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少女は仰向けになりながら、空を見ていた。
視線の先には、ただ流れ行く雲があるだけ。
青い空は何も変わらず、少女の視界を覆っている。
だが、少女はその深紅の瞳から雫を溢れさせた。
震える肩。
少女の周りには誰もいない。
いや。
少女のいる世界には、誰もいない。
自然はある。
木々はその緑を茂らせ、海はその内にあらゆる生命の源を揺えている。
鳥が空を飛び、獣が地を闊歩する。
だが、『人間』と呼ばれた生物だけは、何処にも見出す事は出来ない。
万物の霊長とすら僭称していた『人間』という種は、もうこの世界には存在
していないかのように。
銀色の髪をショートに揃え、白磁のごとき肌は透き通るような白を保ってい
る。
そしてそんな少女の肢体を覆うのは、学校という環境下で着る制服だった。
何を想うのか。
少女の瞳には、先程から流れる涙以外、感情は浮かばない。
その想いを知る事は出来ない。
人のざわめきを失った世界が、そこにあった。
「…寂しいの？…私…」
呟く声が、何も無い空間に響いた。
翼音が少女を包む。
「…なに？」
見上げた少女の視界を、羽ばたく真っ白な翼が覆った。
『翼音』 Ver.R
目が覚めた。
すぐに己の両目が濡れているのが、少女に分かる。
「…どうして…私、泣いているの？」
少女は不思議そうに呟いた。
視線を横にずらすと、カーテンで遮られた朝陽が少女を照らしている。
ゆっくりとカーテンを引く。
白い朝陽に少女は目を細める。
「…いい…天気」
呟く少女は、その紅い瞳をゆっくりと開いた。
「あら、起きたの？レイ」
キッチンに顔を出すと、母が振り向いた。
「…うん」
「ちょっと待って、今朝ご飯準備するから」
にこやかに笑みを浮かべると母、ユイはシンクに向かう。
「準備してる間に、顔洗っちゃいなさい」
「…はい」
母に良く似た顔立ちの少女、レイはそのまま洗面所に向かう。
「おはよう、レイ。早いな」
そんな彼女の前に、一人の男性が立っている。
「おはよう…お父さん」
「ああ」
殆ど無表情のままで答える男性は、少女の父親であるゲンドウだった。
父の横をすり抜け、レイは顔を洗い始める。
目の前のガラスに映っているのは、今では見慣れてしまった顔だった。
母や父とは似ても似つかない、銀色の髪も、白すぎる肌も、そして紅の瞳も、
自分がアルビノだったという事を理解してからは気にならなくなっている。
ただ幼い頃から容姿について虐められていた事から、どうしても無口になっ
てしまうのは仕様の無い事だろう。
碇レイ。１４歳。
商社の社長を務める碇ゲンドウと、その妻碇ユイの間に生まれた一人娘であ
る。
「おはよー！碇さん！」
教室の扉を開く。
そんな彼女の姿を認め、声をかけて来たのは洞木ヒカリだった。
「…おはよう、洞木さん」
レイの呟くような声にも、ヒカリはにっこりと微笑み返す。
「ねえ、碇さん。今日転校生が来るんですって」
「…そう」
淡々とした反応を示すレイに、ヒカリは嫌な顔もせず笑みを絶やさない。
「あ、鈴原！今日、週番だって言ったじゃない！！」
突然表情を変え、怒鳴りつけるヒカリの視線の先には、扉から入ってきたば
かりの少年がたじろいでいた。
ジャージに身を包んだ少年は、たじたじとなりながらヒカリに手を合わせて
いる。
「スマン！！委員長！明日はちゃんと来るさかい、堪忍してや！」
拝み倒している少年の名は、鈴原トウジ。
年中ジャージを着ているこの少年は、遅刻その他の常習犯でもあった。
「そんな事言って、この間もやらなかったじゃないの！」
「この間はこの間や。次はちゃんとやるさかい、な？」
そんな少年に、ヒカリは少し頬を赤らめる。
「もうっ！ちゃんとしなさいよね！」
レイはそんなヒカリを、何も言わずに眺めていた。
「…まったくもう、鈴原は…」
ぶつぶつと呟いているヒカリを見て、レイは不思議そうに尋ねる。
「…どうして鈴原君には、辛く当たるの？」
「えっ！？そ、そんな事、無いわよ」
慌てたような口調で否定するヒカリ。だがその背後から眼鏡をかけた少年が
口を出してくる。
「そーだよな〜。ど〜して委員長はトウジにだけは冷たいのかなあ？」
「あ、相田君！！勝手な事言わないでよ！！」
「俺は客観的な事実を、言ってるだけだよ〜」
そう笑うのは相田ケンスケという少年だった。
片手には、常にビデオカメラを持つこの少年。実は学校一の情報通でもある。
「なんや？ケンスケ。呼んだかいな」
さらにトウジが会話に加わる。
