「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 三人共、口を利かなかった。 ただ黙々と、石段を一段、一段、踏みしめて行く。 僕等は−−−僕と、アスカと、トウジとは−−−洞木さんに呼び出されて、 学校の裏手にある小高い丘の上へと向かっていた。 ・・・・・・洞木さんは、一体どういうつもりなんだろう。 それは、僕達三人に共通して浮かんでいる疑問であったろう。 それが分からないからこそこうしてその場所へ向かっている訳だが。 しかし、皆口を閉ざしたままなのは・・・・・・ひょっとすると、これから起こるだろ う ”何か”を、心のどこかで感じ取っていたからなのかもしれない。 石段のすぐ傍に咲いている、つつましやかな花々も、僕等の心を和ませる 役目は果たさなかった。 ・・・・・重い行軍を続け、やがて石段も終わりが来た。 アスカを先頭に、僕らは最後の一段を登り終える。 眼下に僕等の住む町並みが見え、最高の景観が僕等を包む。 しかしとりあえず僕の感心はそちらには無かった。 僕の目は、少し離れた所に佇む、一人の少女に釘付けになっていた。 その少女は、壱中の制服に身を包んでいる。 僕等の方を、じっと見つめていた。 ・・・・・・誰だ? 僕は思わずそんな風に考えてしまった。 ・・・・・・洞木さん? 戸惑った後、僕はその人物が誰であるのか、やっと理解した。 おさげ髪。 少し目立つそばかす。 それはクラスメートであり、そしてアスカの親友である、洞木ヒカリに 他ならなかった。 しかし。 それが、本当にあの彼女だったろうか。 明るい、というよりも、口うるさい、という印象を持たせる彼女。 いつも精力的に、皆を懸命に引っ張って行こうと努力している彼女。 しかし、今の彼女は・・・・・・・・・・。 別人だった。 笑みを浮かべながらこちらを見てはいたが、その表情はまさしく仮面。 マネキンですら、もう少しまともな表情をしていたろう。 アスカと、トウジのたじろぐ気配。 二人にもさすがに分かるのだろう。 洞木さんの異常が。 三文芝居の役者の様に、彼女は感情の全く感じられない声で、僕等に 話し掛けて来た。 「ありがとう・・・・・・・・・・。よく来てくれたわね・・・・・・・・・。 アスカ・・・・・・・鈴原・・・・・・・・それに、碇君・・・・・・・・・・・。」 にこり。 彼女の口の周りの筋肉が、笑いを形作った。 「どっ・・・・・・・どうしたのよ!ヒカリ!」 アスカが叫ぶ。 洞木さんは笑みを浮かべたまま。 「どうしたのって・・・・・・・何が?」 「何が、じゃ無いわよ!どうしちゃったの、ヒカリ!?あなた、変よ!」 「変・・・・・・?あたしが?」 可笑しそうに忍び笑う洞木さん。 僕も、トウジも、何も言えずただ見つめていた。 「あたしは、いつも通りよ。・・・・・・とっても、いい気分。」 「ヒカリ!」 「碇君。」 洞木さんが、目の前のアスカを無視して突然僕の名を呼んだ。 一瞬、反応が遅れる。 「え・・・・・・・な、何?洞木さん?」 「碇君・・・・・・ちょっと、こっちに来てくれる?」 「・・・・・・・・・・・・・。」 得体の知れない、”何か”を孕んだ目。 拒否したかったが、この状況でそれは出来ない。 僕は黙って彼女に近づく。 アスカよりも、一歩洞木さんに近い位置に立つ。 洞木さんの、かさかさに乾いた唇から、言葉が、漏れた。 「碇君・・・・・。あたし、あなたに、話があるの・・・・・・・・。」 「・・・・・・・話?」 「そう・・・・・・・・お話。」 「どんな?」 その時。 始めて、彼女の表情が動いた。 嬉しそうな、悲しそうな、辛そうな、そんな全てを包み込んだ様な、表情。 ある種の”決意”を秘めた瞳。 人間に、こんな目が出来るものなのか。 僕は戦慄した。 「話というのは・・・・・・これよ。」 彼女が、一歩足を踏み出した。 避ける間も無く、僕の両肩は捕まれ、そして・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・んっ!」 ! 僕の精神は混乱に至った。 唇を覆う、温かな感触。 全身の神経が麻痺し、身体は運動を拒絶した。 キスを、されている。 誰が? 僕が。 誰に? 洞木さんに。 辛うじて状況を理解しても、混乱は収まらなかった。 想像した事も無い状況。 頭の中は、真っ白になっていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 十秒も、そのままだったろうか。 やがて、洞木さんが唇を離し、そして身体を離した。 僅かに上気した顔。 「ヒ・・・・・・・ヒカリ!?」 しばしの沈黙の後、最初に口火を切ったのはアスカだった。 親友の名を呼ぶ声は、まるで悲鳴の様。 「何を・・・・・・・・何、するの!ヒカリ!」 「何するの、ですって・・・・・・・・?」 洞木さんが、笑う。 「同じ事をやってあげただけよ・・・・・・・・・。あなたと、同じ事を。」 「え?」 「とぼけないで!」 突然、激昂する洞木さん。 僕らは、圧倒されて立ちすくんだ。 「知ってるんだから!あたし!鈴原と、アスカが、付き合ってる事!」 !? 「な・・・・・・・?何、言ってるの?ヒカリ?あたしと、鈴原が・・・・・・・?」 「ヒカリ、なんて、馴れ馴れしく呼ばないで!