精霊。 自然界の様々なもの−−−−地・水・火・風等−−−−を司る 謎に包まれた生命体。 わずかに明らかにされているその生態から、彼らの存在はしばしば ”至純の愛” という言葉で表現される。 ”彼女”に出会ったのは、夕暮れの公園だった。 最後まで残って、砂場で遊んでいた男の子も、母親の迎えが来ると幼い顔に 喜びを一杯に描いて自分の家へと帰っていった。 奇麗だな。 僕は空一面に広がる夕焼けを見て、素直な感想を抱いた。 ちびっこ公園。 惣流との、思い出の場所。 思い出、というほど昔の事ではないけれど、僕にとって恐らく一生忘れられない 大切な思い出。 惣流にとってもそうであったら・・・・・・・いいんだけど・・・・・・・・。 あの時の事を思い出して、僕は一人赤面する。 何故その日、学校が終わり、トウジやケンスケと遊んだ後、一人でこの 公園へと足を向ける気になったのかは、分からない。 どうせ帰り道、ちょっと一本脇道に入ればすぐに着く場所だ。 単なる気まぐれにすぎなかったのだろう。 しかし、その気まぐれこそが運命、というものに操られた結果なのかも しれない。 人っ子一人居なくなった寂しい公園を眺め、僕も家へ帰ろうかと思い始めた時。 彼女が、視界に止まった。 巨大な、半円形の遊具。 その表面には幾つもの穴がぽつぽつと空いている。 俗に言う、てんとうむし、というやつ。 その上に、彼女は居た。 ついさっきまで誰もいなかったのに。 僕は訝しさを覚えたけど、彼女をよく見つめて、わずかに警戒を解いた。 彼女は、僕よりもわずかに年上ぐらいだったろうか。 清楚な顔立ちをした女性で、ショートカットの髪が清潔感を漂わせる。 白いワンピースが、これ以上はないというほどに似合っていた。 そして彼女はてんとうむしの上に座って、何をするでもなくただじっとあらぬ方を 見つめていた。 何となくときめくものを感じてしまって、心が揺れる僕。 「あの・・・・・・・・・・。」 僕が彼女に声をかけた事は、驚嘆に値する事だったかもしれない。 随分人付き合いにも慣れてきたとはいえ、僕はまだまだ人見知りする性格を 直せてはいなかった。 こんな風に見知らぬ人に自分から声をかける、何てことは普段なら 有り得ない事だったろう。 ただ、彼女の瞳。 それを、見てしまったから。 その中に、寂しさを見つけてしまったから。 僕はいつのまにか、彼女に話し掛けてしまったのだ。 「あの・・・・・・、すいません。」 声をかけたけど、反応がないので僕はもう一度彼女に呼びかけた。 すると彼女はゆっくりと僕の方を向く。 そして真っ直ぐに自分を見つめる少年を見つけると、ちょっと驚いたような顔を する。 正面から見ても、彼女は奇麗だった。 いや、奇麗、というよりもむしろ可愛い、という印象を持たせる。 自分より年上らしい人に対して可愛い、なんて随分失礼かもしれないけど、 そう思ってしまったものはしょうがない。 澄んだ瞳を二、三回しばたたかせ、彼女はやがてその桜色の唇からこう言葉を 発した。 「あなた・・・・・・・わたしの事が見えるの?」
僕のために、泣いてくれますか
(第九話)マヤ・前編
「え?」 僕は戸惑いの言葉を発した。 見えるの?・・・・・・って言われても、思いっきり見えてるとしか言いようがない。 「そりゃ・・・・・・・見えますけど・・・・・・・・。」 僕は正直に言った。 それを聞くと、彼女は喜びに顔を輝かせた。 その笑顔があまりに無防備で、魅力的なものだったために、僕はまたしても 心が揺れた。 「み、見えるのね!わたしの事が!よかった!嬉しい!」 彼女はそう言うと、てんとうむしから降りた。 「!」 僕は、驚愕に目を見開いた。 彼女が、てんとうむしから降りる時。 空中を、飛んでいたからだ。 正確に言うと、3メートル近い高さのてっぺんから、ふわり、とまるでクレーンで 上から吊るされているかのようにゆっくりとした速度で地面に降り立ったのだ。 「・・・・・・・・・・?」 