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「ん・・・・・?」
ヒカリは、自分の意識が目覚めて行くのを感じた。
暗闇の世界から、現実の世界。
長い眠りから覚めた様に、頭はぼやけてはいたが、やがて
目の焦点も合わされ、周囲の景色が目に入って来た。
「・・・・・・!?」
それと共に、加速度的に意識も鮮明になって行った。
彼女の視界に映っているものは、廃虚だった。
見渡す限りの瓦礫の山。
仰向けに倒れた身体のすぐ傍には、倒れた電柱がその屍をさらしていた。
<な・・・何・・・?どこなの?ここは・・・?>
ここは、旧東京である。
しかし彼女にそれを伝える者はない。
彼女は身を起こすと、ただ呆然と周囲を見渡した。
「いやああああああああああああ!!」
その時。
彼女の耳に届く悲鳴。
少女の悲鳴。
二度と聞きたいとは思わない、そんな悲痛な悲鳴。
魂が引き裂かれる時には、人はこんな叫びをあげるものかもしれない。
「アスカ!?」
そこに、アスカが居た。
頭を抱え、目を固く閉じ、声の限り叫んでいるアスカが。
その身体も、服も、すでにぼろぼろ。
自らの血と、土埃によって、見る影もないほど薄汚れた、彼女の身体。
彼女は地面の瓦礫が、鉄屑が、身体を傷付ける事も構わずに、
ひたすらもがき苦しんでいた。
「いやあ!助けて!誰か!お願い!あたしを、捨てないで!誰かあ!」
「ア、アスカ!?」
親友の姿に、しばし呆然としていたヒカリではあったが、訳が分からない
ながらも彼女が苦しんでいるらしい事を見て取り、必死に駆け寄った。
その足元の、一冊の分厚い本の存在には彼女は気付かなかった。
「アスカ、大丈夫?アスカ?」
「いやああああああああ!」
ヒカリは、苦しみを訴えるアスカを、きつく抱き締めた。
アスカの力は意外なほど強く、突き飛ばされそうになるのを必死でこらえた。
<どうなってるの?一体、これは・・・?アスカ・・・・・・・・?>
ただただ抱き締めつつ、一体どうすれば良いのか焦りだけがつのるヒカリ。
そこへ。
「・・・・・邪魔よ。どいて。」
頭上から、声が掛けられた。
落ち着いた感じの声。
・・・・と、言うよりは、無感情な、声。
思わず、見上げるヒカリ。
何時の間に近くへ来ていたのか。
そこに、一人の少女が立っていた。
自分と、そう歳の変わらないと見える、一人の少女。
黒のコートに全身が包まれ、身体の線ははっきりしないが、
一見した印象ではかなり細い体つきと思われる。
短くまとめられた、空色の髪。
その顔は繊細な造形を描き、将来は非凡な美貌を産むであろう事を
予感させた。
いや、そればかりか。
まだまだ蕾としか思えぬ未完成な今ですら、彼女は美しかった。
美しすぎる、と言っても良い。
ただし、その美は生命の美しさではない。
彼女は、全くの無表情だった。
普通の人間が、感情を押し殺しているそれとは違う。
まるで感情というものをどこかに置き忘れてしまったかの様な、そんな表情。
その瞳の中には、なにやら虚無的なものを感じさせた。
しかし、美しい。
もしも花が彼女を見る事が出来たとしたら、自らの醜さに絶望し、
枯れ果ててしまうのではないだろうか。
そんな馬鹿げた形容が、おおげさでなく使えた。
「・・・邪魔よ。どいて。」
少女が、もう一度繰り返した。
ヒカリは、それを受けて、呟く。
「誰・・・・・あなた・・・・・・・?」










僕のために、泣いてくれますか(第拾六話)

    洞木ヒカリ・完結編


 