友達面しないでよ! ずっと、騙してたくせに!ずっと、あたしの事馬鹿にしてたくせに!」 「ヒ、ヒカリ!?」 「触らないで!」 ぱあん! アスカが差し伸べた手は、洞木さんに空しく弾かれた。 「もう、友達なんかじゃない!アスカも、鈴原も! もう・・・・・もう、あたしは・・・・・・・あたしは・・・・・・・・・!」 洞木さんの目に、涙が浮かんでいた。 ばっ! 洞木さんは唐突に振り返ると、スカートを翻して走り出した。 逃げる様に。 「ヒ、ヒカ・・・・・・・・!」 「いいんちょ・・・・・・・!」 アスカと、そして今迄ずっとただ呆然と立ち尽くすしか無かったトウジが、 洞木さんの名を呼ぶ。 しかしその足は一歩踏み出しただけで止まり、それ以上彼女を追いかける事が 出来なかった。 彼女を追いかけるには、あまりにも今演じられた出来事の衝撃が、大きすぎた。 絶対の拒絶を、彼女から感じ取ったという事もある。 僕らは、その場から動けなかった。 洞木さんの姿はみるみる内に小さくなり、やがて見えなくなった。 「ア、アスカ・・・・・・・・?トウジ・・・・・・・・・?」 誰かが、喋っている。 誰の声かと思えば、自分自身の声だった。 「・・・・・・何・・・・・・・?シンジ・・・・・・・・・・?」 生気の抜けた声が返って来た。 「どう・・・・・・いう事?さっきの、洞木さんの、事・・・・・・・・?」 「知らないわよ!あたしが、教えて欲しいぐらいよ!」 「どう・・・・・・してもうたんや・・・・・・・いいんちょ・・・・・・・。」 「あたしと・・・・・鈴原が・・・・・付き合ってる・・・・・・・・・・・? 一体何を勘違いして、そんな事言ってるの・・・・・・・?ヒカリ・・・・・・・・ ・?」 「何が何やら、分からん。いいんちょに会って、きちんと話してみようや。」 「・・・・・ちょっと、待って。」 僕は、口を挟む。 「・・・・・・・何や?」 「それはいいけど・・・・・・・。少し、時間を置いた方が、いいと思う・・・・・・ 。」 「何でよ?」 「洞木さんの、今の精神状態じゃ・・・・・まともに、話も出来ないよ・・・・・・。 せめて一晩置いて、落ち着いた頃に話を聞きに行った方がいいと、思う。」 「で、でも・・・・・・・・・。」 「・・・・・・シンジの、言う通りやな。」 疲れた顔でトウジが賛成した。 「わいも・・・・・ちっと今はまともにいいんちょと話が出来そうにないわ・・・・・ 。」 両手が、震える程強く握り締められていた。 惣流が、溜め息を吐いた。 「そうね・・・・・・・。明日の朝にでも、ヒカリの家へ行くわ・・・・・・・。 一体どういう事なのか、ヒカリの口からきちんと聞かなくちゃ・・・・・・・・。」 僕とトウジは、肯く。 ・・・・・・・・・・・・・・。 ふと、気が付いて僕は右手を唇に当てた。 そこは、まだ先程の彼女とのくちづけの感触が微かに残っていた。 人差し指で表面を軽くなぞりながら、僕は奇妙な感覚に囚われる。 ・・・・・・・ファーストキス・・・・・・・・か・・・・・・・・・・・・・・・・ 。
僕のために、泣いてくれますか(第拾四話)
洞木ヒカリ・その3
「・・・・・・・・・・・・・・・。」 僕はベッドの上にごろん、と寝っ転がると、白い天井を見つめた。 様々な想いが現れては消えて行く。 僕らはあの後、結局それぞれの自宅へと帰って行った。 明日の朝洞木さんの家へ行く事を約束して。 時計は午後十時を示していた。 灯りを消し、薄暗い寝室の中で、僕は思考を続ける。 洞木さん・・・・・・・・。 どういう事なんだろう。 あの洞木さんがあんな行動に出て、しかも親友のアスカと絶交までしてしまう とは、にわかには信じ難い事だった。 何かの悪い夢の様にも思える。 ・・・・・・・・・・・。 洞木さんは、言っていた。 『知ってるんだから!鈴原とアスカが、付き合ってる事!』 あの言葉には、どういう意味があったんだろう。 彼女に惚れてる男としては、事実であるのか否か、目の色を変えて 問い質すべきだったろう。 しかし確かにアスカとトウジとはそれなりに仲は良いが、 どう考えてもあの二人が男と女の関係などという事は想像もつかない。 僕はアスカの事は何でも分かってるつもりだ。 だからこそ、あの二人の関係についてはこれ以上考える必要は無い。 問題なのは、何故あの洞木さんが二人の仲を邪推する様な羽目になって しまったのかという事だ。 考えられるのはまず、悪質な噂、という事だろう。 例えば洞木さんかアスカかにあまりいい感情を持っていない人が、彼女に 『トウジとアスカは付き合っている。』 という様な事を吹き込み、それを彼女は信じてしまった、という考え。 しかし洞木さんとアスカとの信頼は堅いものだ。 そんな、噂の様なものを洞木さんが信じるとも思えない。 そして。 もう一つ、考え方がある。 しかしこれは、余りにも突拍子も無い考えだ。 偶然、という名のか細い糸が、無数によりあわされなければ辿り着く事の無い、 まさに仮定の上に仮定を積み上げた様な考え。 ・・・・・・・・・・・・。 しかしまあ、全ては明日だ。 明日、洞木さんにはっきりと問い質すしか無い。 ごろん、と寝返りを打った。 と。 prrrrrr...........prrrrrr..............。 電話が、着信した。 