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『願いはかないますか?』
第3話 君の願いを教えて欲しい。
雀がさえずり、爽やかな朝日が射し込む朝。
この時間なら、碇家ではそろそろ朝食の時間である。
だが、今日はいつもと違っていた。
「やっほー!し〜ん〜じ!」
チャイムが鳴るので何かと思い、ドアを開けたシンジの目の前には、数日前
に同じ階に引っ越してきた隣人の姿があった。
「アスカ……こんな時間にどうしたの?」
シンジの苦笑した表情を見ても、アスカは悪びれない。
「な〜によ。こんな美少女が朝から迎えに来てあげたのに、そんな事言う
訳?」
それどころか、恩着せがましい物言い。
だが、シンジは苦笑するだけだった。彼女の頬には朱がさし、目線を自分に
合わせないのを見れば、その言葉と真意にギャップがあるのは一目瞭然だから
である。
それでも、早朝の訪問には思う所はあるらしい。
「答えになってないよ、アスカ」
「良いじゃないの」
あたしは、あんたと、学校に行きたかったんだから。
小さく呟く彼女の言葉は、シンジには届かない。
「それよりも!シンジはまだ準備できてないの?」
口調を一転させ、元気な声を張り上げるアスカに、シンジは軽く微笑む。
「まだだよ。ご飯も食べてないんだから」
「遅いわね〜」
「まだ7時30分なんだけど……」
外を歩いているのは、小学生ぐらいのものである。
「お邪魔しまーす」
シンジの視線を無視して、アスカは家に上がり込む。
まっすぐキッチンに向かい、
「あら、もう出来てるんじゃない」
アスカの目の前には既に2人分の朝食と、弁当箱が用意されていた。
「でも……あの女は?」
「レイならまだ寝てるよ?」
シンジの言葉にアスカは振り向く。
「じゃあ、これは誰が作ったの?」
テーブルの上の食事を指差し、アスカが不思議そうに尋ねる。
「ああ、それ?それは僕」
にこりと笑うシンジに、アスカは一瞬真っ赤になり、そして言葉の意味を理
解すると、大声を上げた。
「ええ〜!?あんたが作ってるの?」
「うん」
さも当然そうに頷くシンジ。
「あの女は何やってるのよ」
「レイ?だから、寝てるってば」
冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、グラスに中身を注ぐ。それをテーブルに
置くと、入り口の傍に立っていたアスカの背後に人の気配が現れた。
「おはよう……」
びくっとアスカが入り口から離れる。
そこにはレイがいた。
「あ、あんた……」
アスカが驚いたのも無理はない。レイはまったく気配を感じさせずに、そこ
にいたのだから。
「おはよう、レイ」
だがシンジはまったく動じずに、レイに微笑みかける。
レイは以降無言で椅子に座り、グラスの中見を一息に飲み干す。
そこで初めて、いつもと違う闖入者に気付いたようである。
「……どうしてあなたが、ここにいるの?」
アスカをじっと見つめるレイ。その視線は、半ば睨み付ける、とでも言える
程強いものだ。
「いーじゃないの、別に」
だがアスカは、そんなレイの視線にも動じない。
段々と強まっていく視線が絡み合う。
「さ、食べよ」
だが、シンジの言葉にレイの視線は突如弱まる。
「…いただきます」
「はい」
無言で箸を進めるレイ。
シンジはそんなレイを見て、目を細めながら自分も箸を取る。そして料理に
箸をつけた。
「ねーえ、シンジぃ」
「なに?」
だがすぐにアスカが話し掛けてくる。
「あたしにも、何かないの〜?」
「…何かって?」
「お茶とか」
ため息を一つつき、シンジはコンロに向かう。
レイはそんなシンジの後ろ姿を、じっと見つめていた。
碇シンジという少年が住む家には、一人の少女が同居している。
綾波レイ、という少女が。
彼女は碇シンジの従姉妹だった。レイの父は彼女が幼い頃に事故死し、母は
病院にて入院中である。
それ故、シンジの父は姪であるレイを碇家にて養育するようになったのだ。
レイとシンジは、3歳の頃からずっと一緒に育ってきた。