バッ! 血飛沫が、舞った。 「うわあああああああ!」 絶叫。 激痛が走った。 右手首を襲う、灼熱。 右手が、失われていた。 僕の右手は、その、手首から先を完全に切断されていた。 渚カヲルが魔術によって作り出された見えざる刃。 それが僕の右手を襲ったのだ。 ごとり。 切り口も鮮明な右手首が、重い音を立てて地面に転がった。 数瞬前まで自身の身体の一部であったそれを、僕はひきつった表情で 見つめた。 切断面から血が溢れる。 真紅の水溜まりが、じわじわとその大きさを広げて行った。 「あああああああああああああああ!」 身も世も無い叫び声。 「あ、ああ、か、か・・・・・・・・・・・。」 「シンジくん。」 渚カヲルは、僕の身体を踏みつけたまま。 屈辱を強いられる今の自分の姿も、今の僕にはどうでもいい事だった。 苦痛とは、人間の理性を崩壊させる最も単純で、効果的な手段。 「今日の所は、これくらいで許しておいてあげよう。 僕は実際自分でも残酷な性格をしているとは思うが、それでも 前途有望な少年を激情に任せて殺してしまうほど分別がないと いうわけでもない。」 「く・・・・ああ、あ・・・・・・・・。」 僕には彼の声が聞こえてはいるものの、その内容を理解する事は ほとんど出来なかった。 いんいんと響く静かで、透き通った声。 こんな状況でなければ、聞き惚れてしまってもおかしくはないであろう、 天上のしらべ。 その容貌もまた、まさしく地に降り立った天使の如し。 しかしその皮を一枚剥いだその下に、この様な獣が潜んでいようとは、 誰が想像し得るか。 「君の事は後でゆっくりと調べる事にするよ。 大人を舐めると、一体どういう事になるか、骨身に染みて分かったろう。」 彼は足をどけた。 満足気に僕を見下げて来る。 「僕はこれから旧東京へ行って来る。君のガールフレンドを助けにね。 大人しく待っているといい。分かったかい?」 僕は必死で肯いた。 「・・・よろしい。君は、頭がいいね。 頭のいい人間は、それだけ長生き出来る。 その事を、忘れない様にね。」 にいっと笑う彼。 自分に逆らう奴隷を見事に服従させた主人の目。 自らを拒む女を自分のものにした男の目。 そして、その光景を最後に、僕の意識は暗黒に飲み込まれた。 光が、僅かも無い闇の世界。 その中で、一人の少女がすすり泣いていた。 身体を丸め、顔を包み込む様に鳴咽を漏らす彼女。 「ううっ・・・・ひっく・・・・いや・・・・もう・・・・いやあ・・・・・。」 アスカは絶望していた。 自ら愛し、そして愛されていると信じていた人々からの、自身の存在の否定。 これほどに人の心をその根底から突き崩すものがあろうか。 自分の信じていた人全てに、彼女は裏切られたのだ。 誰一人、アスカに優しい言葉を掛ける者はなかった。 それは無論、悪魔”キッド”の手による精神魔術が、アスカの心を 侵しているための幻に過ぎなかったが、今のアスカにとって、それは 間違い無い現実として認識されていた。 先程まで彼女の周囲で口々に罵りの声をあげていた人々は、 いつか全て消え失せている。 アスカは、たった独りで無限の闇の中に漂っていた。 「いや・・・シンジい・・・・ごめんなさい・・・許して・・・・シンジい・・・・・ 。 あたし・・・もう我が侭言わないから・・・・。 意地悪・・・しないから・・・・。 シンジの望む事、なんでもしてあげるから・・・・・。 だから・・・・許して・・・・。 あたしの所に、戻って来て・・・・・。 戻ってよお・・・・シンジい・・・・・・・・・・・・・・・。」 あまりの孤独と絶望とが、彼女の心の底にある感情を 浮かびあがらせたのか。 アスカが最後の最後にすがり、その名を呼んだのは、彼女にとって 最も親しい少年だった。 時に喧嘩する事もあっても、最後はいつも根負けしてアスカの言う事を 聞いてしまう少年。 おどおどした、しかし優しい表情でいつでもアスカを見つめていた少年。 