受話器を取る。 「もしもし?」 「あ、シンジ!?」 アスカの怒鳴り声が響いた。 頭がキンキンするのを押さえながら、僕は返事する。 「惣流?どうしたの?」 「いないのよ!?」 「・・・・・・いない?」 「そう!いないの!」 「いないって・・・・・・・誰が?」 本当は、分かっていた。 しかし聞かずにはいられなかった。 「ヒカリが・・・・・・・・ヒカリが、いないの!ねえ、どうしたらいい!? シンジ・・・・・・・シンジい!」 「ついさっき、ヒカリのお母さんから連絡があったのよ。」 アスカが目に涙を浮かべている。 僕らはお互いのマンションの丁度中間の辺りの道路で、立ちながら 話をしている。 アスカはまだ制服のままで、よほど洞木さんの事を心配していたらしい事が うかがえる。 「ヒカリが連絡も無しにいなくなってしまったんだけど、もしかして そちらにお邪魔してませんかって。」 「・・・・・・・・自宅から、消えた・・・・・・・・?」 「うん・・・・・・・。それで、ひょっとして家出じゃないかって、向こうでも 大騒ぎしてて・・・・・・・・。どうしよう、どうしよう、シンジ。 どこ行っちゃったんだろう、ヒカリ。 もし・・・・・もし、万が一にでもヒカリが自殺するなんて事あったら・・・・・・。 」 「だ、大丈夫だよ、惣流。」 僕は彼女を安心させるために必死になった。 「だ、だって、書き置きとか、そういうのは無いんでしょ? だったら、そんな心配する事、無いよ。少なくとも自殺なんて事は無い。」 「・・・・・・・・・そ、そうよね・・・・・・・。」 「きっと、混乱してあちこち歩き回ったりしてるだけさ。 心配ならあちこち探してみよう。僕も、手伝うから。」 「う、うん・・・・・・・・。」 「どうしよう。トウジとか、ケンスケにも、手伝ってもらおうか。」 「駄目。シンジがここに来る迄に鈴原に電話したんだけど、あいつ家に いないの。だから捕まらなくて・・・・・・・・・。相田の方は携帯が電波の 届かない所にいるみたいだし・・・・・・・。」 「そう・・・・・・。とりあえず、二人で探してみようか。」 「待って。その前に、ヒカリの家へ行きましょ。」 「洞木さんの?」 「そう。ヒカリの部屋を見せてもらえば、何か色々と手がかりも見つかるかも しれないわ。」 がちゃり。 ノブが回り、開いた玄関のドアから、一人の女性が顔を出した。 洞木さんのお母さんだ。 僕も一度会った事がある。 彼女は僕達の姿を認めて、心配そうな顔を崩さなかった。 「ああ・・・・・・アスカちゃん。ごめんなさい・・・・・・・・。 ヒカリが、こんな・・・・・・・・・。」 「大丈夫ですよ。おばさま。すぐヒカリ、見つかりますから。」 「え、ええ・・・・・・・・。」 彼女はハンカチで目元を拭った。 「あの・・・・・早速で、悪いんですけど、ヒカリの部屋、見せてもらえますか?」 「ええ、もちろん・・・・・・・。シンジ君も、遠慮せず・・・・・・・・。」 「はい・・・・・・・。失礼します・・・・・・・・。」 僕らは靴を脱いで上がり込むと、おばさんに連れられるままに二階への 階段を登った。 洞木さんの部屋の前に立つ。 ドアの真ん中に、彼女の名前が書かれたプレートが下がっている。 アスカが、ドアを開けた。 「・・・・・・・・・・・・・。」 中は、思ったより普通だった。 別段、荒らされた様な所も無い。 ベッドのシーツは彼女らしくぴしっと伸ばされ、本棚は作者別、種類別に きちんと整理されていた。 「あの・・・・・・おばさま。タンスや、クローゼットから、服が無くなってる、って 事は、ありません?」 アスカが問うた。 「それはないわ。私も確認してみたけど、あの子の旅行鞄なども 置きっ放しだったし・・・・・・・・。」 「そうですか・・・・・・・・・・。」 「あ・・・・・・・・アスカお姉ちゃん・・・・・・・?」 入り口の方で、幼い声がした。 振り返った僕等の前に、小学校中学年ぐらいの女の子が立っている。 洞木さんの妹さんか。 彼女はその瞳に涙を一杯に溜めて見ていた。 うさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めている。 「アスカお姉ちゃん・・・・・。ヒカリお姉ちゃん、どこ行っちゃったの・・・・・・ ?」 「・・・・・・・・・・・・。」 「あたし・・・・・・あたしが、悪いの?あたしが、ヒカリお姉ちゃんを困らせる ようなことしちゃって、それで怒ってお姉ちゃん出て行っちゃったの・・・・・・・? 」 「そんな事、無いわよ・・・・・・・・・・。」 アスカが彼女の視線に合わせて、片膝をつく。 「大丈夫。お姉ちゃんが、必ず見つけてあげるから・・・・・・・。」 「ほんとに?」 「ほんとよ。だってアスカお姉ちゃんは、魔法使いなんだから。 すぐにでも、ヒカリを見つけられるわよ。」 女の子の顔が、ぱあっと明るくなった。 「そうよね!アスカお姉ちゃん、魔法使いだもん! 魔法を使えば、すぐにでも見つけられるよね!」 「そうよ。だから、安心して待っててね。ヒカリが帰って来た時に、おかえりなさい を言ってあげなきゃ駄目なんだから。」 「うん!」 女の子は、ぱたぱたとスリッパの音を響かせて出て行った。 おばさんが、心配そうな顔で、アスカを見た。 「あの・・・・・。