一時期、シンジだけが離れて暮らした事もあったが、少なくとも10年前か
らは常に一緒だった。
「ねえ…アスカ…ちょっと離れてくれないかな」
シンジは登校中、自分の腕に絡みついてくる少女の腕に閉口していた。
「どーしてよ。こんな美少女と腕組んで歩けるなんて、役得よ?」
だが、腕を組んでくる少女には腕を放すつもりなど欠片も無いらしい。
にこにこと、満面の笑顔を浮かべて歩く。
そしてそんな2人の背後を、レイは歩いていた。
先程からすれ違う人々がシンジとアスカを見ていく。
それがシンジには気恥ずかしかった。だがアスカはむしろ見せ付けるように
歩いていく。
「…アスカ……」
もはやシンジの言葉など、聞いてもいないらしい。
アスカは得意満面の笑顔で歩いていた。
だが、そこに声がかけられた。
「…惣流さん。シンジが嫌がってる…」
ぴたり、とアスカの足が止まる。必然的にシンジの足も止まった。
「…なんですって?」
振り返ると、その視線の先には綾波レイが、睨み付けるようにして立ってい
た。
「シンジが嫌がってる……。だからその腕を放して」
「嫌がってるって……あたしはただ、こうしていたいだけよ」
「あなた…シンジが好きなんでしょう?」
レイはじっとそう告げる。
「好きな人の…嫌がる事をしたいの?あなたは」
「嫌がってなんかいないわよね!シンジ!」
だがアスカの期待した言葉は返っては来ない。
「いや……さっきから言ってる通り、出来るなら放して欲しいんだけど」
ぐっと言葉に詰まるアスカ。シンジなら「そんな事無い」と言ってくれる。
そう思っていたのだ。無条件に。
「この……馬鹿!!」
ばしっ!
思いっきりシンジの頬を張ると、アスカは一人走り出してしまう。
「……」
シンジは無言でそんなアスカを見つめていた。
その瞳は、どこか無感動なままだった。
その時、そっとシンジの頬に冷たい物が触れる。
綾波レイの繊手だった。
「レイ」
「……遅刻…するわ」
「そうだね」
シンジは微笑むと歩き出す。
レイはその横に並び、歩き出した。
それが今までの2人の姿だった事を、シンジは気付いているのだろうか。
「おはよう、みんな」
シンジは教室に入ると、いつも通りに挨拶をする。
だが、いつもと違って反応が返ってこない。
それどころか、男子は固まってボソボソと何かを話してすらいた。
「よ、おはようさん。シンジ」
そんな雰囲気に戸惑うシンジに、トウジが声をかける。
「おはよう、トウジ。………何か教室の雰囲気、変じゃない?」
「ああ、自分、昨日の事忘れたんか?」
「昨日って…まさか『あれ』!?」
「他に何かあるんか?」
昨日。アスカがシンジに突然教室でキスをし、そして告白した日。
シンジはゆっくりと他の男子に目を向けた。
視線が合う。
ぎろっ!
睨み返された。
げに恐ろしきは男の嫉妬。
「…僕が悪い訳じゃ無いんだけど…」
「まあ、諦めぇ。わしは別になんとも思わんけど、他の連中にしてみればなぁ」
トウジのにやにや笑いに、シンジは頭を抱える。
こういう状況はシンジは苦手だった。
そう言えば、今日の下駄箱には女の子の手紙とは間違いなく別種の手紙が数
枚混じっていた。
おもむろにシンジは手紙を取り出した。
何の装飾もされていない白封筒。
シンジは慎重にそれを開ける。
中からカツンと金属片が落ちて来た。
「シンジ、何やっとるんや……って」
トウジが、シンジの机にある金属片を見て固まる。
シンジは何とも言えない表情で、笑っていた。
「か……剃刀……か?それ」
トウジの背後からケンスケが顔を出す。その口元には苦笑が浮かんでいる。
「そう……らしいね」
シンジも苦笑いを押さえられない。
「ずいぶんと……古典的な奴だな」
ケンスケの言葉が、三人の心情の全てを現していた。
獅子脅しの音が響く。
そこは広大な日本庭園だった。
端々まで丹念に手入れされた庭の中、一つの庵が建っている。
今、その庵では二人の人間が会談中だった。
「…お久しぶりです。老」
深々と頭を下げて挨拶をする男。年の頃は40代中盤だろうか。
そしてその男の前に座り、傲然と茶を啜っているのは70代も過ぎたであろ