父親の名でもなく、母親の名でもなく、親友の少女の名でもなく、 ただシンジ一人の名を彼女は呼び続けた。 彼だけが、今の彼女を救えるというかの様に。 しかし、彼の姿はもう現れなかった。 すがりたくても、すがるべき彼は、彼女の前に現れようとはしなかった。 変わらず、たった独りで泣き続けるアスカ。 そして。 そんなアスカを同じ暗闇の中から見つめる、影があった。 金髪の子供の姿をした、悪魔。 キッドは虚空にあぐらをかき、頬杖をつきながらにやにやと笑っていた。 術の効果は、完璧だった。 アスカ、という名の小生意気な魔術師は、その心の拠り所の全てを 否定され、間もなく自分で思考する事を止める筈だった。 何も考えなければ、苦しみを覚える事も無い。 そしてその時こそ、キッドがアスカの肉体を支配する事が出来る時であった。 <もう少しだ。> にたり。 幼い容貌は、その内に潜む悪魔の本性を僅かも隠す役割を果たす事は無く、 むしろ大いに際立たせていた。 <さあ、早く楽になっちゃいな。君の言うシンジ、という少年は、 君を救う事など出来やしない。 君を救ってくれる人など、誰もいないのさ。 さあ・・・・早く、楽になりなよ・・・・・。> しつこく抵抗を続けるアスカ。 しかしその力は徐々に弱まり、キッドの言う通りに、彼女が全てを諦めて しまう時も、そう遅くはないと思われた。 しかし。 その・・・・時。 <・・・・・・・ん?> キッドは、”何か”を感じ取り、その繊細な眉をひそめた。 何者かが、外から彼女の精神に干渉しようとしていた。 あの洞木ヒカリ、という平凡な少女のものではなかった。 誰か、強力な魔力の持ち主が、無理矢理この世界の中へ入り込もうと していた。 <・・・・誰だ?> キッドはその額に汗を浮かべた。 <僕を追っていた、あの男か? ・・・・いや、違う。魔力の感触が、奴のものとは違う。 ・・・・なら・・・・誰だ?> 「・・・あなたね。」 ! 背後からの声に、(この精神世界において、背後も前方も、上下も左右も 無いのだが、あえてこういった表現をとる)キッドは愕然とした。 振り向いた彼の前に。 現れた、少女の姿。 何者か。 キッドは、訝る。 <・・・・しかし・・・・・・。> 美しい、とキッドは思った。 悪魔の美的感覚は、人間のそれとどれほど近しいものなのか。 どれほどかけ離れたものなのか。 そもそも悪魔達に、”美”という感覚が存在するものなのか。 ともかくキッドは、単純に彼女の美しさに感嘆した。 感情の欠落した紅の瞳。 二つのルビーに見据えられ、それだけでキッドは射精感にも似た快感に 身を震わせた。 <この女に、殺されたい。> ごく自然に、彼はそう思った。 この女に殺されたら、どれほど心地良いだろうか。 この女が自分を殺す時は、どんな素晴らしい表情をするのだろうか。 「・・・・・殺して、欲しい?」 少女が、言った。 殺して、欲しい。 キッドは、言った。 僕を、殺してくれ。 君の手によって死ぬ事ほど、喜ばしい事があろうか。 君に見つめられながら死ねるなら、未来永劫地獄の苦しみを受ける事に なろうとも構わない。 キッドは、本気でそう言った。 「・・・そう。なら、殺してあげる。」 少女の、瞳が。 紅い輝きを放った。 それだけで、”キッド”の姿が消えた。 齢五百年を重ねた悪魔は、断末魔の叫びもあげず、消滅していた。 「・・・・これで、いいわ。」 少女は、無表情を崩さなかった。 「これで、彼女の精神は解放される。」 ・・・・少女は、何者であろうか。 しかし少女はその問いに関する答えを僅かもほのめかす事はなかった。 少女は、何を想っているのだろうか。 その瞳は、何を見つめているのか。 死か。 滅びか。 それとも・・・・・。 「・・・・綾波・・・・レイ・・・・?」 誰かが、言った。 僕は、ぼんやりと窓の外を見つめていた。 人の、ざわめき。 車の、騒音。 それらが遠くに聞こえた。 僕は空一面を覆う夕暮れの赤を眺める。 ・・・まるで・・・・血の赤だな・・・・。 