常識外れの事は自分で慣れているとは言え、さすがにいきなり見せられて、 僕は唖然とした。 彼女はそれに気付いたか、ちょっと悪戯っぽい微笑みを浮かべた。 「・・・・・ごめんね?驚かせちゃった?」 「い、いえ、その・・・・・・・・・。」 僕は戸惑う。 魔法使い? そう一瞬思ったけど、さっきは魔力を感じとれなかった。 よくよく見てみると、外見は人間にそっくりだが、彼女は人間とは違った。 それのみか、生物ですらない。 その事を、僕は超感覚とも呼べる特殊な感覚で感じ取った。 しかし、一体彼女が何者なのか、という事まではわからない。 彼女は再び微笑む。 「自己紹介させてもらえるかな?」 「は、はい、どうぞ。」 混乱する僕。 どうも彼女は人を戸惑わせる才能があるようだ。 「今ので、分かったと思うけど、わたしは人間じゃないの。 精霊、なのよ。大地の。」 「!・・・・・・・大地の、精霊・・・・・・・・・!」 僕は驚きの叫びをあげる。 話に聞いた事はあっても、見るのは初めてだった。 「名前はね、マヤ、よ。 結構気に入ってるの。この名前。」 「マヤ、さん・・・・・・・・?」 「そ、マヤ。 で、君は? 君の名前も、教えてくれると嬉しいな。」 「あ、はい。 シンジ、です。碇、シンジ。」 「ふうん。シンジ君ね。 あなた、ひょっとして魔法使い?」 「え、ええ。そうです。」 「そうなの。でも、ほんとに良かったな。わたしの事見える人に会えて。 ずっとわたし、一人ぼっちだったから。」 マヤさんはそう言うと、あの全てをとろけさせる様な微笑みを浮かべた。 「むー。遅いわね。バカシンジの奴。」 ここは、ミサトの部屋。 ポテトチップスをぱりぱりやりながら、アスカはテレビを見ている。 ブラウン管の中では、つまらない芸能人達が愚にもつかない会話を交わしている。 居間の時計は七時を示していたが、彼女の下僕は帰って来る様子を見せない。 タンクトップに短パンというミサトと同様に刺激の強い格好で、彼女はごろん、と 寝っ転がる。 「いいじゃないの。毎日毎日規則正しい生活してる方がよっぽど不健康よ。 ちょっとぐらい帰りが遅いぐらいでぐだぐだ言わないの。」 と、これはミサト。 「でも最近のシンジって、妙にこそこそしてんのよねえ。 前みたいに学校が終わると同時にさっさと一人だけで帰るような事は なくなったけど、何か変に疲れたような顔することもあるし。 絶対あいつあたしに何か隠し事してるわね。」 「そりゃあシンちゃんだって年頃の男の子だもん。 隠し事のひとつやふたつあるのが当然でしょ。 それともアスカ、シンちゃんに隠し事されるのがイヤなの? シンちゃんの事は何でも知ってなきゃ駄目って?」 「当たり前でしょ。何度も言うけどね、あいつはあたしの下僕なの。 下僕にプライバシー何て物は存在しないのよ。 その日一日に何があったかご主人様に詳細に報告するのが義務なのよ。 それを、あいつは・・・・・・・。」 素直じゃないわねえ。 ミサトはビール片手にほくそ笑む。 気になるなら気になるって言えばいいのに。 まあ、そこが彼女の魅力なのかも知れないけど。 ミサトは一気にビールを空けた。 「ね、精霊を見るのって、初めてなんだ?」 マヤさんが聞いて来る。 彼女が醸し出しているえもいわれぬ雰囲気が、僕の周囲を囲んでいた。 とくん・・・・・・・・・とくん・・・・・・・・・・・。 心臓が、いつもより微妙にその鼓動を早める。 アスカと一緒に居る時の様な、苦しく、切ない感情とは違い、どこかほっとする、 さりげない心地良さと高揚感。 自分が、彼女の側にいてもいい。いや、側にいるのが当然と思わせる。 そんな、雰囲気。 彼女の笑顔には華やかさはなかったけど、誰の心をも潤すような、温かさが あった。 ・・・・・・これが、大地の精霊というものか。 その温かさに包まれながら、僕はそんな風に思う。 それとも、彼女が特別なのか。 「ええ。ほんとに、マヤさんに会えたのは、運がいいとしか言いようが ないです。