う老人だった。
「確かに、10年ぶりか?霧島」
老人の名は碇という。つまりシンジの祖父であった。
「は…確かに、10年ぶりです」
これ以上無いくらいに緊張した面持ちで老人に相対しているのは霧島という
男だった。
国連の特別官僚として、世界経済に多大な影響力を持つ老人に会ったのは、
もう10年前の事である。
それ以来、この老人と会う事は無かった。だがあの時と変わらぬ威圧感に、
霧島は末恐ろしさすら感じていた。
「そう緊張するな。儂とて老いたであろう?」
「そのような…老はまだまだ…」
「そうか?だが孫はもう16になる」
にやっと笑う老人に、霧島は背中を流れる汗を感じた。
「シーンジ!今日どこかに遊びに行きましょうよ!」
放課後、突然シンジはアスカに捕まり、そう宣言された。
今朝の事など、気にもしていない。そんな笑顔である。
「どこかって…」
「あたしこの街の事は知らないんだから、シンジが案内してよね!」
「ちょっと!?アスカ!」
シンジの言葉を聞いていないのか、アスカはシンジの腕を取って引きずって
いく。
「それとも…あたしと遊ぶのは嫌?」
少し涙目でシンジを見上げる。
シンジは諦めたようにため息をついて、頷いた。
「分かったよ……。じゃ、レイ。そう言う事だから」
シンジが振り向いてレイにそう告げる。だが、レイはシンジの言葉が聞こえ
ていないように、ぼうっと外を眺めていた。
「レイ?」
シンジの呼びかけに、ようやく気付いたようにレイが振り返る。
「…何?」
「アスカに付き合うから、今日は一緒に帰れそうにないんだ」
「………分かったわ」
レイがそう言うのを確認すると、アスカはシンジを引っ張って教室の外に消
えた。
レイはそんな2人をじっと見つめ、そして席を立った。
レイが一人で帰宅すると、電話のベルが鳴っていた。
少し急いで靴を脱ぎ、受話器を取る。
「はい……碇ですが」
『あ、碇さんのお宅でしょうか。綾波さん、いらっしゃいますか?』
「私ですが…?」
女性の声が向こうから聞こえてくる。
訝しく思うが、一応用件を尋ねるレイ。
『あ、私病院の方の者なんですが……』
そして続く言葉。
レイは一瞬と惑い、そしてその表情に明るい光が射す。
「はい……はい…はい。ええ、分かりました……」
口元を彩る笑み。
だが、一瞬の間の後に、その笑みは消える。
「………そうですか…はい……ええ…少し…考えさせてください」
そう言うと受話器を置いた。
しばらくそのままの姿勢でレイは立っていた。
そして不意に一つのドアの前に立つ。
じっと、ドアを開けようかどうか逡巡している様子のレイ。
心は決まったのか、ドアを開く。
そこはシンジの部屋だった。昔から見慣れていた、そして最近は入る事のな
くなった部屋。
シンジの性格を良く現す部屋は、調度品は少なく、最低限の家具しか置いて
はいなかった。
部屋の中央に立つと、レイはじっと部屋を見回す。
写真立てが机の上に置いてあるのを見つける。
手に取ると、そこではレイとシンジが映っていた。
シンジが優しい笑みを浮かべて、自分を見ている。
そして自分は…自分なりの精一杯の笑顔を浮かべている。
同じ写真が、レイの部屋にも飾ってあった。
2人がここで生活を始める時に撮った写真。
2人だけの、記念。
「どうしたら…いいの?」
レイはそう呟いた。
答えを決めるのは、自分自身だというのを理解していながら。
彼女の脳裏に浮かぶアスカの姿。
積極的にシンジに接触する彼女を見るたびに、レイは自分の心が揺れるのを
自覚していた。
この心が、どんな物なのか。
彼女はそれをまだ知らない。
家族だと、ずっと思っていた。
自分がここにいる理由は、一体何だろう。
……話したい。
……傍にいたい。
……でも。
床に映ったレイの影が、夕日に照らされて長く伸びていた。
翌朝も、シンジはアスカの来襲を受けていた。
「大変やなぁ、シンジも」
トウジの心底そう思っているような口調に、シンジは苦笑を隠さない。
「それよりも……レイの様子が昨日から変なんだ」
シンジの言葉にトウジは、レイの座る席に目をやる。
