空の色が雲を境目にして青から朱へと変わっていった。
光り輝く十字架を背に抱き合う紫と赤の巨人。
そして雲から身体を突き出した更に大きな白い巨人が彼等に向かい合っていた。
背後に彼女と同じ色をした9体の羽を広げた巨人を従えている。
茜色に輝き始めた雲海を舞台にして巨人達がサードインパクトを引き起こす最後の儀式を行わんとしていた。
シンジアスカの大冒険?
その10-靴底
後編-靴底
さっきまで弐号機だった少女が初号機の首に腕を回し、愛おしそうな瞳で見つめている。
彼等の身体はロンギヌスの槍によって連結され、離れる事はなかった。
二人の様子を微笑みをたたえて白い綾波レイが見守っていた。
彼女の二人を見つめる瞳は今初号機に真紅の身をすり寄せているレイと同じものだった。
真っ赤なレイを抱き締めていた初号機の腕が左右に広がり背後の十字架に吸い寄せられた。
今までこうなるのを必死に堪えていた筈の初号機が、まるで糸が切れた様に簡単に磔となった。
それを合図に彼等は再び上昇を開始した。
エヴァ>
「いけない!」
カヲルは窓に映る磔にされた初号機の姿を見て、慌てて映像を移動させようとした。
彼は自分の心の中に違和感が膨らんでいるのを自覚していた。
ゲンドウの補完が行われているにしては、今窓の中で繰り広げられている出来事に不自然さを感じる。
本来ならもう初号機と融合をしてもいいのでは?
それに初号機と向かい合うレイの中にゲンドウの意志が見えてこない。
あのレイの表情のいったいどこにゲンドウの意志が反映されているというのだ。
込み上がる不安にもはやカヲルはただ見ている事が出来なくなっていた。
シンジをこちらの世界に避難させるため窓の映像を初号機に向けて直進させた。
その時、初号機に異変がおきた。
「あっ!・・・・」
八角の窓の中には紅く細い十文字の形に変型する初号機と、相変わらず抱き着いている紅いレイの姿。
十文字の上と下の端からは植物みたいに枝と根のようなものが生えている。
「こ、これは・・・」
カヲルは自分の中に膨らむ不安が現実のものとなった事を知った。
平和>
「使徒の持つ生命の実と人の持つ知恵の実。その両方を手に入れた。そして今や命の胎芽たる生命の樹へと還元している。この先にサードインパクトの無から人を救う箱舟となるか、人を滅ぼす悪魔となるか・・・・」
「シンジ君はどうなるのですか!?」
冬月の淡々とした独白を最後まで待ちきれずに怒鳴り声が響いた。
横目で冬月がうかがい見ると、まるで親の仇にでも会ったかのようなミサトの形相。
八つ当たりに近い怒りをぶつけられた形の冬月は、一呼吸おくと主スクリーンを見つめ直した。
「未来は碇の息子に委ねられたな」
エヴァ>
カヲルは変わり果てた初号機の姿を唖然として凝視していた。
この状態の初号機のどこにシンジがいるのだろう?
いやシンジは既に人の形を失っているかも・・・
(だめだ!今は可能性を信じないと!)
カヲルは気を取り直して窓の視点を十字の形になった初号機の内部に入り込ませた。
その後ろでシンジとアスカ、そしてレイがカヲルを見守っていた。
カヲルの尋常でない雰囲気に不安を募らせながら。
アスカが意を決するとカヲルに問いかけた。
「どうなってるのよ!?」
カヲルはそれには答えず窓の映像を一心不乱に移動させ続けている。
事態は悪い方向に転がっている・・・・三人はそう感じずにはいられなかった。
・・・・今のレイはあなた自信の心
シンジの心に声が囁きかけた。
どこかで聞いたような・・・・遠い昔に・・・
優しく、包み込むような・・・・なんとも懐かしさを感じさせる・・・・
シンジは自分の心が和んでいくのを感じていた。
さっきまであれほど取り乱していたというのに。
そういえばここはどこだろう。
エントリープラグの中だった筈だけど・・・・・
再び声が聞こえた。
・・・・あなたの願いそのままなのよ
シンジは声の主が母、ユイである事を知った。
今度は別の声がした。
何を願うの・・・・?
