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「・・・・・・・って言うのよお。馬鹿みたいでしょ。
 だから言ってやったのよ。そいつにさあ・・・・・・・・・。」
機関銃の様に、べらべらと喋りまくる惣流。
壱中の制服に身を包み、鞄を右手に提げて僕の隣に彼女は居る。
いつもの、登校風景。
惣流と、毎朝一緒に登校する。
最初は、照れしか無かったけれど、最近は素直に嬉しい、と感じる。
僕の隣に、当たり前の様に彼女が居る事が、嬉しい。
惣流と一緒に居ると、飽きるという事が無い。
彼女はそれこそ、猫の目の様にくるくるとその感情を変える。
さっきまで笑っていたかと思えば、すぐに青筋を立てて怒り出す。
そしてその逆もしかり。
感情の起伏が激しい、と言うのだろう。
彼女に初めて会った人は、こんな彼女に驚き、そしてちょっと辟易するかも
しれない。
事実、僕も最初はそうだった。
だけど今は、−−−彼女の事が、”分かる”今は−−−そんな彼女の性格すら
可愛らしい。
もっともっと、色んな彼女の表情を見てみたい。
もっともっと、色んな表情を僕に・・・・・・・・僕だけに、見せて欲しい。
好きだよ・・・・・・・アスカ・・・・・・・大好きだ・・・・・・・・・・・。
僕が(いつもの様に)自分の世界に入り込んでいると。
「おはよう、アスカ。」
突然、後ろからかけられる声。
同時に振り返る僕ら。
惣流は破顔した。
「おはよ。ヒカリ。」
「おはよ。今日も仲いいのね。二人共。」
「あ、あのねえ。あたしは、しょうがなくシンジと一緒に居てやってるの。
 こんな奴と仲がいいなんて言われちゃ心外だわ。」
口を尖らせて言い放つ惣流。
僕と洞木さんとは顔を見合わせて苦笑する。
「ちょっと、ヒカリ、それにシンジまで、なに笑ってんのよ!」
「「ううん、別に。」」
息を合わせて答える僕と洞木さん。
「あ・ん・た・ら・ねえ!」
「まあまあ、アスカ。そんなに怒らないの。
 せっかくこんな気持ちのいい朝なんだから、もっと笑って、笑って。」
にこにこしながら惣流をなだめる洞木さん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
何だろう?
いつもの、洞木さんだ。
だけど、どこか”違う”様な気がする。
何がどう、という訳ではないんだけど、どこか、違う。
僕は洞木さんとは特別仲がいいという訳でも無いので、これは恐らく魔法使い
としての僕の勘みたいなものかも知れない。
「・・・・・・・・ヒカリ?あなた、どうしたの?
 何だか、今日は随分朝からハイな感じねえ。」
惣流も、何か気付いたらしい。
「そう?あたしはいつもこうよ?」
「う、うん。そうなんだけど、でも、どことなく・・・・・・・・・・・。
 ひょっとして、何かいい事でもあったの?」
すると、途端に洞木さんはさっきまでの笑顔をさらに深いものにした。
「そっか。やっぱり分かっちゃうか。」
「え、どうしたのよヒカリ。何があったのよ?」
「うーん。話したいのはやまやまなんだけどなあ。ちょっと約束で、言えないの。
 多分その内話しても良くなると思うから、その時に、ね。」
「えー?何よお?勿体つけないで教えてよ。気になるじゃない。」
「だあめ。」
「じゃ、じゃあ、さ。ヒントだけでも。」
食い下がる惣流。
洞木さんはにこにこと笑う。
「そうね。まあ、ヒントっていうか、半分だけ、正解教えちゃおうかな?」
「え、なになに?」
「あのね、昨日あたしね。新しい”友達”が出来たの。」
「へえ。友達?どんな奴?」
「とっても面白い子よ。で、彼にはちょっとした秘密があるの。
 それが、正解のもう半分。」
「それは、教えてくれないの?」
「うん。今は、駄目なの。」
「絶対に?」
「そう。」
「絶対に絶対?」
「そう。」
「もー。ヒカリのけちい。・・・・・・・・・・・シンジ?どうしたの?」
「え?」
僕は俯いていた顔をはっと上げた。
「ちょっと、何一人でぼけぼけっとしてんのよ。考え事は一人ん時にやんなさい。
 今ヒカリの秘密を聞き出そうとしてるんだから。」
「ご、ごめん。」
謝りながら、僕は両の拳をぎゅっと握りしめた。
惣流は再び洞木さんの方を向いて話を始める。
あの手この手で聞き出そうとしているが、洞木さんは頑として口を
割らなかった。
そして、僕は。
握り締めた両掌に、じっとりと汗を感じていた。
何故、汗などかいているのかと言えば、突然あるものが、僕の心を侵食
し始めたからだ。
”それ”は、不安だった。
昨夜感じ取り、そして気のせいにして忘れていた、あの不安。
これから、”何か”が起こるという、漠然とした予期。
それが再び、どこからともなく沸き上がり、僕を満たしていた。
自分の中に居るもう一人の自分が、警鐘を鳴らしていた。
彼は、洞木さんの言った、ある一言をきっかけに、猛然と起き上がったのだ。

『・・・・・・・・あたしね。新しい”友達”が出来たの。』

友達。
そう。
思えば、この時に無理矢理にでも僕は、その洞木さんの”友達”の正体を
聞き出すべきだったのだ。
・・・・・・・事件の種は、密やかに蒔かれていた。
そしてそれは、誰にも気付かれる事無く、ひっそりと、
芽吹き。
そして。
花開く事となる。






僕のために、泣いてくれますか(第拾参話)

    洞木ヒカリ・その2


 

