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碇シンジの朝は早い。彼の朝は自分と同居人である綾波レイの弁当と、朝食
を作る事から始まるのだ。
今朝も、彼はキッチンに立ち弁当を作っていた。すでにおかずの大半を完成
させた彼はそれを弁当箱に詰めていく作業に入っている。
彼の一面しか知らない祖父達が見れば、驚愕し、嘆く事だろう。だが、シン
ジはこの作業を楽しんでいた。
何より、レイの笑顔が見たかった。
冷蔵庫から牛乳パックを取り出しグラスに注ぐ。
そしてレイがキッチンに入ってくる。
「おはよう、レイ」
「おはよう、シンジ」
優しく笑みを交わす二人。
いつも通りの朝。いつも通りの平穏な一日の始まり。
だが、天災は人間の知り得ぬ所からやって来るのだった。
『願いはかないますか?』
第2話『転校生は天災少女』
「おはよう、シンジ」
相田ケンスケの声が背後から届く。シンジは振り向き、そして意外な人物の
姿を見つける。
「おはよう、ケンスケ。珍しいね、こんな時間にこんな所にいるなんて」
いつもならもう学校にいる時間なのに。
ケンスケはシンジの言葉に笑って、鞄からカメラを取り出し軽く振ってみせ
る。
「ああ、今朝はちょっと早くから空港まで行っていたんだ」
「空港?」
「そう、空港」
「何でまた」
にやっと笑ってシンジに近付くケンスケ。レイはシンジの横で、我関せずを
実行している。
「国連の特別機が着陸するって情報を手に入れてね。見学に行っていたって訳」
耳元でわざわざ声のトーンを落として教えてくれるケンスケに、シンジは苦
笑する。
「特別機って言っても…別に軍用機って訳でも無いんだろ?ケンスケの守備範
囲外じゃ無いの?」
「チッチッチッチ。国連要人用特別仕様機だぜ?見逃せる訳無いじゃないか!」
ケンスケの目が怪しく光る。いや、正確には眼鏡なのだが、シンジにはそう
見えた。
「はあ、そういうものなの?」
「そうだよ!」
ケンスケの幸せ一杯、という表情を見てシンジは苦笑を浮かべるのだった。
「喜べ!男子諸君!!今日は転校生がいるぞ!!!」
担任である加持が大声を張り上げる。
彼自身、何やら喜んでいるようである。しかし、シンジ達は知っている。彼
が同僚である葛城ミサトと付き合っている事を。
「入りたまえ、惣流君!」
ばっ!と腕を振り、大振りなポーズを決める加持。それを合図に教室のドア
が開いた。
おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
教室にどよめきが走る。男子の野太い声が殆どである。
少女はドアを開くとゆっくりと、自信に満ちた足取りで教室内に入ってくる。
そして加持の横に立つ。
「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく」
そう言って極上の笑みを浮かべる金髪の少女。その言葉にさらに雄叫びが上
がる。
「どうどう、落ち着け、お前ら」
加持の言葉に雄叫びが静まる。それを見計らい、加持は言葉を続けた。
「あー、惣流君はドイツからやって来たクォーターだそうだ。転居の理由は両
親の仕事の事情。それ以外で質問はあるか?」
「はい!」
一人の男子生徒が勢い良く、手を挙げる。
「おお、飯塚。何だ」
「ご両親の仕事って、何なんですか?」
海外から転居するという仕事に興味があるらしい。
「あ…こちらの学園の大学部の教授に招かれて…」
「お母さんも、ですか?」
「ええ。父と母は博士号を持っていて…」
才能ある家庭の子女。そんなイメージが彼女に与えられる。
「ちなみに、彼女はドイツでは飛び級(スキップ)で大学を卒業している。お
前らなんか足元にも及ばない才媛だぞ」
加持がにやにやと笑いながら付け加える。
その言葉に、教室から羨望の視線が彼女に向けられる。その視線に照れたの
か、アスカは頬を染めて俯いた。
そして男子も女子も、最も気にしている質問がついに発せられた。
「惣流さんは、彼氏とか、いるんですか?」
「どうなんだ?」