ヒカリのために、と言うのなら、無理は、しないで・・・・・。 私も、知ってるから・・・・・。魔法使いが、勝手に魔法を使う事がどれだけ 罪が重いか・・・・・・・。」 「大丈夫ですよ、おばさま。何事も、ケースバイケースですから。 こういう場合なら、ほとんど何も言われずにすむ筈ですよ。」 アスカが、にっこりと微笑んだ。 まあ、確かにアスカの言う通りだ。 やむを得ない事情があれば、魔法使いが日常の場で魔法を使う事も 認められる。 しかし全くおとがめ無し、というのはまず有り得ないだろう。 恐らく罰金の支払いや、最低でも一ヶ月以上の魔術の使用の禁止などの ペナルティはあると思う。 まあ、多分ばれる心配は皆無だと思うけどね。 ちなみに魔術の使用禁止、というのは訓練においても魔術を使う事を 認められない、という事である。 魔術の使用は元々禁じられているものであり、魔法使い達が魔術を使える 数少ない場所の一つが、学院である。 魔術の学習に魔術を禁じていてはどうしようもないので、学院の中やその他 例外的な場所では使用を認めている、という具合だ。 ・・・・・とりあえず、この辺の話よりも洞木さんの行方を捜す方が先決だ。 「では、ちょっと失礼して、魔法を使わせてもらいますね。 精神集中の必要があるので、おばさまはちょっと出ていて頂けます? シンジは手伝いに残って。」 「うん。」 おばさんはなおも心配そうにアスカを見ていたが、やがて頭を下げると、 部屋を出た。 ばたん、とドアが閉まる。 「・・・・・・惣流。」 「何?シンジ。」 僕にはアスカの心遣いがよく分かった。 魔法使いが魔法を使う事は犯罪である。 そして同時に、普通の人が魔法使いに勝手に魔法を使う事を依頼する事も また犯罪である。 故に、アスカはおばさんにその責を負わせないために、彼女を魔術の場から 遠ざけたのだ。 「どういう魔法を、使うの?洞木さんの行方を捜すのにいい魔法とか、ある?」 とりあえず僕の口から出たのは、無難な問いだった。 「まあね。これさえあれば、ヒカリの居場所も、簡単に分かるわよ。」 アスカは机の上から、あるものを手に取った。 「・・・・・・・ヘアブラシ?」 「そうよ。いい?人間の肉体から離れた物体は、しばらくの間その人間の 精神的、肉体的波長を記憶しているものなの。 だからそういった物体を触媒として使えば、その人の居場所なんかも、 調べる事が出来るわけ。」 「へえー。」 知っている事ではあったけど、とりあえず感心しておく。 「その人が常に肌身離さず持っている持ち物とか、或いは肉体の一部 なんかが触媒として最も効果が高いわ。 だから、このブラシから髪の毛を一本抜いて、それを使うの。」 「ふんふん。」 「じゃあ、始めるわよ。邪魔、しないでね。」 アスカはブラシから毛を抜き取ると、それを手に握り締めて、ぶつぶつと 呪文を唱え始めた。 純粋な魔法語のみの呪文であり、この一事だけで彼女がどれだけ優秀な 魔術師であるか知れる。 ・・・・・ちなみに、呪文、というものが魔術にとってどういう意味を持つもの なのか、という説明に関しては、後で機会があったら、という事にしておこう。 ぷつ、ぷつ。 アスカの額に、汗が浮かんだ。 なかなか、てこずっているようだ。 考えてみれば、アスカが魔術を使っている所を見るのは、これが初めてだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・・・・ほおっ。」 アスカが、急に大きな溜め息を吐いて、身体を脱力させた。 「どう?アスカ。分かったの?」 「ええ、大体ね。どうやら一個所でじっと動かないようだわ。 とりあえず電車とかに乗られていたら厄介だったけど。」 「で、どの辺?」 「・・・・・・あそこよ。」 「・・・・・・あそこ?」 アスカは、ゆっくりと肯いた。 街の夜景が、きらめいた。 色とりどりの地上の星々が、美しい風景を形作っている。 こういうものを見ると、人間が作るものも素晴らしい、と心から思う。 アスカは、あの丘の上に来ていた。 魔術の結果、ヒカリの居場所を突き止めたのだ。 取り急いで駆けつけたアスカ。 シンジは、一緒にはいなかった。 洞木家に置き去りにして来た。 おばさま達だけじゃ、不安になってしまうから、という理由で無理矢理 置いて来たが、本当の理由はヒカリと二人きりで話がしたいからだった。 きっとヒカリを前にしたら、自分でもどんな事を口走ってしまうか分からない。 シンジと唐突なキスを交わしたヒカリの姿が心に浮かぶ。 「確か・・・・・・・この辺りだった筈・・・・・・・・・・。」 アスカは周囲を見回した。 暗い。 もしかして、ここへ来るまでの間に、どこかへ移動してしまったのではと 内心焦る。 そこへ。 声が、かけられる。 「・・・・・・・こんばんは。」 その声に親友の響きを感じ、アスカは幾分かの安堵と、幾分かの緊張を秘めて 振り返った。 「・・・・・・・・ヒカリ。」 洞木ヒカリが、そこに立っていた。 しかし。 それは本当に、”洞木ヒカリ”であったろうか。 アスカは、戸惑っていた。 今日夕方、会ったヒカリは、言ってみれば狂気を秘めた、という印象を受ける。 そして、今目の前にいる少女は。 再びその様子を変貌させていた。 夕方の時と同じく、制服に身を包み、じっと佇む彼女。 