朝の、ホームルーム。 担任の老教師が出席を取り、その後ゆったりと連絡事項を伝える。 普段ならば真剣に姿勢を正してヒカリはそれを聞くのだが、今日の彼女には その声がさっぱり聞こえなかった。 自分の思考の中に囚われているのだ。 そしてそれは、言うまでも無い事だが、昨夜出来た新しい友人の事であった。 体長十センチ程度の小人の姿。 書物の精霊。 彼は、”キッド”と名乗った。 そして彼は、お近付きの印にと、彼女に自分の能力の一端を垣間見せて くれた。 遠隔視。 彼は、鏡−−−或いは、水面など、何でもいいから光を反射する物−−−を 通じて、けして見える筈の無い遠い場所の風景を映し出す事が出来るのだ。 そして更に、その力は映像に限った事では無い。 どういう仕組みになっているのか分からないが、音声までも聞き取る事が 出来る。 まさに凄まじい能力だった。 遥か遠くに、例え地球の裏側に居る人々の会話の風景、内容さえ、はっきりと 知る事が出来るのだ。 ヒカリは感激し、キッドにせがんで、昨夜は様々な場所の様々な風景を 見せてもらった。 もっともこの能力は、使い様によっては容易く他人のプライバシーを暴いて しまえるものであり、しかしヒカリはそういう使い方を期待はしなかった。 彼女は山野の中を散策し、 また、人類が未だ辿り着けない神秘の深海を悠々と散歩した。 世界は、彼女の庭と化した。 もっとも、アスカに言わせれば、そのくらいは自分にも出来ると言うだろう。 しかしその力を用いる事に何の制約も存在しない精霊と異なり、 魔法使いは力を振るう事を禁じられている。 故に、ヒカリは魔法使いを親友に持ちながら、この様な奇跡を体験する事は 初めての事であったのだ。 ・・・・・・・ああ。アスカにも、教えてあげたいなあ。キッド君の事。 彼女自身、アスカにその新しい、そして素晴らしい友人の事を紹介したかった。 家族には魔法使いが居ないため、当然その姿を見る事が出来ないキッドを 紹介する訳にもいかない。 だからこそ魔法使いである親友に見せたいと思ったのだが、それは他ならぬ キッド自身に止められてしまった。 ヒカリは、昨夜の会話を思い出す。 『ねえ、キッド君。』 『なに?ヒカリ?』 『あたしの友達にね、一人魔法使いが居るの。 アスカっていって、とっても可愛い娘なの。 キッド君が良かったら、彼女にあなたを紹介したいんだけど・・・・・・・・・・・ ・。』 『へえ。可愛いって、ヒカリとどっちが可愛い?』 『そんな、あたしなんかとは比べ物にならないわよ。 彼女はもう学校中のアイドルなんだから。 学校だけじゃなくて、この街全部で考えたって、アスカ以上の女の子なんて 居ないってぐらい。』 『へえー。でも、ヒカリもすごく可愛いと思うけどなあ。気立てはいいしさ。 結構男を泣かしてるんじゃない?』 『あのねえ!』 『くくっ。冗談だよ。ヒカリ。あ、いや、可愛いってのは、ほんとね。』 『ふふ。ありがとう。それで、どうかなあ?彼女に紹介する話。』 『んー。そんな話聞くと、僕もそのアスカって娘に会ってみたい気も するんだけど・・・・・・・・、でも、やっぱり止めておいた方が、いいかな。』 『え、なんで?』 『ん。何でかって言うとね。実は・・・・・・・・・・・。』 『実は・・・・・・・・・・?』 『実はね、僕って・・・・・・・・・人見知りするたちだから・・・・・・・・。』 『ぷっ!』 『あー!何笑ってるんだよ、ヒカリ!僕が人見知りしちゃあ、そんなに 可笑しいのかよ!』 『く、くすくす。だ、だって、そんなにべらべら喋っていて、人見知りも何も・・・・ 。』 『・・・・・・・まあ、人見知り、っていうのは、冗談だけどね。 でも、ほんとに他人に僕の事紹介するのも、教えるのも、止めて欲しいんだ。』 『・・・・・・・どうしてなの?』 『それは、その・・・・・・・ちょっと、あってね。』 『・・・・・・・・まあ、キッド君が嫌だって言うなら、しょうがないけどね。 じゃあ、キッド君の事は、あたしだけの秘密にしておくね。』 『うん。ごめんね。ヒカリ。』 『じゃ、あたしの学校へ尾いて来る事も出来ないんだ?』 『まあ、そうだね。魔法使いが一人も居ないならいいけど・・・・・。 そのアスカって娘に見つかっちゃうからね。 それに、僕はこの本から離れる事は出来ないんだ。 こんな重くてかさばる本を毎日毎日持ち運ぶ訳にもいかないでしょ?』 『?どうして、離れられないの?』 『言ったでしょ?僕は書物の精霊だって。 書物の精霊というのは、他の精霊と違ってちょっと特殊なんだよ。 ”マスター”っていう言葉は知ってるよね?』 『ええ、まあ・・・・・。多分人並みには・・・・・・。』 『他の精霊達は、まず生まれて、それから自分の主人を探すべく放浪するもの なんだけど、僕達書物の精霊は、まず書物が人間の手によって書かれて、 そして初めからその書物そのものを主人として生まれて来るものなんだよ。 だからこそ、僕はこの本に呪縛されているんだ。』 『そうなの・・・・・・。なんだか、ちょっとだけ可哀相な気もするね・・・・・。』 『別に、そんな事はないよ。結構、色んな人と出会えるもんだしね。 こうしてヒカリとも会えたし。』 『・・・・・・いいかげん、呼び捨ては止めてくれないかなあ? ”ヒカリお姉ちゃん”とか・・・・・・・・・。』 『それだったらヒカリだって、僕の事、君づけじゃなくて、キッド、って呼び捨てに してよ。』 『うーん。それは勘弁。』 『くすくす。』 「・・・・・・・・・・・・・・さん。