・・・・・今迄、ずっとこの公園に居た訳じゃ、ないですよね?」 僕は彼女の質問に答え、今度はこちらから質問を放つ。 「うん。今迄はもうちょっと北の方、小さな田舎町に居たんだけど、ついこの間 こっちに来たの。 ・・・・・この街は、いいわね。 最初はアスファルトとコンクリートに囲まれて、ちょっと居心地悪いかな、と 思ってたんだけど、意外と大地も緑もあるし、人もたくさん居るし、ね。」 「そうなんですか・・・・・。何にしても、気に入ってもらえて良かったですよ。 ・・・・・まあ、僕が作った訳じゃないですけど。」 そこまで言って、僕はふと気が付いた。 僕を背後から見つめる気配。 何とも気分の悪い視線を感じて、僕は振り返った。 ・・・・・そこには、近所の主婦らしいおばさんが三人ほど、僕の方を見つめて ひそひそと言葉を交わしていた。 嫌悪の表情。 そうか。 そういえば普通の人間には精霊は見えないんだ。 という事は当然今のマヤさんの姿も見えていないし、声も聞こえない。 公園で独り言をブツブツと呟いている少年、という図式が浮かび、僕は 恥ずかしさで死にそうになった。 「ちょ、ちょっと、マヤさん、こっち。」 僕は彼女の手を引っ張って・・・・・と思ったけど、その手がすり抜けるのを見て、 精霊に触れる事は出来ない事を思い出す。 さりげなく促して、公園の裏手の人目に触れない雑木林に二人で入り込み、 僕はほっと一息ついた。 「どうしたの?シンジ君?」 マヤさんが戸惑った顔で言う。 理由を説明すると、彼女はああそうか、とくすくすと笑った。 「そうだったわね、ごめんなさい。シンジ君に変な噂たっちゃったら大変ね。」 またくすくすと笑う。 僕もそれにつられて思わず笑ってしまった。 小さな笑いはなかなか納まらなかった。 ひとしきり笑った後、ちら、と腕時計を見た僕は驚いてしまった。 「あ、もうこんな時間だ。」 デジタル表示は八時を過ぎていた。 惣流やミサトさんの事を思い出す。 「・・・・・もう、帰らないといけないの?」 マヤさんが表情を曇らせる。 「うん・・・・・。皆に御飯を作ってあげないと・・・・・・。 マヤさんにも来てもらえたら嬉しいけど、ちょっと・・・・・いや相当ややこしい 事になりそうだから・・・・・・。」 精霊は魔法使いにしか見えない。 当然惣流やミサトさんにも見えるだろうけど、僕も見えるというのは自分が 魔法使いである事をわざわざばらしてしまうようなものだ。 いくらなんでもそれはまずい。 僕が困っているのを感じ取ったのだろう。 マヤさんは屈託の無い笑みを浮かべた。 「別に気にしないでいいわよ。シンジ君の生活壊す事になったら嫌だし・・・・・。」 「ごめんね、マヤさん・・・・・・・・。 あ、その・・・・・・・・・。」 「なあに?」 「その・・・・・・・、また、会いに来ても、いいですか?」 我知らず頬が赤くなる。 マヤさんは嬉しそうに笑った。 「うん!もちろんよ。わたしは多分いつもこの公園にいると思うから。 気が向いたらいつでも来て。」 「は、はい!」 僕とマヤさんは笑いあった。 「・・・・・・・・・ジ。」 マヤさん・・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・シンジ。」 いいなあ・・・・・・・マヤさん・・・・・・・・・。 「くおら!バカシンジ!」 「うわっ!」 いきなり耳元で大声を出されて、僕はびっくりした。 「な、何すんだよ惣流!」 「あんたが何度呼んでも返事しないからでしょ!」 「あれ、呼んでた?」 「呼んでたわよ!なあにぼけぼけっとしてんのよ! まああんたはいつもぼけっとしてるけどさ。」 「しょ、しょうがないじゃないか。僕だってたまには考え事する事だってあるよ。」 「ふうん?ニヤニヤしながら一体どんな考え事してたのかなあ?」 「え?ぼ、僕、笑ってた?」 「そうよお。だらしない顔してさあ。 