何故か分厚い、古めかしい本を一冊、傍に抱えている。 その瞳の中に、ヒカリ以外のものの意志を感じるように思え、アスカは たじろいだ。 「ヒ・・・・・・ヒカリ!なんで、こんな所に、いるの?皆、心配してるわよ。 おじさまも、ヒカリのお姉さんも、街中あちこち探しまわってるわ。 ・・・・・今日は、一体どうしちゃったのよ、ヒカリ?」 「・・・・・・・・・・・・・。」 「話したくない、って言うなら、それでもいいわ。 でもとにかく、家に帰りましょう。おばさまも、妹さんも、心配してる。 早く安心させてあげて・・・・・・・・・。」 「無駄だよ。彼女、”帰りたく”ないってさ。」 ヒカリが、口を開いた。 その声音に何かを感じ取り、アスカは思わず二、三歩後じさった。 「あ・・・・・・あなた・・・・・・・”誰”?」 「へえ。分かるの?どうやら随分優秀な魔法使いらしいね。」 その声は、ヒカリのものでありながら口調はヒカリのものではなかった。 男の子の口調。 事情を知る者が聞けば、それがまさしく、あの”キッド”のものである事に 驚いたであろうが、アスカにはそれを知る由も無い。 「誰なの、あなた?ヒカリの身体を乗っ取っているのね?どういうつもり?」 「どういうつもりも何もないさ。ただ、この身体で思いっきり楽しむのさ。 くくっ。」 笑いと共に、ヒカリはぱちん、と指を鳴らした。 そしてそこに巨大な火花が生じ、瞬きする間にそれは幾つもの炎の塊と化した。 「・・・・・・・・・・・・・。」 黙って見つめるアスカ。 ヒカリが手を振ると、炎は全て跡形も無く掻き消えた。 「何だ、あまり驚かないね。」 つまらなそうに言う。 「そんな手妻で、このあたしが驚くとでも思ってるの? いいから、ヒカリから離れなさい。」 「嫌だね。それに言っただろう?彼女、”帰りたくない”らしいって。」 「?」 「今、彼女は心を閉ざしているのさ。外界の全てから背を向けて、 自分だけの世界に閉じこもっている。 だからこそ僕が彼女の身体を支配する事が出来る様になったんだけどね。」 「なん・・・・・・・ですって・・・・・・・・・・。」 「くくっ・・・・・・・・・・・くっくっく・・・・・・・・・。」 笑うヒカリ。 ・・・・・・・いや、キッド。 うら若い少女が少年の言葉で話すその姿は、ある意味倒錯的な魅力を 見る者に感じさせる。 「あなた・・・・・・・ヒカリを・・・・・・ヒカリを、返して!」 「嫌だね。・・・・・・・・・・・っと・・・・・・・・・・・・。」 突然キッドは、何かを感じ取った様にあらぬ方向をじっと睨み付け、 再びアスカの方へ向き直った。 「もう少し君とはお話したかったんだけどね・・・・・・・・。 ちょっと、”怖い人”がこっちに近付いてるみたいだ。 残念だけど、これでお別れだね。」 あっけらかんと笑うキッド。 「ちょっと・・・・・・待って・・・・・・・・!」 手を伸ばすアスカ。 しかしキッドは・・・・・・・ヒカリの身体は・・・・・・・・次の瞬間、その場から 掻き消えていた。 瞬間移動の魔術だ。 「くっ・・・・・・・・・。」 そうと知るや、アスカは慌てて”追跡(トレース)”を開始した。 瞬間移動に使われた魔力の流れがどちらへ向かっているかを調べ、 どこへ移動したか知るのだ。 相手は巧妙に魔力を隠してはいたようだが、アスカとて将来を嘱望された 天才魔術師である。 容易い事ではなかったが、何とか追跡は成功した。 こ・・・・・・・これって・・・・・・・・・・。 アスカは、ヒカリの行き先を知って、愕然とした。 まさか。 よりにもよって、あんな所へ。 立ちすくむ彼女。 「ねえ・・・・・・・・・君。」 そこへ、声がかけられた。 何時の間にか、ちょっと離れた所に、人が一人立っていた。 追跡に夢中になっていた彼女には、気配が感じ取れなかったのだ。 「・・・・・・・・・・・・・?」 アスカは、その人物を見て、ほんの僅かに疑問の色を瞳に浮かべた。 見た事のある人物だった。 年格好は、自分と同じ位だろうか。 十代の中盤くらいの、少年の姿。 細い体つきは、シンジを思い起こさせる。 美形であった。 見る者を男女問わず陶然とさせる端正で、繊細な顔立ちであり、その銀色の 頭髪も、全く不自然さを感じさせない。 「あ・・・・・・・・・・・。」 アスカは、思い出した。 確かにこの人物とは、一度・・・・・・一度だけ、逢った事がある。 ちょっと前・・・・・・・シンジが、何かの用事で学院へ行った時の事だ。 その時、ミサトと立ち話をしている所を見かけたのだ。 確か・・・・・・・。 「あなた・・・・・・・監査員の・・・・・・・・・・・?」 少年の表情が、僅かに動いた。 「君・・・・・・・僕の事、知っているのかい・・・・・・・・・?」 「ええ・・・・・・まあ、ね。」 相手はアスカの事を覚えてはいないようだった。 アスカは、ヒカリの事が心配でいてもたってもいられなかったが、 目の前の彼を無視する訳にもいかなかった。 何か、偶然以外のものを、彼との遭遇に感じていた。 「君・・・・・・名前は・・・・・・・・・?」 少年が、問う。 アスカは僅かに目を細めた。 「人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るべきじゃなくって?」 「僕の事、知ってるんじゃないのかい?」 