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・きさん。」 「・・・・・・・・・・・・・。」 「洞木さん?」 「あ!は、はい!」 老教師が自分を呼んでいる事に気が付き、ヒカリは慌てて立ち上がった。 「すまないが、号令してもらえるかね?」 周囲を見渡せば、皆自分を見ている。 ぼやーっとしている所を皆に見られてしまった。恥ずかしい。 「は、はい!えっと、起立!礼!」 ヒカリは、真っ赤な顔を誤魔化す様に、普段よりほんの少し大きな声で 号令をかけた。 夜の十時。洞木家。 小学生の妹の勉強を見てあげた後、ヒカリは自室に戻っていた。 机上の本の上に座り込んでいる小人、キッドとにこにこしながら話をしている。 その様子は仲の良い兄弟の様。 なかなか見ていて微笑ましいものがあった。 「ねえ、キッド君の最初に会った人って、どんな人だったの? この、本を書いた人なんでしょ?」 「うん。八十近いお爺さんだったかな?ちょっと偏屈な人だったけど、 悪い人じゃなかった。可愛がってもらってたよ。」 「その人は、今は?・・・・・・って、五百年も前の話だっけ。」 気付いた様に口をつぐむヒカリ。 「ん・・・・・。まあ、彼も当然魔法使いだったんだけどね。 それでもさほど魔力が強いという訳でもなかったから、結局天寿を全うしたよ。 百五十歳だったかな?」 「・・・・・百五十・・・・・・・・・・・。」 「まあ、魔法使いってのは、大抵長寿なもんだよ。」 「あ、そういえば思い出したんだけど、キッド君。 キッド君の居た、あの古本屋って、どういう所なの?」 「どういう所って?」 「あたし、今日また学校の行き帰りに、あの古本屋を探したんだけど、 見つからないの。確かにあった場所に行ってみたんだけど、そこには小さい 駄菓子屋があるくらいで、古本屋なんて影も形もなかったわ。 ひょっとして、本人は違うって言ってたけど、あのお店のお婆さんって、 実は魔法使いだったのかしら?」 「さあ・・・・・よく分かんない。なにしろこうやってヒカリに本を開かれるまで、 僕はずっとこの中で眠ってたからね。正直言って、ヒカリの言うその店の事も 全然分かんないんだ。」 「そうなの・・・・・・・・。」 「・・・・・ねえ、そんな事よりさ。また、見せてあげるよ。力をさ。」 にこにこしているキッド。 「え・・・・・・でも、力を使うと、結構疲れるんでしょ? 昨夜随分あたし、あなたにお願いしちゃったし・・・・・。悪いわよ。」 「大丈夫大丈夫。どうせ力を使ってあげる人も、ずっと居なかった事だし。 久しぶりに思いっきり使わせてよ。ね?」 「・・・・・・そう?ありがとう。じゃあ、どうしようかしら・・・・・・・。」 「・・・・そうだなあ。」 にこにこしていたキッドが、その笑いをにやにやとしたものに変えた。 何か悪戯を思い付いた風。 「じゃあ、今ヒカリが一番見たいと思ってるものを当ててあげるよ。 鏡、用意して。」 「え・・・・・分かるの?」 「くくっ。ヒカリの事は、全部お見通しだよ。」 昨夜と同様、ヒカリが手鏡を手にすると、キッドは再び何やら怪しげな言葉を 唱え始める。 やがて、これも昨夜と同様に、ゆらゆらとその景色を変え始める鏡面。 ごくり、と唾を飲みながらヒカリはそれを見つめ続ける。 そして・・・・・・・・。 「あ・・・・・・・・・・・・・。」 思わず声を漏らすヒカリ。 「ちょ、ちょっとキッド君!」 「くくっ。見たかったんでしょ?これが?」 「だ、駄目よ!他人の生活を覗くなんて、絶対駄目!」 鏡の中に映し出されているもの。 それは、一人の少年の姿だった。 少年は、自分のものらしい部屋の中で、畳の上に寝っ転がって雑誌を 読んでいる。 バスケット関係の雑誌らしい。 そして、少年は、それを読むにふさわしく、なかなか年齢の割には逞しい 身体つき。 ・・・・・鈴原トウジ。 ヒカリの同級生であり、片思いの相手。 たしかに、覗きたい、とは思う。 しかしヒカリの倫理観はそれを許さなかった。 「・・・・・・消して。キッド君。」 鏡から目をそらしながら言う。 キッドは残念そうな顔をする。 「えー?だって、見たいでしょ?彼の事。 ほら、彼の私生活がどんなものか、知りたいとは思わないの?」 「・・・・・・だ、だって、そもそもどうしてキッド君が鈴原の事知ってるのよ?」 「ヒカリが話してくれたんじゃないか。クラスメートの事。」 「そ、それは、話したけど・・・・・・それで、どうして・・・・・・その・・・・・ ・ 鈴原の・・・・・・・・・。」 「どうして、彼の事が好きなのか、分かったのかって?」 「い、いえ、その・・・・・・・・。」 「そんなぐらい分かるさ。五百年も生きてるんだから。 アイツの事を話してる時のヒカリ、すごく幸せそうだった。」 「・・・・・・・・・・・。」 羞恥に染まるヒカリの頬。 「好きな男の子の事を知りたいって思うのは、当たり前の事だよ。 ね、別に風呂に入ってる所を覗くって訳じゃ無いんだから、ちょっとぐらい 大丈夫だよ。」 「ん・・・・・・で、でも・・・・・・・。」 心が揺れるヒカリ。 乙女心と倫理観とが、激しくぶつかり合っていた。 ちら、と鏡を見てしまう。 相変わらず雑誌を読み耽っているトウジ。 人前では、自分の前では、見せない少年の隠れた部分。 キッドに言われるまでも無い。 猛烈に知りたかった。 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 長い事逡巡する彼女。 「・・・・・・・・やっぱり、消して。キッド君。こういう事は、やっちゃいけないわ 。 