そこにはじっと、外を眺めている少女の姿があった。
「いつも通りやないのか?」
「心此処に在らずって感じなんだ」
話し掛けても、聞いていない時があるし。
シンジの言葉に、トウジは息を吐く。
「シンジに分からんのなら、わしらに分かる訳ないやろ。それにしても…シン
ジでも分からんのか?」
心底意外そうな表情のトウジに、シンジは自嘲するような表情を浮かべる。
「分からないよ。例え一緒にいても、レイと僕は所詮別の人間なんだから」
ゆっくりと視線をレイに向ける。
「他人の考えなんて、一生理解する事は出来ないよ」
「せやけど、それを理解しようとするのが大事なんやろ?」
トウジが諭すような口調でそう笑う。
「そうだね……」
くすっと笑うシンジ。
「トウジでも、やっぱりそう言う事を考えるの?」
「ヒカリとおるとな」
にやりと笑うトウジに、シンジは軽く微笑んだ。
「ありがと」
「気にすんなや」
トウジはそれだけを言うと、外を眺めていた。
シンジとレイは久しぶりに一緒に帰っていた。
アスカは大学部の両親に呼び出され、今日はシンジに纏わり付く事も出来な
い。
だがレイの様子は今も変だった。
何かを言いたげな表情のまま、幾度も逡巡を繰り返す。
結局それを帰り道でずっと続けていたのだった。
「どうしたの?レイ」
シンジは彼女にティーカップを手渡しながらそう尋ねる。
だがレイは何かを話そうとし、だがそれ以上口を開けない様子だった。
「…何か、悩み事なの?」
「……シンジ」
「ん?」
「シンジにとって……私は何なの?」
レイは小さくそう呟いた。
「何なの…って…?」
「私は…シンジにとって…どんな存在なの?」
すがり付くような表情で、シンジを見上げるレイ。
「レイは…僕にとって…」
シンジはその先を続ける事を躊躇う。
それは、彼自身の中で決して触れる事のない命題だからだ。
触れてはいけない命題。
決して。
「僕にとって……」
だが今のレイは、その答えを欲しがっている。
理由は分からない。
だが、その理由がなくてはレイはまた思考の迷路に埋没していくだろう。
「大切な………家族……………だよ」
のどの奥から引き絞るように出した言葉。
レイはゆっくりと目を伏せ、そして俯く。
「そうよ……ね」
小さく呟くレイ。
その華奢な肩が震えているように見える。
「私は……シンジにとっては家族だものね……」
レイがふと顔を上げた。
「お母さんが…退院できるって……」
目に涙が溜まっているが、それでもレイは微笑んでいた。
「本当に!?どうして黙って……」
シンジの言葉は最後まで続かない。
「私と一緒に暮らしたいって……そう言うの」
レイが最後にそう呟いたから。
「……なん…だって…?」
「お母さんが、退院して静養すれば良いから、その間だけでも私と一緒に暮ら
したいって……」
「それで……レイはなんて…?」
「まだ…答えていないわ」
シンジの答えが聞きたかったから。
レイがじっと、シンジの瞳を見つめる。
シンジは答えられない。
この答えを出せば、それはもう昨日までの自分では無くなるだろうから。
ずっと昔から、自分の中に隠し通してきた事実。
「……答えは…決まったの?」
「ええ」
すっと、レイは立ち上がった。その足取りには迷いは見当たらない。
ベランダに出、そして振り返る。
「…お母さんの所に…行くわ」
シンジは顔を上げなかった。
いや、上げられなかった。
「そっか……」
ただそれだけが言葉になる。
「……さよなら」
レイがそれだけを言うと部屋に消える。
シンジは座り込んだままの姿勢で、じっと身じろぎもせずにいた。
綾波レイがいなくなった部屋が、ここまで簡素になるとは思わなかった。
シンジはそう思いながら、自分達の家を見回していた。
レイは母の下に去った。
一時的な物だと、彼女はそう言っていた。
だがシンジは、それが永遠ではないかとすら、思っていた。
あの祖父が、忌むべき自分の娘と孫を放っておくとは思えなかった。
だから、彼もこの家を引き払う。
祖父の下へと行く為に。
彼が手元にある限り、祖父がレイ達にちょっかいを出す事も出来ないだろう。