加持が小さく聞いてみる。
「…いません」
小さく、静かな声が返ってくる。
「じゃあ、好きな男のタイプは?」
調子に乗ったのか、さらに質問が重ねられる。
「……」
言葉に詰まるアスカ。俯いている彼女を見て、男共はいよいよ持って可憐な
美少女にボルテージを上げる。
だが。
『うるっさいわね!少なくとも、あんたじゃない事は確かよ!!』
そんな叫びがドイツ語で発せられた。無論、叫んだのは惣流・アスカ・ラン
グレー、その人である。
だが、このクラスにドイツ語を解する人間はいなかった。少なくとも、アス
カはそう思ってドイツ語で怒鳴ったのだ。
一瞬、空気が凍り付く。アスカはその凍り付いた空気で自分を立て直した。
一気にブる。
「あ、あははは。その、清潔感のある、優しくて、頼り甲斐のある人、かな」
そう取り繕う彼女。
怪訝な表情を浮かべるも、可憐な表情を浮かべるアスカに男子の疑問は氷解
する。
加持は、ドイツ語を解する。だからさっきのアスカの言葉の意味も理解して
いた。だが、彼は何も言わない。ただ、にやにやと笑ってアスカに席を指定し
た。
「よろしく。…えっと…?」
「シンジ。碇、シンジです。よろしく」
シンジの隣へと。
女子は危惧を抱いた。
なぜなら、美少女の転校生が碇シンジの隣に座ったからである。
男子は危惧を抱いた。
なぜなら、碇シンジが美少女の転校生の隣に座っているからである。
アスカはにこにこと笑いながらシンジと談笑している。無論、授業中である
から大声では無い。シンジは教科書の準備が無かったアスカに自分の教科書を
見せているのだ。よって、公に彼女と席をくっつける口実を持っていた。
シンジ狙いの女子は、アスカにシンジが襲われないかと考え、男子はアスカ
がシンジの毒牙にかからないかと心配していた。
「へえ、碇クンって面白い人ね」
アスカが小さく笑う。シンジはそんなアスカを見て笑い返す。
「君ほどじゃ無いけどね」
いい雰囲気。
一人を覗いて、クラス中がそう思った。
「…シンジ」
休み時間。レイがシンジの机にやって来る。
「なに?レイ」
「この問題」
レイが静かにノートを差し出す。そこには几帳面な字が丁寧に書き綴られて
いた。
「ああ、これ?」
シンジは問題の解法を手際良く伝える。答えは教えない。ただ解き方を伝え
るだけ。だが、レイにはそれで十分だし、答えを教える気はシンジには無い。
「…ありがと」
レイの小さなお礼の言葉に、シンジは優しく微笑む。
「どういたしまして。ああ、レイ?」
「え?」
「心配いらないから」
シンジの言葉にレイの頬に朱が走った。
「…別に…心配なんか…」
表情を消してレイが自分の席に戻っていく。
だが、その頬の朱は簡単に消えなかった。
(ふーん。あいつら、デキてるのかしら)
アスカは隣の席の少年と、一見して暗そうな少女の行動を横目で見ていた。
自分自身が数十人の生徒に囲まれていながらだ。
無論、声にはしない。これは心の声だった。
彼女は自分自身を覆い隠す術を良く心得ていた。
「ええ、そうなんです」
にこりと笑うと、笑いかけられた男子が表情をだらしなく崩す。
(…せっかくママの国にやって来たけど、いい男はいないわねぇ)
アスカの心の呟きに気付く事も無く、男子生徒達はだらしない顔で彼女を囲
んでいるのだった。
放課後、帰り支度をしているシンジに声をかける少女がいた。惣流・アス
カ・ラングレーである。
「ねえ、碇クン」
「え?」
「今日、街を案内してくれないかな」
「…どうして、僕が?」
シンジが不思議そうに訊ね返す。シンジは周囲に気を配り、アスカに向き直
る。
「僕じゃなくても、希望者はいくらでもいるよ」
事実、男子はシンジとアスカを遠巻きに眺めていた。あわよくば彼女とお近
付きになるために。
「あなたがいいの」
アスカの悪びれない言葉に、シンジが溜め息をつく。そして彼の口からは滑
らかに言葉が出てきた。
『僕なんかより、適任はいると思うよ?』
それは流暢なドイツ語であった。
アスカは一瞬呆然とし、そして真っ赤になった。
『あ、あなた…もしかして…今朝のあたしの言葉…』