あたしだって、他人に自分のプライベートを覗かれたらいい気はしないもの。」 どうやら、倫理観が勝利を収めたようだ。 再び落胆を見せるキッド。 「・・・・・うん・・・・・・分かったよ。ヒカリ・・・・・・。 ごめんね。でも、悪気は無かったんだ。ただ、ヒカリを喜ばせたいと思って。」 「うん。分かってる。ありがと。キッド君。」 「じゃあ、消すね。」 キッドが、右手を、さっ、と振ろうとした、 その時。 鏡面の中から、声が、聞こえた。 前述した通り、キッドの遠隔視の能力は、映像のみならず音声をもこちらに 届ける事が出来る。 しかし今迄は鏡の中の少年は、ほとんど無言だったため、無音に 近かったのだ。 言うまでも無く、それは少年自身の声。 「はああ。いい加減、昼飯毎日購買のパンちゅうのも、飽きて来たのお。 とっくに全種類制覇してもうたし。たまにはまともな弁当でも食いたいわ。 いいんちょの弁当なんか、美味そうやなあ・・・・・・・・・・・。 わしのために、とか言うて、作って来てくれんかのお、委員長・・・・・・・・・。」 ぼんっ! そんな音が聞こえそうな程の勢いで、ヒカリの顔は一気に上気した。 無理も無いだろう。 想いを寄せる男子が、独り言の中で自分の名を呼んだのだ。 しかもあまつさえ、自分の弁当を、美味しそうだ、と言い、作って来て欲しい、 とまで言っているのだ。 純情なヒカリに、狼狽するなと言う方が無理な話だ。 そむけていた目を鏡に戻し、食い入る様に見詰めた。 キッドはそんなヒカリを、にこにこしながら見ていた。 夕日が、教室の中を赤々と染めていた。 ついさっきまで、たくさんの生徒達が学問に励んでいた教室も、今はすっかり 寂しいものになっていた。 甘酸っぱい、青春、という言葉を思い起こさせる情景。 校庭からは運動部のものらしい明るい掛け声が小さく届いていた。 そんな中に一人残っている少年。 指定の学生服があるにも関わらず、彼は年がら年中黒いジャージを 身につけて居る。 当然、今も例外では無い。 ちょっと粗暴な印象を受ける顔ではあったが、他人に不快感を起こさせる 種類の物では無い。 むしろ、十分に男らしく、逞しい魅力に溢れていると言っても良い。 そのくせ彼は女子連中からは学年の中で圧倒的な不支持を取り付けていた。 恐らくその性格のせいであろう。 少年の名は、鈴原トウジ。 週番である彼は、今ごみの片付けや机の整理を終え、週番用の日誌を 記している所だった。 自分の机に一人座り、面倒臭げに、しかしきちんと、シャーペンを 走らせて居る。 ガララ・・・・・・・。 不意に、廊下へ通じるドアが開けられた。 ちら、とそちらを見て、少年は少し表情を変える。 「あ・・・・・・鈴原・・・・・・・・・・。」 それは、少年が委員長、と呼ぶ少女、洞木ヒカリだった。 「なんやあ、委員長、まだ帰っとらんかったんか。 それともわいがちゃんと週番しとるかどうか心配で見に来たんか?」 「い、いや、そうじゃないのよ。鈴原はよくさぼるけど、やる、って言った時には きちんとやってるから・・・・・・・・・・。」 「さ、さよか。」 「うん。ちょっと、忘れ物したから、取りに来ただけ。」 嘘だった。 忘れ物など無い。 ただ、彼と二人きりになりたかったから。 ずっと、待っていたのだ。 ヒカリは自分の席へ行き、ぎこちなく机の中を探った。 あらかじめ入れておいた本をわざとらしく鞄の中に仕舞う。 「じゃ・・・・・じゃあ、ね。鈴原。週番、大変かも知れないけど、頑張って。」 「ああ。分かっとる。」 再び日誌に目を落とすトウジ。 ヒカリの気持ちを読み取るには、彼はあまりに若過ぎ、そして不器用過ぎた。 「・・・・・・・・・。」 なかなか、教室を出ようとしないヒカリ。 入り口の所で立ち尽くし、じっと少年の方を見ていた。 トウジは、気付いているのかいないのか、変らず書き込みを続ける。 数十秒、奇妙な沈黙が続き、やがてヒカリは、震える唇を動かした。 「ね・・・・・・ねえ、鈴原。」 「あん?なんや?いいんちょ?」 「あ、あの・・・・・・・。」 口篭もるヒカリ。 自分がこれから言おうとしている事に、かなりの羞恥心を覚える。 しかし、覚悟を決めて来たのだ。 彼女は、今迄に使った事が無い程の勇気を持って、口を開いた。 「す、鈴原ってさ・・・・・・・お昼、いつも購買のパンだね・・・・・・・・・。」 「良かったね、ヒカリ。」 キッドが、本の端に腰掛けて、微笑っていた。 ヒカリの部屋。 ヒカリは、ベッドに腰掛けて、枕を抱きしめて切なげな表情をしていた。 まさしく、恋する乙女。 「もう、明日から作ってあげるんだ?彼に、お弁当。」 「うん・・・・・・・・・。」 肯くと、おさげの少女は恥ずかしげに、しかし嬉しそうに枕を抱き締める両腕に さらに力を込めた。 「あ・・・・・・そういえば、鈴原って、どんなおかずが好きなのかな・・・・・・・ 。 ちゃんと、聞いておけば、良かったな・・・・・・・・。」 「大丈夫。ヒカリの作るお弁当なら、何だって美味しいって言ってくれるさ。」 「そ、そうかな・・・・・。」 「まあ、何にしても、これで彼との仲は急接近! このまま行けば、あっという間にキスまでだって到達出来るさ。」 「キ、キス・・・・・・・・・・・!」 枕の形が、さらに歪んだ。 彼女の頭の中で、どんな想像が巡らされているか、想像するのは容易だった。 「ねえ、キッド君・・・・・・・・・。」 「なあに?」 「あ、あの・・・また、悪いんだけど、その・・・・力、見せてくれない、かな・・・ ・。」 「うん、いいよ。