どうせ女の子の事でも考えてたんでしょお?」 「!」 思わず顔が赤くなる。 マヤさんの笑顔を思い出して胸が熱くなる。 「ちょ、ちょっとシンジ。あんたほんとにそうだったわけ?」 僕の様子を見て惣流が慌てて(?)言う。 「え、い、いや、違うって!」 ここは、ミサトさんの部屋。 夕食が終わって、皆でぼおっとテレビなんて見ていたのだ。 今はミサトさんはお風呂に入っているので、僕と惣流と二人きり。 「違うって、言ってるじゃないか。」 「こらシンジ、白状しなさい!」 「は、白状する事なんて、ないよ。」 「その態度が怪しいの!」 惣流は僕の背後に回ると、僕の首に腕を廻して絞め始めた。 ぎゅうぎゅう。 「ちょ、ちょ、くる、しい、・・・・・・ゲホッ。」 でも、強く締められると惣流の胸が背中に・・・・・って何を考えてるんだ僕は。 「ほら!白状しないと死ぬ事になるわよ!」 ちょっと緩めて惣流は言う。 「い、言えないよ。」 「!言えないって事は、やっぱそういう事考えてたわけね!」 しまった。 「もう許さないわよ!ほら、死なない内にあらいざらい吐いちゃいなさい!」 「や、やだよ。どうせ話しても殺される事になるし・・・・・・・・・・。」 「ほおお?いよいよ怪しいわねえ?」 また、しまった。 Wでボケ・・・・・・・・ダブボケ。 すでに惣流の顔は鬼の形相。 「い、いや違うって。そ、その、そ、惣流の事、考えてたんだよ。」 僕は生き残るために咄嗟に嘘をついてしまった。 「え・・・・・・・・・・。」 急に腕の力が弱まる。 ゆっくり振り向くと、なんだか惣流は顔を赤くしている。 表情が急に柔らかくなって、その赤さは怒りのためではなさそうだ。 とんでもない嘘をついてしまった気がして、僕は慌てる。 「あ、そ、惣流。今のは、その・・・・・・・・。」 「シンジ・・・・・・・・・・・・。」 ! 惣流は潤んだ(ように見える)瞳で僕をじっと見つめて来た。 お互いの顔はかなり近づいている。 「そ・・・・・・・・・・・・・・・。」 「あたしの事、考えてたって・・・・・・・どんな風に・・・・・・・・・?」 甘い、囁き。 今迄に見た事の無いような恥じらいと、躊躇いの表情。 僕は思わず唾を飲み込んでしまった。 「いや・・・・・・・・あの・・・・・・・・・・。」 「答えて・・・・・・・シンジ・・・・・・・・・・。」 ぎゅっ・・・・・・・・。 わずかに、首に廻された両腕に力がこもる。 その腕が震えているように思えたのは気のせいだったろうか。 「アス・・・・・・・・カ・・・・・・・・・・・。」 「あ、あたしは・・・・・・・・あたしも・・・・・・・シンジの事、いつも、その、 考えて・・・・・・・・・・。」 「ああー。いいお湯だったわあ。」 まるでお約束のように部屋に響くミサトさんの声。 ぱっと離れる僕ら。 「シンちゃん、入って来ちゃったら?」 バスタオル一枚の教育上良くない格好のミサトさんが部屋に入って来る。 どうやら見られてはいないようだった。 「は、はい。お風呂、頂きます。」 僕は俯いてそそくさと風呂場へ向かった。 脱衣場でシャツを脱ぎながらさっきの事を思い出し、赤くなった顔をさらに 赤くした。 まさか、惣流も、僕の事を・・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・。 そんなわけ、ないよな・・・・・・・・・・・・。 AM2:00。 その晩、僕の姿は例の公園の中にあった。 涼しい風が吹き抜ける。 周囲を見渡して、雑木林の中に目的を見つけると、僕は彼女に近づく。 「マヤさん・・・・・・。こんばんは・・・・・・・・・・。」 話し掛けると、彼女はちょっと驚いた顔で振り返り、次の瞬間、破顔した。 「シンジ君!来てくれたのね!まさかもう来てくれるとは思わなかったわ!」 「あ、ごめんなさい、マヤさん。こんな夜遅くに・・・・・・・・・。 精霊って、睡眠の必要がないって聞いてたから、大丈夫かなって 思って・・・・・。」 