「・・・・・・見かけた事があるだけよ。名前も知らないわ。」 「そうか・・・・・・・・。僕は、カヲル。渚カヲル。 君が言った通り、監査員なんてものをやってる者さ。 年齢は、聞かないで。」 カヲルは、ニッ、と、笑った。 年頃の女性ならばそれだけで虜になるだろう極上の笑みではあったが、 アスカには何の感慨も呼び覚ます事は無かった。 「・・・・・・あたしは、アスカ。惣流・アスカ・ラングレー・・・・・・・・・です 。 そちらが立場を明らかにした以上・・・・・・やはり敬語でないと、 まずいかしらね。」 「ほほお。」 カヲルが、感嘆の声をあげた。 「なるほど、君が、惣流・アスカ・ラングレー君か。 ”GEHIRN”に、ドイツ帰りの天才少女がいるという話は聞いていたけどね。 これはまた、噂に違わずお美しい。」 「・・・・・・世間話は、これくらいにしましょう。」 アスカは冷たく言い放った。 この渚、という少年−−−いや、本当の年齢は少年などとは呼べない だろうが−−−は、アスカのもっとも嫌いなタイプの人間だった。 気障な男。 アスカは密かに思う。 「何故、こんな所に、あなたがいるのですか?お聞かせ願えますか?」 口調こそ慇懃ではあったが、その端々に嫌みを交えた言い方。 カヲルは苦笑する。 「何故・・・・・君にそんな事を言わなければならないのかな? 少なくとも話をするのは初めての、君に対して。」 「・・・・・・・・・・・・・。」 じっと見つめるアスカ。 カヲルは、肩をすくめた。 「・・・・・・洞木ヒカリ、というのは、君のクラスメートだね?」 「親友よ。」 やっぱり。 この男、ヒカリに関して、何か知っている。 「なるほどね。親友・・・・・・・っと・・・・・・・・。 それじゃあ・・・・・・・・・・。」 「ちょっと待ちなさい。あなたが先に質問したのよ。今度はあたしの番よ。」 「僕は公務を行ってるんだがねえ。」 「ここで日の丸を持ち出す気?意外と小さい男ねえ。」 「分かったよ。何でも言ってくれ。」 「そうね。何故、あなたヒカリを探しているの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 「答えなさい!」 「・・・・・・・めんどくさいね。こうなったら、ぶっちゃけて話してしまおうか。」 「・・・・・・・・・。」 「まずね・・・・・・僕は、正式名称を言うわけにはいかないが、国内の 治安を守る職に就いている。 対象は、様々。 大抵の場合は魔術師相手だね。 届け出も出さずに魔術を行う人ってのはいつの時代も多くてね。 ほんとに魔法使いの犯罪ってやつは、扱いが大変だよ。 そう言えば、君もさっき、何か魔術を行っていたような・・・・・・・・。 追跡かな?」 「気のせいでしょ?」 「まあ、そういう事にしておこう。」 「で、それと同時に監査員でも、あるわけ? 公務員の割には随分ずさんな立場ねえ。」 「有能な人間ってのは、どこの職場でもひっぱりだこでね。 特に優秀な魔術師なんてのは、数が少ない。」 「それで、何故ヒカリが関係してくるわけ?」 「それは、君も薄々分かってるんじゃないかな?」 「・・・・・・・・・・。」 「彼女は、悪魔に憑りつかれてる。」 やっぱり。 大体の事は予測がついていた。 しかし、実際言葉で聞いてしまうと、さすがにショックは大きかった。 「何故、そこに至ったのかを説明するのは少し長くなるんだが・・・・・・ いいかな?」 アスカは肯く。 「まず、僕は一人の魔術師を追っていた。 彼女は・・・・・・・いや、女性かどうかも、実際はっきりとは分からないんだがね。 ともかく彼女は、はっきり言って最悪の魔術師の一人だった。 いわゆる”悪魔召喚師”というやつさ。 ただちょっと特殊な事に、ここ五十年ほど、彼女は普通の悪魔の召喚を 行わなくなっていた。」 「どういう事?」 「何かと言うと、彼女は非常に嫌らしい”コレクション”を始めてしまったのさ。 そのコレクションの内容というのが・・・・・”悪魔の書”。」 「・・・・・・・・・・・・・。」 「説明するまでもないだろうけど、悪魔を召喚した場合は、自分の魔力を 貸し与えて悪魔にこの世界で行動する自由を与える、というのが セオリーだ。 ところが悪魔召喚師の中には妙な事を考える奴もいるもんで、 召喚した悪魔を本の中に閉じ込めてしまおう、などという術が開発された。 本に閉じ込められた悪魔は、普通に魔術師に支配されたものよりも 活動は著しく制限されるが、その代わりに例え召喚師が滅んでも、 本さえ無事であれば永遠にこの世界に留まり続ける事が出来る。 こういった本の事を悪魔の書、というのさ。」 「この場で魔術師試験を行うつもりかしら?」 「すまないね。一応、確認しておかないと。君が本当に理解しているかどうか。 公務員、というのは色々とあるものさ。 彼女は自分で悪魔を召喚し、或いは過去の魔術師達が作り出した ”悪魔の書”なんかを手に入れたりして、着々とコレクションを 増やしていた。」 「・・・・・・・・・・・。」 「で、まあ僕は彼女を追っかけてたわけさ。 彼女も嬉しかったろうねえ。こんな美少年に追いかけまわされてさ。」 「・・・・・・・・・・・。」 「ごほん。で、まあ、努力の甲斐あって、というか、僕はついに彼女を 先日捕らえる事が出来た。 