陳腐な表現。 しかしこれ以上に今日の夕日の色を的確に表現しているものは無い。 毒々しいとすら言えた。 ・・・・痛っ。 染み通る様な痛みを感じ、僕は右手を見つめた。 切断されたそこは、すでに完全に元に戻っている。 もう苦痛を感じる筈もないのに。 幻痛、か。 右手首を、左手で、握った。 「・・・ただいま。」 ドアが開く音と共に、沈んだ声が部屋に響いた。 その声音から、僕は今日の戦果が不首尾だった事を知る。 さらに陰鬱になるのを感じつつ、僕は玄関へ向かった。 「・・・お帰り。アスカ。」 「・・・うん。」 アスカは、のろのろと茶の光沢を放つ靴を脱ぎ捨てる。 声にも、動作にも、覇気は無かった。 分かってはいても、僕は問う。 「・・・どうだった?洞木さん・・・・?」 「・・・今日も、駄目。」 「・・・・そう。」 そのまま続く言葉も無く、重苦しい沈黙が支配する。 もう、五日も立つのに。 あの日から、五日が過ぎようとしているのに。 「どうしたら、いいの・・・?シンジ・・・・・?」 僕はその答えを見つける事は出来ない。 それ故に、僕は沈黙を守った。 「教えてよ・・・シンジ・・・・・。」 「・・・分からないよ・・・。僕には、分からないんだ・・・・。」 「・・・・役立たず・・・・。」 アスカは、僕にしがみついた。 僕の胸に顔を埋め、両腕を背中に廻した。 Tシャツが滴に濡れるのを、僕は感じる。 「親友なのに・・・・。一番、大事な友達なのに・・・・。 助けられない・・・・。助けられないよ・・・・・。 どうしたらいいの・・・・シンジ・・・・。」 「・・・・・・。」 僕は応えず、ただ彼女を抱き締めた。 洞木さんは、悪魔の支配から解放された。 アスカの力と、そして恐らくはあの男、渚カヲルの手によって。 しかし、それから五日が過ぎた今でも、彼女は未だ自分の中に 閉じこもっていた。 学校に顔を出さず、洞木さんは自分の部屋の中、誰とも会おうとはしない。 家族とすら、まともに話をしようとはしないらしい。 『・・・・ごめんなさい。』 最初に僕と、アスカが彼女の元を訪れた時、洞木さんは自室のドア越しに、 ただそれだけ告げた。 そして頑なにアスカと顔を合わせる事を拒んだ。 五日間、それでもアスカは毎日彼女の元へ通っていた。 行っても、ただ玄関でおばさんが迎えるだけなのだが。 洞木さんが、未だ心を開かない事を告げられるだけなのだが。 天の岩戸は、開かない。 僕は寝室の中、一人暗い天井を見つめた。 澄み切った、静謐な世界。 その中に異物を感じ取り、僕は眉をしかめる。 「・・・・覗きとは、あまりいい趣味ではないですね。」 「・・・ふふ。君も、やった事だろう?」 虚空から、いらえがあった。 ふわり。 渚カヲルの、しなやかな身体が何も無い空間から現れ出で、そのまま 床のカーペットに降り立った。 ずきり。 幻痛が、再び襲った。 溜め息を吐く僕。 「土足で、人の部屋に入らないで欲しいものですね。」 「すまないね。でも、あまり細かい事を言わないで欲しいな。」 「・・・まあ、何にしても、また御会い出来て良かったですよ。 御礼も言えないんじゃ、すっきりしません。」 「御礼?」 「洞木さんの事ですよ。あなたが、助けてくれたんでしょう? 今も彼女の心は完全に回復しているとはとても言えませんが、 それでも命は無事でしたから。 それに、アスカの事も。」 「・・・・残念ながら、違うな。それは。」 「・・・違う?」 自分の目元が、僅かに動くのを感じる。 「洞木嬢と、惣流君とを助けたのは、僕じゃない。 全く別の人物だよ。」 「・・・・・・・?」 「この娘を、知ってるかい?」 彼が、懐から一枚の写真を取り出した。 一人の、少女の写真。 街角ででも、撮影されたものであろうか。 背後に、林立するビル群がその姿を誇示している。 隠し撮りなのか。 少女の目線がこちらを向いていない事を確認し、僕はそう判断する。 美しい。 その少女は、百人が見れば百人が、その美しさを肯定する事だろう。 