pipipipipi......
耳障りな電子音が僕を夢の世界から現実へと引きずり戻す。
「ううーん。」
ごそごそと枕元を探り、目覚し時計のスイッチを止める。
風情も何も無い音は、始まった時と同様に唐突に止んだ。
もっと寝ていたいという欲求を無理矢理押え込むと、僕はベッドの上でその身を起こす。
とても機敏とはいえない動きで洗面所へ辿り着くと、冷たい水で顔を洗う。
「ふう・・・・・・・。」
僕は、目の前の鏡に映っている少年の顔をじっと見つめる。
平凡な顔。
特別見られない顔というわけではないけれど、特別人を惹きつける顔というわけでもな
い。
僕の性格を表す様に弱弱しい曲線を描く眉。
暗い瞳。
僕はタオルで顔を拭くと、静かに呟いた。
「また・・・・・・一日の始まりか・・・・・・。」
そう・・・・・・・・・。
嫌な一日の始まり・・・・・・・・・。
僕の名前は碇シンジ。
第三新東京市第壱中学校の二年生。
十四歳。
小学校卒業と同時に、僕は預けられていた親戚の家を出て、
この最近目覚しい発展を遂げている都市、第三新東京市で一人暮らしを始めていた。
(やはり親子は一緒に住むべきだよ。)
そう体のいい理由をつけて僕を家から追い出した叔父。
叔父の言う通りに父の居るこの町へやって来たが、
十年ぶりに対面した父から宣告された言葉は、
「これまで通り金は出してやる。アパートでもマンションでも好きな所に住め。」
というものであった。
別に僕自身、父との同居を期待していた訳じゃない。
僕を・・・・・・実の息子をあっさりと捨てた父親とどんな顔をして暮らせというんだ
。
だからかえって父の宣言は僕の気を楽にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ガラガラッ。
ゆっくりと教室のドアを開ける。
僕に気付いたクラスメートの一人が声をかける。
「おっす、碇。」
「・・・・・・・おはよう。」
僕が挨拶を返すのを確認すると、彼は再び友人達と談笑を始めた。
「・・・・・・でよう。」
「・・・・・・あいつがさあ・・・・・・。」
僕はそれを横目で見ながら自分の席に着いた。
勉強道具を机の中に仕舞い込んでしまうと、イヤホンを耳に詰め、
愛用のS−DATで流行歌を聞き始めた。
周囲の喧騒が消え、一種の心地よさが身を包む。
なんでみんな、あんなに楽しそうに話していられるんだろう・・・・・・・・。
正直に言って、僕には友達と呼べる人はいない。
運動も、勉強も得意ではなく、好きなこと、やりたいこともない僕に、
友達などできるはずもなかった。
だからといってそれを寂しいなどと思ったことはない。
人と関わって生きていくなんてうざったいだけだ。
僕はただなんとなく生きて行ければそれでいい。
いや、それどころかいつ死んだところでかまったことじゃない。
・・・・・・どうせ僕が死んで悲しむ人などいないのだから・・・・・・・・。
退屈きわまりない午前中の授業が終わり、昼休み。
購買部ではいつも通りパンを求めて人込みが出来、
教室ではめいめいが会話を楽しみ、
校庭や体育館では昼食を終えた生徒達がスポーツに興じていた。
そして僕は、今もまた一人だった。
こんな時間には誰も来ないような、寂しい校舎裏。
意外と日当たりはいいため、一本だけぽつんと立っている何かの木は、
青々とその葉を繁らせていた。
その木の根元が、僕のお昼の指定席だった。
持って来た弁当のふたを開け、自作の卵焼きを口に運ぶ。
購買部の混雑が苦手な僕は、いつも自分で弁当を作っている。
今日の中身は、唐揚げと先程の卵焼き、それから野菜を炒めたものを少し。
不味くはないが美味くもない弁当を食べ終えると、僕は木に寄り掛かって本を読み始めた。
と、その時。
「あ?碇?」
僕に呼びかける声。
本から目を上げると、クラスメートの一人が僕の前に立っていた。
茶色がかったくせっ毛に眼鏡がトレードマークの、相田ケンスケという少年だった。
彼は人当たりのいい性格で、こんな僕に対しても、よく話し掛けてくれる。
「どうしたんだ碇?こんなとこで?」
「あ、お昼はいつもここで採ることにしてるから・・・・・・。」
「ふうん。」
別に教室で食べてもいいのだけど、友達のいない僕は結局一人で食べる事になる。
教室で一人っきりでお昼を食べるというのは、何だか晒し者にされてるみたいで嫌なのだ。
「相田君はどうして?」僕は問い返す。
「俺はほら、これさ。」
彼はそう言うと、右手に下げている物を見せる。
それはカメラだった。
彼の"趣味”と”商売”の事を思い出し、僕は納得した。
「隣、いいか?」
彼は僕のすぐ脇の地面を指差しながら尋ねる。
もちろん僕に断る理由はなかった。
そして僕らは他愛のない雑談をかわした。
とは言ってもしゃべっているのはほとんど相田君ばかりで、
僕はただ、へえ、とか、ふうん、とか相づちを打つだけだった。
彼の話は軍艦がどうとか軍隊のサバイバル訓練がどうとかいう内容で、
大半が理解不能だった。
彼には僕が理解していようがしていまいが、とにかく聞き役さえいてくれればいいようで、
その話はどんどん専門化してゆき、話し振りにも熱が入ってくる。
僕はそんな彼の様子を見ながら、ふとつまらない想像にとらわれた。
それは、
(もし僕が死んだ時、彼は泣いてくれるだろうか)
というものだった。
そしてその答えは、
否
だった。
彼と僕はあくまで単なるクラスメートという関係しかなく、例えば友達、という様な
互いに大事な存在とは遠かった。
他人のために涙を流す、という事はそれが同情によるものでないかぎり、
相手は自分にとって大事な人でなければならないのだ。
そう・・・・・・・
僕が死んだ時、僕のために泣いてくれる人など、どこに居るだろうか?