それはさっきシンジの心を壊した者の声であったにもかかわらず、母の声同様に心地よさを与えるものだった。
まどろみながらシンジの精神は溶け落ちてゆく・・・・・
エヴァ>
「そんな・・・・・どうしてだ・・・・碇ゲンドウの補完が発動したはずじゃなかったのか・・・?」
カヲルは絶望的な声を発して屋上のコンクリート地面に膝まづいた。
生命の樹へと変型した初号機の中を隅々捜したものの、シンジの姿はどこのも見当たらなかったのだ。
レイに融合する前に生命の樹になった初号機を見て、カヲルはゲンドウの補完が失敗したと感じた。
しかしどうしてそうなったのかが分からない。
今のレイの姿はアダムとリリスの融合したものではないのか?
「碇・・・ゲンドウはどうしたんだ・・・・?」
答を見出せずに頭を抱え、弱々しく呻くカヲルにレイが囁いた。
「渚君、碇君のおとーさんって・・・・」
力なく顔をあげてレイに眼を向けるカヲル。
レイは自分の窓の映像を移動させていた。
レイが映像を止めた時、映し出されたものをカヲルは見た。
「!!これは・・・・」
巨大な十字架を背後にぼろきれの様に転がっている人の姿。
それはさっきまでレイと融合していたと思い込んでいた碇ゲンドウだった。
カヲルはレイを強引に押し退けて窓を食い入るように見た。
苦悩に満ちた表情をしてぴくりとも動かないその様子からは、彼が生きているのか死んでいるのかさえ判別できない。
しかしカヲルにはゲンドウの生死などどうでも良かった。
ゲンドウの身体を慌ただしく観察するカヲルはやがて彼の右手の異常に気付いた。
アダムが融合していた手首から先がぷっつり無くなっている。
その事実の意味する物は明白だった。
「そんな・・・・それじゃ・・・・・」
カヲルの身体が小刻みに震え出した。
蒼白となった顔に浮かぶ真紅の瞳は冷静さを完全に失い、その様子は醜態とすら呼べそうなものだ。
シンジ達もこんな無様なカヲルは今まで見たことがない。
それは事態が最悪の状態に陥った事を如実に表すものでもあった。
「僕らの・・・・僕の今までやってきた事が・・・・みんな無駄になってしまった・・・・僕のせいで・・・・・僕のせいだ〜!!」
銀髪を振り乱し絶叫するカヲルの両目から涙が零れ落ちた。
尋常でないカヲルの様子にシンジが我慢しきれずにとびついた。
「カヲル君!落ち着いてよ、どうしたんだよ?僕らにどうなったのか説明してよ!」
シンジに腕を掴まれ動きをとめられたカヲルは地面に向けて嗚咽を始めた。
その背をさすりながらシンジは努めて優しくカヲルに問いかけた。
「カヲル君・・・どうしたの?教えてよ・・・・」
二、三度咳き込むとやっと大人しくなったカヲルはゆっくりとシンジに顔を向けた。
数秒間の沈黙の後、カヲルは苦悩の表情で声を発した。
「すまない・・・・僕のミスで・・・サードインパクトが!結局僕は彼等を助けられなかった・・・・僕のせいで!」
言い終わるとカヲルは再び声をあげて泣き出した。
平和>
誰ものっていないブランコの向う側に夕日が丁度、双子の山のへこんだ部分まで沈んでいるのが見えた。
辺り一面が彼を含めて茜色に染まっていた。
ここは何故か公園で彼は小さな幼児だった。
彼は砂場にしゃがみ、何かを作ろうとしているらしかった。
彼の心の中に漫然と言葉が浮かび上がった。
「そうだ。チェロを始めた時と同じだ。ここに来れば何かあると思ってた」
彼の両脇に女の子がしゃがんでいた。
二人共どこかで見たような、見ないような・・・・
「シンジ君もやりなさいよ」
「がんばってかんせいさせようね、おしろ」
「うん」
事態も良く分からずにシンジは一緒に砂を盛り始めた。
砂の山が形を次第に作っていった。
八分通り出来上がったくらいの時傍らの女の子が声をあげた。
「あ、ママだ」
「帰らなきゃ」
「じゃあねえ」
「ママー」
二人は砂場から母親の元へと退場していった。
「ママァ」
「あのね、あのね」
取り残されたシンジはそれでも独りで砂を盛り続ける。
周りを取り巻く夕焼けの茜色が得体の知れない力でシンジの心を圧迫していた。
「うう・・・」
それはどこかで見たようなピラミッドの形をしていた。
シンジは完成させたお城を見下ろしていた。
何故こんなものを作ったのだろう?
