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『願いはかないますか?』

第1話 君といる僕、僕といる君。




 ことことと音を言わせている鍋を前に、一人の少年が包丁を構え、野菜を切っていた。
 たんたんたん、とリズム良く音が響く所を見ると、かなり手慣れている様子である。
 その少年はまな板の上に切られた野菜を鍋の中に放り込むと、蓋を閉じてガスを弱める。その間にフライパンの上に卵を割って落とし、フライ返しと手首のスナップで目玉焼きを引っくり返している。
 実に手際良く調理を進めている少年の名前は、碇シンジという。端正な顔立ちをしており、どちらかと言えば中性的な感じを受ける。細身の体だが、それなりの筋肉はついているようで、非力さはあまり感じさせない。当年とって16歳。だがその料理の腕は歳相応とは思えない程、手慣れた物であった。
「そろそろ、かな」
 キッチンに置いてある時計を横目にシンジはそう呟く。フライパンの上の目玉焼きを皿に移すと、今度はグラスを持って冷蔵庫を開ける。中に入っていた牛乳パックを取り出すと、中身をグラスに注ぐ。パックを戻し、グラスはテーブルの上に。
 シンジがシンクに戻ろうとした時、キッチンに一人の少女が入ってきた。
「おはよう、レイ」
 シンジが朝の挨拶をすると、その少女は眠そうな目をこすりながら挨拶を返してくる。
「…おはよう」
 少女の名前は綾波レイ。彼女はパジャマ姿のままですとんと椅子に座り、テーブルの上に先程シンジが置いたグラスを手に取ると、一息に中身を飲み干した。
 そこでようやく瞳から眠気が去っていく。
「毎朝それをやらないと目が覚めないんだから」
 クスクスと笑いを堪えるシンジを横目に睨み、レイはグラスをテーブルに戻した。
「……習慣だから」
 少し頬が赤いが、シンジはそれを見る事は出来ない。何せシンク側を向いて作業中である。
「はいはい。さ、朝ご飯食べよ」
 よそった味噌汁やらご飯やらをレイの前にも並べ、シンジもレイの正面の椅子に座る。いつもの朝食風景が始まった。

 しばし無言のまま、お互いに箸を進める。
「…叔父様達から何か連絡は?」
「ん? ああ、父さん達から? ………無いなぁ」
 レイはそれを聞くと「そう」とだけ答えると、また無言で箸を進め始めた。
 レイはシンジにとって、従姉妹にあたる少女である。レイが3歳の時、父親は事故で死亡し、母親は病院に入院していた。その為少女は、母の弟であるシンジの父、ゲンドウの手元に引き取られていたのだ。
 それ以来、彼女はシンジ達と暮してきた。
 そんな状況が変化したのは1年前の事である。シンジの父と母は日本有数、いや、世界でも五指に含まれる巨大な財団の会長と副会長であった。彼らは仕事の為にアメリカに長期滞在を余儀なくされてしまうのである。
 色々な選択肢の中から、シンジはレイと暮す事を選択し、そして現在。

「じゃあ、行くよ」
 シンジは鞄を抱えて玄関でレイに声をかける。
「うん、少し待って」
 少女は部屋から鞄を持ち出し、靴に足を通した。
 デザインの基調が似通った制服に身を包んだ少年と少女。
「行ってきます」
 シンジは家の中に向かってそう告げるとドアを閉める。家の中には誰もいない。だが、シンジはそうする習慣を改めるつもりは無いようだった。
 レイはシンジの横を歩く。
 そんな二人が通うのは、私立Nerv学園と呼ばれる、幼等部から大学部までの一貫エレベータ制を採用している巨大な学園だった。
 シンジの視線の先には巨大な学園の威容が見え始めていた。洋風の巨大な建築物。幾つもの建造物が広大な敷地に点在している。
 シンジとレイはその学園の高等部に在籍していた。