色というものを知らぬかの様に、透き通った白い肌。 全くの無表情ではあったが、それがかえって神秘的な印象を強める。 数秒見つめ、僕は記憶のどこかで何かを捕らえ、呟いた。 「・・・・・綾波・・・・・レイ・・・・・・?」 「やはり、知っていたか。」 「十年前に、たった一度・・・・それも、ちらりと見ただけではありますがね。 彼女の容姿も、その時の状況も、あまりにも印象が深かったせいで、 よく覚えていますよ。」 「その時は彼女は、君と同じく幼かった筈だが・・・良く一目で彼女と 分かったね。」 「言ったでしょう?印象深い容姿だって。」 「・・・なるほどね。ともかく、君の言う通り、彼女は綾波レイ・・・・。 ・・・・・君の、妹だよ。義理の、ね。」 「・・・・・・・。」 僕は、父さんが自分を捨てた時の事を思い出す。 その時の情景が、生々しく浮かんだ。 冷然と僕を見下げる父さんと、そしてその傍らに立つ幼女。 忘れられる、ものか。 僕の、”碇ゲンドウの子供”の地位は、彼女に奪われたのだ。 「・・・・・何故、この場で彼女の写真を見せられる必要があるんですか?」 「・・・・はっきり言ってね。僕は今非常に戸惑ってる。」 「・・・・・は?」 「有り得ない事なんだ。 彼女には、そんな事をしなければならない理由など、どこにも 存在しない筈なんだ。」 「・・・・・?」 「しかし、洞木嬢から聞いた話から判断すれば、その人物は、 綾波レイとしか、考えられないんだ。」 「何を、言ってるんですか?」 「彼女なんだよ。」 「え?」 「洞木ヒカリと、惣流・アスカ・ラングレー・・・・・。 二人を救ったのは、彼女、綾波レイなんだよ。」 「ヒカリ?電話よ。」 ドアの向こうから、母親の声が聞こえた。 娘への心配を隠し切れぬ声。 ヒカリは心が痛くなる。 「出たくない。」 ヒカリは応える。 「鈴原君からだけど・・・本当に、出ないの?」 「・・・出たく、ない。」 「・・・ヒカリ。鈴原君、あなたが出るまでずっと待ってるって、言ってるわ。 顔を合わせたくないのなら、せめて電話でたった一言聞かせて欲しいって。」 「・・・・・・。」 「ねえ、ヒカリ?あなたに、何があったのか話せないなら、それでもいいわ。 だけど、いつまでもそのままでは、いけないのよ。」 「・・・・・・・・。」 「・・・ごめんなさい、ヒカリ。 あなたは今迄、家族のために、一所懸命に頑張ってくれて来たわ。 私は、何時の間にかそんなあなたに甘えていたのかもしれない。 一番、楽しい時にいるあなたを、家に縛り付けて、そしてそうしなければ 私達の家庭は守る事が出来なかったの。 母親らしい事も、十分には出来ない事も多かったかもしれない。 そんな私に、こんな事を言えるのかどうか、分からないけど・・・・。」 「!そ、そんな事・・・・・!」 「・・・・聞いて。ヒカリ。 今迄私は・・・私達は・・・あなたに助けられて来た分、今、あなたを 助けたいの。」 「・・・・・・。」 「あなたを・・・・守ってあげたいの。」 「・・・・・・・。」 「それが、・・・・家族なんだから・・・・・。」 「・・・・・・・・。」 ひっく。 ヒカリの喉から、鳴咽が漏れた。 「私達は・・・あなたを、ヒカリを、愛しているわ。 例え、あなたがどんな罪を犯そうとも、 世界中の人々に後ろ指を差されようとも、 あなたを愛し続けてる。」 どうして、涙はこんなにもたくさん出て来るものなんだろう。 ヒカリは流れる涙を拭わなかった。 そんな事をしては、もったいないと思った。 「・・・・駄目なの。あたしは、・・・・駄目なの。」 「・・・何が、駄目なの?」 優しく、ドア一枚隔てて届く母親の声。 「あたしは・・・あたしは、ひどい事したの。 お母さんに・・・顔向け出来ないぐらい、ひどい事したの。」 「ヒカリ。言ったでしょ。 私は、どんな事があっても、あなたを愛してるって。 お母さんの事、信じられないの?」 「そんな事!