「・・・・」
シンジはお城を踏みつぶし始めた。
何故つぶすのだろう?
つぶれたお城を見下ろすシンジは再びお城を作り直し出した。
誰が見てもつまらなさそうな顔を作って。
「う・・ぐぐ」
夕日は既に沈みきり、星のない闇が次第に茜色の空を押しつぶそうとしていた。
お城を作る手を休めないシンジの心に疑問が膨らんでいく。
(僕はいったい何をやっているんだ・・・・・?)
自分のしている事の意味も分からず、溶け始めた空間のかもし出す異様な空気にシンジは流されるままになっていた。
ゆがみ出したエントリープラグはもはや機械の様相を失い有機的な、まるで何かの生き物の体内を想像させる無気味なものと化していた。
LCLの液体も赤茶けたぬらぬらした壁がスポンジの様に吸い込んでしまい、一滴も残っていない。
「・・・・・いったい、どうなっているのよ!?」
気のせいかこの台詞を随分言ったような気がする。
アスカにとってこの数分間は異常体験の連続だった。
その上今は通信機も使えず、完全に隔離状態だ。
何故こんなことになったのか考えると、とてつもなく嫌な可能性に行き当たる。
「バカシンジ・・・あいつサードインパクトを起こしちゃったんじゃ・・・」
襲い来る不安は孤独と相まってアスカの心を着実に脅かしていく。
それでもなんとか正気でいられたのは弐号機に母がいるという事実があるからだった。
プラグ内の様子が変わっても母は自分と共にいる筈だ。
さっき戦闘中に聞こえた母の声、感じた母の温もり・・・
「そうだ!」
アスカはもう一度母に呼び掛けてみる事にした。
もしサードインパクトが起きたのなら人と人の境界が無くなり溶け合うらしい。
カヲルはそう言っていた。
もしそうなったなら母とさっきより簡単に、強くつながる事が出来るのでは?
サードインパクト自体は許せるものではないが、とにかくためしてみる価値はありそうだ。
「・・・・・ママ、ママ・・・」
アスカは目を閉じて呼び掛け始めた。
「ママ・・・いるんでしょ?」
問いかけながら次第に自分の体の形があやふやになるような不思議な感覚が広がっていく。
「ママ!答えて!!」
(・・・・・・アスカ・・・・・)
「ママ!!」
アスカは目を見開いた。
そこは変型したプラグ内ではなく一面が闇に覆い尽くされた空間に様変わりしていた。
どこまで続いているのか、どこが果てなのかはっきりしない暗闇の中。
そこには異様な澱みを感じさせる空気が充満していた。
それは決して人の心に心地よさを感じさせるものではなかった。
しかし今のアスカには母の声のほうが重大事でそれを気にしている場合ではない。
「ママ!どこ?」
「アスカ・・・・」
アスカの目の前にじわりと人の姿が浮き上がってきた。
と同時に遠い過去、幼い頃を思い出させる暖かい感覚がアスカの体にゆるゆると流れ込んでくる。
周りを取り巻く澱んだ空気とは正反対の心地良さ。
満面の笑みを浮かべアスカは歓喜の声をあげた!