『理解できたよ』
あくまで微笑を絶やさないシンジ。
クラスメートには彼らの会話の内容は理解できない。不思議そうな表情で眺
めているだけだった。
「そう…」
しばらく俯き、そして顔を上げた時、アスカの表情は今までとは一変してい
た。繊細なお嬢様から、奔放な美少女へと。
「いいわ!ぶりっ子するのはもう十分!あんたは私の荷物持ちとして、本日は
私の貸し切り!いいわね!!」
アスカの豹変にクラス中が唖然となる。男子生徒はあまりの変貌ぶりに凍り
付き、女子はひきつった笑いを浮かべている。
「…遠慮したいんですけど」
「駄目よ!せっかくのぶりっ子を止めるんだから、責任とって付き合いなさ
い!!」
ぐいっと腕を掴み、アスカはシンジを連れ出そうとする。
「…分かったよ。あ、レイ。そんな訳だから」
じっと成り行きを眺めていたレイは、こくん、と頷く。
「…気をつけてね」
小さい声だが、シンジはそれを聞き取った。そして苦笑する。
「ま、なんとかなるでしょ。じゃ、行ってくるね」
「ちょっと、何やってんのよ!行くわよ、もう!!」
もう一度引っ張られる腕に、シンジは苦笑を浮かべたままで引っ張られて
いった。
「…中々強烈な性格らしいの」
「そうだねぇ。ま、写真には性格は写らないし」
トウジとケンスケの声が空虚に響いた。
レイは、二人の消えたドアをじっと見つめ、鞄を手に取った。
(なんなのよ、こいつは!)
アスカは心の中でそう怒鳴っていた。自分の横では、一人の少年が暇そうな
顔をして歩いている。
(仮にもこのあたしの指名を受けたってのに、このつまらなそうな顔は何なの
よ!)
碇シンジ。そう名乗った少年はアスカの荷物持ちとしてご指名され、ここに
いるのである。
(まったく、ドイツじゃ、あたしに指名されて迷惑そうな顔をした奴はいな
いってのに…)
そんな自分に指名されたというのに、この少年は喜ぶどころか、迷惑そうな
顔すらしたのだ。
(信じらんない!!)
ぶすっとした表情のまま歩くアスカを、シンジは不思議そうに眺めていた。
(どうしてこんなムスっとした顔のままで歩くんだろう。この子)
可愛い顔が台無しなのに。
思うが、口にはしない。大体今日初めて会った少女にそんな事を言えるほど、
シンジは口が上手くないのだ。
「ちょっと、あんた」
ふと立ち止まり、アスカはシンジに話し掛ける。
「何かな」
「なんでそんなつまらなそうな顔してんのよ」
きっと見上げるアスカ。シンジはその言葉と視線に心外そうな表情を浮かべ
る。
「つまらなそう…そんな顔してるの?僕」
「してるのって…あんた自分のことでしょ!?」
「いや、自分の顔をじっと観察する趣味は無いから」
シンジがにこっと笑う。
「つまらなそうな顔してたんなら謝るよ。でも、いい加減どこに行くのか、
はっきりしてくれないかな」
「今日のあんたはあたしの荷物持ち!あんたはあたしに付いてくれば良いの
よ!!」
「…はいはい」
アスカの決め付けた言葉に、シンジは苦笑を隠さなかった。
「何よ。ドイツじゃあたしに指名されて喜ばない男はいなかったのよ!」
「光栄に思え、と?」
「そうよ」
「…あんまり、そういう感情は持ちにくいなぁ」
シンジの苦笑気味の言葉に、アスカの片眉が動く。
「あんたね!」
「あんまり怒鳴っていると、せっかくの美人が台無しになるよ」
唐突にアスカの言葉の機先を制するシンジ。アスカはそんな言葉に怒鳴るタ
イミングを失した。ついでに言うと、少し頬が赤い。
「な、な、な…」
「せっかくの美人なんだからさ。で、買い物はどこでするつもり?わからない
んなら、僕が案内するよ」
一気に会話のイニシアティブを奪い、人の良い笑顔を浮かべるシンジ。
「どう?」
「…まかせるわ」
一転、静かになったアスカ。シンジはそんなアスカを見て微笑み、そしてそ
の手を取る。
「な、何すんのよ!」
「迷子対策」
シンジは短くそう告げ、アスカの手を引っ張って歩き始めた。
「あ、あれ…」
洞木ヒカリの妹、ノゾミは買い物途中で見知った顔を見つけた。
「碇、先輩…」
その視線の先には、彼女の憧れの先輩である碇シンジの姿があった。洋服店