どういう所が、見たい?」 僅かにためらった後、ヒカリは言葉を続けた。 「その・・・・・鈴原の・・・・・・・。」 恋は、盲目。 先人達は、巧い言葉を作ったものだ。 ヒカリは、すでに誘惑に抗しきれなくなっていた。 昨日の、頑として誘惑を撥ね付けていた彼女とは、まるで違う。 しかし、誰が彼女を責められよう。 彼女の想いが深ければ深いだけ、彼女の心が澄んでいれば澄んでいるだけ、 その誘惑は甘く、優しく、絡み付いて来るのだ。 無論、彼女も罪悪感はある。 しかしヒカリは、いわば”言い訳”を用意して、それを正当化していた。 その言い訳、とは、言ってみれば、 ”恋する乙女の特権” とでも表現出来たろうか。 自分は、彼の事をこんなにも想っている。 けして面白半分、興味半分などで彼を観察しようなどと思っている訳では無い。 ただ、好きだ、という一途な想いから、こんな事をしてしまうのだ。 ヒカリの心の中を覗いてみれば、大体こんな感じの思考を読み取る事が 出来ただろう。 赤い顔をして手鏡を用意するヒカリ。 「分かったよ。今、見せてあげるからね。」 キッドは、相変わらずいつもの笑みを浮かべていた。 「ねえシンジ。最近、あの二人、仲いいと思わない?」 惣流がぼそぼそと僕に囁きかけて来た。 「二人って・・・・・・誰と誰?」 「あんた目ん玉くっついてんの?鈴原とヒカリに決まってんじゃない!」 「え・・・・・そう、かな。ん・・・まあ、言われてみればそんな気もするけど。」 教室の中。 二時限目が終わった休み時間。 僕と惣流の視線の先には、何やら会話をしているトウジと洞木さんが居た。 二人が会話をするのは別段珍しくも無いけど、そう言えば心なしか二人共 表情が今迄より柔らかい様な気もする。 「これはもう、ひょっとすると、ひょっとするわね。」 「ああ。そうだな。」 突然背後からかけられる声。 ちょっと驚いてしまった。 ケンスケだった。 幾ら油断していたとは言え、こんな近くに来るまで気付かなかったなんて。 僕は密かにケンスケの隠密能力に感嘆した。 「何?ひょっとすると・・・・・って?」 二人に尋ねる僕。 「あんた、分かんないの?あの二人見て?」 「う、うん。何の、話なの?」 「やっぱシンジはお子様だなあ。」 「な、何だよ。はっきり言ってよ。」 「要するに、いい雰囲気、って事だよ。」 「え・・・・・・・。」 多少遠回しな表現ではあったけど、さすがにそこまで言われれば僕も 気付いた。 「あ・・・・あの二人って、そういう仲だったの?」 「まあ、まだ告白とかそういう事は無いみたいだけど、それも遠く無いわね。」 「しかしシンジい。ほんとにお前気付いて無かったのか?」 「う、うん。」 「あんたバカあ?もう、みえみえだったじゃない。 ヒカリの奴、鈴原のためにお弁当まで作って来るようになっちゃってさあ。」 「え?でも、毎日お弁当作ってもらってるからって、そういう関係とは・・・・・。 そんな事言えば、僕と惣流だって、そうじゃないか。」 「!そ、それとこれとは事情が違うでしょ。 あの二人は別に主従関係な訳じゃ無いんだから。」 「そうかなあ。だって洞木さんのお弁当は、そういう意味じゃ無いんでしょ?」 「何がよ?」 「だって僕、トウジに聞いたよ。あのお弁当は、洞木さんが家族の分の お弁当を作った時の、余り物なんだって。 捨てるのも勿体無いから、残飯処理に手を貸してるんだって言ってたもの。」 がん。 惣流が、机の上に顔を突っ伏した。 ? 戸惑う僕の肩に、ぽん、とケンスケの手が乗せられた。 「シンジ。いつまでも、ピュアなままの君でいてくれ。」 な、何なんだよ。 僕、何か変な事言ったかな? 「キッド君、今日も、お願いっ。」 ヒカリは手を合わせて拝んだ。 キッドはやはりにこにこして彼女を見る。 「もちろんだよ。ほんとに、好きなんだね。彼の事が。」 「う、うん・・・・・鈴原の事、知れば知るほど、何だか好きになっていくの。」 ヒカリは、ここの所毎晩の様にトウジの様子を眺めていた。 彼が家族と話している話題、 彼が見ているテレビ、 彼が読んでいる雑誌。 何もかも知る事が出来た。 ヒカリとトウジとが最近急速に仲が良くなって行くのも当然だった。 トウジの私生活を知っているのだから、話題を見つけるのも容易だった。 しかも毎日弁当を彼のために作っているのだ。 『美味かったで。委員長。』 照れ臭げに毎回言ってくれるトウジが、彼女にはとても嬉しかった。 「じゃあ、行くよ。ヒカリ。」 「うん。」 いつものように、風景を変えて行く鏡面。 ・・・・・・・・え? ヒカリは、ちょっと戸惑った。 どうしたのかと言えば・・・・・・・。 「あれ?ここ、鈴原の家じゃ無い・・・・・・・・。」 そう。 今迄、キッドの力で覗いていたのは、時間帯の関係もあっていつも彼の 自宅だった。 大抵、家の中で家族と一緒にくつろいでいるトウジを見る事になったのだ。 ところが、今回はその風景が明らかに違った。 まず、暗い。 はっきり見えないが、随分広がりを感じさせる場所だ。 恐らく屋外だろう。 地面はアスファルトでは無く、剥き出しの地肌。 風の音が、聞こえる。 「あれ・・・・・?どこかしら?ここ・・・・・。キッド君、ほんとにここ?」 「う、うん。その筈だよ。ちゃんとその子の居る場所を探って、 映してるんだから。」 「そう・・・・・。あれ?ここってひょっとして・・・・・。」 「ええと、ここは、ヒカリの通ってる学校の近くにある、小さい丘だね。」 「あ、やっぱり・・・・・・。」 少し鏡の中の景色の方向を変えると、街の夜景が奇麗に映った。 