「ママ!やっと会えたのね!!」
アスカより黒っぽいショートヘア。
アスカより東洋的な顔だち。
瞳の色はアスカに近い青色。
それは間違い無くアスカが求めて止まない母、キョウコの顔だった。
しかも彼女が事故により廃人となる前の若々しい姿。
そう、アスカが一番幸せだったあの頃のまま・・・・
・・・・・いつの間にかアスカ自身もその頃の幼女の姿へと変わっていた。
アスカは小さな手を伸ばし母の手を握った。
握り返しながらキョウコはあどけない娘の仕草を憂いを込めた蒼い瞳で見下ろしている。
「アスカ・・・・」
キョウコの口が弱々しく開いた。
「・・・・・・ワタシと一緒に死んでちょうだい・・・」
「ママ?!」
エヴァ>
「何泣いてんのよ!!」
怒号と共に物凄い勢いでアスカはカヲルの胸ぐらをつかまえた。
「冗談じゃ無いわよ!このままサードインパクトが起きるの黙って見てるっていうの?絶対いやよ!!」
激情に目をぎらつかせ、カヲルを目と鼻の先で睨み付けるアスカ。
泣き濡れて曇った紅い瞳と怒りに燃える青い瞳が交錯する。
「最初にあんたが始めた事でしょ!あんたも男なら最後まで諦めるな〜!!」
アスカは掴んだカヲルの胸ぐらを突き放した。
地面に尻餅をどすんとついたカヲルは唖然としてアスカを見上げた。
いつの間にか涙すら引っ込んでしまっていた。
アスカの口撃は更にカヲルに向けて投下された。
「あんたのせいかなんか知らないけど今はあんたの責任追求してる場合じゃないのよ!泣く暇あったらシンジ達を助ける方法考えなさいよ!手はあるはずよ、絶対!!諦めてどうすんの?!」
言葉を切ったアスカは目をしばたかせた。
と同時にシンジが歩き出し、アスカの前に出る。
ここら辺はあ、うんの呼吸だ。
シンジはカヲルの隣にしゃがみ込み、アスカとは対照的に穏やかに話し掛けた。
「カヲル君、アスカの言う通りだよ。ここで諦めたらあっちの世界のみんなは・・・・そんなことあっちゃいけないんだ!だから・・・立ってよカヲル君、僕らも協力するから!」
「ねー渚君・・・・」
レイもシンジに続いた。
「碇君達を救うためなら私、この力をいくらでも使うよ。何ならもう一度窓の向こうへ行ってもいいよ」
「さあカヲル君!」
シンジが手を差し伸べた。
カヲルはシンジの手を見つめる。
サードインパクトを防ぐ手段は今だ浮かばない。
それでもカヲルは目の前の手を握り返すしかない事を知った。
そう、諦めてはいけない・・・・・
「・・・・・みんなすまなかったね・・」
「カヲル君」
カヲルは握り返したシンジの手に引き上げられ、立ち上がった。
涙に濡れた顔を拭うと表情を引き締めた。
「僕は自分を見失っていたようだ。シンジ君にあれほど言っておいた事を自分が出来ないとは情けない・・・シンジ君の為にもやらなければ・・・最後まで!」
カヲルを見る三人の表情が明るくなった。
なんだかんだと言っても彼等はカヲルを頼りにしているのだから。
それはカヲルも十分承知している。
だからこそ自分が先頭になってやらねばいけない。
カヲルは自分の窓の前に進み出た。
窓の景色は初号機達が上昇を再会したため、薄暗くなり始めた夕焼け空と茜色の雲海だけが映っていた。
カヲルは手をかざして窓の映像を移動させていく。
(方法を捜さないと!きっとある筈だ・・)
平和>
「どうして・・・・・どうしてそんなこと言うの?ママ!せっかく会えたのに・・・・・・どうして!!」
それまでの歓喜の気持ちは片隅に追いやられ、不安に色取られた疑問が膨らみアスカの口から溢れ出た。
母はそんな娘の姿を虚ろな表情で見下ろしている。
アスカは母の腰に抱きついた。
「ママ!・・・・いや・・・ママといっしょにいたい・・・だから・・・・・アタシを殺さないで!!」
母の体に顔を擦り付けるアスカの眼から涙が零れ出した。
その時アスカは妙な違和感を感じた。
母と自分の触れている部分が微妙にだがはっきりとしないのだ。
と同時にアスカの心に自分とは別の何かが少しずつ流れ込んでくるのを感じた。