・・・・そんな事・・・・ない・・・・。」 「ヒカリ・・・・。」 「あたし・・・・。アスカを傷付けたの。 ううん。アスカだけじゃない。 鈴原も、 碇君も、 皆あたしが傷付けてしまったの。 アスカは、そんなあたしを、命をかけてまで、助けてくれたの。 あたしは・・・・大事な友達を、傷付けたの・・・・。 あたし・・・あたし・・・・・。」 「・・・・ヒカリ。 だけど、アスカちゃんはあなたを許してくれたんでしょう? 笑って、彼女にお礼を言えばいいの。 そして、もう大丈夫よって、言ってあげればいいの。」 「駄目よ・・・・駄目。 あたし、皆にどんな顔して会えばいいのか、分からない。」 「・・・・ヒカリ。三年前の家族旅行、覚えてる?」 「・・・・え?」 ヒカリは、急な話題の変更に戸惑った。 「どう、覚えてる?」 「・・・・う、うん。たしかあたしが病気にかかって一ヶ月も入院して、 その全快記念だって、五人で出掛けたのよね・・・・。 岐阜の方へ、二泊三日で・・・・・。」 「そう。じゃあ、その時に見た、鍾乳洞、覚えてる? その時あなた、目を輝かせて見ていたっけ。 『奇麗・・・・・』って、何度聞いても、そればっかり。」 「・・・うん。覚えてる。 とっても幻想的で・・・・・・。 こんな素敵なものが、あるんだ・・・・・って、とても感動してたの・・・・。」 「・・・・うん。じゃあヒカリ? 科学の問題よ。 鍾乳洞は、どうして出来るの?」 「? それはたしか・・・・石灰石が、雨水に溶けて、時間を掛けて堆積していって、 出来るのよね・・・?」 「そう。で、時間を掛けて・・・・って、言ったけど、実際どれくらいの時間を 掛けて、あれだけのものが出来上がるのか、分かるかしら?」 「・・・・えっと・・・・・よく・・・・分からないけど・・・・。」 「つららみたいに上から垂れ下がっている柱や、 その反対に下から伸び上がるみたいに出て来ている柱もあるわね。 つららの方を鍾乳石、下からの方を石筍、と呼ぶのだけど、 それらが1センチ伸びるのに、およそ百年から二百年はかかるそうなの。 鍾乳洞、と呼ばれるものは、何千万年、何億年という、気の遠くなる様な 長い刻を経て、ようやく出来上がるの。」 「・・・・・・・・・・お母さん・・・・・・・・・・・・・・。」 「まるで止まっているように見えながらも、それでも少しずつ、少しずつ、 成長して行くものなのよ。」 「・・・・・・・・。」 「少しずつ・・・・・・少しずつ・・・・・・ね・・・・・・・。」 「お母さん・・・・・・。」 ヒカリは。 ドアを、開けた。 そこには、変わらぬ優しい眼差しの母親が待ち、 不器用だが優しい少年が、電話の向こうで彼女を待ち、 家族も、親友も、クラスメートも、彼女を待ってくれている筈だった。 ・・・・そして。 それが果たして真実であった事を、彼女はすぐに知る事になる。 そして心地良く、満たされる様な涙を、何度も、何度も、流す事になる。


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ver.-1.00 1997-10/28公開
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 河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第拾六話、公開です。

 
 
 大きな山場だった「洞木ヒカル」編。

 彼女を助ける、
 彼女を支える沢山の人々によって無事に(^^)

 トウジ、
 

 アスカ、
 シンジ、
 

 そして、母。
 

 彼女の包容力はこの母にして。だったんですね。

 
 
 アスカを救ったレイ、初登場−−

 神秘性と美と力。

 またも大きな流れが・・・

 

 
 さあ、訪問者の皆さん。

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