸命料理してくれてるんだから・・・。」 「・・・・あ、ありがとう・・・アスカ・・・・。」 「れ、礼なんて、いらないわよ。え、えっと、その・・・・・・・・・。」 「何・・・・?アスカ・・・・?」 「そ、その・・・・し、しなさいよ・・・・・。」 「?するって・・・何を・・・・?」 「そ、その、だからその・・・・・。」 「?」 「も、もっとその、強く、抱き締めなさいよ・・・・。 そんな、力が入ってるんだか入ってないんだか分かんない様なやり方じゃ、 中途半端でしょうがないわ・・・・。」 「え・・・・・・。」 僕は耳を疑った。 アスカは僕の腕の中で、もじもじしながら真っ赤になっていた。 ちらちらと、僕に視線を送る。 僕も真っ赤になった。 「あ、あの・・・・・。」 「へ、変な風に考えないでよ! あたしは、あんたがやりたそうだったから、しょうがなくやらせてやるのよ! あ、あたしが、こんな許可出す事なんか、そうそう・・・・ある事じゃ・・・・・ ないんだから・・・・・・・。」 最初は怒鳴っていたが、だんだん小さく、か細くなっていくアスカの声。 胸が、痛いくらいに苦しくなった。 「アスカ・・・・・。」 「んっ・・・・・・・。」 僕は、再びアスカをきつく抱いた。 アスカの、”女の子の身体”を全身で感じた。 愛しい・・・・・。 アスカ・・・・。 このまま・・・・・。 ずっと・・・・・・・。 ずっと・・・・・・・。 ずっと・・・・・・アスカと・・・・こうしていたい・・・・・。 「んっ・・・・んっ・・・・・・。」 アスカが、しがみつく様に僕に抱き付いてくる。 可愛らしい吐息。 僕が、アスカにすがっているのか。 アスカが、僕にすがっているのか。 僕らはただ、立ったままお互いの身体を確かめ合っていた。 こんな単純な事が、こんなに心地良く、こんなに満たされるものなのか。 「アスカ・・・・・・。」 「シ・・・シンジい・・・・・・・・。」 お互いに、時たま口にする言葉と言えば、相手の名前だけ。 そしてその度に、互いの抱き合う力は強くなる。 少女の熱い肢体が、僕の身体を包み込む。 アスカ・・・・・・・・・。 やがて。 僕はそっと、アスカの抱擁を解いた。 彼女の肩を抱き、優しく互いの身体を離す。 「あ・・・・・・・・。」 アスカが、名残惜しそうに軽い抵抗を見せた。 が、すぐに恥ずかしくなったのか、やはり身体を離した。 「・・・・・・。」 「・・・・・・。」 二人共、俯いていた。 お互いに顔は真っ赤で、相手の顔が見られなかった。 しばらく無言の時間が続く。 話したい事は、幾らでもあった。 伝えたい想いは、幾らでもあった。 だけど、それは言葉にならなかった。 「・・・・・シンジ。」 やがてアスカが、静かに口を開いた。 戸惑う僕。 「な、・・・何?アスカ?」 アスカは、俯いたまま言葉を続けた。 「お風呂・・・・入れてあげるから、入って・・・・。 このままじゃ・・・風邪、ひくから・・・・。」 「・・・・うん・・・・。」 僕はゆっくりと湯船に浸かった。 独りでじっと天井を見上げる。 様々な想いが浮かび、そしてちりぢりに消えて行く。 湯が、冷えた体に染み込む様に、心地良い。 ぱしゃ・・・・・。 僅かに身体を動かすと、それを受けた波の音が、異常に響いた。 「ほお・・・・・・・。」 アスカ・・・・。 「シンジ?」 脱衣場の方から声が掛けられた。 惣流のシルエットが見える。 「何?アスカ?」 「シンジの服・・・今、洗ってるから。 着替え置いておくから、適当に着てくれる? ・・・さすがに、下着はないけど・・・・。」 「うん。ありがとう・・・。アスカ。」 「うん・・・・。」 アスカの影は、しばらくその場で動かなかった。 「・・・どうしたの?アスカ?」 「う、うん・・・・。」 「あ・・・・。ごめん。 アスカだってお風呂入りたいよね。すぐにあがるから。 アスカも、やっぱり外から帰って来たばっかりだから、身体冷えてるよね。 ・・・・・それに・・・・・。」 「それに・・・・・?」 「・・・僕が・・・あんな事しちゃって・・・・・。」 「べ、別に・・・・・・!」 アスカの、動揺する気配。 「別に・・・・あんなぐらい・・・・。」 「アスカ・・・・・。」 「シンジ・・・・。なんだったら・・・・・・。」 「?なんだったら・・・・・?」 「一緒に、入ろっか・・・・・・?」 「!な、なに、言ってるんだよ!」 「ばあーか。冗談よ。あたしの事は気にしないで、ゆっくりあったまんなさい。」 