でシンジが服を見ているのだ。
「…今日は綾波先輩、いないのかな…なら…」
いつもなら、彼の横には絶えず一人の少女がいたはずである。だが、今日は
その姿も見えない。
「あ、あの…」
「え?ああ、ノゾミちゃん」
おずおずと声をかえる。シンジは振り向き、彼女を認識したようだ。優しく
微笑む。委員長であるヒカリの妹には何度も会ったことがあるのだ。無論、シ
ンジは偶然だと思っている。事実は違っているのだが。
「買い物?」
「ええ、碇先輩もですか?」
「ん、まあそんな所かな」
「あ、あの…」
もし、よろしければ私の服を見立ててくれませんか…。彼女がそう続けよう
とした時、シンジのすぐ横にあった試着室のカーテンが開いた。
「ねえ、これなんかどう?」
「あ」
「ああ、良いんじゃないかな。よく似合ってる」
試着室の中には、綺麗な金髪の少女が立っていた。白を基調にし、赤が所々
にアクセントを与えているワンピースだ。
その少女は、ノゾミが見惚れるほど輝いて見えた。
「あら、誰?その子」
「ああ、委員長、洞木さんの妹さんだよ」
「あ、あの子の?惣流・アスカ・ラングレーよ。今日お姉さんのクラスに転入
したの。よろしく」
あっけらかんとした表情で挨拶するアスカに、ノゾミは一瞬怯み、そしてお
ずおずと挨拶を返す。
「あ、あの、洞木ノゾミです。よろしく…」
「ええ。で、シンジ。さっきと比べてどう?」
「…ん〜、今のほうが君らしいんじゃないの?」
アスカはノゾミに対する興味を失ったらしく、またシンジに話し掛ける。
ノゾミは、そんな二人に割り込めず、退却を決意した。
「あ、じゃあ碇先輩、私はこれで帰りますね」
「ああ、そう?じゃあ、気をつけてね」
「はい!」
シンジの言葉に元気良く返事すると、ノゾミは早足で二人の前から歩き去っ
ていった。
(先輩、あんな人がいたんだ…綾波先輩と付き合ってるんじゃないのかな…)
心の中でぐるぐると回る思い。ノゾミは思考ループにはまったまま歩きつづ
けていた。
「これでよしっ、と。んじゃ、行きましょうか」
買い込んだ荷物をシンジに持たせ、アスカは機嫌良く振り向いた。
「行くって…どこへ?」
時間はすでに7時を回っていた。閉店間際まで、店を回っていたのだろう。
「決まってんじゃないの。あたしの家、よ」
「どうして?」
「あんた…その荷物をどうするつもりだったのよ!」
「…ああ」
今思い付いたように、シンジが返事をする。
「あんた、馬鹿!?」
「そうかもね」
シンジは笑ってそう言うと、歩き出す。
「じゃあ、家まで案内よろしく」
「あ、こら!あたしを置いていくんじゃ無いわよ!」
アスカがシンジの横に並んで歩き始める。
「…でも、君の家ってどこにあるの?」
「ああ、西区にあるコンフォート17っていうマンションよ」
「…コンフォート17?」
「ええ。知ってるの?」
「うん、多分…」
シンジは腕に抱えた荷物のバランスを気にしながら、思考に埋没していった。
「ついたわ」
電車を利用し、てくてくと歩いた二人の前に、一つの巨大なマンションの影
が聳え立っていた。
「ここがあたしの家よ」
「………」
アスカはシンジが無言でいるのを見て、この巨大なマンションに度肝を抜か
れているのだろうと考え、密かにほくそえんだ。
何のかんの言って、シンジのペースにはめられた事に思うところがあったの
だろう。
「さ、行くわよ」
アスカが先行してポーチをくぐり、ホールに入っていく。セキュリティが
しっかりしている為、住人以外は絶対に入れない、とまで言われたマンション
である。
まあ、宅急便です、とか手は幾らでもあるのだが。
アスカがIDカードを通そうとした時、ドアが向こう側から開いた。
「…おかえりなさい」
それだけを言って二人を迎えたのは、綾波レイだった。
アスカにしてみれば青天の霹靂である。何故この女がここにいるのか。
「あ、あんた、どうしてここにいるのよ!?」
「ただいま、レイ」
アスカの驚愕を完全に無視して、シンジがレイに笑いかける。
「でも、どうして?」
シンジにしても不思議な事だったらしい。レイは事も無げに答える。