これで人々も枕を高くして眠れるし、僕自身金一封を頂けて、 めでたし、めでたし、というわけ。」 「でも、それで終わりじゃないんでしょ?」 「まあね。彼女のコレクションを、いちいち調べてみたんだが・・・・・・・・ 僕が目をつけていた、もっとも危険な悪魔の封じられた書が一冊、 コレクションから失われていたんだよ。 どこへやったのかと問い質したら、自分で探せとか吐かすものだから、 頼むから殺して下さいと泣き叫ぶまで苛めてから、やっと聞き出した。 ”気に入った”女の子にその本は譲ってしまった、と言うのさ。 その女の子というのが・・・・・・・・・。」 「ヒカリ・・・・・・・・・・・!?」 「まあ、そういう事だ。 これで君と僕とがこうして出会った理由がつながったね。 その悪魔−−−通り名では、”キッド”、とかいうらしいがね−−−は、 自分の本を所有した人間を、甘言を弄してたぶらかし、やがてその人間の 弱みをついてその肉体を乗っ取ってしまう、という厄介な奴さ。 そのパターンは様々だが、大抵の場合心に深い傷を負わせ、心を閉ざして しまった所を支配する・・・・・・・というやり方らしいね。」 「・・・・・・・・・・・。」 「・・・・・・と、いうわけで僕は、その愛しのキッド君を捕まえなきゃいけない。 まあ、捕まえるといっても、その場で叩き殺すだけだがね。」 「ヒカリは・・・・・・・ヒカリは、助かるの?」 「助からない。」 「・・・・・・・・・・・え?」 アスカは耳を疑った。 信じたくない一言が、カヲルの口から放たれた。 「彼女は・・・・・・洞木ヒカリ嬢は・・・・・・・助からない。 キッドにすでに完全に支配されてしまった以上、最早彼女から悪魔を ひきはがすのは不可能だ。 彼女の肉体もろとも、滅ぼしてしまうしか、方法はない。」 「そ・・・・・・・そんな・・・・・・・・・・・。」 アスカは、目の前が真っ暗になった。 「な・・・・・何か、方法が、ある筈よ!助けられる筈よ!」 「無理だね。 まあ、一つだけ方法が無きにしもあらずだが・・・・・・・これも不可能事さ。 そもそもあんまり手間をかけてもいられない。 仕事が溜まっていてね。忙しくて死にそうなんだ。 有給はおろか、日曜もない。 週休二日に憧れるよ。」 「お・・・・・・お願い!ヒカリを、助けて!」 「無理だ、と言ったろう。 そもそも、君にこんな話をする必要性はなかったんだがね。 まあ、親友が死んだ理由も分からないというのはさすがに可哀相だと 思ったからこうして教えてあげたんだ。 君はもう少し頭の良い人間だと踏んでいたんだが。」 冷酷な瞳がアスカを射抜いた。 「駄目よ・・・・・・・駄目!ヒカリは、殺させない! あたしが、ヒカリを救ってみせる!」 「・・・・・・・聞き分けの無い娘だ。」 カヲルが、苛立ちの様子を見せた。 アスカは、きっとカヲルを睨みつけた。 ・・・・・・・と。 「・・・・・・・・・・・・!?」 アスカは、奇妙な感覚に襲われて、身体を揺らめかせた。 急激な眠気が、彼女を支配していた。 正面のカヲルの両目が、炯炯と光を放っている事を確認し、怒りに身を 震わせる。 「あ・・・・・・あなた・・・・・・・術をかけた・・・・・・・・わね・・・・・・ ・・。」 「悪いが、眠ってもらうよ。邪魔されたくはないんでね。 全て終わったら、起こしてあげる。それまで幸せな夢でも見ているんだね。」 「・・・・・・・・・・・・く・・・・・・・・・・・。」 瞼が、鉛の様に重かった。 このまま眠ってしまえたら、どんなに楽だろうか。 しかし。 「くうううううっ!」 彼女は強引に、術を解いた。 すうっと、眠気が去って行く。 相手の魔力は、自分とは桁違いの物だった。 彼女は一級魔術師ではあったが、恐らく彼は・・・・・・・・・ 特級魔術師の領域であろう。 カヲルが術を片手間に行った事と、アスカ自身の精神力とがこの圧差を 埋めてくれた。 「おやおや。」 カヲルは呆れた顔をする。 「しょうがないじゃじゃ馬だな。いいかげん諦めてくれないかな?」 「いやよ!ヒカリをなくすなんて、絶対に嫌!」 アスカは言い放ち、そしてその姿は次の瞬間、その場から掻き消えた。 瞬間移動だ。 「ふー、やれやれ。あんまり手間をかけさせて欲しくないなあ。」 カヲルは溜め息を吐いた。 「追跡を行ってたようだから、洞木嬢の居場所へ直接、転移したのかな? とっとと保護してあげないと。 いくら彼女でも、”あんな場所”に行ったら、ただじゃすまないだろうし・・・・。」 言葉の内容は心配そうだが、口調も表情も、全くそんな様子は無い。 「じゃあ、小旅行としゃれこみますかね・・・・・・・でも、その前に。」 彼は唐突に、ある方向を向いて、言い放った。 「いつまでそこに隠れてるつもりなのかな?君?」 すると、10メートル程前方の空間に、突如”穴”が現れた。 何も無い空間に、である。 真っ黒い、光を全て吸い込んでしまいそうな、楕円形の、穴。 その形を別にすれば、あの”ドラえもん”のタイムマシンの入り口を 思い起こさせる。 その”穴”から、一つの人影が、す、と現れた。 その足が地面を踏み締めると同時に、人を生み出した黒い穴は、急速に 縮まり、そして消えた。 「・・・・・・・・・・・・。」 その人影は、少年だった。 年格好は中学生くらい。 