孤独・・・苦痛・・・悲しみ・・・・そして微かな喜び・・・・
アスカはそれが母の感情であると知った。
サードインパクトの影響で人と人の境界が溶け始めていたのだ。
アスカは泣くのを止めて母の顔を見上げた。
「・・・・・ママ・・・苦しいの?」
「アスカ・・・ワタシはエヴァの中でずっと独りだったの・・・・何も出来ずただここにいるだけ・・・ここから出る事も・・・・・死ぬ事すら適わなかった!それは苦痛以外の何物でもなかった。ほんの僅かでも独りでないと感じられたのはアスカとシンクロしていた時くらいだった。だから・・・こんな状態が続くくらいなら生きていたくない・・・・・」
「だめ!!」
アスカの激情を込めた叫びがキョウコの心に電気を走らせた。
キョウコにもアスカの感情が流れ込んでいたため衝撃を受けたのだ。
「アタシはママといっしょにいたいの!二人で生きたいの!だから・・・・アタシの願いをかなえてよ!ママ!!」
アスカの強い想いがキョウコの枯れた心の隅々に流れ込んでゆく。
その想いに圧されるようにキョウコの体は硬直していた。
母と子は互いに身じろぎもせず、じっと見つめ合うこととなった・・・・・・
・・・・・やがてキョウコは娘に向けて初めて笑みを見せた。
母親らしい優しさに満ちあふれた・・・・
「・・・アスカ、ごめんなさい」
「ママ!」
アスカの心につつみ込む様な愛情が広がった。
それは本来子供が当然の権利として与えられる、母性と呼ばれる感情だった。
むさぼるようにアスカは母から流れ出る愛情を受け入れていった。
それまで失われていた幸せを取り戻すかのように。
「アスカ・・・ワタシは長い間エヴァの中にいるうちに、自分の事しか考えられなくなっていたみたいね・・・・本当にごめんなさいね」
「ううん、いいの・・・ママ・・・・これからはずっといっしょにいようね・・・・」
キョウコの腹のあたりに顔を埋めて甘えるアスカ。
当然それに応えてくれると思っていた母から呟くような声が漏れた。
「・・・・・・サードインパクト・・・」
唐突に母が口にした意外な単語にアスカが当惑する。
「?!ママ・・・」
「何もかも溶けて一つになる・・・・そうね?」
「どうしたの?ママ」
「あなたの心からサードインパクトって言葉が読み取れたの」
「え?」
「今は二人きりでもいずれあらゆる人間が一つになってしまうのね・・・」
「・・・・・」
「アスカはそれでいいの?」
「それは・・・・」
「あなたは何を望むの?」
「アタシはママと二人でいたい!」
「どうやって?このままじゃ他の人とも一つになってしまう」
「そんな・・・」
「アスカ・・・・どうすればいいと思う?」
「・・・・・・わからない!ママ、わからないの!」
「・・・・・どうにしろ、アスカに決める事は出来ないのね・・・・」
「えっ?」
「あなたがサードインパクトを引き起こしたんじゃないから」
「ママ・・・」
「決められるのは・・・・」
「あ!」
「バカシンジ、ね!」
キョウコはにっこり笑うとウインクしてみせた。
「シンジ・・・ママ!」
「ふふ、アスカ。あなたが何を望むにしろバカシンジに決定権がある。だとしたらアスカのやる事は何なのか分かるわね?」
「・・・・・」
「行きなさい・・・・」
「ママ」
「バカシンジのところへ・・・」
「ママは来てくれないの?」
「ワタシは行かない・・・・ワタシの役目じゃないから・・・だけどアスカが何を望むのか、バカシンジに何を望ませるのか、答を出したらまた会いましょう」
「ほんと?ママ」
「ええ・・・もう一緒に死んでなんて言わない・・・・だからアスカはアスカのやるべき事をやりなさい。分かったわね?」
「・・・うん・・・だけど・・・」
アスカは言葉を濁した。
結果的に母に会えたものの、結局シンジはサードインパクトを引き起こしてしまったのだ。
裏切られたという気持ちがわだかまりとなって胸につかえていた。
この闇の空間が造り出す澱んだ空気も手伝いアスカは不快感もあらわに毒づいてしまった。
「アイツ見てるといらいらすんのよ!!」
自分みたいで?