「外を見ていたら、二人が見えたから…」
「ああ、それで。ありがとう」
「半分、持つわ」
アスカを無視して、レイはシンジの腕から荷物を分けてもらっている。
「ああ、じゃあこれをお願い」
シンジは、なるべく軽い物をレイに渡している。
「アスカ、何してるの?」
二人に無視され、むすっとしていたアスカにシンジが不思議そうに尋ねる。
「あんたら、あたしの質問に答えないさいよ!」
「ああ、どうしてここに…っていう質問?」
「ええ」
「僕らもここに住んでいるから」
あっさりと答えるシンジ。
「な!?」
「僕らは12階だけど、アスカは?」
「あたしも…12階よ」
「そうだったの。……引っ越してきたのに気づかなかったね」
レイに向けて話し掛けるシンジ。そこでレイがふと顔を上げた。
「そう言えば、5号室の前が騒がしかった…」
「いつ?」
「3日前…」
「あたしが越してきたのは、その日よ」
「あ、なんだ。そうだったのか」
「あんたは?何号室なの?」
アスカはシンジをじっと睨み付けるようにして尋ねる。
「え?僕?」
「そうよ」
「10号室」
「あんたには聞いてないわよ!」
レイがぼそりと答え、アスカが怒鳴り返す。
「いや、10号室だよ」
「え?」
「だから、『僕ら』は10号室」
「ぼく、ら?」
アスカが二人を交互に見つめる。シンジとレイは至って普通の表情を浮かべ
ている。
「どうして?」
「同居中だからね」
「同居って…あんたら、まさか…」
少し頬を朱に染めて後ずさるアスカ。
「妙な想像してるんなら違うよ。レイは家に3歳の頃からいるんだから」
「どうして?」
「言わなくちゃいけない?」
シンジの瞳がアスカをじっと見つめた。それは何か威圧感すら、アスカに与
えた。今日、ずっと荷物持ちとして引きずり回していた時とは、別人に見える
程に。
「う…。いや、いいわ。人それぞれの事情ってもんがあるだろうし。あたしに
は関係無いもの」
「そうね」
じっと、二人のやり取りを聞いていたレイがぼそりと呟く。
「あんたって、ほんっとに、タイミング良く人を怒らせるわね!!」
「そう?」
アスカをじっと見返すレイ。
その瞳には、感情の動きが見えない。
「…アスカ。どうでもいいんだけど、この荷物をどうにかしたいんだけど」
シンジが自分の腕の中に積まれている荷物を見せる。
「あ、ああ。そうね。じゃあ、家までお願い」
アスカはシンジの言葉に我に返ったのか、シンジ達を先導して自宅のドアを
開いた。
「あ、入って。ただいま〜」
アスカは手早く靴を脱ぐと、さっさと中に入っていく。シンジとレイは顔を
見合わせ、そして靴を脱いで家に上がった。
家の構造は自分達の家と変わらない。だから、シンジとレイにとっては見る
べき物は何も無かった。
「あ、荷物はそこに置いておいて」
アスカの言葉に、シンジとレイはぼすぼすと荷物を置いていく。
「あ、じゃあ僕らはこれで」
シンジが立ち去ろうとする。それをアスカが呼び止めた。
「あ、待ちなさいよ」
「え?」
振り向いたシンジの視線の先には、アスカがティーポットを片手に立ってい
た。
「…荷物持ちにこき使ったんだから、お茶ぐらい飲んでいきなさいよ」
どこか照れたような雰囲気のアスカに、シンジがふっと微笑む。
「そう?でもレイが」
「あんたも飲んできなさいよ。ちゃんと3人分煎れたんだから」
アスカの言葉にレイは立ち止まる。そしてシンジの顔を見た。
軽く頷くシンジ。レイも踵を返して部屋に戻る。
「じゃあ、今日はありがと。それと、これからよろしく。ご近所さん」
「よろしく」
「…よろしく」
シンジとレイの返答を聞いて満足したのか、アスカは満面の笑みを浮かべた。
「あ、でもアスカ。ご両親は?」
「パパもママも仕事よ。でも今日はちょっと遅いわね」
ちらっと時計を横目に見てアスカは笑う。
「ま、こっちに来たばっかりなんだから、仕様が無いし」
けらけらと笑うアスカ。屈託の無い笑顔である。
「で?あんた達の親は?」
「え?」
「あんた達の両親は?って聞いたの」
「ああ、父さんも母さんも今はアメリカにいるよ」