「な、何でもないの。うん、そう！あ、鈴原、花瓶のお水、取り替えてきてよ
ね！！」
取り繕うように怒鳴ると、ヒカリはふいっと顔を背けた。
「なんや、委員長。冷たいなぁ」
ぶつぶつ言いながらトウジは、大人しく花瓶を持って教室の外に消える。
レイは不思議そうに、そんな一幕を見ていた。
「おはよ〜！！みんな！」
扉を開き、元気良く皆に挨拶するのは担任の葛城ミサトだった。
「今日は転入生がいるのよ。さ、入って〜」
ミサトの声と共に人影が教室に入ってくる。
ゆっくりと入ってくるその姿は、一人の少女のものだった。
金色の髪と白人種特有の白い肌。
そして蒼い瞳が教室を一瞬見回す。
美しいその顔に笑みが浮かぶ。
「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく！」
快活な声が教室に響く。
「彼女、ドイツから来たんだそうよ。席は…あそこね」
ミサトの指し示した席を確認し、アスカが歩いていく。
その席はレイの後ろだった。
近付いてくるアスカを、レイはじっと見つめていた。
「…今日からよろしくね」
レイの目の前で立ち止まると、アスカは好意的に微笑む。
「……ええ」
レイは静かに答え、そしてアスカの顔をじっと見つめた。
「…何よ」
「どこかで会った事…無い？」
「はぁ？無いわよ。あんたドイツに来た事は？」
「無いわ」
「なら無いわね。あたし、ドイツから出たの、今回が初めてなんだから」
あっさりと答えると、アスカはレイの後ろの席に座った。
「さ、授業を始めるわよ〜」
ミサトの声が教室に響いた。
レイは帰り道を一人歩いていた。
誰もいない道を、レイは無表情のまま歩いていく。
そして彼女は先程からずっと、思考の迷宮に入り込んでいた。
どうして彼女を見た時、何処かで会った事がある、だなんて思ったんだろう。
確かに彼女の言う通り、私が彼女に会った事がある可能性は無いのに……。
彼女は気付かない。
思考の迷宮に迷い込んだままの彼女は気付かない。
彼女の歩く先の横道から、車が出てこようとしている事に。
…私は何かを忘れているような気がする。
とても大事な、とても大切な何か…。
レイが横から飛び出して来た車に気付いた時、既に彼女にそれを避ける術は
残っていなかった。
大きなブレーキングの音が鳴り響く。
そして衝突音が聞こえた……はずだった。
目を閉じ、大きなショックを覚悟していたレイだが、一向にそのショックは
彼女の体に訪れない。
恐る恐る目を見開くと、そこは既に反対側の歩道だった。
そして彼女の腰に、腕が回されている事に気付く。
振り向くと、そこには一人の少年の顔があった。
レイと同年代の少年だろうか。
「…大丈夫？」
優しい笑顔で尋ねられる。レイは一瞬戸惑い、そして肯いた。
「そう、良かった」
そっとレイの腰に回されていた腕が外れる。
「それじゃ、気を付けてね。碇さん」
それだけを言い残し、少年はレイの前から立ち去る。
「あ……」
レイが声をかけようとした時、少年は角を曲がって行った。
小走りに追いかけ、レイが角を曲がる。だが彼女の前には、誰もいない道が
あるだけだった。
「……あれ？」
周囲を見回すが、少年が歩いて行けそうな場所は無い。
「……お礼、まだ言ってないのに」
そして彼女は気付く。
少年が自分を『碇さん』と呼んだ事に。
会った事は無いはずだ。
見上げた時、少年の顔を感じの良い顔だとは思ったが、それ以上記憶に引っ
かかる物は無かった。
なのに、どうして彼は自分の事を知っているのだろう。
「……どうして？」
レイはそう呟き、そして家へと歩き出した。
その頭上を、白い鳥が弧を描いて飛んでいた。
死。
静寂。
無。
回帰。
願いはそれだけ。
永遠に続く輪を断ち切って。
私は無へと帰りたいの…。
「駄目だよ…綾波」
振り返る私の前に立つ、あの人。
懐かしい。
守りたかった。
一つになりたかった。
そして…愛しい。
「君は、生き残るべき存在なんだ」
優しい眼差し。
静かな言葉。
何かを吹っ切ったような、清々しい表情。
「…だから………さよなら」
待って……待って……お願い…置いて行かないで………。
「待って！！」
自分の叫びで目が覚める。
そこには、見慣れた天井があった。
「……夢？」
汗ばんだ肌。
ゆっくりと起き上がるとレイは、自分の目元に手をやる。
「また……泣いているの？私…」
そこには、涙の跡が確かに残っていた。
「…どうして？」
考えても分からない。
ただ、悲しい。
夢の中の自分は、誰かに別れを告げられている。
それだけしか分からない。
でも悲しい。そして寂しい。
「夢の話なのに……」