この場所は小高い丘の上で、風景が奇麗だという理由でよくアスカと一緒に 行く場所だった。 人もそんなに訪れる場所ではなく、二人きりでベンチに座って夕日を眺めながら 他愛の無い話に花を咲かせたものだった。 「あ、居た。」 さらにあちこち見回し、ヒカリはやっと目当ての少年を見つけた。 相変わらず黒いジャージを身につけているため、最初はなかなか 見え辛かったのだが、いつの間にか少し移動して、近くの街灯の下に 出たらしい。 ・・・・・何やってるのかしら。こんな時間に、こんな所で。 ヒカリの疑問ももっともだったろう。 あまり夜十時に中学生が居る場所では無いだろう。 「ひょっとして、夜景が見たくて、一人でそっとここへ来たとか・・・・・・。 やだ、鈴原って、意外とロマンチストなのね。」 「あれ?ちょっと、待って、ヒカリ?」 ヒカリはキッドにも見える様に、鏡を机の上に置いて居たのだが、一緒に 覗き込んでいた彼が、不意に口を開く。 「誰か、来たみたい。」 「え?」 その通りだった。 よく耳を澄ませてみると、何か足音が聞こえるようでもある。 土を踏みしめる、微かな音。 トウジは動かないので、その音は明らかに他者の物だった。 「ひょっとして、彼、誰かと待ち合わせしてたのかな?」 「待ち合わせって・・・・・こんな場所で、誰と・・・・・。」 そこまで言って、ヒカリの顔が目に見えて青ざめた。 待ち合わせ? この時間に? こんな場所で? ある一つの可能性が彼女の心を占めた。 まさか・・・・女の人? ヒカリの手が、僅かに震えた。 少しずつ、足音は近づいて来た。 そして、鏡の中のトウジもまた、それに気付いた風だった。 音の方へ彼は顔を向ける。 そして。 『よう・・・・・・・。遅かったやないか。』 ! やっぱり、誰かと待ち合わせ! ヒカリは嫌な予感が当たった事を知った。 しかも、トウジのその声は、今迄に聞いた事の無い様な種類の響き。 何と言うのか・・・・・どこか、大人らしさを、感じさせる響き。 彼女の知らない彼が、そこに居た。 で、でも、まだ待ち合わせの相手が女の子と決まった訳じゃないし。 そう考えて無理矢理安心しようとするヒカリ。 しかしその希望的観測は、瞬時に潰えた。 『待った?鈴原。』 ヒカリは絶望を感じた。 その声は高く、可愛らしいものであり、明らかに女性の・・・・同年代の女性の それだった。 ? ただ、ヒカリの頭に、僅かに疑問が浮かんだ。 女性の声。 どこかで、聞いた事があるような気がしたのだ。 いや、気がした、どころの話では無く、毎日の様に聞いている声。 「アスカ・・・・・?」 呟くヒカリ。 ほんの少し聞いた限りでは、その声は親友のものとそっくりだった。 そして。 鏡の中のトウジの元へ。 現れた。 その声の主が。 それを見た瞬間、ヒカリは驚きを隠せなかった。 「ア、アスカ・・・・・・・・・・・・。どうして・・・・・・・・・?」 紛れも無かった。 街灯の下で照らされている、ワンピースの少女。 赤い髪。 二人と無い美貌。 明らかにそれは、惣流・アスカ・ラングレーだった。 何で? 何で、アスカと鈴原が、こんな所で待ち合わせなんてしてるの? アスカとトウジとは、いわば喧嘩友達、というような形で、仲が悪そうには 見えたが、本当は意外と仲が良い事はヒカリも分かっていた。 しかし、こんな風に待ち合わせをする程まで仲が良かったとは思いもしない。 これではまるで・・・・・・。 待ち合わせの相手が、アスカであった、という驚愕から、すっかり忘れていた ものを、再び思い出す。 恋人同士の、逢い引き。 まさか!? 鈴原と、アスカが、逢い引き!? ヒカリは、信じ難い思いで、それをじっと覗き込む。 キッドも、固唾を呑んで見ている。 鏡の中の二人は、そんな事に当然気付かず、静かに会話を始めていた。 『まったく、遅すぎるで。おどれから誘ったんやから、ちゃんと時間は 守れや。』 『うっさいわね。あんたこそ、普段はしょっちゅう待ち合わせに遅刻するって 話じゃない。』 『うっさいわ。それでもわいは守るべき時はきちんと守る。』 『はいはい、分かりましたよ、単細胞さん。』 『なんやて!?』 なんだろう? どうも、逢い引き、というのとも少し違うような気がして来た。 まるっきりいつもの二人の会話だ。 さらに見続けるヒカリ。 ところが。 次にトウジが取った行動が、ヒカリの心も身体も凍り付かせた。 「す、鈴原!?」 思わず絶望の叫びをあげる。 それは幸い家族には聞こえなかった様ではあったが、ヒカリはそれも気付かぬ 程に動揺し、ショックを受けた。 ぐいっ。 なんと、トウジは・・・・・彼女の、片思いの相手は・・・・・唐突に、アスカの身体 を 引き寄せると・・・・・・・。 ・・・・・・その彼女の身体を、抱擁していた! 多少強引ではあったが、無理矢理では無い。 それが証拠に、アスカは、トウジの腕の中で、全く抵抗するそぶりも 見せなかった。 「ア、アスカ・・・・・・・・?鈴原・・・・・・・・・?」 思わずヒカリは、自分の頬を右手で抓った。 熱い痛みが、そこに感じられた。 『こら、鈴原。もうちっと、ムードのあるやり方は、出来ないのお? まったく、野蛮人は、これだから・・・・・・。』 アスカが呟く。 『やかましいわ・・・・・・。 しかし、こうやって逢うのは、何回目だったかのお?』 『四回よ。そんなぐらい、覚えてなさい。』 アスカが、トウジの背中に腕を廻した。 やめて。 ヒカリのこころが、呟く。 くい、と、トウジがアスカの顎を軽くつまんで、上を向かせた。 