「アメリカ?何でまた」
「仕事、だよ」
「そっちは?」
アスカは何気なくレイに話をふる。
「……」
じっと俯くレイ。アスカはそんなレイに不審な物を感じた。
「ちょっと…もしかして、聞いちゃいけない事だった?」
シンジを見て尋ねるアスカ。シンジもこくっと頷くと、レイを抱き寄せて頭
を撫で始める。
「レイ。アスカは知らないんだから…気にしちゃ駄目だよ」
「ご、ごめん。あたし無神経な事、聞いちゃったんだね。ホントにゴメ
ン!!」
頭を下げて謝るアスカ。シンジの腕の中でレイはそれを見ていた。
そして、少し微笑む。
「ううん。いいの。今入院中なのよ。私のお母さん」
それだけを言うレイ。シンジはレイの肩に回した手に少しだけ力を込めた。
「…じゃあ、そろそろ帰るね。また明日。アスカ」
シンジがレイを立たせると、そう告げた。
「あ、うん。また明日」
レイの背に手を置いてシンジは帰っていった。
最後に、「ごめん」とだけ言い残して。
「…結構、複雑そうね。あの家」
アスカは一人呟くとドアをロックした。
「ただいま」
シンジはドアを開けると、誰もいない部屋に向かって帰宅の挨拶をする。
その横には、まだ俯いたままのレイがいた。シンジはそんな彼女の肩を抱い
たまま、部屋の中に入っていく。
「レイ。座っていて」
シンジはレイをソファーに座らせると、キッチンからアイスティーを持って
くる。
すっとレイの前に差し出し、レイが受け取るのを確認するとシンジはその前
に座った。
「ねえ、レイ。アスカは悪気があった訳じゃ無いんだよ」
シンジの言葉にも、レイは俯いたまま反応を見せない。
「レイ?」
「…わかってる」
小さく呟くと、レイは手元のグラスに口をつけた。
「…私には叔父様や叔母様がいるもの。…私には…シンジがいるもの…」
レイは顔を上げる。その口元には微笑が浮かんでいた。紅の瞳には涙が浮か
んでいた。が、彼女は微笑んでいた。
「レイ…」
「だから、大丈夫」
もう一度、シンジに向かって告げるレイ。その言葉には明確な意思があった。
「わかったよ」
シンジはそれ以上、何も言わずに自分のグラスに口をつけるのだった。
ぷるるるるる、ぷるるるるる。
その時、電話の音が響いた。
シンジはレイを気遣いながら、受話器を取る。
「はい、もしもし。碇です」
『…シンジか?』
受話器の向こうからは、老人のしわがれた声が聞こえてきた。
「…お爺様」
シンジの表情が変わる。レイに向けていた優しい瞳が一転した。冷たい、何
も映さない瞳に。
「何の、ご用ですか?」
シンジの素っ気無い言葉にも、受話器の向こう側の人間は気にも留めた風も
見せずに言葉を続けた。
『ずいぶんな挨拶ではないか。儂はお前の祖父だぞ』
「…ご用は何なのでしょう」
シンジは、電話の向こうに居る人物と会話をするつもりは無いようである。
それ程淡々と用件を尋ねる。
『前にも聞いたが、儂の下で暮らす気はないか?』
「以前にも申し上げましたね?僕は、この家で暮らします。レイと一緒に」
最後の言葉をわざと強調する。祖父の言葉が詰まるのが、受話器越しでも分
かった。
『…お前は儂の後継者なのだぞ』
「父さんがいるでしょう?」
『ゲンドウはいい。彼奴はぐループをしっかりと掌握しておる。お前にも、経
営哲学を仕込むべきだと、儂は思っているのだ』
そんな言葉に、シンジは冷笑を浮かべた。いつものシンジの、人懐っこさを
感じさせる笑みとは確実に違う笑みを。
「遠慮しておきます。そんな物は小さな頃から仕込まれていますよ。お爺様
に」
『だからこそ、だ。お前は実に優れた資質を持っていた。10歳当時でお前は
すでに経営の何たるかを理解していたのだからな。だからこそ、儂の手元で育
てたい』
暗い情熱がその声には含まれている。シンジはそれを理解していた。だが。
「遠慮しておきます」
それを認めるつもりは彼には無かった。
『あの娘の為、か』
祖父の唾棄するような口調。
「レイの事を、そう言う風に言うのは止めてくれませんか。あなたの孫である
事は変わらないのですよ」