「えっ?・・・」
聞き覚えのある声がアスカの耳、というより心に直接聴こえた。
思わずアスカは声のしたほうに振り返った。
しかしそこには闇が広がるのみ。
「何なの、今のは?」
「溶け合い始めたのね、ワタシ達以外の人間とも・・・・アスカ、声のしたほうに行きなさい。そこにきっとバカシンジがいるはずよ」
アスカは母に視線を戻した。
母はもう笑っていなかった。
しっかりした口調でアスカに言い放った。
「さあ、ぐずぐずしないで行きなさい!!」
「は、はい!」
返事と同時にアスカの体が幼女のものから元の14歳の姿に戻った。
声の聞こえた方向に向くと、もう一度名残惜しそうにキョウコに振り返った。
「じゃあママ・・・・行ってきます。また後でね・・・」
「いってらっしゃい、アスカ・・・」
「・・・!」
振り切るように走り出すアスカをキョウコはじっと見送っていた。
「アスカ・・・がんばりなさい。ワタシももう少し生きてみるわ・・・・」
走り出したアスカに澱んだ空気がまとわり付いてくる。
闇から吹き出したこの異様な空気がアスカの心から正常さを失わせようとしていた。
まるで自分の目的、想いを陰険なものに引きずり降ろそうとしているかのように。
「なによ、この気持ち悪さ・・・・」
いらだつ気持ちを押さえ付けようとしながらアスカは走り続けた。
「バカシンジ、待ってなさい!サードインパクトを起こした罪は重いわよ、ぶっつぶしてやるから!!」
エヴァ>
「ふう・・・」
重苦しいため息が口をついた。
カヲルは窓を使って弐号機が変型した真っ赤なレイの内部をくまなく調べ上げたがアスカの姿は見当たらなかった。
予想された事とは言え落胆の色は隠せない。
カヲルは窓の映像の移動を止めた。
「だめだ、いない・・・」
カヲルの報告に後ろで見守っていたシンジとアスカの表情も曇る。
自分の窓を見ていたレイが振り向いて三人の様子を窺うと声をかけた。
「こっちはまだ大丈夫みたいだけど・・・・」
三人はレイの窓を見た。
そこには未だに倒れたまま動こうともしないゲンドウの無様な姿があった。
少し映像が移動すると、LCLの泉の水面から突き出た二本の足が飛沫をあげてばたついていた。
乾いた声でカヲルが呟く。
「役立ちそうにないな・・・」
やっぱりといった感じで俯くレイ。
確かに役立ちそうな状況には見えない。
自分の窓に目を戻すとカヲルは更に呟き続ける。
「このままでは・・・・シンジ君だけでなく誰もかも溶けて一つに・・・」
「カヲル君・・・」
見かねて話し掛けるシンジにカヲルはしっかりとした声で答えた。
「分かっているよ、諦めるつもりはない。誰もかも溶けて一つに・・・か。そうだ・・・」
カヲルは再び窓の映像を移動させ始めた。
「やってみよう・・・やれることは!」
カヲルが言い終わった時、目まぐるしく変わる映像が突如停止した。
シンジ達の視線が窓の中に映る人物に吸い込まれた。
「カヲル君、これは・・」
「ああ。考えたんだよ、可能性をね・・・・」
カヲルの窓に映っていたのは悲しみに表情をゆがめ、主スクリーンを睨むミサトの横顔だった。
主スクリーンは衛星カメラからの視点に切り替わり、上昇する黒き月を映していた。
「サードインパクトが・・・起きる・・・・・」
ミサトは苦渋に満ちた声を絞り出すと、傍らの冬月に向き直った。
悲しみとやりきれなさを込めた眼をして。
「誰が引き起こしたんですか!?」
冬月は無言でミサトに顔を向けた。
「シンジ君のせい・・・じゃないですよね!」
冬月は答えない。
ミサトは非難するような口調でまくしたてる。
「シンジ君が何をしたっていうんです!ただ無理矢理エヴァに乗せられて、命令通りに使徒と戦わされて、身も心もぼろぼろにされて、挙げ句の果てにサードインパクトを引き起こす生け贄にされて・・・・・誰のためにこんな目に会わなければいけないの・・・誰が悪いのよ!!」
頭を抱え髪を振り乱すミサトの眼から涙が飛び散った。
冬月の頬に涙の粒がふりかかった。
最後の審判が下されようとする今、もはや人類の行く末を見届ける以外できることはないと思っていた。
しかしそれすら彼女の眼には傲慢な行為にしか映らないという事か。
冬月はミサトに向けて神妙な面持ちを作るとゆっくりと口を開いた。