「うん。大丈夫よ。それよりシンジ君こそ、大丈夫?」 「うん。僕も、睡眠は必要のない身体だから・・・・・・・・。」 二言、三言、言葉を交わすだけで、再び僕は彼女の温かい雰囲気の中に 溶け込むのを感じた。 さっきの惣流との事も、頭から消し飛んだ。 僕を見つめる、優しい瞳。 僕らはその場に並んで腰を下ろした。 そのままずっとマヤさんを見つめ続けていると、彼女は照れくさそうにした。 「どうしたの?シンジ君?そんなに、精霊って珍しい?」 「え?あ、は、はい・・・・・・・・・・・。」 マヤさんがあんまり可愛いから、みとれていたんです、なんて台詞を吐ける ようには僕の性格は出来ていなかった。 「そうよね。魔法使いでも、精霊に一度も会わないまま一生を終える事も 珍しくないみたいだしね。」 「そもそも、精霊って、どういう風に産まれるんですか?」 「それは、わたしにもわからないの。 ただ、気が付いたら意識があって、身体を持っていたわ。 そして、生きてきたの。 わたし達は老いというものを知らないから永遠を生きる事が出来るのだけど、 わたし自身はまだ生まれて二年ぐらいしかたっていないわ。」 「二年、ですか。じゃあ、僕の方が年上なんですね。」 笑いながら言う。 性格も外見もマヤさんの方が年上らしい。 マヤさんも笑う。 「そうね。確かに。 じゃあシンジ君、じゃなくて、シンジさん、って呼ばなければ駄目かしら?」 「なんか、変ですよ。そんな事言ったら僕はマヤ、とかマヤちゃん、とか 呼ぶ事になっちゃいますよ。」 また、二人して笑う。 「じゃあ、今度はわたしから質問ね。」 「はい。どうぞ。」 「シンジ君て、普段どんな生活してるの?」 「どんな・・・・・・・って言われても・・・・・・。うーん。」 普通の生活ですよ、と言おうと思ったけど、どう考えても一般的な中学生の 生活からはかけはなれている事に気が付く。 「そうですね。まあ、普段は中学校に通ってますね。友達と一緒に遊んだり して・・・・・・・・。一応マンションで一人暮らしなんですけど、しょっちゅう出入り する人たちがいて、とても一人暮らしとは思えませんね。」 「魔術の勉強は、学院でしてるの?」 「いえ・・・・・・・・。 その、訳があって、僕は自分が魔法使いだっていう事を秘密にしてるんです。 だから完全に独学ですね。」 「ふうん。」 マヤさんはにこにこしながら僕を見ている。 「な、何ですか?」 「さっきの、お返し。」 「え?」 「さっき、わたしの事こうやって見てたでしょ。だから、お返し。」 「や、やだな、マヤさん。恥ずかしいですよ。」 「ふふっ。なんだか、シンジ君て可愛い。」 「か、からかわないで下さいよ。」 「別にからかってなんかないわよ。ほんとに可愛い。 わたしの初めての友達が、シンジ君で良かったな。」 初めての・・・・・・・。 ・・・・・・今迄、ずっと寂しかったんだろうな。 僕はそう思う。 普通の人間には姿も見えず、声も聞こえない精霊。 すぐそばにたくさんの人が居るのに、誰一人自分に気付いてくれない孤独。 おまけに精霊は個体数の極端に少ない種族(正確な意味で生命とは 呼べないが)なので、同族とも出会えない。 僕は一応孤独、という言葉の意味を知っている。 ついこの間まで、僕は毎日独りで膝を抱えて座り込んでいたのだ。 僕は彼女に出会えた幸運と、彼女の孤独を少しでも癒せる事に感謝した。 僕達はそれから、ずっと会話を続けた。 マヤさんは以前暮していた田舎町の事を楽しそうに話し、 僕はトウジやケンスケの事を話して彼女を笑わせた。 マヤさんは山々の木々や動物達の事を教えてくれ、 僕はミサトさんや惣流との生活ぶりを教えた。 時間は、瞬く間に過ぎて行った。 口下手なはずの僕の口からは絶え間無く言葉が溢れ、様々な意見や考えを 口にする。自分という人間が、こんな性格をしていて、こんな考えを持っていた のだと、今迄知らなかった自分自身をいつのまにか見つけている。 