分からない。
レイは頭を振って考えを振り払うと、そのまま顔を洗う為に起き出した。
そしていつも通りの朝が来る。
レイはそう信じていた。
翼音が響く。
学校の上空を、一羽の鳥が弧を描いていた。
碇レイは、いつもの様に学校へと歩いている。
ただ、今日の彼女は少し変だった。
足取りが何故だか軽いのだ。
理由は分からない。
ただ、何かの予感に突き動かされるように、彼女は歩いていた。
「おはよう、碇さん！」
その背後から元気良く声がかけられた。
「…洞木さん…それに、アスカさん？」
「おはよ、レイ」
「お、おはよう、二人とも」
自分を名前で呼ぶアスカに戸惑いながら、レイも挨拶を返す。
「これからはあんたの事、レイって呼ぶわ。どーも、日本人の名字って呼びづ
らいのよ」
アスカがケラケラと笑いながら、そう宣言する。
「…良いけど」
「そんな訳で、ヒカリ、レイ。遅刻しない内に、とっとと学校に行くわよ」
それだけを言うと、すたすたと歩き出すアスカ。二人は一瞬顔を見合わせ、
そして慌ててアスカの後を追うのだった。
「え〜、それじゃ昨日危うく事故に遭うところだったの！？」
「…ええ」
「それで？どこか怪我とか無いの？」
「…ええ」
「どうして？」
ヒカリとレイの会話に、突如アスカは振り返ると参加して来た。
「…助けられたから」
「誰に？」
「…知らない人」
露骨に顔を歪め、アスカは声を出した。
「あんた、名前も聞かなかったの？」
「聞く前に何処かに行っちゃったから…」
レイの言葉にアスカは呆然とし、ヒカリも苦笑を浮かべた。
「あんたって……鈍くさいわね」
アスカの心底呆れた口調に、レイは俯いてしまう。
「…また会ったら、ちゃんとお礼言いなさいよ」
「…うん」
「さ、そんじゃ学校に行きましょう。遅れちゃうわ」
アスカの言葉に、ヒカリとレイはゆっくりと歩き出した。
鐘の音が聞こえる。
遠くから、響いてくる鐘の音色に３人は立ち止まり耳を澄ませる。
「教会の鐘よね。結婚式かなぁ」
ヒカリの言葉にアスカが微笑む。
「女の子の憧れ？」
「アスカだって、そうでしょ？」
「まーね。ね、あんたは？」
突然話を振られ、レイは一瞬口ごもる。
「あ、私は……」
「碇さんも、そうよね」
ヒカリが気をきかせて、そう尋ねる。
「あ…うん」
辛うじて肯くレイに、アスカは微笑む。
「で？当てはあんの？二人とも」
「………無い」
ヒカリとレイが残念そうに答えると、アスカは露骨にため息をついた。
「もう、情けないわねぇ」
「そう言うアスカはどうなのよ」
「あたし？あたしはドイツにボーイフレンドくらい、いたわよ」
はっはっは、と笑うアスカをじっと見つめ、ヒカリが口を開く。
「恋人、じゃないんでしょう？」
「うっ」
アスカの口が、笑った形のままで止まる。
「同じよねぇ」
「ま、まーね。あたし理想が高くって…」
ヒカリとレイがじっと自分を見つめている事に、形勢不利を悟ったのだろう。
アスカは即座に話題を変えようとする。
「さ、遅れちゃうわよ！！学校、学校」
慌てて歩き出すアスカを見ると、ヒカリとレイは顔を見合わせ、クスっと笑
うとその後を追って歩き出した。
もう一度、鐘が鳴る。
見知らぬ誰かの幸せを祈るように、レイは一瞬鐘の聞こえた方を眺めた。
幸せな日常。
すっと、紅の瞳からこぼれた宝石の雫。
「涙…？」
何故だか、レイは嬉しかった。
ずっと望んでいたような気がするのだ。
こんな暮らしを。
「何してるのよ、レイ！本当に遅れるわよ〜！」
少し離れた所から、アスカの声が聞こえる。
レイはゆっくりと歩き出す。
自分を待っていてくれる、二人の元へと。
そんな彼女たちの遥か頭上を、一羽の鳥が弧を描いて舞っていた。
まるで彼女たちを見守っているかのように。
翼音 Ver.R 了
ども、Ｋｅｉです。『翼音』、いかがだったでしょうか。
「願いは〜」が詰まってしまいまして、気分転換を兼ねたお話です。
はい、現在煮詰まってます（笑）
お願いですから、見捨てないでくださいね。
では、今回はこの辺で。
１９９７年１０月１６日 ｅ−ｍｉｘ（上野洋子）を聞きながら Ｋｅｉ
Ｋｅｉさんの『翼音 Ver.R』、公開です。
夢の中のような、
幻のような、
何となく不思議な雰囲気ですよね・
ＫｅｉさんのＳＳにある空気に
いつの間にやら包まれているような感じです。
上空の翼音
アスカに感じる既視感
包まれちゃうな(^^)
さあ、訪問者の皆さん。
それぞれの感覚をＫｅｉさんにメールで伝えましょう！
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