「・・・我々大人の勝手な思惑がシンジ君を玩び、この様な結果をまねいたのだ。もはやゼーレもネルフも関係ない・・・我ら大人の責任だ。シンジ君に非を求めるなど誰も出来はしない・・・・」
「責任を取れるんですか!我々大人に!!」
泣き濡れた顔を上げ、憤りに満ちた瞳をぎらつかせてミサトは問いかけた。
冬月は再び沈黙するしかない。
この状況では何も出来ないから、ただ事態を見守るしかなかったのだから。
まして責任など取り様がない・・・情けない事ながら。
何も答えられない冬月から視線を外し、ミサトは虚ろに主スクリーンを見た。
何が映っているかも気にならない様子で。
「これなら・・・まだ渚カヲルのほうがシンジ君の為に良くやっていたわ。使徒なのに人間以上にシンジ君の気持ちを考えていた。それに引き換え私は・・・・渚カヲル、今どこにいるの?シンジ君が大変なのよ、いたら何とかしてよ!御願いよ〜!!」
涙にむせびながら必死に絞り出したミサトの叫び声が発令所に響き渡る。
エヴァ>
「何もかも溶け合うといってもいっぺんに誰もが全員、という訳でもないだろう。時間をかけて広がっていくんじゃないかな。ならば完全に人類すべてが一つになる前に僕らの気持ちを伝えられないだろうか?もう一度シンジ君に会いたい、人の形を失わないままで。この気持ちを・・・・そしてその気持ちを伝える方法だけど・・・サードインパクトの起きようとしている現場、つまりシンジ君のいる場所か、その近くにいれば溶け出したシンジ君の心に逸早く触れる事も可能では・・・そう思う 」
「ち、ちょっとカヲル、それって?!」
血相を変えてアスカが前に出た。
「向こうの世界へ行ってあたし達も溶けちゃうって事じゃない?!」
アスカの言葉にシンジも顔色を変えた。
「カヲル君!本気でそんな事・・・」
「いや、話は最後まで聞いてほしい」
「最後まで聞いてほしいってそういう事じゃない!!あんたそんな無茶やってもし元に戻れなかったらどうすんのよ!?」
「君達に行ってもらうつもりはないよ」
「じゃあ渚君が行くの?自分だけで・・・だめだよそんなの!私も行く!」
「気持ちはありがたいけどレイ君、君にだって家族はいるだろう?君がいなくなると悲しむ人が・・・」
「それはあんたも同じでしょうが!!」
アスカがカヲルの胸ぐらを掴む。
それはカヲルがいきなり窓に飛び込まないようにという配慮でもあった。
「あんたには共働きの親がいるんでしょ!事故で迷惑かけてこの上向こうの世界に行ったっきりになったら・・・・親がどれだけ悲しむか考えてないの!?」
「う・・・・・」
カヲルの脳裏に母の顔が浮かんだ。
自分が事故にあった時、あれだけ心配してくれた母の顔が・・・・
(母さんの事を言われると・・・・)
カヲルの顔に苦悩が浮かぶ。
もともとこの方法は危険な上可能性の低い手段だったが、今はそれしか思い付く事はなかった。
可能性が低いからこそ他の者まで連れて行きたくはない。
しかし自分が一人で向こうに行って窓を閉じてしまっても、シンジ達がここに残る保証はない。
すぐ隣に自分と同じ能力を持つレイがいるのだ。
自分が行けば二人を連れてレイが追いかけてくる事もありえる。
そう考えるとやはり自分が行くわけにはいかないのか。
その上親の事まで持ち出されるとお手上げだった。
・・・・ならば方法は一つしかない。
実はこういう展開は予感していたので、むしろこちらが本命の方法だった。
「分かっている・・・・・自分の安全を確保してから事を起こすのは情けないけど、手はあるんだ。僕らの気持ちは彼女に伝えてもらおう」
カヲルは自分の窓を見た。
同様に窓を見たアスカの手から力が抜けカヲルから離れていく。
「ミサト・・・・・」
「ミサトさん自身も伝えたい事がありそうだしね・・・・」
窓の中のミサトは悲しみにゆがめた顔を涙で濡らしていた。
平和>
ここに来るまでどこをどれだけの間、彷徨っていたのだろう・・・・・
気が付くとシンジは見なれた部屋に辿り着いていた。
自分以外誰も向かおうとしなかったキッチン。
正方形のテーブルに一人分余計に置かれた木製の椅子。
シンジはミサトのマンションのダイニングキッチンに佇んでいた。