「おはよう」
 シンジが愛想良く、教室の中にいる人間に挨拶をする。
「おはよーさん、シンジィ」
 大阪弁で挨拶を返してきたのは鈴原トウジ。ジャージを身につけた少年は、にやにやと笑いを顔に貼り付けている。
「なに?トウジ」
 シンジの言葉に、トウジは喉まで堪えていた言葉を舌に乗せた。
「いやー、シンジも相変わらず綾波と仲ええなぁ」
 トウジの言葉に、シンジが笑いを浮かべる。
「羨ましい?」
「べっつにー」
 あっさりと返すトウジに、シンジは人の悪い笑みを浮かべる。
「ああ、そうか。トウジには別の人がいるものね」
 ぼん!と言う表現が似合う程、一瞬でトウジの顔が真っ赤になる。
「な、な、な、何を言うとるんや、わいは、別に、ヒカリとはなんでも…」
「ヒカリ?僕は『誰か』までは言ってないよ」
 慌てて言い返すトウジに、シンジが止めを刺す。
「お前な〜」
「何?」
 完全に悪意の無い笑顔を向けるシンジに、トウジは言葉を失ったようだ。
「何でもあらへん」
 力無く肩を落とすトウジを見て、シンジはもう一度笑った。
「おはよう、シンジ」
 そんな一幕を延々とビデオカメラで撮影していたのは相田ケンスケ。シンジも挨拶を返す。
「よ、今日の戦果はどれくらいだ?」
 ケンスケの視線、つまりカメラのファインダーはシンジの鞄に向けられていた。
 鞄は朝、彼が持ち出した時よりも遥かに膨らんでいる。
「…ん〜、20通って所かな」
 シンジは鞄の中に無造作に入れた手紙の枚数を、頭の中で数える。
「は〜、相変わらずもてるねぇ」
「嬉しくは無いけどね」
「ま、綾波がいるからな。シンジには」
 ファインダーはシンジの横の席に座るレイに向けられる。
 ファインダー越しに見る綾波レイは、やはり常人とは異なる存在に見えた。アルビノ、と呼ばれる先天的な条件によってその肌も、髪も、瞳も色素が薄い。
 その為に瞳は鮮紅色に。髪は銀色に、肌は透き通るような白だった。
 だが、ケンスケは何も言わない。それがレイにとって、重荷になっている事を知っているから。
 そして何よりも、シンジが恐いから。シンジもレイも、学園には幼等部の頃から在籍している古株である。故にレイは幼い頃からその容姿について、何かと言われる事が多かった。他人を傷つける事には、大人よりも子供のほうが残酷である事は事実である。
 有形無形のいじめもあった。
 だが、それが表面化した中等部1年の時。3年の生徒がレイを酷く侮辱した事があったのだ。その内容は知る術は無いが、普段温厚で優しい笑みを絶やす事の無いシンジが本気で怒った事件だという事を、同年代の生徒達はみな知っている。
 侮辱した生徒はシンジとレイを見ると、今でも逃げ出す。
 それがこの『伝説』に更なる尾鰭を付け足した。
 ただ、ケンスケはファインダー越しに見るレイを『綺麗』だと思う。素直にそう思える。
 カメラという物を通すと、現実の存在も、非現実の存在も同じ舞台に立てるようである。レイはどちらかと言えば非現実の住人のように、ケンスケには思えるのだ。
「しかし、シンジといるとこっちの住人に見えるんだからな。おかしなモンだよ」
 口の中で呟くと、ケンスケは自分の商売の為にカメラを回し始める。
 彼の映像コレクションは、高値で取り引きされる事がままあった。学園中でも強固な人気を誇るシンジの映像や、その美貌でファンが実は多いレイの映像はいい商品になる。
 実は彼の資材の購入資金源は『これ』であった。