トウジは体格がいいため、アスカよりも頭半分程上背がある。 二人は正面から見詰め合う形になった。 そして。 「・・・・・・・・・・!?」 ヒカリは。 今迄経験した事の無い絶望と共に、その光景を見た。 二人は、少しずつ互いの顔を近付け合ったかと思うと、やがて。 深い口付けを交わしていた。 『ん・・・・・・・・。』 微かに、声を漏らすアスカ。 イヤ。 ヒカリは、呟く。 『む・・・・・・・・。』 同様に声を漏らすトウジ。 抱擁に廻された互いの腕に、力が込められた。 イヤ! ヒカリの心が、叫ぶ。 見たくないのに、彼女の目はその光景から離れなかった。 やがて。 二人は、どちらからともなくキスを終わらせた。 二人共僅かに上気した顔を見せ合っている。 まだ、抱擁は続けたまま。 と、アスカの背中に廻されていたトウジの両手の片方が、アスカの胸を まさぐった。 ヒカリが、羨望と共に見ていたアスカのふくよかな胸が、ワンピースの上から 形を変えた。 『ちょっと鈴原!』 と、唐突にアスカは、キスの間の雰囲気をぶち壊しにする勢いで怒鳴り、 トウジから身をもぎ放した。 『なんやあ。惣流。』 何と無しに残念そうに言うトウジ。 『あんた、調子に乗ってんじゃ無いわよ。 あたしがあんたに許すのは、あくまでキスまで。 それ以上は絶対に許さないわよ。言った筈でしょ!?』 『分かっとるがな。そないな事。 でも、ちょびっとぐらい、ええやないか。』 『ぜっっっっっっっっったいに、駄目よ!あんたとは、あくまで遊びなんだから。 あたしは・・・・・・・・。』 『シンジの事が好き。耳が痛くなる程聞いたわ。それはの。』 『分かってんなら、止めなさい。あたしがね、身も心も許すのは、シンジだけ。 あんたみたいな馬鹿とは違って、ずっと優しくて、繊細でね。』 『まったく・・・・・せやったら、わいなんかと会っとらんで、とっととシンジに キスでもなんでもしてもろうたらええやないか。』 『まあ、それはそれ。これはこれ。だって、面白いんだもんさ。』 『おもろい?』 『そうよ。ヒカリが、あんたの事、好きなのは知ってるでしょ?』 『まあ、そりゃ、の。あんだけみえみえのアプローチかけられたら、 馬鹿でも分かるわな。それが、どないしてん?』 『だから、さ。面白いじゃない。 ヒカリの奴さ、あんたの事が大好きだとか言って、あたしに相談してくんのよ。 弁当のおかず、何がいいかな、とか、どうやったら、さりげなくデートに 誘えるかな、とかさ。 その当の相談相手が、片思いの相手とこんな風にやってるとは知らずにね。 ほんっと、純情で、からかってて面白いわ。』 アスカが、くくく、といかにも楽しそうに笑った。 『な、なんやあ。わいの事、こうやって誘っとるんは、只そんだけの事 だったんかい。』 『そうよ。しっかし、あんたもひどい男よねえ。 あの娘の気持ち、分かって居ながらこうやってあたしの遊びに付き合ってん だから。』 『別にええやないか。そもそもわしゃ、いいんちょの事なんか何とも思って おらへんし。』 『あら、そうなの?ときどき一緒に帰ったり、教室でも話したりして、結構 仲良さげに見えたけど?』 『あんなん、演技に決まっとるやないか。 いいんちょは、あれはあれで結構便利な奴やからなあ。 実際、まいんち弁当作ってくれるようにもなったし。 それに・・・・・・・。』 『それに?』 『テスト前には、いいんちょのノートは、貴重やからなあ。』 『くくっ。』 『くっくっ。』 二人は、笑った。 そして、再び近づき、抱擁を交わす二人。 すでにそれを見つめるヒカリの目は、ガラス玉の如く、虚ろ。 「・・・・・・・・・・消して。」 「え?」 キッドが、恐る恐る聞いてくる。 「映像を、消して。もう、見る必要、無いわ。」 感情の、一切消えた声。 もしも彼女を知るものが見たら、とてもこれがあの洞木ヒカリだとは思うまい。 ほんの数分で、彼女の身体からは、生気が全く抜け落ちていた。 キッドが手を振ると、鏡はその本来の機能を取り戻した。 映しているのは、二人の少年少女の抱擁の姿ではなく、ヒカリの部屋の天井。 「あ、あの・・・・・ヒカリ・・・・・・・・・・。」 キッドが、おどおどと声をかけた。 「ご、ごめん・・・・・僕・・・・・まさか、こんな事になるなんて・・・・・・・・ 。 その・・・・・・・・・・・。」 「別に、キッド君のせいじゃ無いわよ。」 淡々と述べる少女。 その目には涙すら無かった。 「あんな娘を親友と呼んで、あんな男を好きだった、あたしが悪いんだから。」 「じゃあ、今日はこれで終わりです。みなさん、気をつけて帰って下さいね。」 「きりーつ!礼!」 号令と共に、教室は喧騒に包まれた。 一日の授業が終わり、皆思い思いに友達と喋ったりしていた。 さあて。帰ろうかな。 鞄に勉強道具を詰めて、僕は席を立った。 「ちょっとシンジ!」 惣流が僕の側に来た。 「何?」 「お見舞い行くわよ。」 「え?」 「え、じゃないわよ。ヒカリのお見舞い! 確かヒカリ、皆勤賞狙える筈だったのに休んでるんだもん。 きっと風邪、かなりひどいんだわ。」 「ん。そうだね。行こう。惣流は、優しいな。」 「そ、そんなの、当たり前でしょ!あたしとヒカリは親友なんだから。 ・・・・・あ、そうだ。鈴原!相田!あんた達も来なさい! ・・・・・・って、相田は?」 「ああ、ケンスケやったら、軍艦のおっかけや。 号令の後、凄い勢いで帰ってったで。」 「・・・・まあ、いいか。あいつはどうせいつもおまけみたいなもんだし。 じゃあ鈴原、あんたは来なさい!」 「な、何でや!男が女の見舞いになんぞ、行けるかい!」 