マヤさんにとっても、同じ事だったかもしれない。 彼女にとっては、初めて交わす”会話”というもの。 僕が彼女の言葉に対して言葉を返す、というただ単純な事にマヤさんはひどく 感動していた。 何度も、何度も、彼女は嬉しい、と言った。 何度も、何度も、楽しい、と言った。 僕らの会話は終わる事を知らず、いつのまにか東の空は白んでいた。 「・・・・・・・・マヤさん・・・・・・・・・・。」 僕が寂しそうな顔を向けると、彼女もまた寂しそうに返す。 「・・・・・・・シンジ君・・・・・・・。そろそろ、家に帰らないと、駄目ね・・・・・・・・。」 「はい・・・・・・。もっと、お話したいですけど・・・・・・・・・。」 「もう、会えないわけじゃないし・・・・・・ また、会いに来てね・・・・・・。」 「はい。また・・・・・・今夜にでも・・・・・・・必ず・・・・・・・・。」 「うん・・・・・・・。楽しみにしてるね・・・・・・・。」 マヤさん・・・・・・・・・・マヤさん・・・・・・・・・・マヤさん・・・・・・・・・・。 独りでマンションへ帰る道々、僕の頭からは彼女の名前が離れなかった。 いつのまにか、僕の心の中を彼女が一杯に占めていた。 たった一晩、語り明かしただけで、彼女は僕にとって一番大事な人の 地位にまで登りつめていた。 なんて・・・・・・・なんて、素敵なんだろう! マヤさん! 僕は彼女の事を想い、溜め息をついた。 何度も、何度も。 ・・・・・それ以来。 僕とマヤさんは、しょっちゅう会う事になった。 大抵の場合、場所は公園の雑木林であり、時間は深夜。 魔術の訓練、という義務を負った僕には、さすがに毎日という訳には いかなかったけど、それでも二日と空けずに逢瀬を楽しんだ。 僕が現れると、彼女は心の底から嬉しそうな顔をしてくれる。 瞳を輝かせ、喜びの言葉を紡ぐ。 僕らは互いの身体に触れ合う事は出来ないけど、互いに言葉を交わす事は出来た。 そして、それで十分だった。 とりとめなく話をして、お互いに笑う。 一緒に様々なものを見、そして聞く。 彼女の話を聞く度に、彼女の笑顔を見る度に、お互いに見詰め合う度に、 僕の心は何かで一杯になり、溢れんばかりになった。 彼女に会うためにマンションを出る時ほど期待に胸を震わせる事はなく、 彼女に別れを告げる時ほど悲しい気持ちになる事はなかった。 いつも一緒に居る事の出来ない互いの境遇の違いを僕は呪い、 彼女は仕方の無い事よ、と微笑む。 一緒に居られない時間が、 互いの姿が見えない時間が、 互いの声が聞こえない時間が、 互いの思いが分からない時間が、 僕らの、相手に対する思いを育んで行った。 無論、惣流とも、ミサトさんとも、トウジとも、ケンスケとも、いつも通りの 付き合いを続けている。 皆と一緒に過ごす時間はやはり楽しいものではあったものの、ふと会話から 外れた時などに、否応無しにマヤさんの事を思い出す羽目になった。 マヤさん・・・・・・・・・・・。 独り寂しい時に呟く人の名は、 惣流のものからマヤさんのものへと変わっていった。 そんな生活が、しばらく続いた。 学校。 いつもの、昼休み。 午前中の、数学や理科、英語といった地獄の様な時間割をこなし、僕はほっと 一息ついていた。 自分の席に独りぽつん、と座って弁当箱を見つめる。 トウジとケンスケは弁当ではないので、購買へ行っている。 惣流は女の子達ときゃあきゃあ言い合って僕の作った弁当をつついている。 トウジ、ケンスケ以外に友達の居ない僕は、二人が戻って来るまでの時間を いつもこうやってぼんやり過ごす。 一緒に購買へ付き合ってもいいのだけど、無駄だし、何より僕は人込みが 苦手だ。 今の僕の頭を占めているのは、言うまでもなくマヤさんの事だ。 今夜、また彼女と会う約束をしている。 彼女と語り合う事を考えながら、僕は温かな想いに包まれた。 「よお。おまたせ、シンジ。」 ケンスケとトウジがパンを抱えて戻ってきた。 