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            白桃



                                 written by TITOKU


「あら、珍しいですわね。桃なんて。」

まだ若い、おそらく20代後半と思われる女医は病室に入ってくるなり、微かに漂う甘い匂いに気付いてそう言った。

「ええ、」

声をかけられた女性の反応は実に簡単なものだった。女医は普段はよく話す女性の様子が少し気になったが構わず話を続けた。

「セカンドインパクト以来、果物なんてお目にかかったことなかったわ。どなたのお見舞いの品かしら?」

セカンドインパクト、あの未曾有の大惨事によって全世界的な気候、生態系の変化が起こり、それ以前の食生活とは一変してしまい現在では日々の食物を手に入れるのも大変な努力を要するようになっていた。まして果物となると時折、缶詰で見かけるのが精いっぱいという状況だった。もし、裏マーケットで本物の桃を手に入れようとすると、いくら貨幣価値が下がっているとは言え、おそらく一個数万円を下らないだろう。

「主人が…」

またも女性の返事は簡素なものだった。何か考え込んでいるようにも見える。

 あら、こまったわね、と女医は思った。ひょっとしたらマタニティーブルーかもしれない。もしそうだとすると女医には専門外になる。事実、女医の専門は皮膚科だった。しかし、あの惨劇以来の医者不足のため外科から内科に至るまでほとんどの病気、怪我に対応している。だが、それでも精神科は完全な専門外だった。一応、大学では一通り履修したのだが基本的な知識しか残っていない。

 まあ、それでも、と女医は思う。マタニティーブルーは必ずしも病気と言えるような症状ではない。時が解決してくれることが多いし、大概は子供を出産してしまえば嘘見たいに治ってしまう。一過性のものと言ってもよいだろう。

「お腹を見せて頂けるかしら。」

女性はその言葉を聞くと黙って服をまくり上げた。女医は肩からぶら下げていた聴診器を耳に当てるともう一方の端を女性の下腹部に当て診察を始めた。女医が診察している間、女性はサイドテーブルに置かれた桃をじっと見つめていた。

やがて、女医は診察を終え聴診器を耳からはずした。

「順調ですね。これなら流産はほとんど心配しなくてもいいでしょう。」

女医はベッドに横たわっている女性を安心させるためにそう言った。実は微かな雑音が聞こえたのだが女性の今の様子を考えると余計な心配をさせるわけにはいかない。精神的なことから流産してしまうケースはいくらでもある。この事は後で女性の夫にでも言っておけばいいだろう。

「ですが、」

女医は言葉を続けた。

「万が一ということがありますから安定期に入るまでは入院して頂きます。」

女性は黙って肯いた。本当に聞いているのかしら、女医は思う、昨日まではあんなに家に帰りたがっていたのに。

「もしもし、聞いていますか?碇さん。」

碇と呼ばれた女性の返事はなかった。女医はため息を一つ吐くとあきらめたように病室から出て行った。

 女医が出て行った後も女性は桃をじっと見詰めていた。








◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆








 なぜ、桃なんかが気にかかるのかしら?碇ユイは殺風景な病室で妙な存在感を示す白桃を視界の端に捉えながらそんな事を考えていた。確かにこんな御時世なら桃は貴重品だ。自然の甘みを持つものなんて久しく口にしていない。普通の女性なら喜んで食べてしまっているだろう。このまま腐らせるのはもったいない。ユイ自身も桃は好物だった。だが、自分が好物だから気になっているのではない、それはなぜかよく分かる。

 ひょっとしてあの人からの初めてのプレゼントだから気にかかるのかしら?そう考えてユイは自分の左手に目をやった。その薬指には既婚者にはあるべき物が存在していなかった。婚約の直前にあの惨事が起こった。無いのも当然なのかもしれない。でも、ユイは思う、この代わりが桃なんてすこし虫が好すぎるんじゃないの、あなた。

 ユイは自分の夫がこの御見舞いの品を持って来た日の事を思い出した。彼はノックもせずに病室に入ってくるとしばらくユイを見つめた後、おもむろにポケットからこの桃をひとつ取り出した。そして、ただ一言、

「桃だ。」

と言って出て行った。本当になんて人なのかしら、とユイは思う。そんなの見れば分かるわよ、子供じゃないんだから馬鹿にしないでよ。でも、それがあの人の優しさなのね。それが感じられて嬉しかった。不器用すぎる優しさではあったが、それがあの人のかわいいところなんだから。

 でも、それも違う。そのことは確かに嬉しかったがそれで桃が気になっているわけではない。では、なぜだろう?なぜ桃が気になるのだろう?