「う、うん。ありがとう。」 アスカの、出て行く気配。 「・・・・・・・・・・。」 僕は、そのまま5分ほど浸かった後、 ざばっ。 湯船からあがった。 身体から滴が垂れる。 脱衣場から出ると、アスカの行った通り、着替えが用意してあった。 バスタオルで身体を拭き、ちょっと迷った後それを身につけた。 アスカと僕とはほとんど体格が変わらないので、服の大きさも合う。 下着が無いためにズボンを履くにはちょっと抵抗があったけど、 上半身にTシャツを着て、僕は脱衣場を出た。 髪はまだ濡れている。 短いので、いつも自然乾燥で済ませているのだ。 リビングへ行くと、アスカがソファに座っていた。 さすがに濡れた制服は着替え、カジュアルな服装に変わっている。 「あの・・・あがったよ。アスカ。」 「・・・・そう。」 そっけない感じの返答。 しかし明らかに僕の事を痛いほど意識している事が分かる。 沈黙が再び落ちた。 風呂に入ってる間に、何を話すか考えておけば良かった。 僕は後悔する。 沈黙に耐え切れず、僕は、今一番言いたくない一言を口にした。 「・・・・・じゃあ・・・・僕、帰るね。」 「・・・え・・・・・。」 「御風呂、貸してくれて・・・ありがとう。服も・・・・・。」 「別に・・・・今夜は、帰らなくても・・・・・。 そ、その、雨だって、まだ降ってるし・・・・。」 「・・・・・・・。」 「そ、それに、あんた寂しいんでしょ? 一晩くらい、・・・語り明かしても・・・・・・・。」 彼女の言葉に、甘えたい。 そう言う自分が中にいた。 しかし。 「・・・もう、雨も小降りになってきたから、大丈夫だよ・・・。 それに・・・・その・・・・・。 一人暮らしの女の子の部屋に・・・男が泊まり込んだりしたら・・・・・ 近所の人が・・・・・。」 「あ・・・・・・・。」 「た、ただでさえこんな時間に押しかけちゃったわけだから・・・・・。 だから・・・・もう、帰るね。アスカ・・・・・。」 「うん・・・・・・・。」 僕は玄関へ向かった。 すぐ後ろに、アスカが付く。 靴を履こうとする僕。 「・・・・・ねえ、シンジ。」 「・・・・何?」 「・・・・寂しく、ない? これから・・・・・独りで、独りの部屋に、帰るの・・・・・・。」 「・・・・寂しい、よ。」 「じゃあ・・・・寂しくないように・・・・おまじない、してあげる・・・・・。」 「おまじない・・・・・・・?」 そして。 唇に、温かなものが押し付けられた。 アスカの、羞恥に頬を染めた顔が、これまでに無い至近距離で僕の目を射た。 ・・・・アスカと、キスをしていた。 一瞬、揺れた心はやがて高揚へと変わる。 時は流れを刻むのを止め、僕の神経はその、お互いに触れ合ったただ 一個所に集中した。 「・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・。」 そして、時はその流れを再開させる。 僕らは、どちらからともなく唇を離した。 「・・・・・どう・・・・・?これで・・・・寂しく、ないでしょ・・・・・・。」 第三新東京市の空は、いつしか涙を流す事を止め、覆っていた雲は 流れ去っていた。 ・・・・僕の名前は碇シンジ。 強大な魔術師としての力と、脆弱な心を同居させた、 あまりにアンバランスな、十四歳の、少年だ。

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ver.-1.00 1997-10/28公開
ご意見・感想・誤字情報などは kawai@mtf.biglobe.ne.jp まで。

 河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第拾七話、公開です。
 

 14年間耐えられた孤独が、
 知ってしまったあたたかさゆえにのし掛かるシンジ。
 

 シンジが一人部屋で感じることや
 シンジが一人部屋で意味無くすること・・

 ああ、こういう気持ち分かるなぁ
 ああ、俺もこういうコトするなぁ・・・
 

 私と違うのは、
 アスカちゃんがいないこと(^^;

 

 
 玄関先での突然の抱擁に自ら手を回したり、
 風呂に入っているシンジに「一緒に入ろう」なんて言ったり、、

 アスカも同じなんですね・・・
 独りは−−

 

 

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