 高等部1年ともなると、外部から受験してくる生徒も結構いるもので、教室には見た事の無い顔がちらほら見える。
 退屈な授業。
 そんな中、ぼんやりと手元の、教科書とノートを兼ねているノートパソコンで暇潰し用のゲームを立ち上げていたシンジのノートにメッセージが送信されて来た。
 小さなウインドウが開き、そこに着信されたメッセージが表示されている。
『碇クンって、Nervグループの社長の息子って本当?(Y/N)』
 じっとそのメッセージを眺めると、シンジは周囲を注意深く観察する。
 背後で二人の女子生徒が何か話している。ちらちらとこちらを覗き見ている所を見ると、どうやら彼女達が送信者らしい。
 シンジはレイの方向に視線を走らせる。
 レイは教師の言葉も耳に入っていないのか、じっと窓の外を眺めている。
『ねえ、本当なんでしょ?』
 返答が無い事に焦れたのか、もう一度、殆ど決めつけているような内容が送られてくる。
 シンジはしばらく考え、そして答えを打ち込んだ。 どうせ古くからいる連中は知っている事である。隠す必要など、最低限の静寂さえ守られれば、無かった。
『YES』
 それだけを打ち込み、返送する。
 それと同時に教室の各所から「うそーっ!」といった声が響いた。
 どうやらスクランブルはかかっていなかった様である。声を上げたのは例外なく、高等部からの入学者たちだった。
 すぐさまシンジの周囲を囲む少年少女達。
 口々に、シンジの事を知ろうと質問を始める。
「ちょっと!今は授業中よ!!」
 委員長である洞木ヒカリが決然と立ち上がり、シンジの周囲を囲む生徒を散らそうと声を張り上げた。
 だが皆ヒカリの言葉には耳を傾けようとはしない。ただ、シンジが何か言葉を口にすると、皆白けたような表情で自分の席に戻っていった。
 シンジは質問には答えず、ただこう告げただけだった。「自分の事なら古い連中に聞けばそれで十分だよ」と。
 あからさまな手抜きだった。それが他の生徒達の関心を白けさせる。
 教室にはまた教師の単調な講義だけが響き始めた。



「おや、シンジ君じゃないか」
「加持先生」
 放課後、廊下から外を眺めていたシンジに声をかけてきたのは、担任の加持リョウジだった。無精髭と後ろでくくった髪の毛がトレードマークのような先生で、当年とって30歳。女子にも男子にも人気のある先生である。
「どうしたんだい?いつもならもう帰っているのに」
 シンジは教室を無言で指差す。加持は教室の中を覗き、納得したようだ。
「綾波君か…相変わらず、君は彼女の保護者なんだな」
「レイが嫌がらない限り、ですけどね」
「嫌がらないさ。彼女、君の事が好きなんだろう?」
 そして君もそうなんだろう?、と続けられる言葉。その表情は面白がっているようにしか見えない。
「どうでしょうね。好きは好きなんでしょうけど」
「男と女の好きとは違う、とでも言いたいのかい?」
「ええ」
 レイは家族ですから。シンジの言葉に加持は複雑な表情を浮かべる。
「ま、それもいいか。しっかりやれよ」
 加持はそれだけ言うと、職員室へと歩いて行ってしまった。
 その後ろ姿を見送り、シンジはまた窓の外に視線を向けようとした。と、突然背後から声がかけられる。
「シンジ…」
「ああ、レイ。掃除は終わった?」
 無言で頷くレイを見て、シンジは笑う。
「じゃあ、帰ろうか?」
 もう一度うなずくレイ。その表情はあまり動かない。
 能面、と陰口を叩かれる原因の一つであった。
 だがシンジはレイが本当は自分達と同じように感じ、傷つく事を知っていた。長年一緒に育ってきたのは伊達では無いのだ。
「あ、碇クン!」
 歩き出した二人の背後から、声をかけられる。振り向いたシンジの前には数人の少女達が立っていた。
「えっと…何かな?」
 クラスメートだが、まだ名前は覚えきってはいない。一応少女達の顔は見覚えがあった。
「あ、あの、私達と一緒に帰らない?」
「…悪いけど、レイがいるから」
 少女達が勇気を振り絞ったであろう言葉を、シンジはあっさりと回避してしまう。
「レイって…綾波さんと…付き合ってるの?」
 それはその少女達にしてみれば、最大の疑問なのだろう。人当たりが良く、友人が多いシンジと無口で無表情。何を考えているか良く分からない、友人の少ない(殆どいない)レイ。その接点は一体なんなのだろうか、と。
「いや、そういう訳じゃないけど」
 シンジの言葉に少女達は露骨に安堵の表情を浮かべる。
「けど、一緒に住んでいるから」
 続けられた言葉に、少女達は固まる。
「え…?」
「一緒に、住んでいるから」
 もう一度、シンジは繰り返すとレイに振り返る。
「じゃあ、帰ろうか」
 こくり、とレイがうなずくのを確認すると、シンジは少女達に向き直る。
「じゃ、また明日」
 すたすたと歩み去るシンジとレイを、少女達は固まったまま見送った。
 無情に鐘の音が響いていた。