「あ・ん・た・ねえ!ヒカリにお弁当作ってもらっておいて、その言い草は何よ! 借りを返さずに踏み倒すのが、あんたの男の道なわけ!?」 「ぐ・・・・・・・。」 トウジは、痛い所を突かれた、という表情をする。 でも、分かってる。 ほんとはトウジも洞木さんのお見舞いに行きたいと思ってる事。 だってトウジ、朝担任の先生から洞木さんが風邪で休みだって聞いた時、 すごく心配そうだったし。 「じゃ、行こうか。何か、果物でも、買って行った方が、いいのかな?」 「そうね。まあ、その辺は帰りながら考えましょ。」 「ねえ、アスカ。」 と、クラスメートの一人の女の子が、惣流に話しかけた。 惣流や洞木さん達の仲良しグループの一人だった。 「あたしも、一緒に行っていいかな?」 「え?だってミキ、部活は?」 「ん、休んじゃう。だってヒカリの事、心配だし。」 「駄目よ。大会近いんでしょ。夜にでもヒカリの様子、教えたげるから、 今日は頑張って部活出ててよ。」 「ん・・・・・・そうね。じゃ、あたしの分も、お願いね、アスカ。」 「うん。」 「おおい、早よ行こうや。日が暮れてまうで。」 「分かってるわよ。行くわよ、シンジ。」 「うん。」 僕達は学校を出て、一路洞木さんの家へ向かった。 ・・・・・お見舞い、か。 僕は心の内で呟く。 小学校の頃は、僕が風邪をひいて学校を休んでも、誰一人お見舞いには 来なかったっけ。 世話になってた叔父夫婦も、従兄弟達も、全然真剣に看病してくれなくて、 あの時は凄く悲しくなってずっと泣いてた。 ・・・・・まあ、昔の話、と言えばそれまでだけど。 prrrrr・・・・・・・・・・prrrrr・・・・・・・・・・・・・。 突然響く電子音。 惣流は足を止めて、ポケットから携帯を取り出す。 僕とトウジも、合わせて立ち止まった。 「はい、もしもし・・・・・・・・え、ヒカリ!?」 僕とトウジは顔を見合わせた。 アスカは戸惑った様に通話を続けている。 「うん・・・・・うん・・・・・・え、どうして?・・・・・・・そう、うん、分かっ た。 すぐ行くね。じゃ。」 ぴっ。 「どうしたの?洞木さんからだったの?」 「う、うん。そうなんだけど・・・・・・。何か、様子が変だったの・・・・・。」 「だって、風邪ひいてるんでしょ?」 「ううん・・・・・・何か、違うみたい・・・・・・・・。 今日は、風邪ひいて学校休んだ訳じゃ無いみたいな事言ってたわ。」 「?」 「で、シンジ、あんたと一緒に、来て欲しいんだって。」 「洞木さん家に?」 「ううん。あの、学校近くの丘。あそこのベンチの所で待ってるからって。」 「何やろ?」 「分かんないわよ。とにかく、来て欲しいって。」 「わいも、行ってええんやろか?」 「ま、いいでしょ。何かすごく元気が無いみたいだったから、ちょっと心配ね。 ひょっとして何か悩み事でも抱えちゃったのかも知れない。 早く行ってあげましょ。」 「うん。」 僕達は踵を返し、丘への道を辿り始めた。 ・・・・・・・僕は、知らなかった。 気付かぬ間に、事件の種がその芽を地中から出し始めている事を。 そして、花開くまでには、さほどの時間はいらないという事を。 ヒカリは、丘のベンチに腰掛けて居た。 お気に入りの景色も、今の彼女の目には映らなかった。 すぐ側に、今は灯りを燈す事の無い街灯が一本立っている。 昨夜、アスカと鈴原が抱擁を交わした場所。 しばしそこを睨み付けた後、彼女は視線を外した。 その呼吸は、不規則に乱れていた。 ぎらぎらとした目つき。 その顔色は紙の様。 ざらざらの唇が、独り言を紡いだ。 「・・・・・アスカは・・・・・・あたしを裏切った。 あたしの、大事なものを奪った。 だから・・・・・・・・・。」 彼女は、そこで一瞬、息を止め、そして、続けた。 「だから・・・・・・あたしも奪ってやるの。 アスカが、大切にしてるものを。」 そんな彼女の様子を、遥か遠くから見つめる者があった。 ”彼”の傍には、鏡があった。 小さい、いわゆる手鏡、というやつ。 机の上に置いてあるそれの傍らに、彼は立っているのだ。 キッド。 彼はいつもの様に、ヒカリの部屋の中に居た。 彼は、自分の身長よりも大きいその手鏡を、上からじっと覗き込んだ。 そこに映し出されている、洞木ヒカリという名の少女。 「・・・・・・・・・・・・。」 彼は、無言で。 微笑った。 唇の片方を吊り上げ。 愛くるしかったその瞳は、酷薄の輝き。 もしもそれを見る者が居れば。 その笑みをこう表現したであろう。 それは、まさしく。 悪魔の、微笑み。

 


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ver.-1.00 1997-10/09公開
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 河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第拾参話、公開です。
 

 本性を見せたキッド・・・・

  汚ったないことやってくれるなぁ
 

 アスカをトウジとラブシーンさせて・・・

 キッド!

 日本中のLAS人を敵にしたぞ!
 

 更に、
 アスカを根性ババ色にして〜〜

 キッド!

 世界中のアスカ人を敵に回したな・・・ヒヒヒヒヒ(^^;

 

 

 アスカとヒカリの友情が・・・ (;;)
 

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