母娘を守る為には、この手がもっとも有効であると判断していた。
「暫くのお別れ…か」
シンジはそう呟く。
逆光で彼の表情は読み取れない。
だが、その口元に浮かぶのは…冷笑。
「戻るのか?」
それは誰に向けての問いなのか。
ぴんぽーん。
「シンジー。いるー?」
もう聞きなれた声が玄関から届く。
「いるよ」
静かに、それだけを答える。
「何やってんのよ…って、あんたその格好と荷物は何よ」
シンジはタキシード姿で正装で立っており、その傍らにはスーツケースが2
個、鎮座していたのだ。
「アスカ。僕はこれから暫く、この家にはいないから」
シンジの言葉にアスカが怒鳴る。
「どうしてよ!」
「祖父の家に行く」
短く、簡潔な言葉。
「どうして?」
「答える必要は無いよ」
アスカはシンジの雰囲気が異なる事に、今気付いた。
「あんた…誰よ」
「…やだな。僕は碇シンジだよ」
にこりと笑うシンジ。だがその笑みはアスカに、恐怖すら抱かせる。
いつもなら優しい、どんなにアスカがわがままを言っても「しようがない
なぁ」といった光を宿らせている瞳が、凍り付いているのだ。
それは『碇シンジ』の姿をした、別人だった。
「それじゃあ、迎えが来たようだから」
シンジの言葉と同時にドアが開き、一人のスーツ姿の男が姿を現した。
「碇シンジ様。お迎えに上がりました」
「ご苦労様。荷物はそこにある二つだけだよ」
「はい」
シンジはそれだけを言うと、さっさと外に出てしまう。
アスカの事など、既に忘れてしまったように。
「ちょ、ちょっと!」
エレベーターに入るシンジを追って、アスカもその中に入る。
「どういう事なのよ!」
「答える義務は無いよ」
取り付く島も無い返答。
スーツ姿の男は、2人の会話に口を挟む事も無く、ただじっと立ち尽くして
いる。
3人がポーチに立った時、男が口を開いた。
「霧島様と御同道するように、との御命令ですので」
車の中に人影が在るのを、アスカは初めて気が付いた。
がちゃり、と開くドア。
そしてゆっくりと中から出てきたのは、美しいドレスを、自らの引き立て役
にすらしている程の美貌を持つ少女だった。
「君か……マナ」
シンジは少しだけ、懐かしそうな口調になる。
「10年振りね、シンジ君」
マナと呼ばれた少女は、微笑みを浮かべながらそう告げた。
「確かに、10年振りだね」
「変わらないわね、君」
マナの言葉には、多少の非難がこもっているようだ。
「そうかい?」
「ええ」
2人の会話に付いていけないアスカが、苛々とした表情を崩さずに口を挟む。
「シンジ!こいつ誰よ!」
「あら、あなた誰?」
「あたしは、惣流・アスカ・ラングレーよ!」
「ふ〜ん。で、あなたシンジ君が好きなの?」
最初の印象とは少し異なる、悪戯っぽい表情で尋ねるマナ。
「んなっ!…そうよ、悪い!?」
一瞬鼻白み、むすっとした顔で認めるアスカ。
「で、あんたは何なのよ!」
「婚約者、よ」
マナの、むしろ憮然とした表情が、その言葉と対照的だった。
「私の名前は霧島マナ。シンジ君とは、10年前から婚約してるわ」
柔らかく微笑みながらマナはそう告げる。
だがアスカは聞いてはいなかった。
「本当…なの?シンジ」
「本当だよ」
アスカの弱々しい声に、シンジは簡潔に答えた。
「じゃ、アスカ。また学校で」
マナの背を押すようにして車に乗り、静かに走り出す。
シンジは一度も、彼女を見ようとはしなかった。
「シンジ……」
アスカはそう呟いた。
「ねえ、あの子の事、いいの?」
「何が?」
車中でマナがそう聞いてくるのを、シンジは短く問い返す。
「あんな風に、放っておいて」
「明日学校で会えるしね」
シンジは興味が無さそうな、つまらなそうな表情で答える。
「今日のパーティーも下らないとは思うけどね」
ふっと、鼻で笑う。
「写真を見せられたの」
唐突に、マナがそう呟いた。
「写真?」
「君の写真」
マナはハンドバックから、一葉の写真を取り出す。
「君は変わったんだと思ったわ。それを見た時」
すっと差し出された写真。
それは、望遠で撮られた写真なのだろう。シンジと、そしてレイが映ってい
た。