『あの屑と、儂の言う事を聞かなかった馬鹿娘の子供だ。儂の孫であるなど、
認められるか!』
激昂する祖父の声。シンジはそれを聞き流していた。
レイが生まれた時から、いや、生まれる前から祖父はそう叫び続けていたの
だから。
「お話はそれだけですか?なら、切ります」
シンジはそれだけを言うとフックに指をかけた。受話器の向こうで何かを叫
ぶ声が聞こえる。だが、シンジはそれを意に介さずに別れの挨拶を告げる。
「それでは、ご機嫌よう。お爺様」
シンジはそれだけを言うと、フックにかけた指を降ろした。
プツ。ツー、ツー。
発信音が響く。
受話器を置き、シンジはレイを見ないで洗面所に入っていった。
レイには、見せたくなかった。今の自分の顔を。
鏡に映った自分の顔は、ひどく歪んでいるように見える。
「……ッ」
シンジは冷水を出すと、勢い良く顔を洗い始める。まるで、顔に張り付いた
醜い何かを洗い流そうとするかのように。
「…シンジ?」
電気の消えた、暗い部屋。そこにじっと座っていたシンジを、一筋の光が照
らした。
ドアをそっと開いたレイと、居間の光である。
「…どうしたの?」
ドアを開き、部屋の中に入ってくる。
「………………」
シンジは、何も答えない。
ただ、じっと顔をひざの間に埋めている。
「シンジ」
レイはそっとシンジの前に座った。
「…また、お爺様?」
ぴくっとシンジの肩が揺れる。
「…シンジ。気にしなければいいのよ。お爺様だって、あなたが憎い訳じゃな
いんだし」
「…レイ」
シンジはゆっくりと顔を上げる。
その顔はひどく憔悴しているようだった。
「…私は、大丈夫だから。ね?」
安心させるような微笑みをシンジに向けるレイ。シンジはじっとレイを見つ
め、そして自虐的な表情を浮かべた。
「…やっぱり、僕って駄目だね。レイに心配かけて…」
ぐっと拳を握り締める。
「…あの程度で、怒りを押さえる事が出来なくなるなんて…」
自己嫌悪に陥るシンジ。決して、他人には見せないシンジのもう一つの姿。
弱々しい心。レイだから見せる姿がそこにあった。
レイはそんなシンジに微笑みかける。
「…そんな事、無い。シンジだって、人間だもの。辛い事だってあるし、それ
が普通だよ。シンジは、まだ16歳なんだよ」
レイは、何かを言い含めるように言葉を続ける。これ程饒舌なレイも珍し
かった。
「私は、シンジがいる事に感謝してる。シンジがいてくれるから、私はここに
居られる」
そして笑みが深くなる。
輝くような、微笑みに。
「…ありがと。レイ………」
シンジはそれだけを言って微笑んだ。
君の存在が僕にどれだけの力を与えてくれるか…。君は知らないだろうけ
ど…。
だからこそ、ありがとう。
シンジは心の中でそう告げた。
暗い部屋の中で、シンジの瞳に生気が戻る。それはいつも通りの彼だった。
第2話Bパートに続く
どうも、みなさん。また登場のKeiです。
「願いは…」第2話Aパート公開です。なんだか長くなってしまったので、こんな
風に公開する事になってしまいました。
アスカ登場です。でも今の所見せ場無いですね(苦笑)なんか本当に顔見せって
話です。彼女の本領発揮の機会は…あるかなぁ(笑)
それでは、拙文にお付き合いいただき有り難うございました。
メール送ってくださった方、ありがとうございます。
たまに見直してにやついております。感想、ご意見。お待ちしております。
では、今回はこの辺で。
1997年9月某日 自宅にて Kei
Keiさんの『願いはかないますか?』第2話、公開です。
アスカ登場!
華麗に、
美しく、
しおらしく(^^;
結局高飛車に(^^;;;
・・・
・
・
・
の、インパクトも消えました。
レイ&シンジの複雑ヘビーな家庭事情・・
シンジが、
レイが、
平常心を失い、苦しんでいます。
この辺がコアなんでしょうか。
さあ、訪問者の皆さん。
もう間違いないでしょうアヤナミストのKeiさん(ホントに間違っていたらすみません)に感想メールを送りましょう!
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