父さんは泣かないだろう。
母さんはすでにこの世にない。
親戚の間でも僕はどちらかといえばうとまれているし、
中学校に上がる以前の生活でも、友達と呼べる人はいなかった。
自分のために泣いてくれる人のいない人生など、生きる価値があるのだろうか。
僕がそこまで考えた時。
「ところでさ、碇。知ってるか?」
突然相田君が少し口調を変えて話し掛けてきた。
「え?何が?」
そこで僕の思考は霧散した。
僕は一体何を考えているんだろう。
心の中で苦笑する。
「何を知ってるかって?」
再び彼に問い返す。
すると彼は、ニンマリとしながらもったいをつけるように言った。
「実はな、今度家のクラスに転校生がやってくるらしいんだ。」
「転校生?」
「ああ。知らなかったろ?俺もこの間ちょっと職員室で小耳にはさんだ程度だけど・・・・・、」
僕は拍子抜けした。
転校生が来る。
それが何だというのだろう。
ただ単に33名のクラスが、34名になる。
それだけじゃないか。
しかしくせっ毛の少年の次の言葉は、僕の興味を引いた。
「その転校生な、どうも”魔法使い”らしいんだよ。」
「魔法使い?」
「そ。」
「魔法使いか・・・・・。どんな人なの?男?女?」
「そこまではまだ判らないさ。小耳にはさんだ程度って言ったろ?
これから本格的に調べるんだ。」
「へえ・・・・・・。」
魔法、と聞いて僕はふと昔の事を思い出した。
父さんが僕を捨てた時の。
古い傷痕。
「しっかし、魔法使いだよ。魔法使い!
俺、昔っから魔法使いに憧れてたからなあ。
絶対友達になってやろっと。」
「でも、本当にどんな人なんだろうね。」
「そうだなあ。早ければもう明日にも来るような事言ってたからな・・・・・。
今夜中に調べられるだけ調べとこうかな・・・・・・。」
すぐ分かる事だったら別にわざわざ調べる必要もないだろうと思うけれど、
そこが彼の性格なのだろう。
僕は空を見上げながら、そのまだ見ぬ転校生に思いを馳せた。
・・・・・魔法使いか・・・・・・・・・・・
「あたしが惣流・アスカ・ラングレーよ! 」
彼女を視界に映した瞬間、僕の意識は遥か虚空へと飛んだ。
教壇の前に立ち、腕を組みながら自信たっぷりに自己紹介したその少女は、
僕のクラスの転校生に間違いなかった。
いつもの朝のホームルーム。
担任の老教師によって紹介されたその転校生が姿を現した時、
クラスは興奮の極みと達した。
男子達は口々に喜びの声をあげ、
女子達も大半がうっとりとした目をしていた。
きれいだ。
それが僕の、彼女を見た最初の印象であり、
そして皆も同じ感想を持っているのは明らかだった。
腰まで達した赤い髪。
強い意志を秘めた瞳。
すらりと伸びた鼻梁。
端正な唇。
第壱中学の制服の中に包まれていてさえ分かる、美しいプロポーション。
それらが絶妙のバランスの中で一つのものとなり、
まさに神の愛でる芸術品を思わせた。
どくん。
僕の心臓が、突然跳ね上がった。
どくん。どくん。
体が熱い。僕の目はずっと彼女の姿にとらわれている。
どくん。どくん。どくん。
誰かが彼女に質問を投げかけた。
その内容すら今の僕には認識できなかった。
どくん。どくん。どくん。どくん。
その質問に答える彼女。
とても澄んだ、鈴を思わせる声が唇から紡ぎだされる。
どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。
僕は”魅了”の魔法でもかけられてしまったのだろうか?
心も、身体も、自分の物ではないような気がした。
周りの風景が全てモノクロと化し、彼女の・・・・・惣流・アスカ・ラングレーの姿だけが
眼球を焼く。
そして・・・・・
僕の人生は・・・・
この日を境として・・・・・
・・・・・・・・
変わってゆく・・・・・・・
めぞん66人目の住人、参号館9人目の御入居者です(^^)
6ゾロという何だかツイていそうな数字の新人さん、
河井継一さんいらっしゃい(^^)
第1作、『僕のために、泣いてくれますか』第1話、公開です。
厭世的に生きるシンジ。
持つ雰囲気はTV版よりもコミック版に近い物を感じます。
気力のないシンジ。
彼の生活はアスカとの出会いでどう変わっていくのでしょうか。
”生きる”が希薄なシンジ。
彼に係わる”魔法”とは?
さあ、訪問者の皆さん。
貴方のメールで河井さんを歓迎して下さい!