「いいの?」
「え?」
 帰り道。レイが唐突にそう聞いてきた。
「何が?」
「あの娘達の事…」
「ああ。どうせいつもの事だよ」
 自分に付いて回る『Nervグループの御曹子』というブランド。彼女たちもそんなブランドに引き寄せられた少女達の同類だろう。
 彼の今までの人生に、それこそ星の数程いたブランドにしか興味の無い人間達。シンジはそんな人間達を見飽きていた。
「でも…」
「それよりも、レイの方こそ大丈夫かな」
「…え?」
 レイが何かを言おうとする前に、シンジはふと思い付いたように口にした。
「僕と住んでるって、彼女たちに言っちゃったけど」
「……どうせみんな知っているもの。大丈夫よ」
 レイが安心させるように、そう告げる。シンジはそんなレイをじっと見つめていた。
「…レイは、僕と一緒に暮している事、嫌じゃない?」
 唐突な質問。
 彼の瞳には何か不安のような物が浮かんでいた。
 そんな彼を見た事があるのは、彼の両親とレイくらいの物だろう。
 いつもの彼は、胸中の不安などおくびにも出さない人間だから。
「…どうして?」
 レイは静かな瞳をシンジに向ける。しかし、どこか怒っているようにも見えた。
「…だってさ。年頃の女の子がいくら従兄弟とはいえ、同い年の男と暮しているなんて」
「私は…構わない」
「レイ」
「私にとっては…あの家が私の家だもの。私にとって…シンジは…………」
 暫しの逡巡。
「大切な…家族だもの」
 そしてシンジを見つめ返す。
 その瞳をじっと見つめるシンジ。レイの瞳は揺れていた。
「…ありがと」
 レイはそのまま歩きだす。シンジはその場を動かずにそんなレイを見続けた。
 そして。
「レイ」
「…え?」
 静かなシンジの声に、レイが振り向く。
「僕は、レイが僕の側にいてくれて良かった」
 君がいるから、僕は強くなれる。
 大切な物を守れるほどに。
 本当の僕は弱いけど、だからこそ。
 シンジの心の言葉。レイには届かない言葉。
「本当に、良かった」
 シンジの笑顔を、レイは眩しい物を見るように見上げていた。
 夕暮れが二人を照らす。二人の影は長く、長く伸び、そして重なり合っていた。
 まるで、二人の心の距離を表すように。



第1話 了


第2話「転校生は天災少女」に続く


NEXT
ver.-1.00 1997-09/03公開
ご意見・ご感想。誤字脱字情報は tk-ken@pop17.odn.ne.jp まで!!
 皆さん初めまして。Keiです。
 『朧月』に続いて『願いはかないますか?』を、お送りさせていただきました。
 大家さんは朧月の続編を望まれたのですが、あの話、続きはまだ考えてないんです(笑)
 な訳で、新作品の登場の運びとなりました。初めっから続けるつもりの話です。
 主人公達は16歳。オリジナルとは世界観を異にするお話です。
 長丁場の話になると思いますので、気長にお付き合いください。
 さて、次回は『天災少女』の出番となります。ええ、『天災(才)』です。ご期待下さい。

 作品に関する感想なんかを戴けると嬉しいです。励みになりますから。勿論、ご意見も尊重させていただきます。
 では、今回はこの辺で。

         1997年9月某日  自宅にて Kei

 Keiさんの『願いはかないますか?』第1話、公開です。  

 従兄弟で、
 同居人で、
 同級生で、
 男と女。

 微妙だ・・・(^^;

 次回予告を見ると「『天災少女』の出番」となってますね。

 絡みそうです。
 楽しみです(^^)
 

 ドロドロしちゃうのか、
 以外にさっぱりなの・・・・とは行かないだろうな。
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 [レイ>アスカ]のKeiさん(違ってたらごめんなさい)にメールを送りましょう!


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