その中でシンジは微笑んでいた。優しい、そして暖かい微笑みを。
ふっと、シンジの瞳が揺れる。
「でも、今の君はその写真とは違う。でも今の君を私は知ってる」
マナは囁くように、そう呟く。
「どっちが本当の君?」
「どちらも僕だよ」
静かに、それだけをシンジは答えた。
「良く来たな。シンジ」
「お久しぶりです。お爺様」
静かに頭を下げるシンジ。
「お久しぶりです。老」
マナがその横で頭を下げる。
「良く来たな、霧島の御令嬢」
今夜の彼はいつも以上に上機嫌だった。
「それでは、皆様にご挨拶もありますので」
シンジがそれだけを言うと、傍を離れる。
だがその表情は、完全に消えていた。
下らない。
金の亡者達が集まる仮面舞踏会。
シンジはゆっくりと、その中心から下がる。
今このパーティーに参加している者は、父ゲンドウの考えに反し、彼から排
斥された者が祖父に取り入ろうとしているのだ。
つまり。
「負け犬が寄り集まっているだけか」
テラスでそう呟く。
その呟きは風にかき消され、決して届かない。
「爺様も気付くべきなのに。グループは既に父さんによって完全に掌握されて
いるって」
ふっと冷笑を浮かべる。
既に祖父の影響力は国内の、それも非常に限定された地域にしか存在しない。
彼はそれを認めようとはしない。
いや、それを知ってすらいないだろう。
「気付かないから、こんな真似が出来るのか」
シンジはそう思う。
愚かしいとすら。
だが、今現在でもレイとその母に対して何がしかの行動を起こす可能性があ
るのなら。
「もうしばらく、こうしている他無いかな」
胸元からロケットを取り出した。
パチンと蓋を開くと、そこにはレイの写真があった。
「教えられないよな……こんな僕は」
自嘲するような笑み。
彼女には、今の自分を知られたくなかった。
彼女と出会う前の自分を。
「こんな所にいたの?」
背後からかけられる声。
「マナ…」
「どうしたの?政財界の巨頭をあしらった君が、こんな所にいるなんて」
先程彼にからんできた老人を、口先で退散させた事を言っているのだろう。
「毒気にあてられてね」
少しだけ、彼は微笑んだ。優しい笑みで。
「……そんな笑い方、出来るんじゃない」
「多分、もう出来ないけどね」
「え?」
「レイの安全を確認できない限り、出来ないよ」
シンジはそう言うと、手元のグラスの中身を飲み干した。
それは苦さだけを彼の口中に残した。
「レイ…ごめんなさいね。ずっと離れていて…」
美しい女性が少女を抱きしめていた。
「…お母さん」
綾波レイは、久しぶりに母の手に抱かれていた。
それは懐かしさと、嬉しさと、そして寂しさを彼女の心に生み出す。
「これからは一緒にいられるわ…レイ」
母の笑顔を曇らせたくない。
彼女はそう痛感する。
同時に、彼女は思う。
心の何処かに開いてしまった穴は、塞げるのだろうか、と。
第3話 了
第4話「ここにいる理由をあげる」に続く
御無沙汰しておりました。Keiです。「願いは〜」第3話をお送りします。
前回の「月光」にかかりきりだった為に、第3話はかなり難航しました。
そんな訳で、ちょっと重くなっております。まあ、本当に『痛い話』は私には
書けないんですけどね(笑)。
レイがシンジと離れ、そしてマナの登場。どうするんだ私。
それでは、今回はこの辺で。次回をご期待ください。
1997年9月23日 「DECADE(ZABADAK)」を聴きながら。 Kei
Keiさんの『願いはかないますか?』第3話、公開です。
バラバラになってしまいましたね、
シンジ、レイ、アスカ。
微妙な三角関係になるのかなと思っていましたが
・
・
・
・
なんだか、アスカは1人相撲ぽいなぁ(^^; (;;)
そこに更に、マナ登場。
アスカはやっぱり蚊帳の外 (;;)(^^;(;;)
母を守るため、レイは−−
レイを守るため、シンジは−−
さあ訪問者の皆さん。
貴方の感じたことををKeiさん宛のメールにまとめてみましょう!
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