少女は椅子に腰掛け、机に頭をくっつけるようにして俯いたいた。
黄色いシャツに青いカジュアルパンツ姿だった。
シンジは少女に引かれる様に近付いていった。
傍らまで来るとシンジは訴えかけた。
「何か役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ!」
けだるい姿勢を崩さずに彼女は答えた。
「じゃあ何もしないで。もう側に来ないで。アンタあたしを傷つけるだけだもの」
「アスカ、助けてよ!アスカじゃなきゃダメなんだ!」
アスカの顔を覗き込み、シンジは訴え続ける。
ゆらりと顔をあげるとアスカはシンジを睨んだ。
「嘘ね」
アスカは椅子から立ち上がった。
「アンタ、誰でもいいんでしょ!ミサトもファーストも恐いから、お父さんもお母さんも恐いから!」
シンジの前に足をふみだし迫っていくアスカ。
合わせるようにシンジは後退いていく。
「アスカ」
シンジの背が壁にあたった。
「アタシに逃げてるだけじゃないの!」
追い詰められたシンジは回り込みながらアスカに懇願する。
「アスカ、助けてよ!」
「それが一番楽で傷つかないもの」
「ねえ、僕を助けてよ」
それでもシンジは懇願を続ける。
まるで熱に浮かされたみたいに。
アスカはシンジの眼前まで迫った。
「ホントに他人を好きになった事ないのよ!!」
突き出された手がシンジを押し倒した。
机のコーヒーメーカーが吹っ飛び黒い飛沫を飛ばした。
「その自分も好きだって感じた事がないのよ」
床にこぼれたコーヒーが湯気をあげている。
その上にシンジは倒れこんでいた。
体の痛みは感じなかった。
感じるのは心の乾きだけ・・・・・
見下ろしながらアスカは言葉を続ける。
「自分しかいないのよ・・・・・哀れね」
起き上がりながらシンジは呪文のように呟き続ける。
何者かに取り付かれたかのごとく。
「助けてよ・・・ねえ・・・誰か僕を・・・御願いだから僕を助けて・・・・助けてよ・・・助けてよ・・・・」
シンジは机を掴むと思いきりひっくり返した!
「僕を助けてよ!一人にしないで!僕を見捨てないで!!」
狂気に操られるシンジは椅子を頭上に振りかざすと叫びと共に床に投げ落とした。
「僕を殺さないで!!」
恐慌状態に陥ったシンジを冷徹に見下ろし、アスカが口を開こうとした。
壁が吹き飛んだ。
吹き飛んだ壁の破片が飛び散りシンジに襲いかかった。
シンジは思わず目を閉じて顔をそむけた。
破片がシンジの体をすりぬけていった・・・・・
・・・・しばらく時間が経過してからシンジは目を開くと恐る恐る顔を上げた。
・・・・・アスカの頭に靴底が立っていた。
正確には靴底の踵が数センチ程アスカの脳天にぐさりとめり込んでいた。
呆然とするシンジの前でアスカはまるでビルが爆破解体されるかの様に真下に沈んでいった。
崩れたアスカの背後から靴底の持ち主が、怒濤のごとき威圧感を発散しながら現れた。
「アンタなにやってんのよお・・・・」
怒髪天を突く形相でシンジの前に現れたのは制服姿のアスカだった。
その10-後編終わり
次回予告
サードインパクトが進行していく中、刻一刻と人と人の境界が溶けていく。
人類の命運を握ったシンジは何を望むのか。
アスカは何を望ますのか。
そして溶け合った人々と、窓の向こうのシンジ達は何をするのかされるのか。
最終決着の時が迫る!
奮い立てシンジ、
踏んづけろアスカ、
何とかできるの?カヲル、
怒れレイ、
暴れろキョウコ、
出番あるのか?ミサト、
溺れてろリツコ、
ふざけるなユイ、
ごねるなゲンドウ、
あれもこれも誰も彼も一切合切みんな全部ひっくるめて満艦飾の最終回じゃあ!!
次回シンジアスカの大冒険?その11、
あっかんべぇ〜!
「碇ユイに踵落と〜し!!」
やっとここまできたか・・・・
中編が難産だったのに比べ後編は今までのパターンに反して短かった。
とにかく完成して良かった良かった〜っと。
今回は本来の作品カラーが弱かったけど次回はそれらしくいくつもりです。
映画版が元ネタでどんな展開になるのか?っちゅうとこです。
ver.-1.00 2000/04/03公開
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