 ユイは桃を手に取ってみた。表皮にあるざらざらとした産毛のような毛の感触を感じる。鼻を近づけてみると甘い匂いがする。少しばかり熟れすぎているようだが、何処からどう見てもただの桃でしかない。だが、ユイは桃を実際に肌に感じると何かを感じた。そして、それが気になっている事だと直感的に分かった。

「そうか、似ているんだ。」

ユイは直感に導かれるまま思わず声に出してそう呟いた。でも、この桃は何に似ているのだろう?ユイは桃を額につけてみた。ひょっとしたら桃の考えなんてものが解るかもしれないと思ったからだった。だが、額に感じたのはざらっとした表皮の感触だけだった。

 何やってるのかしら、私ったら。ユイは誰もいないのに思わず顔を赤らめた。こんなところ誰かに見られたら変な人だと思われる。桃を額にこすりつけている女なんて。そう思ってユイは再び桃をサイドテーブルに置いた。そして、桃のことをなるべく考えないようにしようと心に決めた。

 ユイはベッドに横になって天井を見た。何も無い天井だ、ただ白いだけ、もう見飽きてしまった。退屈だわ、とユイは思う、入院なんて本当につまらない。これなら家で掃除や洗濯をしていた方がまだましだった。家で家事ばっかりやっている時はこんなこと毎日やるのはつまらないと思っていたのに、いざ毎日寝ているだけの生活に入ってしまうと急に家事が恋しくなる。不思議なものだ。

 テレビのワイドショーも見飽きてしまった。雑誌も表表紙から裏表紙まで隈なく読んだ。もう何もすることがない。本当にただ寝ているだけ、つまらない。

「こら、」

ユイは自分のお腹に向かって話しかけた。

「君のせいだぞ。」

もちろんお腹は喋らない。

「君が大人しくしていないから、お母さんは退屈なんだぞ。」

ユイはそう語りかけた後に思う、多分男の子ね、だってあんなに早く出てこようとしたじゃない、と。あの人はがっかりするかしら?女の子を欲しがっているみたいだから。いい気味よ、婚約指輪をくれない仕返しだわ。少しでも悪いと思っているならせめて毎日顔を見せなさい。

 やれやれ、ユイはため息を吐いた。何を考えているのかしら?私は。退屈のなせるわざね。ユイは退屈を少しでも紛わせるために新しい雑誌を買おうとしてサイドテーブルに置いてある小銭入れに手を伸ばした。その時、桃が目に入った。ユイは無意識にそれを手に取った。

 ユイは桃を握った。それも無意識の行動だった。最初は軽く、そして徐々に力を込めていった。指が桃にめり込んでゆく、甘い匂いがだんだんと強くなる。このまま力を込めていけば握り潰してしまう。

 その時だった。桃の底から種が出てきた。まるで種が桃から生まれてくるかのようだった。ユイはその光景がスローモーションの如くゆっくりと展開していくのを見ていた。頑張れ、頑張るのよ、ユイは知らず知らずのうちに種を応援していた。種はその応援に応えるようにもぞもぞと這い出してきた。やがて種がシーツの上に落ちる。そして桃の果汁が種の上に降り注いだ。むせ返るような甘い匂いが病室いっぱいに広がった。

 種が生まれ落ちる光景、それは先ほどのユイの疑問の答えそのものだった。少なくともユイにはそう思われた。

「…そう、そういうことだったのね。」

ユイはそう呟いて、自分のお腹に手をやった。体温を感じる、自分一人の分だけではなくもう一人分の体温も。

「私は何を産むのかしら?」














                                         <了>


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ver.-1.00 1997-11/29公開
ご意見・感想・誤字情報などは aaa47760@pop01.odn.ne.jpまで。

後書き 

 この作品は言わばお詫びです。と言うのもこの度、私の勝手な判断で拙作『幸福』の後編を無期限凍結(または削除)することにしたからです。だったらもっとサービス精神溢れるLASものを書くべきではないかとも思ったんですが、こんな地味な作品になってしまいました。しかも、来週も地味に地味にと言っているフラン研さんの作品より地味です。(あれは決して地味ではないと思っているのは私だけですか?むしろけっこう衝撃的な内容だと思うのですが)次回は派手な作品を目指して頑張ります。

私信

 月丘さん、『姉弟』の続編は今しばらくお待ち下さい。ただいま鋭意執筆中です。







                                 1997 11 TITOKU


 TITOKUさんの『白桃』、公開です。
 

 ユイさんが言っていた
 「あの人はかわいい」
  こういうところなんですね(^^)
 

 不器用な行動で思いやりを見せる

 それを受け取れるユイさんは、
 だからこそ。
 

 その桃から広がって、感じて・・・

 

 
 ユイさんが見付けたこと、
 さらにこれから見付けること、

 ちょっとした言葉で伝わって来ます(^^)

 

 生まれてきたのが男と分かったときのゲンドウの顔が見たくなったな(笑)
 

 

 

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