黒髪に、まあ、そこそこ、といった顔立ち。 体つきは細く、あまり運動などは得意そうではなかった。 少年は、厳しい表情で、じっとカヲルを見つめた。 カヲルはひゅう、と口笛を吹いた。 どうやら感嘆しているらしい。 「これはこれは・・・・・・さっきのお嬢さんもご立派な魔術師だったけど・・・・・ ・。 君の方が数等上のようだね・・・・・・・。 何か、僕に用でもあるのかな? ずっと、僕と彼女とのやり取りを見ていた様だけど。」 ・・・・・・・・・・・・・・。 しばらくの沈黙の後、黒髪の少年は、その口を開いた。 「アスカの、邪魔は・・・・・・・させません・・・・・・・・・。」 たった、一言だけ、言った。 「ふうん。彼女の、知り合いかい。・・・・・どういう、関係かな?」 カヲルが何気なく問うと、少年はふ、っと僅かに微笑んだ。 「そうですね・・・・・・・主人と、下僕、と言った所ですか・・・・・・・。」 「?」 さすがに予想外の答えに少し疑問符を浮かべるカヲル。 「・・・・まあ、何でもいいがね。 しかし、君も、彼女の友人だったら、一緒に彼女を説得してくれないかな? 聞いていたなら、事情は分かってるだろう?」 「ええ。分かっています。」 「じゃあ・・・・・。」 「だから、彼女の邪魔は、させません。」 少年は、きっぱりと言い放った。 カヲルは、頭を抱えた。 「あのねえ。君は彼女よりはもう少し話の通じる人だと見たんだけどなあ。 頼むから、これ以上僕を困らせないでくれよ。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「洞木嬢を助ける事は、不可能なんだ。 そうとなれば、惣流君にわざわざ危険を犯させる事も無い。 君だって、友達なら彼女の事が心配じゃないのかい?」 「彼女なら、心配いりません。 それに、洞木さんを助ける事は、不可能じゃありませんよ。」 「?・・・・・・何故、そんな事が言える?どうやって、助けると言うんだ?」 「・・・・・・アスカが、彼女を絶対に助ける、と言いました。 それだけで、十分です。」 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 カヲルは、沈黙した。 しばらく、じっと少年を見つめる。 「なんていう目をしてるんだろうね。 僕はすれてしまったから、もうそんな目をする事は一生出来ないだろうね。 若い君が羨ましいよ。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「しかし・・・・・・。君が何を言おうと、僕はこれから悪魔を殺すために、 行かなくちゃいけない。・・・・・・・・どうする?」 「それなら・・・・・・・・・・・。」 少年は、す、っと目を細めた。 拳が、きつく握られる。 「その時は・・・・・・力ずくででも・・・・・・・・・・。」 淡々と、述べる。 はったりでは、なかった。 少年の目を見て、カヲルはそう判断する。 しかしそれを知っても、カヲルは苦笑するだけだった。 「悪いが・・・・・・君では、僕の相手にはならない。 それに、僕に暴力を振るう事が、どういう事になるか、考えてみたまえ。 君はまだ若い。 一時の激情に身を任せて、一生を棒に振るには、あまりにも惜しいよ。」 「僕なんて・・・・・・どうなったって、構いません。 彼女の力になれるなら、命だって、惜しくない。 それに・・・・・・・・・・・。」 「それに・・・・・・・・・・?」 「それに・・・・・・・・まんざら、あなたに歯が立たない、というわけでも・・・・ ・・・ なさそうですよ・・・・・・・・・・・・。」 「!!」 その瞬間。 カヲルは、戦慄を覚えた。 そこに佇んでいた、”なかなか優秀そうな少年魔術師”は、最早 影も形もなかった。 そこにいるのは・・・・・・・・・。 化け物だった。 ついさっきまで彼の身体から放たれていた魔力など、大海の中の 一滴の水滴であった。 常識外れの膨大な魔力を感じ取り、背筋を震わせる。 ざわ。 カヲルは、自分の腕を見た。 ・・・・・・・鳥肌が、立っていた。 ・・・・・恐怖を、感じているのか、僕は。 恐ろしい、などと感じるのは、何年ぶりだろうか。 カヲルはすでに、感動すら覚えていた。 何時の間にか、彼は笑みを浮かべていた。 歓喜のあまり。 「君・・・・・・・・・・。」 彼は、問う。 「君・・・・・・名前は・・・・・・・何て言うんだい・・・・・・・・・・・?」 「・・・・・・・・・・・。」 少年は、しばし、無言。 そして。 その唇が、動く。 空気を震わせ、一つの音を形作る。 渚カヲルは、すぐに知る事になる。 少年の、名を。 碇シンジ、という名を。
河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第拾四話、公開です。
ヒカリちゃんの危機 (;;)
ドンドンドンドンやばい事態は進行して、
ついに命の危機まで・・・
”あんな場所”
どんな場所?
ヒカリちゃんはともかく、アスカちゃんも行ったそこが気になる・・・
うっ、本音が漏れた(爆)
シンジには一刻も早く駆けつけることを望みます(^^;
さあ、訪問者の皆さん。
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