ケンスケはともかく、トウジの方は本当に抱えている、という表現がぴったりな ほどの量を手に入れていた。 あの戦場の様な中で、よくこれだけの戦果を得る事が出来る物だと僕はいつも 感心する。 「さあ。メシやメシ。学校最大の楽しみやからなあ。」 「じゃあ、いただきます。」 「お、シンジ。今日もまた美味そうな弁当やなあ。 卵焼き一個、もらうで。」 「いいよ。」 「かーっ!美味い!やっぱシンジは料理の天才やなあ。 こんな美味いもんを毎日たらふく食うといて、礼も言わん性悪女の気が 知れんわ。」 「ちょっと鈴原、あんた誰の事言ってんのかしら?」 聞きつけた惣流が遠くから声を飛ばす。 「おんどれの事に決まってるやろ。自覚もないんかい。」 「・・・・・・・食べ終わったらシメてやるからね。覚悟しなさい。」 再び弁当をぱくつく惣流。 この二人が言い合うのはいつもの事なので周りもあまり気にしない。 「でもさ、シンジ。」 ケンスケが顔を近づけて囁いて来る。 「え?」 「お前と惣流って、どこまで進んでるんだ?」 「・・・・・・・・何の話?」 「とぼけんなって。あんだけ毎日かいがいしく世話してるんだ。 なんだかんだ言っていろいろと”ご褒美”貰ってるんじゃないか?」 ケンスケの言ってる事を理解して、僕は苦笑する。 「そりゃ、まあ、ご褒美とか言ってときどきは優しくしてくれたりもするけど、 ケンスケが思ってる様な事はないよ。」 「そうなのかあ?」 僕の表情から嘘をついていない、と分かったのか、彼は途端に残念そうな 顔をする。 「俺はまた喧嘩しあったり、女王様と下僕、みたいな関係なのは学校の中 だけで、家に帰ればらぶらぶな生活でもしてんじゃないかって思ってたん だけど・・・・・・・・。」 「なんだよ、その、らぶらぶって。」 「そんなの決まってるじゃないか。なあ、トウジ。」 「おお。決まっとる。なあ、ケンスケ。」 二人はすっくと立ち上がった。 「『ア、アスカ。今日の晩御飯はアスカの好きなハンバーグだよ。』」 トウジが僕の声音を真似して言う。 ご丁寧に片手を胸の前に置いて、恥じらいを表現している。 「『ありがとう!シンジ!やっぱりシンジはあたしの事分かってるのね!』」 と今度はケンスケ。 どうやら惣流の真似らしいけど、はっきり言って気持ち悪い。 「『分かるに決まってるじゃないか。だって、僕は、アスカの・・・・・・・・。』」 「『え?な、何?シンジ?』」 「『ア、アスカの事が、その・・・・・・・・。』」 「『な、何よお。はっきり言いなさいよ。』」 「『・・・・・・・べ、別に・・・・・い、言わなくったって、分かるだろ? ほら、早く食べないと御飯、冷めちゃうよ。』」 「『いやよ。シンジが言ってくれるまで、あたし箸つけないから。』」 「『わ、分かったよ。言うよ。ぼ、僕は、アスカの事が、す、す、す・・・・・・。』 ぶっ!」 トウジがこらえきれなくなって、吹き出した。 それをきっかけに、今迄笑いをこらえて見ていたクラスの皆も、一斉に大声で 笑い出す。 口々に冷やかしの言葉や口笛が飛び交う中、僕は真っ赤になって俯き、 惣流は・・・・・・・・・・・。 「くおら!いい加減にしなさい!バカシンジはともかく、なんであたしが そんな台詞言わなきゃなんないのよ!」 真っ赤になって怒鳴る。 「おやあ?怒鳴るところがまた怪しいですなあ、先生。」 「そうですねえ。これはやはり核心を突かれた動揺と見るべきでしょうなあ。」 悪ノリするトウジとケンスケ。 この後二人がどんな目にあったかは、とても僕の口からは言えない。 「こんばんは。マヤさん。」 今日の僕は、ちょっと悪戯っ気を起こして、わざと気配を殺して彼女に 近づいた。 ずっと立って周りの木々を見つめていたマヤさんは、突然背後からかけられた 声に驚いて振り返った。 「や、やだ、シンジ君。驚かせないで。もう。」 ちょっと怒ったような顔も、彼女は魅力的だった。 僕は、笑う。 「今夜も、いい天気ですね。星が、あんなに奇麗に見える。」 木立の間から満天の星空が覗いていた。 「そうね・・・・・・・。本当に、奇麗。」 彼女は頬を膨らませていた顔を上に向け、うっとりとした目をする。 マヤさんの方が、奇麗ですよ。 用意していた台詞は、やっぱり使う事が出来なかった。 「ねえ、シンジ君。」 「はい?」 「えいっ。」 彼女は急に可愛い掛け声を掛けると、僕はそれと同時にその場に尻餅を ついた。足元を見ると、地面の一部が人間の手と同じ形になって、 僕の足を掴んでいる。マヤさんは大地の精霊としての能力を使って、 地面に変化を与えたのだ。 「や、やったな、マヤさん。」 「ふふっ。わたしをおどかした罰よ。これで、おあいこね。」 「まいったなあ。」 「ね、シンジ君。また、学校の話、聞かせて?」 「そうですね。何を、話そうかな?」 「授業は、何があったの?」 「今日は、時間割がちょっと苦手な科目ばっかりの日だったんですけど、 午後には体育があったんです。」 「体育?何をしたの?テニス?野球?」 「サッカーです。クラスの中ではトウジが一番巧くて、サッカーでチームを作る 時にはいつも彼の取り合いになります。」 「うん、うん。」 「残念ながら僕はトウジとは別のチームになっちゃったんで、不利なチーム でしたね。」 「彼はどっちだったの?眼鏡を掛けてるっていう・・・・・・・・・・。」 「ケンスケは僕と一緒です。でも、ケンスケの運動神経って僕と同レベル なんで・・・・・・・。」 「シンジ君は、ポジションどこだったの?」 「ポジションなんて、あってないようなもんですけどね。一応、バックに まわりました。負けた方のチームが器具の後片付けなんかやらされるんで、 みんなかなり真剣にやってましたね。ちょっと、怖いぐらいでしたよ。」 「で、勝負はどうなったの?」 「全然。惨敗でしたよ。トウジにはハットトリック決められるし、こっちのシュートは 大外ればっかりだし・・・・・・・・。今日ばっかりじゃなくて、いつもそうなんです けど、僕の入るチームって、いつも負けるんですよね。」 「ひょっとしてシンジ君て、そういう星の下に生まれてるのかもね。」 「ひ、ひどいなあ。マヤさん。」 「くすくす。冗談よ。」 その晩も、僕とマヤさんは二人きり。 僕らはじゃれ会い、そしてそっと心を重ね合わせた。 優しく、切なく。 月明かりが、差し込んだ。 彼女の身体が、それを受けてきらきらと輝く。 彼女の髪のひとすじひとすじが、天上の彫刻師の手によるものだった。 彼女の瞳は、あの夜空の星の一欠けらから成っていた。 彼女の魂は、神神をも羨むほどの慈愛を秘めていた。 如何なる存在も、彼女の美しさの前に霞んで消えた。 彼女は僕を見つめ。 僕は彼女を見つめる。 大事な、ひと。 僕は想いを言葉に乗せる。 愛しい、ひと。 彼女は心をそのまま伝える。 永遠を思わせる時が流れ、至福の時はしかし唐突に終わりを告げた。 「・・・・・・・・・シンジ?」 唐突に響く第三者の声。 林の外から覗き込んでいる、その人。 振り向き、僕はその姿を視界に捉える。 彼女の正体を知り、僕は自分がどこまでも落ちてゆく様な感覚を覚えた。 僕の姿を映す、蒼い瞳。 惣流・アスカ・ラングレーの姿が、そこにあった。
河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第九話、公開です。
ついにばれた?
夜中、抜け出すシンジを追ってきていたアスカ。
深夜の行動を悟られたのは−
シンジが「早く会いたい」気持ち故、不注意になってきていたのか、
アスカのシンジを見つめる目が熱くなってきていたのか。
精霊と話が出来る=魔法使い
従って、シンジは魔法使い。
シンジは自分に隠し事をしていた。それも重大な。
アスカの気持ちがどう動くのでしょうか。
さあ、訪問者の皆さん。
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